Chapter 25.10-奔走-

グラディオとイグニスは、向き合ったまま押し黙っていた。評議会室のがらんとした大きなテーブルに、今は二人だけで座っている。つい先ほど、王と謁見をしていた二人だったが・・・


大きなため息を先についたのは、グラディオだ。


「あいつ・・・ますます頑固になったな。居留地の一件で懲りたかと思ったんだが・・・」


「ひとりでマフィアと話をつけた上に、オヴァールの合意も取り付けた・・・自信をつけたのだろう」


イグニスは、淡々と言った。


「それにしたって・・・」


とグラディオは、愚痴る。


「無茶だろ・・・さすがに、評議会を通るとは思えないぞ」


ふ・・・ とイグニスは息を漏らして、下を向いた。


「それを・・・通せるよう、用意しろというのが王の命だ。オレはそれを引き受けた」


「できんのか?」


グラディオは、にわかに信じられないと言った顔で、イグニスを見る。


「策がないことはない・・・」


その声は、迷っているように聞こえる。グラディオは、心中を慮って、自分も押し黙った。


レスタルムの暫定居留地で騒動が起きたものの、一行の視察は、それ以外に特に予定を変更せず決行された。駆け足ながらラバディオ自治区と、レスタルム北部の山岳村、メルダシオ協会本部周辺のハンター村も来訪することがかなって、王は、それぞれの代表者と数時間の会談と、集落の視察を卒なくこなした。レスタルム視察中は、訪問先への挨拶一つとっても、オヴァールが顔をしかめるようなシーンがいくつもあったのだが・・・古参の政治家の小言から学ぶことも多かったのだろう。堂々たるその様子に、イグニスやグラディも驚いたほどだ。時折、ノクトの口調がオヴァールに似ていて、イグニスは可笑しかった。


山岳村は、まるで村人全体が修行僧のような様相で、近代文明からは離れた生活様式を保っていた。ノクトも、ルシスにわずかに残る少数民族については、若い頃に多少は学んだのだが、実際にその生活に触れたのははじめてだった。メルダシオ協会本部に近いこともあって、闇が訪れたときには、一時、協会本部周辺に全村で避難をしていた。しかし、粘り強い交渉の末、レスタルムからの電力の供給を受けて、シガイ避けの照明設備を作り、集落への帰還を果たしていた。


視察に訪れたとき、若い世代のほとんどは、ルシスの他の市民と同様に、近代的な衣服をまとっていたが、白髭の村長は仙人のような様子をして、ぼろぼろに着込んだ昔の民族衣装を身にまとっていた。彼は言葉少なに、集落を案内した。あまりに小さな声で囁くようにノクトに話しかけたので、そばにいたイグニスもほとんどその言葉を聞き取っていない。わずかに聞き取れたことといえば・・・この10年を生き残れたことを、ルシスの神に感謝している・・・この集落にもこの集落の神がいる。そんなことだったと思う。


ラバディオ自治区では、ヴィンカー女史と、それにくっついてきたテヨが出迎えた。テヨは、まるで彼女の秘書か助手かという様子で視察について周り、訪問先の案内などをして、一行を驚かせた。二人の間には、相当な信頼関係が築かれているように見えた。あいつ・・・自治区に住み着くつもりじゃないよな? ノクトは、心配になってイグニスに耳打ちした。自治区で開発中の、火山を利用した地熱発電所や、地熱を利用した温室栽培の農家を見てまわり、最後は、中に入ることはかなわなかったが・・・山すそにある洞窟、集落の鎮守の入り口を見せてもらった。いかにもおどろおどろしい鍾乳洞の入り口に、注連縄がかけてあり、紙垂がはためいていた。アラネアは、やはりここでも何かを感じるのか、じっと大人しくなってノクトの後ろにしがみ付いていた。


視察の最終日。ぐるっと南下して海を眺めつつ王都へ向かった。無人となったカエムの灯台の横を通り過ぎ、再建中のガーディナに立ち寄る。美しかったホテルの建物は、残念ながらすべてとり壊された後で、観光地というよりは、機能的な港としての再開を急いでいる。その美しい浜を残しつつ、しかし、築かれた桟橋は、無機質でどこか味気ない。ちょっともったいないなぁ・・・ ノクトの呟きに、港が再開されれば、いずれは十分な資金が出来て、かつての観光地を再興できるだろう・・・ と、イグニスは慰めた。それから、アラネアがかつて住んでいたという洞穴に、向かった。マジかよ・・・ その現場を目撃して、グラディオが思わず呟いた。今更ながらアラネアが野生で生きてきたという事実に驚いていたようだ。話に聞いていたガルラの死骸は、・・・今はもう腐敗が進んで骨しかない、とグラディオが説明する。いずれ墓でもつくるか・・・ ノクトが呟くと、アラネアは嬉しそうに、うん! と返事をしたが、グラディオは呆れたように声を張り上げて、正気か? と抗議した。ああ、だって、こいつの元ママだしなぁ。ノクトは、のらりくらりと答えていた。


結局、墓を作るという話は、今のところ、具体的な進展はないが。


ようやく王都に戻ったのは、つい5日前だ。臨時召集された評議会が開催されたのが一昨日。オヴァールの突然の申し出に、評議会は騒然となりながら・・・しかし、結果として、王の即位は全会一致で承認された。続いて、重々しい口調で、王が評議会の正式な成立を宣言する。予定外の遠回りをしたが、側近達の思い描いた筋書き通り、ようやく第114代ルシス王権が船出をしたことになる。昨夜のうちに、評議会議長より記者会見が開かれて、ひっきりなしに報道もされたが、国内で目立った反応はない。政権内部のごたごたを知らされていない市民にとっては、なにを今更、という受け止め方が大半だ。


しかし、海外からは反応があって、祝電が続いていた。アコルドのカメリア首相からも連絡が入っていた。彼女が選挙で圧倒的な勝利を収めたとき、王の身分が暫定的であったので、王としては公式な祝電を送ることが出来なかった。祝電のお礼として、遅ればせながら彼女の当選に対しても祝いの言葉を送った。


そうだ・・・ようやく、ルシスは、内外に向けて正式な政治活動が出来る。これから、どれだけ忙しくなるか。しかし、その一方で、内部のごたごたがすべて片付いたとは言いがたい。即位して早々に、王が言い出したのは・・・政治の枠組みを位置から見直すということだ。これまでの枠組みでは政治が機能しない・・・もちろん、そんなことは誰の目にも明らかだ。生き残った集落は、互いに、独立的に運営されてきた。10年前のルシスの行政上の制度は機能しないし、新しく立て直すにしても、一律に適用するのは難しいだろう。


そして・・・恐らくオヴァールとの間に合意があったものと思うが、王は、王室のあり方についても見直しをすると、明言した。評議会の場では、その具体的な内容については一切触れていなかったものの・・・今日になって、慌しく呼び出された側近二人は、衝撃的な内容を言い渡された。


すなわち、王室は、その特権と資産とを、極力削減すると。


戸惑う二人に、王は言った。


「覚えているか? ジグナダスでプロンプトと誓ったことを」


グラディオは、ちっ と舌打ちした。


「出自に関係なく、平等な国を作る・・・ってあれか。そりゃ、言いたいことは分かるが・・・」


「旅の間中考えていたんだ。オレがここへ帰還する意味をな・・・どうしたって、ルシス王室はダブルスタンダードだ。むしろ、オレが帰還しないほうが平等な国が達成できるんじゃないかとも思った」


グラディオは、戸惑って、思わずイグニスの顔を見た。見えていないってのに・・・助けを求めるように見てどうなるっていうんだ。グラディオは自分のバカさ加減にいやになったが、しかし、イグニスはその気配に気がついたようだ。


「どこの世界にも特権は存在する。それ自体を否定してもしようがない・・・アコルドも、政治家の大半は上流階級の出身者だ。カメリアも例外ではない」


と、冷静に説明する。ああ・・・まあ、そうなんだけどよ。ノクトは、わかっているとでも言いたげな様子で首を振った。


「だからこそ、だろ。綺麗ごとでは到底、そんな国は作れない。いつまでも、ルシス王家だけは特別・・・って、言ってすませるつもりなのか? 和平会議で・・・オレが言ったことを忘れたわけじゃないよな」


民の支持がなければ王位から退く・・・ ノクトは、迷いなくそう言い切った。その時は、イグニスには何も不安はなかった。ルシス王家の権威を疑いもしなかったからだ。しかし、今は・・・イグニスは、自分の心のうちに、ぽっかりと暗い予感が穴を開けているのを感じる。


「これまでは、その身を犠牲にして国を守るという建前が、王家の特権を認めさせてきた。・・・これからはそうじゃない。もはや、魔力を失い、障壁で国を守ることもできないルシス王家が、今後、存続するのにどのような意味があるのか・・・あるいは意味がないのか・・・」


独り言のような王の呟きに、側近たちは、ドキッとする。


「ルシス王家の存在意義が大きく変わることは避けられない・・・それはわかっているつもりだ。だが、王室という象徴が、ルシスの民の心の支えにもなり、誇りにもなっている。民の心に応えてほしい・・・」


イグニスの声は、やや苦しそうだった。


「誇りか・・・」


ノクトは、ぼんやりと呟いた。


「大切にしたいとは思ってるわ。ルシス王家を愛してくれている人たちの気持ちをな。お前らのように・・・」


王の声は、側近達を労うように穏やかだったが、イグニスと、グラディオは・・・それぞれに、重苦しく俯いたまま、黙った。


「あのな・・・」


ノクトは、二人を気遣うように、静かに呼びかけた。


「綺麗ごとじゃないんだ・・・オレが作ろうとしている国は。誰もが平等なんていうのは、手を繋いで仲良くしていればいいって、そんな単純な話じゃない。アコルドでも、ケルカノでも、ニフルハイムの各地でもな・・・善良な普通の人と人が争う。貴族院のがめついやつらが、世界のすべての不平等を作ったわけじゃない。皇帝イドラも同じさ。大多数の人間が、奴らを支持し、あるいは黙認し、のさばらせていたってことなんだ。同じことはルシスでも起こりうる。暫定居留地の闇のようにな・・・オレは・・・」


王の声に、段々と熱が篭る。


「オレは・・・筋を通したい。平等や公平なんて、綺麗ごとを並べてもどうにもならない。偏見や差別をなくそうと思えば、強い意志が必要だ・・・だから、オレがまず筋を通す。オレの遣り方が、回りくどいのはわかってる。だが・・・腹を決めたんだよ。ここへ帰ってきたら・・・そうやって、めんどくさいことをやろうって。少なくとも、自分が本当に納得していないことを、あれこれ理屈を捏ねて妥協するつもりはない。だから、・・・お前達にも腹をくくって欲しい」


王が、まっすぐな瞳を向けているのを感じる。力強い意思・・・そして、二人への信頼を示している。まったく・・・彼は王だ。もはや、兄貴分の後ろをくっついてくる、頼りなさげな少年ではない。


イグニスは黙ったまま・・・ただ、御意を受け止めようと、頭を垂れた。


王が、王の頭脳とも言うべき側近たちに、言い渡したのは、王室法規の全般的な見直し。それは、先に述べた王室の特権および資産の大幅な平準化とともに、もうひとつの難題もさりげなく付け加えていた。つまり・・・王家とゆかりのない、出自の分からない者を養子の迎えるための法規を整備せよと。およそ、そのような法規は王室には用意されていない。


今このタイミングで・・・と、グラディオは不満をもたらしたが、もはや正式に王が即位したからには、いつまでもアラネアの立場を曖昧にしておけなかった。これまでにも、アラネアの処遇をめぐっては3人の間で言い争うことが多かったのだが・・・視察の後、二人の態度が軟化したのを、王は目ざとく気がついたのだろう。


王位継承権以外のおよその権利を実子と同等に・・・ それが王が出した条件だ。


「アラネアも含め・・・オレらのこどものことだが、これは和平会議の前にもルーナとよく話し合って決意したことだ。この先、オレらは、どのような政治的理由においても、こどもたちを犠牲にしない」


ノクトがそう宣言したのはいつだったか・・・ルシスへ帰還して、割と早い時期だった。ルナフレーナの態度も、あからさまに側近の二人をけん制していた。それ以来、国王夫妻の感情に触れることを恐れて、イグニスもグラディオもなるべく触れないようにしてきた。時間が経つにつれ、なし崩し的に相手が折れることを双方が願っていたに違いない。・・・しかし、王は引かず、なし崩し的に押されているのは側近の二人の方だった。


イグニスは、戸惑いも見せつつ・・・しかし、最後には王の命を引き受けた。


「困難は付きまとうが・・・やれるだけやてみよう」


イグニスは、先ほどまでここで繰り広げられた問答を思い出して、ぼんやりと天井を見上げた。天窓から差し込む光を、辛うじて感じている。グラディオは、放心しているイグニスを心配そうに覗きこんだ。


「あいつ・・・まるっきり人が変りやがったな。頼もしくなった面もあるが・・・あいつの支持者を敵に回すことになるんじゃないか。コル将軍が・・・受け入れるとは思えないんだが」


「そうだな・・・正直心配はある。レギス様の遣り方とは、明らかに違う。王宮の中では、レギス様は評議員と側近の話をよく聞き入れていた・・・ノクトはまるで真逆だ。どちらかというと、外の声に耳を傾ける。あのやり方は、王宮の中で敵を作るかもしれない。しかし・・・」


イグニスは、前を向いて、ふっと笑う。


「それも、時代が変ったということかもしれない。いずれにせよ、オレは、最後まで、陛下のそばを離れるつもりない」


イグニスの言葉に、グラディオは、はっとして・・・そして笑った。


「・・・だな。あいつが、素直に帰ってくるのがそもそも、おかしかったんだ。バカをやろうって言うんなら、最後まで付き合うのはオレらしかねぇか」


「助かる・・・悪友がひとりそばにいるだけで、断然心強い」


グラディオは、はああ? と声をあげて、イグニスの背中を叩いた。


「どうしたよ、軍師殿? 珍しく弱気じゃねぇか。我等が王様の無茶振りにびびってんのか? しっかりしろよ・・・お前なら、誰も文句の言えねぇウルトラCを考え出すって信じてるぜ」


それに答えて、イグニスも、不適に笑い、


「やたらと大きな期待をされるのも困るが・・・まあ、策はあると思っている」


と急に自信のある様子を見せた。


「しかし、あれだな・・・戴冠式と婚礼の方も・・・」


グラディオが、うんざりした表情をして、再び、ため息を漏らす。


「ああ・・・そっちも急がないといけない。いくつか案を見せたんだが、なかなか、首を縦に振らないんだ」


「やっぱりそうか・・・」


二人は腕組みをして唸る・・・ ノクティス第114代ルシス国王の戴冠式に、ルナフレーナとの婚礼の式典。どちらも、新しく始まるルシス王家の象徴して外せない公式行事だ・・・しかし、ノクトは首を振って、これを許可しない。手間と金がかかりすぎる・・・というのがその理由だ。この緊急時には、形式的な行事に、人や金を割くべきじゃない。戴冠式と言っても、レギスの遺体とともに、歴代の王冠は失われていた。実質的に即位を承認するには評議会があれば十分で、ルナフレーナとの婚礼は王室法規にのっとり、両者が書類に署名をすれば事足りる・・・それはそうなんだが。と、イグニスはもやもやと胸を押さえる。


「外交的にも意義があると、説明はしたんだがな・・・」


「まあ・・・こっちはオレのほうでもう少し、あたってみる。あいつを動かすには、王宮内の声じゃ、ダメだろうな。イリスを通じてルナフレーナ様の意向も聞いてみよう・・・あとはそうだな。グレース大使やテネブラエの移民たちなら、やつを動かせるかもな」


「そうだな。お前にも動いてもらえると助かる・・・とにかく、急を要する案件が多すぎて、さすがに目が廻る」


「お前も、ひとりで抱え込むなよ。オレも・・・少しは役に立つさ」


グラディオはふふ、と笑って、席を立った。


「じゃあ、また後でな」


「ああ・・・明日、夜にでも時間をくれるか。王室法規の件、粗いイメージを作ってみる・・・お前の意見を聞きたい」


「わかった。こっちも、これから早速大使に会ってくる。明日報告しよう」


二人は笑顔を交わして、分かれた。


グラディオは、王宮からレスタルムに向かう車に乗り込みながら、方々へ電話をかけた・・・グレース大使は、快く急な面会を了承してくれた。イリスは・・・夜には、グラディオの自宅の方へ来ると言ってくれた。結婚式を数ヶ月先に・・・と準備をしていたはずのイリスは、ノクトの帰国から、急にグラディオのサポートやらルナフレーナの世話やらをして、忙しく立ち回るようになり、結婚式の具体的な計画がストップしていた。あいつのことだから、ノクトが式を挙げるまでは安心できないに違いない・・・ ちっ とグラディオは舌打ちする。意地を通すのもいいが、もうちょっと周囲のことに気を使ってくれてもいいだろ。ルナフレーナ様だって、テネブラエの民衆だって・・・いや、ルシスの国民も、10年の悲願としてこの婚礼を祝福するはずなのに。


少しばかりふにゃふにゃしてた10年前の方が、可愛げがあったかもしれねぇな・・・ とグラディオは思う。その一方で・・・いつまでも、ノクトが可愛い弟分の気分でいる自分も、どうかとしてるとは思う。


この視察で見たように・・・あいつは、あいつなりに王になったんだ。いよいよ、オレはかしずく時だろうに。


グラディオは、目をつぶった。ルシス王家の存在意義・・・それがなくなったら、王の盾はどうなる? グラディオは、底知れぬ不安が、急に沸き立つような気がした。結局、オレは、自分の保身を考えているだけなのか? あいつが覚悟を決めているって言うのに。


ふうう、とため息をついた。


グラディオは、あ、と思い出して、スマホを取り出し、自宅へ電話をかけた。最近、王都へ留まることも多くなって、週に何回も帰宅できていない自宅だ。そろそろ、王都に引越しをするか、一家ごと王宮内に住み着いてしまおうという話もあるのだが、王都にはまだ、十分な医療施設もそろっておらず、産後落ち着くまでは引越しも難しかった。


ーはい? グラディオ?


不機嫌な声が出る。昨日・・・夜になって急に帰宅できないと連絡したのが、いけなかったらしい。


「おう、オレだ。今晩、イリスがうちに来るから、飯でも用意してくれ。オレも、夕方には帰る」


ふううん・・・ 疑り深い声が聞こえてくる。


「ほんとだって・・・悪かったよ、昨日は」


運転してる部下が、耳を澄ましているのを感じて、グラディオは、声を潜める。ウルスラはもう臨月に入っている。臨月に入ったらそばを離れない、なんて、言っていたグラディオの半年前の約束は、和平会議のせいですっかり反故にされていた。来週には予定日だ・・・もう、いつ生まれてもおかしくない。


ーま、期待しないで待ってるわ・・・


ぷつん、と冷たく電話が切れた。はああ・・・ グラディオがため息をついていると、ルームミラー越しに、ちらっと部下の視線を感じた。


「おい。お前、笑ったな?」


グラディオは脅しつけるようにすごんだ。部下は、びくっと体を振るわせて、いいえ、とんでもない! と首を振った。


グレース大使は、テネブラエの移民たちが多く住まう地域にいる。テネブラエの民は、移民の中でもルシスの国民から歓迎を受け、この10年、ルシスに馴染んできた。レスタルムのすぐ北、山林を切り開いて作られた彼らの集落は、他の移民たちの集落よりはるかに治安もよく、生活環境が整っていた。これが他の移民たちからは妬みのタネにもなっている。バラックのようなスラム化した最後の移民の地域にしてみれば、その感情はわからなくもない。しかし、ルシスが彼らを優遇しているというのは誤解で、彼らが10年前のあの混乱期の初期に、アラネア隊によって速やかに避難できたことに起因している。多くの市民は、それなりの資産も持ち出してくることでき、生活を建て直すのも難しくはなかった。


普通の人たちが争う・・・ グラディオは、先ほど王から聞いた言葉を思い出す。確かにな・・・人々の不満の種は、どこにでも落ちている。


グラディオを乗せた車は、山林に囲まれた美しい集落の中心を通り、ルナフレーナが立ち寄りやすいよう改築中の、大使館の前につける。警護隊の車両を見て、通りすがりの市民たちは、みな敬意を示すように頭を下げた。グラディオも、微笑みながら、会釈を返した。レスタルムのスラム街もこんな反応だったら、楽なんだけどな… グラディオはひとりごちながら、大使館に入った。顔パスで門衛の前を通り過ぎると、玄関で早速、秘書官が待ち受けていた。


「グラディオラス様。お待ちしておりました」


「突然に悪いな」


「いえ…ご視察の時には、グラディオラス様とはゆっくりお話もできませんでしたので、大使も喜んでおります」


グレースよりも年老いているその秘書官は、もとはテネブラエの王宮付けの執事長だ。ノクティスとルナフレーナの帰国の際には、出迎えの最前列にいた。ルナフレーナの姿を見るや否や、感涙の涙を流して立ち尽くした。さっと、涙を流しながら敬礼した老紳士の姿に、目を潤ませながら駆け寄るテネブラエの女王の姿は、王の帰還を歓迎しに集まった群集にも、感動を与えていた。


それに比べてみれば・・・コル将軍の出迎えに対して、ノクトのあっさりした態度。よう、と一言、言って終わり。横にいたグラディオは、呆れて物も言えなかった。コル将軍も、もともと感情は表に出さない人だ。ノクトのあっさりとした挨拶に、ただ、黙って頷くだけだった。その胸にうちには、よほどの感情があったと思うのだが・・・。


応接室に通されると、グレース大使がいつものように、シルバーヘアをきっちりオールバックに纏め上げて、人のいい紳士という様子で、笑顔を向けた。


「ようこそ、いらっしゃいました!」


この10年の間、ほとんど笑わなかった大使だが、ルナフレーナの生存が確認されてからと言うもの、無邪気な笑顔を浮かべるようになっていた。グラディオは、いつものように親密な握手を交わすと、進められるままに向かいのソファーに腰掛ける。


「今日はどういったご用件で?」


「あの・・・先日の、評議会で、早速うちの陛下が騒がせてしまって」


王が王室制度を見直す、と宣言したとき、大使は他の王室支持派とともに、大いに驚かれていた。しかし、グラディオの心配を他所に、大使は清清しく笑っていた。


「なかなか、大胆な発言でしたな。正直、度肝を抜かれましたが・・・まっすぐなお気持ちに、心打たれました」


グラディオは、不安の一つでも聞かされると覚悟していただけに、初老の大使の楽しそうな笑顔に拍子抜けした。


「てっきり、ご不安になられるかと・・・」


大使は首を振った。


「よくお似合いのご夫婦です・・・ルナフレーナ様も、周囲がはらはらするくらい頑固な方ですのでね。帝国の支配下にあって、帝国政府から派遣された役人に、いつでも恐れない様子でしたので、度々、心臓が縮みました」


ははははは・・・ と大使は楽しげに笑った。グラディオは、へぇえ・・・と意外な顔をする。ルナフレーナは、ルシスに入ってから、表立っては政治の舞台に参加していない。自分は、テネブラエの元首であってルシスに干渉するわけには行かない、と、かなり早いうちから、王の側近達に宣言していた。テネブラエからの移民たちだけでなく、広く影響力を持っていると自認しているからこそ、なのかもしれない。


「グラディオラス殿・・・どうぞご安心を。テネブラエの民は、どのような状況でも、ノクティス陛下とルナフレーナ様をご支持いたします。王室のあり方が多少変ろうとも、お二人を慕う気持ちに変わりはありません」


グラディオは、はっとして、深々と頭を下げた。


「それは、それとして・・・ 」


と、頭を上げつつ、言いにくそうに切り出す。


「今日は、別件でご相談が」


ほほお? と、大使は興味津々にグラディオを見た。


「実は・・・ルナフレーナ様とのご婚礼の式典なのですが・・・陛下が、なかなか首を縦に振らず」


グラディオは、申し訳なさそうに上目遣いに大使を見た。大使は、にこにことしたまま、グラディオの話の続きを待っていた。


「しかし、我々としては・・・このままでは大変失礼ですので、ご婚礼は必須かと。どうか、大使からも、ご説得を願えませんか。きっと、テネブラエの人々も婚礼を望まれているはず」


ははあ・・ と大使は、ちょっと考えるように、顎に手をやった。


「ご婚礼については、ルナフレーナ様も、ノクティス陛下に近いお考えかもしれませんな・・・」


と、自信なさげに呟く。


「し、しかし、ご婚礼には、外交的にも非常に意義がございますので。 その辺りをルナフレーナ様にもご理解をいただいて」


大使は、うーん と、しばし、唸って考え込んだ後、ぱっと顔を明るくした。


「そうですね・・・御友人方がその姿を見たいと願うのも無理はありません。私も・・・差し出がましくも、ルナフレーナ様のご成長を見守ってきた者として、ご婚礼は喜ばしい限りです。もしかすると・・・マリアであれば、ルナフレーナ様のお心を動かせるかもしれません」


おお、と、グラディオは嬉しそうに顔を上気させた。


「お願いできますか?」


大使は、笑顔を向けて頷いた。


ルナフレーナがその気になれば・・・ノクトも反対はしないはずだ。グラディオは、自宅へ向かう車の中でほくそ笑んでいた。何せ、侍女のマリアは育ての親のようなもの。育ての親が、その艶姿を見たいと願うのは、いくら、頑固なルナフレーナでも、折れるはず・・・


よしよし。外堀から固めるか。グラディオはにんまりしながら、顎鬚を撫でた。

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