Chapter 25.5-軍師の休日-
ざわめきと、重い沈黙とが・・・まぜこぜになっている。評議員たちは、無言に顔を見合わせたり、言葉少なに挨拶を交わしたり、どことなく落ち着きが無いのに、議会室は静まり返っていた。オヴァールは、いつものように余裕のある笑みを周囲に振りまきながら、しかし、不気味なほど沈黙していた。いつものなら、片端から声を掛けて、お得意の演説をかますのに・・・。
軍や警護隊の幹部、それにメルダシオ協会の理事などが会議場に入ってくると、ますます、静まって、緊張感が高まった。
王室派と反王室派・・・さっと視線を交わしながら、けん制する雰囲気が漂う。立場を決めかねている中立派の面々は、まるで、両者の熱い視線の中に巻き込まれまいと身を縮め、会場の片隅に息を潜めている・・・およそ、ヴィンカー女史以外は。
ヴィンカー女史は、今日も、ひとり何食わぬ顔で、どちらの陣営とも同時に視線を交わしながら、どっしりと、評議員席の中央に腰掛けた。その顔は・・・何が楽しいのか、議論がどっちに転んでも可笑しそうに笑っているのが常だ。
あのおばさん・・・今日も機嫌がいいぜ グラディオが呟き、イグニスが嗜めるように、小さく首を振った。
「評議員のみなさま・・・ご着席ください。間もなく、国王陛下が・・・」
と、執務長官が声を上げた途中で、ばん! と、評議会上の扉が勢いよく開いて、一同は一瞬固まった。王が、躊躇いもなく無くすたすたと中に入るので、評議員たちは慌てて自分の席の前に立ちながら、王に向かって深々と礼をした。王は、評議員達に目もくれずまっすぐに、重厚なこの会議場のテーブルの突き当たり・・・王の椅子を目指し、突き進む。そして、さっと、躊躇わずに椅子に座った。評議員たちは、王に合わせるようにして、ぎこちなく着席した。
ええ・・・ こほん 会議を取り仕切る執務長官は、多少、打ち合わせと異なる展開に戸惑いつつ、
「では・・・これより、第1回のルシス王室評議会を開催いたします。本日より、ルシス国王陛下ご同席のもと、本会議は正式な評議会として認定され・・・」
前口上の途中で、さっそくオヴァールが何か口を開き掛けたが、王がそれよりもはやく、執務長官の言葉を遮った。
「悪いな・・・打ち合わせと異なるんだが、まず、オレから提案がある」
執務長官は、戸惑って、助けを求めるようにイグニス補佐官の顔を見たが、補佐官は、無表情のままじっと前を向き、執務長官に顔も向けなかった。王は、評議員達の不思議そうな顔を順に眺めながら
「まず・・・ 何よりも、先に、礼を言わせてくれ。そんな偉そうに礼が言える立場じゃないというのは、重々承知だ。しかし・・・ルシス王家の血を引くものとして、そして、ルシスで生まれ育った一人の人間として、この苦しい闇の時代を、多くの困窮した市民や難民のために働き、人々を導いてくれたこと・・・心より感謝する。ありがとう」
王は、すっと立ち上がって、そして、深々と頭を下げた。ぐっと・・・感情が高ぶり、涙ぐむものもいれば、冷静にじっとその様子を見つめ続けるものもいた。王の近くに座っていたオヴァールや、その迎えのコル将軍は、不思議と似たような様子で、ただ、じっと真剣な眼差しを王に向けて、軽く頭を下げていた。
王は、執拗に長々と頭を下げたあと、ようやく姿勢を戻して、椅子に腰を下ろした。周囲の反応は、それほど気にした様子が無かった。ただ、自分の感謝の意が表わされれば、それで満足したようだ。
「さて・・・ここに集ってくれた貴方がたとは、これから長い時間をかけ、この国の未来を、腹を割って話したいと思っている。オレがここへ戻ったのは・・・この10年必死に働いてくれた貴方がたの遣り方を覆すためじゃない。王室のあり方そのものが議論にあがって、評議員同士、反目しあってるのも聞いてる。しかし、今、ここにきて、オレが信じていることは・・・ここに集う者たちは、この国と、この国で生きる人々を幸せにしたいと願っているってことだ」
「はじめにはっきりしておこう」
と、王は声を大きくした。
「自分の信条を押し通すために・・・他の信条を踏みにじっても良い、と考えるものがここにいるか?」
しん・・・ として、評議員たちは押し黙った。何人かは、隣のものと顔を見合わせていた。
「民の幸せより、自分の権威が重要だと思う者は?」
評議員達の間に、苦笑がもれた。ヴァールも、隣の評議員と視線を合わせた。
「異なる意見に耳を傾けるより、てっとりばやく、相手を潰してやりたいと思う者は?」
ははは・・・ 一部で笑いが漏れたが、一部の議員は、難しい顔をして押し黙った。王は、評議員達の反応を、ゆっくり見て周り、そして満足そうに頷いた。
「よし・・・そういう奴は、いないようだな。先の和平会議、ルシスでも中継を聞いていたと思う。ああいうのは正直ごめんだ。腹の探りあい・・・無言の圧力…相手をへし折ろうという空気・・・酷いもんだ。評議会は知恵を集める場所だ。権力闘争なら他所でやってくれ。その代わり、王家の尊厳など気にする必要ない。回りくどい言い方はめんどくさいし、お互い時間の無駄だ」
と言ってから、王は、明らかにオヴァールの顔を見た。
「例えば、オレが無能だ・・・と思うのなら、そうわかるように言え」
直視されたオヴァールは、唐突なことに表情が固まった。王は、気に留める様子無く、すぐに視線を周囲に戻した。
「それで・・・まず、この評議会と王室がめんどうなことになっている事実に目を向けよう。和平会議で苦労してもらったように、この評議会は、今のところ法的根拠のない、暫定組織となっている。それどころか、このオレも、まだ即位が正式承認されていない暫定の王というわけだ。で、本来であればここでひとつ茶番を打って、この評議会が消滅した王室審議会の代理組織としてオレの即位を承認し、オレが直ちに評議会を正式な政府機関として認定する・・・ということになる。お互いの意見の同異もろもろに目を瞑って、とりあえず、内外に向けて実権を宣言する・・・ていうのも、まあ、順当な手ではあるが・・・」
と、王はここで溜めて、一同の反応を見つつ言葉を繋いだ。
「オレは、評議会も王室のあり方も、なし崩し的に決める前に、この国の現状を知り、民の声を聞きたいと思っている。王の即位と、評議会の認定は、それまで保留にしたい」
おおお・・・ 評議員たちはどよめいた。特に、上座のすぐそばにいるオヴァールは、驚きの表情を隠せなかった。目を見張って、ぶしつけに王の顔を見つめ、そして、続いて、向かい側に座っているコル将軍の顔を見た。コル将軍は、きりっ・・・と唇を固く結んだまま、表情を変えずに宙を見つめていた。その横に佇む、王の側近のイグニス補佐官でさえ、誰の視線も受け付けないように俯いて、無表情に固まったままだ。
「そこでだ・・・まず、手始めに、人口の8割が集中しているレスタルムから視察を始める。レスタルムの、周辺地域・・・現在、市民権を得ていない難民居住地を含めて、隅から隅まで視察し、そこで民の声を聞きたい。オヴァール市長、協力してもらえるか?」
オヴァールは指名されて、びくっ と体を震わせると、王の顔を見つめ返した。意表を突かれて、頭が真っ白になっていた。
「それは・・・」
「どうだ。頼めるか? まずは、この10年、ルシスを牽引してきた貴方に、視察の手配を頼みたいんだ。このオレが、ルシスの何を見るべきか・・・貴方ならよくわかっているはずだ」
オヴァールは、なんとも返答に困っていた。評議員たちが静まって、オヴァールの反応を見守っていた。評議員達の視線を一斉に感じながら、嫌な汗が滲む。落ち着け・・・なんということはない。これは、チャンスだ・・・こんな若造の勢いに飲まれるんじゃない。オヴァールは、なんとか笑顔を取り繕い・・・ぎこちなく頷いた。
「承知いたしました・・・陛下」
その声は、いつになく弱々しかった。
「先制攻撃は成功・・・と、思っていいのか?」
評議会が、予定よりも早く解散となって、議会室に残っていたのは、コル将軍と、イグニスとグラディオだ。グラディオが、混乱した様子で聞いたが、返答するものはなかった。コルもイグニスも、難しい顔で黙ったままだ。
「・・・我々に言ったとおり、貫いたな」
コルは、低く呟いた。
「ええ。想定したうちの最悪の事態には・・・ならなかったと思います」
イグニスは淡々と応えた。コルはため息をつき、議会室の高い天井を見上げる。
「そうだな。少なくともオヴァールに発言の機会を与えなかった」
「そりゃ・・・そうだろ。やつの言いたいことを、先に言っちまったんだから」
「それでも、オヴァールに言わせるのとノクトが言うのとではまるで意味が違うんだ」
イグニスは補足するが・・・その評価が、前向きなのか後ろ向きなのか、グラディオにはわかりかねた。
「王様は気楽そうだったな・・・イグニス、お前は胃が痛いって顔してんぞ」
グラディオは心配そうに、その顔を覗き込んだ。イグニスは、首を振って
「まあ、心配の種は尽きないが・・・」
と、途中で言葉が途切れ、しばし黙った。グラディオは、訝しげにじっと視線を送った。視線に気が付き、はっとしてまた、顔を上げる。
「悪い・・・ただ、受け止めるに時間がかかってる。オレも混乱しているんだ」
ふううう・・・ とその時、コルもため息をついた。それから、徐に立ち上がって、二人に背を向けた。
「俺はしばらく静観する・・・二人で王を支えろ」
そして、押し黙ったまま、議会室を出て行った。その背中を見送ったあと、グラディオはますます声を落とし、
「将軍・・・怒ってるわけじゃねぇよな?」
と不安げに聞いた。イグニスは、俯き加減のまま
「怒ってはいないと思うが・・・同じだ。混乱しているように思う」
と答えた。
「本当に、大丈夫か、あいつ・・・。オレは、王宮内に敵を作るんじゃねぇかって、ヒヤヒヤしてる」
「そうだな・・・その心配が無いわけではない。しかし・・・」
イグニスはまた、言葉を止める。なんだよ、さっきから・・・ グラディオはぼやきながら、その肩を叩いた。
「お前もなんだか覇気がねぇし・・・我等が王様の無茶振りに、疲れ切ってんじゃねぇか。王を休ませてる場合じゃない、お前も休め」
あ… と、イグニスは、小さく声をあげながらはっとした顔をする。休暇か…
グラディオは、嬉しそうに、もう一度、その背中を叩いた。
あ・・・ と、一箇所、仕事から離れた場所を思い出して、ベッドから立ち上がった。久しくあそこへ顔を出していなかったな、と思い出す。部屋をでて、中央棟まで歩いた。工事中の音が鳴り響く中、記憶を頼りに、廊下の、修復の無い箇所を選んで前へと進む。音の反響で、中央棟のホールの辺りだとわかり、そこを反対側に渡れば・・・エレベータの前に出る。近くにいた警護隊の誰かが、補佐官・・・下ですか、と声を掛けた。
「ああ、悪いな」
「いえ、どうぞ、お気軽にお声ください」
その声・・・誰だろうか。大抵の名前は記憶しているんだが。
ぴこん、と音がして、エレベータの扉が空くのが分かる。イグニスは、空間の記憶と、わずかな光の加減をたよりにエレベータに乗り込んだ。
「何階ですか?」
「1階だ」
ボタンを押してくれたようだ。エレベータのボタンの位置は、把握しているので問題が無かったが・・・まあ、気遣いに甘えよう。
「それではお気をつけて」
1階のボタンを押した跡、人影がエレベータを降りるのを感じた。
「ありがとう」
誰だかわからない相手に、イグニスは笑いかけた。
1階につく・・・よく知った空間なので迷うことは無い。久しくその場所を訪れていなかったが、体はよく覚えている。1階の玄関ホールは、今、大掛かりな修復はしていないはずだ・・・ホールに控えている者たちが、イグニスに礼をしているのを感じる。イグニスは答えるようにちょっと右手を上げて、彼らの気配の前を通り過ぎた。左手にホールを横切って行くと・・・後は、立ち働く人の気配や、匂いでわかる。がしゃんがしゃんと、金物がこすれあう音や、トントンと何かを刻む音・・・そして、ぐつぐつと煮える鍋の音が聞こえる。イグニスはほっとして、その入り口に立った。
「邪魔するぞ」
と中に声を掛けると、すぐに近くにいたものが答えて
「これは・・・イグニスさん。こちらへいらっしゃるのは久しぶりですねぇ」
その、親しみのある声から、王宮料理人のジータスだとわかる。あの王都陥落を生き抜いた数少ない料理人だ。闇の時代・・・長らく、レスタルムのはずれで、料理屋をやっていたのを、評判を聞きつけてイグニスが店を訪れ、再会を果たした。ノクトの帰還を見据えて、口説き落として呼び戻したのだ。
「突然すまないな」
「いいですよ。このところ働きづめって聞いていますよ。今日は、何か作りますか?」
「ああ・・・そうだな。久しぶりに、タルトでも作ろうか」
と、イグニスは思いついた。狭い調理場のため、ジータスがイグニスの手を引き、彼専用に用意された調理台まで誘導した。イグニスのために、いつも同じ場所に、ひと揃えの道具、調味料が用意されていた。
「タルトですね。いいのがありますよ。ワルトベリー。これでやりましょうか?」
「そうだな」
ふふふ、とジータスが笑っているのが聞こえた。
「久しぶりですね・・・その顔。王子に作ってやるんでしょ。あ、いけね。いまは王様だった」
イグニスも、若かりし頃に調理場に入り浸っていたのを思い出して笑った。
「あれだけ苦労してたのに、陛下には驚きましたね。お野菜もちゃんとお召し上がりになって。ほんとにご自分で召し上がっているのかな?」
ジータスはちょっと疑うようなことを言いながら、小麦粉やら卵やら、仕入れたばかりのワルトベリーやらを調理台の上に並べていた。イグニスは、気配を頼りに一つ一つの食材に手を触れて確認する。
「本当に召し上がっているようだ。オレもはじめは疑ったが・・・ルナフレーナ様がご一緒だからな。ごまかしは許さないお方だ」
と、笑ってジータスに答える。へええ・・・
「ルナフレーナ様のおかげですかね? それとも・・・荒野の旅のせいかな。腹がすけばなんでも旨いってもんですから」
「そうだな・・・両方かもしれないな」
「何人分作るので?」
ん? とイグニスは数えてみた。グラディオは、午後早々と帰宅すると言っていたし・・・ 親子3人と、テヨと、ヴィンカー女史・・・そして、アラネア嬢のことだ。みんなで食べようと言い出すに違いない。衛兵数人と、マリアの分は必要だろう。
「ざっと、10人から15人だな。多めの方がいいだろう」
わかりました・・・と言って、ジータスが材料をそろえてくれていた。イグニスは腕まくりをして、流しで手を洗うと、不思議と、気持ちが浮き立っている自分に気がづいた。
料理を作っているときは・・・難しいことを考えなくて済む。まっさらになって、ただ、食べてくれる人の笑顔を思い浮かべれればそれで良かった。
「オーブン、暖めときますよ」
「ああ、助かる。あとは大丈夫だ」
イグニスは、楽しそうに微笑んでいた。ジータスは、邪魔をしては悪いな・・・と思って、イグニスの調理代を離れた。
計りは軽量カップに頼る。少量の調味料なら、目分量、手の感覚で大概が事足りる。手の感覚を頼りに、生地の出来具合を知る。捏ねるだけで楽しい・・・この感覚は久しぶりだ。
ずっと、部屋につめて、頭ばかり使っていたからな・・・
イグニスは笑った。たまにはこうして、体を動かし、五感を使わなければ・・・荒野にでて、すっかりぶっとんでしまった主に仕えるには、まさに、違う筋肉、違う脳の活性が必要なのだろう。
イグニスの鼻が・・・生地の程よい香り、を感じ取った。よし・・・ 生地を寝かしつつ、ワルトベリーのジャムを作り始める。砂糖は控えめ、かるくレモン・・・隠し味に、地味に富んだ岩塩少々。ブランデーを一振り。
ことことと、弱火で煮詰めながら、今度は生地を伸ばしにかかる。幾層にも折りたたんで伸ばす・・・執拗に、何度でも繰り返す。繰り返せば繰り返すほどに、繊細な層の重なりになり、焼いたときにふわっと、膨らむ。
きっとアラネアは好きだろうな・・・ノクトとアラネアは、好みがよく似ている。
イグニスはにやっと笑った。
生地を切り出して、タルトの丸い舟を作る。オーブンのトレーに敷き詰めておく。最後にベリーのジャムをのせていく。自分でも、面白いほどに、作り上げたそのタルトの配置が分かる。見えていないはずの手が、間違えることなくジャムをのせていく・・・ ふふふふ。思わず笑いが漏れた。
30個ほどのタルトがずらっと二つのトレーに並んでいた。イグニスは、オーブンをあけて、頬にうけるその熱風から、温度がちょうど良いことを理解していた。トレーを中に入れて、蓋を閉めると・・・満足そうにため息をついた。
焼き上がりに、30分ほどか・・・
視力を失ってから得たもののひとつが、時間の感覚だ。集中していれば、ほとんど間違えることがない。何より、ここにいればその匂いで焼き加減は分かる・・・。
イグニスは、片づけをしながら鼻歌を歌っていた。調理場にいた誰かが、くすくすと笑っているのが聞こえたが、気にならなかった。
いつも、険しい顔ばかりしてたろうな・・・
イグニスはひとりで笑った。強面の側近か・・・そんなものは、多分、この国の王には不要だな。そして、なんとなく、ノクトがアラネアをつれて帰った理由が分かったような気がした。
ああ・・・いい匂いだ。
彼の嗅覚は焼き上がりを知らせていた。腕時計に触れて、時刻を確認する・・・14時39分・・・そろそろ、おやつにいい頃だ。アラネア嬢の秘密基地を見てきた一行は、50階の階段を往復して腹をすかしていることだろう。
「すまん・・・誰か。お茶を用意してもらえるか。これから、王の居室に運んでくれ」
わかりました。 傍にいた若い調理人が明るい声で答えた。
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