Chapter 25.4-王宮大捜索-

ー全隊員につぐ。緊急事態だ


グラディオラス隊長の声が響き、隊員達に緊張が走った。


ーアラネア嬢と、陛下が、それぞれ行方不明・・・王宮は出ていないものと推定される。これより、全隊員で王宮を捜索する。


へ・・・? 隊員たちは顔を見合わせた。どんな危険が迫っているのかと思っていたら・・・


ー第2班は右翼棟、第3班は中央西棟、第4班は中央東棟、第5班は王宮外周部。第1班は、1名を左翼に残し、各班に合流しろ。


第4班のリーダー、オルト・ヴァルティナスは、さっと顔を上げて、傍にいた隊員達に視線を向けた。午後からのシフトに備えて、一同は控え室にいた。隊員たちは、すぐに立ち上がって、いつでも、出動できるよう整列を始めている。


オルトは、耳元の無線を押さえつけるようにして、注意深く指令を聞く。


ーそれぞれ、封鎖区域も含めて、しらみつぶしに捜索するんだ。相手はチビだ・・・棚の中や、物陰までよく見ろよ。陛下の姿を見つけたら、直ちに、オレに一報しろ


ー了解です


オルトは、即座に返答する。一早くに反応できたと思うが、すでに他の班のリーダーからも同様の応答が重なった。脳裏に、数日前に出迎えた王の姿を思い起こそうとする・・・ 思ったより細身の、頬がこけた男だ。若かりし頃のレギス陛下に似ているという者もいたが、オルトにはちょっとわからない。白い地肌に、鼻の頭が日焼けして黒かったのが目だっていた。ニフルハイムの荒野を彷徨ってきたと言う噂は、どうやら本当らしい。


「お前達、聞いたな?」


オルトは、整列した隊員達に向き合う。


「緊急指令だ。第4班は、中央東棟の全区域を捜索する。ツーマンセルで各階層を捜索する。ボルタ・・・お前達が6階以下、ルビナス・・・7階から10階、ゴートニィ、10階から15階、ホーマは15階から20階、リリヤ・・・20階から25階、残りはオレに続いて上階を捜索する」


はい! と部下達が声を揃えて返答した。


「ただちに捜索開始!」


オルトの号令で、さっと、隊員達が各地域に向かって飛び出した。他の班を見送ってオルトも、残る4名の隊員を率いて、非常階段へ向かった。先に非常階段を上がっている隊員たちはそれぞれの持ち場となるフロアにいそぐ・・・さすがに早く、その姿はもうない。一番最上階まであがることになるオルトの組は、ペースを押さえながら6階を過ぎようとした。


その時ー


どんどん!!! 左翼の建物の屋根へと出る非常口が、激しく外側から打ち鳴らされるのを聞いた。オルトは、部下数人と共に、通り過ぎたばかりの踊り場に舞い戻った。


どんどん!


オルトは警戒をして部下が銃を構えるところに、自分は非常口の前に立って、向こう側の様子を伺う・・・男の声が、なにやら叫んでいる。


まさか・・・?


オルトは、部下達に銃を下ろすように指示をして、緊張しながら、非常口の鍵を解除した・・・細身の男が、どっとなだれ込むように扉を開けて中に駆け込んできた。


「陛下?!」


オルトは、その顔を確かめるように覗き込む。


「おい、屋上へ行くぞ!!」


と、男は慌てた様子で、オルトに訴えた。顔は真っ青だ。ええと・・・陛下だよな? オルトはやや自信なさげに男の様子を伺う・・・全身、黒いシャツに黒いズボン・・・王家のお決まりの黒尽くめの装いながら、なぜか、埃まみれだ。


「アラネアが、最上部へ上がるのを見た! あいつ…外壁を登りやがった!」


と、額に汗を浮かべて、オルトに訴えかける。理解ができないオルトは、


「陛下・・・落ち着いてください、今、隊長に連絡を・・・」


となだめたが、男は激しく首を振って、知った様子でエレベータホールを目指して駆け出そうとした。オルトは慌てて、その腕を引いた。


「陛下・・・東棟は、エレベータがまだ動きません。最上部へ行くには非常階段しかありません」


「マジかよ・・・」


王は、ぐったりと疲れた顔をして、肩を落とした。


「我々がお嬢様をお迎えにあがりますので、陛下は居室でお待ちください」


「いや・・・」


王は、頑なに首を振った。


「また、他所に飛び移ったり逃げられたりすると厄介だ。追いかけて刺激するのも怖い。オレなら連れて帰れる」


と言って、迷わず非常階段の方へ向かおうとした。オルトは、さっと遮るように、王の前に躍り出た。


「最上部の方は、まだ、建物の安全確認も完全ではありませんので、私が先導いたします」


それで、ようやく王も納得して、やや落ち着きを取り戻していた。オルトはほっとして、


ー第4班、オルトです。ノクティス陛下を東棟6階にて発見。これより、アラネアお嬢様をお迎えに、屋上へ向かいます


と、無線に連絡を入れた。


ー屋上だと? おい、陛下にはすぐに居室に戻るように言え!!


オルトは戸惑って王を振り返り、


「グラディオラス隊長より、すぐに居室にお戻りになるようご連絡がございますが・・・」


しかし、王の方は、まったく聞く気が無い様子で首を振り、


「ほうっておけ。屋上へ急ごう」


と、オルトを追い抜きそうな勢いで迫る。オルトはしぶしぶ非常階段を登り始めた。


ー陛下はご自分でお迎えにあがると…


息を切らしながらオルトは、かろうじて無線に答える。


ちっ… と隊長の舌打ちが聞こえた。


-こっちも今から向かう。とにかく、陛下から目を離すな!


-了解です


つづいて、オルトは自分の隊員たちに告げる。


ーオルトだ。第4班につぐ・・・陛下を東棟6階にて発見。アラネア嬢を東棟屋上にて目撃情報あり。これより捜索向かう。確認が取れるまで、各班はそのまま、捜索を継続・・・


オルトは、無線に呼びかけながら、王の気迫に押されるように非常階段を駆け上がった。最上部まで、このペースでいけるだろうか・・・ 王はまるで、問題ない、と言った様子で、ぐんぐんオルトに迫ろうとする。王の後ろからは、置いていかれまいと、オルトの部下が4人ほどくっついて来ていた。


だだだだだだだ・・・ 非常階段を、乱暴に駆け上がる足音が鳴り響いた。時折、他の階の捜索しているペアとすれ違う。一行に気付き、狭い非常階段の脇に避けて敬礼をする。オルトは、目配せをする時間もないままに、その横を慌しく通り過ぎた。何事かと言う様子に、兵士たちは顔を見合わせて一行を見送っていた。


30階ほど駆け上がると、さすがに王の顔が苦しそうになり、オルトはペースを落とした。後ろにくっついていた部下達も、少し息が上がっているようだが、そこは王の手前・・・彼もよりも早くに値を上げるわけにいかず、気張っているのが見える。


「あと、20階ほどです・・・」


オルトは励ますように言った。


「ああ・・・、結構キツイな。エレベータはいつ、再開するんだ?」


「東棟は、まだ、修復計画が立っていません」


「そうか・・・」


王のペースはどんどん落ちて、足が止まりそうだった。


「少し休憩しましょうか?」


「いや・・・」


と、王は、しばし息を整えて


「移動される前に捕まえないと・・・さあ、行こう」


と、再び、オルトに迫った。オルトは気遣いつつペースを上げてみた。王は、自分で宣言したとおり、ぐんぐんとスピードをあげて、残りの階段を一気に駆け上がるつもりだ。


「では・・・一気に行きましょう」


オルトは、後ろについている部下にも聞こえるように言って、前を向いた。


だだだだだだだ・・・ 


また、激しい足音が鳴り響いて、非常階段が振動した。オルトもさすがに額に汗しながら、しかし、背後に迫る王の気迫に振り返る余裕も無い・・・なんという、険しい表情だろう。それほどまでに、こどもが心配なのだろうか。


脳裏に、王を出迎える際に目にした、こどもの姿が思い出される。あまりにも場違いな、みすぼらしい子どもに見えた。目は落ち窪んでいながらぎらぎらと大きく見開き、顔も腕も全身が日に焼けて斑な色をしている。髪の毛は無理やり整えて結わえてあったが、癖毛がところどころにはみ出していた。ややがに股で、着せられていたワンピースがお世辞にも似合ってはいない。ルナフレーナの、輝くような美しさに際立って、こどもは醜く見えた。ルナフレーナの、わが子を見るような深い慈愛に満ちた表情は、神々しいまでに彼女の博愛を示しているかのようだった。一方、まるで頓着した様子の無いそのこどもは、王宮の聳え立つ二つの塔に興奮をして、大きな声を上げながら、さかんにルナフレーナに塔を指差して見せた・・・


しかし・・・壁をよじ登ったって?


オルトの中に、巨大な疑問符が沸き起こる。・・・動揺されているんだ。5階から現れた経緯もよくわからないが・・・こどもを捜索して、自らそんなところにまで立ち入ったのだろうか?


ようやく階段の終わり、屋上へと続く踊り場が見えてきた。オルトが一気に踊り場に上がると、続いて王がその後ろに飛び込むように上がり、そして、膝を突いて、ぜえぜえと激しく息をした・・・ 


「くっそぉおお・・・ お前ら、よく鍛えてんな・・・」


その悔しそうな言葉は、褒められているのか咎められているのか・・・オルトはなんと返事をしたものかと戸惑う。王の後ろから、隊員達も狭い踊り場へと上がる。みな、息は上がっているが、王ほど苦しそうではない。


「大丈夫でしょうか・・・」


「大丈夫だ・・・くそっ・・・ちょっとまて、ちょっとだけ」


と、大きく息を吸って、呼吸を整えようとする。あの険しい顔は、見栄を張って苦しさに耐えていたのか・・・オルトは呆気にとられて、なんとか体裁を整えようとする王の姿を見る。


「よし・・・」


王は、まるでなんでもない様子を装って、威厳を保とうと胸を張っているように見えた。その時、屋上へと続く、扉の向こうから、わきゃあわきゃあ となにやら獣の無く大きな声がして、オルトと隊員は、さっと警戒の態勢を取った。この鳴き声の大きさ・・・かなり大型の野獣だ。


「外に野獣が・・・お下がりください!」


とオルトと隊員たちは、王の前に出たが、王は首を振って隊員たちを脇へ押しやり、自分が前に出ようとする。


「ああ・・・言い忘れた。野鳥がいるんだ。でかいやつが飛んでるのが見えた・・・多分、大丈夫だ。仲良く遊んでいるんだろ」


ええ?! 隊員たちは一様に戸惑う様子を見せて王の背中を見つめた。オルトは、慌てて


「お待ちください・・・まずは、私が様子を確認しますので!!」


と、まさに扉に手を掛けて屋上に出ようとした王を留めた。王は、ニヤッと笑って、


「ほら、聞いてみろよ」


と、あごで外の方を指す。え・・・ オルトは、促されるまま扉の方へ耳を澄ました。


きゃきゃきゃきゃきゃきゃ・・・ 


鳥の鳴き声に混じって、子どもの笑い声が聞こえる。鳥の、わきゃあわきゃあわきゃあ という鳴き声と、なにやら呼応して、まるで会話をしているかのように。


オルトが呆気にとられて固まっていると、王は、そっと扉を押した。扉が静かに開く。屋上に立ち並んだ空調設備の機械の合間に、木の枝と泥とで出来た巨大なお椀上の巣が見えた。巨大な塗り色をした鳥が、すっぽりと巣に収まって毛づくろいをしている。子どもの姿が見えない・・・ オルトは緊張して、上体を乗り出しながら、慎重に辺りを見回した。


寛いでいた鳥は、オルトに気がついて、ぎょっ と顔を上げて、こちらを見た。その視線が、まっすぐにオルトを睨みつけていた。ぐるぐるぐる・・・のどを鳴らして、威嚇しているのだろうか。


「前に出ると刺激する・・・動くな」


王は、動じずに静かに言った。


「おい、アラネア。いるか?」


王は、獣を驚かせないよう、低い声で、呼びかけた。


お、おおお? すぐに巣の辺りから返答があって、大きな鳥の懐から、まるで雛の一羽のようにひょっこりと顔が現れた。と、同時に、まるで兄弟の真似でもするように、数羽の雛がひょこひょこと、子どもの脇から顔を出す。


「呆れた・・・お前、そこんちの子どもになるのか?」


王は、笑って、もう安心した様子で腕組みをして立っている。アラネア嬢は、にかっ と王に笑い返すと、ひょいっと巣を抜け出し、ばっと駆け出して王の胸に飛び込んだ。


「ノクト! お腹すいた!!」


王は、笑顔で娘を抱きとめつつ、そろりと扉の内側に身を引いた。オルトは、慎重にゆっくりと扉を閉める。警戒してこちらを見つめていた親鳥は、もう興味を失ったようにひな鳥の毛づくろいをはじめていた。


「お前なあ・・・ メシどころじゃねぇぞ・・・きっと、グラディオとイグニスがカンカンになってる」


王は呆れた様子で抱きついたアラネア嬢を非常階段の踊り場に下ろした。


「ほら・・・こいつらもお前を捜索してこんなところまで上がってきたんだぞ」


アラネア嬢は、不思議そうな顔して、集まっていた隊員たちを順に見ていた。オルトは一瞬、呆然としたが・・・すぐに気を取り直して、無線に呼びかけた。


ーこちらオルト。東棟屋上にてアラネア嬢を無事保護しました。なお、屋上に、大型の鳥獣が巣を作って住み着いていることが判明。取り急ぎの危険は無いものと判断しますが、空調設備への影響を懸念します


ーグラディオだ。オルト、ご苦労だったな。その両名をとっつかまえて、すぐに居室まで連行してくれ


え・・・ オルトは一瞬言葉につまり


ー了解しました。両名をすぐにお連れします


と返答した。


「・・・陛下、すぐに居室へお連れするようにと隊長よりご連絡が」


ほらみろ! と、王は、こつんと、アラネア嬢の頭を小突いた。ああ、グラディオ、怒ってるかな? アラネアは、頭をさすりながら、王の顔を見る。


しょうがない・・・と王は腕組みをした。


「オレもサボったしな・・・二人で素直に怒られてこよう」


おおお! アラネア嬢はうれしそうな顔をした。


「ノクトと一緒か! よかった!」



デュークは、見ない、聞かない・・・と自分に言い聞かせる。目をしばしばと瞬きながら、視野をぼやかしてその光景を見まいと意識するが・・・しかし、難しい。いっそのこと目を閉じてしまいたいと思う。


「お前ら!!!!」


グラディオラス隊長の、怒鳴り声が響く。王の居室の一角にある、応接室の中で、床に正座させられているのは・・・ まさに王と、外国より連れ帰った孤児だ。隊長の隣には、難しい顔をしたイグニス補佐官が立ち、応接室の片隅では、ルナフレーナが穏やかな笑顔のまま、この光景を見守っていた。


「親子でいい加減にしろよ!! 王とその娘が、サボりで王宮中捜索されるたぁ、前代未聞だぞ!!! 警護隊、全体を動かすのにどれだけの人件費がかかってると思ってる?!」


怒られた二人はしゅん、となって下を向いている。デュークの隣に立っていたベルコも・・・よほど、いたたまれないのだろう。落ち着き無く、体を揺らしたり、姿勢を変えたりしていた。ちらっと、デュークの方へ視線を遣り・・・オレら外にいたらいけないだろうか・・・と、問いかけているようにも見えた。


ほんと、廊下で待っていたいよ・・・とほほ


デュークは、ため息をつきたいのを必死に抑えて、なんとか、まっすぐに立っていた。


「お前も、50階建てのビルの外壁を登るとか、バカか!!!」


と、アラネア嬢の方を向いて怒鳴りつけるかと思えば


「お前も!! 6階とはいえ、よじ登るか?! まず、ダクトに侵入する前に、誰かを呼べよ!!!」


と、今度は、王の方を向いて怒鳴る。

二人は交互に、肩をすくめながら、反省を示すように小さくなって見せた。


「だって・・・」


と、アラネア嬢の方は、小さく呟いた。


「嫌だったんだもん」


王も、まるで真似するように


「・・・オレも嫌だったんだもん。会議出るくらいなら飛び降りようかとも思った」


3階だけど・・・ と王は小さく呟く。


「お・ま・え・ら・なぁ・・・!!!!」


隊長がさらに雷を落とそうと身構え、まさに、王とお嬢とか首をすくめたとき、隣に立っていたイグニス補佐官が、さっと、前に出た。


「もうやめよう」


グラディオラス隊長は、言葉を止めて、補佐官を見た。


「もうやめよう・・・ これは、明らかにオレの失態だ」


イグニス補佐官は念を押すように言った。そして、急に姿勢を正したかと思うと、王とアラネア嬢に向かって、深々と頭を下げた。


「これは・・・私の失態です。陛下とアラネアお嬢様の意向を確認せず・・・ご無理を強いました。配慮が掛けておりました。誠に申し訳ございません」


一同は、しん・・・ と静まった。気まずい雰囲気があたりに漂った。デュークは、・・・ああ、もう勘弁して欲しいと、穴にでも入りたい気分で、必死に、見てない、聞いていないと自分に言い聞かせた。


王は明らかに、動揺して、そして後悔を顔に滲ませて、どのように答えるべきかと考えを巡らせていた。グラディオラス隊長は、どうすんだよ、と責めるような目で王を見ている。うだうだと返事ができない王にかわり、動き出したのはアラネア嬢だ・・・


アラネアは急にすくっと立ち上がるかと思うと、ぱあああ と笑顔を浮かべた。


・・・え?! 王も、グラディオラス隊長も、そして隣のベルコも驚いて、何が起こるかをじっと見守る。


アラネアは、一同の注目など気がついた様子もなく、さっと、イグニスの前に歩み寄ると、右手を差し出した。


「もういいぞ、イグニス! 仲直りだな!」


えええええええええ?!


その場にいた、ほとんどのものが、驚愕の表情でアラネアを見、そして、今度は、イグニスの反応を固唾を飲んで見守った。アラネアはまったく屈託の無い様子で、ただニコニコと右手を差し出している。


イグニスは、言われて、動揺をしているように見えた。すぐ近くにアラネアが迫ったことは、気配とわずかな影でわかったが、右手を差し出されていることはさすがにわからないようだ。


「アラネア。握手したいんだったら、自分から手を掴まないとダメだ。イグニスは見えないぞ・・・」


先ほどまで驚愕していた王が、少し落ち着きを取り戻して、静かに言った。ああ、そうか・・・アラネアは、言われたとおりにイグニスの右手を自分で掴んだ。


「仲直りの握手だぞ!」


そして、にこっ と、一人で満足したように笑いかける。戸惑っていたイグニスは、触れられた小さな手を、握り返して、その笑顔を見ようと顔を上げた。握り返した手は・・・ 想像していた以上に小さく・・・イグニスは、どきりとした。


イグニス補佐官の驚いた顔が、じっとアラネア嬢を見つめているように見えた。しばし、沈黙が横たわったが・・・やがて、補佐官の顔にも笑顔が浮かんだ。


「わかりました・・・仲直りしましょう。こちらこそ、よろしくお願いいたします」


イグニス補佐官は、穏やかな笑みを浮かべて、アラネア嬢の手を、しっかりと握り返した。サングラスの向こうの目が、わずかに潤んでいるような気がしたが、いや・・・気のせいか。アラネア嬢から手を離して、改めて王に向き合う・・・そのときには、自信に満ちたようにまっすぐに立ち、いつもの補佐官のように見えた。


「陛下・・・明日は、一日、予定をキャンセルいたします。どうぞ、ご家族で休暇をお過ごしください」


イグニス補佐官は、淡々と言った。王は、驚いて


「いいのか?」


グラディオラス隊長でさえも、不安げに、本気か? と小声で呟いた。


「はい。ほとんどの予定は、来週以降でも問題はありません。本当に陛下の出席が必要があるか見直した上で、再調整いたします。なにより、次の評議会には万全の体調で望んでいただきたいので・・・」


それから、イグニス補佐官は、ほっと安心したようにため息をついた。


グラディオラス隊長は、むむ、と納得しない様子で、もうすっかり緊張が解けていた親子を睨みつけると


「お前ら、今度から、どーーーーしても、サボるんだったら、せめて護衛をつけろ。護衛もつけずに飛び出したら許さんぞ!!」


とダメ押しした。


「ごえい?」


「この辺りを守っている兵隊のことだよ。そうか・・・じゃあ、今度は、サボるときはデュークに付き合ってもらおう」


と、王がこともなく言うと


「わかった! あーちゃんはベルコと一緒に行く!!」


とアラネアが続けたので、デュークとベルコは思わず、ぎょっとしてお互いに顔を見合わせてしまった。


お前らな・・・ グラディオラス隊長が、苦虫を潰したような表情で呟いていた。




深夜・・・ルーナは、静かな寝室で、はっと目を覚ました。窓から静かに差し込む月光が、室内をうっすら浮かび上がらせていた。ひんやりと空気が冷たい・・・夜空はよく晴れているようだ。


寝返りを打つと・・・静かに寝息を立てている夫の背中が見えた。そっと顔を上げて、夫の向こう側にもぐりこんでいる娘を見る。王宮中を大騒ぎさせた一日・・・夫も、そして娘もよほど疲れただろう。前後不覚に、正体もなく、お互いに寄り添うようにして深い眠りに落ちている。


ルーナは、そのまま体を起こし、しばし、薄闇の中でノクトの寝顔を見ていた。昨日まで、苦渋の表情で眠ることの多かったが、今夜は穏やかな顔をしている。


10年も留守にいた王国で公務に戻るのはどれほど大変か。和平会議の旅程の中でも、夫婦してその心配を幾度となく話し合ったものだが・・・ルーナはため息をついた。


それから、若かりし頃に、世界各地を訪問していたときのことが、ふと思い出された。どんなに忙しくても・・・要請があれば、どこへでも赴いた。人々の期待が、自分を突き動かしていた。周囲の心配も、特に、兄の心配には耳を傾けずにいた。ひとつでも多くの期待にこたえることが自分の使命だと、信じていた。今のノクティスも、きっと、側近達の期待に必死にこたえようとしている。


あの時代を思い返すに苦しくなるのはどうしてだろう・・・とても、輝いていたはずなのに。耳に蘇るのは、歓声や、人々の喜びの声や、そして、感極まって涙する声・・・しかし、苦しそうな声もたくさん聞いた。四肢をじんとさせるような充実感の一方で、何か、胸が埋め尽くされるような、息苦しさには、気付かないようにしていた。


ほっと、息をつきながら、ベッドに体を横たえる・・・膨らみ始めた腹をそっと撫でてみた。もう少ししたら、胎動がわかるそうだ。早くその動きを知りたくて、注意を向けてみる。胃の動きか、腸の動きかと判別できないが、ときおり、ぽこぽこと小突くような感じがする。


これかしら・・・ 自分で自分に問いながら、そっと目を閉じた。


ルーナ・・・ 優しく呼びかける声がして、ルーナは目を開けた。今しがた寝てばかり、と思っていたが、はっとする。あたりは、懐かしい風景・・・咲き乱れるジールの花。


ルーナ! ちょっとはなれたところから、優しい男の子の声がする。花の合間から顔を上げると、男の子の姿がうろうろと自分を探しているのが見えた。


「ノクティス様」


ルーナは、笑って男の子に手を振った。幼いノクティス王子は、ぱっと振り向くと、嬉しそうにルーナのほうへ駆けてきた。


「ここにいたんだ!」


「ええ・・・いつでも、お傍におります」


ルーナは体を起こして立ち上がった。ノクティスより、まだちょっと背の高い・・・そう、あのころはこんな風に見下ろしていたんだっけ。


二人は手を繋いで、花畑を歩いた。ノクティスの横顔は、照れくさそうに笑っている。


「あの、あのね・・・」


ノクティスは、恥ずかしくて顔が見れないまま、話し始める。


「あのね・・・僕、ルーナを守るよ。絶対に、死んでも守るよ」


その顔は、ちっとも不安を感じていない。守りきれると信じて、力強い・・・


途端に、ルーナの胸が苦しくなった。同時に、視界が高くなり・・・ノクティスの体が、徐々に小さくなったように感じた。いや、自分が大人の姿になったのだ。大人のルーナは、小さなノクティスの前にかがんで、その、あどけない顔を正面に見た。ノクティスは不思議そうに、ルーナの顔を見返した。


「どうしたの・・・? ルーナ?」


「嫌です、ノクティス様・・・死んでは嫌です。一緒に、生きてください・・・」


使命なんて・・・もう・・・


ルーナは、涙を浮かべながら、幼いノクティスの体を抱きしめた。


ルーナは、自分の涙ではっと目を開けた。浅い眠りから覚めて、窓の外が白み始めているのに気がついた。ノクトの、やや疲れた寝顔が、すぐ傍に見えた。すやすやと、穏やかな寝息を立てて、少し笑っているように見えた。そっと、愛おしそうにその頬なでた。


早朝の王の間・・・ 修復のためにそこら中に足場が組まれている。この場所で起きた、戦いの激しさを物語っている。早朝なのでまだ、工事ははじまらず、静かな時間が流れていた。吹き飛んだ片側の壁から光が差し込んで、玉座の辺りを照らしているが、肝心の玉座は修復作業のために分厚いカバーを掛けられていたままだ。まるで、玉座は眠りについているように見える。


イグニスは、やや慌てた様子で、工事中開け放されたままの王の間の扉をくぐった。人の気配があった・・・跪いているのか。光の中で、床のあたりに体を丸めているようなぼやっとした人影を感じる。


「ルナ・・・フレーナ・・・様?」


誰かが、立ち上がる気配がした。


「イグニス様・・・申し訳ございません。こんな早くにお呼び立てして」


「いえ・・・自分は、問題ありません。しかし、このような早朝に、いかがなされましたか」


ルナフレーナの心が、なぜか沈んでいるように思えて、イグニスはどきっとした。今日一日の休みを決めたものの、このところ、ノクトを拘束しすぎたことが、やはり気にかかったか・・・


「その・・・申し訳ございません。ご帰還早々、ご家族の時間が取れず・・・」


「いいえ・・・ご無理をお願いして、お休みをいただきましたもの」


ルーナは首を振ったようだ。しかし、やはり、悲しみが伝わってくる。


「明日の評議会が無事に終われば・・・少しは、余裕が出来るかと」


その時、意外にも、ふっと笑うような声がして、イグニスはどきっとした。


「無事には終わらないでしょう」


ルーナははっきりと言った。イグニスは、はっとして、言葉を呑んだ。


「ここまでの道中、ルシスの国内情勢もいろいろと耳にしています。闇が明けてから、ゆれているのは、ニフルハイムも、アコルドも・・・このルシスでも同じこと。落ち着くには、しばらく時間がかかりますね」


「誠に・・・おっしゃるとおりで・・・」


イグニスは、すっかり恐縮して答えた。詰まらない誤魔化しをした自分を、恥じた。


「立ち話もお体に触ります。よろしければ、応接室の方へ・・・」


「いえ。忙しいところ、あまりお時間を取らせてもいけませんから」


そして、ルーナは、数歩、玉座の方へ歩み出たように思えた。その足音は、静かだが、やはりどこか寂しさを滲ませていた。


「ここで・・・レギス陛下に、お祈りをしておりました」


躊躇いがちに、言葉を繋いでいる。


「レギス陛下にきっとお叱りを受けます・・・でも、貴方はノクティスの幼い頃からお傍にいてくださった方。どうしても、聞いていただきたいと思いまして」


「はい・・・」


イグニスは、なぜか恐れを感じはじめていた。ルーナの心が・・・いつものように強い覚悟に満ちている。しかし、そこに混じる深い悲しみのようなものはなんだろうか。寂しさと・・・悔悟か?


「イグニス様。私は・・・恥をしのんで、このルシスに参りました」


ルナフレーナは・・・思い切ったように言った。イグニスは、動揺を隠すことが出来ずに、口ごもる。


「それは・・・」


ルーナは、すぐに言葉を続けた。


「幼い頃から、ノクティスを・・・ノクティス様を神凪としてお支えして参りましたが、それもすべて、あの場所へ・・・あの方を導くためです。ご存知ですね、あそこで、何が起きたか」


ルーナが、玉座の方を見ているのが、はっきりとわかる。イグニスも、恐る恐る顔を挙げ、玉座を見ようとした。うっすらと光を捉えるその目に・・・玉座が見えてくるような気がして、恐ろしかった。


「ご存知の通り・・・幼少の頃より、私は、ノクティス様に親しくさせていただきました。その一方で・・・残酷な真実を隠し続けて来ました。恐ろしい運命を知りながら、まるでたわいのない、楽しいお話だけをして・・・」


時折イグニスが覗きこんだ、あの、二人の交換ノートの内容が思い出された。短い言葉のやり取り・・・些細な日常をつづり、暖かい気遣いを感じるメッセージ。さりげなく、ノクトを励まし、ノクトを支えていた。


「ノクトは貴女のお心に支えられていました。それに、貴女は貴女のご使命に従って・・・」


「だからこそ、冷酷ではありませんか」


ルナフレーナの口調は、静かだが、厳しかった。


「ノクティス様は・・・使命のためではなく、いつでも・・・何者でもない私、そのままの姿を愛し、その幸せを願っていてくださいました。なのに、私は・・・」


イグニスの脳裏に、幼い頃のノクトの姿が思い浮かぶ。ノクトはアンブラが現れると、時にはしゃぎ、時にすまして、そのノートを受け取った。夢中で返事を書くこともあれば、しばらく戸棚にしまわれたこともあったが・・・しかし、それに向き合う時は、気負うことのない、素の顔を見せていた。


「厚かましい女とお思いでしょう。まさしく・・・一度、死に追いやりながら、どうしてのうのうと、妻となりえましょうか。まして、王の后となることなど、本来許されるはずがありません」


イグニスは、はらはらして、思わず


「お言葉ですが・・・貴女以外に、陛下の奥方となり得ません」


と、語気を強めた。ルーナフレーナは、笑ったようだ。


「私は、もう何があっても、ノクティスの傍を離れる気はありません。自分の罪は承知の上です。そして・・・今度、運命が、ノクティスを死へ追いやるというのであれば・・・私は全力で抗います」


はっ として、イグニスは顔を上げた。わずかに光を受けて、人影が分かる・・・すっと、自分の前に立っているその人物は・・・巫女? いや・・・遥かに大きい姿を感じる。


イグニスは・・・畏怖の念を表わすように、すっと頭を下げた。

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