Chapter 25.3-王様失踪-

王様らしく、ぐっとあごを引き、胸を張る。とんとんとん・・・ わざとらしく皮靴の踵を鳴らし、ずらっと並ぶ臣下たちの横を歩く。目指しているのは、正面の、王の椅子だ。他の人より、一際大きく、見るからに重厚で、背もたれの装飾も手が込んでいる。


仰々しいな・・・ と内心で思いつつ、顔に出さないように注意する。王は王らしく、臣下は臣下らしく・・・ここでは、それが暗黙のルールだ。


思わず、ため息を付きそうになり・・・すんでのところで息を止める。常に、自信を見せ、冷静沈着でいなければいけない。王の威厳を見せろ。ため息なんて、もってのほかだ。


目指す王の椅子が、すぐ目の前に近づいた。堂々と・・・偉そうに、わざとゆっくりとした動作で、その椅子に座ろうとして・・・臣下たちの方を振り返った。


あああ?! 思わず、驚愕の声を上げて、腰を浮かしたまま間抜けに立ち尽くした。振り返った先に、ずらっと立ち並ぶ臣下たち・・・その先が、遥かかなたの地平線まで続いていて終わりが見えない。合わせ鏡の向こう側のように、無限に続く臣下の列が、ざっと、王の方を向いて敬礼をした・・・


「わわわ・・・」


ノクトは声を上げて、ベッドから飛び起きた。ぜぇぜぇぜぇ・・・呼吸が荒く、嫌な汗をかいている・・・目に入るのは、朝の静かで平和な寝室だ。寝室には一人だった。ルーナも・・・昨夜ベッドに潜り込んでいたアラネアも姿がない。寝室隣のリビングも、しんとして、人の気配がなさそうに思える。もう、ダイニングの方へいるのだろう。


寝過ごしたかな・・・ ノクトは、軽くめまいを覚えながら、ベッドから出ようとするが・・・体が重い。体を傾けたまま、じっと動きを止める。そして・・・ ああ・・・ と、ため息をついて、もう一度体を横たえた。


しんどい・・・ どーん・・・と自分の体の重さを感じる。昨日、ベッドに入ったのは、深夜を回っていなかったっけ。さすがに、ルーナもぐっすりと眠り込んでいて、自分が入ってくるのに気がついていなかった。アラネアが、ベッドの真ん中を占領していたので、仕方なく、右端に潜り込んだような気がする。意識を失うようにそのまま、眠りこけたようだ。


イグニスも、毎夜、毎夜よくやる・・・ 朝から夜まで、同じようにオレにつきあってんのに、何であいつは平気な顔してんのかな。


1日の終わりはその日にあった会談や、会議の総括をさせられる。イグニスと、その秘書官と、そして稀にグラディオも同席する。そんな意図はないのだが、ふとした拍子に口を出た呟きや、ちょっと質問したことが、なぜか、いつも終わりのない議論に発展してしまう・・・


昨夜は何で揉めたんだっけ? そうだ、明後日に迫った評議会でのオレの、いわば所信表明が・・・あいつには、まだ納得いかないんだった。昨日は、別の角度からリスクを分析してきて、それについて一考してくれと迫られたんだ・・・。


コル将軍も折れたんだがな。イグニスが一番しつこいな


はああああ・・・ ノクトはしんどそうに、息を吐いた。だめだ。どうにも体が持ち上がらない。いったい今朝の予定はどうなっていたろう。ベッドから、サイドテーブルに手を伸ばそうとする。その上に、くしゃくしゃになった予定表がー毎日のように更新されていて、昨日新たに渡されたものだがーが、転がっている。更新されるたびに、予定が増えていくのは何故だ・・・


乱暴に紙をつかんで、頭上にかがげてみる。窓から差し込むあかりが、くしゃくしゃなその紙に、びっしりと書き込まれた文字を浮き立たせた。


今日の予定・・・8時45分から、グーニ副長官と面談。9時15分、軍再編成の件、10時20分  王宮修復計画の再検討について・・・


午前中だけで5件の会議が詰め込まれていた。ランチをしながらの、機密情報管理室の幹部との面談・・・おいおい。


昨日も、朝8時過ぎの会議のために、朝食をとる前にイグニスに連行され、簡易な食事を取りながら会議のための準備をさせられ・・・そのまま、居室に戻る暇もなく、深夜まで連れまわされたのだ。ほとんど、ルーナとも顔を合せていなければ、キスの一つもできなかった。


やべぇ・・・


くしゃくしゃくしゃ。ノクトは紙を丸めた。


こりゃ、完全に夜逃げフラグがたってるぞ・・・ げっそりとして、目を瞑る。その時、トントン と遠慮がちに寝室の戸が叩かれた。


「ノクティス・・・?」


心配したルーナの顔が覗き込んだ。ノクトは、泣きそうな顔で久しぶりに拝む妻の顔を見て、キスをせがむようにそっと両腕を伸ばした・・・ルーナは、案ずるように寂しそうな笑顔を浮かべながら、さっとベッドの横に近づき、疲れきった夫に口づけをした。優しく唇を重ねるが、いつもは情熱的な夫が、さほど執着もせずに、ちょっと唇を吸っただけだったので、ルーナは哀れに思って、その額にもキスをした。


「・・・大丈夫?」


「死にそうだ・・・」


ノクトはせがむようにその体を抱き寄せて、ルーナの胸に顔をうずめた。ほっ とため息が漏れて、安心したように脱力したのがわかる。ルーナは何も言わずに、頭を撫でた。


「今・・・何時だ?」


「8時です。お食事にしますか?」


はああ・・・ ぎりぎりまで寝ていたい気持ちと、しかし、食わねば午前中をとても乗り切れないという冷静な判断が、拮抗する。


「食うか・・・」


ノクトは諦めて、ルーナから手を離した。


ルーナに手伝ってもらいながら、だらだらと着替えて、それから二人して食堂へ向かった。部屋に入って、静かなので、不思議に思っていると、珍しくアラネアが、まだぐずぐずして食事を終えておらず、食卓でうなだれていた。


「おはよう・・・どうした?」


と、ノクトは、自分も食卓につきながらアラネアの顔を覗き込んだ。ルーナは、困ったように笑いながら、


「ウェズリー夫人が、今日もいらっしゃるのよね?」


と、代わりに説明する。ああ・・・そういえば、一昨日、はじめての顔合わせがあって、心配したとおり、アラネアとあまり馬があわなそうだと、ルーナが話していた。


「先生ならテヨがいい・・・」


アラネアは、ぶすくれた顔をして、文句を言った。


「テヨはいずれ帰ってしまうからな。まあ・・・今日一日がんばってみろよ。どうしてもいやだったら、オレがイグニスに言ってやるから」


ノクトは安請け合いしたが、アラネアはまだ、納得がいっていないようだった。


「イグニス・・・嫌い」


まあ・・・ ルーナは困った顔をした。


「そんなことを言うものではありませんよ。あなたのために、とてもよくしてくださっているんですから」


「だって・・・」


アラネアの声が小さくなった。


「・・・じっと、怖い顔でいつも睨んでる。あーちゃんのこと、嫌いなんだ」


ノクトは、ルーナと顔を見合わせた。


「あのな・・・イグニスは目が悪いんだぞ」


「でも、見てるよ」


「それに、イグニスはグラディオみたいにお前に怒鳴ったりしないじゃないか・・・」


「グラディオは好きだよ!」


とアラネアは、ぱっ と顔を明るくした。


「グラディオがさぁ、今度遊びに連れてってくれるって言ってた! キャンプだって、キャンプ!!」


いつかな、明日かな? と、こどもらしく、”今度”についての時間の感覚は短い。


あいつ・・・適当なこと言って、大丈夫か? ノクトは心配になって、


「あのな・・・グラディオだって、忙しいんだぞ。家には小さな女の子もいるし、もう少しで赤ちゃんも生まれるんだ。だから、すぐには連れて行けないと思うぞ」


えええ? でも、みんなで行けばいいだろ? とアラネアは、ひとりで合点して、機嫌よく残りの食事をががが、とかきこんだ。


さあさあ、先生が来る前に歯磨きをして、机をきれいにしておきましょうね・・・ 食べ物を飲み込んだところ見計らって、ルーナは立ち上がって、アラネアの手を引いて部屋を出て行った。


一人残されたノクトは、時計と睨めっこしながら、さほど進んでいない食事の皿を眺める。イグニスを嫌うとは・・・意外だな。こっちへ来てから、顔を合わせるたびにグラディオがアラネアを怒鳴ったり、叱りつけているのは目にしていたが、イグニスはほとんどアラネアに絡んでいなかった。確かに、叱りつけられている割には、アラネアはとんと気にした様子もなく、グラディオに懐いているようだったが。


やっぱり、こどもがいるってことで親和性はあるんだろうか。オルティシエでも、連れだっていたしな。こどもにとって、イグニスがとっつきにくいのは、まあ、仕方がないかもしれない。


しかし、はっきり、嫌い、と言われちゃうとなぁ・・・ ノクトは唸る。別に、アラネアとイグニスが親しくなる必要性はないが、長く付き合う自分の親友と険悪な中、というのは、どうにもやりにくい。何か、きっかけがあるといいんだが・・・。


つらつらと考え込んでいると、トントンと、ノックが聞こえてきた。はっとして、時計を見ると・・・もうお迎えの時間のようだ。ノクトは、やけになって、食べ物をいくつかほうばると、自分が話題に上っているとは想像もしないイグニスが、今日も、平然とした顔で入ってきた。


「時間だぞ・・・なんだ。まだ、済んでいないのか?」


む・・・ 早速、小言か、と思って、アラネアでなくても撫すくれる。見えもしないのに、もぐもぐと咀嚼する気配だけで言い当てるのだから、確かに、見えていて睨み付けているように感じるかもしれない、と、ノクトも半ば同意した。


「イグニス。逃亡フラグが立ってるぞ」


「は? なんだそれは?」


ノクトは頭を振って、


「なんでもない・・・」


諦めて重い腰を上げた。


午前中・・・朦朧とした意識の中で、面談と会議をこなす・・・会議がヤバイ。何と言っているのか、途中から意識がうすらいで、うつらうつらし始めると、横にいたイグニスがなんでわかるのか、ノクトの足を思いっきり、踏みつける。うっ と痛みに顔をしかめて、ノクトは顔を上げた。小さな会議室の円形に並べられた机に、軍、警護隊、陸軍のそれぞれ幹部がずらずらと並び、ノクトを見ている・・・その最前列で、コル将軍が呆れたように首を振っていた。


「したがいまして、一時的に同一組織で統括しておりました、王の剣と、警護隊、それに陸軍をそれぞれ、本来の形に独立いたしまして、これより5年を掛けまして再建をする計画となっておりましたが、この件について陛下よりお考えがあるとのこと・・・」


会議の前に会談をしていたグルーニ副長官は、ノクトの様子に気に留めることなく、淡々と話を進める。ノクトは、はっとして・・・そうだ、オレから話をすることになっていたと、気が付き、冷や汗をかいた。


「ああ・・・再建の話だったな」


聞いてた、ちゃんと、聞いてたって・・・と、ノクトは誤魔かすように咳き込んで


「端的に言って、この計画は承認できない。評議会でもこれを通すのは難しいと思っている。第一に、このタイミングに表立って軍備の増強をするな。今は復興が第一・・・武力の増強は諸外国を刺激するだけだ」


「しかし・・・副長官が説明されましたとおり、現時点で、ルシスの軍備は、諸外国のそれに劣ります。アコルドのみならず、ニフルハイム連盟における軍備状況も、我々の推定ではルシスの軍備を上まわっています」


幹部の一人が、発言する。ノクトは首を振って


「旧帝国の残した武器、弾薬を数えあげればそうなる・・・しかし、そんなもの使えるか。使える兵の数もない。実質的な軍事力は相当に低い。プロンプトのレポートを読んだだろ」


「陛下・・・お言葉ですが、国の防衛は、最悪の事態を想定して準備するもの。そして、ひとたび危険を察知してもすぐには増強できないのが軍備と言うものです」


ノクトは、あくびをかみ殺しながら、首を振った。


「10年前と同じ遣り方をするな。軍拡競争を遣ったあげくに競り負けたんだろうが。軍拡競争は衝突のリスクをあげるだけのチキンレースだ。同じことを繰り返すつもりはない。これからは、軍備ではなく外交によって和平を構築する。よって、組織の再編成についても、一から見直せ。オレからは以上だ」


と、言い切って、王が途端に静かになった。見ると瞼を閉じている・・・え?! 会議室にいた幹部たちは、一同に驚いて顔を見合わせあった。


「陛下・・・陛下!」


イグニスが、耳元で呼びかけ、その肩を揺らしたが、ノクトは意識を失うようにそのまま、眠りに落ちていた。穏やかな寝息が聞こえて・・・とりあえず、安堵したイグニスだったが、申し訳ない顔をして、会議の参加者に深々と頭を下げる。


「陛下のお言葉は・・・以上です。この件については改めて場を設定させていただきますので・・・」


「完全に寝落ちたな・・・」


コル将軍はため息をついて、それから幹部の連中の顔を見渡し


「国としての国防の方針が決まらないことには動けまい。この件は保留にしよう。それまでは、現状の組織体制を維持してくれ」


幹部たちはかしこまって、将軍に礼をした。


ごつん!! と頭に衝撃を受け、ノクトは目を覚ました。


「いたっ!!!」


と、頭を抱えて、机にうっつぷす。な、なんだ?


「おめざめかよ、王様!」


グラディオの不穏な声がすぐ頭上で聞こえてきた。ノクトが頭を抑えつつ顔を上げると・・・


「あれ・・・会議は?」


がらんとした会議室からいつの間にか幹部の姿がなく、グラディオと、イグニスが呆れた様子でノクトの隣に立っている。


「会議の発言中に寝落ちするたぁ・・・とんでもない歴史を築いたな?」


グラディオが怖い顔でにらみつけている。


「ね、寝落ち・・・?」


ノクトは、さっと血の気が引くのを感じた。


「仕方ない・・・オレの方で、ノクトの体調管理が足りてなかった。それ以上責めるな」


イグニスは、しかし・・・その声には、怒りや失望が混じって聞こえる。はあああ・・・ もう、無理。ノクトは泣きそうな顔をして、出来る言い訳もなく、ぐったりと椅子にもたれ掛かった。


「ノクト。動けるか。動いてくれないと困るんだ・・・王宮の修復計画を話す時間が他にない。もう30分押してる・・・これまでの計画通りでよければ、構わないが」


「わかったよ・・・」


ノクトは、椅子から立ち上がった。3人はそのまま、エレベータに乗り込んで1フロア上の王の間を目指した


「時間もないから移動しながら説明しよう。・・・調査の結果、この部屋全体を修復する必要があるとわかった。欠落した壁のせいで10年の間にじわじわと天井部がゆがんだんだ。ほうっておけば、西棟が崩壊するそうだ」


エレベータに乗り込むと、イグニスが慌しく話し始めた。


「崩壊か・・・そりゃ、仕方ないな・・・」


間もなくエレベータは、王の間のフロアに着いた。普段閉ざされているの王の間は、修復工事のために、その扉が開け放たれ、ひっきりなしに職人たちが出入りをしていた。ノクトたち3人は、職人の合間を縫うようにして中に入った。壁沿いにずらっと足場が組まれており、かなりの人数が一斉に作業をしている。


「こりゃすごいな・・・」


ノクトは思わず呟く。思った以上に大掛かりな修復だ。


「幸い、破壊がひどいのはこの部分だけだ。ここだけしっかり骨組みを修復できれば、王宮そのものの使用はしばらく問題ない。予算の大部分は、ここの修復に使われる。これ以外、他の箇所は主に上下水道や電気配線の修復だな」


「そうか・・・」


はじめ、ここの修復を渋っていたノクトだが、建物全体の保全に関わる聞けば納得がいく。


「しかし・・・内装は、完璧に元に戻す必要はない。吹っ飛んだ踊り場はそのままで構わない。ちっとは予算と工期を削れそうか?」


「そうだな・・・建物の外殻構造の修復が済んでから、改めて検討してもいいだろう」


「国の顔になるんだぞ? そこでケチるかよ?!」


グラディオは文句を言う。


「しばらく、国賓を招く予定はないだろうが」


「だから、戴冠式と婚礼を・・・」


「その話は、後だ」


ノクトは、煩いグラディオを遮って、自分はすたすたと、玉座まで進む。玉座は汚れ防止なのか、分厚い白いカバーが掛けてあった。ノクトはなんとなしにその傍に近づいて辺りの様子を伺う。見たところ、床も磨かれて綺麗になっているようだが・・・


「はずしてみましょうか?」


傍にいた、イグニス付きの秘書官が、気を利かせてたずねた。


「ああ・・・頼めるか」


「承知いたしました」


秘書官は、すぐに近くにいた職人に声を駆けて、カバーをはずさせた・・・グラディオとイグニスが、離れたところに立って、じっとその様子を見ている。カバーの下から現れた玉座は、綺麗に磨かれ、張られていた布地も取り替えられていた。剣の突き刺さった痕跡や、血の染みは、もう、ない。


「綺麗に張替えたんだな」


ノクトは淡々と呟く。


「あったりめぇだろうが・・・」


グラディオは、小さく舌打ちしていた。その時、グラディオのヘッドセットに、慌てたような声が届くのを、ノクトもイグニスも気がついた。


「おう・・・どうした・・・」


グラディオは無線に呼びかける。


「え?なに?・・・くそっ!」


「どうした?」


グラディオはなぜか、いらいらした様子で、ノクトを睨みつけて


「アラネアが逃走したぞ。あの、例の夫人からな」


と告げる。あああ・・・ ノクトは、額に手を上げて、お手上げの様子を示したが、しかし、内心では同情していた。あいつもさぞ、逃げ出したかったんだろう・・・


「15分前だ。夫人が席を離れている間に部屋を飛び出して、そのまま見失ったらしい。すでにあの区画は隅々まで調べたそうだ。・・・となると、他所のフロアに入り込んだな」


「まだ時間があるな・・・ オレも探しに行くわ」


イグニスは、不満そうな顔を見せたが、ノクトは知らんふりをして、さっさとエレベーターへと向かう。


「次の会議まで20分しかない」


イグニスは低い声で呼びかけてきた。ノクトは、振り向きもせず、さっと、手を振り替えして、


「わかってる。じゃあ、後でな」


と言って、グラディオと連れ立って王の間を出た。


「・・・たく、お前、あんまりイグニスを怒らせんなよ。あいつ、このところ、全然寝てないんじゃねぇか。お前の無理難題につき合わされてるって聞いてるぞ」


「ああ?」


ノクトは、人聞きの悪い・・・とぼやきつつ、すぐに思い当たった。大概、夜遅くまで議論したことについて、翌朝、イグニスが何食わぬ様子で新しい資料を用意している・・・いつ寝ているんだ、と訝しがったが、まさか、ほんとに寝てないのか?


「こっちは、二人してぶったおれんじゃねぇかと、はらはらしてっぞ」


うーん、と唸る・・・実際倒れそうなんだが。しかし、あの涼しい顔をしているイグニスも、無理を押し通しているだけなのかもしれない。くっついている秘書官も、かなりの疲労のはずだ。


「イグニスは、王宮ではずっとあんな感じなのか?」


「たぶんな・・・あいつは、すぐにこっちに住み着いちまって、オレもよく知らん。和平会議の前もかなりつめてたって話だ」


「お前みたいに所帯でももてば、ほどほどにするんだろうが・・・」


ばかいえ!! とグラディオは、ぐわっと声を張り上げて


「オレがどんなに女房にどやされてるか知ってるか?! こっちも毎日は自宅に帰れてないんだよ! 臨月だってのに!」


「おう、今夜は帰れよ」


ノクトは、語気を強めて言う。グラディオは、驚いて一瞬口ごもったが


「まあ・・・なるべくそうさせてもらうさ」


と、しどろもどろに答えた。


やがてエレベーターは、3階に降り立った。工事中の合間を進んでいくと、突き当たりに重厚な扉のある、王家の居住域の入り口が見えてくる。門衛として立っている兵士達が、敬礼をして二人のために扉を開けた。すぐに、デュークと、ルナフレーナ、テヨ、そして、明るい茶色の髪の毛を後ろに纏め上げて、いかにも手厳しそうなウェズリー夫人が立ちながら話をしているのが見えた。


「陛下・・・すみません、お忙しいところ」


ルーナは、あまり深刻でもないような様子で、ノクトに笑いかけた。ウェズリー夫人は、怒りつつ、しかし、心配もしている様子で動揺していた。デュークにあたっては、責任を感じて真っ青な顔をしている。テヨは、苦笑しつつ、存在感を消すように片隅でじっとしていた。


「いいんだ。そんな心配することでもないだろ」


「ええ、みなさんには、そうご説明したのですが」


と、ルーナは苦笑した。グラディオは真っ青になっている部下に近づいた。


「デューク、他の連中は今どうしてんだ?」


「はい・・・増援を頼みまして、二手に分かれて上階と下階を捜索しています。ベルコが念のため、建物の外周を見に外へ」


「怪しいとすれば壁じゃないかなぁ」


と、ノクトはのんきに呟く。


「壁・・・ですか?」


「あいつ、よじ登るのが得意でな。特に高いところが好きなんだ。屋根とか」


「屋根って・・・」


デュークは、高い塔を見るように頭上をちょっと見上げて、ますます青くなった。グラディオは、舌打ちした。


「お前はここで待機しろ。オレも探してくる」


デュークは敬礼をして、隊長を見送った。さあ、ウェズリー夫人・・・中でお待ちください、とルーナに促されて、夫人は納得のいかない様子のまま、しぶしぶと応接室の方へ入って行った。ノクトはテヨにさっと近づいて


「悪いが、一緒に夫人の相手をしてやってくれ・・・」


と耳元に囁いた。テヨはちょっと困った顔をしたが、


「わかりました・・・少し、アラネアさんについてお話をしてもよろしいでしょうか? その・・・もと家庭教師として」


と、言うので、願ったりだとノクトは喜んで、


「そうしてくれると助かるわ。正直、オレも苦手なんだ・・・」


と小さな声で付け加える。テヨは、笑った。教育者として、ウェズリー夫人に言いたいことでもあるのだろう。久しぶりに校長先生の顔をして、微笑みつつも真面目な様子で頷いていた。


テヨの背中を見送って、ほっと、息をついた。ご夫人の相手は、ルーナとテヨでうまくやってくれるだろう・・・ ノクトはしばし、廊下で佇んだ後、


「オレもちょっと探してくるわ」


と言い残すと、戸惑うデュークをその場に残して、ふらふらと、廊下を進んだ。


アラネアのことだ。上か下か・・・と言えば、上に行く気がするが、しかし、ここは3階だ。外に出るということも、考えられる。王宮の敷地を出られると厄介だな・・・まあ、大型の野獣もいないし、腹が減れば帰ってくるだろう、と、あくまでも気楽でいる。


「アラネア!おい、アラネア!」


あまり期待もせずに、ひとつひとつ部屋をあけて、声をかけてみる。当然、返答はない。鍵のしまったままの部屋も多い。廊下を半分ほど進み、小さな扉を開けてみた。


アラネア・・・ と言いかけて、やめる。なんだ、倉庫か。窓が小さくて、若干薄暗い部屋の中に、戸棚が並んでいるのが見える。戸棚にはこのフロアで使用するシーツの換えや、予備の毛布や、石鹸やトイレットペーパーなどが整然と並んでいる。戸棚の横に、アラネアが隠れるのによさそうなロッカーを見つけて、一応、開けてみたが、モップなどの掃除用具が詰まっていただけだ。


はずれだな・・・ と、部屋を出ようと振り返ったとき、がたん、と音がして、思わずびくっと体を震わせる。振り返ると、先ほどのロッカーの上、天井から何か垂れ下がっているのが見えた・・・ 近づいてみると、どうやら通気口のフィルターのようだ。


まさか、と思って、2mほどの高さのそのロッカーによじ登ってみた。子どもなら余裕で通れるだろうダクトが、上の方まで続いている。


マジかよ・・・ 


「おい、アラネア!!」


ダクトに向かって叫んでみた。声が篭って響いた。返事はない・・・しかし、外に通じているのか、外気がダクトを通ってノクトの頬を撫でた。


オレでも通れるか? ノクトはロッカーに這い上がって、恐る恐る頭を突っ込んでみる。体を斜めにして、肩をすぼめればいけそうだ。グラディオなら絶対無理な幅だ。


体を突っ込むと、ちょっと先から明かりが差し込んでくるのが見える。空気の流れからも、すぐに外に通じているように感じる。そして・・・ダクトの一面に、こどもの手の跡。


よくやるよ、あいつも・・・ 


ノクトは一度ダクトから出てから、今度は万歳の格好で両腕を先にいれ、明かりが漏れているほうに手を伸ばしつつ、上体をダクトに押し込む。思ったとおり、そこから外に向かってダクトが水平にまがっているらしい。わずかな出っ張りを見つけて、手を引っ掛ける・・・ぐぐぐぐ。上体を壁に押し付けながら体を引き上げた。金属製のダクトが、ぼわんぼわんと変な音を響かせて、ゆがむ感触があった。黒いシャツにべったりと埃がついた。ノクトは何とか、体を持ち上げて、水平に伸びたダクトの先に頭をねじ込んだ。横道のダクトは少し広くなっていて、その先に金網で遮られた外の光が見える。蛇かミミズのように這い出しながら金網まできたものの・・・開けた形跡がない。ダクトはさらに上に続いていたようだが、こっちには来ていないのか?


Uターンは無理だな・・・ ノクトは諦めて、金網の隙間に指を入れ、力任せに引っ張ってみた。何度か揺らしたら、ぼろっと網が取れた。ほっとして、外に頭を出してみると、運よく足場になりそうな広い張出しがあり、外に出られそうだ。王宮の左翼、三階の屋根くらいに当たるのだろう。秋の晴れた空が王宮の上に広がって、その向こうの廃墟のビル群がよく見える。ノクトは匍匐前進のままダクトを這い出て、1mほどの張り出しの上に立った。


ズボンも、シャツも・・・埃まみれになって酷い有様だ。両手を眺めると、これも真っ黒。ああ・・・ 酷い疲れを感じて、張り出しのちょっとした段差に、がっくりと腰掛ける。アラネアはもっと上に行ったんだろ。ただのくたびれもうけだったな・・・あの中をこのまま追っていける気がしない・・・。ダクトを通ってそのまま、上の階を目指しているのかもしれないし、封鎖してあるどこかのフロアにでているのかもしれない。


必死こいて警護隊が探し回っているんだろうが、ダクトを通るとまで思っていないだろう。アラネアの方が上手だ。探し回るより、腹をすかせて帰るのを待ったほうが早い、と、ノクトは半ば諦めて、その場に脱力した。


腕時計をみた・・・思ったとおり、会議の時間までもうわずか。ふうう、とため息をつく。激しい頭痛を覚えて顔をしかめる。もう、慌てて戻っても、どのみち遅刻か・・・


考えるのをやめて、目の前に広がる風景を呆然と眺めた。すかっと心地よい秋空の中で、まだ、寒々とした廃墟の都市が見える。もっとも、手前の廃墟ビルの群れに遮られて、ここからは王都全体は見渡せない。王宮の屋上まで上がれば、見渡せるんだろうが、あそこは、まだ封鎖されている。


もう少し上から王都を眺めたいな・・・


よし! ノクトは両膝を叩いて立ち上がった。


「おいー下の階はどうだ?」


グラディオは、左翼の6階の廊下をうろうろしながら、無線に呼びかけた。明らかにいらだっていて、無線の向こうから部下が躊躇いがちに


ー2階、1階・・・隅々まで捜索しましたが、見付かりません


「隅々って? 相手はチビだぞ。倉庫や、机の下、ゴミ箱の中まで見たんだろうな?」


ーね、念のため、もう一度確認を・・・


ちっ・・・ グラディオは舌打ちする。痕跡一つ無いってどういうことなんだ? あのガキ・・・


6階も、どたばたと走りまわる部下の足音が響いている。


「おい、一人残して、中央棟へ回れ。その次は右翼だ。しらみつぶしに見るしかねぇ」


「わかりました!」


何人かが廊下に飛び出してきて、そのまま、中央棟を目指して駆け抜けて言った。


ーグラディオ


無線にイグニスの声が入ってくる。


ーああ、イグニスか? チビは、まだ見付からんよ


ーそれはいいんだが・・・実は、陛下も戻られていない


はああ?! グラディオは、声を上げる。


ー自分も捜索に出ると言い残して、出て行ったようなんだが・・・


ーどこに?!


ー衛兵が、応接室の前の廊下で目撃したのが最後だな


くそっ・・・ 


ー会議の時間は?


ーもう、とうに過ぎてる。悪いが、陛下の捜索を頼めるか? まさか、王宮を出てはいないと思うが・・・


ーわかった。そっちを優先する


と言ってもな・・・ こどもじゃないんだ。まさか、外壁をよじ登るなんてことはしないだろ??


ーどこぞの空き部屋で昼寝でもして寝込んでいるんじゃないのか?


ーかもな。倒れていなければいいんだが・・・


イグニスは、不安な声を漏らした。グラディオはため息をついて


ーどのみち、これからしらみつぶしに王宮全部を見て回る予定だ。どっかでサボってんならそれで見付かるだろ。見つけたらすぐに知らせる


ー頼む


グラディオはすぐに、無線のチャネルを切り替えて


ー全隊員につぐ。緊急事態だ。アラネア嬢と、陛下が、それぞれ行方不明・・・王宮は出ていないものと推定される。これより、全隊員で王宮中を捜索する。第2班は右翼棟、第3班は中央西棟、第4班は中央東棟、第5班は王宮外周部。第1班は、1名を左翼に残し、各班に合流しろ。それぞれ、封鎖区間も含めて、しらみつぶしに捜索するんだ。相手はチビだ・・・棚の中や、物陰までよく見ろよ。陛下の姿を見つけたら、直ちに、オレに一報。


ラジャー! という各班のリーダーから頼もしい声が返ってきた。


まったく・・・今日も、家に帰れそうにねぇな


グラディオは、ため息をついて、自分も、中央棟に向かって駆け出した。





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