Chapter 25.2-王様始動-

親子が食事を終えた頃、見計らったようにノックがして、給仕とイグニスが部屋へ入って来た。


「陛下…ルナフレーナ様、おはようございます。お食事はおすみになりましたか」

慇懃な口調とは裏腹に、ちらっと威圧的な視線をノクトに送ってよこした気がするが、給仕がにやにやと笑いながら、

「陛下もご完食されましたね。お口に合いましたでしょうか?」

と、イグニスにわかるように言う。ほう… イグニスは、少し驚いた顔をした。

「大変美味しくいただきました。ありがとうございます」

ルーナは丁寧に礼を言い、ルーナに腕を突かれたノクトも

「ああ…美味かったな」

と、上の空で答えた。給仕はニコニコ顔で、空になった皿を下げていった。

「ごちそうさま!うまかったぞ!」

アラネアはいつもの習慣で、お皿を下げるのを手伝うと、給仕は恐縮して、これはお嬢様、どうも…と頭を下げる。

「さあ、アラネア。寝間着のままではいけませんよ。お着替えに行きましょう」

ルーナは立ち上がり、アラネアの手を引いて部屋を出ていった。マリアも、おずおずとその後に続く。イグニスは頭を下げてそれを見送る。

堅苦しいな… ノクトはため息をついた。

明日はお着替えをしてから自分の部屋を出るのですよ… 優しくたしなめるルーナの声が聞こえたあと、扉が閉まった。

「さて…お疲れのところ申し訳ありませんが」

とイグニスはノクトに向き直り、一枚の紙を差し出した。

「本日から一週間の陛下のご予定をお知らせいたします。本日は、お昼頃までお休みになられて、午後からは側近の者達から順次謁見させていただきます」

ん…?  と、ノクトは何やらびっしりと書き込まれた日程表を覗き込んだ。

1日目
12時ご昼食
13〜15時 コル将軍謁見
15時10分より、執事長謁見
15時25分より、近衛兵隊長謁見
16時05分より、政務長官謁見
16時25分より、王宮内視察
17時45分より、書斎にてルシス国内情勢のご報告ー19時から20時にご夕食と休憩、30分ほど
21時 評議会での審議中の案件について1

2日目
8時30分より 国防会議の件(書斎にて)

9時10分より 国防会議(第2審議室) 

11時30分より グレース大使ご会食、ルナフレーナ様ご同席
13時より メルダシオ協会理事謁見

14時15分より 国交正常化の件

15時25分より…

見ているだけで気が遠くなり、ノクトはそれ以上、読むのを諦めた。

「なあ、おい…」

「何か?」

イグニスは涼しい顔をしている。

「・・・一週間で夜逃げするのと、このスケジュール見直すのと、どっちがいい?」

イグニスは、ため息をついて腕組みをした。

「ノクト…来週早々に評議会が開かれる。それまでに急ピッチで準備が必要なんだ。この一週間だけ、耐えてくれ」

「オレに選択権なしか…」

ノクトはボヤいて、テーブルの上に突っ伏した。知ってはいたが…王様業は想像以上にブラックだ。

「チパシでも散々働かされたが…週に1、2度は休みもあったし、夕めしには家に帰れたぞ・・・」

あの頃は、ゴダールのやつにこき使われて、キツイと感じていたが、イグニスに比べれば遥かに人道的に思える…

「1週間だ、ノクト」

イグニスは強く言った。

「お前が自由に旅をしたこの数ヶ月のツケだ。文句を言うな」

ぐっ… そこを突かれると、何も言えなくない。

はああ…  深いため息。

「わーったよ…」

ノクトは、テーブルに伏したまま、しぶしぶ答えた。


「それと・・・アラネア嬢の教育係のことだが」


イグニスは唐突に切り出した。あん? とノクトは顔も向けずに答える。


「家庭教師なら、テヨがいるだろ?」


「テヨ殿は、ラバディオ自治区に行く予定だろ? 来週の評議会でヴィンカー女史を紹介する手はずも整っている。いずれにせよ・・・彼は、ルシスには短期の滞在だ。きちんとした教育係がいる。急なことなので、人材の選定に難航しているんだが・・・ノクト、ウェズリー夫人を覚えているか」


「ウェズリー?」


「マーガレット・ウェズリー」


フルネームを言われてもさっぱりで、ノクトは首を振る。呆れたように、イグニスはため息をつき、


「第110代 ソムニス国王陛下の血筋に当たる家柄だぞ。公式行事では、これまでも何度か顔を合せている。数少ない王族の関係者くらい、覚えておいてくれ」


と苦言を呈した。ふん、と、ノクトは反抗するように鼻を鳴らした。


「王室内に入ってもらうのに、素性のわからない者では困るからな。まだ、正式な回答がないが・・・恐らく引き受けてもらえると思う。正式に受諾されたら、速やかに王宮へ迎えるつもりだ。構わないな?」


うーん・・・とノクトは唸りながら、


「・・・王族関係者なんて、あいつが言うことを聞くような相手か? どっちかが逃げ出すんじゃないかなぁ」


「王宮に住まう限りは・・・そしてお前の関係者としてここで生きていくなら、いずれ、王家のことは学んでもらわなければなるまい」


ノクトは、むっ と体を起こして、イグニスを見た。


「アラネアはオレら夫婦のこどもとして連れて来た、と、言ったはずだぞ」


イグニスは、難しい顔をしてため息をついた。何か言おうとしたが、躊躇い、そして首を振りながら


「・・・その件については、また、いずれ話そう。今は、評議会の準備だけで手が一杯だ。これから一週間、面会と会議には、だいだいオレが同席する。今日、午後の将軍との会談だが、グラディオもくる。時間が限られているが、ざっと4人の中で認識を合せておきたい・・・サボるなよ?」


イグニスは、見えていないくせに、じっと、ノクトの方に目を向けてにらんでいるように見えた。うっ・・・ 見透かされて、どきっとしたノクトは、思わず、体をびくっとさせた。


イグニスは、ノクトの反応を感じ取って、ニヤッと笑うと、また、慇懃な態度に戻り、深々と礼をした。


「では、陛下…午後、こちらまでお迎えにあがりますので。それまでゆっくりお過ごしください」

ぱたん・・・ と扉が閉じる音がして、ノクトは、はああああ・・・・ と力なくまた、テーブルの上に伸びた。ちらっともう一度、日程表を見る・・・マジかよ。分刻みで予定が書かれている・・・ほんとんど知らない名前がつらつらと並び、会談や面会が続く。そして合間を縫うように、会議、会議、会議・・・ 


くしゃくしゃくしゃ・・・ ノクトが突然、紙を丸めたので、ひとり部屋に残っていた衛兵が呆気にとられた顔をした。しかし、ノクトがちらっと顔を向けると、何食わぬ平静な顔を繕って、何も見ていないように前を向いた。


「・・・しらじらしいな。言いたいことがあるなら言ってみろ」


と、ノクトは意地悪く言ってみたが、衛兵は


「いえ。自分からは何も」


と棒読みに返した。ふーん・・・ とノクトはその顔を眺めた。まだ十分に若いだろうが、色白で、栗色の巻き毛のため、余計あどけなく見える。体つきを見れば、訓練された立派な警護隊員だ・・・そのギャップが、面白かった。


「名前は?」


ノクトは気まぐれに聞いた。昨日、王宮へついたときも、王室つきの衛兵たちを一通り紹介されたのだが、全然、頭に入っていなかった。


「自分は、デューク・オルトレイです」


「歳は?」


「今年、23になります」


「若いな・・・」


「はい」


と思わず、デュークは答えて、それから


「いえ・・・その、まだ未熟者です」


と慌てて言い直した。ノクトは、へ、とデュークを見て、それから・・・そうか、オレはあいつらからみたら、十分オヤジなんだな、と思い、くくくくく・・・と笑いがもれた。


「あの・・・失礼を・・・しましたでしょうか・・・」


デュークは顔を赤くして、俯いた。内心がばれたと思って、縮こまっているようにも見える。


「いや。オレは口がうまいやつは苦手なんだ。君とは仲良くやれそうだな」


王は楽しそうに笑ったが、デュークはますます、縮こまっていた。


「オレは10年クリスタルに閉じこまれていたんだ。見てくれだけふけちまったけど、精神年齢は君とさほど変わらない。頼んだよ、相棒。どういうシフトか知らんけど、毎日のように顔を合わせることになるんだろ?」


え・・・と、デュークは答えに困りつつ


「シフトは・・・その、およそ、昼ごろまでの早番と、夜勤もたまに」


と答えた。


「ふううん。早番と夜勤か。結構きつそうだな・・・なあ、この業務量どう思う?」


ノクトはくしゃくしゃにした紙を広げて、デュークの方へ差し出した。デュークは、戸惑いつつその紙を覗き・・・ ああ・・・ と思わず声を漏らす。


「な? 酷いよな、これは?」


なんとも同意しづらく、ええと・・・と口ごもる。


「王様は年中無休で24時間営業らしいぞ・・・オレも衛兵に転職しようかな・・・」


ノクトは、しんどそうに紙をちらっと眺め、また、くしゃくしゃと丸めた。デュークは、やや、同情したような目をノクトに向けた。が、ノクトが顔を上げると、慌てて、目をそらして平静な顔に戻そうとした。


「それは・・・衛兵の教育なのか? 普通にしてろよ。普通にして、口ぐらい聞いてくれ」


デュークは、困った顔をして・・・恐る恐るノクトの顔を見る。


「・・・王の部屋では、安全を確認しつつ、陛下たちの言動は見ない聞かない、と、指導されておりますので」


「知ってるよ。そう聞いている・・・こどものころからな。でも・・・見られてるこっちは、そうは思えないんだよ。いつでも見られてるし、聞かれてるんだ。そこに人間がいるからな。だから、ガキの頃、よくからかったわ。衛兵の前で、わざと変なことを言って笑わせたりな。せめて、機械じゃなく、人間らしく反応して欲しいって思ってたのさ」


ノクトが、やや寂しそうにそう言うと、デュークは素直に申し訳なさそうな表情をして、ノクトの方を向いていた。


「陛下・・・」


ノクトは、デュークの深刻そうな顔を見て、思わず、噴出した。


ぶははは・・・


デュークは、また、失態をしたろうかと戸惑っていた。


「わるいわるい・・・この通り、ちょっと頼りなくて捻くれてる王様だ。部屋にいるときまでカッコつけてたらくたびれるからな。慣れてくれ。デューク、改めて、よろしくな」


ノクトは、デュークに手を差し出した。デュークは、恐縮しつつ、その手を恐る恐る握り返した。


わあああ・・・ と廊下の方が賑やかになり、二人は同時に、振り返った。あの声はアラネアだな・・・ とノクトは苦い顔をして


「君の相棒の・・・なんといったか」


「ベルコですか?」


「ああ、あいつ、なかなかガタイがいいし、体力ありそうだな。壁によじ登るのも得意か?」


「壁・・・ですか?」


ははははは・・・ ノクトは乾いた笑いをしながら、戸惑うデュークを伴って廊下に出た。


1日目・・・午後の会議は、親しい顔ぶれとあって、ノクトは寛いだ気分でイグニスにくっついて、一家が住まう区画をでて、王の間のある塔まで移動をした。一家の居住区域を出ると、途端に、あちこち改装中で、むき出しの鉄骨やら、建材が詰みあがる光景が続いている。たがだか王宮内の移動に、イグニス以外に衛兵が2人もくっついて移動するので鬱陶しいと思っていたが、王宮内の工事のために、慌しく出入りする外部の人間が多いためだろう。


職人たちは、時折ちらちらとノクトを気にして、頭を下げるものもあるが、意外と反応は淡白である。場所、場所で警備にたつ警護隊の面々は、前を通り過ぎるたびに敬礼をした。


イグニスの脇には、和平会議でも同行していた秘書官がついており、時折、ノクトの方を振り返っては、王宮内の修復状況について報告する。


「ご覧の通り・・・陛下の居室の区画以外は、なかなか修復が追いついておりません。審議が行える区間も非常に限られております。評議会会場も王の間の直下にございますが、誠に恐縮ですが王の間の修復が同時に進行しておりますので、かなり騒音がいたします。評議会開催時意外には、工事は中断せず、との補佐官のご判断ですので、ご理解を承りますと幸いです」


やけに年寄り臭い奴だな・・・ 和平会議でさほど印象もなかったが、ノクトはまじまじと彼の様子を見た。秘書官は、イグニスよりも若いように見えるが、秘書官の黒い制服をきちっと着こんで、髪の毛は一糸乱れぬよう整髪料で固めていた。いかにも、硬そうな秀才タイプだ。


ええと、名前はなんだっけ・・・ あんまりにも関係者が多すぎて覚えていられない。名札でもつけておいてくれればいいんだが。


その時、はいごでどん! と重い何かが落下するような音がして、一同にちょっと緊張が走った。衛兵が、さっと、ノクトの身を庇うように身構えたが、遠くの方で おら! 気をつけろ! 危ないだろうが! と職人が怒鳴る声が聞こえて、ほっと緊張が緩んだ。


「おい!どうした?」


念のため、と衛兵の一人が音のするほうへ少し近寄って状況を確認した。すみません! 建材が一つ落ちまして・・・ と慌てる声が返ってくる。


「問題なさそうだな。先を急ごう」


と、イグニスがまた、一行を先導し始めた。


「おい、イグニス」


ノクトは徐にその横に並び、声を駆ける。


「随分派手に修復してるが、最低限にしとけよ。玄関ホールの内装なんて後回しでいい。あと、王の間も、修復を急ぐ必要があるのか?」


「どういう意味だ?」


イグニスは驚いて立ち止まった。


「謁見するのにあんなでかい部屋が必要かと言ってるんだ。あの部屋はなんに使うにしても機能的じゃない。見てくれのために無駄な支出をさせるな。あとな・・・工事を急がせるとけが人が出るぞ」


イグニスは、はっとした顔をして


「・・・わかった。あとで、修復計画についても説明する。見直しが必要か検討しよう。だが、王の間は、戴冠式と婚礼までに間に合わせる必要がある」


「戴冠式と婚礼・・・」


うーん、とノクトは唸りながら、秘書官がエレベータに乗り込んだ後に続いた。イグニスもその後に続こうとして、ノクトの肩に少しぶつかった。大よその方角は、音や、空間の記憶からわかるが、これだけ狭い場所に大勢乗れば、予測は難しいだろう。ノクトは、イグニスの腕を引いて自分の傍に寄せる。


「悪いな・・・」


イグニスは少しだけ、気後れするような様子を見せた。


「変なところで気取るな、ばーか」


ノクトは軽口を叩きながら、しかし、なにやら考え込んでいるのが、イグニスにも分かった。


ぴこーん、と音がして、エレベータの扉が開く。10年前にも、王の頭脳と言われていた王国審議会が使用していた広い会場に入る。重厚な黒い長テーブルが、どーんとその真ん中にあって、奥の正面、王が座るための椅子だけが、テーブルの両脇に並ぶ椅子よりも一際大きい。その手前にコル将軍とグラディオが並んで座っていたが、一行が入ってくるのを見て立ちあがった。


「お待たせしました、将軍」


イグニスが挨拶しながら、奥へとノクトを誘導する。ノクトは・・・一瞬躊躇った後に、かつて父が座っていたその椅子に腰を下ろした。イグニスと秘書官は、グラディオたちと向き合うように座った。


いつもは数十人が取り囲むこのテーブルの端に、寄りかたまり、ついて来ていた衛兵は、一行よりも遠く、会議室の入り口の両脇にじっと立っている。


がんがんがんがん・・・ なるほど。先ほど秘書官が述べたとおり、頭上から盛大な工事の音が響いてきた。続いてドリルの振動が伝わってくる。ノクトが頭上を気にしていると、コルはため息をついた


「落ち着かないとは思うが、他にあまりいい場所もなくてな。時間もないのではじめよう」


イグニスは、頷いた。


「本題に入る前に・・・どうだ、そこのすわり心地は?」


コルは、にやっと笑いかけた。その横で、グラディオも挑むように目をぎらぎらさせている。イグニスは、ふっと笑みを浮かべてノクトの反応を探っているようだ。ノクトは、彼らの顔を順番に眺めつつ・・・


「まあ・・・悪くないな」


としぶしぶと答えた。コルは、急に厳しい顔つきに変った。


「随分前にも言った気がするが・・・お前の覚悟をまっている暇はないんだ。とっととその椅子に慣れろ。1週間後には、この同じ場所で評議会が開かれる。王の帰還後はじめての評議会となる・・・言ってみれば、ルシス王がこの評議会でどのような立場となるか、お前自ら明らかにする必要がある。現時点では、評議会は”暫定政府"という名の下に開催されている。ここから正式に、ルシス王国の政府を成立させるためには、まず、王室審議会の代理として評議会で王の即位を承認、そして今度は国王がこの評議会を正式な政府として承認する」


「審議会から承認されて、審議会を承認するのか? なんだか茶番だな・・・」


と、早速ノクトは、ぼやいた。


「茶番だろうがなんだがろうが、構わない。今は、10年前の法的な組織はすべて壊滅し、法的によりどころとなる権威はどこにも存在しない。えいや、と進めて、内外に公認されれば、あとはどうにでもなる。しかし、この茶番だけでも、障害がある」


いつのまにか、一同の間に緊張が高まっていた。怖い顔をしているコルやグラディオ、イグニスの顔を見る。なんだよ、早速、何かあるっていうのか・・・


「オヴァール市長のことは、イグニスから聞いているだろう」


「ああ。アラネアに気があるってオッサンか」


「そこはどうでもいい!」


グラディオがいらっとして、怒鳴った。しかし、アラネアの名前が出て、コルが柄にもなく動揺しているのが一瞬見えて、ノクトは可笑しかった。


「ノクト、いちいち茶化すな、時間がない・・・」


イグニスがコルのあとを引き取った。


「アコルドでもちょっと話したが、オヴァールは急進派の連中とつるんで、これまで散々、王室制度の撤廃を目論んできた。ノクトの生存が確認されて、やっと諦めがついたかと思っていたんだが・・・このところ、また、怪しい動きをしている。来週の評議会で、彼がどのように出るか・・・まだつかめていないんだ。だから、あらゆる事態を想定して、準備をしておきたい」


ふん・・・とノクトは、考えるように鼻を鳴らした。


「それで、想定される事態っていうのは?」


「ひとつは・・・なんだかんだと難癖をつけて、即位の承認を遅らようとする可能性がある。王室の規定では、王の即位は、その王位継承者にたいして審議会の全会一致の承認が必要となっている。ルシス王国の歴史上、審議会が継承者の即位を否認したことは一度もない。これは、長い間、形式上の手続きとみなされてきた。オヴァールがこの規定を持ち出す可能性がある」


「他には?」


「10年前の和平協定だが・・・もちろん、あの協定は明らかに無効だが、その内容を持ち出す可能性が考えられる。インソムニアを除く地域を、ルシス王権が放棄すると言う、あの条項だ」


んん・・・ ノクトは、深くため息をつき、しばし、目を閉じた。それから、自身も険しい顔をになって、側近達の顔を見返した。


「だが、策は練っている・・・」


とイグニスが言いかけたが、ノクトが首を振ってそれを止めた。


「あのな・・・今の話だけで、オヴァールに何か非があるのか教えてくれ」


え・・・ と一同は、驚いて、押し黙る。


「そうでなくても、レスタルムは随分前から魔法障壁からはずれて、他の地域よりも自治権も大幅に認められていただろ。名実ともに王室が消滅していたこの10年、お前達も協力してきたとは思うが・・・王室から独立して、自力でルシスや難民達を取りまとめてきた。そうじゃないのか? 今頃になって王家に復活されて困る、という心情は十分に理解できる」


「では、お前は・・・」


と、コルは怖い顔をして声を荒げた。


「オヴァールの言いなりに王室を放り出すつもりか?」


「そうは言っていない」


ノクトは冷静に返した。


「ただ・・・今の話、お前たちははじめから対決をするつもりでいるらしいが、オレは対決すべき相手とは、思っていない。少なくとも今の時点ではな。マルコのように私利私欲でレスタルムを支配しようというんだったら、全力で闘うさ。しかし、実際どうなんだ? 多少の狸だとは聞いてる。しかし、そこまであくどい男か?」


そう問われて、コルは勢いをそがれて、グラディオとちょっと顔を見合わせた。イグニスは、俯き加減のまま


「・・・あくどい、というほどではない。それなりに、権力欲はあると思うが、彼はどちらかというと実業家だ。自分の手腕を試したいのだろう。オレはそう理解している」


と呟いた。


「ただ・・・レスタルムの自治に何の問題もないか、というとそうではない。スラム化した地域の問題は、彼の手に余っているし、公共福祉の多くが、今は、メルダシオ協会だのみだ。そういった点では、アコルドの状況に似ていなくもない。ただ、彼が繋がっている相手は、帝国貴族ではなくて、経済界だ。古くからのルシスの商人たちもいて、自然と自浄作用は働いている・・・いまのところはな」


イグニスは含みを持たせた。


「お前は広い心で話を聞こうって言うんだろうが・・・あっちはそうじゃねぇぞ」


グラディオも、口を挟んだ。


「わかりやすい悪人じゃないから、やっかいなんだよ。あの手この手で揺さぶってくるからな。お前が甘い顔をしていると、すぐに漬け込まれるだろうよ。綺麗ごとじゃ、すまねぇんだ。のうのうとして、実権を握られてみろ。それから本性を表して国を荒らされても・・・後の祭りだぞ」


ノクトはまた、目を閉じて考え込んだ。両手を組んで、口元に当てている。和平会議が終わったと思ったら次はこれか・・・ 不信感が渦巻き、お互いの足元をすくおうと、隙を狙いあっている・・・ 食うか、食われるか・・・ 政治とは常にそんなものなのか。


ああ・・・めんどくせぇ


「あのさ・・・聞きたいんだが、ルシス国民は今も王室を支持していると思うか?」


グラディオは呆れたような顔をして、


「見ただろうが、昨日の歓迎振りを」


「コルはどう思う?」


「あたりまえだ。国民の支持は変っていない」


「イグニスは?」


と、問われて、イグニスはちょっと押し黙った。


「それは・・・意味合いにより、異なるだろう。ルシス王家そのものに反発をしているものは、あまり多くはないが・・・」


イグニスは言い淀んだ。


「正直、オヴァールの支持者も少なくはない、ってとこか?」


「そうだな・・・」


「しかし、それは・・・こいつが不在だったからで」


グラディオはしどろもどろに、反論する。イグニスは、苦しそうな表情でため息をつき


「オヴァールはもともと、レスタルムの大実業家で、古くからの名士だ。長い間実業団の会長をしていたし、市議会議員も3期務めている。4年前の市長選では、圧倒的な支持を集めて当選した。なにより・・・10年前のあの混乱の中で、彼の率いる実業団が経済と食料計画を支えた功績が大きい。これまでは、市民の前で表立って王家を批判したことはなかったが、彼がこれから公然と王室の是非を問うようになれば、影響力は小さくない」


コル将軍も、難しい顔をして腕を組んだ。


「なあ・・・オレはオヴァールに張り合って人気取りをするのはごめんだ。ルシス王家を今後どうすべきか、オレたちだけで決めるべきじゃないと思っている」


「どうするつもりだ?」


コルは低い声で聞いた。


「民に問う・・・和平会議でも言ったろ?」


ノクトは穏やかに笑った。





















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