Chapter 25.12 最終話 -祝宴-

賑やかな女性たちの声が、王宮の中に響く・・・ようやく、終わりが見えてきた王宮の修復工事も、このところ下火になり、ましてや、この週は来賓も多かったので、まだ未完の多くの箇所で工事は中断していた。


来賓を迎える応接の間に、笑い声が耐えない・・・ご婦人方だけの高い声。なかなか賑やかだ。


「いやああん、かわいいっ。これは反則だって!!」


と、ちびアラネアと一緒になって、生まれてひと月となるグラディオ・ジュニアにかぶりつきになっているのは、やや、顔つきが柔らくなり、髪も伸びたキリクだ。自身も下腹部がふっくらと膨らみ始めていた。その癖に、王宮に到着早々、ルーナに擦り寄ってその手に口付けをしたので、ノクトは睨みつけながら


「妊婦の癖に、うちの女房を口説くな!」


と、小言を言った。その横で、プロンプトが、ノクト・・・ほんと、ごめん! と手を合せていた。初対面のグラディオにあたっては、呆気に取られて、その顔と、膨らみ始めていた下腹部を交互に眺めていた。


ふーん、これが赤ん坊かぁ・・・ごく最近、コルと観念したように入籍したでかい方のアラネアも、赤子が乳房にしがみ付くのをじっと眺めている。でかい腹を抱えながら、今ひとつ実感のわかない様子だ。こちらはご立派な腹からもわかるように、もうすぐ臨月を迎える。式の最中に産気づくかもな・・・なんて、先ほど、出迎えに来たノクトの前で笑っていたが、コル将軍の方は、苦虫を潰したような顔で聞いていた。当の男たちは男たちで、今頃は、羽を伸ばして別室で寛いでいるはずだ。


「おおお、おおお」


小さなアラネアは、赤ん坊に夢中になったり、でかいアラネアのはち切れそうな腹に触ってみたりと、忙しかった。イリスは、妊婦達の負担にならないようにと気を回して、ちょろちょろと動き回るアラネアを、追いかけている。


「これから、見事に出産ラッシュねぇ・・・」


自分の腹を筆頭として・・・ルーナ、キリクとでっぱりはじめたその腹を見て、でかいアラネアが呟く。


「このお腹で、ドレスを着るのがはずかしくて・・・」


とルーナははにかんだ。


「だいじょうぶだよぉ、その程度なら、ドレスで誤魔化せるって!」


キリクはおどけて見せて、隙あらばと、ルーナの肩に手を回していた。ふふふ、とルーナは笑いながら、キリクのお腹を見て


「びっくりしたわ・・・まさか、貴方がこんなに早くこどもを授かるなんて」


と、感慨深げに呟いた。キリクは、途端に苦い顔をした。


「正直、予定外だわぁ・・・まさか、妊娠できると思ってなかったんだよね。しばらく生理なんて来てなかったしさぁ」


「プロンプトさんは喜んだでしょう?」


キリクは思いっきり首を振って


「もう! 喜ぶどころか、煩いの!なんの! おかげで、バイクも取り上げられた!!」


と不平をもらした。


「わかる・・・うっさいよね。自分で生むわけじゃないのにさ」


と、腕組みをしながら、でかいアラネアが頷いていた。


「あああ、わかる?! さっすが、アラネア隊長! 男たちほんと、うざいよね。あんたら種提供しただけでしょ?!って思うんだけどさ」


くすくすくす・・・ と赤子におっぱいを上げていたウルスラが、楽しそうに笑った。その傍で、赤ん坊をみていた長女のマリアは、不思議そうに大人たちを見上げていた。


「今はうっとうしてくても、生まれた後は、がんばってもらわないとね。 せいぜい、父親ぶってもらったほうがいいわよ。ねえ、マリア? パパ、大好きだもんねぇ」


うん! とマリアは、素直に目をキラキラさせて、答える。ほほお、と聞いていたご婦人たちは感心した。


「そうか・・・生むのも大変だけど、生まれた後はもっと大変だよね」


キリクは、神妙な顔つきで頷いている。


「ま、うちは、コルが面倒見ることになってるし」


アラネア隊長は、さらっと言ってのけた。え?! と一同は驚いて、アラネアの顔を見る。


「なによ・・・? だって、それが約束だったのよ。万が一こどもができたら、自分が面倒見るって」


ええええ?! 一番大きな声を上げたのはイリスだ。まさか、将軍が?! うん、そう。と、でかいアラネアは、何気ない様子で頷く。


「そ、そんな・・・そしたら、警護隊と王の剣と・・・評議会と・・・ええと、と、とにかく、方々で困って・・・」


「あのさぁ・・・あいつも、もう、いい年なんだし、いつまでもべったりしてるわけにはいかないでしょ。ノクトだって戻ってきたんだから、あとは若い連中ででなんとかしな」


と、アラネアはつれない。それから、しんどそうにどかっと、大きなソファを独りで占領して座った。


「ああ、重いわ。重い。それに、腹けってくる」


わ、どれどれ?! ちびアラネアが駆け寄って、じっとアラネアの腹を見つめる。


「ほら、ここよここ」


と、ちびアラネアの手をとって、腹に押し当てた。


「うわあああ。むにゅって、なんか出た!!」


「足だよ、足」


お、おおお・・・ アラネアは、感心した様子で、でかいアラネアの腹をさすり続けた。


一方・・・男性陣は、程近い別室にたむろしていた。ご婦人方から解放されて、やや、たるんだ様子でソファーに寛いてる。


「オレも赤ちゃん見たいなぁ・・・」


プロンプトが、すっかり日に焼けた顔で、仏頂面をしている。


「だーめだ! いま、おっぱいやってんだから。後にしろ」


グラディオは、どかっ とソファを占領して両腕を広げていた。もう一つのソファは、これまたダルそうなノクトが、ハルマと並んで占領しており、残る独り掛けの椅子は、イグニスと、プロンプトで座っていて、あぶれてしまったタルコットとルチェオは、遠慮がちに窓際に寄りかかって二人で話をしていた。一応、親族・・・として式に参列することになっている二人も、簡単な打ち合わせのために借り出されていたのだ。


「しかし、出産ラッシュだな」


イグニスは笑いながら言った。


「まさか、お前のとこまでおめでたとは・・・」


と、プロンプトの方へ顔を向ける。プロンプトは、恥ずかしそうに頭を掻いて


「あはは・・・自分でも驚いたけど。でも分かってからが、ほんと騒動でさ」


「お? お前んとこもか?」


と、ノクトは意外な顔をする。


「そうだよ・・・もう、大変だったよ! バイクに乗るなって言っても気かなくってさ!だから、もう、最後は銃を向けて脅迫して・・・」


「銃?!」


驚いて、一同が声を上げる。


「あ・・・ええと、バイクに銃を向けたんだよ。いうこと聞けないんなら破壊するて脅してさ。それでようやく」


プロンプトは慌てて訂正しつつ、頭を掻いた。はああ・・・そういうこと・・・ 聞いていた一同は納得して脱力した。


「そりゃ・・・先が思いやられるな」


グラディオが他人ごとのように笑う。その時、トントン、とノックがして、すぐに戸が開いたかと思うと、コル将軍が入ってきた。


「すまんな・・・グラディオ。明日の警備のことでちょっと、いいか」


はい、と、グラディオは急に引き締まった表情になって立ち上がると、コル将軍と部屋を出て行った。その姿を見送りながら、ノクトが意味深に笑った。イグニスも、同調するように微笑んでいる。


「え、何?二人とも?」


「いや、なんでもない」


ノクトは誤魔化すように首を振った。イグニスも続けて


「すまない、ばたばたしていて・・・オレももう少ししたら、会議で抜ける」


「ええ? そうなの?」


「心配すんな。オレはサボってここに残るからな」


ノクトはドヤ顔だった。はああ? とプロンプトはその顔を覗き込み、


「ノクトこそ、忙しいんでしょうが?! いいよ、こっちに付き合わなくてもさ」


「ばあか。来賓の相手は、重要な国務だぞ? オレのサボりの口実を取り上げるな!」


ははは・・・現在この部屋で唯一の来賓であるハルマは苦笑した。結局、明日の婚礼に出席がかなった諸外国の要人はハルマ、とアコルド政府の高官が一人だけだ。アコルドは、カメリアが順当に国民の7割の支持を得て首相に帰り着いたものの、貴族院を相手にした裁判が長引いており、政情はなかなか安定していなかった。イヴァンはぎりぎりまでその参加を迷っていたが、アコルド内部のごたごたもあって、シャンアールにアコルド軍の駐留が続いていたため、出国を躊躇った。ニフルハイム連盟の各代表者たちも、半年後の和平会議に備えるのが精一杯で、ルシスまでの遠征に手がまわらない。唯一、連盟と和平会議を代表して、ハルマだけがルシスへの来訪を叶えていた。


「イヴァンも来たがっていたがな・・・ケルカノの方も、そうだ、確かハンター協会からは誰か来るんだろ?」


「ああ。ヴォーグが来るって行ってた。あとは、テヨが、特例だが評議員の助手としてこっそり参列することになってる」


「助手? ああ・・・オルブビネで騒ぎになってるな。あいつ、ルシスにしばらく残るんだって?」


「そうなんだ・・・オレも驚いたが、カーティス大学の元学長に惚れ込まれてね。大学の再建を手伝うことになった」


えええ? そうなの? 横で聞いていたプロンプトも驚いて、身を乗り出した。


「まあ、お父さんがお医者さんだもんねぇ。頭よさそうだったし」


二人を仲介したイグニスは笑って、


「テヨ殿は、ニフルハイム内地からの留学生と言うことになっている。政府の方で仮の身分証を発行した。身元保証人は、ルナフレーナ様だ」


「そいつは・・・すごいな。何年くらいいるつもりなんだ?」


ハルマは全く知らなかったらしい。興味津々と聞き入る。仲介したイグニスは、やや責任を感じて複雑な表情をしていた。


「とりあえず、暫定措置で許可した滞在期間は最長で3年だが・・・延びる可能性もある。大学の再建がかなったら、それはそれで引き止められる可能性も高いな」


「こっちは歓迎だがな」


と、ノクトは気楽に言ったが、ハルマはうーん、と難しい顔をして唸った。


「・・・クヌギが怒り狂ってるって聞いたぞ。ゴダールが散々愚痴を聞かされているが、親子喧嘩の相手はしないとつっぱねてさ。俺も巻き込まれないように、遠めに聞いていたんだが・・・そうか、そんなことになってたのか」


「跡取り息子だもんねぇ、そりゃ怒るようねぇ・・・あ、でも、ノクトは人のことは言えないか」


うるせぇな! ノクトは軽くプロンプトの頭をはたいた。


トントン、 とまたノックが響いた。イグニスの秘書が、申し訳なさそうに、部屋を覗き込んだ。


「スキエンティア補佐官・・・ご歓談中、申し訳ございません。オヴァール市長がご到着を・・・」


「わかった。すぐいく」


とイグニスは立ち上がった。


「悪いな」


ノクトは、さほど悪びれてもいない様子で声を駆けた。イグニスは、呆れたように笑って、


「・・・いいんだ。これがオレの仕事だからな。せいぜい、国賓を持て成してくれ」


それから、改まって、ハルマの方を向き直ると慇懃に頭を下げた。


「ユスパウ男爵・・・それでは、失礼いたします」


ハルマも、改まって、ちょっと立ち上がると、見えないイグニスに向かって慇懃に頭を下げた。イグニスは見えているかのように笑いかえして、それから、秘書官の後ろに続いて部屋を出て行った。


「ノクトさぁ・・・」


イグニスが出て行ったのを確認して、プロンプトが呆れるように言った。


「オレ、グラディオが昨日、愚痴っているの聞いたよ。イグニスたちがぴりぴりしてるの、あれでしょう? 10日後に控えたレスタルムの住民投票。なんで、ノクトはそんな涼しい顔してんのよ?」


「住民投票?」


ハルマが不思議そうな顔をしている。


「そうですよ! ルシスからの独立の是非を問う住民投票ですよ?!」


ええええ?! とハルマは驚きの声を上げた。


「本当か・・・それは、こっちでは聞いてないな」


「おう、正式発表は、式の後だからな。それまでオフレコってことでよろしく!」


と、ノクトはにやにやしながら、ちっとも、深刻な様子がない。聞いていたハルマの方が不安になって、声を潜めた。


「・・・勝算はあるのか?」


「さあな。カメリアが言ってたが、投票は水ものだ。蓋を空けてみなければ分からない。もっとも、実効力のある投票じゃないんだ。市民の意思を調査する目的で行う。だが・・・その結果を無視はできない。もし、レスタルムの市民の大多数が独立を望むなら、独立に向けた検討を1、2年かけてやることなる。もっともな・・・一度、敵国との和平協定で捨てた地域だ。オレは、今更になって偉そうに領土を主張するのはお門違いと思ってる」


おっと、これもオフレコな。ノクトは笑った。へええ・・・ 肝が座ってんな…ハルマは感心して呟く。


「さあて・・・」


ノクトは徐に立ち上がった。


「ちょっと・・・ハルマに王宮を案内してくるわ」


え? とプロンプトは驚いて立ち上がり、


「じゃあ、オレも・・・」


と言いかけたのだが、ノクトはつれなく首を振った。


「お前は、そろそろ、ご婦人方の様子を見て来い! 特にお前の女房をな! ほら、お前らも」


タルコットとルチェオにも、声をかける。


「あっちにはチョロチョロするガキも二人いるし、子守をしてこいよ!」


ノクトはからからと笑いながら、不思議そうにしているハルマの背中を叩いて、部屋を出た。


「おい、いいのか?」


「ああ・・・ちょっと二人で話もしたかったしな。鬼のいぬまになんとやら・・・」


ノクトは楽しそうに笑みを浮かべながら、ハルマをつれて廊下を進んだ。来賓用のフロアは、すっかり改装工事が終わっていて、重厚な調度品が並んでいる。ハルマは感心して、廊下の様子を眺めた。


「さすがお城って感じだな・・・ シャンアールはいかにも古城だが、ここは、なかなか豪勢じゃないか」


ハルマは意外そうに言う。ノクトは苦笑した。


「これでもな・・・大分、節約させたんだ。実際、調度品のほとんどは残されていたものを、人の手で綺麗にして修復したんだ。相当の手間だと思うんだが・・・みんな、そうしたいっていうからさ」


ははあ、なるほど。


ノクトが見てくれにこだわるとは思えかったので、ハルマもようやく納得した。ルシス王家ともなると、それを信望する臣下たちも相当の数だろうし、王宮への思い入れも強いだろう・・・。ハルマは、今更ながらに、一国の主というスケールに圧倒されていた。


ノクトは、廊下の突き当たりの部屋まで案内した。ちょっとしたラウンジになっていて、広々とした空間の中央には、グランドピアノが設置してあり、その奥は広いテラスだ。


「すごいじゃないか・・・」


ハルマは驚いて、思わずグランドピアノに近寄った。


「それもな・・・」


とノクトは苦笑した。


「見た目は修復したんだが、ピアノって言うのは、長い間放置されるとダメになるらしいな。・・・音を出すと酷い。それでも、いずれ修理したいって言うやつがいてさ。まあ、飾りにはなるから置いてる」


あははは。 ハルマは笑って、そっとその黒い外観を撫でる。


「お前らしいな…贅沢はしないか」


「いや・・・口うるさく財布を閉めさせてるんだけど、これでもまだ無駄が多い。王宮に戻ってきた連中には、どうしても10年前の王宮での習慣が身についててな。こっちは、ルーナも含めて、荒野での生活が身についてるだろ。つまらないことで、すれ違って言い争いなる」


「そら・・・ルシス王家って言ったらそれなりに華やかなイメージがあるぜ。イドラ皇帝はどっちかというと、軍事にしか興味がなくて、他には金をかけていなかったからな。帝国の文化は、酔狂な帝国貴族が細々支えていたんだ。それも、廃れちまったが・・・」


ハルマは、しばし感傷に浸りながら、広いテラスの方へ出てみた。テラスからは、王宮の美しいタイル張りの中庭が見渡せた。ここも、来客に合せて、外観だけ慌てて修復したと言うことだが、まるで、あの激しい戦いの歴史などなかったように見える。


ふうう・・・ 意図せず、深いため息が漏れる。


「どうした・・・なんか、うかない顔だな?」


ノクトが突然、その顔を覗き込んだ。いや・・・ とハルマは驚いて、


「すまん。ちょっと考え事をな・・・」


と、慌てて笑いかける。ノクトは、ニヤニヤと、見透かしたように笑って


「こっち来てからずっとそんな感じだぞ。言えよ」


まあ、そうは言っても・・・ と、ノクトは、頭をかく。


「くっついてきてトルドーを説得してくれって言われてもそれは無理だけどな。愚痴くらいなら聞けるぞ」


ハルマは照れくさそうに笑った。そっちを心配してくれてたか・・・


「別に連盟のことじゃないんだ・・・悪いな。その・・・女のことなんだよ」


へ? ノクトは驚いて、思わず、まじまじとハルマの顔を見た。・・・思ったとおりの反応ながら、ハルマは顔を赤面させて、俯いた。


「頼むから・・・そんなに見ないでくれ」


「なんだよ、珍しいな。聞かせろよ」


ノクトは、好奇心丸出しで、ハルマのそばに近寄ってきた。ハルマは、思わず口に出したことを半分後悔しながら・・・しかし、もうこうなっては話をきくまで、ノクトも収まらないだろう、と観念していた。


はあああ・・・ と大きくため息をついて、もう一度、王宮の美しい中庭を見る。


「・・・どうかしてると思うんだが、ケルカノの難民キャンプに・・・チパシまでつれて返りたい女性がいて・・・」


ハルマの脳裏に、つい数日前の、墓地の光景が蘇っていた。ルシス王の婚礼に合せつつ、アコルドやハンター協会との協議もあって早めにケルカノ入りしていたハルマは、まっさきに、揚陸艇の発着場所そばの墓地に足を向けた。前にここを訪れたとき括り付けれていた風船は、その後しぼんだのだろう。もう、取り外されてなかった。こどもの墓の前に立ち、その盛り土の飾りを見た。あれ・・・と思って、しゃがみこんで、顔をちかづける。ハルマが残したユスパウの古い指輪はなくなっていた。


誰かに見付かって、掠め取られたか。


こんなところに不用意に埋めたんだ、仕方ない、と思ってハルマは立ち上がった。しかし、その時、背後に、人が近づく気配がして、ハルマは振り返った。見れば、通りの方から、この墓の母親が、慌てた様子でこちらにかけてくるのが見えた。ハルマはどきっとして、彼女が向かってくるのを見守った。


母親は、いつものように頭部を黒いスカーフで覆っている。今日は、まるで顔を隠すように、口元までスカーフを多い被せていた。その目が・・・いつもより強く、睨み付ける様にハルマを見ていたので、緊張を覚えた。婦人は、ハルマの前まで、駆け寄って・・・それからしばし、息を整えていた。


「ユスパウ男爵様・・・」


静かに語り掛けるその口調も、どこか刺々しかった。婦人は、そっと右手を差し出すと、その手のひらに、ユスパウの指輪を載せていた。


あ・・・ ハルマは、すぐに、この指輪が婦人の気分を害したことを悟り、青くなった。


「この指輪は、お受けするわけには参りません」


婦人の目が、怒りと・・・悲しみに満ちているように見えた。


「十分なハンター協会の支援も受けています。私一人・・・生きていくのに不自由はしておりません。このようなお気遣いは不要です」


ハルマは、動揺して、慌てて指輪を受け取った。しかし、動揺する気持ちの中で、’私一人’と言った彼女の言葉をしっかりと、捉えていた。・・・ひとりなのか。


指輪は、泥がすっかり取り除かれて、綺麗になっている。婦人が洗って、大事に保管しておいてくれたのだろう。


「すまない、迂闊だった・・・その・・・貴方を、侮辱する意図はなかったんだ・・・ただ、これは・・・」


婦人の目が、いぶかしげにハルマを見た。ハルマは・・・なんと答えたものかと、しどろもどろになっていた。


「その・・・ただ・・・これを置いていけば、また・・・貴女に会える気がして・・・」


言った途端、バカが! と心のうちで自分を叱責する。何を言ってるんだ自分は・・・それに、これではますます、ご婦人を侮辱していると捉えられるかもしれない。


ハルマは、恐る恐る、婦人の顔を見た。婦人は・・・スカーフの合間から見えるその瞳で、じっと、ハルマを見ていた。


「す・・・すまない。怒らせたか・・・?」


ハルマは、すっかり、縮み上がって、婦人の反応を待つ。それは、罪を犯して審判を待つ、つまらないこそ泥のように。


顔がスカーフで隠れて、よくわからなかったのだが・・・ふっ・・・と笑ったような気がした。


「このような場所ですから、貴金属はお控えください・・・私は、毎日こちらに参ります」


そして、ちょっとハルマに頭を下げると、そのままくるりと向きを変えて、キャンプの方へ帰っていこうとした。ハルマは慌ててその背中に声をかけた。


「名前を聞いてはいけないか」


婦人は、ちょっとだけ振り返って、ハルマの後ろの方を指差した。


「墓標に名前が」


そして、あとは、もう振り返らずにキャンプの方へぐんぐん進んで行った。ハルマは、惜しむようにその背中が見えなくなるまで見送った。その小さな黒い姿が、合同本部の建物の影に消えてから、ようやく墓標を振り返った。細い木の棒に貼り付けられたラベルを見る。


ーラヴィータ・ヤージュの息子 タイタス・ヤージュ


まるで、貨物の仕分けのように、機械的に印字された文字が、白いラベルに印字されていた。


ラヴィータ・・・ タイタス・・・


ハルマは口の中で反芻した。


「どうかしてるだろ?」


ハルマは話してしまってから、しゅん・・・と沈んだ様子で呟く。


「数回しか顔も合せてなければ・・・交わした言葉もわずかだからな」


「それでも、つれて帰りたいんだろ?」


ノクトは、ぽん! と、めずらしく小さくなっている兄貴分の背中を叩いた。


「そりゃ・・・そうだが・・・」


「お前が決めることじゃないんだから、悩む必要なんかない」


ノクトはドヤ顔で言う。


「どうせ、相手が決めるんだよ。だから、つれて帰りたいならつれて帰りたいと、そういうだけだろ。まあ、盛大にフラレでもしたら、ルシスまで飲みに来いよ」


げらげらげら・・・ ノクトは、豪快に笑って、その背中をもう一度叩いた。


あんだよ・・・ と、不満げにぶすくれたハルマだったが、豪快に笑われていると、自分もなんだか可笑しい気分になってきた。確かにな・・・オレが決めることでもない。意味深に指輪を贈りつけるより、ストレートに気持ちを伝えるほうが幾分かマシだろう。


「ま、安心したわ。女に悩んでる余裕があるってことだな。連盟の方は、わりと順調そうだな」


あのな・・・ とハルマは顔をしかめた。


「順調なわけないだろ。アコルドがあの調子だからな・・・まあ、マルコがいなくなったっていう意味では予想以上に順調だが、カメリアに返り咲いたっていう意味では、意外と手間取ってる」


「ははは・・・らしいな。まあ、そっちは、これからオレも顔を突っ込めるようになるし」


「余裕だなぁ・・・」


ハルマは、関心しているのと呆れているのとが織り交ざった様子でノクトを見た。


「余裕はないさ。こっちも首の皮一枚・・・なんなら、いつ、チパシに帰ることになるかもわからんから、よろしく頼むわ」


にかっと、笑いながら、どこまで本気か分からないことを言う。まったく・・・ ハルマは、その大物ぶりに呆れながら、ため息をついた。


うけえぇえ、うけえぇえ・・・ 間の抜けた音がどこからともなく鳴り響いた。お、と言って、ノクトは、ズボンの後ろからスマホを取り出した。


「やべ・・・もう、こんな時間か」


受信に応じて、スマホを耳に当てる。


「ああ・・・ああ、わかってる。悪い、すぐいくわ」


通話終えて、すまなそうにハルマを見た。


「悪いな。これから衣装合わせと、写真の前撮りなんで・・・2、3時間くらいで終わると思うから」


ハルマは、笑って頷いた。


イグニスが、慌しくオヴァール市長との打ち合わせを終えて応接室に戻ると、そこは物抜けの空になっていた。そばに控えていた執事が、陛下とユスパウ男爵が二人でサロンに向かったこと、他の客人たちはご婦人の客室へ向かったことを教えてくれた。


二人でか・・・ イグニスは、引っかかるものを感じて、悶々としていた。


ニフルハイム連盟・・・ プロンプトのレポートによって、ノクトが図らずともその集団と共に行動し、親交を深めたのは知っている。彼らは、先進的な和平の構築を目指して宣誓も行っているし、和平会議では、貴族院を退けるのに大変な役割を担った。来訪かなったユスパウ男爵においては、彼の爵位継承に当たってもノクトが貢献をして、個人的にもかなり親密だと聞いている・・・


個人の親交と、政治上の関係は・・・まったく乖離しているわけではないが、しかし・・・と、イグニスはやや心配をしていた。王位を正式に継承したノクトも、そのあたりは弁えていると、信じてはいるが・・・


イグニスは、貴賓用のサロンに向かうべきか、それともご婦人方の部屋へ向かうべきかと迷った。しかし、王が二人で話をしたいといって出て行ったのを、側近が追いかけていくのも明らかに野暮だ。


イグニスは・・・王を追いかけたい気持ちを抑えて、なんとか、足をご婦人の部屋へと向けた。ご婦人の部屋は、廊下からも朗らかな話し声が聞こえた。イグニスはほっとして、その扉をノックした。


「イグニスです・・・」


あー! という声がして、誰かが乱暴に扉を開けた。その、足音から、多分、アラネア嬢だろう。


「イグニスも、鳥を身に行こう!」


アラネア嬢は、開口一番そう行って、イグニスの手を引いた。ほがらかに笑うご婦人たちの声が中から聞こえてきた。


「あーちゃん! あそこは階段で大変なんだから!」


たしなめるようなプロンプトの声が覆いかぶさって来た。なるほど・・・イグニスは、すぐに状況を察知して


「東棟の屋上まで行くのか?」


と聞いた。


「そう! これから写真取りに行くんだ。マリアちゃんと、タルコットと、ルチェオも行くって。イグニスは、こっちで待ってる?」


「いや・・・良ければ、同行しよう」


え・・・ と、驚く声が上がったのがわかった。イグニスは苦笑して


「最近、体がなまっているしな。ちょうどいいと思う。連れて行ってもらえるか?」


と付け加えた。


「あったりまえじゃん。じゃあ、行こうよ!」


変な雰囲気を払拭するように、プロンプトが明るい声で言って、イグニスの手を引いた。それを押しのけるように、小さな手が握りかえす。


あーちゃんが手ぇつなぐの!


えええ、そう? プロンプトが、寂しそうな声を出したのを、イグニスが笑って聞いていた。


穏やかなご婦人方の笑い声に見送られながら、一同はぞろぞろと廊下へ出た。アラネアは、イグニスの手を嬉しそうに繋いでひっぱって、先導していく。中央のホールへ出て、6階まではエレベータが使える。そこから上は、まだ、非常階段しか使えない。


ばたばたばた・・・非常階段を賑やかに上る足音が響いてきた。グラディオの長女、マリアのようだ。きゃっきゃと笑う声が聞こえる。その後ろを慌しく追いかける足音がある・・・ルチェオか? アラネアは、遠慮がちに・・・しかし、ぎゅうぎゅうと強くイグニスの手を引っ張っていた。


「アラネア・・・オレはそんなに早く走れない」


イグイスはすまなそうに言った。


「だけど・・・歩く分にはひとりで大丈夫だ。先に行ってもいいんだぞ?」


え・・・ アラネアは迷っていたが、


「じゃあ、上で待ってるな!」


と答えるが早く、だだだだ・・・ と慌しく駆け上がる音が聞こえた。あ、あああ! と慌てるようなプロンプトの声が聞こえて、そして、遠のいた。


「ははは・・・やっぱりぃ・・・」


苦笑するように、イグニスの横でつぶやいているのは、タルコットだろう。


「イグニスさん、大丈夫ですか?」


いつものように、爽やかに話しかけてくる。しかし・・・その雰囲気が、ルシスから派遣した数ヶ月前からは一変しているのを、イグニスも感じていた。


たぶん、体の物理的な大きさも・・・ひとまわり成長しているのだろう。声は、以前よりはわずずかに低くなった。しかし、その、どっしりと落ち着いた様子は・・・


タルコットが、自分の無茶な指令に対して、十ニ分以上の働きをしたのは、プロンプトのレポートでなくてもわかる。


「タルコット・・・オレは大丈夫だ。先に行ってくれ」


「でも、プロンプトさんもルチェオさんもいますし・・・」


できれば遠慮したい、というタルコットの本音が痛いほど伝わってきた。ふふふ、と笑いながら


「アラネア嬢の付き合いは骨が折れるだろう。これまでも経験済みだろうな?」


と、振ってみた。あはははは・・・ タルコットは誤魔化すように笑いながら


「あーちゃんは、とにかく、エネルギーあまってますからねぇ・・・負けちゃいますよ。でも・・・ほんと、すごい子ですよね」


感心するように呟く。ニフルハイムで集落を回ったときのことを言っているのだろうか。それとも、チパシで過ごした日々のことだろうか。ケルカノのキャンプや、アコルドの内地でも、かなり目立ったと聞いている・・・


イグニスが悶々としていると


「どこいっても、一番弱い人に気がつくって言うか・・・。僕も、驚いたんですが、あれは、ニフルハイムの偏狭の集落をまわったときだったかなぁ。集落のこどもたちがわぁああ って、寄ってきてね。ほら、外からの支援も物珍しいじゃないですか。寄ってこられると嬉しいし・・・だけど、あーちゃんがいきなり、広場の外までかけていったかと思うと・・・そこにしゃがみこんでいる子に話しかけているんですよね。聞いたら、その子・・・生まれてからほとんど口を利いていないんですって。見た目、5歳くらいには見えたけど・・・あーちゃんに聞いたら、その子の声が聞こえたっていうの。2年前に両親が亡くなって、集落で面倒見ているんだけど、どこの家にもなじまないでずっと黙り込んでいるらしくって。その子・・・笑ったんですよ。あーちゃんに」


イグニスは、聞いていて、ああ・・・と納得がいっていた。似たような話は、何度か、ノクトやルナフレーナから聞いていたのだ。あの二人は、あの野生児に親愛の情を持つ意外に、一種、神秘めいたものを感じていると思っていた。あえていうなれば・・・遣い魔のアンブラに対して示すような親愛に似ていた。しかし、二人が恍惚とその光景を語る一方で、イグニスには、いまひとつ実感がわいていなかった。


視察で・・・確かに、そのような光景に近いものはあったのだ。イグニスは、アラネアが、ちょこちょこと移動するその導線が、イグニスが肌で感じている人の気配の、”違和感"の方へ向かっているのを感じた。それは・・・不満を持ちつつ視察を見つめる、視察先の職員であったこともあるし、通りすがりの乞食の少年であったりもした。


ぜえええ ぜえええ と激しく息をつくのが聞こえて、タルコットとともに顔を上げた。


「プロンプト!」


タルコットが、慌てて駆け出すのが聞こえた。


「もう! タルコット・・・交代して!交代!!」


つらそうな声が返ってくる。


「あーちゃんがすっとんでいっちゃんてさ・・・ルチェオは、マリアちゃん抱っこしてるし」


「わかりましたっ」


タルコットは素直に応じて、だだだだだ・・・ と非常階段を駆け上がった。


「さすが、若いなぁ・・・」


羨望の眼差しで、プロンプトがタルコットの背中に向けてシャッターを切っているのが分かる。


「彼はすっかり頼もしくなったな」


イグニスも、シャッター音に被せるように言った。


「ほんとだよね・・・ニフルに追いかけてきたときはびっくりしたし」


「大層な活躍だったんだろ?」


「そうだよ! ノクトも真っ青! タルコットがいたから、いいかげんなことできなかたしさぁ」


かちゃかちゃと、カメラをいじる音が聞こえてくる。


「二人に任せては、なんだか悪いな。いそごう」


あはは、そうね。 プロンプトも、申し訳なさそうに応じた。


とんとんとん・・・ リズムよく、非常階段を上がる二人の足音が響く。プロンプトの足取りも、王宮に篭りっぱなしのイグニスに比べると、軽く聞こえる。ノクトと分かれた後も、荒野を駆け回って調査にあけくれていたというから、その体はますます鍛えられているように思う。


「・・・ニフルハイムの荒野はどうだ? きつくないか?」


イグニスは、戻ってきて欲しそうな気持ちをちらつかせながら、プロンプトに問いかけた。プロンプトは、そうねー、と軽く答えながら


「確かにハードだけどさ。でも、すっごい役に立ってる感じがするんだよね。なにより、このカメラで仕事してるって実感がすごくてさ」


「・・・話には聞いてる。和平会議でも、連盟が用意した資料の大半は、お前が用意したんだろう?」


「まあ、文章でまとめたのはキリクだけどね。オレは、撮って撮って撮り巻くって・・・って感じかな」


「映像で指し示す事実は・・・時に、言葉よりも説得力があるからな」


えへへへ・・・ プロンプトは、まんざらでもない様子だ。


「まだ、しばらくあっちにいるんだな・・・」


イグニスは寂しそうに呟いた。


「ごめん・・・ルシスも大変なときなのに。でも・・・あっちももっと大変でさ。きっと、こっちにいるより役に立てると思うから」


「そうだな・・・お前の腕なら、連盟も相当頼りにしているだろう」


いやぁあ・・・ プロンプトは照れくさそうに笑っている。


「ハルマにも、いろいろ頼まれてるしね。写真もあるけど、それ以外も、あっちこっち集落をまわる便利屋みたいなもんかな」


「ユスパウ男爵か・・・」


イグニスは、無意識に、少しだけ足が止まった。


「ん?どうしたの?」


プロンプトが、不思議そうに、イグニスを見ているのが分かった。イグニスは誤魔化すように、首を振りながら、また、小気味よく階段を上がった。


「いや・・・かなり、お前達と親しいんだな、と思ってな」


ああ、とプロンプトは、思い当たるように言った。


「そうだね。特にノクトとはね。親友って感じだよ」


プロンプトは、どきっとするぐらいに、軽い感じでそういいのけた。イグニスはびっくりして、思わず、その顔の方に目を向けていた。


「親友・・・」


「そう。ほら、ハルマもさぁ、爵位を継ぐのに相当迷ってたときもあるし。ノクトがその背中を押したっていうか・・・境遇が似ているっていうと大げさかもしれないけどさ。いい兄貴分だよ」


そうか・・・ なぜか、イグニスは沈んだ声を出していた。


「お前は・・・ちっとも気にしないんだな」


プロンプトは黙った。そっと近づく気配がして、ぽんと、その手がイグニスの肩を叩いた。


「イグニス・・・妬いてんの?」


イグニスは、ストレートにそういわれて、黙るしかなかった。恥ずかしそうに俯いて・・・しかし、言葉がない。ニフルハイムの荒野の旅・・・今になって、その傍にいたかったなどと思うのは、あつかましすぎる。しかし、当初予想もしなかったほどに、そこに濃密な時間があるとわかって、もどかしい気持ちが沸き起こる。


「・・・イグニスは側近じゃん。いやでも、これから、めんどくさい仕事をやらされるんでしょ?・・・だけどさぁ、オレ、思うけど。二人とも・・・一度、卒業したほうがいいよ。ノクトから」


プロンプトは爽やかに言った。


「オレ・・・贅沢にも、ノクトと一緒に、たっぷりと気ままな旅を満喫したからさ。だからだな、きっと。卒業できたって感じがするんだよね・・・いまでも、親友だし。何かあれば、駆けつけるけど、信じてるから・・・ノクトのこと。離れてても、立派にここで王様になるって」


イグニスは、すぐには言葉が出なかった。


わああああ、イグニス! プロンプト! 遅い!! 


賑やかな声が頭上から聞こえて、二人は同時に天を仰いだ。


カシャ、カシャ・・・


目ざとく、プロンプトのカメラのシャッター音が響く。イグニスは、すっかり寛いだ気分で、親友に微笑んだ。



まったく・・・そもそも、大げさなんだよなぁ。 いつまでもたってもスタイリストがノクトの髪の毛をいじっている。前髪の一筋を払ったり、襟足を揃えたりと、きりがない。加えて・・・時折、パフを頬に押し付けて、軽くファンデーションを振るう。


う・・・


化粧品の匂いだけで、気分が引く。大体、婚礼といえば、主役は花嫁ではないか。オルティシエから届いたデザイン画を元に、10年前のドレスを再現したと聞いた・・・その熱の入れよう。ノクトは呆気にとられる。


ルーナなんて、どんなドレスだって美しいに違いないし・・・


ノクトは、チパシで上げた婚礼を思い出した。よけいな化粧をしていない分だけ、よほど美しく感じたと思う。ルーナが化粧お化けになっていたらどうしよう・・・ノクトはどきどきして、ごまかすためのほめ言葉をあれこれ考える。


「陛下・・・ルナフレーナ様のご用意が整いましたので」


執事が部屋に入ってきて声をかけてくれたおかげで、スタイリストはようやく呆れめがついて、その前髪だけをさっと整えると、後ろに身を引いた。


「はい・・・陛下も今、ご準備が整いました」


さっきから、そんな変ったかなぁ? ノクトは不思議に思いながら、一応労いを見せて


「ありがとな・・・顔がしまったわ」


と声をかけた。スタイリストは、満足したように頭を下げた。ノクトは・・・自分のお愛想が通じたと、ちょっと驚きながら、執事の後ろにくっついて控え室を出た。


王室の報道官がし切って、今日は写真の前撮り・・・ というのも、ノクトの要請もあって、明日の戴冠式と婚礼は、ルナフレーナへの体の負担を考えて、相当に短時間に抑えて計画されていたからだ。


戴冠式と婚礼を抱き合わせるだけでも、前例がない、と、みな口を揃えて文句を言ったのだが、お金のことを言うよりルーナの負担といえば、側近たちはみな静かになった。


だいたい・・・いまどき、ありがたがって、オレらの写真を欲しがる奴なんて、この王宮にいる連中だけだろうが・・・。ノクトは呆れがちに、執事の背中を追って、はじめの撮影場所となる王宮の中庭まで出る。


ふわ・・・ と白い妖精のような後姿が見えて、ノクトはドキっとする。ノクトに気がづいて、振り返る・・・かなり距離があるのに、まるで、花のようないい匂いがした。チパシから帰還する中、伸ばし続けた髪を、今、ゆったりと結い上げている・・・美しい金糸のようなうねりが、日差しの中で綺麗に輝いていた。色白の頬を、恥ずかしそうに桃色に染めて、まるで・・・10年前の、オルティシエで見たそのままの瑞々しさだ。


「陛下・・・あの・・・すぐに撮影をしますので、花嫁のお傍に・・・」


呆然と立ち尽くす王に、執事がおずおずと声をかけた。ノクトは、はっとして、自分も恥ずかしそうに笑いながら、さっと花嫁の傍に駆け寄る。


「まあ・・・ぼおっとなさって」


「あんまり美しいからさ・・・」


ノクトは、人目を憚らずに、肩を抱き寄せると、その額に自分の額をそっと寄せて、囁きかけた。


「陛下・・・あの、申し訳ありませんが・・・御髪が崩れますので・・・」


と、戸惑ったような声がして、見れば、はらはらとして、花嫁のスタイリストが早くもクシを持ち出していた。


「わ、悪い・・・」


ノクトは、しょんぼりと、花嫁から離れた。スタイリストは、さっと近寄って、花嫁の前髪を直したり、ノクトが傍により過ぎてしぼめてしまったドレスの裾を整えたりと忙しかった。


「陛下、陛下! カメラテストをしますので、こちらを見ていただいて!」


大勢の撮影スタッフと、反射板や、どんだけ?! と思うほどの数のカメラが、脚立に立ててこちらを向いている。


ノクトは・・・げんなりした様子で、しぶしぶとカメラのほうを向いた。数が多すぎで、どちらを向けばいいのか分からない・・・


こっち、こっち! と、真ん中あたりに陣取っていたベテランのカメラマンという様子の初老の男が、手を振っていた。ノクトは、ちょっと、背筋を伸ばして見せてカメラに、格好をつけてみた。


「はいはい・・・そのままでお願いします・・・はい、もう少し!・・・はい、結構です! では、つづいて、ご夫妻でお願いします」


ルーナは、格好をつけた夫の様子を見て、堪えきれず、笑っている。


「笑うなよ・・・」


ノクトは、ちょっとふてくされてみた。


「あら、ごめんなさい・・・ふふ、貴方も、とても素敵です」


と、その頬にそっと手を触れる。ルーナはどこに化粧を施したのか分からないが、いつものように、あまりに美しく、ノクトは、またも、抱き寄せたくなるのをぐっと堪えた。


「ルナフレーナ様、陛下の腕に、手を添えていただいてよいでしょうか・・・そう、その感じで。すこぅしだけ、二人で向き合うように、そう、そうですね、そこまで。はい、その感じで、カメラの方をどうぞ!!」


二人はマネキンのように、数mm単位での細かい指示に素直に従って、ポーズを決めた。ああ・・・ 感極まるような声が聞こえて驚くと、侍女のマリアが、撮影スタッフの端っこのほうで、二人の様子を眺めながら、涙しているのが見えた。


もう、マリアったら・・・ ルーナが、自分もじんわりとした様子で呟いていた。


撮影日和に良く晴れた秋空だ。時折、吹き抜ける風は、ひんやりしている。ノクトは、ルーナの肩がむき出しなのが気になる。


「寒くないか?」


ルーナは、嬉しそうに微笑みながら、首を振る。


「まだ、大丈夫です」


はい、OKです! 撮影スタッフから、合格点を貰って、中庭での撮影が完了となる。ノクトはすぐに、手を上げて


「すぐに、肩にかけるものをくれ」


と声を上げると、脇に控えていたスタイリストが慌ててショールを持って駆け寄った。ノクトは、ドレスで身動きのとりにくいルーナに代わり、一歩踏み出してショールを受け取ると、ルーナの肩にかけてやった。


ふふふ・・・新郎の気遣いに、新婦は嬉しそうに微笑む。


「おい、鼻の下のびてっぞ!」


ぶっきらぼうな声がして、上の方を見上げた。グラディオが、コル将軍と並んで、にやにやしながら、二人を見ていた。


「うるせぇな。伸ばさせとけ!」


「まあ・・・新郎だからな。今日明日は仕方がない」


コル将軍がいつものように低い声で、淡々と言っているのが可笑しかった。


執事に連れられて、今度は、王の間へ移動する。なんと・・・裾の大きな花嫁のドレスは、エレベーターに付き添いのスタイリストしか乗せられなかった。仕方なく、花嫁を見送りつつ、新郎は次のエレベータを待つ。ルーナが、扉の閉まる際に、ふざけるように、ノクトに手を振って笑った。グラディオとコル将軍は、警備の確認をしに中庭へ出てきたようで、二人にはくっついてこなかった。


ぴこん


花嫁を乗せたエレベータが、王の間に降り立ったことを、表示板の点灯で知る。あのドレスをまとっては、乗り降りだけでもよほどの手間なのだろう・・・長い時間がかかって、ようやくエレベータが折り返してきた。間もなく、新郎のまつ1階までたどり着く。


ぴこん


ランプがともって、扉が開く。執事が重々しく先に入って、慇懃に頭を下げるのを、ノクトは苦笑しそうになるのを抑えつつ、堂々とした表情を取り繕った。一挙一動、王様をするのもしんどいんだけどな・・・


ぴこん


到着を知らせるベル・・・執事が、さっと緊張したのを感じた。ノクトもつられるようにして緊張を覚えた。王の間・・・そうだ、ここは、ここにくるものはみな、緊張を覚えるのだ。


そんな習慣は変えたいもんだな・・・とノクトは思う。執事に続いて入る、王の間の前の、控えの間。神話の絵画は、すっかり煤を払われて綺麗になっている。磨かれた大理石の床も・・・この場所の重厚感を際立たせていた。


背筋が伸びる感じがする。イグニスやグラディオにいわれれば、それが心地よい・・・この場所の神聖さを実感できるという。


神聖か・・・


ノクトは、神話を物語る油絵に目をやる。


神聖か・・・残念ながら、これからは違うんだ。懐かしむように、挑戦するようにその絵を見る。神話は終わったんだ・・・これからは、泥臭くて、不細工な人間の歴史が始まる。


そう、そのめんどくさい時代に・・・こうして、また生きていられるのは、幸運なことだな。


ノクトは笑って、不思議そうに王の様子を眺めていた執事の方へ歩み寄った。


「悪い、待たせたな」


執事は頭をさげて、王の間へと続く扉を開ける。さっと、明るい日差しが差し込んで、まぶしいくらいの玉座が目に飛び込んだ。


付け焼刃で修復させた王の間は・・・結局、工期の短縮を優先させて、吹き飛んだ壁の修復は後回しにされた。ただ、見た目と違って、天井と、天井を支えるメインの柱は滞りなく修復され、その上の内装も綺麗に仕上げていた。天井から垂れ下がったレースが、壁の大穴からまっすぐに光を受けて輝いており、これはこれで、なかなか幻想的だ。


ルナフレーナは、玉座へと上がる階段の裾で、ノクティスを待っていた。なぜかスタイリストの方は慌てた様子で


「すみません・・・撮影機材の準備がまだ・・・」


と、おどおどと、王の顔を上目遣いに見ながら、説明する。執事も慌てた様子で、なにやらスマホであちこちと連絡を取っていた。


「陛下、失礼ながら・・・お嬢様の準備がまだ、整っていないようで」


「そうか。まあ、いいさ。ゆっくり待つから慌てんな」


「はい・・・あの、私めが行ってすぐに様子を見てまいりますので」


執事は頭を下げると、慌てて王の間を出て行った。それに、つられるように、スタイリストも、頭を下げて、執事の背中を追いかけた。二人が慌てて去ると・・・王の間は急にしん・・・と静まった。


撮影機材の一部は、玉座へと上がる階段の手前に、いくつか放置されているが、カバーが懸かったまま、いかにもまだ準備が出来ていないという様子だ。


ノクトは、呆れたように首をすくめて、それからルーナに笑いかけた。ルーナも、可笑しそうに笑って答えた。


「なんか手違いみたいだな」


「そうですね・・・でも、綺麗・・・」


撮影のために、ジールの花を模して、ちりばめられた青い造花の花びらが、ルーナにはとても気に入ったようだった。確かに、午後の強い日差しが、ぶち抜かれた壁の隙間から差し込んで、造花の花びらは強烈に反射をして光っている。


「ルーナ・・・」


ノクトは、笑いながらその手を取った。ルーナが・・・心なしか、玉座の方を恐れているような気がして・・・ノクトは、あえて、いたずらに笑いながら、その手を引いていく。


二人はゆっくりと階段を上がった。二人だけで・・・その玉座まで赴くのははじめだ。なんとなしに、神秘的な気配を感じて、二人は自然と言葉がなくなる。


ノクトは、ルーナの手をその腕にかけてエスコートしながら、ゆっくりと階段を上った。親父・・・ほら、今度こそ、胸を張ってここを歩いてる。レギスに呼びかけながら、誇らしげに、そして、幸せそうに笑みを浮かべる。


不思議と・・・呼びかけに応じるように、暖かいものが胸の中に流れ込むような感覚に襲われた。


は・・・ と、ルーナが息を漏らして、驚いたように顔を上げたので、ノクトは不思議になった。


「どうした?」


静かに聞く。


いえ・・・ ルーナははにかみながら、しかし、幸せそうに笑う。


「レギス様の御気配を感じて・・・それに、鐘の音も聞こえた気がします」


ノクトは、気が早いなぁ、と笑った。明日の式の最中には、王宮の屋上に設置された大きな鐘が鳴らされる予定となっていた。


自分の腕に添えられているルーナの手を、そっと撫でながら、階段を上りきる。いよいよ、その玉座が見えてきた。綺麗に磨かれ、布も張り替えられた真新しい感じのする玉座が、しかし、どっしりとその存在感を示している。


あれ・・・ ノクトは、そのひざ掛けに何か乗っているのに気がづいた。写真だ・・・古びて、色が褪せている。そっと持ち上げて、目を見開いた。玉座に座りながら、その写真に見入った。すぐに、不思議そうにしているルーナの顔が覗きこんだ。


ほら・・・ 言葉にならないままに、笑みだけを浮かべて写真を手渡した。ルーナは、興味津々と写真を受け取り、覗きこんだ。そこに映し出された、10年前のノクトとその仲間達の姿に、ルーナの頬も緩んだ。


そういえば、アーデンとの戦いの前に・・・ とノクトは思い出していた。どうして、こんなものが今になって・・・掃除夫が、玉座の裏にでも見つけたのだろうか。


すべては導き・・・


誰かの呟きが聞こえたような気がして、ノクトはふっと力が抜けた。そして、愛らしく微笑みながら写真を覗きこむ花嫁に気がつくと、胸がときめいた。両手に嵌めたグローブをそっとはずす・・・直に、この手でその頬に触れたくて。


ノクトは、ルーナの頬に手を伸ばした。ルーナは、新郎の様子に気がついて、可笑しそうに笑うと、写真を肘掛の上において、自分も両手を新郎の頬に伸ばした。王の間の控え室の方から、がやがやと大勢の気配がしたが、二人は構わずにキスを交わした。

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