Chapter 24.4-凱旋-

ががががが・・・ 着陸が完了して、揚陸艇の開口部が開くと、外の歓声がわっと押し寄せてきた。


わあああああああ! アラネアが興奮して飛び出そうとするのを、なんとかタルコットが捕まえている。操舵席から、ルーナも、バジャウッドを伴って出てきた。ノクトは、緊張した面持ちでその手を取った。


「ノクティス・・・」


ルーナは、ノクトを安心させるように微笑みかけた。歓声にもさほど動揺した様子がない。こういう雰囲気には慣れているのだろう・・・ノクトは、気合を入れるように深い深呼吸をすると、ルーナの手を引いて、一同を先行して揚陸艇の開口部へ向かった。二人の姿が、その入り口から見えると、歓声はより強くなった。揚陸艇の前には、アコルド軍の将校らしき姿がずらっと並んでいる。将校の一人がすぐに、一歩前に踏み出して、ルナフレーナが揚陸艇から降りるのを手伝った。


「ようこそおいでくださいました、ノクティス、ルナフレーナ両陛下。私は、この和平会議で警護を指揮する、ノルデン中将です。会議中の治安管理は、私目が万全を期しています。どうぞご安心を」


ノルデンは、いかにも軍人らしい短く借り上げた髪の、いかつい顔をしている。が、長らく実戦から離れているのか、体つきは幾分しまりがなく、どちらかというと政治家に見えた。


「ご配慮感謝いたします」


ルナフレーナは、神凪らしい、余裕に満ちた表情でノルデンに答えた。


「ルシスの連中が来ていないな・・・迎えに来る予定だったんだが」


ノルデンは表情を変えずに、


「ルシス暫定政府のみなさまは、ヴィエントスのホテルの方でお待ちでございます。治安上の理由から、本日のお出迎えは、我々アコルド軍に一任いただきました。何せ、この人出ですので・・・ご理解賜りますよう」


ノクトは改めて、群集の方を見た。確かに、やや熱狂がしすぎて怖い気もした。ルナフレーナを一目見ようと今にも駆け出しそうな群衆を、アコルドの兵たちが装甲車まで出して抑えている。その折々に、ハンター達も警備をしているのが見えた。


リカルドと、グスタフの姿は見えないな・・・ とノクトは周辺を眺めて、目を細めた。


「ご要請に従いまして、ただちに、ヴィエントスの総合病院までご案内いたしますが、よろしいですかな」


「ああ・・・頼む。」


「ご入国は、ご家族と医師の方、和平会議の出席者のみとなっております。両陛下とお嬢様、医師のバジャウッド殿、イヴァン・バンアール様とご連絡を受けておりますが、お間違いございませんか」


と、ノルデンは、ノクトの後ろに並んだ連中に目を向けた。


「ああ、それと・・・連絡がもれていたが、娘の家庭教師を一人連れて行きたい。構わないよな」


と、ノクトの背後で、アラネアを手を繋いでいたテヨを指差した。テヨは、動じることもなく、人のよさそうな青年の笑顔を向けた。


「家庭教師・・・」


「そうだ。和平会議中、あんたが娘の面倒を見てくれるって言うなら、それでも構わんが」


ノクトは、ふざけて笑った。ノルデンは、笑わずに、じっとテヨを見ていたが、やがてノクトの方を向き直ると


「・・・承知いたしました。そういうことでしたら、家庭教師のご同行も問題ございません。では、こちらへ」


と、ずらっとならんだ黒塗りの車の方へと手招きした。一級の迎賓らしく、様になってるじゃないか・・・とノクトは、笑って、思わずルーナの目を見た。


「では・・・両陛下、会議の成功を祈ります」


ブディが改まって、頭を下げた。隣のタルコットも、それに従うように頭を下げた。


「ああ・・・二人とも、ここまで助かった。そっちも・・・仕事の成功を祈る」


ノクトは、ルーナの手を左手で引きつつ、右手を振った。ルーナは、そっと頭を下げた。アラネアは、え? タルコットは行かないの? と不思議そうな顔をして、テヨに聞いていた。タルコットさんはこちらでお仕事ですよ。いずれ、ルシスにお帰りなりますから・・・と、テヨは優しく言い聞かせながら、家庭教師らしく、アラネアの手を引いていた。


黒塗りの車は2台並んでいる。小型のリムジン・・・といったところか。かろうじて、迎え合せに6人は座れそうだ。


「イヴァン様はこちらへ」


と、ノルデンは後ろの車両へ手招きした。ノクトはちょっと不安になって、ノルデンの方へ近づくと


「おい・・・ミハイル・バンアール伯爵から頼まれて、お付の連中が到着するまで、イアンはオレが面倒を見ることになっている。同じ車両でいいだろ」


ノルデンは、首を振って


「イヴァン様は、このままヴィエントスのご宿泊ホテルへご案内いたします。申し訳ございませんが・・・各国の代表団は個別に対応させていただいておりますので、ご宿泊先も、それぞれ異なります」


ん・・・ と、ノクトは反発を覚えて、ノルデンを睨み付けた。


「バンアール代表団のほかの連中が同行できなかったのは、揚陸艇をひとつ抑えられたからだ・・・彼の不便を考えろ。他の連中が到着するまで、こちらで面倒を見る」


ノルデンは、表情を変えずに、


「残りの揚陸艇も、すぐに離陸許可が下りましょう。代表団の方々がお見えになるまでは、アコルド政府が責任を持っておもてなしをいたしますので、ご不便はおかけいたしません」


引く様子がない。早速の険悪のムードに、遠めに見ていた群集も、気がつき始めたようで、あたりがざわめいていた。ルーナは、ノクトを嗜めるように視線を送った。


「ノクティス陛下、お気遣い誠にありがとうございます」


と、イヴァンは、ノクトの安心させるように、自信のある口調で語りかけた。


「ノルデン中将のおっしゃるとおり、我が領の代表団ももう間もなく到着するでしょう。ご心配には及びません」


ノクトは、ぎゅっと口を固く結んで、難しい顔をして黙った。それから、


「それなら・・・ハンターを一人つける」


と言って、許可も待たずに、揚陸艇の方へ数歩戻ると、


「タルコット! 来てくれ!」


と大きな声を上げた。ブディと二人で揚陸艇の外で一行を見送っていたタルコットは、驚いて、はじめ困惑したようにキョロキョロと辺りを見渡したが、ノクトが、手を上げて見せたので、慌てて走ってきた。


「え、は、はい。お呼びですか?」


「お前、イヴァンに同行してオルティシエに入れ」


「ええ?!」


ノクトは、タルコットの困惑する様子も構わずに、そのままノルデンに向き合った。


「構わないな? 彼は、ルシスのハンターだが、知ってのとおり、バンアール領民の救援に貢献して、しばらくシャンアールで活動していた男だ。少しはバンアールの流儀に通じている。オレも、伯爵から責任を持ってご子息の身柄を引き受けている。ただ何もしないわけにはいかないぞ」


タルコットは、何事かと一同の顔色を伺いながら、おろおろとしていた。16歳の若殿と、18歳の新人ハンターは、なんとも初々しさが漂う・・・ 二人が並んだ様子を見て、思わずノルデンは、ふふっと、笑いを漏らした。


「・・・承知いたしました。では、ハンター殿の同行を許可いたしましょう。武器類はすべて預りいたします」


タルコットは、言われるがまま、素直に、腰に入れていた一組の両手剣をアコルドの兵隊に渡した。


「オレのはこれだが」


と、ノクトも背負っていたレギスの剣を差し出す。イヴァンも、身の証として携帯していたバンアール紋章の入った短剣を差し出した。


「いえ・・・お二人は結構です。そちらはご携帯ください。では・・・お車の方へ」


やっと険悪なムードは解消され、一同は、ほっとそれぞれの車へ同乗した。ノルデンは、ノクトの車の助手席に乗り込んだ。会話を監視されているような気分がして、どうにも居心地が悪かった。


アラネアは、外の群集に向かって夢中に手を振り返している。ルーナも、アラネアと迎え合わせになりながら、一緒になって手を振ったり、笑顔を向けたりしている。ノクトの迎え、運転席側に座っていたバジャウッドは、窓の外を見ながら


「今も変らず、ルナフレーナ様への民衆の支持は厚いですなぁ」


と、まるで、助手席にいるノルデンに聞かせるかのように呟く。ノルデンと運転手はぴくりとも反応をしなかったが、何かを感じたのか、バジャウッドとアラネアに挟まれるようにして座っていたテヨは、思わずにやっとしていた。


ノクトは、付け焼刃ながらに、テヨの同行とイヴァンを一人にせずに済んだことを安堵してながら、まだ緊張感の中にいた。思ったとおり、アコルドはなんとか足元を崩そうとやっきになっている・・・まだ、気は抜けないが、オルティシエでイグニスたちに合流できれば、一息つけるだろう・・・


ノクトも窓から、外をチラッと眺めた。群集が車道のすぐそばまで迫って、熱烈に手を振り続けている。昔、公務で父親に連れ立って黒塗りの専用車に乗り、王都をゆっくりと走ったのを思い出した。その時も、熱烈に手を振る群集の姿があった。父は笑顔を向けながら、いつまでも手を振り続けたが、その姿をノクトはうんざりした気分で見ていた。あの時と・・・自分はほとんど変っていない。どうしても、素直に群集に愛想を振りまく気になれない・・・と思いながら、ちらちらと窓に視線を投げる。立ち並ぶ兵士達に混じって、ハンターらしい姿がぽつぽつと見えた。ハンター達はそれぞれに無線を持って、辺りに気を配りながら連絡を取り合っているように見えた。


あ・・・ 思わず身を乗り出して、窓に寄った。群衆の前に偉そうに立って、ちらっと通り際にふざけた敬礼をする姿が見えた・・・リカルドだ。ノクトの顔が識別できたようで、いつもの、にやけた顔を向ける。坊主頭はすっかり日焼けして、今では違和感がなくなっている。


リカルドの姿はあっという間に後ろに遠のいた・・・ノクトは、少しの寂しさを覚える。あいつらと、また、飯を食うなんて機会はあるんだろうか。


そしてため息をついて、座席にもたれかかる。ハンターは良かったな・・・いつでも、好きなところへ行けて。苦しくも自由を謳歌した今回の旅が、さっそく、恋しくなる・・・明日どこへ行って何をしようとも、何の干渉も受けなかった流浪の自分。


たまにはお忍びっていうのも、ありなんじゃないか・・・無精ひげ生やしてりゃ、誰も気付かないだろ。ノクトは、真剣にその可能性を探ろうと、群集を忘れて妄想にふけった。


難民のテントの前に差し掛かった。こどもたちが兵隊を押しのけようと押し寄せるのが見えた。アラネアも気がついて、窓に顔を押し付けるようにする。


アラネアだ! アラネアがいるぞ!! 子ども達は興奮して、ついに兵隊の足元をすり抜けて車道に躍り出てしまった。後ろの車が、こどもたちに阻まれて止まったのが見えた。慌てた兵隊とハンター達がこどもたちを捉えようと車道になだれ込んだが、見ていた周囲の子ども達もいっせいに飛び出してきて、車道は大混乱となった。


兵とハンター達は必死の形相で追いかけるてくるが、こどもたちは、もろともせずに、わあわあ嬉しそうに笑いながら車の後を追いかけて走っている。


ノクトは呆気に取られてその様子を眺めた・・・大丈夫かあれ。アラネアは、嬉しそうに、ノクトとルーナの間に身を乗り出して、後ろに手を振り続けていた。


ノルデンが無線で、兵に呼びかけている。


ー子どもがなだれ込んだぞ...兵は群集の方へ注意していろ。こどもの対応はハンター協会に任せる ・・・こちらノルデンだ。リカルド、こどもらを何とかしろ


ーあああ、わかってるよ。2代目の車はちょっと待機させておいてくれ。アラネアお嬢様が通りすぎりゃ、興奮も収まる。おい、アラネア! 大人気だな?! 神凪に負けてないぞ!


リカルドが、一行が同乗していると知っていて、ふざけたように話しかけてきた。おお! とアラネアは、今度は、慌しく運転席の方へ身を乗り出した。


「リカルドー!! アラネアだぞーーー!!」


がははははは・・・ という笑い声が聞こえたが、ノルデンは、つれなく通信を切った。


「ハンター協会の者が失礼を・・・ルナフレーナ様」


とノルデンは無表情に、頭を下げた。 いいえ・・・ルーナは笑っていた。


車は難民キャンプの脇を離れて行った。駅舎の前にものものしく敷かれていたフェンスは取り除かれていた。その代わり、出動している軍隊の数は、前に訪れたときよりも、倍に膨れ上がって見える。車は駅舎の前を通らずに、その手前を左に折れる・・・ 後ろの車は、まだ、こどもたちの対応を待っているのか、もうその姿が見えなかった。


「ケルカノに・・・寄らないの?」


アラネアは、遠くに過ぎていくケルカノの町を、見つめて、不満そうに言った。


「ルーとトーマにも会いたかったな・・・あと、デイジーと、リカルドと・・・」


「ごめんさいね。今日は、病院へ急がなければいけないの」


ルーナが慰めるように言う。


「さよう。弟君か妹君が、お母様のお腹の中で元気にされているか、調べるのですよ」


バジャウッドは、アラネアに言い聞かせる。お、おお・・・アラネアは不思議そうな顔をして、どうやってそのお腹の中を見るんだろうと考えていた。


「こっちは、新しい道か? 前に来たときはなかったな」


ようやく群衆の姿がなくなったとほっとしながら、ノクトは声を張り上げてノルデンに話しかけた。ノルデンは、ちょっと振り返って


「こちらは、ひと月前に開通したばかりです。海上を通らずにヴィエントスまで行くことができます」


と教えた。舗装されたばかりの綺麗な道路脇には、何もない荒野が延々と続いている。時折、警備のための軍用の車両がぽつぽつと待機しているだけだ。やがて道は登りに差し掛かり、崖上に出た。


うわあああ・・・ 海上に輝くオルティシエの街並みが見えてきて、アラネアは歓声を上げた。


「あの、塔に登ったんだぞ!!」


アラネアは、いつだか大騒ぎを起こした市庁舎の塔を見つけて、ルーナに教える。ノクトは、やべ・・・と顔を背けて知らんふりをした。


やがて、できたばかりの大きな橋を渡って、ヴィエントスの街中に入った。ケルカノほどではないが、ヴィエントスでも町の人たちが通りにでて、手に旗を振り、二人の到着を歓迎していた。


きゃーーー、ルナフレーナ様!! 黄色い女性達の声が特に目立つ・・・ ケルカノの歓迎とはどうも雰囲気が違うな、と思いながら、ノクトは相変わらず、うんざりした様子で外を見ていた。その声に混じって時々、ノクティス陛下ーーーーーーー!! という黄色い声も聞こえて、ぎょっとする。


「あ! いま、ノクトのことも呼んだぞ!」


アラネアがしたり顔で教える。


「ほっとけよ・・・」


ノクトは顔を背けた。


「ノクティス陛下の人気も中々のものですなぁ・・・今のは若い女性の声でしたぞ」


と、バジャウッドがからかうと、テヨも、ルーナも・・・そして、なぜか助手席のノルデンもが、くすくすと笑った。


「うわ! あれ! すごい、でかい写真だ!!!」


どうやって用意したのか、でかい写真のパネルを掲げている者が見えた。その写真は・・・ 正装したノクトと、ルーナのそれぞれの写真。10年前に婚約が発表されたとき、報道に使われた写真だ。ノクトにも見覚えがあった。


「ルーナと、誰だ、あれ?」


と、アラネアが不思議そうにする。ルーナは、堪えきれずに笑い声を立てて


「あれは、ノクティスですよ。10年前の・・・私も、随分若いでしょう」


と教える。ノクトは、顔を真っ赤にして、まともに一同を見られなかったが、顔を隠す場所もなく、窓際に俯き加減にいて、じっと、恥に耐えた。


「いやあ、ルナフレーナ様はまったく変らず。しかし、当時のノクティス王子は、本当にお若かったですな。確か・・・20になられたばかりだった」


ええ、ほんとに。 とルーナも懐かしむように、バジャウッドに答える。ああ、もう・・・勘弁してくれ・・・ ノクトはアコルドへの緊張もどこかに飛んでいってしまい、ひたすら、若かりし頃のかずかずの恥ずかしい自分の姿を思い出していた。


病院の大きな建物の前が見えてくると、群集はさらに膨れ上がった。あんまりやかましくて、他の患者に迷惑じゃなかろうかと、心配にさえなった。重々しい警備の中、車は病院の門をくぐる。いつもそうしているのか、特別な警備のためなのか、ノクトたちの車が中へ入ると、その門は重く閉ざされ、門の前に颯爽と、軍の装甲車が立ちふさがった。


車から降りると、歓声がまた一層沸き立った。ノクトはルーナをエスコートしつつ、群衆の方をなるべく見ないようにしていたが、ルーナとアラネアは、愛想よく手を振り返した。


「ルーナ、大丈夫か? 疲れてないか?」


「いいえ、ちっとも」


と、その表情はむしろ楽しそうだ。ノクトは、ぐったりと疲れを覚えながら、今度は、病院施設スタッフの歓迎を受ける。ずらっと、白衣の看護士たちが拍手で一行を迎えて、婦長らしき人物が、早速大きな花束をルーナに手渡す。


「おめでとうございます!」


「ありがとうございます。こちらでは、お世話になります」


花束の贈与が終わると、ノルデンが前に歩み出て、いかにも権威のありそうな50歳くらいの男を紹介した。


「こちらが、病院長のイエンツェ医学博士です」


「ようこそルナフレーナ様。それに、ノクティス陛下。アコルドの最高峰の医療技術で両陛下にご貢献出来ること、誠に光栄でございます」


医者とものなればなるほど、なかなかの知性を感じる人物だが、その大仰な言い回しは、激しい競争のなかでこの地位を確立したであろう、政治的な力も感じさせた。


「そしてバジャウッド先生も。実は、先生は私の駆け出しのときの恩師でして・・・先生、大変ご無沙汰しております」


と、バジャウッドにも慇懃に挨拶をしたが、バジャウッドは、やれやれ、とちょっと冷めた目でその挨拶に答えていた。


「歓迎ありがたいが・・・妻の体が心配だ。式典は控えてもらって、なるべく負担の少ないよう、診察を頼めるか」


ノクトは、一行のテンションとは異なって、淡々と申し出た。出鼻をくじかれたイエンツェは、やや困惑した様子を見せたが、しかし、そこはなれたもので、すぐに気を取り直して、


「誠に、おっしゃるとおり・・・特別室の方へご案内いたします。少しご休憩いただきましたら、早速、診断にうつらせていただきましょう。担当させていただくのは、こちらの、我が病院の産婦人科の医局長を務めております、ラッセン博士です」


と、なかなか気の強そうな女性を紹介した。医院長と同世代と思われる女性は、この、抜け目のない男と同等に渡っている雰囲気を醸し出して、少しも態度が下手でないのが、むしろ好感が持てた。


「よろしく頼む」


とノクトは、明らかに違う態度でラッセン博士と握手すると、ラッセンも意図を察してか、実にあっさりと挨拶をして、


「ではこちらへ・・・」


と、一同をごく普通の患者と同様な態度で誘導した。まったく、ちょっとは愛想があるといいんだが... と、後ろの方で、院長がぼやく声が聞こえた。


ラッセンに誘導されて、一同は、病院の中央のエレベーターから最上階まで上がった。そこが、特別室のフロアらしい・・・普段は、亡命貴族の連中や、富裕層が利用するのだろうか。あきらかに、他のフロアと内装が違って、豪華であった。


「今は誰もいませんよ。ご安心を。この日のためにフロアを空けさせました。そのあたりのホテルより設備がいいんです。このまま滞在されても構いませんよ」


と、ラッセンはどこまで本気かわからないようなことを、淡々と言う。


「しかし・・・他の代表団も決められたホテルがあると聞いているが」


「そんなの、私が一筆、診断書を書けば済むことです」


と、ラッセンは、にやっと笑って、フロアの突き当たりの、大きな扉に一同を案内した。フロアには専任の看護士や使用人がついているようで、廊下や扉の前に控えて一同に礼をした。


中は、病室と言うにはあまりにも広い・・・ まず目に入ったのは、全面に見晴らしの良い大きな窓。ビエントスの街並みが見渡せる。早速、アラネアが駆け寄って張り付いた。


「お嬢様とそのお付の方は、こちらで待っていただいていいかしら?」


と言いつつ、ラッセンはさっさとさらに奥の部屋へ進んだ。そこが、特別室での診察室、となるらしい。診察用のベッドや機材がならんでいるが、他の家具はまるで、高級ホテルのしつらいだ。ノクト夫婦は、優雅なソファに座らせ、その迎えのデスクに、ラッセンが座った。バジャウッドは、もう一つの、スタッフ用の椅子に座らせられる。


「君がまたここに残っていてくれて助かったよ」


といいながら、バジャウッドは自分の診察かばんから、ルーナに関するカルテ一式を取り出す。


「ふふ・・・ハンター協会の要請をお引き受けなさるなんて、先生らしいですわ。シャンアールはいかがでした?」


と、カルテを受け取りながら親しげに話しかける。


「ああ、いいよ。あそこは。このアコルドより遥かに平和だな。ああいうところへ行くと、つくづく医療とは設備ではない、と感じるな」


「まあ・・・ご夫妻にこちらを推薦されて、そのようなことをおっしゃられては」


と、ラッセンは、けらけらと笑う。


「さあて、先生の、気になる所見とは・・・」


と、カルテに目を通す。ドキっとして、ルーナはちょっと罰が悪そうに、バジャウッドを見たが、バジャウッドの方は平気そうだった。


「・・・不整脈の疑いと、自律神経の不調ですか? 軽度のね・・・なるほど」


「血液検査もできなかったしな。心電図はほら、あの、旧式の簡易な機械だよ」


と、バジャウッドは飄々として答えた。ふふん、とラッセンは笑いながら


「まあ・・・では、血液検査と心電図は行いましょうか。あとは、特に目立った所見はありませんが、あまり早くに診察を終えるのも格好がつかないでしょう。2時間くらい、こちらでご休憩されてからホテルへ移動なさい。血液検査の結果は明日の午前中に、またこちらでご説明いたします」


ノクトとルーナは、顔を合わせた。


「手間を取らせてすまないな・・・」


「いいえ。患者さんそれぞれに個人的な事情があるのは、産婦人科ではよくあることです。それも含めて、医療の範囲なのでね。しかし、安定期に入る前に公表に踏み切るとは、思い切りましたね」


と、夫婦の方を見た。ルーナは、ちょっと不安な様子になって


「やはり・・・早すぎたでしょうか」


と、聞いた。ラッセンは、別に同情もしない様子で


「心音が確認されてからの出生率は、80%と言われています。まあ、ただの確率の話ね。安定期に入ったからと言っても、出生率は100%にはならないし、人の命に100%はないわね。公表してからくよくよしても仕方がないわよ」


と、女性同士の遠慮のない物言いをする。ノクトは、ドキッとしたが、ルーナは、返って覚悟が決まったみたいで、すっきりした様子で、ご教授ありがとうございます、と答えていた。


「さあさあ、検査中は、男性陣はご退出ください。女性同士の話を聞くのも私の役目ですから・・・」


と、ラッセンはからからと笑いながら、ノクトとバジャウッドを追い出した。


「なかなか、信頼の置ける人物のようだな。ご紹介感謝する」


ノクトは、バジャウッドの耳元で囁いた。バジャウッドは、ちらっと診察室の扉が閉まったことを確認しながら、


「私生活で付き合うにはなかなか厄介な女ですけどね・・・まあ、仕事においては信頼が出来る」


と、小声で答えて、目配せした。ノクトは、思わず、ぶぶっ と噴出した。

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