Chapter 23.7-アコルド秘密会議-

わああああ という人々の怒号を聞きながら、マルコは頭を振った。鏡の前に立ち、たったいま整髪したばかりの頭を確認する。いつものようにワックスで撫で付けてあって、自慢の黒い艶がよくてかっていた。3年前に、選挙戦に出たとき、スタイリストの勧めではじめた髪型だが、いまではこれが彼のトレードマークになっている。若干、頭頂部を気にしていたが、…何、まだ薄くは見えない。マルコは鏡に向かって、一国の主としての笑顔を作ってみた。…こう、威厳があり、かつ、どこか親しみを覚えるような…何かしてくれそうな力強さ、この者に従えば間違いないと錯覚させるだけの。


わああああ と怒号が強くなった気がして、マルコは顔をしかめた。途端に、不機嫌で、不安な小心者の男の顔が現れた。マルコは、怒りさえ覚えて鏡から顔を背ける。


「閣下…お車の用意が」


ガリガリにこけた頬をして、賢いがいまひとつカリスマ性にかける男、それは彼の第一秘書だがー 感情の読めない顔をして、格好だけは慇懃に頭を下げる。こいつも…いずれは私を引き摺り下ろすつもりだろうが、そうは行くか。マルコは、わざと不機嫌にその男の前を通り過ぎ、廊下に出る。男は、いつもの通り、不平も不満も表に見せないまま、大人しくマルコの少し後ろから続いていた。


「邸宅の方へ、みなさま、すでにお集まりだとの連絡が」


「わかっている…どうせ、暇な連中だ。少しくらい待たせておけ」


官邸を、市民の目の届きにくい裏口の方へ出て、黒塗りの車に乗りつける。秘書はつけずに一人だ。このところは、邸宅に向かうときには、より慎重になってボディガードもつけていない。防弾仕様のこの専用車に護衛など必要ない。邸宅の門さえくぐれば、口が堅く、信用の置ける者達が警備にあたっている。

運転手は、かって知ったる様子で、黙って車を発進させた。官邸の秘書と警備員が、ぞろっと一列に並び、頭を下げてそれを見送った。


うわああああ… 裏玄関と言っても、表玄関の喧騒はそのまま伝わってくる。この数日が特に酷い… 先日、ルシスに続いてハンター協会が、和平会議への参加を表明し、騒ぎは一層酷くなった。こともあろうかハンター協会は…大々的にチラシを配布し、無許可で開設したラジオ局で和平会議を宣伝しやがった。政府がすぐに遺憾を表明して、無許可のラジオ運営を行政指導すると発表すると、火に油を注ぐ形となってデモ隊は膨れ上がったのだ。


くそっ… ハンター協会め。主人の手に噛み付くとは。要望どおり、ケルカノの支援物資も増やしたし、軍も追加で派遣して遣ったのに。しかし、もっとうまくやるべきだったのだ…ハンター協会相手にかっとなったのは拙かった。こちらの余裕の無さが露呈したようなものだ…すぐに行政指導をしたほうがいいと、提言したのは秘書ではなかったか?


マルコはぎりぎりと歯軋りをしながら、どいつもこいつも無能め、と、内心毒つく。


運転手は、ひたすら無表情で、何も見ず、何も聞かず、何も感じないただの人形のように、黙々とハンドルを握っていた。秘密裏に整備された邸宅へ続く道路ー予算は、軍事秘密として黒塗りのまま、議会に承認させたー その道を、車はストレスなく進んで、崖の上に出た。軍の施設が並んでいる前を悠々と通り抜けて進む…この道の突き当たりに聳え立つ小さな城が、目指すエマヌエル公爵の別邸で、彼の一派の有力な貴族連中が身を寄せていた。マルコも、首相の座につく少し前から足蹴く通っている場所だ。

これが街中を通って邸宅まで行こうとすれば、急激に増加した車両のために酷い渋滞に巻き込まれる。復興のために工事車両の増産をさせたのだが、道路の整備の方が間に合わなかった。そして、なぜか…許可しない一般車両も増産されて、一部の市民が買い求めた。多くは、選挙の風向きを左右するヴィエントスの富裕層だが…


車は貴族の特権で良かったんだ…明るくなってからは、誰も彼も我慢がきかなくなっているじゃないか…マルコは、崖上から遠くの方に見える混雑した街並みを眺めながら、苦々しく唇をかむ。


車は、マルコの不機嫌をお構いなく、そのまま順調に道を進み、やがて見てきた小さな城の門をくぐった。遠くからでも専用車はよくわかり、しかもこの特別の道路を取ってくるものは多くはない。門衛は、遠くにその姿を見つけると、車が通り抜けられるようあらかじめ門を開いておく。マルコは、待たされるのが嫌いだ…それは首相になってからますます酷くなった。門の前で車が減速でもしようものなら、運転手に怒鳴り散らさずにはいられない…


車はそのまま、水がめを抱える女神像の噴水を迂回して、広い玄関の前に止まった。いつものように、館の召使達が慇懃に出迎えて、マルコを奥の部屋へと誘導した。


晩餐のときは右手に折れて大広間へ…今日もただの晩餐であればよかったのに、とそちらへ視線を流す。どこから手に入れるのか、市場に出回らない食材がふんだんにテーブルにならび、ドレスを着込んだ貴族連中が、一晩中酒を飲んで騒ぐ…あの煌びやかな晩餐は、退屈だが、しかし、自分の慢心を満たすにはちょうどよかった。選挙を勝ち抜いて、ついに首相の座に着いたとき…秘密裏に行われた祝宴の晩が思い出された。彼らと同じ舞台にあがり、彼らと同じような特権に漬かる…自分の真の価値がようやく見出され、本来ある姿になったような感慨だった。

広間の方へ続く廊下の先に、ちらっとご婦人の姿が目に入った。若く美しいその娘は…公爵が妾に産ませた4番目の娘、ガブリエラだ。あ…と思って、顔を向けたが、ガブリエラは、ちらっと視線を送っただけで、ふいと向こうへ行ってしまった。ち… マルコは舌打ちする。お高く留まりやがって…失態続きの首相に、愛想を付かせたか。

まあ、いい。ここで終わるつもりは無い…この危機を乗り越えて、見事ルシスを黙らせれば…また晩餐が開かれるに違いない。そうすれば、あの女はすぐに態度を変えて、私の寝室まで付いてくる…。


今日のような秘密会議では、あまり広くは無いが、最奥の応接室に通される。マルコはにわかに思い出された欲情を振り払うように、きっと、目つきを鋭くして、廊下を進んだ。その廊下を歩くたびに、緊張感が高まった…。召使が、突き当りの厳かな扉を、ノックした。


「首相閣下がお見えでございます」


「ああ、お通ししろ」


中から、いつものように、陽気な貴族達の声が聞こえてきた。マルコが険しい顔で中に入ると、思ったとおり、みな、手にグラスを持って、ブランデーかワインで口を湿らせている。旧来の貴族の衣装をまとった男達は、まるで緊張感の無い様子で、椅子に座って談笑していたり、カウンターで酒を注ぎ足したりしている。


こんなときに… マルコは、苦々しい気持ちで、一番奥のほうでゆったりとしたソファに腰掛けている公爵に近づいた。すっかり髪のない頭に、今日も、貴族の大げさなカツラをつけていた。マルコにとってみれば、滑稽にしか見えないその古いカツラが、自分の光る頭をさらすより、威厳があると思っているらしい。


「どうした、酷い顔をして!」


公爵は、大げさに驚いて見せて、疲れきった友人を迎えるように両腕を広げた。隣に座っていた子爵の男は、さっと立ち上がって、マルコに席を譲る。しかし、マルコは、座る気になれずに、公爵の目の前に立った。


「そんな、つったってないで、座れ。ブランデーでも舐めたまえ。気持ちが落ち着くぞ?」


すぐに召使が、ブランデーのグラスをトレーに載せて近寄ったが、マルコは首を振った。


「結構だ…そんな気になれない。貴方もたまには街に入ってみたらどうだ…デモ隊がぞくぞくと集まって騒ぎたてている」


ははん、と公爵は鼻で笑って、ブランデーのグラスを傾ける。


「烏合の衆などほうっておけ…マルコ。それよりまずいことになったな...君にはあれほど、ニフルハイムへの進軍を急いで欲しいといったのに」


マルコは痛いところを付かれてぐっと、苦しい表情を浮かべた。遠巻きに二人の様子を見ている貴族達は、見物を決め込んで囁いたり笑ったりしていた。


「これでも、出来る限り急いだ…復興の目くらましがなければ市民もうるさい。闘技場の再開がちょうどよいタイミングだった。それに…外の様子がからわからなければ、うかうか軍を出せないと、軍の中枢が譲らず…」


「情けない…外が怖くて進軍できないとは! 飛んだ腰抜けどもだな。市民からごく潰しとやじられるのもわかる」


はははは と公爵が笑うと、周りの者も合せるように笑った。マルコはむっとして、


「しかし、シャンアールは抑えている」


と反論した。


「シャンアールがなんだ!」


公爵は突然激高して、手に持っていたグラスを床に投げつけた。年代物であったろう、鈍い紅色に輝いていたそのグラスは、無残にも粉々に砕けた。


「君がもたついている間に、我らの帝都が...魔高炉が、賊に奪われたと言うのに!…私の領土が、領地が、どこの馬の骨ともわからん奴らに奪われたんだぞ!!」


部屋はしんとした…それまで、いい気分で談笑していたやつらも、笑うのをやめて、じっと公爵の様子を伺った。召使は、顔色も変えずに、そそくさと掃除を始めた。


ふううう… 公爵は気を落ち着かせるために大きく深呼吸して、そして召使に手招きすると、新しいグラスを受け取り、一気にブランデーを飲み干す。マルコは、ここで引けばいい笑いものだと、公爵を睨み付け、


「和平会議など開催させるつもりはない」


と凄んだ。しかし、公爵は、期待はずれだといわんばかりに首を振った。


「君の…その腰の引けた軍隊で、ドンパチはじめようと言うのかね。やめておけ。これ以上、ルシスと他の勢力が結託する理由を与えるな」


「まさか…このまま、ケルカノで会議を開催させろと?」


「ほとほと君も愚かだな。そんなことをしてみろ。アコルドを差し置いて、どんどん勢力図が決まる。次に参加するときには、ルシスに仲介を頼む羽目になるぞ」


「では…」


と、マルコは、大量の汗をかきながら、驚いた目を向けた。去勢を張ろうとなんとか胸を張ってはいるが、その目はもはや縋るようでもある。


「オルティシエでの開催を宣言しろ。慇懃に客人を出迎えたまえ…ホストとしてな。会議の主導権を、あの青二才に握られるなよ」


マルコはハンカチを取り出すと、額をぬぐう…その間になんとか心を鎮めようとしていた。足元を見てやがる。この、帝国の亡霊たちめ…


「やはり、ひとつ頂こう」

と給仕に声をかけて、ブランデーの入ったグラスを受け取る。そして、ぐいっと飲み干した。相変わらず、金に糸目をつけぬ贅沢さだ…その高級な香りが、縮みかけたマルコの気持ちを振るい立たせた。私がいなければ、彼らはただの亡霊…彼らに力を与え、そしてその見返りを、私も受ける。十分な見返りを受けたとは、まだ言い難いではないか。

ここで引くなよ、マルコ!

マルコは余裕を取り戻した表情で親しげな笑みを浮かべ、

「なるほど、閣下のご提案恐れ入ります。もとより、あの青二才の提案はオルティシエでの開催でしたな。なるほど。会議の主導権を握るのにはふさわしい舞台だ。荒野の賊どもがルシスの青二才に肩入れしたところで、恐れることはあるまい。ここには…ニフルハイムの正統な統治権を持つ方々が揃っている。連盟の布告など、簡単に覆りましょう」

「そうとも!」


公爵は、満面の笑みを浮かべた。内心、自分が圧倒的な力で相手をねじ伏せた…その感覚にそれに酔いしれながら、しかし表向きは、親愛の情を浮かべる。おもむろに立ち上がり、優しげに腕を広げ、やや強張って友人の肩を抱いた。


「マルコ…君ならうまくやれる。これまでもそうだった。私も付いているし…それに、我々には皇帝陛下がいる」


その目が、不気味に微笑む。マルコは、辛うじてその目を見返したが、戸惑いつつ何かを問おうと口を開いた。


「しかし…本当に…」


ノンノン… 公爵は、それ以上の言葉を許さないように、その目を覗き込みながら、自分の唇に人差し指を当ててみせた。マルコは、ぐっと、言葉を飲み込んだ。公爵は、微笑んで、そっとその頬を撫でた。


「皇帝陛下のことは、我々に任せ給え。それよりも、身の回りを固めることだ。足元をすくわれるなよ。敵はハンター協会だけではない。軍の内部…政府の高官の中にも、裏切り者は潜んでいるはずだ。特に…あの、老婆を侮るな」

「カメリアは…自宅にはおりますが、私の監視下におります。ご心配なく」

公爵は、はああ、と大げさなため息をつき

「あしげくハンターたちが出入りをしていて、監視とは…」

と、頭を振った。それから、マルコの肩をぐっと掴むと、耳元に近寄った。ぐっと声を抑えて、囁きかけた…

「絶対に邪魔をさせてはならん…絶対にな。危険な芽は、確実に摘んで起きたまえ」

マルコは、耳元に公爵の熱い息を感じながら、ゴクリと唾を飲み込んだ。








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