Chapter 24.2-戸惑い-

あれ… とノクトは、バルコニーから外を覗きこんだ。まだ早い朝の光の中を、フィリアを先頭にして、テヨと、ブディと…そしてアラネアが後を追って歩いているのが見えた。


テヨたちがでかけるとは聞いたが、フィリアも一緒か。


「アラネアですか?」


賑やかな話し声が開け放した窓から聞こえてきて、ルーナも顔を上げた。シャンアール城の貴賓室の重厚なソファーにゆったりと腰かけ、テネブラエから持ち帰った写真を眺めているところだった。


「ああ…あいつら、出かけるみたいだな。フィリアも一緒だ」


「伯爵の姪御さんですね」


そうか…とノクトは思い出していた。初めに会ったときすでに、フィリアがノクトの正体に気付いているようだったのは…ノクトは腑に落ちると同時に、彼らの目的を理解していた。しかし、アラネアを同行させて大丈夫だろうか。一行は、フィリアが先導するように、城から伸びる小道を進んでいた。その先、城下町の外へと続く大きな道に、馬車が止まっているのが見える。遠出をするみたいだな…


「なんだか申し訳ないですね…昨日に引き続き、アラネアの相手をお願いしてしまって」


ルーナの声が少し沈んでいたので、ノクトは一行の行き先を気にしつつ、バルコニーから戻って部屋に入った。


「体調が悪い時は仕方がないだろ。まだ、顔色が悪いぞ」


ルーナは笑って見せて


「おおげさですよ。ちょっと疲れが出ただけでしょう…」


シャンアールへ到着した夜だ。ノクトがミハイルと晩餐の広間を出たその後で、ルーナが立ちくらみを起こした。と、言っても、聞いた話では、立ち上がった瞬間に少しふらついただけの話だ。ミハイルは、ワインのあたりが強すぎたのでは、と心配した。ルーナはちょっと疲れが出ただけ、と言いつつ、なんだかんだと、昨日は1日、部屋に篭って体を休めていた。元気そうに振舞おうとしても、食欲がないのは明らかで、ノクトもついつい心配になっていた。


「ミハイルが今日、医者をやるといってたな」


「本当に?」


ルーナは少し、叱るような目をしてノクトを見た。


「貴方があまり騒いでは、余計な心配をおかけしますよ」


「あっちのほうが心配して、手配してくれたんだ。ありがたく診てもらおう」


ノクトはソファの隣に腰掛けて、その顔を覗きこんだ。ルーナの言うとおり、昨日よりはいくらか顔色は良いように見える。今朝の食事も、昨日よりは手をつけている。シャンアールに来る前にテネブラエに寄ったりと、確かに疲れがでたのかもな…。ルーナは心配性の夫に微笑みかけて、その頬に手を触れた。ノクトはちょっとため息をついて、


「どうせ、あと何日足止めを食うかわからない…ちょうどいい機会だし、のんびりしよう」


と慰めを言った。内心、落ち着かないのを隠そうとしているが、ルーナにはお見通しだ。


「ノクティス…いずれ道は開きます。もう、オルティシエまで、目と鼻の先ですから」


そして、おまじないように口付けをする。実際、このまじないはよく効いた。ノクトはふっと、肩の力が抜けた気がして、ようやくいつものようにいたずらっぽく笑うと、ここぞとばかりに強く抱き寄せて濃厚な口付けをした。体調が悪くなければ、そのままベッドに連れて行ったのにな…頭の片隅でそんなことを思いながら。


後ろ髪を引かれつつ、ルーナを残して部屋を出ると、また、ため息が漏れる。アコルド軍の足止めを喰らってすでに3日。待機していた揚陸艇の2号機もろとも、離陸の許可が下りない・・・。各国要人の移送はハンター協会の活動範囲を超えているため、離陸の許可には別の審議がいる… それが、駐留軍を指揮するパーチェス大尉の説明だった。


ノクトは、自分の気を奮い立たせるように、首を振り、謁見の間を目指して廊下を進んだ。執事がすぐにノクトの姿に気がつき、謁見の間の重厚な扉を開けて、慇懃に頭を下げた。


「城主もすでにお待ちでございます」


「ああ…」


ノクトの声は暗かった。待ち受けていたミハイル・バンアールも、やはり浮かない顔をしている。


「まだ、動きは無いか…」


ノクトは落胆して、深くため息をつく。


「私の力不足です…自分の領地でありながら、他国の軍隊にこれほどまで横暴を許すとは、お恥ずかしい」


「いや…仕方ないさ」


ノクトは、ミハイルへの同情を浮かべつつ、その脳裏には、揚陸艇の脇にずらっと並んだアコルド軍の装甲車が思い浮かんでいた。


「民間人の移送であれば、ハンター協会の活動範囲だと…現時点で引き出した最大限の譲歩です。おそらく、両陛下以外の人員については、ケルカノまでの移送を認めるでしょう。いかがいたしますか」


うーん…とノクトは唸った。


「やはり…オレを足止めするのが目的なのか。しかし、アコルドが指定した和平会議の開催まで日もない…まさかこのまま、足止めを続ける気か?」


「そうも参りますまい。連盟の代表団も、間もなくこの地を目指して出発すると、連絡が入っております。パーチェス大尉の様子では…アコルドの内部で何か混乱が起きているやもしれませんな」


ノクトはしばし、考え込むように黙る。今頃、ルシスからは、すでにイグニスたちがオルティシエ入りしているはずだ。自分がいち早くアコルドに入って、和平会議の前にアコルド国内で働きかけるのを恐れているのだろうか…その程度のことならばいいが。


「アラネア隊と相談してくる。あっちは、あっちで任務もあるしな…」


「承知した」


ノクトは慌しく立ち上がって、謁見の間を出て行こうとしたが、出際になって思い出したように城主を振り返った。


「そういえば…ルーナのことだが…」


「ええ、もう、間もなく、お部屋の方へ医師が訪ねます。ご同席されますかな?」


「いや…戻ったら話を聞かせてもらえると助かる。何から何まですまない」


城主は、ひげを蓄えた口元に笑顔を浮かべて、ただ静かに頷いた。


ノクトは城主の部屋を出た。扉の前で頭を下げる執事にそっと会釈を返して、廊下を進む。古い石造りの階段まできて、階下を目指す・・・晩餐をやったあの大広間の2階まで出ると、今は閉ざされた広間の扉の前を通り過ぎて、玄関へと続く吹き抜けの中央階段へと出た。2階の踊り場から広い玄関が見渡せた。ノクトの外出を悟ってか、使用人と、領軍らしき男の姿が二人ほど玄関に控えて待っていた。ノクトが階段から降りてくるのを待ち受けるように、そっと頭を下げた。


「陛下・・・何かとご不便もありましょう。お供いたしますが」


と、領軍の兵士らしき男が慇懃に頭を下げた。


「いや・・・」


ノクトはやや戸惑いながら


「アコルド軍もまさか、攻撃はしまいさ。心配は無用だ」


と丁重に断る。兵士は、仰せのままに、と大人しく身を引いて、ノクトが出て行くのを見送った。


シャンアールの午前の日差しは、幾分、秋の様相をしていた。夏のしめったっ空気が、爽やかな空気に置き換わり、気持ちのよい風が吹き抜ける。ノクトは、澄んだ空を眺めながら、一人、崖下を目指して石段を降りる。石段から、眼下に広がる平地に、物々しい装甲車がひしめくように並んでいるのが見える。差し押さえられた揚陸艇の一号機は、空き地の西の端のほうに佇んでいるが、その周りをぐるっと、数台の装甲車が取り囲み、揚陸艇のすぐ傍にアコルドの兵士達が立ち並んでいるのも見えた。


ノクトは、重いため息をつきながら、足早に石段を降りる。降りたすぐ先に見える小さなプレハブの建物は、ハンター協会のシャンアールでの拠点となっていた。揚陸艇の2号機は、そのすぐ傍にある。こちらは、まだ、アラネア隊の管轄下にあるが…その隣にも、数台のアコルドの装甲車がずらっと並んでおり、にらみを利かせている。


ノクトが石段をおりきると、下にいたアコルド兵がすぐに気がついて、警戒するように体を向けた。ノクトは、まるで気にしない様子で彼らを無視して、まっすぐにプレハブへと足を向きかけたが、


「ノクトさん!!」


と声を駆けられて振り返った。見れば、揚陸艇の2号機の開口部から、ウェッジが緊張感のない顔を向けて、嬉しそうに手を振っていた。


「おう、そっちか」


ノクトはすぐに手を振り返して、2号機に向かって歩き出した。


開口部から中に入る・・・艦内はやけにがらんとして静かだ。貨物室には誰もおらず、ウェッジが手招きするのに従って操舵室に入る。中にいたのはヴィックス一人だった。


「静かだな・・・他の連中はどうした?」


「あんまり暇なんで、城下町の方へ行って、依頼を受けてますよ。あと・・・ええと、なんだっけ、ちょっと離れたところに集落が残っているっていうんで、そこまで遠征しているやつもいますね。プレハブにも何人かは残っているとは思いますが」


ウェッジは気楽な感じで答えていた。


「ノクトさん、何か動きはあったかい?」


ヴィックスはいつもの、抑揚のない低い声で聞いた。


「動きってほどではないがな。ミハイルがパーチェスに掛け合って、民間人だけの移送なら認めると言わせたんだが・・・どうする?」


ノクトは、ヴィックスとウェッジの二人の顔を見渡した。二人はお互いに顔を見合わせて、うーん、と唸った。


「こんな状況下で、ノクトさんを置いていったらね・・・そら、お嬢に叱られますよ」


ウェッジは、頭を搔いた。


「しかし・・・ブディやテヨも他に仕事があるしな。お前らだって、オレに付き合う以外にいろいろやることがあるだろう」


「ノクトさん」


ヴィックスの低い声が、割って入った。


「姐さんの指令は・・・第一義に、ノクトさんとルナフレーナ様をオルティシエまでお送りすることだ。これは譲れねぇ。なあに、こっちの不便なら、気にしないでください」


ヴィックスの低い声で迫られると・・・ノクトは、それ以上何も言えなかった。


「それに、これはただの時間稼ぎでしょう。いずれ、連盟の代表団も到着する。シャンアールの駐留軍だけでなんとなかなる規模じゃねぇ。ちょっとした嫌がらせじゃないですかね」


「・・・どうかな。その程度ならいいんだが」


ノクトは、自信なさげにため息をついた。


「まあ、この場にお嬢がいたら、パーチェス大尉なんて一喝でねじ伏せたかもしれないっすけどねェ」


と、ウェッジは笑った。


「そういや、アラネアは、ルシスに帰ったまんまだな。しばらくこっちには戻らなねぇのか」


ああ・・・とウェッジは、ヴィックスとちょっと目を合せて


「お嬢は、ゴカイニンですよ」


と答えた。ゴカイニン? ノクトは、すぐにその言葉の意味を飲み込めずに首をかしげた。


「コル将軍が本気で怒る声を、私もはじめて聞きましたねぇ…いやあ、いつも静かな人だから、お嬢もさすがに驚いたみたいで。あの様子じゃ、生まれるまでは国外には、出られないでしょう」


ははははは、とウェッジは、自分ひとり納得するように笑っている。その時になってようやく、ノクトは、"懐妊"という言葉を理解した。


「…懐妊?!」


ウェッジとヴィックスはもう一度顔を見合わせた。それから、ノクトが何も事情を把握していなかったとわかって、二人は声を上げて笑った。ヴィックスの、不自然な低い声が笑っているのを、ノクトは初めて聞いたかも知れない…。


「そう! オメデタですよ! ノクトさん! 驚いたでしょ?!」


がははははははは!


「私らだってそりゃ、大層驚きましたよ! あのお嬢が、食欲ないとかしばらく言い続けるもんですからね。まあ、ほら、いつまでも若いつもりでいるから、いよいよ歳じゃないかってみんな噂してたんですけどね。ミハイル殿が気を利かせて、医者をだしてくれたもんですから、しぶしぶ…それで診断が出たときには、もう、大うけでしたよ!」


ウケている場合か…と、ノクトはアラネア隊のノリがイマイチ理解が出来ないでいた。とても信じられない…


「…てことは、父親は…コル…なのか?」


ノクトは恐る恐る聞いた。あははははは! ウェッジが何が面白いのか笑い続けて、ノクトの肩を叩いていた。


「すいませんねぇ、ノクトさんの留守中に」


別に謝れる筋合いもないが… と重いつつ、なぜかショックを受けている。コル…あいつって今、いくつだっけ…? ふいに、先日の晩餐でミハイルがつぶやいた言葉を思い出した… 孫の顔が早く見たい…


ノクトは、なんだか落ち着かない気持ちになって、立ち上がった。


「ああ…それじゃあ、また、動きがあれば知らせるわ…」


あ、はい、お願いしますね! ウェッジはまだおかしそうに笑いながら、ノクトに向かって手を振っていた。


ノクトはなんだか呆然として、竜騎士アラネアと、コル将軍の間に生まれてくるという赤子のことを想像しようとしていた…が、うまくいかない。コルに…コルにこどもができる…いや、まるっきり違和感がある。あの巨体で、腕にちょこんと抱える、ちさな赤子…いやいやいや。


アラネアとコルがいい関係だと、確かプロンプトも言ってたっけ。しかし、いい関係であるのと、こどもができるのとでは雲泥の差だ…まったく、家庭とは縁の遠そうなあの二人。アラネアが結婚なんてよく承諾したな…結婚するのか…いや、もうしたんだろうか? 何か、祝いをしてやらないといけないだろうか…なんで、イグニスは何も言わなかったんだ…


ノクトはぐるぐると混乱しながら、駆け足で石段を登った。この長い階段を駆け上がると、さすがに途中で息が切れて、しばし立ち止まった。午後に近づくと、まだ、夏の暑さを感じる…じりじりと焼くような日差しを見上げて、ノクトは、気だるい息を吐いた。


ノクトが落ち着かない様子で、城内に入ると、玄関ホールに先ほどの使用人が待ち受けていた。


「すぐにお戻りになられて良かった!」


と、使用人の男はノクトの傍に駆け寄った。


「おう、どうした?」


「城主が、できましたらお部屋の方へと。ルーナ様も、多分…今なら、医師のバジャウッド様もご一緒かと」


え… とノクトは驚いて、何事かと不安がよぎった。使用人は、心した様子で、すぐに部屋まで先導した。使用人は、足早に…しかし、足音をさほど立てずにノクトたちの居室にしている階まで上がっていった。そのままノクトを連れて行ったのは、その階の突き当たりにある、客人用の広い応接室だった。


扉は半分開かれており、中から和やかに談笑している声が聞こえてきた。その声を聞いて、何か深刻な事態かと緊張していた気持ちが、少し揺らぐ。扉の隙間からは、小説や画集の並ぶ書棚、チェスやルーレット台といった、ちょっとした遊具が並んでいるの見えた。


「ノクティス陛下をお連れいたしました」


慌しく使用人は中に一歩はいると、簡単に声だけを駆けて、自分はさっと、後ろへ下がった。ノクトは、使用人と入れ違うようにして部屋に入る。


「よかった。すぐに戻られたみたいですな」


出迎えるミハイルの表情は明るかった。


「陛下、こちらが、バジャウッド先生です」


紹介されたのは、白衣の、白髪交じりの細い男で、いかにも医師らしい銀縁の丸めがねをかけている。人の良さそうな笑顔を向けて、さっと、椅子から立ち上がると、ノクトに握手を求めて手を差し出した。


「はじめまして、陛下。ハンター協会を通じて、アコルドから派遣されています、バジャウッドです。お目にかかれて光栄です」


「それは…妻が世話になった」


と、ノクトはその手を握り返した。ルーナも、あわせてソファから立ち上がり、改めて夫の隣に立って、頭を下げる。


「お噂はかねがね…今回の診断は、私からご説明することのほどもないかと思いますが、ね、奥様?」


と、笑ってルーナを見た。ルーナは、恥ずかしそうに頬を赤らめて、不思議そうにしているノクトの目を覗きこんだ。


「どうした?」


「それが…あの」


と珍しく口ごもって、徐にノクトの手を取ると、それをそっと自分の腹に当てた。


「こどもを授かりました…」


ノクトは、目を大きく見開いて、食い入るようにルーナの目を見た。ルーナはやや目を潤ませながら笑って、


「この歳で…よもや、子どもが望めるとは思わなかったので気がつかずに…注意が足りませんでした。申し訳ありません」


と、晩餐で少し飲酒したことをでも気にしているのだろうか。目を伏せる。はっはっは とバジャウッドは軽快に笑って


「なんの、ルナフレーナ様は十分にお若い。お体にも何も問題はありませんよ。そのご年齢で出産というのは、今は、珍しいことでもありません。必要以上に、心配されないことです」


ノクトは唖然として…さっき聞いたばかりのアラネアの懐妊と、この目の前の出来事が、ごっちゃまぜに脳裏を駆け巡り…呆けた様子でしばし立ち尽くす。


「陛下…落ち着いて、お座りになっては?」


ミハイルは笑って声を駆ける。ノクトは、恥ずかしそうに微笑みかけるルーナに誘われて、ようやくソファに腰を下ろした。


「思い出しますなぁ…イヴァンが母親の腹に舞い降りたときのことを。長い開いた待ち望んだことでしたので、随分と舞い上がりました」


ミハイルは、自分のことのように上気した様子だった。ノクトは、呆然と口を開いたまま、ただ、ルーナの顔を見入っている…


「ノクティス…大丈夫ですか?」


ルーナは、心配そうな顔をした。


「あ、え? ああ、も、もちろん…」


と言いつつ、明らかに動揺した様子で、ルーナの腹を思わずじっと見つめる。まだ、何のふくらみもわからないその腹に…こどもが宿っているとは、不思議な気分だ。


なぜだろうか…こどものことなど、これまでちっとも想像してこなかった。もちろん、できたときはできたとき、と軽く考えてはいたが、積極的に欲しいとも、まだ早いとも、なんにも想像せずに、ノクトはただ、ルーナが欲しいだけの気持ちで体を合せてきたのだ。それに、夫婦の間にも、こどものことは話題に出たこともなかった。


「これがエコーの写真ですよ、陛下。良ければ記念に」


と、バジャウッドが冗談みたいな、小さな紙切れをいくつかよこす。感熱紙に印刷された白黒の影は、宇宙人みたいな人影に、辛うじて、心臓を示す白抜きの影が見える。


「心音は確認できています。今、ちょうど3ヶ月目に入られた頃でしょう。安定期までには、もう少しありますが、今のところご心配はないかと」


「・・・安定期?」


写真をどう見たものかとくるくる回しながら、聴きなれない言葉に首をかしげる。


「さよう…ちょうど、5ヶ月過ぎると、流産の確率がさがり、無事出産される可能性が高いといわれております」


「…流産? しかし、ルーナは問題ないんだろ?」


バジャウッドは、しばしどう説明しようかと首をかしげていたが、ちょっと真面目な顔をして


「出産はいつでも命がけですよ、陛下。どんなに技術が進歩しても…最新の設備や技能を持ち合わせていても、100%を保障することが出来ません。無事に生まれるかは天のみぞ知るのです。時として・・・避けえないこともあります。でも…妊婦にとって一番いいのは、余計な心配はせずに、どっしりと構えていることです」


バジャウッドはルーナのほうを見て、安心させるように、ユーモラスに笑いかけた。ルーナは、気遣いに感謝するように笑い返した。


「では・・・立ちくらみは」


「妊娠中には、貧血にもなりやすいですし、血圧のコントロールも狂うことがあります。あまり心配なさらないよう。無理のない範囲で、いつもどおりお過ごしになればよろしい」


「そうか…」


安心していいのか、いけないのか、今ひとつわからない、と思いながら、一応頷いておく。


「そうですな、転倒にはお気をつけください。あとは、肉や魚にはよく火を通していただくこと・・・稀ですが、胎児に寄生する菌を持っていますので…では、私はそろそろ」


と、バジャウッドは立ち上がった。ノクトも、ルーナも・・・そして、城主のミハイルも見送るために立ち上がって、一緒に廊下へ出た。


「ああ、こちらで結構ですよ。どうぞ、お大事になさってください」


バジャウッドは廊下の先でちょっと頭を下げると、執事に先導されて階段を下りて行った。


「さて・・・ご昼食を間もなくお部屋の方へ準備いたします。昔から伝わる安産によいお料理を用意させておりますので」


ミハイルはまだ、興奮が冷めない様子で嬉しそうに微笑みかけると、自分も自室の方へ戻っていった。


ノクトはまだ、なんだかぼおっとして、ルーナに手を引かれるまま部屋へと戻った。しばらくの間、ソファに腰掛けては、じっと、さきほどの写真を見つめる。


「これは拡大写真ですから・・・まだ、実際には小指の先ほどでしかないようです」


と、ルーナは優しく説明する。ノクトは、あ、ああ・・・と、上の空だ。


「ノクティス・・・?」


ルーナは、その頬を両手で挟みこんで、いまだ呆然とする夫の顔を自分の方へと向けた。


「・・・驚きましたか? もっと・・・喜んでくれるかと」


と、ちょっと拗ねたような目を向ける。


「も、もちろん・・・嬉しいって。いや、突然だったから・・・」


そして、写真をテーブルにおいて、改めてルーナを抱き寄せた。額にキスをして、それから、恐る恐るその腹に手を触れる。・・・赤子の鼓動でも伝わるのではないかと、じっとしていた。


「そのうち・・・この腹が飛び出してくるのか」


「ふふ・・・そうですよ。イサ様がスイさんを身ごもっていらっしゃったとき、それはそれは、大きなお腹をされていました。破裂しそうだとシノが心配したほどで」


「そ、そうか・・・なんだか、信じられないな」


ルーナは笑った。


間もなく二人の食事が部屋へ運ばれてきた。ルーナはすっかりご機嫌で、朝よりも食欲があるように見えた。ノクトの方が、なぜか食事がのどを通らない。落ち着かない様子で、食事も早々に切り上げると


「やっぱり・・・もう一度、ミハイルに相談してこよう。場合によっては、パーチェスと直接話をしてくる」


と立ち上がった。


「ルーナは、ここから、ルシスに帰ったほうがいいだろ。そのほうが安心だ。ルシスへの帰国なら、アコルドもちゃちゃを入れないはずだ」


「ノクティス・・・落ち着いて」


ルーナは、ノクトの手を引いた。


「バジャウッド先生は、特に、和平会議への出席には支障がないだとおっしゃられています。何も心配はいりません」


「…しかし…今回の会議は、精神的にも様々な圧力を受けるだろうし…何かあってもすぐには帰国できないかもしれないぞ」


ルーナは微笑んで、その頬を何度も撫でた。


「私は大丈夫です…一人ルシスで待っているほうが、気持ちが落ち込みます。どうぞ、出席させてください」


「しかし…ルーナの身に何かあったら…」


「大丈夫です」


ルーナは強気に言い切った。ノクトは、言葉が返せない・・・ 女は結婚すると強くなる。子どもを身ごもればなおさらだ・・・そう言ったのはエドだったか。しかし・・・と、ノクトは、負けじと険しい顔を作りつつ、激しく首を振った。


「やっぱり・・・ダメだ。それは認められない。今はまだ安定した時期じゃないと・・・医者がそういってただろ。ルーナ一人の体じゃないんだ。それこそ、こどもに何かあったらどうする? 会議どころではなくなるぞ」


「ノクティス!」


と、ルーナは、夫の言葉を遮った。


「この子は大丈夫です。きっと、無事に生まれてきます…自分の体のことは、自分がよくわかっています。この和平会議は・・・私にも重要な会議です。この世界の未来を左右する場所になります。人任せにはできません。私にも、その役目があります」


神凪の覚悟の目をして、すごんだ。ノクトは、かっとして言い返した。


「こどもの命とどっちが大事だ?!」


ルーナは、信じられないような顔をしてノクトを見た。明らかにショックを受けて・・・そして、怒りと悲しみの混じった複雑な表情を見せた。ノクトは、しまった・・・と思いつつ、しかし、言葉にしようとすると・・・非難ばかりになりそうだった。こんなときに神凪の顔をするなんて。オレが出席するだけでは足りないというのか・・・


ノクトは首を振って、そっとルーナから離れた。


「ちょっと出てくる・・・悪い、オレも聞いたばかりで興奮してるんだ。だが・・・ルーナも少し一人で考えて、頭を冷やしてくれ」


ふいっと顔を背けたまま、部屋を出て行った。


城を出て、町の方へと出る・・・古い石畳の道を足早に進んだ・・・足元ばかりを見ていた。なんだ、この落ち着かない気持ち・・・よりによって、今日、あんな話をしなくてもいいのに。妊娠したことをルーナはあれほど喜んでいた。今日くらいは、無邪気に喜びあっているだけでよかったはずだ。後悔ばかりが、次から次へと浮かぶ。


いつの間にか、町の中央まで来たらしく、古い噴水のある円形の広場へでていた。地元の子ども達が、無邪気に笑いながら走り回り、ベンチには年寄り達が腰掛けておしゃべりに興じている。避難していた領民はすべて戻ったと聞いていた。闇の時代を乗り越え、そして、ケルカノへの旅も終えて、ようやく、シャンアールの地に、日常ののどかな時間が戻っていた。


ノクトは、小さなこどもと、その若い母親が、噴水の傍で遊んでいるのを見た。こどもは、ようやく歩き始めたばかりなのか、よちよちと危なげに左右に揺れながら、嬉しそうに母親に、拾った小石を見せている。


はああ、とため息をついて、近くのベンチに腰掛ける。ルーナだって、・・・初めての子どもじゃないか。不安はないのだろうか、と、思う。噴水の傍の母親は、危なっかしいわが子の歩みをにこにこと見ている。こどもは、母親にもう一方近づこうとして・・・転んだ。あ、と思ってノクトは驚いたが、母親は慌てる様子もなく、笑いながら近づいて、転んだ子どもの顔をのぞきこんでいた。小さなこどもは別に泣く様子もなく、よいしょ、とその体を起こすと、砂だらけの両手で、嬉しそうに母親の足元にしがみついた。


母は強し・・・か。


母親の記憶のないノクトにとっては、母親という存在は、不思議だ。多分、赤子の時分には、抱かれたり、乳をもらったりしたのだろうし、実際そういう写真も残っている。しかし、写真はどこまでも実感がなく、母親とはイメージだけの幻のような存在だ。


ルーナはその中でも・・・特に強い母親になるだろう。この情けない父に代わって、よほど強くこどもたちを守り抜くに違いない。それはわかっている・・・しかし、それは無事に生まれてこそ、だ。それこそ、まだ腹の中にいるわが子に、ノクトが出来ることは何もない。


ルーナはひかねぇだろうな・・・ノクトは、がっくりと頭を垂れた。なんだって、バジャウッドは、余計なことを言ったんだ・・・そんなことを言う前に、父親の意見も聞いてくれたらいいだろうに。あのアラネアだって、コルに強制送還されたんだぞ・・・


そうだ、とノクトは思いついた。バジャウッドからアラネアの話をしてもらうか。あるいは、イグニスか、誰かと話をさせれば、うまく説得できるかもしれない。武人のアラネアが帰国して、ルーナがこのまま和平会議に参加できるわけはない・・・誰しもそう思うはずだ。


ノクトは、それならうまくいく、とほっとして、ベンチから立ち上がった。


石畳の道を戻ろうとしたとき、通りの向こうから、大きなお腹をした女性が歩いてくるのが見えた。買い物帰りなのか手に大きな袋を二つも重そうに抱えている。ノクトは、驚いて、女性に駆け寄った。


「おい・・・無理をするな。手伝うぞ」


え? と女性は驚いた顔をしたが、すぐに笑って


「あら、いいの? じゃあ、ちょっとこの先なんだけど」


と、遠慮なく、二つの袋をノクトに手渡した。袋は、ジャガイモやら牛乳やらが入って、どっしりと重く、ノクトは驚いた。


「こんな荷物・・・なんで、ダンナに手伝わせないんだ」


ノクトは、腹を立てていたが、女性の方はからからと笑った。


「あっちは仕事中よ。お城で働かせてもらってるの。それに、こんな荷物、いつものことよ」


それから、ノクトの方を見て


「私は、エマよ。あなた、この土地の人じゃないわね? 城にきてるっていうお客さん?」


「ああ・・・そうだ。ノクトって呼んでくれ」


ノクトは、どきまぎしながら、名乗った。


「そう、ノクトさんね。ご親切にどうも」


エマは、ルシス王については特に知らないようだ。ノクトはほっとして、大きなお腹を抱えて、重そうに歩くエマの後に続いた。エマは、広場をつっきって、細い路地に進んだ。


「悪いわね・・・まだ、ちょっとあるんだけど、いいかしら」


「ああ」


両腕の荷物は、妊婦が持つとは思えないくらい重い・・・世の中に妊婦は、こんな荷物を平気で持って歩いているのか。エマは、えっちらおっちらとスイカを抱えるように不便そうに歩いて、通りに面している長屋のひとつ、開けはなたれたの戸の方へ進んだ。中から、賑やかな子どもの声が聞こえてくる。


「ここなのよ、どうもありがとう」


エマは、荷物を受け取ろうと手を差し出した。


「よかったら中まで運ぶわ」


ノクトは、その賑やかな声が気になって、言ってみた。あら、そう? エマは特に遠慮もなく、じゃあ、こっちまで・・・と、家の中に誘導した。狭い戸口をくぐる・・・途端に、狭い廊下に溢れかえるこどもたちの靴や、子どもの外遊び用のバケツやシャベルが見える。雨がっぱが壁にならび、傘は玄関の端のほうにつみあがって、床はおもちゃの車やぬいぐるみが散乱していた。


ママが帰っていたぞ! わあああ、 と騒がしい声が聞こえて、エマに続いて部屋に入って驚いた・・・ 狭いリビングには、こどもたちが…6人はいたろうか? まだ、よちよち歩きの小さな子の相手をしているのは、10歳くらいの女の子か。その脇で、男の子二人がちゃんばらをして遊んでいるのを、危ないでしょ! としかりつけている。お腹すいた! と騒ぎながら、母親に近づいてく女の子と、ママーと、泣きながら抱っこをせがむ、小さな男の子もいる。エマは泣いている男の子を抱っこしながら、


「ほら、お客さんでしょ!みんなちゃんと挨拶しなさい!」


と、母親に言われて、こどもたちはノクトの存在にようやく気がつき、ものめずらしそうに寄ってきた。


「悪いわねぇ、荷物、ここへ置いてくれる?」


荷物よりも重いそうな男の子を抱っこしながら、カウンター越しの台所へノクトを誘導する。ノクトは呆気に取られながら、買い物袋を、キッチンの上に置いた。


「助かったわ。ありがとう。もうすぐ、主人も帰ってくるけど、夕飯でも食べていく?」


わあああ 子ども達は珍しい客に群がりながら、ごはんたべていきなよー、と口々に言った。ノクトは、ぎょっとしながら、及び腰に廊下に戻りつつ


「いや・・・悪いな。オレも城でまだ仕事があるんだ」


と、そそくさと、エマの家を出た。エマはノクトの様子に笑って、キッチンの中から手を振っていた。こどもたちの何人かは通りまで出てきて、ノクトにくっついてきた。


「ねえ、おじさん、誰?」


「ああ・・・と、ルシスからきたハンターだよ」


とノクトはごまかしつつ、こどもたちを引き離すように足早に進んだが、こどもたちは物珍しそうに、結局、広場までくっついてきた。


「ほら、早く帰れ・・・もう夕方だぞ。お母さんを手伝ってやれ。お腹に赤ちゃんがいて、大変だろうが」


こどもたちは、えー? と文句を言いつつ、しかし、噴水までくると、そこで立ち止まってノクトに手を振った。どうやら、ここがこどもたちの出歩いていい境界線のようだ。ノクトは、ほっとして、手を振り返しながら、広場を後にした。


いや、あれはすげーな・・・ ノクトは、今、見てきた信じられないような光景を思い出す。あの雑念とした家の中・・・ごちゃごちゃと溢れかえるこどもたち・・・でかい腹を抱えて、なるほど、あんな荷物がなんでもないわけだ。


気がつくと、城下町に夕日が差し込み始めていた。ノクトは慌てて、城までの道を戻った。

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