Chapter 23.9-追憶-

真っ黒に閉ざされた古い建物の中で、長い間止まっていた時間が動き出した。静かに眠るようにして鎮座していた石像が、訪問者に反応してほのかに光をまとう。重い扉の外で、人が近づく気配がする。


ー扉、いけるか?


ーちょっとまて…


がたがたがた。扉を乱暴に揺する音が響いく。静止していた空気がかき乱され、ほこりが舞い上がった。


ー壊すしかありませんね…


申し訳なさそうな声が聞こえた。


ーまあ、まて。鍵がさび付いていなければ開けられるかもしれん


今度は、かちゃかちゃ、という小さな音が続く。


ーアカンテって、確かユハの故郷だよな


ーええ…彼も来たがっていたのですが、父が許さず…


ったく… とため息が聞こえる。


ーでも、アカンテまではさほどの距離もありません。いずれは


ーそうだな


ーおい…開くぞ


チャキンっ と小気味良い金属音が響いて、錆びかけていた仕掛けがまわった。重い扉が、いよいよ外へ開かれていく。光と共に、さっと入り込む新しい空気。石像は深呼吸するように、また、ほのかに光る。

3人の顔が中を覗きこんだ。


「あったな…」


ノクトは、すぐに、暗がりの奥に光るものを見つけた。


「ええ…」


テヨは、懐かしいものに出会うように微笑み、中に足を踏み入れた。ブディが、重い扉を完全に開けようと苦労していたので、それを手伝いながら、テヨの背中を見送る。その後姿は、いつもの神職のローブではなく、襟付きのシャツにスラックスという出で立ちで、父親に似ず、華奢な体つきが余計目立た。暗がりで見るとまるで、少年のようだ… これも彼が背負ってきたものの一部かもしれない、と、敬意を覚える。


二人の男が目いっぱい体重をかけて、扉はようやく口を開けきる。さすがに埃臭いな… ノクトは咳き込んだが、神棚の前で静かに祈りを捧げているテヨは、まったく意に介していない。長い間一人で待ち続けた石像は、テヨの祈りに呼応するように、静かに光ったり、暗くなったりを繰り返していた。


ブディと二人で入り口の辺りで佇みながら、テヨの祈りが終わるのを待った。


やがて、テヨが祈りを終え、石像を抱えて入り口まで戻ってきた。


「それでは…どこか、外で。まずは、周囲の石を取り除きませんと」


ブディが黙って石像を受け取って、どこか硬そうな岩場がないかと、歩き出したので、ノクトとテヨも後に続いた。


「あれがいいんじゃないか」


ノクトは、ちょっと先、村の中心を抜ける道の脇に目印のように、にょきっと頭を出している岩を指差した。ブディは頷いて、ひとり岩場に少し近づき、そして、右手に石像をしっかりつかんで振りかぶった。


石像は岩場に思い切り叩きつけられて割れた…もろい軽石の中から、光沢のある卵形のクリスタルが転がり出る。


ノクトは、ブディの思い切りがいいのに呆気にとられて


「乱暴だな…」


と呟く。ブディは、苦笑いしながら、クリスタルを拾い上げた。テヨは待ち受けて、用意していた皮袋の口をあけ、ブディがその中にクリスタルを入れる。皮袋の口は、きつく締められた。


「ほら」


ノクトはズボンのポケットに突っ込んでいた、破砕用の小さいハンマーをブディに渡す。


「平らな岩があるといいんだが…」


ブディがハンマーを受け取りながら辺りを見渡す。ど田舎の集落だ。近くに舗装された道路も見えなければコンクリートの建物もない。うーん、と唸りながら、3人は当てもなくふらふらと集落の中を進んだ。無人の集落の、木造の家々のほとんどは崩れ落ちており、道という道は、うっそうと茂る草木に侵食されている。3人は藪を抜けるようにして奥へと進んだ。


あれは… とテヨが、古井戸を見つける。石が詰みあがった円形の井戸だ。テヨはそのヘリに皮袋をのせて、お願いします、とブディの顔を見た。ブディは頷くと、袋の端を押さえながらハンマーを振り下ろした。


ガツン!


手ごたえはあるが、一度では形が崩れない。


ガツン!ガツン!


ブディは何度かハンマーを振り下ろした。数回の後に、…ボロっという鈍い音がして、皮袋の卵形のふくらみが凹んだ。3人はほっと、ため息をついた。


「もう少し、細かくしておくか…」


ブディは、念入りに大きな塊を確認しながら、ハンマーを当てていく。ごつごつごつ…クリスタルは一度砕けたあとは、まるで抵抗なく粉砕されていった。しばらくして皮袋は平らになった。


「もういいだろ…どうする? ついでだから、井戸にでも放り込んでいくか?」


ノクトが言うと、テヨは首を振って、丁重に皮袋を自分の小さなリュックにしまいこんだ。


「ここは深さがわかりませんし…オルティシエまで持っていき、海に撒きます」


「とりあえずは、任務完了だな」


ブディは、小さなハンマーをピストルのように器用に手の中で回し、自分のベルトに挟みこんだ。彼の腰ベルトには、彼の得物である本当の小銃も差し込まれているが、まるで2丁拳銃のように見える。ノクトは思わず見とれて、アラネアが見たら喜ぶだろうなぁ、と思う。思いがけず、仕事があっという間に片付いて、一同に気楽な雰囲気が漂っていた。


3人は、とりあえず藪の道をお堂まで戻ろうと引き返した。


「虫がいるなぁ…」


ノクトは、腕をかきながら、鬱陶しそうに呟いた。ブディも、自分の首の辺りを払いながら、


「これでようやく二つか…先が長いな」


とため息をつく。


「谷にある分は、もう処分したのか?」


テヨの方を覗きながら聞いた。


「ええ…神殿にあるもの以外は」


「キリクが持ち込んだやつも?」


ブディが、意味深に問いかけると、テヨは、何故だが可笑しそうに笑いながら、ええ、もちろん、と答えていた。


「神殿の処分は…最後になるでしょう」


「あれが一番厄介か」


ノクトは二人の会話を聞きながら、やはり、あの巨大なアーデンの像の中にクリスタルが眠っているんだろうかと、想像を巡らしていた。


「クリスタルもですが…建物自体も、純度は低いが結晶を含んでいます。建物ごと破壊する必要があるでしょう」


「しかし…歴史ある建物だろう。ちょっと気が引けるな…」


ノクトはさすがに驚いて聞いたが、テヨは真剣な顔をして、首を振った。


「あれを破壊しない限り、谷がいつまでも名無しの里になってしまいます。これも、大切な使命です。父が、方法を考えると言っていました」


ノクトは唖然として、珍しく頑ななテヨの横顔を見た。なるほど...その表情はあの父によく似ている。


お堂の前まで戻ってきて、誰ともなく、足を止める。お堂は、今はもう、ご神体を失っていたが、何事もなかったような顔をして、やはり村の中心に鎮座していた。この無人の集落を、あと少しの間、孤独に見守るのであろう。しかし、再び人が訪れるのはそう遠くはなさそうだし、もしかすると、再び人が住まう土地になるのかもしれない。


帰る前に、その扉をもう一度閉めないとな…と、ノクトは扉に近づこうとしたが、それよりも前に、テヨが一歩歩みでて


「あの…迎えがくるまでは、まだ時間がありますね?」


と、ノクトの方を振り返った。ああ、と言いながら腕時計を見る。


「まだ、ゆうに3時間はあるな…」


「では…少し、いいでしょうか。一人でお堂にいさせていただいて」


ノクトは、ブディの顔を見る。ブディは、別段驚いた様子も無く、ちらっと視線を返してきた。


「別にかまわねぇが、飯はどうする?」


「あとで頂きます。どうぞ、お二人は先に召し上がってください。用が済みましたら、合流地点まで参ります」


テヨは、軽く頭を下げると、そのままお堂の中に入った。さあ、行こう。ブディに促されて、ノクトはお堂を後にする。


「じゃあ、先に合流地点まで戻るか」


ブディは、話題を変えるかのように、言う。


「そうだな…あの空き地なら、虫が少なそうだし」


ノクトも賛成して、ブディの横に並んだ。二人は、2時間ほど前に通った道をそのままのんびりと戻った。今朝方チパシを発って、オルブビネの近くでテヨを拾って、そのままアカンテに来ていた。揚陸艇は、3人を降ろした後、テネブラエの宮殿に向かった。アカンテの仕事がこんなに手っ取り早く済むとは思っていなかったので、このあと揚陸艇が迎えに来るのは夕方近くなってからを予定していた。


こんなに簡単に済むなら、ルーナと一緒に宮殿を見て回りたかったな…ノクトは、宮殿の周囲で楽しそうにはしゃいでいるアラネアの姿なんかを思い浮かべる。

ブディはブディで、テヨが気になるのか、なにやら考え事をしているような様子で、遠くを見ている。二人は、しばらくの間、黙ったまま歩いていた。


道の先に、揚陸艇の着陸に使った、広い空き地が見えてきた。二人は、弁当を広げるのに良さそうな木陰を見つけて、その下に腰を下ろした。それぞれ、背負ってきた小さなリュックから、弁当の包みを取り出す。


「ありがたくいただくとしよう」


ルーナとアラネアの手作り弁当を、ブディは嬉しそうに開く。ノクトはちょっと誇らしげにその様子を眺めていた。広げたお弁当は、ぎっしりと惣菜とおにぎりが詰まっていた。アラネアが作ったのか、やや不格好なおにぎりも混じっているが、そのかわり、ごま塩でユーモラスな顔が描かれている。


「そういえば、キリクがクリスタルを持ち込んだって行ってたが…あいつ、どこの出身なんだ? 谷の外の人間なんだろ」


自分も弁当を広げながら何気なく問いかけると、ブディは、おにぎりを頬張りながら、上目遣いに考え込む。


「ノクトには話してなかったな…あいつは、帝都に近い集落にいたんだ」


ふうんと、唸りつつ、おにぎりにかぶりつく。


「そういえば、ニフルハイムの内地に詳しいとか、プロンプトが言ってたな」


ブディは、おにぎりを大きな一口でかじりついたばかりだったので、うんうんと頷きながら、しばらく口を動かしていた。


「あいつら…今頃、どの辺かな」


ノクトは、肉巻きをひとかけら詰まんで口に放り込みながら、呟いた。ブディは水筒の水を飲んで一息つくと


「本当に…プロンプトがついていってくれてよかった。あれは、ああ見えて、かなり危なっかしいんでね」


「見たまんまだろ」


ノクトは笑ったが、ブディは、顔をしかめて首を振った。それから、複雑な表情でため息をつくので、ノクトは不思議に思った。あの軽い奴に何かわけでもあるのか…


「キリクの集落は、闇が訪れた直後に全滅している。あいつ一人を残して…」


え… と、ノクトはかじりかけたおにぎりから、そっと口を離した。


「あいつの話では、その時、村の長にクリスタルを託された…村長は、どうやら、石像の秘密を知っていたらしいな」


「石像があれば集落は安全だったはずだろ…]


「帝国軍だよ。しかもな…特殊部隊か何か…今となっては確証もないが、クリスタルが目的だったのかもしれない」


ブディは、自分の辛い思い出でも話しように、しばし、表情をゆがめて、気をとりなすように弁当からおかずをつまんだ。ノクトも、静かにおにぎりを齧りながら、ブディの次の言葉を待っていた。ブディは、水筒の水を飲み、おかずを流し込むと、ほっとため息をついて、言葉を繋いだ。


「キリクは…ひとりバイクで逃げたんだ。当時、17くらいか。そのときは、オルブビネのことも、古い信仰についてもよく知らなかった。とにかく、近くの集落に逃げ延びて、転々としていたらしいが、ニフルの内地は戦場だ。追われるるように最後は、アコルドにたどり着いた。その道中でな、何度も危ない目にあったらしんだが…帝国兵の残党に取り囲まれたことがあったらしい。その時、クリスタルを隠しけれなくなって、飲み込んだ」


ええ?! ノクトは思わず、咳き込んで、米粒が足元に飛び散った。


「飲み込んだ?! あの、卵形のか?」


さっき見たものだって、男の手でようやくつかめる大きさだ。とても、少女の喉に通るとは思えない。下手すれば、窒息するだろう。


「飲んだんだ…それは間違いない。本人はすぐに排泄されると踏んでいたらしい。それが、排泄されなかった」


「どう…なって?」


「まあ、それが判明するのはやつが谷に着てからなんだが、それまで7年近く体内にとどめていたことになる。そのせいだろうな…その後の数年で10cmも背が伸びたなんて言ってたよ。一般的な女性では当に成長期が終わった頃だろう。これは俺の勝手な推測だが、あいつの体型が男性化したのもそのせいじゃないかと思うんだ。あいつのセクシュアリティのことを、勝手にしゃべると激怒するんでやめておくが…人格にも影響はあったかもしれないと、個人的には思ってるよ」


ノクトは、飄々としたキリクの顔を思い浮かべていた。全滅した集落から生き延びて…死闘を潜り抜けるために、クリスタルを飲み込んだ…どんな壮絶な体験だったのだろう。


「驚くのはまだ早いぞ」


ブディは、自分の弁当の中から最後のおにぎりを掴み、がぶっとかじりつくと、もったいぶるように、しばらく咀嚼していた。ノクトも、食べかけていたおにぎりの残りを口に放り込んだ。


ブディはまた水を飲んで、それを合図のように話を再開する。


「アコルドまで生き延びて3年くらいした後でな…あいつ、戻ったんだよ。自分の集落まで」


へ… ノクトはまた、開いた口が塞がらないようになった。ブディは、自分で語りながら自分も信じられないというように首を振って


「ほんと、どうやってたどり着いたんだが…もしや、生存者が居るかもしれないと思ったらしいが…」


「…いなかったのか」


「ああ…帝国軍は村を焼き払っていたらしい。そして、その誰も居なくなった村に、1年くらい留まった」


ノクトには、さっぱりわからない。ブディの顔を、訝しく見つめる。


「あいつもすぐにはぐらかすからな。どこまで本当なのかわからないが、言うとおりだとすれば…その一年の間に、村のすべての遺体を埋葬したんだ。たった一人で」


真っ暗な闇に閉ざされ、焼き払われた村…累々と積み重なる死体。それを、一人ずつ、一人で抱えて、深い穴へと落とす…。いったい、やつはどんな感情で? 想像しようとするが、何も思い浮かばなかった。うっすらと見えたのは、暗闇の中で無表情に穴を掘る誰かの影…。


「それから、村にわずかに残った手がかりから、古い信仰についても少し知ったようだな。そのあと数年かけて、同じような集落を探し回った…そして、最後に谷にたどり着いた」


ノクトは呆然と、手元を見つめる…


「それで、ニフルハイムの内地に詳しいのか…」


ブディは、いつの間にか最後となった弁当のおかずを、さっとつまんで口に入れると、空になった弁当箱を閉じた。気がついてみると、話を聞いていたはずのノクトの方が、食事が進んでいなかった。


「しかし、いいのか…そんな話をオレに聞かせて。プロンプトからは何も聞いていなかったし、あいつは嫌がるんじゃないか」


ブディは、え? と逆に驚いた顔をして


「もう、親戚みたいなもんだろ」


え!? と今度は、ノクトが驚いたので、ブディは笑った。


「随分前に二人で谷に行ったときに婚約したって聞いたが…もしかして、それも聞いていないのか?」


えええええ?! ノクトは思わず、ポロリと食べかけのおにぎりを落としてしまった。


「ちょ、ちょっとまて、それは聞いていない!」


「そうか…まあ、バタバタしてたからなぁ」と、ブディはのん気だった。


ノクトの頭は混乱して、ドキドキしている。まあ…ノクトと分かれてキリクにくっついていく、と言った時点で、それなりだとは思っていたが…しかし、これまで一言もないなんて!ノクトはむすっとして、もしかしたら、ルーナはルーナで、キリクから聞かされていたかもしれないと思った。だとすれば、自分ひとりが蚊帳の外か…ノクトは、がっくりと頭を垂れた。


「…くそっ。なんか…納得いかねぇな…」


はははは。 ブディは笑って、慰めるようにその肩に手を置く。


「お前さんの方が先に幸せになったんだろう。しかも、ルーナを目の前でかっさらったからな。祝福してやれよ」


ノクトは素直になれない自分が、ガキっぽいと思いつつ、


「じゃあ、なんだ。クリスタルは、まだ、体内にあんのか? そのうち、うんこになって出てくるんだろ?」


と、ぶっきらぼうに聞く。


「ーいや。谷にたどり着いてから調べてみたら、腸の辺りに癒着していた。本人は全然気にならなかったようだが…クヌギが…というより、ルーナが説得して、腹から摘出したんだ」


「摘出?」


ノクトが、また、ぽかんとしているんで、ブディは笑った。


「クヌギだよ。…彼は医者だ。それも、帝都の有名な医学部を出て、しばらく大学病院で執刀してた凄腕さ。ルーナにも手術の跡が残っているんじゃないのか」


… ノクトの頭が真っ白になる。なんだって? あのオヤジ…手術までしてルーナを救っておきながら、あんな話をしゃあしゃあと…


ノクトは、どうにも悔しさがこみ上げて、がっと、残りの弁当を掻き込んだ。ブディは、悪いことを言ったか? と、ちょっと頭をかいてその様子を見ていた。


その時、無線から音が聞こえてくる。ノクトは口いっぱいに食べ物を頬張ったために反応できず、ブディが、ノクトの背中から無線機を引っ張り出して応答する。


ーこちら1号機です。アカンテ調査班、応答願います。


ーああ、ブディだ。こっちの調査は終わって、飯を食ってたところだ


ノクトは憮然としながら食べ物を咀嚼し、通信を聞いている。


ーそれはよかった…これから、お迎えにあがります


ーん? 予定通り、帰りによってくれればいい。こっちは、適当にぶらぶらしてる


ーええ…でも、あの…


と通信士が口ごもり、誰かの話し声が聞こえて、


ーヴィックスだ。そこにノクトはいるか?


と声が変わった。ノクトは慌てて、食べ物を水で流し込むと、ブディから無線を受け取る。


ーおう。どうかしたのか?


ーいや。大したことはない。こちらも予定通り、宮殿周辺で待機中だ。周囲の安全は一通り確認している。だが…ルナフレーナ様が、先ほどお一人で宮殿に入られてな。ひとりで行くことを強く望まれたので、仕方なく、宮殿の前にひとり待機させている。念のため、無線も渡しているが…もう、2時間近く経つ。


そうか… ノクトは、なんとなくアラネア隊が不安そうにしているのを感じ取って


ーまあ、心配はないと思うが…余計に気を使わせたみたいで悪りぃな。そういうことなら、迎えに来てもらうか。そっちに合流しよう


ーそうしてもらえると、こちらも助かる


ノクトは通信をきった。さっきまでの話の衝撃も吹き飛んで、急な胸騒ぎを覚えた。


「迎えに来るって?」


「ああ…ルーナが、ひとりで宮殿に入って出てこないらしい」


「珍しいな…」


ブディも真面目な顔になった。


「テヨを呼んでこよう」


ブディはさっと立ち上がった。


「助かる、悪いな」


ノクトの声に、軽く手を振り返しながら、ブディはさっとお堂の方へ駆け出して行った。なかなか身軽だ…キリクだけじゃない。ブディも、あの闇の時代に、度々、谷とアコルドを行き来しながらハンターとして活躍していたというから、信じられない。今回の遠征では、ニフルハイム内地にハンター協会の拠点を作るための交渉に向かうことになっていた。


まったく、バケモンばかりだな…自分の生い立ちや、ここまでの死闘が…まるで霞むようだ。ノクトは、なぜか、自然と顔がにやけながら、弁当の残りを頬張った。


テネブラエの宮殿からアカンテの村まではさほどの距離もない。複雑な渓谷からなるこのあたりの土地は、徒歩ではかなりの道のりになるが、揚陸艇ではあっという間だ。案の定、テヨたちが戻る前に、揚陸艇の魔導エンジンの音が聞こえてきた。その音をテヨたちも耳にしたのだろう…間もなく息を切らせながら、空き地に飛び込んでくる二人の姿があった。


「お待たせしました…」


「いや、こっちこそ急に悪いな」


テヨが真っ赤な顔をして苦しそうに息をしていた。ノクトはすまなさそうに、その背中に手を当てて、揚陸艇の中へと促した。ブディも、テヨよりは余裕があるが、息があっている。ノクトは二人を貨物室に落ち着かせると、操舵室へ入った。そこにヴィックスの姿はなかった。


「ヴィックスはあっちか?」


「ええ、隊長は姫が心配なようで、残りましたよ」


操縦士は淡々と答える。


「じゃあ、いいですか? みなさん、乗り込みました?」


「ああ、頼むよ」


揚陸艇は、静かに上昇をして、さほどの高度も上げずに宮殿を目指した。至近距離で見る、テネブラエの渓谷…その植生がすっかり変わって、黒々とした植物に覆われているが、それでもなお、神秘的な雰囲気は変わっていない。あまりに複雑な地形のために、まるで空中庭園のようにみえる山々…渓谷のあちこちを流れる川や、突如として現れる細い滝が、柔らかい日差しの中で美しい情景を作っている。


「絶景だな…」


ブディは、モニター越しに辺りの風景に見とれながら、アカンテに来たときと同じことを呟いていた。


やがて、先に宮殿が見えてくる… 宮殿から橋が渡ったその先は、宮殿に付属した美しい庭園であったが、今は、雑然と植物が繁茂している。10年前はとても揚陸艇を下ろすのを躊躇われる美しい庭に、今回は、遠慮なく芝を踏みつけながら、揚陸艇が着陸した。


庭園の隅に、ルーナを気遣ったのか天蓋が建てられていた。折りたたみ式のテーブルや椅子が並べられ、とうに昼食の準備が済んでいたが、ルーナの姿も無ければ、珍しいことにアラネアの姿もない。主賓のいない食卓の周りで隊員達が弁当を食べて、くつろいでいた。ヴィックスは天蓋の近くに立っていたが、ノクトに向かって手を挙げ、近づいてくる。


「悪いな…どんな様子だ?」


「一時間…と言って、中に入られたんだが、それから2時間以上だ。外に待たせてる奴も気を使って、まだ無線では呼びかけていない…」


「ああ、いい。オレが迎えに行く。それよりアラネアは?」


ヴィックスは、口元だけ笑って、相変わらず低い声で


「タルコットが付いている…どこを連れまわされているかは知らないが」


と答えた。

ノクトは…引きつるような笑顔を浮かべて、あんまり静かだから遠くへ行ってるんじゃないかと、タルコットに同情しながら無線を取り出した。


ータルコット応答しろ。 ノクトだ。今どの辺に居るんだ?


しばらく応答が無くて不安になっていると...やっとノイズのようなものが入って


ーの、ノクティス様?! こちら、タルコットです。あ、あーちゃん、ちょっとまって、ノクティス様だよ!!


と言って、また通信が切れる。ノクトは、くくくく…と笑えない状況とわかりつつ笑ってしまう。


ーおい、大丈夫か? 誰か応援に行かせようか?


ーす、すいません!ちょっとお待ちを!!


ー昼飯だといえよ。それで大人しくなるぞ


また、通信が途切れた。ノクトは笑いながら、ヴィックスに首を振って見せて、それから、宮殿の方へ歩き出した。渓谷と渓谷を渡す大きな橋…その下は目もくらむような奈落だ。あまりに美しく…心奪われて谷に落ちる旅人がいると言われるほど。ノクトも、橋を渡り、周囲の景色に目を引かれつつ、しかし、タルコットの応答と、宮殿にまだ一人閉じこもるルーナを思うと、景色を楽しむ余裕もない。


ーた、タルコットです。これより、拠点に戻ります!


入ってきた通信の背後で、アラネアが、ご飯食べたら、またあっちまでいこーなー と気楽に言っているのが聞こえる。ノクトは、くくく、と笑いながらその通信を聞いていた。


まったく…夜には会談があるって言ったろうが。遅い昼をこれから食べて…そして準備が出来次第、シャンアールに向かう…着く頃には日が暮れるぞ。ああ、そこからが長いな…と、ノクトは急に現実に戻って、気が重くなりつつ、橋を渡りきって宮殿前の庭に出た。


宮殿の庭に面した入り口に、若い隊員の一人が不安げにうろうろしているのが見えた。時折、建物の中を覗き、そして、無線に呼びかけようとするが躊躇い…ノクトは気の毒に思いながら、その背中に声を駆けた。


「おう、お疲れさん」


隊員は驚いてノクトの方を振り向き、そして、明らかに安堵した様子で


「あ、あの…もう2時間ほど、中にいらっしゃいますので…」


としどろもどろに答えた。


「悪かったな、こんなところで待たせて。あとはオレがいるから大丈夫だ。昼飯まだだろ?先に戻ってくれ」


隊員は、嬉しそうな顔をして、ちょっと頭を下げると、そそくさと拠点に向かって橋を渡って行った。ノクトは、その姿を見送ってから、宮殿の、庭に向かって開かれた窓を見る。宮殿は、ぱっと見る感じでは大きな損傷はなさそうだ。確かに、建物の上の方が、火事でも起きたのか焦げたような跡があるが、しかし、低層部は、この庭に面する居室を見る限り、綺麗なままで残っている。ノクトは、開かれたガラス戸から、そっと中に足を踏み入れた。ルーナは、奥まった部屋にでもいるのだろうか。庭に面したこの居間には姿がない。


ノクトは…幼少の記憶をたどって、部屋の奥へと進む。廊下に沿って進むと、大きな中央階段に出る。ここで療養をしたとき、何度となく背負われて上り下りした階段が、埃を被りつつ、当時の風格を残していた。つり積もった埃に、小さな足跡が残っている…ノクトは、ルーナの足跡を追って、階段を上がった。


確か…3階部分だ。ノクトが療養中に居た部屋は。ルーナの部屋はそれより数階上だった気がするが…ノクトはどちらに向かうかと躊躇って、残された足跡を観察する。それは、3階部分で明らかにフロアに入り…そして、階段まで戻ってさらに階上を目指して階段を登っていた。


3階の廊下を覗きこんで耳を澄ましてみる…人の気配は感じられない。やはり、今は上に居るのだろう。ノクトは、初めて足を踏み入れる階上を目指して、なぜか、足音を忍ばせながら階段を上がった。


ルーナの足跡が、フロアの廊下の方へ踏み出したのは5階だ。それより上の階段には、跡がなく、塵が積もったままになっている。ノクトは、ルーナの足跡をたどるように5階の廊下へ進んだ…進んだ先の、どこがルーナの居室だろうか。ノクトは、なぜか、悪いことをしているようにドキドキとしながら、気配を消しつつその足跡を追っていた。


小さな足跡は、廊下を奥まで進んでいた。進むごとに塵は浅くなり、足跡も曖昧になった。ノクトは、気配に気を配りながら慎重に進む。しかし…心配をよそに、そこだけ開かれた部屋の扉が、右手に見えてくる…人の息遣いも感じられるようだった。ノクトは、ルーナの心の動きまで感じられるような気がして…自然と足が速くなる。扉に駆け寄るようにして部屋の中を覗き込む…手前は、見晴らしのいい大きな窓のついた応接室であったが、そこにルーナの姿はなかった。しかし、足跡は確実にこの部屋の中に入っていた。


「ルーナ…?」


ノクトは遠慮がちに呼びかけて、静かに部屋に入った。奥に、また扉が開いているのが見えた。ノクトは、そっと扉から顔を出した。ノクトが部屋の中を覗き込むのと、ルーナが、大きな天蓋つきのベッドに腰掛けて、ちょうど、ノクトの方を見上げるのとが同時であった。ルーナは、夢から覚めたような顔をして、しかし、ホッとした様子でノクトに笑いかけた。


「アカンテから…戻られたんですね」


「ああ…」


ノクトは余計なことは語らずに、静かにルーナの横に腰掛けた。ルーナは、手に何枚かの写真を持っていた。ノクトが覗いても、気にする様子は無い…あ、とノクトは声を上げていた。一番上に見えた写真には…優しげな少女ルーナと不安げな幼い自分が写っている。


同じ写真を…オレも王都から持ってきたな…その時なってノクトははじめて思い出す。ルーナは、その写真を大事そうに胸にうずめて、そして満足そうにノクトを見た。


「いろいろ思い出していたら時間が経ってしまって…すみません。ご心配をおかけしましたか?」


「いいや。ルーナの部屋に来るのは、はじめてだったからな…ちょっと興味があったんだ」


とノクトは、にやっと笑った。それから、言葉は要らない、とでも言うように、思わずルーナの頭を引き寄せて、口づけする。ルーナは、情熱的にそれに応じた…楽しい時間も、苦しい時間も、思い出されて深く味わいなおしていたのだろう。


「さ…もどろう。昼飯まだだろ。それに…タルコットがくたくたになってるぞ」


ノクトは…このままこのベッドに押し倒したい欲情をなんとか抑えながら、そう言い聞かせた。押し倒すには、あんまりに埃を被っていて、ベッドの表面が腐食している。そうでなければ、欲情に従っていたかもしれない。

ルーナはその心情を見透かすように笑って、ノクトの頬を撫でた。


「タルコットさんには申し訳ないことをしました…」


「これも、経験だろ」


ノクトは悪びれずに言う。ルーナは、叱るようにちょっと睨みつけて、ノクトの頬を優しくつねった。


「貴方は父親ですよ…」


ノクトは、うっ…と、その慣れない言葉を受け取りつつ、しかし、観念したように無線を取り出して


ーこちら、ノクトだ。これからルーナと拠点へ戻る。アラネアは帰ったか?


と問いかけた。


ーこちら、ヴィックスだ。タルコットとアラネアがこちらに向かってくるのが見えている…西側の斜面の上の方だがな


つづいて、ヴィックスの淡々とした声に被せるように…


ーこ、こちらタルコットです!もうすぐ着きます!すみません!!


ノクトは可笑しそうに、無邪気にルーナに笑いかけたが、ルーナの目は笑わずに、ノクトに何事かを訴えかけるので…ノクトは笑うのをやめてすぐに無線に答えた。


ータルコット…悪かったな。オレらもすぐに戻るわ


ルーナは、自分が待たせていたことも忘れたように、すっとベッドから立ち上がって、写真を右手に持ったまま、左手でノクトの手を引いた。


「また…ゆっくり来よう」


ルーナはにっこり笑って、夫の気遣いに答えるようにただ頷いた。無人となった宮殿は、久しぶりに帰還した女王を、変わらない威厳で出迎え…そして見送っているようだった。自分にも、少しは縁のある場所だが…きっと、ルーナには、もっともっと、苦しみも悲しみも…そして喜びも、この場所とあったに違いない。ノクトは、それらをゆっくり味わいと、後ろ髪を引かれつつ、ルーナの強く引く手に従って、宮殿を出た。


二人で連れ立って静かに橋を渡る。この、風光明媚な場所を、せめてゆっくりと楽しもうと手を繋いだが、間もなく向こう岸の庭園から賑やかな声が聞こえてきた。


ノクトー!! ルーナーー!! お腹すいたぞーーーーー!!!


ノクトとルーナは顔を見合わせて笑い、そして、諦めたように足を速めた。





















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