Chapter 23.2 -眠らない者-
ごごごごごご…
魔導エンジンの音が聞こえて、アラネアは、はっと顔を上げた。今度こそ、ノクトかも。チョコボの牧場のすぐ隣で、こどもたちが懸命に絵を描いているのを、レイと一緒に見て回っていた。この時間は先生なのに…でも…アラネアは、駆け出していきたい気持ちに揺れ動かされる。
あ…! と、子どもの一人が声を上げて、空を指さした。最近珍しくも無くなった揚陸艇が、いつものように西側の空き地へ向けて降下していく。
ほらほら…みんな、絵に集中して…
レイが困ったように声を駆けた。アラネアは、揚陸艇をじっと見つめる…あれば、つい昨日の夕方にチパシに来て、今朝、慌しく日の出と共に飛んでいった舟だ。前に乗せてもらったやつと同じ、前方にいかつい大砲がついている舟…アラネアは、たまらずに駆け出した。
「あーちゃん!」
レイが背中から、困ったように声を駆けたのが聞こえた。振り向かずにそのまま、西の空き地に降りるのに一番の近道…険しいがけの方を目指して森を突っ切る。森を抜けて崖に顔を突き出すと、揚陸艇はちょうど西の空き地に降り立ったところだった。
「ノクト!!」
アラネアは、カモシカのように崖の岩肌をぴょんぴょんと跳躍しながら、崖を降りた。多くの大人たちが揚陸艇を待ち受けているのが見える。かっこいい制服を着た警備隊の人たちもいる…
きっと、ノクトが帰ってきたんだ! アラネアは、ぱあっと顔を明るくしながら、崖を滑り落ちるように、空き地に降り立った。そして、揚陸艇を目指して、全速力で駆け出す。大人たちが行き交う騒がしい声が聞こえてくる…誰かが、揚陸艇から白い板に載せられて降りてくるのが見えた。その脇にいるのはプロンプトだ。
「プロンプト!!!」
アラネアは歓喜の声を上げて、その腹に飛び込む。
「あーちゃん!」
プロンプトも嬉しそうに受け止めて、ぎゅっと抱きしめた。アラネアは、すぐに担がれているのがキリクだと気がついて、興味津々とその顔を覗きこんだ。
「なんだ、これ? キリク、いいなー! あーちゃんも乗りたい!!」
キリクは、力なく笑った。
「バーカ。もうちょっと心配してくれないかなぁ…」
プロンプトも笑いながらアラネアの肩に手を置いた。
「キリクはケガしてるから特別なの。ほら、通してあげて」
アラネアは驚いて、お、おー…といいながら、脇に避けた。キリクは二人の人に担がれて、さっさと行ってしまった。プロンプトもその後を追いかけていった。アラネアは、慌ててプロンプトの背中を追いかけながら叫んだ。
「プロンプト!ねえ、ノクトは?!」
「ええと…ルーナ様とどこかに行っちゃったよ」
アラネアは、ぶすっとして、そのまま集落の方へ駆け出した。もう! いつもルーナばっかり!! 住宅の工事現場の傍を走りぬけ、難民キャンプの入り口から入って、顔見知りになった難民達が振り返ったり、手を振ったりするのをお構いなしに、そのまま、内地へ飛び込む。本通りは、揚陸艇の到着でいつになく騒がしい…警備隊の人が慌てていったりきたりしていた。アラネアは、人ごみを乱暴に掻き分けながら、本通りをすすみ、住宅地の方へ折れる小道に入った。そこで人はまばらになったが、近隣の住人が、路地にたむろして、さきほど到着した揚陸艇の噂をしていた。そのうちの何人かは、アラネアに気がついて声を駆けようとしたが、あまりにも素早くその前を通り過ぎたので、呆気に取られていた。
アラネアは、周囲に目もくれず、ノクトの家を目指す…小道の先に、こじんまりした古い家がみえてくる。玄関前のちょっとした植え込みに、今日も小さな花が揺れている…
「ノクトーーーー!!」
叫びながら乱暴に家の戸を開け、中に入る。居間はしん、と静まっていた。あれ… 人の気配がしないな、と思いながら、遠慮なくその奥の扉を開けて中に入る。台所も...お風呂場も、寝室にも誰も居なかった。
どこなの?!
アラネアはますます、むすっとして、もう一度通りに飛び出した。道をきたまんまに戻って、本部の建物まで息もつかずに一気に走りこむ。本部の建物に入ると、中では、忙しそうな大人たちでごった返していた。大人たちは早口に何かを言い合ったり、荷物を運んだりとせわしなく、誰もアラネアに気を払わない。アラネアはいらいらして、見たことがある警備隊の一人を見つけると、がしっと後ろから捕まえた。
「えええ? ええと、あーちゃんじゃないか、どうした?」
「ノクトは?」
うーん、と警備隊員は同僚と顔を見合わせて唸った。
「さっきので戻ったらしいけど、こっちには来てないよ」
「ゴダールさんのところじゃないか」
誰かが呟いたのを聞いて、アラネアは、ぱっと身を翻して本部の建物を飛び出した。本通りを抜けて、また、来た道を戻る…ノクトの家の前をそのまま通りすぎ、通りをさらに右手に折れて、緩やかな坂を駆け上がる。登りきった突き当りがゴダールの屋敷だ。古い石垣を回って、大きく開かれた門から中へ飛び込むと、畑仕事をしていた何人かが、アラネアに気がついて、あ、と声を上げた。アラネアはお構いなしに、そのまま、屋敷の玄関から中に飛び込んだ。
「のくとおおおおおお!!!」
アラネアが大きな声をあげる。すぐに、ゴダールの妻が現れて、その小さな体を抱きとめた。
「あーちゃん、どうしたの?」
「ノクト!ノクトは!!」
声を聞きつけて、奥の部屋からルーナも飛び出してきた。
「アラネアさん…」
「ルーナ! ノクトが戻ったぞ!」
ルーナは、疲れた顔に笑顔を浮かべて、アラネアの傍に腰をかがめた。
「ええ…ノクティスは戻りました。今、テヨ様とお話をするために通信機の方へでかけています。ここで、待ちましょうね」
アラネアは、え... と少し考えるようにして…しかし、ルーナの手を振り払って屋敷を飛び出した。
通信機って…風車のそばにあるやつだな
アラネアは、一目散に家々の合間を駆け抜けて、ゴダール家の裏側に回った。その先のあぜ道を通り抜ければ、塀が途切れて外地へ出られる。道なりに小道を進むと、はじめにルーナを見つけたあの丘にたどり着く… アラネアは、自分の中に何かが渦巻いているのを感じていた。なんで、ルーナと家で待っていられなかったんだろう? きっと、ノクトは大切な仕事があってあそこへ行ったのに...アラネアは、はっとして、自分が泣いているのに気がついた。
ノクト! ノクト! アラネアは心のうちに、その名前を何度も呼んでいる。
なぜかはわからない…でも、すぐに会いに行かなくちゃ。
辺りはいつのまにか、夕焼けに包まれていた。めがね橋を渡れば、風車の姿がもう見えてくる。風車の足元に人影が見える。
「のくとおおおおおおおお!!!」
アラネアは叫びながら、走り続けた…間もなく、倒れ伏した誰かと、それを覗き込むゴダールの姿が見えてきた。
「のくとおおおおおおおお!!!」
アラネアは、どきどきと胸がおかしく波打つのを感じながら、ゴダールの傍まで駆け寄った。苦渋の表情で地面の上に倒れているのは…やっぱり、ノクトだ。
「のくとおおおおお!!」
アラネアは、慌ててその体を揺すろうとする。ゴダールがそれを制した。
「落ち着け…気を失っただけだ」
おお…アラネアは静かに、跪いてノクトの顔を見る。なんでだ…とても苦しそうな表情で目を閉じている。
ー大丈夫ですか?
機械からテヨの声が聞こえてきた。
ー大丈夫だ。ノクトが気を失った…
ー余ほど体力を消耗しているはずです…そこにいるのは、アラネアさん?
ーそうだ
ゴダールは、マイクをアラネアの方へ向ける。
「テヨだぞ。何か話すか?」
おー
アラネアは不思議な顔を浮かべ、
ーアラネアだぞ! ノクトは苦しそうだ…
ーそうですね。とても、辛い戦いをされましたから…どうぞ、助けてあげてくださいね
ーおお!わかった!
ゴダールはアラネアの言葉を聴いて、ふふ、と笑うと、通信機に向かって、では、切るぞ、と声を駆けた。ええ、とテヨの声も応えた。ゴダールは通信機のスイッチを切り、それから、地面に倒れたノクトを、苦労して自分の背中に背負い込む。
「手伝おうか?」
「そうだな…屋敷まで先に行って、ノクトのベッドを用意するように伝えてくれ」
わかった! アラネアは、ぱっと走り出すと、そのまま全速力でゴダールの屋敷まで戻った。心配そうに、屋敷の前でうろうろしていたゴダールの妻が、その姿を認めて、慌てて両手を広げて、走ってくるアラネアを抱きとめる。
「よかった、あーちゃん!心配したよ!」
「おー!あのな、ノクトが倒れたから、ベッドを用意しろってゴダールが言ってたぞ」
えええ!! とゴダールの妻は驚いて、そして慌しく屋敷の中へ駆け込む。ノクトさんが倒れたって! 大声を上げながら、家の中を駆けて行く…何人かの男たちが、慌てて屋敷を飛び出して言った。アラネアは呆然とその様子を見てた。ルーナも心配そうに、奥の部屋から顔を出した。
「あ、そっちの部屋か?」
アラネアはルーナの元にぱっと駆け寄って、戸惑うルーナを押しのけて部屋の中に入った。
あれ… アラネアは驚く。アルミナが、静かに寝ている。しかし…髪の毛の色が銀色に変わっている。
「アルミナ…?」
「アラネアさん…だめです、ここに入っては」
ルーナはアラネアの肩にそっと手を触れた。
「さあ…部屋を出て」
アラネアは、納得いかない顔でルーナの手を振り払う。
「なんで…アルミナが寝てるんだ?」
ルーナは悲しそうに首を振った。
「…とても、たくさんの力を使ったんです。ノクティスが倒れたのと同じです」
アラネアは...知らないうちに大事なことが起こったのだと感じた。納得いかない気持ちが沸き起こって…唇を噛む。おかしい…ずっと、一緒だったのに。ノクティスも、アルミナも…一緒にいたはずなのに。
廊下の方が、騒がしくなる…ゴダールが到着したらしい。ルーナがはっとして、部屋を出て行った。アルミナもその後を追った。バタバタという人の足音…ルーナの背中を追いかけて、反対側の奥の部屋に飛び込む。大人たちがベッドにノクトをおろしているのが見えた。ルーナは心配そうに傍に駆け寄っていた。
「気を失っているだけだ」
ゴダールが言う。それから、慌しく人が入れ替わる…アラネアは、ノクトに近づこうとして、行き交う人々に邪魔される。肩をつかまれたり、頭を撫でられたり…
あーちゃん だめだよ、あーちゃん あっちへ行こう…
もう、何日も同じ言葉を聞いてきた…
「もうううううううううう!!!!!!!!!」
アラネアは突然大きな声を出した。牙をむき出して、野獣のように唸る。その音量に、周囲に居たものがはっと驚いて顔を向けた。
「うるさーーーーーーーーーーい!!!」
威嚇するように叫ぶ。ゴダールが急に怖い顔をして、ノクトのベッドを離れてアラネアに迫った。
「アラネア…!!」
ぐわっ とその襟首をつかみ上げたので、周囲の者たちは驚いて、ゴダールを止めようとした。
「今…お前にできることはない。役に立たない者は去れ…それが、ノクトのためだと、お前にもわかるな?」
アラネアは、きっ と、ゴダールの目を睨みつけたが、その手を払うと、ばっと、駆け出した。屋敷を飛び出して…もうすっかり暗くなった辺りを、構わず、外地へ出て行く。
うわあああああああああああああああ
アラネアは野獣のように呻きながら丘を登る。突如として、わずか数ヶ月前の…荒野の暗闇を思い出した。アラネアは、靴を脱ぎ捨てた。そして、目の前に見えた険しい崖を、むちゃくちゃに登り始める…
うわあああああああああああああああ
うめき声を上げながら、獣のように四肢を使って、その頂上まで登りつめた。崖を登りきると、荒野にぽっかりと浮かぶ月が見えた。なんだか、昨日までとは違う世界だ…昼間に聞こえた、あの大きな唸り声…あれが聞こえてから、世界が変わってしまったように思える。
ママ!ママ!
昼間に聞こえた唸り声を思い出していた。アラネアも、同じように声を上げたくなっていた。
ぐるううううううううああああああああ…
アラネアは、かつて母である野獣に呼びかけていた鳴き声を響かせる。アラネアの声は、荒野に響き渡ってしばらく反響していたが…しかし、応える声はなかった。
ぐるううううううううああああああああ…
答えを求めるように繰り返し、声を上げた。目に、涙が溜まっている。答えが無いとわかりながら、それでも声を上げる…昼間に聞いた声も、そんな悲しい声だった。
のくとおお、のくとおお
心のうちではその名を呼んでいる。しかし、声にはならない。また、言葉を失ってしまったんだろうか…ちょっと前に、太陽が昇って…そして、急に思い出した言葉を。まるで、自分の中に、次から次へと生まれてくる言葉に、アラネアは夢中になって…そして、勉強もしたのに。
今は言葉がでない。出そうとするのは、唸り声ばかりだ。体が中から熱い…アラネアは、先ほどゴダールにつかまれた襟首を、強引に引き裂いた。体が窮屈で苦しかった…
あーちゃん! アラネアちゃん!
背後から声がして振り返る。アラネアを探しに来たのだろう…小さな光がうろうろと、こちらへ上がってくるのが見えた。
アラネアは、真っ暗な崖に向かって跳躍した。
うわああああああああああああ!!!!
驚いた人の叫び声が後ろで聞こえた気がするが、構わない…そのまま、時折、暗い岩影に足を突きながら、一気に奈落まで駆け下りる。アラネアの目は、闇夜の中に光り、ひとつひとつの岩肌の形を正確に捉えていた。
「お、女の子が、崖から飛び降りた!!」
血相を抱えた男達がゴダールの屋敷に戻ってきた。え?! ゴダールの妻を含めて、大人たちはみな、真っ青になる。聞きつけたルーナも、青い顔で廊下へ飛びだしてくる。キリクが運び込まれていた部屋から、プロンプトが大慌てで飛び出してきたもほぼ同時だった。
「あーちゃんが、どうしました?!」
「と、飛び降りた!あの、北東の崖だよ!」
ゴダールも、上の階から降りてきた。いつもの動じない様子ではあったものの、額には汗をかいていた。
「飛び降りた…」
顔をしかめながら、アラネアを探しに出ていた者たちに迫る。
「ま、まって!あの、みなさん、落ち着いて!!」
プロンプトが、ゴダールの前に割って入った。
「あの、あの子は…普通じゃないんです。身体能力が野獣並なので…荒野で生き抜いてきた野生児なんです。だから、きっと大丈夫…身投げなんかしません。崖を登ったり降りたりは得意だし…夜でも目が利きます」
ほんとうか?! 周囲に居たものたちはみな、驚いて、とても信じられないという顔をして見せた。
「じゃあ、どうしますか…崖下まで捜索に…」
男達が言うのを、ゴダールは首を振った。
「夜の捜索は危険だ。逆にこっちが巻き込まれる…そういうことであれば、日の出を待とう」
「で、でも…しかし、こどもですよ。外に野獣もいますし…」
ゴダールはがんとして、首を縦にふらなかった。
「二次災害の方が恐ろしい。自分で飛び出して行った…仕方がない。巻き込まれて犠牲を出すわけにはいかない」
男達は戸惑いながらも黙り…ルーナも、苦しそうな顔をして俯いた。そこへ、ゴダールの妻が、きっ と睨むような目をして、夫の前に歩み出た。そして
ぱんっ!!
と、その頬を平手打ちした。周りにいたものは呆気に取られて、それを見ていた。ゴダールは、驚いたように目を閉じていた。よほどの武人でもなければ、ダメージを与えられないと思われた剣士は…ひどく堪えた顔をして、恐る恐る瞼を開くと、目の前に立ちふさがる妻を見た。
「超人でもなんでも…あの子はこどもだよ! それを、追い詰めたのはあんたでしょうが!! 誰がこの暗闇にこどもを放っておくかね! あんたが行かないというなら私が探しに行くよ!!」
ゴダールの妻の剣幕は、周囲の男達をだらしなく黙らせた。
「あ…そ、それなら、オレ行きますから!」
プロンプトは、ゴダールを庇うように言う。
「オレ…保護者みたいなもんですから。きっと、あーちゃんも、オレが迎えに行ったら出てきてくれると思うので」
けれども、夫婦はまるでプロンプトの声など聞こえていないように、じっと見つめ合っている…ゴダールが、ふううと、ため息をついて、根負けしたように頭を下げた。
「俺の責任だな…間違いはない。俺とプロンプトならヘマはしまい…二人で捜索してこよう。他の者はご苦労だった…今日はもう休んでくれ」
それで、ようやく落着して、他の者たちはばらばらと、自分の家に戻ったり、居室に引き上げたりしていた。ゴダールの妻は、睨みつけたまま、頼んだわよ… と夫に言い残すと、不安そうな顔をして立ち尽くしていたルーナを促して、奥の居間の方へと連れて行った。
アラネアは、谷底に降り立って辺りを見合わした。あ! と驚いたのは、壊れた魔導兵がたくさん転がっていたことだ。はじめは、身構えたものの…みな、目の光も失って動かないのがわかると、なーんだ、と呟きながら、バラバラになった腕を持ち上げたり、転がっていた武器を手に取ったりしてみた。
ここは魔導兵のお墓なのかな… あまりにも、同じ場所に固まっているのが不思議になる。魔導兵たちは、叩きつけられたように四肢がばらばらになっており、顔や胴体がひしゃげていた。
お墓を作るにも…岩だらけで穴が掘りにくいな、と思って、アラネアは諦めた。谷底にくると、月は、崖の向こうに隠れてしまい…あたりは真っ暗だった。草も生えていないし…獣の気配もない。
お腹すいたな…何か、歩いてないかな… うろうろと谷底を這いながら、鼻を利かせる。長らく、使っていなかった感覚が蘇ってきた…すぐに感じたのは、ちょっと先をながれる小さな水の匂い。ちょろちょろちょろ…川というのにはあまりに小さすぎる。アラネアは、匂いに引かれて谷を四つんばいで進みながら、やがて崖の土の合間から一筋の水の流れを見つけた…のどの渇きを感じて、岩に口をつけてなめた。懐かしい土の味がした。
あーちゃん!!どこー!
はるか頭上で、プロンプトの声がして、アラネアははっと、顔を上げた。迎えに来てくれたんだ! という嬉しい気持ちが沸き起こる。途端に、アラネアは人間らしく2本の足で立ち上がった。
アラネア! 返事をしろ!
しかし、すぐにプロンプトとは違う、低い声が聞こえてきた。この声…ゴダールか。アラネアは、ぎりっ と歯軋りをすると、声の方を睨みつけて身構えた。そして、警戒するように声の方へ体を向けながら、じりじりと、後方へ下がって行った…
つかれ切ったゴダールとプロンプトが屋敷に戻ったのは、深夜を回っていた。
「谷まで降りてみたんだけど、ダメだった…暗くて痕跡はわからないし」
プロンプトが息を切らせながら説明すると、ルーナとゴダールの妻は、お互いの顔を不安げに見やった。屋敷の多くの者たちは寝静まっていて、廊下は静かだった。
「少なくとも、飛び降りて死んでいたわけじゃない。どこかに移動しているんだ…明日の日の出からまた捜索する」
ゴダールは、険しい顔をしつつ、これで十分だろうというように、妻に外套を押し付けて階段を上がって行った。
言葉通り、日の出とともに、ゴダールとプロンプトは捜索を再開した。崖へ向かう途中の荒地に、アラネアの靴を見つけるものの…はだしで移動しているらしい野生児の痕跡を見つけるのは困難を極めた。日が高くなって10時ごろに一度、朝食を取りに屋敷へ戻った。屋敷のダイニングで二人で遅い食事を取っていると…無線で連絡が飛び込んでくる。
ー西の小川で、水を飲みに来たアラネアが目撃されました…しかし、すぐに荒野の方へ逃げてしまったみたいで…
住宅建築を盛んにしている工事現場の傍に、チパシの水源から支流が流れている…昨夜、アラネアを見失った北東の崖とは、集落を挟んで真逆の場所だった。ゴダールとプロンプトは顔を見合わせて、頭を抱えた。相手の身体能力が、自分達の想像を超えていることを思い知らされた。
「腹が減ったら、帰ってくるんじゃないのか…」
ゴダールは、うんざりとした様子で呟いた。
「いや…もしかすると、その辺で、虫だの、蛇だのを食べているかも…」
プロンプトは、シャンアールまでの道中でアラネアが狩をした様子を思い出していた。二人は、朝食を終えると、仕方なく、目撃された西の小川に向かった。警備隊が目撃者である建築作業員を引き合わせてくれた。この作業員は難民の一人だ…アラネアなら、難民の子ども達の学校でなんども目にしており、見間違えることはない。
「アラネアちゃんだと思うんだけどね…」
男は自信なさげに言った。
「でも…獣みたいに川に頭をつっこんで水を飲んでいるからさ…一瞬、驚いちまって…犬かなにかって思ったんだけど…はだしだったし...服がもうぼろぼろに破けててさ…ちょっと目がおかしかったよな」
プロンプトは、聞きながら重いため息をつく。言い表されたその様相が、自分がまさに、ガーディナでアラネアを見出したときの印象に似ていたからだ。
あーちゃん…
「とりあえず、元気そうだったんだな」
ゴダールは淡々と聞いた。
「え? まあ…弱ってる感じには見えなかったですが…」
目撃者は戸惑って答えた。その午後、プロンプトとゴダールは、念のため目撃された周辺地域を捜索したのだが…やはり、その姿を見つけることはできなかった。傾き始めた日差しの中で、二人はお互いに疲労を認めながら、ため息をついていた。
ーゴダールさん、応答願います
無線が鳴り響いて、二人は顔を見合わせた。また、どこぞに目撃証言でもあったのだろうか…
ーゴダールだ。どうした?
ーこちら、本部です。今しがたお屋敷の方から連絡が…アルミナさんの意識が戻ったそうです
あ… ゴダールは目を見開いて…それから、ほっとため息をつくと
ーわかった。すぐに屋敷の方へ戻る
と答えた。ゴダールは、余ほど気が焦るのだろう…プロンプトを置いていくような勢いで、屋敷への帰り道を急いでいた。プロンプトは声がかけづらく、なんとかその背中においていかれないようにと駆け足についていった。屋敷は、また、騒がしい様相をして、人々が行き交っていたが、嬉泣きに抱き合うものの姿も見えた。ゴダールが奥の部屋まで入って行くのを見届けて、プロンプトはキリクの部屋へと戻った。
「アルミナ…」
ゴダールのその顔に、図らずしも笑顔が浮かぶ。アルミナは、ルーナや、ゴダールの妻に囲まれるようにして、ベッドに身を起こしていた。痛々しい傷跡や、すっかり色の抜けた髪ではあるものの、その表情は元気そうに、いつもの不機嫌な様子を見せていた。
「アラネアは見付かった?」
アルミナは叔父の心配など意に介さない様子で、淡々と聞く。ゴダールは、ちょっと困った顔をして、首を横に振る。
「いや…それが苦戦していてな。あっちの方が上手(うわて)だ。荒野の追跡はまったく歯が立たない」
アルミナは、ふーん、とさほど興味の無いように頷いている。
「体はいいのか…まったく、父も兄も無視しおって…」
少しは叔父らしく威厳を見せようとしたが、そこはゴダールの妻が、また、けん制した目を向けたので、仕方なく口をつぐむ。アルミナは、だるそうにしながら、今は叔父を気にした様子も無くルーナに話しかけていた。
「ノクトも、すぐに目を覚ますよ…」
ルーナは、感謝を示すように、そっと笑い返していた。
その日は、そのままアラネアの捜索は打ち切られた。つかれ切ったゴダールとプロンプトの様子を見て、ゴダールの妻もそれ以上は強く言わなかった。しかし、日が暮れてから、再び、獣の遠吠えがチパシに響き渡った…西の高台の方からだ。事情を知らないものたちは、何か凶暴な獣が生息しているのではと恐れたが、アラネアの失踪を知るものたちは、その寂しげな響きに耳を傾けていた。
まさか…このまま、戻ってこないつもりなの…
プロンプトは、苦しそうな表情を浮かべて、キリクの病室でその遠吠えを聞いていた。
「ノクトが目を覚ましたらさぁ、迎えに行かせればいいじゃないの」
キリクは、プロンプトの泣きそうな頬をそっと撫でてやった。
その夜更け。ルーナは、ノクトが眠る部屋の、ソファに体を横たえながら…再び、悲しそうな咆哮が集落に響くのを聞いた。眠りかけていたところを、はっとして目を開ける。ノクトの眠るベッドの向こう、月の光が差し込む窓にそっと近寄った。もっとよく聞こえるかしら…窓を上に引き上げてみる。冷たい外気がさっと中に入り込んだ…日が沈むと、外はよく冷える。こんな荒野に、アラネアはひとりでどうやって寝ているんだろう…ルーナの胸が苦しくなって、無駄と知りながらも、窓の外に目を凝らしてしまう。
ひとりで…寒い夜に身を丸めているアラネアの姿が、目に見えるようだった。
ああ…戻ってきて。ノクティスのところへ…
ルーナは祈る気持ちで、いつまでも外を眺めていた。
再び、ソファに身を横たえたのは、いつだろうか…なかなか寝付くことができずに、浅い眠り中で、なんども、ノクトや、アラネアの顔が交互に浮かんでいた。ノクトがチパシを離れて、不安に感じていたのは自分だけではなかったのに…なぜ、気がついてあげられなかったんだろう。ルーナの目に、涙が滲む。そして、明日こそノクティスが目覚めますように…と祈る…。
とんとん、と遠慮がちなノックで、ルーナは目をあけた。窓の外は…まだ、薄暗い。ようやく日が昇るころだろうか。ルーナは、体を起こした。ノクティスは、静かにベッドに横たわったままだった。しかし、その顔は穏やかで、呼吸も静かだ…。ルーナは、そっと、眠り続いている夫の頬に手を触れて、やさしく口付けをすると、手早く着替えをして部屋の戸を開けた。
立っていたのはゴダールの妻だ。いつものように、二人で早くでていく者達のために、台所に立つ。
「ちゃんと眠れたの?」
ゴダールの妻は、毎日のように同じ問いをルーナにする。ルーナは、にこっと笑い返す。
「ええ…おかげさまで」
「ダメよ…もう3日目でしょ。あんまり根をつめては、ノクティスさんが目覚める前に倒れてしまいますよ。今日は、私に任せて…一度家の方へお戻りなさい」
ルーナは、ちょっと俯いた。ありがたい申し出ではあるが…やはり、ノクトの傍を離れたくないという気持ちが強かった。
「ありがとうございます…でも、今日はまだ…」
ゴダールの妻は、微笑んで、それ以上強くは言わなかった。屋敷の広々とした台所へ入ると、他にも使用人の女性達が集まって、せわしなく朝食の準備にかかっていた。
「今日は…午後にはエドもハルマさんも戻る予定だから…夜はご馳走にしましょうかね」
夫人はご機嫌に厨房に声を駆ける。女性達は、笑ってそれに答えた。沈んでいた一同の雰囲気が、少しは明るくなっていたようだった。
「あの…ダンナ様は今日も早くからお出かけで?」
女中の一人が遠慮がちに聞いた。
「ええ、もちろん。今日はアラネアちゃんのお弁当を持たせないと…どこかにおいてきてもらいましょう」
女中は笑顔で頷いて、朝食と、アラネアの弁当の準備に取り掛かった。その様子を見て、ルーナも感謝でいっぱいになりつつ、女中に混じって、料理の支度に取り掛かった。
「プロンプトさんにも本当に迷惑をかけてしまって…」
ルーナは、申し訳なさそうに呟く。
「アラネアちゃんは、ノクトさんとプロンプトさんが連れてきたんでしょう?」
ゴダールの妻は、不思議そうにルーナの顔を覗きこんだ。
「ええ…でも…アラネアさんは、特にノクティスの方に懐いていますから…」
ルーナの脳裏に、遠慮がちに玄関を覗き込むアラネアの顔が思い浮かんだ。ノクト、いるかな…? とちょっと恥ずかしそうに問うのだ。ごめんなさいね…出かけているの、と答えることが多かった気がする。アラネアはその度に、一瞬だけ、寂しそうな顔をして、しかし、気がつくといつもの元気な声が聞こえた。
じゃあ、またね!
そうなのよね、不思議よねぇ…とゴダールの妻は首をかしげていた。
「プロンプトさんの方が…こども好きに見えるけどねぇ。どっちかというと、あーちゃんは、ノクトさんの方が好きみたいよねぇ」
ルーナは苦笑した。
料理の支度が進んで、朝早く出かけるもの立ちのためのお膳が整った。ルーナは、ゴダールの分の料理をまずお盆に載せると、今は、屋敷に住まう人たちの食堂のように使われている広いダイニングルームへ運び出す…廊下を進み、ノクトの眠る部屋を通り過ぎて、その一番奥の突き当たりだ。ダイニングルームの大きなテーブルは、まだ、誰もいなくて、ルーナはその主賓席に食事を置いた。ゴダールは、もう、間もなく現れるだろう。
すぐにプロンプトさんの分も運ばなければ、と思ってルーナはお盆を手に、廊下を戻る。足早に通り過ぎようとしたが、夫が眠る部屋から、苦しそうなうめき声が聞こえた気がして、ルーナは、はっと足を止めた。慌しくその扉を開けて中に入る...閉めてあったはずの窓が大きく開け放たれて、部屋の戸をあけた途端に、風がなだれ込んだ。激しくはためくカーテンの合間から朝日が差し込んで、ベッドを照らしていた。ノクトが少し顔をしかめているのが見えた…その脇に犬のように体を丸めながら、寄り添って眠っているアラネアの姿があった。
あ… ルーナは、戸を開け放したまま、お盆を入り口においた。驚かさないように静かにベッドに歩み寄る。アラネアは…泥まみれの足を折りたたむようにして、体を丸め、そして、その両手は、ノクトの胸にしがみ付いていた。すっかりぼさぼさになった髪の毛のなかから、安堵したような表情でぐっすりと眠っているのが見えた。その瞼の下に、涙が溜まっている…見ていたルーナの目にも、いつの間にか涙が溜まっていた。
はっと、気配を感じて、後ろを振り返る…ゴダールが、考え込むような様子で、部屋の中を覗き込んでいた。
「ゴダール様…どうぞ、このまま…」
ルーナは、涙を流しながら静かに首を振って見せた。ゴダールは、ちょっと目を伏せて答えてから、足音も立てずに食堂の方へ去って行く。
ルーナは、部屋の戸を静かに閉めた。それから、ベッドにもう一度近づいて、眠る二人の姿を眺めた。胸のうちに込みあがるものを感じて、ルーナは、二人を抱きかかえるようにそっと覆いかぶさった。静かな二人の呼吸が、すぐ耳元に聞こえた。
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