Chapter 22.3 -和平交渉-

「おい、起きろ。すぐにファグナ領に入るぞ」


ノクトは声を駆けられて、びくっと体を振るわした。


「わりぃ、寝込んじまったか…」


目を開けると、硬い表情をしたハルマが、じっと操舵室のモニターを眺めているのが見えた。


「いいさ、昨日も遅かったし…今朝も早朝にたたき起こされたんだろ?」


「ああ…谷に、ルシスの知り合いがたどり着いてな」


「ゴダールから、だいたい聞いたよ。揚陸艇が一隻…来てるらしいな。迎えに来てもらったらどうだ?」


「こっちの用が済んでから考えるわ」


ハルマは、重苦しい表情で、俯く。


「なんだよ…さっきから」


「いや…考えたんだが、やはりお前には揚陸艇で待機してもらおうと思ってな。この交渉は危険すぎる。乗り込むのは俺ひとりで十分だ。お前は、いざと言うときには、ルーナを連れてルシスにすぐ帰還しろ。いいな」


「それはねぇわ」


ノクトは、体を起こして、ハルマに向き直った。


「ここまで来て、何だ。ハルマ…腹を決めろよ。はじめから危険は承知だ。オレはオレの責任で引き受けた。今更、ルシスのことを持ち出すな」


ハルマはぐっ と言葉に詰まって黙った。どうにも重責にあえいでいるように見えた。ノクトは、肩にぽんと手を置いて、


「あの指揮官の程度を見れば…どっちに転んでも、オレら二人なら、なんとか切り抜けられるだろ。相手が可笑しな動きを見せたら、二人で切り抜けて合流地点まで戻る…単純な話だ」


「そうだな…すまん」


ハルマは、ふうっと大きく深呼吸する。


「情けねえな。まさか、領主として他所の頭と話をつけに行くことになるとは…こいつは完全に俺の手に余ってる」

ノクトは気楽な感じで、座席の上に仰け反りながら伸びをした。

「それでいいんじゃねえか? 領主だろうが、王だろが、皇帝だろうが…ただの人間だよ。やれるだけのことをやってみるだけさ」

 

その気の抜けた様子を見て、ハルマもようやく笑った。


「たいした余裕だな。さすが歴が長いだけはあるか。しかし、あれだろ。一国の世継ぎとなれば幼い頃から帝王学を仕込まれたんじゃないのか? こういう交渉ではどう出るんだ? 指南しろよ」


ノクトは眠そうに首を振って

「知るかよ。ルシスにそんな高等な交渉術があれば、停戦協定であんなヘマはしない」

確かに… とハルマは呟いた。

「しかし、この件が済んだら…そろそろ帰りどきなんじゃないのか。いつまでもお前に頼ってるわけにはいかない。俺らは俺らで、自分らの足で立ち上がらないといけないと思ってるさ」

「このまま居座ったら迷惑か?」

ノクトは笑ってハルマの顔を見た。

「いや…しかし」

とハルマは言い淀んで

「…まさか王位を放棄するつもりか?」

「今朝、知り合いから聞いたんだが…ルシスで王室断絶の話が浮上してるらしい。オレの一存で決める話でもないが、まあ、それもありなんじゃないかと思ってる。ルーナとはまだ何も話してないんだ…まだ、何も決めてない。ぼちぼち考えるさ」


ハルマは驚いた顔をして、ノクトをマジマジと見つめる。ノクトは苦笑して

「なんだよ、その目は。一国の主として、オレなんか見本にすんな。オレは王らしきことは何1つやってこなかったんだから」

「民を救ったろう」

「剣を振り回して敵をなぎ倒すだけなら、な。政治に関わったことはないし…正直、政治には向いてねぇな。同行者として、期待はずれだったら悪いが」

ハルマは真面目な顔をして、首を振った。

「俺が言うことじゃないが…お前はいい王になると思う。きっと立派にルシスを治める。これまでにない方法でな。そして、ルシスの外の世界にも影響を与える。…世界がそれを望んでいるように感じるんだ」

「なんだよ、急に。おだててもお前の代わりに交渉なんかしないぞ」

ぶっ と真面目くさっていたハルマは吹き出した。

「やはりダメか」

「ダメだ。お前の仕事だろ」

「わかってるよ!」

ハルマは立ち上がって操縦士に近づき、モニターを眺める。

「ま、間も無く、合流地点に到着しますが…」

操縦士は緊張しながら、ハルマに告げた。

「ああ、予定通り、車を下ろそう。着陸してくれ」

「で、では…多少揺れますのでみなさまシートベルトを…」

おーい、着陸するぞ!シートベルトをしめろ!

ハルマは貨物室に向かって叫ぶと、自分もまた席に着いた。

揚陸艇が着陸したのは、領都へ続く幹線道路からは、少し離れた牧場跡地だ。計画通り、乗せてきたジープと、警備隊2人を下ろす。何かあった場合の合流地点となる。ジープには武器と食料も積んであった。敵の揚陸艇から隠れるために、木立の中に車を移動させた。その様子を確かめてから、残る部隊は、再び揚陸艇に乗り込み、離陸した。

「そろそろ着替えておけよ。もう、ファグナ領に入る。通信を始めたら時間がないぞ」

ノクトがニヤニヤしながら言うと、ハルマは、舌打ちして

「また、あんな格好することになるとはな!」

ブツブツ文句を言いながら、座席下に押し込んであった荷物から、ユスパウ領の紋章の入った重厚な服を取り出した。ユスパウ家の正装というわけだ。なるほど、これを着込めば、ハルマの一見鬱陶しい長い髪が、様になるのがわかる。その出で立ちはまるで中世の騎士のようだった。

ユスパウ領の紋章は、牙を剥き出したコヨーテの横顔。銀糸の刺繍が、羽織ったマントの胸元で光っていた。

「お前も着替えろ」

冷やかしていたノクトに、ハルマもつっけんどんに声をかける。ノクトは、だるそうにしながら、しぶしぶと警備隊の剣闘着のジャケットを羽織った。これで、領主の護衛たる剣士が出来上がった。

「くそ暑いな!」

「我慢しろ。帝国貴族は形から入るのが好きなんだよ。それなりの身なりをしてないと、口もきいてもらえない」

「マジかよ…シャンアールの子息は、そうでもなかったぞ」

「そいつは少数の例外だ」

通信機をいじっていた隊員の1人が、さっと手を挙げて2人に合図した。

「ファグナ領内に入りました。ファグナ市方向に、電波をキャッチ。広域通信できます。始めますか?」

ハルマの顔がまた強張った。いちいち力むなよ…ノクトはからかうようにまた、その肩をポンと叩く。ハルマが悔しそうに、小さく舌打ちして、通信機の前に立つ。

「ああ、はじめてくれ」

マニュアルを見ながら、隊員が不慣れな手つきで通信機のスイッチを入れる。

ーこちら、ファグナ領籍、揚陸艇6号機。ファグナ領軍の応答を求む

揚陸艇は、わざと、スピードを落としてゆっくりと、ファグナ市を目指していた。遠くの方に茶色の絶壁が見えてきた。

ーこちらファグナ軍、管制室。当軍の6号機を不当に操縦し、領内に浸入している者、直ちに停止せよ!

しょっぱなから、穏やかでない声が返ってきた。

「上空停止しろ」

ハルマの声は落ち着いていた。操縦士は青ざめながら、頷き、揚陸艇を上空停止させた。

ーこちらは、ハーヴェルム・ユスパウ。ユスパウ領頭首として、ファグナ卿との会談を希望する。領空侵犯の意思はない。許可が降りるまで、境界域にて待機する。取次を願いたい


通信の向こう側でざわついた声が聞こえる。


ーし、しばらく待て


慌てた声がして、通信は切れた。


「向こうの揚陸艇がいきなり追撃にやってきたらどうする?」


ノクトは笑い事でないことを笑いながら言う。


「全速力で逃げるか…お前、操縦の腕ではいかほどだ? 俺らと一緒に死にたくはないだろう?」


ハルマも冗談交じりに聞く。捕虜の操縦士は真っ青になっていた。


「複数の機体に追われたら…逃げ切れません」


「そんときゃ、ケルカノの方面に逃げろ。シャンアールまで行けば応援が期待できる」


ノクトは無責任なことを言った。


「本当に、銃火器つんだ揚陸艇があるんだな…にわかに信じがたいが」


「銃火器を詰んでいるのは1号機と3号機だけです。数発の弾薬を積んでます。で、でも…あちらには燃料があんまりないんです。こっちは今朝、燃料を補給していただいたようですから、あるいは、距離を保ちながら時間を稼げれば逃げきれるかも…」


へええ、とノクトは感心して見せた。随分協力的だな…もとより、意地を張っている指揮官以外、あまり領主への忠誠心は見られないとは聞いていたが。


「交渉決裂したら揚陸艇だけでもつぶしておきたいな…」


ノクトが呟いた。


「どうやって? 剣と小銃であの固いのを破壊できるか?」


「内部に侵入できればな…操舵室の機械を破壊するだけなら簡単だろ」


「あの…」


と操縦士は恐る恐る口を開いた。


「外部の給油口から火を入れれば、簡単に爆発しますけど…接近しなければいけませんが。給油口は、もう大分以前から接続が甘くなっていて、手動で開け閉めしているんです」


「マジか?!」


「つうか…おい、この船も大丈夫なのか? ガソリン垂らしながら飛んでるんじゃなかろうな?」


操縦士は不安そうな顔をして、慰めにも大丈夫とは言ってくれなかった。ノクトはざっと操舵室を眺めて、言われてみれば、アラネア隊の船より大分痛んでるよな…と思う。手入れが行き届いていない。ちゃんとした技術者を確保できなかったか、物資の不足のためか…操舵室の機械類は、ところどころ錆びて穴が開き、コードがむき出しになっていたりする。アラネアの船は帝国軍機よりスペックがいいって聞いてはいたが…これはないよな。


「なんか…飛んでるだけで不安になってきたな」


「今更しょうがない…用事が済むまで普通に飛んでくれることを祈ろうぜ」


ハルマとノクトはのらりくらりと、話をしてファグナ領軍の応答をまった。


ーこちらファルナ領軍管制室…


やっときたか… ハルマは通信機に向き直る。


ーこちらハーヴェルム・ユスパウ。


ーまず、会談の目的を開示しろ


ー和平会談だ。我々は無用な衝突を避けたいと願っている。ファグナ領に支援が必要ならばその用意がある。食料に物資の提供…悪い話ではないはずだ。


通信機の向こうは沈黙していた。しかし、わずかだが動揺するような空気が読める。


ーま、待て


そしてまた通信が途絶えた。


「まったく…いつまで待たせるんだ」


「指示系統が機能していないのさ。これだけでもいい情報だ。磐石な組織とは思えない。

足元を崩せば…あるいは」


「あの…」


と操縦士がまた口を開く。


「領軍内にも…ファグナ卿に反感を持っている者は結構おります…なにせ、市民の扱いが酷いので…」


ハルマとノクトは顔を見合わせた。


「おい…領軍の幹部に少し気骨のあるやつはいないのか。なぜ、そんな領主に10年も従ってきた?」


操縦士は暗い顔をして、唇を噛み締めた。


「それは…人質ですよ。みんな家族を人質に取られてますから…軍の幹部は特に。うまくファグナ卿に取り入ってる人もいますが…大概の人はいやいや従っています。4年前に疫病が流行ったときも…反乱がおきかけたのですが鎮圧されてしまって。それ以来、みんな口を閉ざしてます」


重い沈黙が横たわる…


「疫病で…かなり死んだのか?」


ノクトは聞いてみた。操縦士は、ゆっくりと頷いた。


「相当死にました…流行を抑えるために、発症者はすぐに要塞から追い出したんです。一家もろともね…。追い出された集団が反乱を起こしかかったんですけど…疫病が恐ろしくて、内部から協力するものはわずかでした…」


ーこちらファグナ領軍


重い空気をかき乱すように、領軍からの通信が入る。


ー会談を受け入れてもいい…しかし、要塞内に入るのは二人までとする。要塞に入る際には、いかなる武器の所持を認めない


ー了解だ


ハルマが即答したので、また、通信の向こうで戸惑っているようだった。


ーこちらの揚陸艇ならびに、兵士たちは、要塞手前に待機させる。領域内への進行を許可してくれ


ーきょ、許可する。要塞より5km先の平原での着陸を認める。それより内部に入った場合は侵攻とみなしてすぐに攻撃を開始する。


ー了解だ。5kmより内部には侵入しない。取次ぎを感謝する。


通信を終えて、ハルマはすぐに警備隊隊長と貨物室に向かった。待機していた隊員達に指示をだす。


「予定通りだ。隊員は揚陸艇にて待機。領邦軍に動きがあればすぐに離陸して退避。追随がある場合には、そのままケルカノを目指せ。追随がなければ合流地点へ。ノクトと俺は合流地点を目指す。領邦軍に動きがなくても、最大の待機時間を5時間とする」


「御武運を」


ハルマに向かって、隊長が敬礼をした。ハルマは、頷いた。


揚陸艇は、ファグナ市の絶壁を目指した。突如として隆起した数十kmに及ぶ断崖の一角に、ファグナ領軍の要塞がある。もとはその手前に広がるファグナ領全域を守る要として存在していたが…いまは、その手前に広がるのは荒野ばかりだ。揚陸艇は、荒廃した街の上を飛び、要塞に近づいた。


指示された手前、5kmほどの平原に降り立つ。もとは…競技場だったのだろう。崩れかけた観客席が、辛うじて残っていた。ハルマとノクトは平原に降り立った。残る隊員10数名は、予定通り、開口部の外に整列していた。どこまで通じるかは分からないが、ユスパウにも武力があることの演出だった。


ハルマは身の証のために、ユスパウの紋章が入った剣を担ぐ。ノクトは、一応、見てくれをそろえるために、警備隊より古い短剣を預かって懐に差した。どちらも要塞の入り口で預けることになるだろうが…これも格好から入る貴族に向けての演出の一部だ。さらにノクトはジャケットのすそに隠すように腰のホルダに無線機を入れた。無線はONにして常時音声を揚陸艇まで飛ばす。ボディチェックされたらすぐに取り上げられる可能性が高いが…


「無線…聞こえてるか?」


ーOKです。


操舵室からの声が返ってくる。


「さて、行くか」


「だな」


二人は真昼の高い太陽にじりじりやかれながら、平原を要塞に向かって歩き出した。要塞までは、およそ平坦だが、この熱さだ。5kmの道のりは、地味にしんどい。しばらく進むと、遠目から、要塞の入り口に兵士が多数出揃って二人を待ち構えているのが見えた。ご丁寧に、戦車も2台、警戒するように要塞の入り口につけていた。


「あれで打ち込まれたら、一巻の終わりだな」


ノクトが呟く。


「まあな。砲口が光ったらとりあえず、違う方向に避けることにしよう。どっちかは生き残れるだろ」


「なるほど。頭いいな」


「でも、そんな砲弾がもったいないことしないよな」


「そうだな。たかが二人だし…丸腰にしてから首に縄でもつけるほうが安上がりだ」


ちげぇねぇ! とハルマは豪快に笑った。その笑い声は、ファグナの絶壁に反響し、しんと静まった荒野に響き渡った。ただそれだけのことだが、出揃っていたファグナ領軍が小さく左右に動いたように見えた。


「あいつら…もしかしてびびりまくってないか」


「と、思っておこうぜ。こっちは、なにぜ、剣士ゴダールの一番弟子と、その右腕ってことでな。あのくらいの兵士ならなんとかなるだろ」


「だな」


二人はすっかり勢いがついて、堂々と待ち受ける領邦軍の前に近づいて言った。兵隊は数十人待ち構えていたが、みな、こわばった顔で二人を見つめていた。指揮官らしき一人の男が前に出た。


「ユスパウ男爵か」


「そうだ」


ハルマはすぐに担いでいた剣を前に差し出した。


「約束に従い、ここで武器を預けよう。ユスパウ家の名剣だ。丁重に扱ってくれ」


指揮官は、かしこまって剣を受け取った。ノクトも、すぐに腰に挿した短剣を差し出す。部下らしき男が慌てて前に出て受け取った。


「男爵…ご無礼とは存じますが、ボディチェックをさせていただきます」


「構わん」


ハルマが両腕を上げるので、ノクトもそれに従う。兵士二人が前に出てきてそれぞれボディチェックを行った。兵士はすぐにノクトの無線機に気がつき、指揮官に差し出す。


「連絡用の無線機だ。武器ではないが、何か問題か?」


ノクトは淡々と聞く。


「爆薬が仕込まれている可能性もあるからな。こちらで預からされてもらう」


「構わん」


ハルマがすぐに答えた。


「ご協力感謝いたします。それではこちらへ…」


指揮官の男はそれなり礼を示して、丁重にハルマを先導した。ノクトは従士らしく、かしこまって見せながらハルマの後に続いた。


威圧的な要塞の門をくぐり中に入る。絶壁の要塞ケンタウロス。絶壁に寄り添うように立てられたた巨大なタワーとその足元に連なる砲台からなる。門をくぐりその巨大なタワーを見上げると、巨人のような威圧感があった。しかしその足元に並ぶ砲台は…多くは錆びて朽ちていた。狭い敷地に並べられている戦車の多くも…朽ちて苔むしているものが多い。戦車の向こう側に唐突に畑が広がって、作業をしている市民の姿が見えた。まがいなりにも制服を着込んでいる兵隊とは、まるで対照的で、見るからにみすぼらしい格好をして、顔色はみな悪い。市民達は遠めに訪問者を興味津々と眺めていたが、脇で監視していた兵士が、すぐに作業に戻るように指示を出していた。畑の向こうには、スラム街のようなバラック小屋が続いている。そこに、活気ある人々の声がしない…時折、呆然と立ち尽くすやせ細った子ども達の姿見えるだけだ。


奴隷同然だと聞いていたが…


ハルマとノクトは横目でその様子を眺め、なるべく表情を変えずに指揮官に続いた。


一行は巨大なタワーの内部へと入る。内部も痛みが酷い…建物の壁はあちこちが錆で、腐食している。最下層は軍関係者の居住域なのだろうか…倉庫のような場所に唐突に洗濯物がかかっていたりする。インフラが機能していないのか、ところどころ悪臭がして、いかにも衛生状態が悪そうだ。よどんだ空気の中を一行は建物の奥まで進んで、そこにある巨大なエレベータに乗り込んだ。指揮官がエレベータの操作盤にIDカードのようなものを挿入した。タワーはかなりの高さがあるように思ったが、エレベータの表示板を見る限り、階層は30階までとなっている。軍事要塞なだけに一つ一つの階の高さが結構あるのだろう。その、最上階に30R という表示があって、指揮官のIDに反応して表示が点滅した。あそこが、ファグナ卿の居室というわけだ。


エレベーターは、轟音を立てながら上昇する。機材を詰むための巨大な空間は、ハルマと、ノクト、先導する指揮官と、数人の兵隊が乗っただけでは、がらんとしていた。


エレベーターが最上階で停止する。その大きな扉が開くと…ハルマとノクトは、建物の様相が一変して、驚きの声をあげそうになった。要塞とは思えない、装飾の施された壁…白い大理石の柱、廊下に敷き詰められた絨毯。天井を飾るシャンデリア。あっけに取られているノクトたちを、指揮官が誘導する。長い廊下の先、壁際は大きな窓が続いていた。展望室のようなその窓からは、ファグナの荒廃した町並みがよく見えた。見渡す限りの茶色い台地…その手前に、廃墟となった町が広がっている。すぐ真下、要塞内の敷地には、ひしめき合うバラック…もう動かない、戦車や砲台のほうが幅を利かせている。


二人はちらっと目を合わせながら、その窓の前を通り過ぎる。壁沿いにぐるっと円を描くように廊下を進むと、ようやく、彫刻の施された重厚な扉が見えてきた。扉の周囲を、エンジェルが飛び交っている。エンジェルの持つ矢は、金箔が貼られていた。


ノクトは、すっかり腹の中がむかむかしていたが、感情が出るのを抑えようと無表情に繕った。ハルマも、感じていることを腹の中に収めて、そのいやらしい扉に対峙するように、すくっと背筋を伸ばした。


「ファグナ卿…ユスパウ男爵をお連れいたしました」


指揮官は恭しく扉に呼びかけた。


「よい、入れ」


扉の両脇に控えていた衛兵が、頭を下げながらその扉を開く。さらにまばゆいばかりの室内が目に飛び込んできた。一際大きなシャンデリア、部屋の奥、大きな窓の前に、玉座のような物々しい椅子がすえつけられており、そこに、眼光鋭い初老の男が、中世の王そのもののような衣装をまとって座っている。左手中指には、見たこともないような大きさの宝石が光っていた。ファグナ卿は、皇帝のようなしぐさで、謁見を求める下々に礼を示すのを許すがごとく、指輪をはめた左手を差し出す。


ハルマはその前に恭しく跪いて、左手に口づけをした。うげぇえ…オレにはできないな。ノクトは、ハルマに対する敬意と、ファグナ卿に対する嫌悪とが交錯しながら、主人の後ろに控えめにたって、それらしく敬礼をした。


「閣下…お目どおり願い、感謝いたします」


ハルマはすくっと立ち上がって、今度は、堂々とした態度でファグナ卿の前に立つ。


「ふん…ハーヴェルム・ユスパウ…ユスパウの枝葉の放蕩息子だったと思うが。身なりを整えればそれなりにみえるものよの。なんと、領有権を主張しているとは」


ファグナ卿は、明らかに馬鹿にするように笑った。


「この10年のどさくさに紛れて、一家の寝首を掻いたか…ニウルをどうした? シガイに食わせたか?」


「叔父の消息は定かではありません。私の統治は、ユスパウ家頭首の消息が明らかになるまでの暫定的なものです。揚陸艇を拝借できれば、近いうちに領都、ガラールへも捜索へ行きたいと思っています。閣下のご協力が得られれば幸いです」


ハルマは、深々と頭を下げた。ファグナ卿は、ふん と鼻を鳴らす。


「…協力か。他人の揚陸艇を奪っておいて、ぬけぬけと」


「いささか…認識のずれがあるようですな。何の布告もなく、わが領内に魔導兵を引き連れたファグナ領籍の揚陸艇が侵入いたしました。私としては、何かの事故と…聡明たる閣下にありましては、無骨に奇襲をしかけるなどということはありますまい」


ハルマの気迫に、ファグナ卿も顔をしかめて黙るしかなかった。大したもんだな…ノクトは思わず笑みを浮かべて、慌てて平静な顔に戻す。あんなにびびってたくせに…全うに渡り合ってるじゃないか。


「ふん、若造め。余に瑕疵があると言いたいか」


「めっそうもございません。私はただ、両者にとって無用な衝突は避けたいと願っているだけです。ユスパウは、和平を好みます。友好の証として、物資もご提供させていただければと」


ファグナ卿の顔に、不気味な笑みが浮かんだ。


くくくくく…


「貢物で許しをこうか…浅はかなやつよ。だが…浅はかでも従順な者は、嫌いではない。お前の友好とやらがどれほどのものか…ただ油断をさせるためのものか、それとも…心から友好を願っているのか…」


ファグナ卿は、いやらしい目つきでハルマの頭からつま先までを眺め回す。


「…そうだな。お主の友好を測るいい方法がある。チパシのゴダールの首を差し出せ」


ノクトは顔をしかめたが、ハルマは表情を変えなかった。


「あの男はやっかいだ。皇帝イドラでさえ…チパシには触れないようにしていたと聞く。不穏な芽はいまのうちに摘んでおきたい…どうだ? 男一人の命で強力な友好を結び、お主のかわいい領民たちが安泰となる…安いと思うがな」


「遺憾ですな」


ハルマは間髪をいれずに答える。


「閣下が罪のない領民の殺害を命じるとは。ゴダールは、我が領民の一人…閣下もご存知のように、私の師でもあり、この闇の時代をチパシの民を守り続けた功労者です。ゴダールが死んで閣下に得があるとは思いません。彼のもとで、領民はよく働きます。生かして…チパシから物資の提供を受けるほうが、利益が高いかと」


ははははははは! ファグナ卿は突然、腹を抱えて笑い出した。控えていた兵士達も、ぎょっとした表情で、どう反応すべきかと様子を伺っていた。ファグナ卿は、太ももを叩いて笑い続けた。そうして散々笑って気が済んだ様子で、また、どっしりと玉座に座りなおして、尊大にハルマを見下ろす。


「…ユスパウの仮初の領主よ。お前の考えなどお見通しだ。以下に下手に出ようとも、余に心を許さぬ…機を狙って反旗を翻すつもりであろう。我が領地に…ルシスの猿まで連れ込みおって」


ハルマとノクトは、はっとして身構えた。


「余が知らぬとでも思ったか?」


「なるほど…先立ってチパシにスパイを送り込んだのは閣下のようですな」


ふん…ファグナ卿はまた鼻で笑う。


「スパイというほど…あの連中は役には立たなかったがな。一人の首も取れずにおめおめと戻り追って…」


スパイと言うより暗殺者か…ノクトは、今はもう表情を隠すことなくファルナ卿を睨み付ける。


「しかし…まあ、こうして使い札が二つも手に入るとは幸運だった。あのゴダールも一番弟子が可愛かろう。ルシスの猿は…アコルドとの交渉には何かと役に立ちそうだ」


周囲の兵隊達はみるみる険しい表情に変わり、ノクトたちに銃口を向けた。二人は、身構えたが…丸腰ではどうしようもない。


「大人しく囚われるがいい。あの、即席の兵隊たちは始末しておいてやる。さあ、連れて行け」


指揮官はついてこい、というように先に立ってファグナ卿の豪勢な部屋を出た。残る数人の兵隊達がハルマとノクトに銃口を向けたまま二人を取り囲んだ。ハルマは、ノクトに目配せをして、指揮官の後ろに続く。


「妙な真似をすれば…頭を打ち抜くぞ」


指揮官はハルマをにらみつけながら、その前を歩く。先ほど通った大きな窓に差し掛かり、ノクトはそっと外を見た。待機している警備隊たちは…動きに気付けばすぐに離陸するはずだが...しかし、揚陸艇は、5km先の平原にまだ待機していた。揚陸艇の開口部はしまっており、外には誰もいないようだが…すぐに気がついてくれ…ノクトは祈るような気持ちで視線を送る。


「早く進め」


兵隊の一人が、銃口の先をノクトの背中に押し付けて先を急がせる。ノクトは、ぎっと兵隊を睨み付けた。兵隊はちょっと怯んだ顔をして、それから、もう一度銃口を押し付ける…先導する指揮官を除き、兵士は5人…前方、ハルマの隣に二人、ノクトの脇に二人と、後ろに一人。近くにいる二人ならすぐに制圧できるか。ハルマとタイミングさえ合わせられれば…しかし、銃口はあまりに近距離でノクトたちの頭を狙っている。


くそ…エレベーターに乗り込むときか、何かきっかけがあれば…


その時、ノクトは窓の外に小さな煙が上がるのが見えた。なんだ…? しかし、兵士に銃口を押し付けられて、そのままエレベーターの方へ向かうしかなかった。


兵士に囲まれたまま、エレベーターに乗り込む。どうやら向かうのは地下のようだ。地下牢でもあるのか…ノクトは、先ほどの煙を思い出して、


「なんか、煙臭くないか」


と言ってみた。ハルマを含めて、一同は、驚いて、しばし辺りの様子を伺い、匂いをかぐ。はったりで言ってみたものの…やがて焦げ臭い匂いがエレベータ内に立ち込めてきた。


「やばいな、火事じゃないか…エレベーターを止めたほうが…」


ノクトは、慌てて見せて兵士達の不安を煽った。兵士達は不安な表情を指揮官に向けた。指揮官も動揺して


「お、落ち着け…火事と決まったわけじゃ…警報が鳴るはずだ」


そうこうしいているうちに焦げ臭いにおいが強くなる…そして、外で爆発音。


「なに?!」


エレベーターの扉付近にいた兵士が、思わず近くの階のボタンを押した。指揮官も、あっ…と声を上げつつ、反対はしなかった。爆発音が、続けて起きたからだ。エレベータはまもなく止まった。灯ったランプは12階…その大きな扉がゆっくりと開く。


「外の様子を確かめる!そのまま、待機しろ」


指揮官は一人でエレベーターを降りて奥の廊下を進んだ。明らかに動揺した兵隊達は、捕虜から眼を離して指揮官の背中を見ていた…隣にいたハルマに、ノクトは目配せする。ハルマも目を伏せて答える…次の瞬間。


ぐっ… 峰うちされた兵士が、立て続けに3人ほど倒れた。残り二人は慌てて銃口を捕虜に向けようとしたが、すでにそのときには銃の先を捉えられて、激しく殴りつけられて倒れた。

異変に気がついた指揮官は、応援にはこずに、背中を向けて逃走した。ハルマとノクトは苦笑しながら、兵士達の武器を拾い上げて、そのまま12階に降り立つ…そのフロアは、食料庫のようだ。大きな冷凍庫のような扉が並んでいる。指揮官が奥に走って逃げたところを見ると...他の階へと抜けるルートがその先にあるのだろう。食料庫で作業をしていた兵士達は見た限りみな丸腰で、ノクトたちが銃を持って走り抜けると、物陰に隠れるばかりで戦闘の意思は見られなかった。ノクトたちは指揮官の後を追って奥へと進んだ…その途中でまた爆発音。大分近づいている。そして、ようやく要塞内の警報機が鳴り響いた。捕虜の逃走を告げるかと思えばそうではなく…


ー全構成員につぐ。要塞敷地内にて反乱分子より攻撃が発生。全員緊急体制に移行、持ち場に着け


やけに淡々とした女性のアナウンスが流れた。反乱分子…? ノクトはハルマと顔を見合わせる。操縦士が、軍の内部にも反感をもつ者が多いといっていたが…このタイミングは偶然なのか? しかし、呆然としているまもなく、大きな爆発音がして、タワーが大きく揺れた。


まずいな...タワーが攻撃を受けている。


「脱出しよう。このままでは巻き込まれそうだ」


ハルマが言うと、ノクトも頷いた。


指揮官の逃走した方向に進むと、突き当たりに非常階段を見つけた。タワーの屋外を取り巻くように続いている長い階段だ。二人は、その怪しげな足場を一気に駆け下りる。崖側を回って表の方へ出て行くと…要塞の敷地内のあちこちで煙があっているのが見える。その間を逃げ惑う市民の姿も… 市民の一部は要塞の敷地をでて、外へと避難を始めていた。


ぼん!!


と大きな音がして、戦車が砲撃をしているのが見えた。砲弾はもう一方の戦車に着弾して、戦車が大破していた。周囲の兵士達が逃げ惑っているのが見える。


ぼん!


他の戦車が、今度はタワーめがけて砲撃をしている。砲弾が銃空を飛んで、ノクトたちの頭をかすめ、さらに上層の階に着弾するのが見えた。轟音ともともにタワーが大きく揺れ、その壁の一部が崩れる。


「派手にやってくれるな!」


落ちてくる瓦礫を避けながら、ノクトが叫ぶ。


「急ぐぞ!反乱軍の主導者に話をつけよう…この混乱では犠牲者が多くなる」


ハルマは颯爽と身を翻して、非常階段を進んだ。地上に近づくにつれ、わあああああ という人々の怒声が聞こえてくる。市民と反乱軍が混じって、正規軍に攻撃している。あれでは敵味方の区別もつきまい…ハルマは顔をしかめながら、先を急いだ。


地上が近づいてきた頃、集団で非常階段を上がってくる足音が聞こえた。二人は足を止めて、何者かが近づくのを待った。どどどどど…まよいなく突き進む集団の足音。正規軍か?反乱軍か? しかし…見えてきたのは黒い見慣れた剣闘着だった。


「お前ら!」


「ご無事でしたか!」


先頭にいた隊長は安堵した顔を見せた。


「いったいどうして…」


「計画を勝手に変更して申し訳ない。革命派の幹部と接触し、彼らの戦闘の乗じて救出に参りました…無用の心配だったようですね」


「いや、助かった…しかし、この戦闘を止めないといけない。革命派の幹部とやらに取り付いてでくれ」


ハルマが言うと、隊長はすぐに険しい顔で頷いた。


タワーの外は混乱そのものだった。武器を持つもの、持たないもの…感情高ぶってどうにもとどめようのない人々の群れが一斉にタワーに押し寄せていた。武器のないものは、その手に、松明を掲げて、手当たり次第に火を放っている。


「こりゃ、まずいぞ…」


ノクトも嫌な汗を掻きながら民衆を見る。


「巻き込まれます!一旦、下がってください!革命派の本拠地までお連れします!」


ノクトたちは民衆の波を何とか分け入って、その群れを抜け、革命派の本拠地と言う、バラックの奥に控えたテントの一画までたどり着く。そうこうしているうちに、タワーのあちこちで火の手が上がるのが見える…あの中には、使役している階層の低い兵士も、その家族もいるはずだ…


ノクトは呆然と、火の手が徐々に上層部へと広がるのを見ているしかなかった。


























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