Chapter 21.10-シャンアールの城主-

わああああ、飛んだ!


男の子達は歓声を上げた。母親に抱きかかえられた男の子は、今朝もまだ38℃ほどの熱があったが、二人の兄と一緒に大喜びしている。朝の食事もしっかり取れたようだ。


揚陸艇は、客人がいるため、いつもよりはゆるやかに上昇していく。タルコットは客人たちと一緒に貨物室にいて、それとなく男の子の様子に気を配っていた。


わあああああ


男の子達がまた、歓声をあげる。揚陸艇が雲に入ったのが、貨物室の小さな窓からも見えた。そして…雲を抜けた。


おおおおおお!!


男の子達が思わず座席から立ち上がろうとするのを、父親が諫めた。


「こら…いいって言われるまで、立つな!」


男の子達は必死に座席から背を伸ばして窓を覗こうとする。わかるなぁ…タルコットは、微笑ましくその様子を眺めていた。

やがて、揚陸艇の高度が安定して、シャンアールに向けて平行移動が開始される。


ー安定走行に入りました。座席から立ち上がっても構いません。時折、乱気流が起きますので、ご注意下さい


館内放送が入って、待ちきれずに男の子達はわっと窓にかけよった。細くスリットのようにつくられた小さい窓は、男の子二人が覗き込むにはあまりに小さい。二人はお互いの体を押しのけようと喧嘩を始める。


「ほらほら、反対側にもあるから。こっちへおいで」


競り負けた弟の方が、タルコットの呼びかけに応じてやってきた。母親に抱かれている一番下の弟も、窓を覗き込みたいとせがむ。あなたは、まだ熱があるんだから…母親は困った顔をした。


「ねえ、クムト君。お兄さんがちょっとの間抱っこして窓をのぞかせてあげるから、そのあと、あっちのベッドで寝るんだよ?」


と、タルコットは熱っぽい男の子の顔を覗きこんだ。指差した先には、普段、隊員が仮眠するために使っている簡易式のベッドがある。壁際に折りたたんでいたのを、安定走行に入ったので広げたのだ。


クムトと呼ばれた子は、ちょっと恥ずかしそうにはにかんで、しかし、タルコットのほうへ両腕を突き出した。

タルコットは母親から男の子を受け取った。抱いてみるとまだ熱が篭っているのがわかる。それも…きっと、明日までには下がるだろう。タルコットは男の子を抱えて、兄が陣取っていた窓に近づいた。


「ちょっとだけ見せてあげてね。そうしたら、寝ないといけないから」


タルコットに言われて、兄はしぶしぶ場所を譲った。男の子は、タルコットに抱かれながら、わっと、窓際に顔を押し付ける。はじめてみる雲海…朝日でキラキラした真っ白なキャンバスに、揚陸艇の影だけが映し出されている。


「船を追ってくるよ!」


クムトは興奮して、影のほうを指差した。


「ああ、あっちに山の頭が見えてる!」


「そうだね…さ、クムト君。あんまり興奮するとまた熱があがっちゃうから」


クムトはええ、もっと見たい!と駄々をこねたが、タルコットはにこにこしながら、ベッドまで運んでいく。


「揚陸艇のベッドに眠れるなんて、特別だよ!めったにないよ!帰ったらお友達に自慢できるね」


タルコットに言われて、クムトは、まんざらでもなさそうに、にやっと笑った。クムトが大人しくベッドに収まると、母親が頭を下げる。


「乱気流が起こるといけないので、一応ベルトは締めておきますね」


「はい…タルコットさん、何から何までありがとうございます」


「いいえ、ハンターとして当然のことですから、気にしないでくださいね」


父親のほうは、兄達と一緒に珍しそうに窓から外を眺めていた。貨物室が運んできた物資でいっぱいなので、他にはあまり身動きができない。隊員達も、急な客人に窮屈そうにしながら、それぞれの持ち場にいた。


ーおい、タルコット。ちょっと操舵室まで来てくれ


館内放送でモルスの声がした。タルコットは狭い隙間を通り抜けて、操舵室へ向かう。


「ああ、ご苦労さん。坊やの様子はどうだい?」


「ええ。問題ないです。昨日の薬がよく効いたみたいですね」


「そりゃよかったな。ところでな、さっき、ヴィックスとも話してな。あの若い隊長は、残りのメンバーは自力でシャンアールに向かえると言っていたが、やはり城主の方は全員の搬送を希望しているんだ。この雨だろう。峠越えが心配らしいよ。万が一、土砂崩れでも起こして足止めされたら、揚陸艇も近づけないし、救援に行くのがめんどうだ。こっちとしても、いっそ、揚陸艇で搬送してしまったほうが早い」


「そうですね。そのほうが安全だと思います」


「今…もう、2号機もあっちを出てブランシェルに向かっているんだ。ローランには待機させている。貨物室を開けさせたから20人くらいはいけると思うが、こっちも一家を下ろしたらもう一度ブランシェルにいかにゃ、ならん。もしかすると2往復くらいすることになるな。馬と馬車も積み込まなきゃならんから」


モルスのいいたいことがなんとなくわかって、タルコットは心配させないようにと、にっこりと笑顔を向けた。


「わかりました。僕は、問題ありません。まだ9日ありますし、焦らずに行きましょう。もちろん、搬送も手伝います。それがハンターの仕事ですから」


悪いな、とモルスは、タルコットの肩を軽く叩いた。


「船長、右前方に2号機を確認しました」


モニターを見ると、2号機が朝日を浴びてキラキラひかりながら、ブランシェルのほうへ向かう姿が見えてきた。


ーこちら3号機、そちらの姿をモニターにて確認。


ーこちら2号機、ヴィックスだ。こっちでも見ているよ。着陸地点に気をつけろ。シャンアール城の塔をへし折るなんて、ヘマするなよ。


ー了解。山を越え次第、西側に転回する。ブランシェルの着陸地点のデータ受信できたか?


ーああ、受け取った。問題ない。


2機はまもなく、十分な距離をとりつつ、上空ですれ違った。積荷が軽いせいか、2号機の方が速度がでているようだ。すれ違いざまに、派手な飛行音が鳴り響いた。


「しっかし、雲が厚いなぁ…」


モルスはモニターを見ながら不満そうに言う。


「雲から出た途端に山に突っ込むとか、しゃれにならないね。おい、慎重に降下始めろ。底部モニターと、音波探査開始。大まかな地形をつかんで置けよ」


それからタルコットのほうを向いて


「タル坊、貨物室行って、そろそろ降下を始めるから席に着くように行ってくれ」


「了解です」


自由にできたのがほんの30分ほどなので、こどもたちは大いに不満をたれた。


「揚陸艇だと、あっという間でしょ?」


「あっという間すぎるよ!もっと乗っていたい!!」


タルコットは、はじめて自分が揚陸艇に載せてもらった時のことを思い出した。急に訪れた闇の世界…頼みの王は帰ってこなかった。イグニスたちがノクトなしで帰国したとき、タルコットは大いに失望して、塞ぎがちになった。世界を救って、すぐに帰ってきてくれると思ったのに。


あれは、どういうタイミングだったんだろう。イリスとどこかへ一緒にでかけたのだ。何か大事な会合だったに違いない。イリスは、塞ぎこんだタルコットをひとり置いていくのが躊躇われたのかもしれない。その会合には…少なくともアラネアが来ていて、帰るときにレスタルムまで揚陸艇を出してくれたのだ。


記憶があいまいだ…当時レスタルムをでて、どこでそんな重要な会合をしていたんだっけ?レスタルムの外は危険に満ちていたのに。しかし、はっきりと覚えているのは、レスタルム上空に来たときに、アラネアが、突然貨物室の開口部を開けさせたことだ。戦闘中でもなければそんな危険なことはしない。イリスが驚いて声をあげ、とっさにタルコットを庇って、抱きとめたのを覚えている。


ほら、ごらんよ、坊主。綺麗だろ


アラネアは笑いながら、開口部から闇の中に光るレスタルムの街を見せてくれた。タルコットは、その美しさに、心を奪われた。間違って足を滑らせたら、死んでしまうって言うのに、アラネアは、激しく風の吹き込む開口部のすぐそばにたって、平気な顔して笑っていた。


僕、また、乗れますか?


そうだ。確かそんなことを聞いて、アラネアは…


ああ。強くなったらな。


って、答えた。はい、強くなります、って、自分は言ったんだっけ…

言ったような言わないような。タルコットは、うーんと唸って腕を組む。


ーこれより、着陸準備に入ります。各員座席についてシートベルトを締めてください。


タルコットは立ち上がって、一家のシートベルトをひとつひとつ確認していく。簡易式別途も折りたたまれて、さっきより熱が下がったクムトは、母親に嬉しそうに抱かれていた。その頭を軽く撫でてかあら、タルコットも自分の席につく。


ーまもなく着陸します。衝撃に備えて下さい


いつもよりは、ゆっくり…ゆっくりと減速をしつつ下降している。そのせいか、着陸時の衝撃もよほど小さかった。


ががががが…


それでも、男の子達はきゃーきゃーとわめいて興奮し、その両親は、緊張で少し青ざめていた。


ー着陸完了。お疲れ様です。


館内放送が入って、両親はほっとため息をつく。


シャンアールの雨は、ブランシェルよりはマシに思える。空はうっすらと明るく、雨の調子はしとしと、といった感じだ。しかし…湿度はひどい。開口部を空けた途端、うっと唸りたくなるほどの、しけった空気が流れ込んできた。当初の打ち合わせどおり、一家は全員、提供した雨ガッパを装着していた。子ども用がなかったので、こどもたちはみな、長すぎる袖を折って使っている。タルコットも合羽を着た上で、クムトをおんぶする。先導するのは別の隊員。その次がタルコット。他の家族が続いて、他の隊員が最後につく。残り数名が、物資を運搬する準備をしていた。物資の多くは、ひとまずは、シャンアールの崖したの開けた場所に立てられた、プレハブの詰め所に移される。


「では、出発します。それほど暗くありませんが、足元には気をつけてください」


先導する隊員が声を駆けると、男の子達はきゃっきゃと喜び、両親はまた緊張してうずいた。


シャンアール城は、そこだけ突然ひらけた盆地を見下ろすように断崖絶壁の上に立っている。崖の上には十分な広さの平地がなかったため、アラネア隊はこの盆地を利用して基地をつくり、揚陸艇の発着に利用していた。基地からシャンアール城とその城下町まで、気の遠くなるような石段を上ることになる。しかし、この断崖こそが、この闇の時代に、シャンアールの人々を守ってきたと言う。


しとしとと降りしきる雨の中を、一行は、ゆっくりと石段を上った。上の兄達は、はじめこそ、ふざけながら階段の上を跳ねたり跳んだりしていたが、急勾配を30分も登り続けると、やがて静かになり、そのうち、母親や父親になだめられながら何とか前へ進むという様子だった。

タルコットが背負うクムトは27kg…若い足腰にも、じわりじわりとその負担が来る。場合により、先導する隊員と途中で交代することになっていたが…大丈夫。上までいけるだろう。クムトは安心したように、ぐったりとその全体重をタルコットに預けながら、眠ってしまっていた。


熱は下がりかけ…はやくお城まで連れて行ってあげなくちゃ。


着ている雨合羽は、むしろ蒸して暑すぎて、息苦しいくらいだ。それでも、不思議と背中に感じるクムトの体温が心地よかった。


「あと、少しだ!」


先導する隊員が、一行を勇気づけるように言う。タルコットがちょっと後ろを振り向くと、2番目の兄が、疲れてぐすぐずと泣いているのが見えた。


「ほら、がんばって。あと少しだって」


タルコットは、声を駆けた。男の子は、後ろに母親に背中を押されて、しぶしぶとまた、一歩、階段を登っていた。

タルコットは前を向きながら、歌を口ずさみはじめた。男の子が知っているかなぁ…と思いつつ。


せんろーはつづくーよ、どこまでもー


男の子はすぐに反応して、


「あー、それ知ってる!」


と口をそろえて言う。


「続きは何だっけ?」


とタルコットが聞くと、


のをこーえ、やまをこーえ、たーにーこーえーてー


と、嬉しそうに続ける。一番上の兄は、母親を押しのけて、弟と合流すると、一緒に歌を歌い始めた。


はるかーな、まちまーで ぼくたちのー

たのしいーたびの、ゆ、め つーないでるー


いつの間にか、おんぶしていたクムトも起き出して一緒の歌っていた。


「あと、何の歌を知ってる?」


と、タルコットは聞いてみる。


「ええとね!」


3人の兄弟は口々に歌のタイトルを言い合う。ちがう、こっちの方が有名だ!などと、喧嘩しながら。


「順番に聞かせてよ~」


タルコットは笑いながら、頼んでみた。


「じゃあ、オレからなー!」


と、一番上の兄が身を乗り出して、歌い始める。


たんたんたぬきのきんたまは~


こら、やめなさい!!


と、母親が後ろのほうから叱った。

はははは、とタルコットは笑いながら


「お兄さんの小さいころにも同じ歌が流行ったよ。面白いよね」


兄はしかし、後ろから拳骨で頭を小突かれたのが聞いたらしく、すぐに歌をやめた。


「あ、じゃあ、次僕!」


と言って2番目の兄が声を張り上げる。


ある~ひんけつ、もりのなかんちょう…


やめなさいって言ってるでしょ!!!


すごい剣幕で母親が怒鳴ったので、二人目の兄も黙った。タルコットは、笑いをこぼしながら、いつの世代でも、そしてニフルハイムでも、似たような歌が流行るなぁ、と思う。


「なあ、タルコットは何の歌を知ってるの?」


上の兄貴が身を乗り出して聞いてくる。


「こら!タルコットさんでしょ!」


また、母親は怒鳴った。


「いいんですよ」


とタルコットは、笑いかけながら


「そうだなぁ…お兄さん、戦争でちゃんと学校にいけなかったから…」


何気ないつぶやきに、母親は、はっとして、俯いた。しまったな、とタルコットは思い、他の話題に移ろうと考えるが、


「戦争って?」


と、あどけないクムトが聞く。そっか…クムトは9歳だっけ…兄弟の中で極めて色が白いのも、闇の時代に生まれたこどもの特徴だ。


「しらねぇのか、昔、戦争してたんだ。鉄砲うったり、剣でさしたりしたんだぞ!」


したり顔で一番上の兄貴が言う。や、やめなさい…母親が、低い声で遮った。タルコットも、黙ってしまったので、こどもたちは、重い空気に気がついて、やがて黙ってしまった。


僕が何か空気を変えなきゃいけないのにな…


悪いことをしたと思いつつ、気の利いたことが思いつかない。


「ほら、頂上だ!」


助けに船か。先導していた隊員が叫んだ。見上げると、階段がぷっつりと終わって、城壁の一部が見えていた。


「ほら、あと少しだよ!」


タルコットも、わざと明るい声を出した。おお! と、こどもたちが明るく答えてくれたのが、救いだった。


傷つけあった者達が、ここにいるんだ…


タルコットは不思議な気持ちで、城を見上げる。


崖を上がりきると、シャンアールの兵士達が待ち受けていた。アコルド軍とも、帝国軍とも違う。領邦軍の独特の衣装は、古代から飛び出してきた伝説の騎士のようだ。


「お帰りなさい!」


と兵士達はまず一家に声をかけ、続いて


「ハンターの皆様、ご苦労様です。ご貢献に感謝いたします」


と深々と頭を下げる。そして、さっと、先導者を城の入り口へ招いた。シャンアール城はまるで城下町を守るように、崖を登ってすぐにその聳え立つ塔で一行を迎える。城下町があるのは、その城の背後なのだ。まさに城そのものが騎士のような風格だった。


城の一角に入って、ようやくタルコットはクムトを下ろした。クムトは、しっかりした足つきで自分で立ち上がった。急いで濡れた雨具を取ってやる。すぐに城の兵士や執事達が集まって、一行の濡れた雨具などを取り除いた。雨具は着ていても、服がしっとりと汗や雨で濡れていた。


執事達は家族を率いてすぐに奥の部屋のほうへと向かっていった。その背中を見送って、タルコットはほっとする。よかった…体調は悪くないみたい。両親は何度も振り返りながら、タルコットたちに頭を下げていた。

隊員たちに混じって、すぐに踵を返して揚陸艇へ戻ろうとすると、


「あの…タルコット様というのはどちらで?」


白髭を口元に生やし、身なりがしっかりとした、いかにも執事の頭であるかのようなご老人が、去ろうとする面々に声を駆けた。


「あ、はい…自分ですが」


タルコットは、フードを被りつつ、返事をする。

それはそれは…と執事は深々と頭を下げ、


「お忙しいとは存じますが、我が領主があなた様にお目通り願いたいと。しばしお時間をいただけないでしょうか」


と丁重に問う。タルコットは、迷って、一緒にいたアラネア隊の二人の顔を見たが、二人は笑って、行って来いよ、と促す。3号機は、一行が降りる前に、物資の運び出しを終えて、ブランシェルに向かっているはずだった。次の2号機が市民を連れてくるまでは、仕事もないはずだ。


「はい…では、少しですが」


と、タルコットは答えた。

では…と、周囲にいたほかの使いの者たちが、タルコットの濡れた雨具を受け取った。


「ひどく濡れていらっしゃるので、もしよろしければ、お召し替えをいたしませんか?服もご用意いたしております」


と、まだ若いメイドに言われたので、タルコットはびっくりして


「い、いえ。大丈夫です!また、すぐに濡れますので」


と断った。執事は、仕方ないというように首を振って見せた。もしかすると、濡れたまま、領主に会うのは失礼に値するのかも知れない…と、後悔する。貴族に会うのは…はじめてだ。アラネアが貴族の筋だ、というのは聞いていたけど、それは例外みたいなもんだし…どう、対応したらいいんだろう?


「では、こちらへ」


白髭の執事は、ゆっくりとした動作で、中央階段へとタルコットを誘導する。古城だけあって、広くゆったりとした階段は、両脇に細かい彫刻を施した手すりを有し、細かい刺繍のじゅうたんを敷き詰め、まるで、そこだけでも美術館のようだった。タルコットは、濡れた服で踏み入れるのが、ますます心苦しくなったが、引き返すこともできずに執事の後を追う。

中央階段を上りきると、ろうそくのシャンデリアに照らされて、正面の壁に巨大な油絵が見える。シャンアール城を築城した古代の領主だろう。突き抜けた天井のはるか上までに到達するその巨大な絵の中央に、凛々しい古代の騎士が、葡萄の蔓と山羊の紋章が入った荘厳な剣を掲げている。恐らくその名前が、絵画の端っこのプレートに記されていたようだが、タルコットはマジマジと見つめるのが躊躇われて、読み取ることができなかった。

円筒の壁に沿うように、階段は左右に分岐、湾曲して登った。執事が右手に折れたので、タルコットも右手に折れて続いた。広い踊り場が左右に広がって、階下の広々とした玄関を見下ろしていた。そこから、また、廊下が左右に伸びており、執事は、左に折れる。広い廊下が続いていた。左手は、重厚な扉がいくつも続いており、右手はステンドグラスの窓が並ぶ。まるで、一枚一枚の窓が、物語の一ページのようだった。女性とこどもが葡萄を手に取る絵。農夫が鎌を振り下ろす絵。たわわに実る葡萄、風にざわめく麦の穂。凛とした兵士。月の下で髪を洗う乙女…タルコットが思わず見とれていると、気がついたときには廊下の端っこで、執事がじっと立って待っていた。待たせてしまったらしい…慌てて、廊下を足早に進む。その先、暗がりの中に、上に登る階段のほうへ曲がった。タルコットも、少し薄暗い階段へと入る。


「足元にお気をつけください。何せ、古い建物でございますので」


執事は少しだけ振り返って言った。両脇の石壁に、ところどころくぼみができていて、そこに蝋燭の火がか細く燃えているのだ。


ほんとに…まるで古代のお城だな…


タルコットは、石でつみ上がった壁を、圧倒されて眺めていた。長い階段はジグザクに左右に折れて、上まで続いていた。執事の後姿を見失うまいと、焦りつつ追いかけるが、執事のほうはまた、タルコットの歩幅を気にしながら進んでいるようだ。

3往復くらいジグザグに登ったろうか。階段が踊りにでて、その先にまた廊下が続いていた。廊下はすぐに行きどまりとなり、重厚な扉が見える。その扉の装飾にまた、息が止まる。細かく掘り込まれた木製の彫刻の上に、金箔が貼られ、ところどころ綺麗な石が埋まっている…扉の両脇に、若い兵隊が控えていた。


「こちらでございます」


執事は深々と頭を下げ、それから扉の向こうに向かって、よく通る声で


「タルコット・ハスタ様をお連れいたしました」


と告げた。若い兵隊は、重々しく頭をたれながら左右に扉を開いた。

暗い廊下とは対照的に、明るい室内に一瞬、タルコットはまぶしくなって、目を細めた。そこは恐らく客人を迎えるための応接室だったのだろう。歓迎の意を示すために、澤山のシャンデリアに火が点されていた。正面はすぐに、テラスへと続く大きな窓。そのすぐ右手に、領主らしき、高貴の装いをし、長い髭を蓄えた威厳のある男が立っていた。その後ろに、歓迎を示すためか…ずらっと、要人らしき人々の姿が並ぶ。騎士のような格好の凛々しい男達もいる。領主の左に、その二人だけ突出して若い男女も控えていた。しかし、いずれにしても重厚な衣装を身にまとい、多くの衣装の中にバンアール領の紋章である葡萄の蔓と巻き角のヤギの頭が描かれている。

領主は精一杯のもてなしのつもりであったろうが、タルコットは、場違いなところに彷徨いこんだ心細さでパニックになりそうだった。まず、どう挨拶すればいいんだ…跪くのか…?


「タルコット・ハスタ殿、ですね。領主のミハイル・バンアールと申す。この度は、貴殿の我が領民への厚いご支援、誠に感謝いたします」


領主ミハイルは、深々と頭を下げた。


「い、いえ…ハンターとして当然のことをしただけです。それに…今回の救援に関わったのは僕だけではありません」


どうせ礼を言うなら、アラネア隊も一緒に呼んでくれればよかったのに…と、思う。


「あなたは医術の心得もあるとか」


「めっそうもないっ…」


とタルコットはますます焦って、激しく首を振ったり、両手を振ったりした。


「ごく、初歩的なことだけです…あとは、ケルカノの医療班の指示に従っただけですので。ハンターであれば、誰でもできます」


タルコットの焦りように、領主はじめ、すぐ後ろに控えていた騎士も、微笑ましく見るような穏やかな笑みを浮かべている。タルコットは恥ずかしくなって、顔を赤くした。


「すみません…このような席、不慣れなものですから」


「いや、どうぞお気楽にしてください。我らも10年の間、外の世界から隔離されておりましたので、外界の風習になじんでおりません。失礼がありましたら、ご容赦を」


「い、いえ…」


領主のどこまでも慇懃な態度に、タルコットはすっかり恐縮してしまう。落ち着かない様子で周囲を見ると、穏やかな面々の雰囲気とは違って、領主の左に控えた若い二人だけが、何か腑に落ちない顔をしているのが見えた。あれ、と思って、思わずそちらへ視線をやった。領主はすぐに気がついて、


「これは、私の息子、イヴァンと申すものです。まだ若輩者ですが、ハンター殿の支援を度々うけて、無事ケルカノより領民を率いてまいりました」


と、紹介した。紹介されたイヴァンは、何か別なことでも考えていたのが、じっと、訝しげにタルコットの顔を見るばかりだった。


「…イヴァン、どうした? 客人に失礼だぞ」


父は優しく嗜めた。その心情を、すでにわかっているようだ。イヴァンは、急に我に帰って、


「これは…失礼しました。ちょっと考え事をしてましたもので。イヴァン・バンアールです。この度は、私の率いる領民の一部が、立ち往生したところを助けていただき、誠にありがとうございます」


と続ける。


「しかし…やはり、人違いだったようで」


と、最後に残念そうにぽつりと呟いた。そして、すぐに自分の呟きにはっとして


「し、失礼…実は、ほんのひと月前に、同姓同名のハンターの方に父ともども助けていただいたものですから」


タルコットはまた、ドキッとして、顔を引きつらせた。


「そ、そうですか…」


「お国は…ルシスとお伺いしましたが」


と、突然口を挟んだのは、イヴァンの後ろに控えていた若い女性だった。


「フィリア…挨拶もなしに失礼だぞ」


領主はまた、嗜める。女性はしまった、と言う顔をして俯いた。領主は、若い二人の無礼を詫びるように頭を下げながら


「度々失礼をいたしました。こちらは私の姉の娘、フィリアになります。まだ若い二人…礼を欠いており、お恥ずかしい。ご容赦ください。以前助けていただいたハンター殿に、2人が大変心酔しておりましてな。もう一度お会いできるかと楽しみにしていましたので。貴殿はご存知ではなかろうか。あの腕前ならば、ルシスでもかなり名の知れた方と推察したが」


タルコットは、いよいよ顔が強張った。人々は誠実そうな眼差しをタルコットに向けていた。


落ち着け…落ち着け…嘘をつく必要はないんだ。タルコットは自分に言い聞かせる。

「…自分と同姓同名の、ルシスのハンターということでしたら…すみません。自分には、心当たりがありません」

ゆっくりと、慎重に言葉を選ぶ。

「そうですか」

領主は穏やかに微笑んだ。

「それはお手間を取らせました。しかし、もし、この先、どちらかでその方にお会いすることがございましたら、お伝えいただけないでしょうか。バンアール領民並びに領主は、貴殿のご恩を決して忘れません。何かの折にシャンアール近くに向かわれる時には、ぜひともお寄りください、と。」

タルコットは、もう何もかも見透かされているような気がした。しかし、悪意は感じない。むしろ領主はあくまでも、タルコットの意思を尊重してくれているように思う。タルコットも、領主の暗黙の心遣いに答えるように微笑み返した。

「はい…わかりました。もし、会うことがあれば、必ずお伝えします」

「ありがとうございます。どうぞ、貴殿もシャンアールご滞在中はいつでも城の方へお寄りください。歓迎いたします」

「お心遣い、ありがとうございます。…それでは、まだ任務がありますので、失礼いたします」

タルコットは、さっと頭を下げると、先ほどの執事を伴って部屋を出た。

玄関まで降りると、先ほど預けた雨合羽がまるで新品のように綺麗に拭われていたのに、驚いた。使用人たちが、着せるのを手伝おうとするので、無碍にも断れず、言いなりになる。他人に前のボタンを留めてもらって、最後にフードまで丁寧に被せてもらうと、さすがに恥ずかしくて、まともに顔が見られなかった。

ようやく緊張感から解放されたのは、城を出た時だ。小雨の中、ほっと、安堵のため息をついている自分に気がつく。北の空から、雨雲を突き破って2号機が降下してくるのが見えた。

いそがなくちゃ… タルコットの脳裏から、つい先ほど目にした優雅な城の情景はあっという間に消え去り、慌てて、長い石段を駆け下りた。

























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