Chapter 21.7-イリスの婚約-

ぽつり、ぽつり…


ついに雨がタルコットの頬を打ち始めたとき、


これで最後だぁ


誰かが叫ぶのが聞こえた。振り向くと、最上部の屋根の中がわのところにまだ数人の作業員が残っていた。他の場所からはすでに人が引き上げていたので、多分あそこの仕上げをすればようやく屋根が完成するのだろう。


ーこら、バカ坊主!!


通信から突然、リカルドの声が聞こえる。


ーいい加減に降りて来い!バカたれ!


ーあ、はい…すいません…


なんか悪いことしたかな? タルコットは戸惑いつつ、急いで足場を降りた。降りる最中も、徐々に雨が強くなってきた。最後のジョイントはちゃんと完成したかな…

地上の見物人はもう疎らになっていた。兵士達も、大半は引き上げたようだった。リカルドが、長い首を折り曲げたクレーン車のそばに、呆れた様子で立っていた。


「おい、お前、メシ食ってさっさと現場に戻りやがって…」


「え…と、でも、食べ終わるまではここにいろって…」


「ばあか、メシ終わるころに捕まえて引き上げさせるつもりだったんだ。お前、今日夜勤も入っているって言うじゃないか」


あ、と思って、タルコットは慌てて腕時計を見る。危ない危ない…もう、16時30分だ。急いで着替えないと…


「すみません、忘れるところでした!すぐに着替えて、向かいます!」


ばかだなぁ…と呆れているのか面白がっているのか、変な顔でにやにやしながら


「まさかこれから夜勤に行くつもりじゃないだろうな? やめておけ。1日働きづめだろう…このあとにガキの相手なんて、死んでしまうぞ」


「いえ、大丈夫です! こどもたちが楽しみに待っていると思うんで」


リカルドは信じられない、と言う顔で、マジマジとタルコットを見る。


「お前、今、興奮で、疲れを感じていないだけだぞ…本部にはもう連絡してあるんだ。大人しく帰れ。希望の家には、また明日行けばいいだろ」


タルコットは、うーんと唸り、しかし、今はなぜか急に子ども達の顔が思い浮かんでしょうがなかった。


「すみません…わがままだと思うんですけど、このまま行かせてください。その代わり、明日は一日お休みをいただけると嬉しいのですが…」


はああ、とリカルドは首を振って


「まあ、基本的にハンターは自己管理…どうしてもというのなら行けよ。だが、明日は何が何でもお前には依頼は受けさせないからな。本部にも来るなよ」


「はい、わかりました!」


タルコットはぱあっと嬉しそうな笑顔を見せた。


「お前…なんで、そんなキラキラなんだかね」


リカルドは、ぼそっと呟いた。それから、ほら、行くならいそげよ。行く前にシャワーを浴びろよ、と付け加えて、雨の中、自分は最後の確認か、残った作業員達に声をかけに向かった。


なんだかんだ、リカルドさんこそ働きすぎと思うんだけど…タルコットは、ふふ、と笑って、それから大急ぎでまずは宿舎に向かう…さすがに汗と泥まみれの格好のままでは行けない。急いで着替えを持って、シャワーを浴びないと…

宿舎に戻って着替えをひっつかむと、そのまま慌てて本部に立ち寄って、シャワーカードをもらう…しかし、シャワールームはハンター達で行列になっていた。それはそうだ…今日は大勢かき集められてみんなで現場にいたんだもの… タルコットは、どうしようかと思ったがこれでは1時間は待つだろう。


5時っていうと…もう子ども達は夕飯なのかな。少なくとも夕飯の支度もあるだろうな…仕方ない。服だけ着替えて、このまま向かうか。


タルコットはきびすを返して宿舎に戻ると、着替えをして、湿らせたタオルで気休めに体を拭くと、大慌てで希望の家に向かった。雨はまだ小雨程度だったので、傘も持たずに一気に駆けて行く。


「すみません!!遅れました!!」


縁側から入ると、小さい子どもたちが、風呂から上がってさっぱりした様子で着替えをしている最中だった。着替えを手伝っていた二人の女性ハンターは驚いてタルコット見る。こどもたちは一斉にわぁああ お兄ちゃんが来た! と擦り寄ってきた。


「あら…あなた、今日はこれないんじゃなかったの」


「いえ…工事も無事に終わりましたので、来ました。遅れてすみません、お手伝いしましょうか?」


女性二人はちょっと戸惑って顔を見合わせたが、タルコットがにこにこして、もう家に上がりこんでいるので、じゃあ、と言って、子ども達の着替えを手伝うように頼んだ。


「私、ちょっとエドラを呼んでくるわね。風呂場のほうを見てるはずだから」


女性ハンターは廊下を出て行った。ええどうぞ、とにこやかに答えて、自分は、まだ裸で走り回っているこどもたちを捕まえる。ハンター駆け出しのころは、ルシスでもこんな風に、孤児院に手伝いに行ってたりしたっけ。そういえば、最近行ってないなぁ。懐かしく思いながら、手際よくこどもの着替えを手伝う。


「あら、あなた手馴れてるわねぇ…小さいご兄弟でもいたの?」


残っていた女性ハンターが聞いた。エドラよりは少し若そうだが…みんなのお母さん、と言った雰囲気をしている。名札を見ると、ベルタ・リーネルと書かれていた。


「いえ…前にルシスでもこういう場所でお手伝いしたことがあるので。実は…僕も孤児なんです。10年前の戦争で肉親をすべて失いまして。あ、でも、孤児院で育ったんじゃないんです。幸運に、引き取って家族同然に育ててくれた方がいます」


タルコットの脳裏に、ぱっと、イリスの笑顔が浮かび、自然と微笑んでいた。

あら…なんだか悪いことを聞いたわね… ベルタはちょっと沈んだ顔をした。タルコットは、気にしないでください、と首を振る。


「はい、お着替え終わったよ」


小さな男の子を着替え終わらせて、頭をぽんぽんと叩く。その横で、女の子が、パジャマの袖に手が通らなくて困っていた。タルコットは、女の子に近づいて、折曲がった袖を伸ばして腕が通るようにしてやった。女の子はちょっと顔をしかめた。


「お兄ちゃん、臭い!!」


あ… とタルコットは苦笑した。


「ごめんね…お兄ちゃん、お風呂に入ってこれなかったんだ。お風呂が今、満員でさ」


「まあ、そうなのね。今日は工事でたくさんに人が出ているって聞いたけど」


「そうなんです…すみません。一応、着替えては来たんですけど。やっぱり臭いますかね。女の子は鋭いなぁ…」


と頭をかく。


「それなら、ここのお風呂を使って。子ども達が終わったらどうぞ」


「え、いいんですか? でも、食事とかさせないと…」


「ふふ、男の人のお風呂なんてカラスの行水でしょうが。いいわよ、そのくらい」


その時エドラが、満面の笑みで部屋へ入ってきた。


「タルコットさん!!まあ、来てもらえるなんて、助かるわ!!今日は、建設現場でも大活躍だったんでしょ?」


その声には全く遠慮がなかった。タルコットは笑って返しながら、


「いえ、僕は監督の立場だったのでそれほど…」


「タルコット君、風呂に入れなかったんですって。ほら、本部には小さいシャワールームが二つしかないじゃない」


「あら、そうなの?! じゃあ、ちょうどよかった! これから大きい男の子達が風呂に入るところなのよ。一緒に入ってらっしゃい。大丈夫よ、もう一人で洗える子達ばかりだから」


え?! と、タルコットは一瞬戸惑いながら、しかし、子ども達が終わってから入るよりかは迷惑がかからなそうだと思い直した。


「じゃあ…いいですか、お言葉に甘えて」


「こっちこそ助かるわよ! やんちゃだから、危ないことしないか見ててもらえると助かるわ」


「わかりました」


タルコットはエドラに続いて風呂場に向かった。廊下の突き当たり、調理室の横に風呂場があった。お風呂あがりの女の子たちと廊下ですれ違う。一番最後が小学生以上の比較的大きな男の子たちの番なのだろう…風呂が汚れそうだしな、とタルコットは苦笑する。二人が入ると、ちょうど脱衣所で服を抜いだ男の子が、裸で大騒ぎしているところだった。タルコットが入ってくると、一斉に好奇心の目を向けて、にやにやと笑う。


「ほら、今日はこのお兄さんも一緒に入りますからね。おりこうさんのところをちゃんと見せてね」


エドラはそれだけ言い残すと、風呂場から出て行った。エドラが行ってしまうと、いっせいにわあぁと騒ぎ出す。先を競って洗い場にはいるもの、まだ脱衣所でふざけあっているもの…タルコットは冷や汗をかきながら、危険がないことだけそれとなく目を配りながら、自分も服を脱いで風呂場に向かう。これは、先にさっさと洗ってから、世話を焼いたほうがよさそうだな。風呂場は、なるほど、大勢の子ども達を一斉に洗うだけの広々とした洗い場にシャワーも5つ並んでいる。それに、ゆったりと大きな湯船。あの不便な本部のシャワーに比べると、贅沢に見えた。タルコットは、得した気分になって、いつもよりゆっくりと体を洗うと、気の早い数人の子ども達と一緒に湯船に入った。


「いいねぇ、このお風呂…贅沢だよ」


とタルコットが言うと、


「でも、取水制限のときは入れないんだぜ」


「キャンプにいたときは、3日に一度だったよ。テントの中に、大きなプールみたいなのがあって」


男の子たちは口々に、自分の知っていることを披露した。男の子たちにとっても、この大きな兄貴分が気に入っているようだった。へえ、そうなんだぁ とタルコットはひとりひとりの話をにこにこと聞いた。脱衣所で遊んでいた面々も、ちょうどよく洗い場がすき始めたころに風呂場に入ってくる。人数が多いのでいっぺんには洗えないし、いっぺんには湯船につかれない。湯船は洗い終わった子ども達ですぐにいっぱいになった。タルコットは、第一陣のこどもたちと一緒に、風呂をあがった。

ちょうどその時、最後にようやく洗い終わったのんびりやの男の子が、慌てて湯船に入ろうと駆け出した。タルコットは男の子の手をそっと捕まえた。


「こらこら…風呂場では走ったらだめだよ。ひっくり返って頭を打つと、危ないよ」


えええ? と叱られた子どもはちょっと恥ずかしそうに笑って、ゆっくりと湯船に向かう。これで、一応、全員洗い終わって湯船におさまったようだ。タルコットは、散乱した石鹸や風呂桶を片付け、脱衣所にあがって自分も体を拭く。早い子達は、もう、さっさと着替えが終わっていた。


「タルコットさん?」


ドア越しに女性の声が聞こえた。


「はい、着替え終わりました」


「よかった。じゃあ、他の子たちもあげてもらえる?もうすぐ、食事なので」


「わかりました」


タルコットは風呂場に向かって声をかけた。


「はーい! もう、みんな上がって! ごはんできてるよ! 遅い子の分はお兄さん食べちゃうからね!」


げー! という不満の声が上がって、男の子達が慌てて風呂場から上がってくる。脱衣所は一気にごった返した。


「ほらほら、着替え終わった子はすぐに部屋へ行って。満員なんだから」


「ねぇねぇ、兄ちゃんもご飯食べるの?」


「うん、多分ね。それに、今日は一緒に泊まると思うよ」


おおおお!! と男の子達は沸き立った。じゃあ、肝試ししようぜ、肝試し! プロレスがいい! と口々に希望を言いながら、ぞろぞろと廊下を戻っていく。

部屋に戻ると、小さな子ども達はすでに食事をはじめていた。こちらも流れ作業なのだろう。長い机にはすでに、大きな男の子達の食事も用意されていた。大きな女の子達はお行儀よく、男の子達が席につくのをまっている。


「あ、タルコット君はこっちね」


と、男の子達のテーブルの端っこに呼ばれた。お盆に載せられていた食事は、ひとりだけ山盛りにされていた。タルコットは急に空腹を思い出した。


「はーい!みんな! 気がついていると思うけど、今日は特別にタルコットさんがお手伝いに来ています!」


エドラが大きな声を出す。


「タルコットさんはお泊りもしてくれます。だからご飯が早く終わったらたくさん遊べるわよ!はい、いただきます!」


いただきます! 大きな子達は元気よく挨拶をして一斉に食べ始めた。こどもたちの勢いはすごい…特に男の子たちは、飢えた子犬のように一気に食べ物を掻きこむ。タルコットもあまりの空腹と男の子たちの勢いに乗せられて、思わずがっつく。

しばらく食事に夢中になっていると、はっとして、周囲の様子を見渡した。女性達は自分達も食事をしつつ、小さい子ども達の食事の手伝いにしょっちゅう立ち上がっていた。あれでは、おちおち食事もできないだろう…タルコットは慌てて腰を浮かせかかった。


「あの…そっちも手伝いましょうか?」


エドラは笑って


「いいのよ! 来てもらっただけで大助かりだから。食事の後、遊んでもらえると助かるわ」


男の子たちはよほどタルコットと遊びたいらしく、さっと食事を終えるとつぎつぎと下膳にたって、調理室まで食器を運んでいく。へぇ、自分でちゃんと片付けるんだな。タルコットは感心して、自分も空になったお盆を持って子ども達に続いた。調理室では、調理の担当者なのだろう…気のよさそうな顔をした高齢の夫婦がこどもからお盆を受け取って片端から食器を洗っていた。


「ご馳走様でした」


「お粗末さまでした。足りましたか? お代わりもまだありますよ」


「ええ、はじめにたくさん盛っていただいたので、お腹いっぱいになりました」


「それはよかったです」


タルコット、プロレスしようぜ! ちがうよ、肝試しだろ! 男の子たちは早速群がって、あっちこっちに手を引こうとする。


「男の子だけずるい!!!」


と声がして見ると、廊下の向こうで女の子達が仁王立ちして立っていた。


「タルコットさんは、みんなの手伝いに来たんだよ!」


「そうだよ!みんなと遊ぶんだよ!」


その中には、ミナも混じっていた。あははは…嬉しいんだけど、困ったなぁ…タルコットは交互に子ども達お顔をみながら、


「じゃあ、ええと…みんなでできる遊びをしようよ。トランプとか、カルタとかないのかなぁ」


えええ?!そんなの、いつもやってるじゃん!つまんねー! と男の子達が不満を言う。女の子達が、文句あるならあんたたちはよそへ行きなさいよ! とすごい剣幕で責めてくる。どうも男の子のほうが分が悪いようだ。


「はーい!廊下で騒いでいる人たち!!歯磨きしないと遊べないわよ! すぐに流しに来なさい!!」


エドラの一喝があって、こどもたちはわああと、流し台のほうへ向かった。タルコットも、混じって歯磨きをさせてもらった。それから、小さな子ども達の仕上げ磨きを、流れ作業で行う。タルコットの大きな手では、小さな口の中を磨くのは難しかったが…小さなこどもたちも珍しい兄貴分に構ってほしくって、仕上げしてー、とタルコットのところへ寄ってきた。


「モテモテねぇ…」


女性ハンターのもう一人…リリカ、という比較的若い女性が、その様子を笑って見ていた。

歯磨きがようやく終わって、座卓を片付けられたホールにみんなが集まると、こどもたちはおもちゃを持ち出して遊んだり、絵本を読んだりしていた。タルコットが入ってくるとわっと、めざとい女の子達が寄って来た。男の子達は、自分達でふざけあって遊んでいるうちに出遅れたらしかった…しまった、と言う顔をして、こちらを見ている。

タルコットは女の子に囲まれてやや戸惑いながら、ええと、じゃあ、カードゲームでもすればいいのかな、と思っていると、女の子達はタルコットの手を引いておもむろに部屋のはじっこで丸く座ると、


「ねえ、タルコットさん。好きな人っている?」


とのっけから、すごい質問を投げつけてくる。きゃあああ 何も答えないうちから、周りの女の子達が黄色い声を上げていた。


ええええ??! タルコットが困って、助けを求めるように女性ハンター達を見たが、それぞれに小さな子どもの相手などをして、可笑しそうにチラッと視線を返すだけだった。


「ねえ、いるんでしょ?誰?ハンターの誰か?」


ええと、この子は…この間着たときに隣に座った、おしゃまな子だな。タルコットはたじたじとなりながら


「ええと、君はいるの?」


と聞いてみた。


「私の名前は、ランよ。覚えてないの? レディに2回も名前を聞くなんて…だめねぇ」


と言われて、かなわないなぁ、と頭を掻く。


「ご、ごめんね…」


「ふふ、いいわ。私の答えは、あなたの答え次第かな?」


と、熱っぽい目で見られて言われると、タルコットはますます困った。


ど、どうしよう…


「ねえ、そのポケットに入れてるやつ…それ写真とか入っているんでしょ?」


他の女の子が、タルコットの胸ポケットにつっこんでいたスマホに目を留めた。


「ああ…これね。ケルカノでは電話は使えないんだけど…そう、写真とか取れるよ。みんなのもとってあげようか?」


タルコットはここぞとばかりに、違う話題を振って、難を逃れようかとした。


「へええ、待ち受けには誰の写真を使っているの?」


と、ランが見透かしたように答えた。うっ…この子、待ち受けって言葉まで知ってるの… 女の子達が一斉に好奇の目を向けた。タルコットは、嫌な汗を掻きながら、しぶしぶと女の子達の視線の前にスマホの画面を見せた。そこには、数年前に撮影したイリスとタルコットの2ショットが映っていた。


「やっぱり!これが、好きな人なんでしょう!」


ランが勝ち誇ったような顔で言う。


「こ、この人はっ」


タルコットの声はなぜか焦っていた。ばか、何で焦るんだ…自分で自分に突っ込む。


「この人は…イリスさんと言って…僕のお姉さんみたいな人だよ」


んんん? 何ごまかしてんの? という疑いの目で、ランがタルコットを見ている。タルコットは、ごほんっ とわざとらしく咳をして、仰々しく姿勢を正した。


「僕はね…小さいころに、お父さんとお母さんが死んで、あと、おじいちゃんも死んだんだ。それで家族が誰もいなくなって、その時…家族になってくれたのがイリスさんなんだ。だからお姉さんなんだよ。イリスさんは、僕に毎日勉強を教えてくれたし、料理を教えてくれたし、他にも、お父さんお母さんから教えてもらうようなことを、たくさん教えてくれたんだよ」


タルコットの脳裏に、悲しいジャネットとの別れと、イリスとすごした年月の記憶が、走馬灯のように駆け巡った。懐かしいような、ちょっと寂しいような…


「でも、血はつながってないんでしょ? 別に、恋人にもなれるし結婚もできるわよ」


ランは大人びたことをいう。タルコットは、ため息をつきながら、


「イリスさんは…もう婚約したんだよ。ほら」


と言って、スマホに収まっていた写真を見せてあげた。それは、王の剣の伝統ある制服に身を包んだ、凛々しい男性と、イリスと、そしてタルコット3人で写した写真だ。つい、ひと月前の写真だった。


二人の交際が発覚したのは2年前、ちょうどタルコットがハンターの登録を終えたころだ。タルコットが大人の仲間入りをしたと、イリスをはじめ、モニカ、グラディオ、イグニス、コル将軍さえも喜んでいた。そのころ、イリスはもう、タルコットとは生活を別としていた。

一緒に生活していたのは…13歳ころまでだったか。イリスが将軍と一緒になって、警護隊やハンター協会やレスタルムの防衛隊を行き来しはじめてから、忙しくなって家をあけることが多くなった。タルコットはイリスに心配をかけたくない一心で、家のことは全部自分でできるようになっていた。タルコットって頼りになる! たまに帰宅したときにタルコットが食事を用意してあげると、イリスはいつもそう言って喜んでいた。イリスは、タルコットが心配になるくらい…外では一生懸命に人々を守ったり、3つの組織を橋渡しするために奔走していた。そして、家に帰るといつも放心したようにぐったりしていた。もしや、この家に帰ること自体が、イリスにとって負担なんじゃないか…タルコットは不安になった。そのころだろう、タルコットが自分ひとりでハンター協会に出入りを始めたのは。早く人の役に立ちたくて、時間を見ては協会に入り浸って、自分にできる手伝いはなんでもした。それは…家にひとりでいる寂しさのせいだったかもしれなかった。しかし、協会での活動はタルコットに自信を与えもした。重宝されて、いろいろな手伝いの依頼が入ったし、協会は、ハンター並みに、適正な報酬をタルコットに支払った。教会の規定に従って正式に登録ができるのは16に達するのを待たねばならなかったが、タルコットは、危険度の低い仕事であれば、安心して任されていた。


そして、やがて、イリスの帰宅が週に1回もなくなり、タルコットは決意してイリスに切り出す。


僕、もう一人でも大丈夫です。


イリスは驚きもし、そして、喜びもした。そうか、ごめんね。かえって気を使わせちゃってたね。


その後も、心配したグラディオや将軍が、しょっちゅう家に寄ることになったが、タルコットは独り立ちをして、名実ともに一人暮らしを始めた。


イリスさんは、そのあとも、少なくともひと月に1回は、家を訪ねてくれったっけ...


イリスから、恋人、ルチェオを紹介されたのは、タルコットがハンターに正式登録をしたお祝いの後だ。なんかみんなでお祝いをしてくれるみたいで…と電話を入れたとき、誰か連れてくるかも…と電話越しで何か濁していたが、結局イリスは、お祝いの席には一人できていた。まだそのころ、兄のグラディオに恋人のことは秘密だったようだ。


その後しばらくして、あのね…ちょっと、紹介したい人がいるんだ。 とイリスに切り出されてどきっとしたことを、タルコットは覚えている。胸に、何かが突き刺さるような感じだった。そでも、イリスが兄を差し置いて、まっさきにタルコットにルチェオを紹介してくれたことに、家族としてみてくれているんだな、と感慨深いものがあった。

イリスからしてみれば、うるさい兄貴のまえに、外掘りを固めたかったのかもしれない。


ルチェオは、王の剣の若いメンバーだった。褐色の肌に、ほりが深い顔は兄によく雰囲気が似ていた。後にイグニスが、’兄貴からゴリラの要素をなくした感じ’ と表現して見せたが、うまいこと言い当てていると思う。目立って体の大きいグラディオに比べると、一回りほっそりとして見える。しかし、一般的にみれば、ルチェオも十分に体が大きいし、凛々しいだけでなく美しさを備えたその横顔や、鍛えられていながらしなやかな体つきは、イリスと並ぶと本当に絵になった。初めてあったときには、その圧倒する存在感に、タルコットは、惨敗の気分だった。ルチェオはあまり多くない口数の中に、イリスに対しての十分な敬いと、年下の自分に対しても丁寧なものいいをして、その容姿だけでなく、内面にも成熟した大人の魅力を感じた。


…グラディオに紹介してからしばらくは、大変だったようである。そのころ、グラディオは、将軍の求めもあって王の剣のめんどうも見ていたから、仕事上、ルチェオにつらくあたることもあったようだ。あのグラディオのことだ…よほどの男でなければ、妹の恋人として承諾はできなかっただろう。


グラディオが王の剣から身を引いたのは、イリスの交際が発覚して半年後のこと。そのあとすぐにルチェオは、王の剣のサブリーダーとして抜擢を受けて、騒然となった。まさかグラディオが身内を贔屓するわけがない、と多くの隊員は思ったが、中にはよからぬ想像をして悪い噂をたてた者もあった。タルコットは、きっと、グラディオさんが、イリスさんの交際相手としても、そして王の剣の実力者としても彼を認めたのだろうと思っていた。そして、一度認めら得たからには、彼らはすぐに結婚に踏み込むんじゃなかろうか、と。

しかし、実際に、イリスが婚約を決意したのは…ほんのひとつき前のことだった。交際が明らかになってから、2年近くたっていた。イリスは、この時も真っ先にタルコットに知らせてくれた。お兄さんができるよ! と言って。

イグニスから今回の任務を聞かされたとき、難しい話が終わった後でちょうどイリスの婚約の話題が出た。グラディオがちょっと席をはずしていたときだった。イグニスは思わせぶりな沈黙の後、ノクトの無事がわかって、イリスも安心しだのだろう、と呟いていた。


そういえば…とタルコットは思い当たる。タルコットと一緒に生活していたとき、イリスはよく、ノクティスの話をしていた。それは、いつも、ノクティスのだらしなさを嘆くような内容だったけど、しかし、決まって最後には、こう呟いていた。


あいつ…早く帰ってこないかな


「やっぱり、好きだったんでしょ。その人のことが」


タルコットが思い出に浸っていると、ランがまるで大人びた表情で暖かい眼差しを向けながら、言う。タルコットは、大げさにかぶりを振って


「だから…そうじゃないって…」


と言いつつ、はっとする。自分の目から、…するっと液体が流れたのに気がついた。


あれ、なんだろ…嘘だろ…


慌てて手でぬぐってみると…涙のようだった。同時に、胸がかっと熱くなっているのを感じていた。


「泣いてもいいのよ。好きな人が婚約しちゃったんだから…」


ランは、タルコットの背中を撫でる。…うわ、なにやってんだ。こんな小さい女の子に慰められて…しかし、タルコットは、不覚にも、こみ上げるものが止められない。


く…


タルコットはついに、俯いて、堪えきれずに小さな嗚咽を漏らした。疲れてるのかもしれない…いつもは、こんなことないのに。しかし、頭の冷静な思考とは別に、顔はかっと熱いまま、静かに涙をこぼしている。


いいのよ、泣いて


ランがまた、大人びた声で囁いた。














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