Chapter 20.9-いびつ(1)-

一行は、日暮れ前にチパシに戻った。捉えたマルコは、あまりにやかましいので口を布で縛り上げて静かにさせたうえで、車の後部座席の足元に押し込み、目立たないように上に布を被せてそのままゴダールの屋敷まで運んだ。残りの3人、ヨール、ルノ、ダンの3人はショックが隠しくれない青い顔をしていたが、騒ぎが大きくならないよう黙っていてくれ、というブディの言葉に素直に頷いて、自分のテントへ戻っていった。

ゴダールの屋敷の、窓がなく鍵のかかる一角に、とりあえずマルコをしばりあげたまま放り込み…いま、ブディ、ハルマ、ノクト、そして、ゴダールとエドが、応接間に集って難しい顔をしている。


「完全に…俺の手落ちだ」


ブディが酷く沈んだ声で言うので、ノクトもハルマも驚いた。


「ちょっとまってくれ」


とノクトとハルマは同時に口を開いた。


「今回の計画の責任者は俺だ、俺の責任だ」


「いや、マルコに声をかけたのはオレだろ」


そうじゃない、とブディは首を振って


「ニムスは逃がしてはいけない男だった。俺は、こちらの守りに詰めが甘いことを敵に知らしめてしまった…頭を打ち抜くべきだったんだ」


と覆い被せるように言った。


「3人とも黙れ!!」


ゴダールは一喝した。応接間に、重い沈黙が横たわる。


「俺が知りたいのは事実だ。誰の責任だの、何が悪かったのだの、そんなことには興味がない。事実を言え。そしてこの先どうすべきかを考えたい」


ノクトたち3人は黙って、しばらくお互いの顔を見合わせた。


「時系列に言ったほうがいいな」


とハルマは口を開いた。


「まず、難民にどう声をかけたかだが…あの騒ぎを起こした連中全部に声をかけている。俺が思うに10人はいた。そうだよな?」


「ああ、オレとハルマで手分けして声をかけたんだ。そして、オレはマルコと、ジョルオ、ハルマは、ダンから承諾を得た」


ノクトも続いた。


「それが、昨日の朝に集まったのは…ジョルオではなく、ニムスだった。ジョルオが朝になって腹痛を起こして交代したと言っていた」


ノクトはそこまで言って、はっとして、


「ジョルオは無事なのか?」


ゴダールとエドは顔を見合わせた。


「今朝の炊き出しで顔を見たな」


とエドが言うと、


「やつをすぐに連れてこい」


とゴダールが指示した。エドは、頷いてすぐに部屋を出て行った。


「それで…その話を聞いてどうしたんだ?」


「正直…怪しいと思った。彼の肩にそれとなく触れてみたんだが、鍛えられている体のように感じた」


「ノクトはすぐに、俺に報告したんだ。俺たちははじめから彼に注意をしていた。それに…身体検査もした。武器は所持していなかったが、体つきは只者ではなかった。なのに…」


ブディがまた悔やむような言葉を吐くと、ゴダールはすぐにそれをさえぎって


「お前の反省を聞いている暇はないんだ。事実を報告しろ」


「…3人のうち誰かが、ニムスを警戒しようってことになって、1日目はノクトと俺がニムスを見張ってた。特に怪しい動きはなくて、よく働いていたよな」


ハルマが言うと、ノクトもそれを受け取って


「ああ…確か、マルコがすぐにへばっていたんで、使えねぇやつだ、とかボヤいていたっけ…」


「今思うと…まんまと、俺たちの注意をニムスに引き付けることに成功しているんだ。二人ははじめからグルだったんだろう。おかげでマルコはノーマークだった。」


ブディは言った。しかし、ゴダールはすぐに首を振った。


「お前達の目は節穴だ」


彼は遠慮なく言い放った。


「マルコが引き付け役でノクトに発砲したなら…やつはほとんど、殺され役だ。もし、やつの銃弾が命中してたらハルマは剣を抜くのを躊躇わなかっただろう。しかしマルコは本気だったはずだ。自分が助かる見込みがなかったのにな。やつがそんな献身的な男に見えるか? あの男は見るからに脳がない…ニムスという男はよほど人の心理をうまく支配する。ことばたくみに炊きつけて、本人の意識とは別に引き付け役を負わせた。うまくしてルシス王の命をとり、車を奪って逃げる…が、マルコを乗せて逃げる様子ではなかったんだろう。どうだ?」


3人は言い当てられて、ぐうの音もでなかった。ゴダールは、ふふっと笑った。


「…なかなか巧みに隠れていたな。先日の騒ぎの扇動者もやつだろう。しかし、自分は一切表に出なかった。うまくやったもんだ」


ブディは、面目ない…と呟いた。


「あいつは…明らかに目的を持ってこのチパシに潜入したんだ」


「だろうな」


ゴダールは動じずに言う。


「我々も怪しい動きを察知してから予想していただろう。誰かが争いをしたがっている…いや、正確に言うと、誰かが争いをさせたがっているんだ。まだその黒幕がわかっていないが、そんな意思を持つものが一人とは限らない。今わかっているのは、少なくとも一人は、そんなことを考えているやつがいて、しかも、そいつは、難民の鬱屈した心理を利用してうまく扇動できるくらいの手練を支配下に置いている」


一同は、考え込むように沈黙した。


「それは…ニフルだけじゃない。アコルドでも同じだ」


ノクトは思い出したように言った。


「そうだ。考えようによっては、いま、この世界でありふれたことのひとつだ。で、我々は目下、この見えない敵についてどう対応するかだ。あっちはスパイを送りこむだけの余裕はある。つまり…それなりの統率された集団で、軍備もある、と考えたほうがいい」


3人は圧倒されたように目を見開き、開いた口からは言葉が出なかった。ニフルハイム内に、戦闘を仕掛けられるだけの軍備を持っている集団が生き残っていると…


「そういえば…」


とノクトはヨールから聞いた話を3人にした。ボンガロ市の軍の内紛...ゴダールは難しい顔をして唸った。


「それも可能性のひとつだな…しかし、おそらく似たような都市は他にもあるだろう。難民からの聞き取りは、これまで断片的にしか行われなかったが、これから本格的な調査に乗り出す必要がある。しかし、それをするには、こちらも生半可なことはできない」


ゴダールはまっすぐにハルマを見た。


「大勢の人間を動かすには、大儀が必要だ。…敵はいかようにもこじつけて権威を主張してくる連中だ。バカ正直に有志を名乗って、親切心を理由にしても、協力者は限られる。連中が知りたがっていることは容易に想像できるぞ。俺たちがもっと広いニフルハイムに影響力を持ちたがっているか、そしてやつらの支配に対抗するだけの力を持っているか、だ。」


ハルマは…覚悟を問われて、黙った。しかし、ゴダールの眼差しから、目を反らしはしなかった。


「誰かがこのめんどうな役を引き受けなきゃならん。他の無茶苦茶な連中に支配されたくないならな」


ノクトは、息を呑んでハルマとゴダールを見守った。ゴダールの言葉は…ノクトの胸にも深く突き刺さっていた。


「わかった…ユスパウ領の統治を宣言する。オジキの生死が判明するまでは暫定となるが…俺の名前で統治権を発動する」


ハルマは言い切った。


その夜…いつものように夕食の配給を待つ難民の列が、中央広場にできる。注目を集めるために、大掛かりに薪が組み立てられて、火が点された。その前に、目立つように足場が組まれて、一段高くなったところにハルマが立った。


「聞いてくれ」


拡声器もないので、ハルマが大きな声を張り上げる。ゴダールや、エドやブディが、ハルマの証人かつ支持者として脇に立っている。ノクトは、目立たないように広場の暗がりからその様子を見る。ノクトのほかに、ゴダールの弟子にあたる数人が付近の警戒に当たった。こんなときに、プロンプトとキリクがいてくれたら、と思うが。二人は無事谷についたことの連絡を受けたが、別の迂回路を試すとかで、集落に戻るまでにはこれからまだ数日かかりそうだった。


「まず、名乗らせてもらおう。俺は、ハーヴェルム・ユスパウ。ニウル・ユスパウの2番目の弟、ガードナ・ユスパウが俺の父だ。ユスパウ家の者として、ここにユスパウ領の統治を宣言する。これは現領主ならびに領有相続の権利を持つほかのユスパウ家の人間の生存が確認されるまでの暫定措置だ。本宣言に不満があるものは、後に本部で不服申し立てを受け付ける。不服申し立ては、公開され、チパシに設立する暫定評議会にて審議する。その審議が決するまでは、俺が統治権を行使することになる。」


キャンプは当然、ざわついた。しかし、世話役の中心人物としてすでにハルマが認知されていただけあって、今回の宣言にあからさまに不満の目を向けている者はいないように見えた。


「早速だが、緊急事態の宣言をしなければならないことを心苦しく思う…しかし、これは、決してあなた方の権利を侵害するためのものではないことを、断っておく。まず、経緯を説明しよう。昨日出発したゴートナダ調査隊の内部で、傷害事件が発生した。犯人は避難民より自由意志によって参加していた調査隊員のうち2名だ。1名は、他の調査隊の一人に背後から発砲しており、目撃者もいる。幸いけが人はなく、犯人を拘束することができた。動機は調査中だ。もう1名はその混乱に乗じて、車両の盗難を試みて失敗し、徒歩にて逃走した」


大きなざわめきが沸き起こって、人々が不安そうに顔を見合わせる。顔を背けたり、いかにも挙動の怪しい人間もいた…ノクトはさりげなく背後に近づいて様子を観察し続けた。


「これまで、避難してきた者たちの身元、所持品については特に不問としてきたが、このチパシだけでなく、このキャンプに身を寄せているすべての人々を守るために、身元調査と所持品の検査を実施することにした。銃火器や、大型の刀など殺傷能力の高い武器については、本部で預からせてもらう。その代わり、このキャンプ地に、警備隊を配備し、あなた方の安全は我々が保障する。もちろん、チパシを出るときにはこれら武器は返却する。それから、身元の調査については…我々は警察ではない。過去の犯罪を暴き、裁くために行うのではない。今この時点で、他人に危害を与える意思がないことを確認できれば良い。それぞれ個人の情報は本部の特別調査班で厳重に守秘する。調査には正直に応じてくれ」


身元と所持品の調査…これは、難民達にとって衝撃だったようだ。大きなどよめきが起こって、しばらく静まらなかった。ハルマは、話を続けるのに、さらに声を張り上げなければならなかった。


「静かにしてくれ!!まだ、話は終わっていない!!」


ハルマの声は、ざわめく聴衆の中にあって、よく通った。聴衆は、静かになった。


「調査は明日の朝から、順にはじめる。詳細は、朝のうちに、この場所に掲示する。また、今回の調査に同意できない者については…申し訳ないが、今夜のうちにチパシを発ってくれ。これは厳しい決定だが、ここにいる者の生命を守るためだ。なお、今夜の出発を希望するものは、申し出れば数日分の食料を提供する」


「ここへでて、どこへ行けって言うんだ?!」


突然、聴衆の後ろのほうから、男の声が上がった。その声は、怒りと不安で震えているように聞こえた。その場に緊張が走り、人々は男のほうを振り返った。


「この集落以外に残存している集落の情報がほしいという意図なら、個別に相談に乗る。この後で俺のとこへこい。他に質問があるものは?」


聴衆はしんと、沈黙した。


「では、俺から以上だ」


聴衆はばらばらと配給を受け取ったり食事をはじめたりするために、方々に散った。警戒に当たっていた数人は、それぞれに挙動の怪しいと思った者に声をかけて、任意の同行を求める。ノクトは、騒ぎが起きそうになったら、駆けつけることになっていた。先ほど、声を上げた男も、任意の同行を求められていた。男は、不安な顔をしながら…しかし、素直に同行に応じているようだった。

この夜は、特に大きな騒ぎにもならずに済んだが、やはり、ひそかに村を発ったものが数人はいたようである。夜間の見回りをしていた警備隊員は、村を去っていく者の姿を認めたが、はじめの取り決めどおり、行くに任せた。どれも、単身の男達であったようで、複数人で連れ立って発ったものはいなかった。


ノクトは、その朝、久しぶりにベッドの中でまどろんでいた。昨夜、久しぶりにルーナの待つ家に帰ったというのに、もう夜中を過ぎていて疲れきっていたため、愛し合うまもなく寝入ってしまった。ノクトはまどろみながら、ベッドの隣をまさぐる…もうすでにルーナがいないとわかって、また眠りに落ちる。


そのうち、居間のほうから声が聞こえてくる。ノクトを気遣ってか声を潜めて話をしている。…アラネアが来ているんだな。そういえば、ノクトが調査に行っている間は、ルーナのところへ泊まるっていっていたっけ。昨夜も、客間に泊まっていたのか…。うっすらとした意識の中でそんなことを思っていると、


あ! プロンプト!


とアラネアが大きな声を上げた。静かにね、と優しくたしなめるルーナの声が続いた。


まあ、プロンプトさん…ごめんなさい、ノクティスはまだ眠っていて


と答える声がすっかり板についていて、ノクトは目を閉じたままニンマリと笑っていた。


そうかぁ、オレらさっき戻ってきたんですよ。じゃあ、また後で来るかなぁ。なんだか大変だったみたいって聞いて心配になって


しゃあねぇなあ…と思って、ノクトは目を開けた。重い体をゆっくりと起こして、大きなあくびをした。ルーナはすぐにノクトの気配に気がついて


「あら、起きたみたい…さあ、どうぞ。コーヒーを入れますから」


と、プロンプトを招き入れたようだ。

ノクトは、クローゼットから適当なズボンとTシャツを引っ張り出して、着替えると、寝室を出た。短い廊下で、居間から入ってくるルーナと出くわす。


「おはよう」


「おはようございます」


ルーナは、ノクトの顔色がいいのを確認してほっと安心したように笑った。


「今、朝食をもっていきますね…」


と台所のほうに通り過ぎようとするルーナを捕まえて、ノクトは濃厚な口付けをする。ルーナは素直に応じていたが、なかなか離そうとしない夫を見かねて、


「ノクティス…お客様をお待たせしないで」


と、叱る。ちぇっ とノクトは少し拗ねて見せた。ルーナは可笑しそうにその頭を撫でて、ノクトの背中を押した。


「おはよう」


だるそうに頭をかきむしりながら、居間に入ると、プロンプトとアラネアがテーブルを囲っていた。アラネアは朝から書き取りでもしてたらしい…ノートに向かっている。


「ノクト、おはよう! 留守中大変だったみたいだね?!」


という、プロンプトの額にも酷い擦り傷ができていた。


「なんだよ、お前こそ、その顔!」


「あはははは…バイクに挑戦してみたんだけど、ちょっとやっちゃって」


と頭をかいている。


「練習で、カーブ曲がり損ねちゃってさ…そんな、大したスピードじゃなかったから、大したことないんだけど…バイクにも傷つけちゃったんで、キリクには相当どやされたよ」


はああ、と頭をうなだれる。


「まあ、それ以外は順調。いい迂回路も見つけられたんだけどさ、車両が通るのはぎりぎりかなぁ…半分登山道みたいな感じで」


「谷のみんなは?」


「かわりないよ! すごい歓迎振りで…でも、キリクにせっつかれてとんぼ返りだったんだけど。あ、そうだ!あーちゃんにお土産がある!」


といって、プロンプトはウェストポーチから手紙を二つ取り出した。


「シノと、スイから手紙を預かったよ!」


わあ っとアラネアはうれしそうな顔をして、手紙を受け取った。早速開いてみる。


「あらねあ、さま…おげんきですか…わたしは、げんきです…がっこうの、みんなも、げんきです…ちぱしでも…べんきょうを、していますか…」


お、おー。勉強してるぞ! とアラネアはその場で答える。


「プロンプト! お返事を書くから届けて!!」


ええええ?! とプロンプトは汗をかいて


「す、すぐには谷にはいかないなぁ… そうだ。今度、あーちゃんも通信機でお話できるよう、お願いしてみるよ」


「シノと話ができるのか?!」


うんうん、ゴダールさんに頼んでみるね。とプロンプトは頷いた。

ルーナが、ノクトの朝食と、3人分のコーヒーを運んで居間に入ってきた。ノクトはすぐに立ち上がって、お盆ごと受け取った。


「ありがとう、ルーナ」


そして、そそくさと、プロンプトにコーヒーのひとつを渡し、ルーナの席にもひとつ置いた。


ほえぇ… とプロンプトが、あまりの気の回りように驚いたようにノクトを見る。ノクトは知らんふりをして、朝食を食べ始めた。


「さあ、コーヒーを暖かいうちにどうぞ。といっても…今日ももう、大分暑くなってきましたね」


とルーナは笑った。


「あ、はい、ありがとうございます…」


プロンプトも、ようやくルーナへの緊張が解けてきたようだ。プロンプトから谷の様子などを聞いて和やかに朝食を取っていると、しばらくして戸を叩くものがあった。


「あら、もうこんな時間」


といって、ルーナは立ち上がった。アラネアも同時に立ち上がる。


「おはようございます!」


といって、扉から顔を覗き込んだのは、レイだった。今日も学校を開くのだろう。


「じゃあ、行ってきますね。今日は昼過ぎまでかかりそうですが…」


とルーナが慌しく荷物を持って出かける準備をした。


「わかった。こっちも、たぶん夜まではいろいろと借り出されてるから。遅くなったら夕飯も気にしないでいい」


「わかりました」


「気をつけてな」


はい、行ってきます…と、ルーナは笑顔で、アラネアと連れ立って家を出て行った。

いってらっしゃーい…とプロンプトも二人を見送る。それから、改めてノクトに向き直って、ほぇえええ、 と驚いた様子を見せる。


「なんだよ」


「なんだよって…いやぁ、もうすっかり夫婦だなって。あ、うん、で通じるって言うか? それに...ノクトがそんなに気が回る旦那様になるなんて…ううう、信じられないっ」


と、プロンプトは感動しているのか、それとも悔しいのかよくわからない表情を浮かべていた。


「なに、のんきなこと言ってんだ。本部でだいたい状況は聞いたんだろ? これからしばらくは忙しいぞ…キャンプの警備隊にオレもお前も名前が入ってる。これから交代であそこの警備。それに、ゴートナダへの調査隊の第2陣も派遣するって言ってるしな」


「聞いたよぉ…もう、ゴダールさんとブディとハルマは、3人して難民の聴取に詰めてるみたいでさ。他の世話役から聞かされた。あ、そうだ、ノクトも起きたら本部に来いって」


「キリクはなにやってんだ?」


「早速バイクでどっかの調査に行かされてたよ。あ、そういえばさ…」


とプロンプトはコーヒーをすすりながら、ちょっと変な顔をして


「キリクって…女だって、気づいてた?」



ノクトは口に運びかけた目玉焼きのかけらを、ぽとんと、落として、しばらく静止した。


あ? あああ… 


意味不明な間延びした声を上げる。そういうことか… 驚きもし、そして、なぜか腑にも落ちる。


「そうかぁ… そういうことかぁ…」


ノクトは呟く。


「そ、そういうこと。なんか変な感じだとは思ってたんだけどさぁ」


プロンプトはノクトの反応をみながら、わかるわかると、頷いていた。


「で、お前はなんで女だってわかったんだ? 本人から聞いたのか?」


途端に、ぶっ とコーヒーを噴出すと、プロンプトは大げさに咳き込んで見せた。そして、なぜか慌てた様子で


「あ、オレ、本部に早く帰れって言われてたんだ! じゃあ、ノクトも、朝食食べたら早くきてよね!?」


と、バタバタと立ち上がって、ノクトが何か声をかける前に、家から出て行ってしまった。


なんだよ、あいつ…


ノクトは首をかしげながら、しかし、急ぎであることには間違いないので、残りの料理をかき込むと、自分の皿のほかに、残されていたコップを二つお盆に載せてキッチンに向かう。手馴れた様子でちゃっちゃと皿を洗ってしまって、洗い桶に逆さに並べると、洗面所で歯磨きをして、久しぶりに髭を剃る。なんとなく…この新居に引っ越して結婚式のために髭を剃っていたら、それ以来、家にいるときは髭を剃る習慣となっていた。ルーナが、剃った頬をうれしそうに撫でるので、髭がないほうが好きなのかな、と思う。難民キャンプのテントや、調査に外にでているときにはそんな気にはならないのだが。


家から外に出ると、もう、いやになるくらいの強い日差しが照りつけていた。うんざりしながら本部へと向かった。確か、昨夜遅くまで続いた打ち合わせの中で、本日中にこの本部のほかに、難民キャンプのど真ん中に駐在所を設営する予定になっていた。警備隊の詰め所となるほか、難民からの申し出も直接ここで受け入れられるようにする。およそ186名の難民のうち、こども47名をのぞく139名、世帯にして40-50の聴取を今日と明日で終えようというのだから、大変なことだ。ブディ、ゴダール、ハルマにそれぞれ、助手となる1名の世話役をつけて、世帯ごとに聴取をする。同時並行で、警備隊による所持品検査は、すでに早朝より開始されているはずで、今日中に完了することになっている。さっきプロンプトが話しているところでは、すでにかなりの数の武器を回収しているらしい…それはそうだ。この状況下、武器も持たずに旅をするのは不可能だろう。


本部へ行くと、聴取で手がいっぱいな親父に代わって、世話役達を取り仕切っているエドが、やつれた顔していた。


「大丈夫か?」


と、ノクトは思わず聞いた。


「ああ…まあ、今日は寝せてもらえると思うんでな。一日踏ん張るさ…早速で悪いが、キャンプへ行ってくれるか。駐在所の設営をサポートしてくれ。キャンプが騒がしくてな…難民相手に人が割かれてなかなか捗っていないらしいんだ。」


「了解。ところで…あとでもいいんだが、ジョルオの聴取はすんだのか?」


エドはうなずいて


「今夜19時に、うちの屋敷で幹部会合やるから来い。そのときに話がでるだろう」


ノクトも、忙しそうなエドに同情しつつ、手短に頷いてその場を離れた。


キャンプに出てみると、なんだかいつもより喧騒が酷い気がした。しかし、広場の中央には、恒例となった学校が開かれていて、こどもたちがいつもどおり真剣な様子でレイの話に聞き入っているのが見えた。その周りだけは平穏だ。しかし、よく眺めてみると、警備隊員たちがあちことの難民の相手をしているのが見える…難民達は明らかに、緊迫した雰囲気で、そして、溜まった鬱憤が噴出しているように見える。


確かに想定内だよな…とノクトは苦笑する。ハルマの思い切った統治宣言と、引き続いて行われる非常事態宣言…すでに不満と緊張がピークに達している難民からは、さまざまな感情が噴出すだろうと想定されていた。この数日、警備隊員に指示されているのは、”ひたすら、難民の話を聞け”ということだ。これはガス抜きの一環でもあるし、いままで拾えなかった情報の収集でもある。実はその時、ハルマから、神凪が難民の心情を治める役割を担えないかと打診もあったのだが、ノクトは即、断った。外国人であるルーナがその責をこの地で追うのはお門違いだろう。しかも、力を失ったルーナにかつての神凪のようなフリをさせるのは、詐欺にも近い。ハルマは、すぐに納得してこの話を引いた…しかし、周囲にいた世話役の中には、不満を感じたものもいただろうと思う。自分達夫婦の立場は微妙だと、ノクトは感じている。素性を明らかにしても、ルーナにこれ以上神凪の責務を負わせるつもりは、毛頭ない。ルーナを守らなければ…それができなければ、この集落を発つ覚悟だった。


ノクトは、数人の警備隊員が辛うじて仮設テントを建てようと苦労しているところに、加勢した。多くの人手が、難民の相手をして出払ってしまっていたのだ。ノクトは、広場のはずれのほうで、プロンプトが高齢の難民の女性がわめきたてている相手をしているのが見えていたが、胸のうちで手を合わせるだけで、自分はテントの設営に回った。熟練の者たちがみな難民の相手に出払って、残っているのは若いものたちだけだ。ノクトは、右往左往する若者達に指示を出して設営場所を決めた。20歳前後の若者達は、ようやく安心して、ノクトの指示に従ってテントを組み立て始めた。

駐在所のテントの完成が見えてきたころ、中央広場で行われた学校も昼の休みにかかったらしい…こどもたちは、配給に並び始めた。警備隊には別に昼食が配られることになっていたが、学校の人々(レイ、ルーナ、アルミナ、アラネア)たちはどうしているのだろうと、様子を見ていた。レイたちは、こどもたちや、その保護者と和やかに会話をしながら、一緒に配給に並んでいた。ノクトは自然とルーナの姿を目で追っていた。


「ノクトさん」


と、若い警備隊員に呼びかけられて、振り返った。弁当です。といって、律儀にノクトの分を手渡してくれた。ああ、ありがと。と簡単に礼を伝えて、ルーナたちが見えるところに腰を下ろして食べ始める。

穏やかな昼休み…異変が起きる。こどもたちに混じって、和やかに昼食を取っていたルーナのところへ、女性の数人が遠慮がちに近づいていくのが見えた。ルーナは、動じずに、じっと女性達の話に耳を傾けているように見えた。はじめは、遠慮がちに話していた女性たちが、だんだんと感情を高ぶらせて、泣き出したり、ひれ伏したりするのが見えたので、ノクトは弁当を置いて、立ち上がった。あまり、威圧しないようにと、ゆっくりした足取りで女性達に近づく。その声が…だんだんと耳にも届いてきた。


…ルナフレーナ様!!


すがりつくように誰かが叫んで、そして泣く。


ニフルハイムの罪をお許し下さいませ、どうぞ…


ルーナは、困った顔をして…しかし、慰めるように愛のある眼差しを向けていた。


「どうかしたか?」


ノクトは、できるだけ感情を押さえた声を、集団に向けた。ルーナは、ふっと顔を上げて、ノクトに静かに首を振って見せた。


「大丈夫です。なんでもありません」


そして、泣き伏した女性の一人に手を触れて、その体を起こそうとした。


「どうぞ、顔を上げてください…」


「ああ、ルナフレーナ様、どうぞ、息子をお助けください…」


女性は、ルーナの両腕に縋った。どうやら、病に伏した子どもを助けて欲しいと懇願しているようだ。ルーナは、強い眼差しで、母親を見つめた。


「お許し下さい…私にはもう、神凪としての力は残されておりません」


ルーナは強く言い切った。


「星の病の元凶は、日の出とともに去りました。いま地上に残るのは私の力の及ばぬ病ばかりでしょう…それでも、ただのありふれた一人の人間として、貴女のご子息のために祈ることはできます」


ああ、もちろんです、それでも、どうか! と言って、母親はルーナに縋った。ルーナは、静かに立ち上がって、女性達に導かれるままに、キャンプのはずれのほうへ歩きだしたので、ノクトは少しだけ距離を置いて、女性達の後に続いた。女性達に悪意は感じなかったが…しかし、ルーナを一人にするわけいにはいかない。

テントの方々から人々がルーナの行く姿に目を留めて、見守っていた。ルーナは、女性達に続いて、とあるテントの中に入った。ノクトは、テントのすぐそばまで来て、じっと中の様子を伺った。すすり泣く声がテントから響いてきた。寝たきりの、細い子どもの足が、テントの入り口から見えた。ルーナが、懐かしい神凪の祈りの言葉を唱えているのが聞こえた。それは少しばかり、調子が違っていた。


ありふれた我々の命が、その命の持ちうるすべての力をこの世界に現しますように… 


その子どもが亡くなったのは、それから三日後のことだ。ハルマは、集落の墓地の一画に墓を提供した。親しい者達だけの小さな葬儀が、墓地で執り行われ、ルーナとノクトも、喪服を着て臨席した。母親はもう、泣いておらず、ただ、つかれきった顔を向けて、やせ細って男か女かもわからないこどもの亡骸と別れを交わした。小さな棺は、乾いた土の下に埋葬された。ルーナが涙も浮かべずに立ち尽くしている様子を、ノクトは心配そうに見ていた。

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