Chapter19.3-忘却の地-

ノクトたちは、集落が眼下に見えるその場所に、そのままキャンプを立てた。目指す場所は、明らかとなったが、そこまでの距離は、まだ、かなりあるように思えた。しかし、3人とは、もう、あてもなく彷徨う旅人ではなかった。

ノクトは、夜になって集落に灯がともるのを、見下ろしていた。たしかに人がいる…あと何日彷徨うかと覚悟していたが、今日のうちに目にするとは…。

アラネアに感謝しないとな。

焚き火まで戻ると、アラネアは、ノクトのひざの上に頭をうずめて眠ってしまっていた。

「寝たか…」

「うん。さっきまで話してたんだけどねぇ。今日は大活躍だったもんねぇ」

プロンプトは、やさしくその前髪を撫でる。

「白い獣に導かれたみたいだよ。うさぎっていうより、狐に近いみたい。耳が長くて、鼻が尖がっているんだって」

「へえ」

「そうそう、あと、額に赤い石がついているんだって!」

思い出して、プロンプトは補足した。

「赤い石?」

ノクトは驚いて目を見張り、すやすや眠るアラネアの顔を見る。

「アンブラみたいなやつかなぁ、なんか、神様の使いっぽくない?」

「そうだな…」

カーバンクル…

ノクトは、黙り、胸のうちに感じる熱いものを、静かに味わった。

「ノクト、いよいよだね!」

プロンプトの微笑みには、苦労をねぎらうようなやさしさがあった。

ありがとな…

ノクトは、まだ少し早い感謝の言葉をのみこんで、ただうなづいて見せた。


次の朝、3人はさわやかに目が覚めた。3人がそろって、朝日を拝んだ。誰かの魔力も諦めがついたのか、朝日がその最高峰の黒い岩に照り返し、静かに見下ろす忘却の地に注ぎ込むところを目にした。その光景は、この地では毎日なのだろうが、まるで奇跡のような瞬間だった。

「さて…どっからあそこへ降りるかな」

目指す場所は目と鼻の先…しかし、それは直線距離の話だ。見下ろすこの位置から集落までは、足がすくむような断崖絶壁だった。

「ちょっとこれは降りれないよねぇ…」

プロンプトも、恐る恐る覗き込む。

ところが、アラネアは、え? と驚いた顔して、絶壁を指さした。

「こっちへ行くんだぞ?」

「えええ?!」

ノクトもプロンプトも、驚愕して声を上げる。

「いや…アラネア。いくらなんでも、それはムリだ」

「あーちゃん…足踏み外したら死んじゃうよ!」

ノクトは激しく首を振り、プロンプトは泣きそうな顔で懇願する。

「ここは迂回して…脇のほうから降りれそうなところを探そう」

「違うよ!こっちだよ!」

アラネアは断固として譲らない…

マジか…

アラネアの真剣な顔を見て、二人は、もう一度断崖を覗き込んでみた。ところどころ、細かい亀裂があり、手でつかんだり、足をかけたりはできそうだが…その下のほうは、湾曲しているのか、上からは見えない。

落ちたら、まっさかさまだな…

「プロンプト…ロープは下まで届くと思うか?」

「下までは…さすがにムリじゃない?途中までなら…」

「あの、荷物を背負って…降りるか?」

「ノクトまで?!何いってんの?!ムリムリムリムリムリ!!!!ムリだって!!!」

プロンプトは真っ青になって首を振る。

アラネアは呆れたような顔をして二人を見ていた。

「あーちゃんが、先に下りようか?」

「絶対やめてー!!あーちゃんも!!!」

プロンプトはひしっ とアラネアにしがみ付いた。

「アラネア。ほかに道は…ないんだな?」

ノクトは、考えこむように腕を組みながら、アラネアにもう一度聞く。

「この道しかないよ」

アラネアは淡々と答えた。

ノクトはしばし沈黙した。

「ちょ、の、ノクト?!真面目に考えてるの?!」

「ああ…これも、もしかしたらトラップかと思ってさ。どうにもこうにもアラネアに頼るしかない…ほかに道がないなら、進む以外にないだろう」

プロンプトは気が遠くなりながらしゃがみこんだ。

「あーりーえーなーい…」

ノクトは、覚悟を決めて、崖を良く覗き込んでみた。いくにしても無謀に飛び込むわけにはいかない…足がかりがつかめるルートを見極めよう。

「あの荷物はとても背負えないな…ロープで結んで中腹まで降ろして、途中でゆらして落下させるってのはどうだ?落下する音で、下までの様子がおおよそわかるかもしれない」

プロンプトは、ノクトが本気だ、と見て、自分もしぶしぶ崖下を覗き込んだ。

「…最悪ぼろぼろになるかもね」

ノクトは足元の石を拾って、試しに崖を転がしてみた。石ころは勢いよくころがって、途中、ちょっとした、でっぱりに跳ね上がって、あっというまに視界の向こうへ消えた。しばらくはげしく崖と衝突する音が響いたが…やがて、聞こえなくなった。

「昨日あけた缶詰があったな」

「オレ、取ってくる!」

プロンプトがテントまで戻って、空き缶をもってきた。ノクトは慎重に場所を見極めて、空き缶を転がしてみる。

かん、かん、かんっ  

軽快な音が鳴り響いて缶が落ちていく。しかし、視界から消えてしばらくすると、また、音が途切れる。

この下に木でも生えているのかな…

「荷物の回りを毛布で包んで、それで落とすか…」

「落としたら最後、後には引けないね…本気なの?」

「ああ…まず、オレが降りて、様子を見てくる」

「ちょっと、まって」

プロンプトが覚悟を決めて言った。

「オレの方が慣れてると思う…ロープで降りていくだけなら心配ないから」

「ロッククライミングの経験があるのか?」

ノクトが驚いて聞いた。

「ここまで本格的なのはないよぉ。でも、グラディオにしごかれたことがあってさ…ロープかけて降りられるくらいにはしとけって言われて」

プロンプトは真剣な顔をしてロープの用意を始めた。慎重に記憶を思い出すように、手順をひとつひとつ確かめて、二つのロープをつなぐ…サバイバル技術は、グラディオとデイブの指導らしい。つなげたロープの全長は…20mくらいだろうか。そして、岩場のつきでたところに結びつける。もう片方の端を、自分の腰のベルトに取り付けた、簡易的なハーネスに通す。そして、キャンプ用に持ってきた軍手をはめる。

「よし、これで、降りて、下の様子を見てくるよ」

と、プロンプトは緊張した面持ちで言った。

「大丈夫か…?」

「うん、大丈夫!」

プロンプトは恐る恐る、崖に足をかける。腰が明らかに引けている。ノクトは不安になった…

「だ、大丈夫だからね?!」

プロンプトは精一杯の笑顔を引きつらせながら、ノクトに言った。それから足元を見ながら慎重に降りてくる。1m降りるのに、どれだけ時間がかかるか…

ノクトはハラハラしながらプロンプトが降りていく姿を見ていた。

「もう…」

隣で覗いていたアラネアが、ため息をついていた。そして、崖にしがみ付いて自分も降りるそぶりを見せる…

「こら、アラネア、待てって!!ダメだ!まず、プロンプトが先だ!」

ノクトは怒ってアラネアの背中に手を伸ばしたが、アラネアは思うよりも早く、するすると崖の下に伝って下りた。

な、なに?!

予想外のアラネアの動きに、ノクトは意表を突かれてアラネアを捕まえ損ねた。

「え?!あーちゃん?!」

数m先まで降りていたプロンプトも、驚いてアラネアを目で追う。

アラネアは、まるでプロンプトなんか視界に入っていないように、自分だけ崖をするすると降りていく…

「ちょ、ちょっとまって!!あーちゃん!!せめてオレと並行していってよ!!!」

プロンプトはつられるように、するすると崖を降りて、慌ててアラネアの後を追った。

マジかよ…もう、どうにもできねぇぞ?!

ノクトはただ、手に汗を握りながら二人を見ているしかなかった。

いくらアラネアが野生児だって…確かに壁のぼりは得意だが…落ちたら、さすがに生きてはいないぞ。

しかし、アラネアはあっという間にプロンプトを追い越して降りていった。いまさら、戻れと声をかけても…ノクトはごくりとつばを飲み込む。

「プロンプト!慌てるな!アラネアのペースで追いかけると危険だぞ!!」

「で、でも!!」

プロンプトは明らかに慌てて、すべるようにロープを伝っていった。

アラネアが、ノクトの位置から見えるぎりぎりのあたりまで、すでに降りていた。その先がどうなっているかは、ノクトには全く見えない。

あ…!!!!

ノクトは息を呑む。アラネアが…崖を強くけって飛び降りた…

「アラネアーーーーーーーーーー!!!!!」

ノクトは崖上から叫ぶ。ノクトの視界からアラネアが消えた。

「プロンプト!アラネアは見えるか?!」

「ここからも見えないよ!!!」

プロンプトの声も半泣きになっていた。

「あーちゃん!あーちゃん!」

必死に叫ぶプロンプトの声は、谷間にこだまして返ってきた。その時ー

ーぷろんぷとおおおおおお!降りて来いぃいいいいい!!!

遥か下のほうからアラネアの声が返ってきた。

無事か?!

ノクトは、信じられない気持ちで、崖下を見た。

「アラネアは見えるか?!」

「見えないって!」

それでもプロンプトは必死に先へ進もうとしていた。

「あーちゃん!あーちゃん大丈夫なの?!」

ーはやくおりてこーい!!!

いつもの通り、怖いものなしの声が返ってくる。しかし、遥か下の方から…

とりあえず、大丈夫そうだな…プロンプトは慎重にまた、崖を折り始める。その時ー

ぶちん!!!

と、音が響いて、ロープのつなぎ目が切れた…

は… と、見ていたノクトの呼吸が止まった。

プロンプトが、目を見開いて、ロープのほうへ手を伸ばしていた…その格好のまま、後ろから崖の下へと空を切って落ちていく…。

あああああああああああああ……!!!!

断末魔の叫びが谷間に響く。

ノクトはむなしく、崖下のほうへ手を伸ばしていたが、なすすべはなかった。

「プロンプトおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」   

ノクトの絶望的な叫びも、谷間にこだました。

ま、マジか…

信じられない気持ちで崖下を見る。こんなところで、プロンプトを死なせてしまったら…オレは、あいつらに顔向けができない…

ノクトは、心臓が止まるかと思えるような胸苦しさを感じて、自分で胸倉をつかんでいた…

その時ー

ーのくとおおおおおおおおおおおおお!

谷底から聞こえてきたのはプロンプトの声だ。

ええええええ?!

ノクトは目玉が飛び出るかのように目を開き、崖を覗いた…当然、プロンプトの姿は見えない。

ーオレは大丈夫!!!早く降りてきてぇえええ!!!

随分と明るい声の調子だ。ケガもなさそうだが…

視界から消えるあの、崖の中腹から先は…意外と近いのか?!

ノクトは混乱した。

キャンプ地に残した荷物をどうするか…と、一瞬迷ったが、しかし、今は二人の安否が先だろう…とりあえず、残ったロープ1本で行けるところまで行こう…

そう覚悟を決めて、ロープにしがみ付く。ノクトの靴も、岩登りには向いていない。すぐに足元にがすべり、必死にロープにしがみ付かなければ、そのまま落ちてしまいそうだ。

ロープにしがみ付いて後ろを振り返る。…その高さを感じて、背中に悪寒が走る。

遥か向こうに見える山…下は…遥か下にかろうじて崖の湾曲した斜面から、木々の生い茂る様子が見える。

手が震えていた。

マジか…この高さ。しゃれになんねぇぞ。

ノクトが躊躇していると、また下から声が聞こえてくる。

ーノクトおおおおお!!はやくおりてこおおおおおおおおおい!!

アラネアの声だ。

ーすぐに飛び降りてええええ!!大丈夫だからぁあああああ!!

プロンプトの声だ。

二人とも、どこか、ふざけるような、妙に明るい声色をしている。

マジかよ…あいつら、あの世から呼びかけてるんじゃないだろうな?

ノクトは、嫌な汗を掻きながら崖下をのぞく。ロープの終わりまではまだ数mあった。とりあえずは、そこまで行って見るか…

そう思って、次の亀裂まで足を運ぼうとした。その時ー

ノクトの革靴は、亀裂をつかみ損ねて豪快に滑った。そして、その勢いに、手の力は間に合わなかった。ロープを握り損ねて、ずるずると下へ下がる。

まずいっ

ノクトは慌ててロープをつかもうとしたが、ノクトのドライブ用の革手袋は、抵抗なく、するすると滑り落ちた。ロープの端が視界に入るまで、そう時間はかからなかった…

うわああああああああああああああああああああああ!!!!!

遥か頭上に、ロープの端が大きく揺れて飛び上がる様を、ノクトは見た。それから、自分の叫び声が、こだましていくのが聞こえた。

こんなところで…

ノクトは情けなくなる。

わりぃ… こんなところで、バカみたいに死ぬなんて…

せっかく、返してもらった命なのにな…悪いな、ゲンティナ、ルーナ…あっちで笑ってくれよ…

ノクトは目を閉じようとする…

そろそろ、落下の衝撃がくるか…覚悟を決める。あの、玉座での最後より、あっさりいけるだろう…

と、思ったとき、足裏に衝撃を感じた。しかし、それは思ったよりは強い衝撃ではなかった。足首が若干痛い、と思った。

はっとして、目をあける。目の前に、土の壁…

ぎゃはははははははははははははははははは!!!!!!!!!!!!!!!

周囲にものすごい笑い声が起こって、ノクトは我に返った。

振りかえると、アラネアと、プロンプトと…そしてもう一人、見知らぬ男の子が、腹を抱えて、地面の上でのたうちまわっていた。こどもは、民族衣装のような見慣れない衣服を着ていた。

なんだ…

ノクトは呆気にとられて、3人ののた打ち回る姿を見る。

その先には、見事な田園風景が広がっていた… 田畑と、静かな小川と、その先にいくつかの水車。高台のほうにはいくつか風車が並んでおり、ぽつんぽつんと茅葺の民家が並ぶ。

あ… ノクトはそののどかな風景に息を呑んでいた。

ついに、来たのか…しかし、天国じゃないよな?

「これは…」

ノクトは呟く。

「ノクト、あれ、見てよ?」

プロンプトが笑いきって満足したように、立ち上がって、崖の上を指差して見せた。

え?

と思って、ノクトは崖の上を見上げる。

「はああ?!」

ノクトは思わず声を上げた。ロープの先が、頭の上の、すぐそこにぶら下がっているのが見えた…

ノクトは少し後ずさりしてみた。すると、ロープの先を結びつけた岩場が、頭上わずか数m先に見えた。

「なんだ、これ?!」

「まんまと騙されたよねぇ?」

プロンプトは、慰めるようにノクトの肩を叩いた。

アラネアと、見知らぬ子どもは、まだ笑い続けている。

ノクトは、自分が先ほどだした大声を思い出していた。死ぬと思って、思わず叫んだのだった…

く、くそ…

ノクトは、たぶんこうであったろうという、この高さから死ぬような顔で落ちてきた自分の姿を思い浮べて舌打ちした。

「プロンプト…荷物取ってくるか…」

「そだねぇ…」

プロンプトも自分の恥ずかしい姿を思い出していたのだろう。もう、ノクトを笑ってはいなかった。

一度崖を降りると、魔法はもう終わりのようだ。二人が崖の上…と思っていたところにもどって、キャンプの荷物を片付けて、バックパックを下ろしてきたとき、もう、その下は先ほどのような高さには見えなかった。ノクトたちはもう、ロープも使わずに、斜面を降りた。あの見知らぬ子どもはまだそこにいて、アラネアと楽しそうにおしゃべりをしていた。

「アラネア、紹介しろよ」

ノクトは、苦虫をつぶしたような顔で、ぶっきらぼうに言った。

「おう。クブニだぞ」

と、アラネアはまるで、前から知っていたみたいに、男の子を紹介した。

男の子は、薄い生成りに胸元に複雑な刺繍のある衣服を身につけ、髪の毛は長く、後ろで皮ひもで結んでいた。

「あははは、笑えた笑えた!」

クブニは、まだ、笑がおさまらないといったようすで、二人を指差して笑っている。

ノクトとプロンプトは、顔を見合わせて、少し赤くなった。

「あのな、こっちは死ぬと思ったんだよ」

ノクトはむすっとして言う。

「あんなとこ、3歳のスケジだって死なねぇよ」

あっはっはっ… クブニは遠慮がない。

「…いいから、お前、村まで案内しろ。長老か誰か、偉い人がいるだろ?話があるんだ」

ノクトはなるべく威厳を保とうと怖い顔をしたが、クブニにはまったく効果がなく、

「かあちゃんに言ってやるよ。旅人だろ。飯くらい食わしてやってもいいぞ」

ノクトが何か言おうというのもお構いなく走り出したので、ノクトたちは荷物を背負いながら慌てて追いかけなければならなかった。

クブニは、アラネアなみに体が軽かった。小川を軽々と飛び越え、山道を進み、少し高いところにある民家を目指して、ぴょんぴょんと先を急いだ。途中、他の民家から人が顔を出してこちらを不思議そうに見ていた。畑に出ていた者たちも、ノクトたちを振り返った。しかし、その顔には、不安や恐怖はなかった。ちょっと変わった客人がきたというように、好奇心は見えたが、警戒心は現れていない。

隠された集落…というからには、よそ者には余程の警戒心があるだろうと思っていたノクとは、意外な気持ちで住民の様子を眺めていた。

クブニは少し上がった先の、大きな茅葺の民家の前でたちどまって、あとからたどたどしくついてくる一行に手を振った。あれが、彼の家なのだろう。そして、母親が中にいるのか?

ノクトたちは遠慮がちに、軒先に立って、誰かが出て切るのを待った。しばらくして、クブニが家の中からつれてきたのは、白髪を背中まで伸ばした老婆だった。磨いた石の玉をいくつも連ねてネックレスにして、首に下げていた。

「まるで…古代人だな…」

ノクトは聞こえないように小声でプロンプトに囁いた。プロンプトは、遠慮がちに少しだけうなづいて見せた。

「おまえさんがた、どこからきたね?」

まるで警戒のない声が、聞く。

「騒がしてすまない…オレたちは、ルシスから来たんだ」

「ルシス?」

てっきり、忘却の地なら認知されているだろうと思っていたので、その反応は拍子抜けだった。

「ええと…ここから、ずっと、北東のほうだな…。そういう国があるのを知らないのか?」

「すまんねぇ。生まれてこの方、この集落をでたことがねぇもんでね。そうかい。あんたら、遠いところから来たんだねぇ」

「食うもんもねぇし、泊まるところもねぇんだと!」

クブニが、ばあ様の耳元で叫ぶ。老婆は、耳が遠いのだろう。

「そうかい。じゃあ、このボロ屋で、いくらでもいたらいいよ」

といって、ばあ様は、招くような仕草をした。

あんまりあっさりと招かれたものだから、ノクトは戸惑った。

この老婆…ぼけてやしないよな?母親らしき人物を待ったほうがいいんじゃないか?

しかし、クブニも、早く来いよ、というように、手振りをした。アラネアは頓着せず、クブニについてはやばやと家に入ってしまった。ノクトとプロンプトも、ちょっと顔を見合わせてから、広い土間の玄関から中に入った。

歴史の教科書で見たよな… 

ノクトとプロンプトは、その見事な土間の台所見て、同時に思う。

まず目に入ったのは竈だ。その上に、りっぱな土釜もかけられている。銅のなべが綺麗に磨かれて、板の棚にいくつも乾かしてある。

もしやトイレはぼっとんかな…

これまで野外で適当に用を済ましてきた身としては、かえってどきどきする。クブニは、土間から板の間に上がり、それから、その奥の襖を開けて、畳の間に誘った。

「ここで、寝ればいいさ。飯はもう少ししたら、かあちゃんが帰ってきて、何か作るよ。」

先ほどのばあ様は、縁側に腰掛けて、のんびりお茶を飲んでいた。

ノクトたちはとりえあえず、言われた場所に荷物を降ろした。

「どうする…?」

プロンプトが耳元で囁く。

「思いっきり、ひとんちなんだけど…」

「とりえあえず、大人が帰ってくるのを待つしかないだろ…」

ノクトも、妙な緊張を感じていた。こどものとき、親に内緒で人んちにあがりこむ…そんな緊張感だろうか。

アラネアだけは、まったく臆することもなく、クブニとまた、遊びに外へ飛び出してしまった。まあ、遠くへは行かないだろ…と思って、そのままにしておいた。

間もなくして、土間の玄関から、大人たちが帰ってきた。母親らしき女性、父親らしき男性、それから、長男だろうか?顔はまだあどけないが、体つきはもう、父親譲りのがたいのいい少年だ。

「あれま」

母親のほうは、入った瞬間に、遠慮がちに縮こまって待ち構えていたノクトとプロンプトをみて、声を上げた。

「あんたら、誰よ?」

「す、すいません!!」

プロンプトは思わず恐縮して謝った。

「オ、オレはプロンプトっていいます。こっちは…」

「ノクティスだ。ルシスから旅をしてきたものなんだが…」

ノクトは思い切って、名乗ってみた。

母親たちはちょっと顔を見合わせたが、すぐに笑顔になって

「旅人さんかい。それはご苦労様。どうぞ、おくつろぎなさって。すぐに昼食にするから」

と歓迎してくれた。

ノクトたちは、ほっとしながら、しかし、何の説明もなく受け入れてしまう家主たちに、若干驚いた。

…オレの名前にも反応なしか。

それから家の者たちも名前を名乗った。母親は、ギンガ。父は、シシヤ。兄は、チャンキ。ばあ様は、ただ、「うちのばあ様だよ」と紹介された。

クブニもそうだが、聞きなれない変わった名前だな…

衣服はみな、クブニと同じように、基本的に生成りの生地にそれぞれの刺繍が入っている。

刺繍の糸は青系が多いが、ばあ様の服は、刺繍にときおり金糸がまじっているのがキラキラ光った。年長者の特権なのだろうか。

畑仕事から帰ってきた…という様子の親子は、そそくさと土間で昼餉の準備に取り掛かっていた。ノクトたちも、部屋からみているだけでは落ち着かないので、火をおこしたり、水を汲んだりとその手伝いをした。

ここは時間が止まっているな…

見たところ、電気や魔導式の機械が無い。木をくべて火をおこし、井戸から水を汲む…

それでいて、家の中は驚くほど快適にできていた。ここの気候のせいだろうか…じめじめしたところもなく、気持ちの良く風が家の中を通っていく。よく見えると、家の形は、歴史の教科書で見たそれとも少し違って見えた…

高い天井の下のほうに天窓がいくつが半開きになっているが、ガラスがしっかりはまっており、そこに光があたると、不思議な七色に輝いている。家の柱や梁は、複雑な幾何学模様の組木となっていた。壁は白い土の壁だが…触ってみるとさらっとした不思議な感触があり、ちょっとむっとするような昼の暑さの中にあって、ひんやりと心地よかった。

単に昔のままという感じではなさそうだな…

ルシスやニフルハイムとは異なる、別の文明が発展しているのかもしれない。

ノクトたちは、炊き立てのご飯に、地味の深い野菜がたくさん入った汁物という、素朴だが味わい深い食事にありついた。外で遊んでいたアラネアも、ちょうどころあいを見計らってクブニと戻ってきて、何食わぬ顔で食事にありついていた… よそ者、というより、もとからこの集落の人間みたいに見える。

「どうぞ、何にもありませんが…」

家の主人のシシヤが、人のよさそうな顔に笑顔を浮べて、食事を勧めた。

「これは、ど、どうも!」

プロンプトが恐縮して頭を下げる。

なんか、調子狂うな…

ノクトは、とりあえず、礼儀にかなうようにと、暖かいうちに食事を平らげた。家の者たちはみな、のんびりと、いつまでも、お茶を飲んだり漬物をつまんだりして、天気の話だの、作物の育ち具合など、とりとめのない話を楽しんでいた。

「それで…あんたたち、どっからきなすったって?」

ばあ様は、初めて聞くような様子で改めて聞いてきた。

さっき言っただろ…と内心つっこみつつ、これはチャンスと、ノクトは話を始めた。

「ルシスという国から来たんだ…人を探している。ルナフレーナという女性が、10年ほど前にこの集落に来ていると思うんだが」

家の者たちはみな一様に顔を見あわせて、黙った。

「さあ、10年前ねぇ?めったに外から客も来ないし、いたら覚えていそうなもんだけど」

「サルヴァン…いや、ユハ導師はどうだ?この集落の人間のはずだ」

しかし、家の者たちは、首をかしげていた。

「ユハ…ドウシ?」

「あんたたちの信仰の…」

知らないのか…

家の者たちは、その朴訥な顔をかしげるばかりだった。とても、嘘をついているようには見えないが…

「まあ、あれかな。あとで、寄り合いに聞いてみるか。誰か知ってるかもしれないよ」

シシヤが申し出てくれた。

「それは助かる…」

といいつつ、ノクトには不安な気持ちが湧き上がっていた。

ここが…忘却の地だよな?

間違いないはずだ。この10年の闇の中で、これほど青々とした緑に囲まれ、見渡す限りの田畑…外の世界とは異なる文明…

「ところで、この10年、この集落はどうやって生き延びたんだ?」

ノクトは探りを入れるように、問いかける。

「この10年?」

住民たちはまた、首をかしげる。

「10年も何も、俺がこどものころからかわらねぇよ。まあ、田舎だからなぁ」

「でも…10年間、陽がのぼらなかっただろ?」

「え?それはどういうことだい?」

言ってる意味がわからない、というように、主人は困った顔をする。

「ほれ、あれだろあれ」

その時、ばあ様が縁側から振り返って息子に声をかけた。

「神主様がいってたろ。外に張り出した黒い霧のことさ」

「ああ、黒い霧か」

ようやく合点がいったようである。

「そうかぁ。やっぱり外は大変だったんだねぇ」

「ここは…太陽が出ていたのか?」

「ああ、この10年もかわらずだよ。谷の外に黒い霧が張り出すのは見えていたがね。おかげさまで、谷には変わらずお天道様が届いていたんだよ。あんたんとこは、そうじゃなかったみたいだねぇ。そりゃ、難儀したろう。」

ノクトとプロンプトは顔を見合わせた。

「…ええと、ルシスだけじゃなくて、ニフルハイム全土も、黒い闇で覆われていたんですけど…」

「ニフルハイム?」

「外の世界のことだよ」

気の利かない息子に代わって、また、ばあ様が答える。

「さっき、言ってた神主っていうのは、どういう人物だ?」

ノクトが聞く。

「神主様かい?あっちの、御山の祭殿にお住まいだよ。集落にはたまにしか降りていらっしゃらないよ。神様にお祈りをして、この集落を守ってくださる方だ」

「その神主に会いたい」

と、ノクトが言ったとき、家の者たちの間に、妙な空気が流れた。お互いの顔を、まるで、盗み見るみたいな様子で、ちらちらと見やり、答えに困っていた。

「ダメだよ」

と、はっきり告げたのは、ばあ様だった。

「あの方は、誰にもお会いにならない。ご自身に必要のあるとき以外は」

ばあ様は、それ以上は受け付けない、と言った様子で、お茶を啜った。

「さあさあ、片付けようかね」

話を打ち切るように母親のギンガがたちあがって、食器を片付け始めた。ノクトたちは、それ以上、問い詰めることができず、いそいそと片付けの手伝いをした。ノクトは、アラネアの横で大人たちの会話を聞いていたクブニが、アラネアの方を見て、なにやら目配せしたのを見た。

…大人が口をつぐむんでも、こどもたちは話をするかもしれない。

「おい、クブニ」

ノクトは、外に遊びに出ようとしてた二人を呼び止めた。

「村を案内してくれないか?」

「うん、いいよ!」

じゃあ、ついてこいよ。クブニは、外に飛び出し、ドヤ顔でノクトとプロンプトを手招きした。家の者たちも、ああ、行っておいで、と穏やかに送り出してくれた。

アラネアは、もう、集落にすっかりなじんだ様子で、驚くことに、すれ違う村人たちとも親しそうに挨拶を交わしていた。

「お前…もう、有名人か」

「さっき、会ったんだよ」

あーちゃん、すごいなぁ…

プロンプトが呟く。ノクトは、快く歓迎されながらも、どこか居心地の悪さを感じていた。田畑や道ですれ違う人々でさえ、笑顔を向けてくれるのに…

クブニが先頭を切って、あっちに水車があるぞ!と行って駆け出した。いつの間にか集落の子どもたちが集まってきて、クブニとアラネアと一緒になって水車までかけっこをしていた。こどもたちは、一番近場の水車小屋に到着すると、ノクトたちに手を振って、はやくこーい!! と叫んでいる。

「こどもは…なんか、ほっとするね」

と言ったあと、プロンプトが躊躇いがちに続ける。

「ねぇ…ちょっと、大人は変な感じしない? みんな人が良さそうなんだけどさ…何か、裏があるというか、隠しているというか…」

「そうだな…まあ、フラン地区でも似たようなことはあったんだ。信仰の秘密を守るために、住民は結託して口裏を合わせていたしな」

「そうなのかぁ…。ノクトのことも、知らないふりしてるけど、ほんとはわかってるのかな?」

ノクトは黙った。自分の正体を明かしたとき、フラン地区では歓迎モードだった…同じ信仰なら、神凪とルシスについても似たような考えだと思っていたが…ここは、何かが違う。そもそも、この10年の暗闇のことですら、住人の関心ごとではなかったようだ。

見たところ、あまり広くない、この谷間の集落から、外に出ようという人間もいないのだろうか… 

この時代にあって、奇跡のような美しい山並み…のどかな田園風景を目にしながら…しかし、閉塞感を感じてしまうのは、自分が外の人間だからなのだろうか。

ノクトたちがちっとも急ぐ気配がないので、こどもたちはぶーぶーと不満を露にして、やがて待ちくたびれて水車小屋の回りでちゃんばらごっこを始めていた。ノクトたちがたどり着いたときに、クブニはちゃんばらの最中で、他の男の子と走り回っていたが、他のこどもたちが、二人を水車小屋の中に案内してくれた。

それは、ほんの小さな馬小屋程度の木造の建物だったが、中に入って二人は驚いた。

複雑に張り巡らされた無数の歯車…水の流れにしたがって、一定の速さに回転し、つぎつぎと連動していく。奥にある大きなタルのようなものがいくつか並び、歯車の動きに合わせて回転しいるのが見えた。そばに若い娘がいて、なにやら作業をしている。

「エニナ姉さん、そとから来た人だよ!」

こどもたちが、娘に群がってノクトたちを指差す。

「ノクトと、プロンプトって言うんだ!」

娘はへぇ とあまり期のない様子でちらっとノクトたちを見て、また、すぐに作業に没頭していた。

「何を、やってるんだ?」

ノクトは興味津々、覗き込む。

「今年のコンジャの仕込よ」

「コンジャ…?」

「料理に使うの。ほら」

と言って、娘はタルのひとつをあけて見せてくれた。

黒っぽいすりつぶしたものが、じゅわああああと、発酵するような音を立てている。匂いは…醤油か味噌に近いだろうか。

「美味しそう!あ、新しいレシピ思いついたかも!」

プロンプトはメモを取る。

「外から来たの?」

「ああ…ルシスっていう国なんだが…知っているか?」

「ごめんなさい。外のことはあまり」

娘はすまなそうな顔をした。

「この集落のことをもっと知りたいんだが…誰に聞くのがいいんだ?」

「集落のこと? そうねぇ…寄り合いに行ってみたら?」

寄り合いか…さっきの家主も言ってたな。あんまりいい予感はしない…

「御山に住む、神主のことを良く知っているやつはいるか?」

まだ、大人ともこどもとも、その半ばのように見えたこの娘なら、と思って、ノクトは思い切って聞いてみた。

え? と、娘は驚いた顔をしたが、ちょっと考えてから

「神主様だったら、オヨケ爺さんが良く知ってるんじゃないかな。降りていらっしゃるときは、いつも爺さんのところにお泊りになるから」

ノクトとプロンプトは、目と目で、合図して、小さくガッツポーズをした。

「ありがとよ!助かったわ」

どういたしまして…娘はまた、作業に没頭しはじめた。

「オヨケ爺さんの家なら知ってるよ!」

何か役に立ちたいこどもたちは、口々に言う。

こっちだー! 気が早い一人が走り出す。水車小屋のまわりで遊んでいた子どもたちと、アラネアも、次の遊びが始まったと思って、同じように追いかけた。

オヨケ爺さんちだ! よぼ爺だ!

こどもたちがはやしたてながら、野道を進む。集落から少し離れて、林が立ち並ぶ寂しいほうへ出る。畑もまばらな、こんもりとした林の中に、ぽつんと、古い家が見えてきた。

あれか…

家の前には、自分で食べる分だけ…という感じの小さな畑があった。そこで、大根か何かを掘り起こそうとしている、白髭の老人の姿が見えた。こどもたちによぼ爺と言われるだけのことはあり、かなりの高齢のようだ。

こどもたちが、わぁああああ っと騒ぎながら、その畑のほうへ駆けて行った。

よぼ爺!客だぞ!客だぞ!

こどもたちにはやし立てられて、やや困惑しているようだ。しかし、ノクトたちの姿を認めると、すくっと、背中をまっすぐに立てて、好々爺の満面な笑顔で二人を迎え入れた。

「これはこれは…外からの客人とは珍しい」

「突然の訪問で悪いな…ちょっと話が聞きたくてきたんだ」

ノクトは、プロンプトのほうをちょっと振り返って、耳打ちした。

「二人で話したいんだが…こどもたちを引き付けられるか?」

「え?!オレ?!」

プロンプトは、面食らったが、しかし、仕方ないな、と言った顔で、

「あーちゃん!!あーちゃん!」

ととりあえず、アラネアを呼び出した。

「なんだー?」

「みんなで、あっちの林でさぁ、魔道兵討伐ごっこをしよう!」

「うん、いいな!やろう!!」

アラネアがわああああ、と興奮して林に向けて走り出すと、狙い通りこどもたちもわぁああああ、とその後をついて走り出した。

「助かる。1時間くらいねばれ」

「もう!!!これ、貸しだからね!!」

プロンプトは、ほほを膨らませながら、こどもたちの後を追った。

「あれ…お連れさんは…」

「ああ、いいんだ。できれば、あんたと二人で話がしたくてな」

「そうですか…」

老人は何事かを悟ったように、やさしい目を向けた。

「では、どうぞ。よかったら縁側で、茶でもいれましょう」


林のほうからこどもたちの賑やかな声が聞こえてくる。時折、プロンプトの大げさな、うーやられたー!!という声も聞こえて、ノクトは可笑しかった。よほど、サービスしているらしい。

あとでねぎらわないとな…

オヨケ爺は奥から、お茶を入れた盆をもって、ノクトの腰掛ける縁側までやってきた。

「さあ、どうぞ」

「ああ、ありがとな」

ノクトは、礼儀として一口お茶を啜って、それから待ちかねたように話を始めた。

「オレは、ノクティス・ルシス・チュラムという…ルシスから来たんだ」

それから老人の反応をうかがう。老人は、黙って、静かに庭のほうを見つめていたが、その心の奥には、何か、深い考えがあるように見えた。

「あんたなら、知っているんじゃないか…ルシスのことを」

老人は飄々とした様子で、

「どうですかな…古い伝承にその国の名前があったような気もするが。」

と、いいのけて、そして、にっこりと笑うとお茶を飲んだ。

認めないつもりか…

ノクトは出鼻をくじかれて、しばし黙った。

この老人…人が良さそうに見えて、侮れない。ならば…

「神主と親しいそうだな」

「神主様ですか。ええ、まあ、独り身の寂しい老人をたまあに、見舞ってくださる。茶飲み友達みたいなもんですわ」

「村に下りるときは、ここへ泊まるんだろう」

「さようでしたかなぁ?」

すっかりぼけてしまって…とわざとらしいくらいに、呆けた顔をして、頭を掻いてみせる。

こいつ…ノクトは内心いらっとしていた。しかし、相手のペースに飲まれないよう、平静を装う。

「神主と話がしたいんだ。会わせてくれ」

「そういわれましてもなぁ、いつ降りていらっしゃるも、誰にもわからん。まあ、この村にしばらくのんびりされたらいい。運がよければ、ご滞在のうちにお見えになるかもよぉ」

と言って、ふざけるように大きく目を見開いて、ノクトのほうへ身を乗り出した。

ばかにしてんのか…

「ルナフレーナも…神凪も…ユハ・リーベリも、知らないと言うつもりか?」

ノクトは怖い顔をしてその目を見返す。

ふうん…

老人は、鼻息を漏らしながらゆっくりと体をひく。その緩慢な動きは、老いのせい、というよりは、長く生きすぎて妖気でもまとっているようである。

「かっかしなさんな、若いの」

と言って、老人はノクトの湯飲みにお茶を継ぎ足した。

「ほおれ、茶でも飲みなされ。そして、ゆっくり深呼吸してな、この美しい村を眺めなさったらいい」

さ、さ、と、促す。そうしなければ次の話はない、とでも言うように。

ノクトは、仏頂面でお茶を飲み干すと、言われたとおり、深呼吸してみた。

…新緑のさわやかな匂いが、胸の中にすっと入ってきた。

はああ…

確かに、肩の力が抜けるようだ。気持ちよく晴れた空に、白い雲がながれていく。こどもたちの笑い声が、林の中で沸き立った。

「この村を騒がせるつもりはないんだが…」

ノクトは落ち着いた気持ちで、もう一度老人のほうを向いた。老人は、静かに首を振る。

「いいさ、わかった」

ノクトは折れた。

「無理強いはできない。御山に行くわ。こっちから神主に、会いに行く」

「それはなんねぇよ。悪いことはいわんよ。やめておきなさい」

老人は慰めるように言った。

「あそこへは、神主様のお認めになった人しか近づけない。御山は、深い霧が立ち込めていてな…許可なく立ち入れば死ぬだけだ」

「ここへ来るときもそう言われてきたんだ」

「それとは違うんだよ…たとえ村の者であっても、時折バカをやって、乗り込もうとする若者が出るんだがな。それも帰って来ない。親も親族もそのときばかりは、潔く諦めねばならん。そういう決まりだからの…村を守るための、厳しい決まりだ」

ぽんぽん、と、孫に言い聞かせるようにノクトの肩を叩く。

「なぜ、そう焦りなさるんだね? いくらでも、この村でくつろげばいい。どの家でも、あんたらを歓迎するぞ。くつろいでいるうちに、神主様も降りていらっしゃるだろうて」

「どのくらい頻繁に村に下りてくるんだ?ひと月か?」

老人は難しい顔をして…「まあ、足しげくいらっしゃることもあれば、一年お顔をみないこともあるな」と正直に告げた。

ノクトは黙った。この老人を責めても仕方なかろう。これは老人ひとりのことではなく、おの村すべての掟なのだ。もとより…外者は入れないよう魔力で守られていたのだから、追い出されないだけ不思議というものだろう。

「…ひとつだけ教えてくれ。10年前によそからこの村に来た女性がいるはずだ。いま、その女性はこの村にはいるのか?」

オヨケ爺は、まったく聞き分けがないな、と呆れた顔をした。

「…知らないな。こんな村だ。よそ者が来ればすぐに知れ渡るが」

「だとすれば…ルーナはやはり、御山にいるんだな」

ノクトは独り言のようにつぶやいた。そして、意を決したように立ち上がる。

「じいさん、邪魔したな」

振り返らずに林のほうへ向かったので、老人がどのような顔をしていたかは分からない。しかし、ノクトは不思議とイラついた気持ちが治まっているのを感じていた。

ルーナがもし、御山にいるなら…導いてくれるはずだ。ここまで導かれたように。

林に入ると、ちょうど、ひーひーと根を上げたプロンプトが、こどもたちから逃れてくるところに出くわした。

「ノクト!!!助けてぇ!!!」

その後ろから、こどもたちが手に手に枝を持って追いかけてきた。

「…たく、情けねぇな」

ノクトは近くにあった枝を拾い上げて、剣のように構えた。

「おい、お前ら。容赦しねぇぞ?」

うわあああああ、 こどもたちは大喜びして、逃げたり、立ち止まったり、構えたりする。

ノクトは軽くこどもたちの枝の剣をいなしながら、林の奥へと進んだ。こどもたちは、もっている枝が、ノクトの攻撃で折れたり、遠くへ飛んだりするのを、きゃっきゃと喜んだ。

「ノクト!強い!!」

プロンプトが、惚れ惚れと言う。

アホか…

ノクトは苦笑して、まだ、戦意喪失していないこどもたちを追いかけました。おおよそが枝の武器を放棄して、笑いながら逃げていく。最後に残ったのは、クブニとアラネアだ。二人は、お互い、連携できるいい間合いをとって、枝を構えていた。いいコンビだ。

「ノクト、覚悟しろ!!」

アラネアが、とやああああ、と掛け声をあげて襲い掛かる。

ばかっ こいつ本気かよ!

ノクトはアラネアの怪力にちょっと怯んで、はじめの一撃はかろうじて避けた。アラネアが持っていた枝は、地面に叩きつけられて粉々に粉砕していた…

手加減をしらねぇな…

ノクトはぞっとする。

その好きに、クブニが、反対方向からノクトを狙って、枝を振り上げた。俊敏だが、こどもの動きだったので、ノクトは余裕で見切って、その枝を跳ね返した。

「あー、くそ、やられた!」

クブニは遥か向こうに飛んでいってしまった枝を見て、悔しそうに叫ぶ。

「ふふ。オレの勝ちだな」

ノクトは、子どもたちの前に仁王立ちする。

「ノクト、おとなげなーい」

プロンプトが背後の木の陰から叫ぶ。

「るせーな」

しかし、こどもたちは目をキラキラさせて、すごーい、剣士さまだ!剣士さまだ!といって、ノクトの回りに群がる。

剣を教えてよ!!と迫る男の子もいる。

「おう、そのうちな。今日はもうおしまいだ」

こどもたちと遊んでいるうちに、すっかり夕暮れになっていた。

「クブニ、そろそろ帰ろう。できたら風呂に入りたいんだが…」

「風呂あるぞ!」

クブニは偉そうに言った。

「五右衛門風呂かな?!」

プロンプトが期待をこめて呟いた。








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