Chapter19.1-招かれざる者-

穏やかな午後だった。ノクトたちは、もう、忘却の地も目と鼻の先、と思いこんでいて、どこかのんびりと構えていた。すぐ目の前に、あきらかにそこだけ雰囲気の違う、緑豊かな山肌が見えていれば、それも仕方のないことだ。とにかく、見えてはいるんだから、おおよそあそこを目指せばいい。ノクトは、迷わず道なりに進む。

おかしいと思ったのは、夕暮れが近づいたころだ。道は山を登るかと思いきや、微妙に高度上げてはすぐに下りに戻った。うねうねと左右に曲がりながら、先に見えている緑生い茂る山肌に、なかなか近づけない。


「この道じゃないのかなぁ」

もどかしそうにプロンプトが呟く。

「車で近づけると思ったんだが…」

ノクトは、しばし道端に車を止めて、地図を見やった。そこに、自分で書き記した詩が残っていた。


人々が忘れた隠された場所に、安住の地がある。

忘れよ、さすればその地は守られる。

東より日の昇るとき、刃の先がその地を明るみにする。

しかし、許されざるものは彷徨うのみ。

その地を望むならすべてを忘れ去り、帰り道を置き去りにして進め。

さすれば、死、もしくは、その地への入り口が開かれる。


日の出を待たないと場所が特定できないだろうか…

それから、古いお堂で聞いた話を思い出していた。

確か…ユハは、ほろ付きのトラックでケルカノを出て、徒歩の装備はなかったといっていた。

ブランシェルの軍用道路のように巧妙に隠されているのだろうか。それとも、何か不思議な力が働いて、隠されているのだろうか…

「魔法か…」

「え、なに?!」

「いや…」

ノクトは言いかけて黙る。

つい、この間まで魔法とともに生きていたはずの自分が、にわかに、そういった力の存在を信じられなくなっているのは不思議なものだ。ルシスにあって、他にはないということがどうして言えよう。そして、もし、魔法の力でその土地が隠されているとしたら…いったい、どうやって近づけばよいのか。

オヤジの魔法でさえ、何かを隠す力はなかった。ルシスとは違う力なのか…

「無駄に動き回ると燃料がもったいないな」

ノクトは重い口を開いた。

「明日の日の出を待ってみよう。今日は、キャンプできそうな場所を探して、終わりにしよう」

このあたりは随分と藪が深かったので、ノクトはまた、車を走らせた。どこか、平たくテントが晴れそうなスペースがあればと思って道なりに進む。斜面に沿ったカーブを越えたところで、急に視界が開けた。大きく開いた空間が見えた。

「キャンプにちょうどいいな」

「じゃあ、あそこだねー」

車を空き地に止める。

なんだ…?

ノクトたちは車から降りてすぐに違和感を覚えた。

広い空間のその地面に、わずかだか、タイヤの後がついている。まだ新しい…そして、その脇に、大型の乗り物が止まっていたような後が…

「ノクト、ちょっと!!これ、さっき着陸したところじゃないの?!」

プロンプトが地面の跡を覗き込みながら叫ぶ。

ノクトは絶句して、自分も辺りを見回した。

確かに…あの、脇の木立が折れているのは、たしか飛行艇が着陸するときに巻き込んだ跡だ…。

山道とはいえ、目指す山肌は常に見えていたはずだ。まさか一周してもとの場所に戻るなんて…どこかおかしい。陽はまだ、傾き始めたばかりだが、二人は急に不気味なものを感じて身震いをした。アラネアばかりは頓着した様子がなくて、あー、飛行機のあとだー!と行って、よろこんで飛行艇の痕跡の上を歩き回っている。

「どうする?」

気味悪そうにプロンプトが聞く。

「…下手に動かないほうがいい。とりあえず、ここで日の出を待とう」

プロンプトは、この場所を気味悪がっていたが、しかし、ほかに行く当てもないので、しぶしぶテントを下ろした。

ノクトはもう一度走り書きを見る。


東より日の昇るとき、刃の先がその地を明るみにする。

しかし、許されざるものは彷徨うのみ…


ノクトは山々を見上げた。その上の方は険しい岩肌がむき出しなって、南北に牙のように並んでいるのが見える。雲はその牙の先よりも下を流れていた。頂上は、よほどの高さだろう…

刃の先…一番高い頂上のことだろうか。

山脈の最高峰は目指す山肌より南にずれているように見える。

東より日が昇るとき、と言ったって…季節により軌道は多少ずれるよな。

そして、今たっている場所が、日の出を見る場所として適切とは限らない…

「プロンプト、腕時計、貸してくれ」

「え?いいけど?」

「方位計がついてるだろ」

ああ、なるほど、と言って、プロンプトは時計を外し、投げてよこした。

ノクトはそれを右手でキャッチして、方角を見る。

この場所から見るとあの最高峰は、やはり、東南のほうにずれている。あれが真東に見える場所に、入り口があるのかもしれない。

ノクトは飛行艇から見下ろしたときの光景を懸命に思い出していた。確か、この農道を西に戻ると、大きな道路が南北に通っていた。地図にものっている、山脈に沿って走る道路だろう。

しかし…そんな単純な話だろうか。明らかにここから南下すると、あの緑の山肌からは遠ざかる…そもそも、古い詩の示す季節がわからなければ、位置は特定できない…

ノクトは迷った。しかし、今は目の前に見える緑の山肌を頼りに当たりをつけるほうが確かな気がした。明日、もう一度、この道から山へ近づいてみよう。

プロンプトはなんとなく落ち着かない様子で、アラネアと薪集めに精を出しながら、ちらちらと山のほうを見ていた。

「なんかさぁ、あの緑…ちょっと不自然じゃない?」

「そうか?」

ノクトは双眼鏡で覗いてみる。生い茂る、青々とした木々の、枝振りまでも良く見える。

「見たところ、普通だぞ」

プロンプトに双眼鏡を渡す。プロンプトも唸りながら双眼鏡で覗いてみた。

「そうねぇ…見たところ、普通かぁ。いや、今となっては普通じゃない光景だけどさ」

「びびりすぎだろ。山道なんてすぐに方向を見失うからな」

ノクトは慰めを言ったが、プロンプトは浮かない顔だった。

ノクトも、内心では気持ちの悪いものを感じていた。悪意というか、念というか…ノクトたちを近づけまいとする誰かの意思のようなもの…

プロンプトは嫌な気分を払拭するかのように料理に没頭した。実際、時間も持て余していたので、いつになく品数の多い豪勢な夕食となった。

おおお、ご馳走だ! とアラネアは単純に喜んでいる。

早い食事をしている間に、ゆっくりと日が西に沈んでいった。

「あー!」

アラネアがメインディッシュのローストベヒーモスに噛り付きながら、空を指差す。

鳥だ… 鳥の群れが空を旋回して、そして、緑生い茂る山のほうへ帰っていく…

「鳥だ…」

プロンプトも驚く。

「鳥みるの久しぶりかも」

「山ガラスか…」

特徴的な、あー、あー、という間延びした鳴き声が響く。

そういえば、昼間も山のほうから、幾種類かの鳥の鳴き声を聞いたのだ。のどかな山間の風景…10年前には当たり前だった光景だ。

「やはり、あの山だな。それは間違いない…」

「そうだよね…」

二人は近くて遠い、緑の山肌が、夕焼けに照らされるのを眺めた。


翌朝の日の出が見たいので、ノクトが先に仮眠を取ることになった。しかし、ノクトは、アラネアを寝かしつけてから、なかなか寝付けないでいた。昨夜、見張りの必要もなくよく寝たせいだろう。テントの外では、プロンプトが落ち着きなく、行ったり来たりしている足音が聞こえていた。

ノクトは諦めてテントから這い出る。

「あれ、どうしたの?」

プロンプトが焚き火をいじりながら振り返る。

「寝付けなくてさ…お前も、なんか、落ち着きがないな」

「うん、落ち着かないよぉ…やっぱ、気味悪くてさ」

「じゃ、今夜は二人で起きてるか…もう、先は見えているし、朝の出発も焦ることもないだろ」

プロンプトは不安げにあいまいな返事をした。

ノクトは、暗闇の中にすっかり溶け込んでいる山肌を見やる。月が山脈の向こうに隠れているので、辺りは暗かった。夜中近くになれば、月明かりでよく見えるようになるだろう…そういえば、そろそろ満月ではなかったか。

「姉さんがいるうちにさぁ…上空からよく見てもらえばよかったね」

プロンプトは椅子にがっくりと腰を下ろして、情けない声を出す。

「なんだよ、アラネアが恋しいのか」

「だってさぁ、見たでしょ?昨日のあれ。あの人、やっぱ頼りになるよなぁ。誘ったら、旅についてきてくれたかもよ。ほら、前に、遺跡に探索に入ったときみたいにさ」

ノクトは苦笑する。

「そうは言っても、もう、無線も通じないだろ。諦めろ」

「はあ、しくじったなぁ…」

プロンプトは本気で落ち込んでいるようだった。

本家アラネアの話だと、支援部隊はいずれは、ニフルハイム全域に活動範囲を広げる予定だ。しかし、アコルド政府とのにらみ合いもあって、当面は、ユセロ地方までの救援・復興が活動の中心となる。この山脈を越えてテネブラエまで無線がカバーできるようになるには、まだまだ時間がかかるだろう。

夜中近くなってプロンプトはようやく眠気を感じてテントに入った。ノクトはこのまま、夜明けを待つつもりだ。月がようやく、最高峰ーノクトが、刃の先、と見定めた場所の、すぐ隣から登った。

満月にはあと少しだろうか…

十分に明るい月は、寒々とした山脈の白い牙を煌々と照らし出す。その光が、よく磨かれた鋼のような斜面に反射しているようにも見えた。


日が登る… いや、クオルテは、単に光が登ると言ったのではなかったか? ノクトは記憶を手繰る。

はじめあの詩を聞いたときは、あまりに古い言い回しで、ちんぷんかんぷんだった。それをしつこく、ひとつひとつのフレーズの意味を確認していったのだ。
 
明日もう一度この道からチャレンジして、ダメなら移動してみるか…

それから、ノクトは焚き火をわざと解体して火を弱めた。少し離れて山の方へ近づき、双眼鏡を覗く。近くに集落があれば、その光が見えるかもしれない…
しかし、深い森は今は月明かりがぼおっと浮き立つだけで、人工的な光は見当たらなかった。

ルーナ… 道を教えてくれ。
ノクトは祈る気持ちで山を眺めていた。

「ノクト!!」

突然声を掛けられて、ノクトは驚いて顔を上げた。

あれ…?
辺りがすっかり明るくなっていることに気がついて、驚いて椅子から立ち上がる。日の出を見るはずだった…ノクトは唖然として山の方を見る。太陽は、もう、山脈の頭より高くなっていた。
寝過ごした…?いや、そんなはずは。眠気を感じた記憶もない。それに、先ほどまで、焚き火から離れて、山肌を眺めていたはずた…
ノクトは、狐につままれたような顔をして呆然として立ち尽くした。
「どうしたの?ごはん、できてるよ」
プロンプトは心配そうに顔を覗き込む。
「あんまりよく寝てたからさぁ、声、掛けなかったんだけど…」
「プロンプト、日の出を見たか?」
「いや、オレ起きたときはもう登ってたから…ノクト、寝過ごしたの?」
「ああ…そのようだな。しくじったわ」

はははは。ノクトはプロンプトをあまり刺激しないようにと、わざとらしく笑って誤魔化した。

「今日はどうするの?」
朝のスープを手渡しながらプロンプトが聞く。
「そうだな…もう一度だけ、この道を行こう。見落とした分かれ道があるかもしれないし…運転頼めるか?」
「うん、いいよ」

いつもより遅い朝食を終えて、3人はまた、車に乗り込んだ。昨日よりは慎重にゆっくりと車を進める。昨日通ったばかりの、見覚えのある道を進む。この辺りから、黒々とした植物と、緑色の植物が、混在してよく茂っている。はじめのカーブに差し掛かって、プロンプトは車を止めた。

「あれ…あっちの方。もしかしたら、行けるんじゃない?」

カーブとは反対の方…ただの藪かと思っていた。覗き込むと、藪と倒木を越えた先に、確かに轍のようなものが見える。ここ何年も使っていないように下生えが伸びているが、明らかに車道だ。

「プロンプト!でかした!」
ノクトも柄にもなくはしゃいでいた。2人はハイタッチしてから、邪魔な倒木をどかしにかかる。自然に倒れたというより、目くらましに置いたのだろう。倒木は折れたのではなく、明らかに機械で切断してあった。2人の期待はますます膨らんだ。

「道にいろいろ転がってそうだからな。慎重に進めてくれ」
「了解!」
昨日、あんなに気味悪がっていたプロンプトも、すっかりテンションが上がっていた。

車は、木々が生い茂り、薄暗い山道へと入っていった。道は、明らかにコンクリートを敷いた跡があるが、荒れてボコボコに亀裂が入り、土や倒木、下草で覆われている部分も多い。車は慎重にスピードを落としながら、ひとつひとつのカーブを進んかだ。昨日とは違い、登るのに苦労するような急斜面もあったし、その後は冷やっとするような、急な下りだったりした。登ったり下ったりする間に、高度はよく分からなくなる… 木々が生い茂って頭上を隠しているので、目指す山肌もよく見えなかった。

折り返せるくらいのちょっとした空き地を見つけたので、ノクト達は一度そこに車を止めた。

「道なりに結構進んだけどねぇ…」
プロンプトは、木立の隙間から山肌が見えないかと頭上を仰いでいる。ノクトも、双眼鏡を持ち出して見たが、木々が邪魔をして遠くは見通せなかった。
しかし、耳をすませば鳥の声はよく聞こえた。目指す場所には、近づいている気がする。

「ま、とりあえず、昼メシだな」
「賛成〜!」
2人とも、楽観的な見通しを持っていて、気持ちも楽だった。
アラネアは、車に飽き飽きして採集に出たがったが、ノクトがきつく禁じた。
「ここで遭難したら、しゃれにならないぞ!」
しかし、よくよく考えて見ると野生で暮らしていたアラネアに、遭難という概念が通用するのか怪しかった。アラネアは、ただ、ノクトが怖い顔をしているのはよく感じて、大人しく視界に入るあたりで、ガサゴソと藪を漁っていた。

「あの蛇は、もう、いいかなぁ…」
プロンプトは、アラネアの背中に、さりげなく呼びかける。昨日の早朝、朝ごはんの時に、焼けといわれて焼いて、しぶしぶ、ひと口齧ったあの、艶めかしい長い生き物… 味はともかく、歯ごたえのなんとも微妙な弾力が、プロンプトにはトラウマになっていた。ノクトも、アラネアが目を離したすきに、半分以上を足元の地面に隠した。大きいアラネアだけは、意外といけるな、と笑って、味見にもらったひとかけらを平気な顔をして食べていたが…。
それでも腹を壊さなかったところを見ると、食べられはするらしい。いざとなったら、アラネアの採集に命を救われるかもしれない…とは思う。

「あーちゃん、ほら、もうご飯にするよ?食べてすぐ出発だからね?」
プロンプトは声が裏返っている。なんとか採集を切り上げさせようと、慌てて用意していたランチボックスを広げた。
昨日のローストした肉の残りと、朝食のときに湯がいておいたジャガイモ。香草のさわやかな香りがして、塩を振って食べると、素朴ながらに美味い。
「地味だが美味いな」
「でしょー。シンプルイズザベストでしょ?!」
プロンプトはガッツポーズをする。
食事の後、アラネアの我慢も限界だったので、ノクトはアラネアを連れて、しばらく車の後ろを歩くことにした。この先道のうねりが激しいちょっとした登りが続いていて、よほど慎重に車を進めなければならない。後から徒歩で追いかけてもさほどでもないだろう。

「よく離れてからついてきてよ!見えなくなったら止まって待つからさ」
「ああ、わかった」

プロンプトは、運転席の窓から手を上げて、合図をすると、エンジンをかけた。実際、十分に距離が取れるまで、2人は坂下からのんびりと車の様子を見ていた。軍仕様のジープは、かなりの馬力があったが、それでも、時折突き出した大きなコンクリート片には苦労していた。タイヤが乗り上げたあと、重さで割れる塊や、斜面を転げ落ちるのもある。2人は余程離れてからでないと、その後ろを歩けなかった。
およそ二人から見えるぎりぎりの位置まで車が登りきって、ようやく二人は歩き出した。急な斜面だったが、アラネアが喜び勇んで駆け上ると、すごい勢いだった。

「ま、待て!走るな!!」

ノクトは慌てて後ろから追いかける。アラネアは不思議そうに振り返ってしばし、ノクトを待っていた。

「あのな…ええと、そうだ。辺りを良く見ろ。木の実があったら拾え」

適当に時間が稼げればいいや、と、思いつきで言ってみたのだが、アラネアはぱあっと、嬉しそうな顔して、

おうっ!! 

と気合のある返事を返した。アラネアは道を左右に蛇行しながら、藪の中を覗き込んだり、木の上を見上げたりした。おかげで、ノクトはゆっくりとその後をつければよかった。

あー!!ほら、あそこ!!!

と、アラネアが太い幹の下にたって上を見上げた。緑の葉が生い茂っている木だ。この幹の太さだから、ゆうに10年以上まえから立っているに違いない。アラネアのそばまできて、その指す方向を見上げてみると、蔓が枝に絡まって、黒っぽい実がついているのが見える。

「な?!」

アラネアが誇らしげにノクトに笑いかける。

「ああ…でも、ちょっと高いな…」

と、言ってる間に、アラネアはその幹にしがみついて、するすると木を上り始めた。ノクトは一瞬、止めようかとも思ったが、しかし、その危なげない動きを見て、行くに任せた。あの魔道兵の大群を一緒に相手にしたのだ…木登りがなんだっていうんだ。

アラネアは、蔓のそばまで登っていくと、器用に足だけで木にしがみついて両手で蔓を外しにかかった。蔓はノクトの頭上に落ちてきた。

わっ 

と、ノクトが驚いて蔓を受け止めると、アラネアは頭上でキャッキャと笑っている。

ノクトが受け取った蔓には、小指の先くらいの黒い、熟れた実が、たわわになっていた。匂いを嗅いで見ると、かすかに甘い…

食えるんだろうな?

半信半疑で、そのひとつを取って、ペロッとなめてみる。甘酸っぱい味が舌に広がった。ちょうどアラネアも木から下りてきて、躊躇いもなく一握りもぎ取ると、口に頬張っていた。黒い実があっという間にアラネアの唇と歯を黒く染めた。

「なんだその顔…」

ぷぷぷぷ。ノクトは噴出す。

よし、プロンプトに食わせてみよう…とノクトはほくそ笑んだ。

その時、

ぷっ、ぷー

というクラクションが、坂の上から響いてきた。見ると、登りきった辺りでプロンプトが車から降りて、手を振っている。

「ねえ、この先が開けてそうだから、はやくおいで!」

「今行く!」

アラネアは、甘くなった唇をぺろぺろなめたあと、プロンプトの呼びかけに応じて、あっという間に、斜面を駆け上がっていった。ノクトは、実のたくさんついている蔓の部分だけを束ねて、のんびりとその後を追った。

車まで行くと、プロンプトがアラネアの黒い唇を見て笑っているところだった。

「ほら、この実だよ。結構うまいぜ?」

といって、蔓を見せる。

「へえ、どれどれ…」

プロンプトが慎重に、唇につかないように実を口の中に放り込む。

「んんんんん! 結構いける!」

と言ったとき、プロンプトの前歯はすっかり黒く染まっていた。

ぎゃははははははははは!!!!

ノクトとアラネアは同時に腹を抱えて大笑いをした。プロンプトは慌ててサイドミラーに自分の顔を映してみて、それから、もーーーーーーーーー!と始めは文句を言ったが、すぐに自分でも大笑いしていた。

「これ、うける!ちょっと、ノクトももっと食べなよ!!」

プロンプトに言われて、アラネアも期待の目で見るので嫌とは言えず、ノクトも実を頬張った。

ぎゃははははははははは!!!!

プロンプトとアラネアが腹を抱えて笑った。

喜んでもらえたなら、ま、いいわ…

と、ノクトは冷静だったが、そのあと3人で写真を撮ったのを見たとき、その馬鹿さ加減に、驚愕する。3人とも墨で染め抜いたように真っ黒の歯と真っ黒の唇で、にっ と笑っている。…なんのコントかと思う。自分で見ても噴出していそうだ。しかし、絶対他の人間の目に触れさせたくない…

一通り笑い終えて3人は車に乗り込んだ。

「ほら、あの先だよ。藪が終わって明るくなってるでしょ」

と、プロンプトが下り坂の終わりのカーブの辺りを指して言う。確かに、カーブの先が開けているようで、明るい日差しが差し込んでいる。

「いよいよ、あの辺から、集落に入るんじゃない?!」

プロンプトは、期待に満ちていた。

プロンプトが再び車を運転して、慎重に坂を下った。登りよりは、目立つ障害物もなく、スムーズに坂の下まで降りていった。そして、3人は期待の眼差しを、そのカーブの先に向けて注目していた。

「さあて、やぶを抜けましたよ~」

プロンプトが明るく言う。

…しかし、車はそのカーブの先で急停車した。

どうしたんだ?

前のめりになったノクトは言いかけて、言葉を止めた。

「嘘でしょ…」

プロンプトの声は、失望というより恐怖におののいていた。

そこに見えたのは…今朝、出発したばかりのあの空き地。

「嘘…オレ、ずっと方位計もチェックしてたし…ありえないよ、こんなの!!」

プロンプトはハンドルにうっつぷして、うなされるように呟いた。

ノクトは、無駄と知りながら車から降りてみた。空き地には、間違いなく、今朝の焚き火のあとも残っている。


許されざるものは彷徨うばかり…


「プロンプト、運転を代われ」

ノクトは強い口調で言った。

プロンプトは、消耗した表情で、のろのろと運転席から降りた。ノクトは、覚悟を決めた顔で運転席に着く。

「南へ移動する」

「南?」

「そうだ」

詳しくは説明しなかった。説明しようにも、何も確信はないのだ。

夕暮れまではまだ時間があった。ノクトは乱暴に車の向きを変えると、西の車道に向かって車を進めた。急に田舎の道が途切れて、よく整備されたかつての幹線道路に出た。アスファルトのそれは、小さな木の枝や葉っぱや土ぼこりで覆われているものの、それほど痛んでいないように見えた。

ノクトは鬱憤を晴らすように、スピードを上げる。ぐんぐんと、緑の山肌は遠ざかっていった。

「プロンプト、方位を見てくれ。あの、一番高い頂が真東に当たるところを目指す」

「わかった」

プロンプトも気を持ち直して、時計と山脈とを真剣に見比べた。

シャンアールで物資を補給したといっても、万が一引き返すことを考えると、ここで使える時間は、せいぜいあと3、4日のことだ。ノクトは計算する。明日には、忘却の地への足がかりがつかめないと、かなり苦しいな…。

どんな力か知らないが…くそっ、なめるなよ

ノクトは傾き始めた日に追いつかれないように、アクセルを踏んだ。

「ノクト…そろそろだと思うよ」

プロンプトも真剣な顔で、時計を構えている。

「わかった」

ノクトはスピードを落として、山のほうへ入る道を探した。すぐに見えてきたのは、車がかろうじて通れるか通れないかの、畑のあぜ道だ。ノクトはその入り口に、車を止めた。

「どうだ…通れると思うか?」

「うーん… 方位も、真東よりはもっと手前だと思うけど…」

もともと畑だったのだろう。あぜ道の両脇に平たい土地が広がっている。その先は、黒黒とした木の生い茂る中に消えている。

頼れるのは勘だけか…確かなものは何もない。

「おい、アラネア」

と、突然ノクトは呼びかけた。

「どうだ?この先に、行ってみるか?」

え?! と問われたアラネアも驚いた顔をしたが、

「行ってみる!」

と、すぐに力強い返事をした。

よし…

ノクトは車を、細いあぜ道へと進めた。

ぬかるみが多く、タイヤがはまり込むかと心配したが、なんとか畑だったあたりは切り抜けて、黒々と木が生い茂るところまで来た。車の天井すれすれに木々の間をくぐって、もう少し奥までいけそうだったので、そのまま車を進めた。

日が傾いてきて、ますます、木立は薄暗かった。時折、低い枝が車のフロントガラスに引っかかって、強引に突き進むと、折れてバキバキと音を立てていた。

道なき道を強引に進んでいたようだったが、やがて、黒い林を抜けて、開けた場所に出る。舗装はされていないが、地面に古い道のあとがはっきりと見えていた。それが、次の林の中に通じて、そのまま山脈のほうへと続いて見える。

日は、もう暮れようとしていた。その空き地から、山脈の刃が良く見える。


「先に進めそうだね」
「…そうだな。今日はここで、日の出を待つか」
3人は、この場所で夜を明かすことを決めた。


ほんとにこの道なのか…

ノクトにもプロンプトにも、何ひとつ確信を持てることかない。いざここにキャンプを張ると決めても、2人の中に落ち着かない気持ちが残っていた。アラネアだけが変わらず、もう自分の仕事と心得て、元気に薪集めに走っていた。

「プロンプト。念の為、食料はセーブして使ってくれ」

「…うん、わかった」

ちょっと緊張した面持ちで、うなづく。ノクトは、アラネアの姿を追いながらぶらぶらと、辺りの様子を伺った。大型の生き物の気配はない。特に危険はなさそうだ…

空き地に戻り、夕暮れの中に浮き立つ山脈を見る。緑色の山肌は、こちらからは見えない…手前の、黒々とした山肌に隠されてしまった。目的地よりは遠のいたようにも見える。

ノクトからため息漏れる。

一番遠い道が…一番真実に近い…

クオルテの言葉を、すがるように思い出していた。

まだ、足りないのか?これだけ遠回りをしてきたのに…

ノクトの中に、強烈にルーナを焦がれる気持ちが高ぶった。

10年も待って、そして、ようやくここまで。

ルーナ…絶対に貴女に届く…

ノクトは、無意識に、かつて指輪のはまっていた右手の中指をさすっていた。そこに、まるでルーナにつながる何かが、まだ結びついているように。

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