Chapter18.4-絶望と希望の狭間3-

昼近くになって、ようやく列の終わりが見えて来た。それでも、配給にありつくまでにはまだ1~2時間はかかりそうだ。
ほんとうに1日がかりだな…ノクトはため息をつく。

よう、タル!

と言ってリガルテがご機嫌にサンドイッチを頬張りながら近づいてきた。
ぐっ… と、余計に空腹を感じて、口の中に唾液がひろがる。いちいち嫌味な男だ。さっきまで、意気揚々とおしゃべりに興じていた難民の男たちは、リカルドの顔を見た途端に、顔がこわばって話をやめた。リカルドは、難民たちに恐れられているらしい。
「なんだよ」
「今日も、笑かしてくれるじゃないか、ええ?」
と言って、モゼフを押しのけてノクトの横に座る。
「今朝は急ぐって言ってたのにな。こんなところで難民ゴッコか?」
ノクトはうんざりしながら、
「まあ、そんなところだ」
と、軽く返した。
「変わってんな。小競り合いを収めるのに行列に並ぶとは。撃ち抜かれずに済んだバカはどれだ?」
と言って、凄みのある目を周囲に向ける。ジノヴァとヤンガは、目を伏せて息を潜めていた。
「そいつら運がいいな。オレでなくて、優しい新入りに捕まってな」
それから、さも、すべてわかってると言わんばかりに、ガハハハと、笑って見せた。
「お前の連れが探してたよ」
「プロンプトか。どこにいた?」
「金髪とガキは野戦病院さ。見舞い中だったみたいだぜ」
昨日のこども…まだ、息があるのだろうか。

「行ってきたらどうだ?代わりに並んでおいてやるぜ」

3人の難民は、ぎょっとして顔を上げた。

本気なのか冗談なのか…リカルドは、知らぬ顔でサンドイッチの最後のひとくちを食べる。

「本気か?」

ノクトは疑わしげに聞いた。

「もちろん。お前を見てたらなんだか楽しそうでな。ちょっとやってみたくなったよ」

ノクトは立ち上がった。

「じゃあ、頼むわ」

「どうぞ、ごゆっくり」

難民たちは救いを求めるような目をノクトに送った。ノクトは苦笑して列を離れた。

野戦病院のテントはこのキャンプ地で一際大きく、その屋根には病院を示す白十字の旗が、はためいていた。医療スタッフが慌しく出入りし、テントのそばには入りきらなかった怪我人や病人が地面に寝かされていた。反対側の入り口からは細い列が続いている。自主的に、診療をもとめてやってきた者たちだろう。

地面に寝かされいた男は明らかに気がふれたようすで、空の一点を見つめながら小刻みに痙攣している。そのそばには、こどもが悲しげな様子で座り込んでいる。

2ノクトは、医療スタッフに混じって野戦病院のテントに入った。

悲しげに泣く女性の声や、痛みでうなる男の声が耳につく。

「すまない、ハンターとこどもが来なかったか?」

ノクトは近くを通りがかった男性スタッフを遠慮がちに呼び止めた。

「ああ…あの奥にまだいるんじゃないか」

男は奥のほうを指差すと、忙しそうに行ってしまった。

ノクトはテントの奥へと進む。遠くに、プロンプトの金色の髪が見えた。あそこか…

「おい、プロンプト」

「あ、ノク…」

とプロンプトは言いかけて、慌てて口を覆う。

プロンプトのすぐ前に、アラネアがじっと下を見つめていた。見つめている先の低い簡易ベッドに、昨日のこどもが寝かされていた。じっとして動かない。相変わらず、目は虚ろだ…細いうでに、点滴がつながれていた。

「そろそろ出る?」

「ちょっと、用事ができてな。出発は明日にしよう。ところで、こいつの様態は…?」

「基本的には栄養失調みたいなんだけど…」

プロンプトは、悲しげな顔をした。

「アラネア、あんまり長居すると邪魔だ。行くぞ」

「うん、わかった!」

アラネアの表情は、いたって普通だった。ニカッと笑うと、こどもの顔の目の前で手を振った。

「またなー!」

ノクトはアラネアの手を引いて、外へ出た。

「お前ら、配給を手伝っていたんじゃないのか?」

「うん、途中までね。あーちゃんもがんばったよね?」

「こうやって配るんだよ!」

といって、手で何かをよそう真似をして見せる。

「あーちゃんがお腹すいちゃったんで、さっき宿舎の裏の食堂で昼たべて、で、病院に来たの。そいや、そっちはご飯食べたの?」

「いや…」

ぐうううう とそのとき、盛大にノクトの腹がなる。

あー、お腹の音だ!

アラネアはきゃっきゃっと笑う。

「あれ?食べてないの?これから行く?」

「いや、いいんだ。約束が合ってな」

ノクトは、苦笑する。

「それより、明日は朝早く出発したいんだ。昨日消費した分のガソリンと、食料を補充しておいてもらえないか。あと、1、2時間で用が済んだら、オレも宿舎へ行く」

「了解。あーちゃん、行こう。手伝ってくれる?」

プロンプトはご機嫌なアラネアの手を引いて、通用口をくぐっていった。

さて…これで、ちっとは列も進んだだろうか。

配給の列はちっとも減らないように見える。ノクトは、列の後ろのほうからリカルドと難民の男たちの姿を探しながら進んだ。配給所、数m手前で男たちはいた。明らかに萎縮した様子で、押し黙ってリカルドの傍に立っていた。

「リカルド、助かったわ」

「おう、早かったな」

リカルドは、意味ありげににんまりと笑って、列を離れ、そのままふらっとどこかへ行ってしまった。

難民の男たちは、ほっとした顔をした。

「あの男…そばにいるだけで心臓が縮むぜ」

モゼフはまだ用心しているように声を抑えていた。

「なぜ、そんなに怯える?」

「片目の軍曹だぜ?あんた、知らないのか?」

モゼフは驚いた顔をする。

「あんたも、気をつけないよ。あいつは…ここの法律さ。相手が難民だろうが、軍だろうが、へまやった新入りのハンターだろうが容赦しねぇからな」

「もと、帝国軍人だろ?もともと知ってるやつか?」

ヤンガが身を乗り出した。

「いや…しらねぇ顔だな。ま、おれも軍の中で顔が広かったわけじゃないからな」

ふうん。もと、帝国軍か…ま、ありえる話だな。

ノクトは驚きもせずに聞いていた。

4人はようやく配給の前まで来た。デイジーがまだ、配給をしていた。ノクトが列に混じっているのに気がついて、驚いていた。

「あなた、そこでなにやってんの?」

モゼフは代表しているように前に出て、

「この人は俺らに付き合って一緒に並んでたんだぜ。いいから飯をくれてやれよ」

デイジーは困惑していたが、しかし、脇にいた若い青年のハンターは笑いながらノクトのために煮込み料理を盛り付けてくれた。

「はい、どうぞ、ご苦労様」

「ああ、あんがとよ」

ジノヴァはこどもたちの難民登録証も見せて、無事、小さななべに5人分の食事を分けてもらえた。

「ああ、良かった…本当に良かった」

ジノヴァは目を潤ませて、それから、ノクトとしっかりと握手をして、こどもらが待つテントのほうへ去っていった。残された3人は道の脇に腰掛けて一緒に食事を取る。

「どうだい?配給の味は?」

モゼフはにやにや笑って聞く。

「ん…まあ、思ったよりは悪くないな」

やけにぱさぱさするイモの食感と、薄い味が気になるが…食えなくはない。それにこれだけ空腹であればなんでも美味しいというもんだ。

3人はあっというまに食事を平らげた。物足りなさを感じて、しばし、呆然としたが、それでも、しばらくすれば空腹感も消えた。

「よう、相棒。また、退屈したら付き合ってくれよ」

ノクトは笑って2人と別れた。モゼフとヤンガは、2人でそろってテントのほうへ去っていった。どうも、モゼフがヤンガを自分のテントに迎え入れたようだ。

やれやれ…

キャンプ地の日は傾いて、静かな夕暮れを知らせていた。配給の列はまだ、途切れることがない。


翌日の朝は、夜明けとともにアラネアは目を覚ました。

「プロンプト!タルコット!朝だ!!」

すぐに2人のベッドによる。ノクトは驚いて飛び起きて、「し、しずかにしろ」と押さえた声でアラネアを叱る。

「みんな寝てるんだぞ」

ずらっと並んだ2段ベッドに、連日の激務で疲れきったハンターたちが横たわっている。リカルドは今日もドアの近くのベッドに寝ていた。昨日聞いた話では、毎日夜回りをしているため、そこが彼の定位置なのだそうだ。

プロンプトも、もそもそと起きだして、3人は足音を忍ばせて宿舎を出た。出るときちらりとリカルドを見た。うつ伏せに、腕の中に顔をうずめている。今日は、静かに眠っているようだ。

そのまま宿舎の裏手の食堂に入る。昨日頼んでおいて、早番のハンターが3人分の食事を用意して待っていてくれた。

食事を取りながら、ノクトは今日の工程を説明する。

「今日は、飛ばして次のポイントをまず目指そう。プロンプト、運転頼めるか?」

「うん、いいよ」

「オレは、後ろでアラネアを見張ってるわ」

と言って、アラネアを睨み付ける。

「アラネア、今度、車を勝手に飛び出したら、許さんぞ。そのまま置いていくからな」

「お、おう?わかった」

アラネアは真剣な顔をして、うなづいた。

まもなく3人は食事を終えて車に乗り込んだ。エンジン音に気がついたデイジーが、宿舎から出てきて3人を見送った。アラネアは、デイジーの姿が遠くになるまで元気に手を振り続けた。

やっと出発できたか…

後ろに通り過ぎたキャンプをちらっと振り返って、ノクトはほっと安堵のため息をついた。まだ、早朝のためか、線路を歩く姿も見えなかった。

「そういや、昨日さ、車の中でこれ見つけた」

と言って、プロンプトは、運転を続けながら器用に何かを投げてよこした。さいころほどの何かを、ぱっとノクトは右手で受け取った。

「なんだ、これ…」

何かの電子部品だろうか。

「盗聴器だよ。ぶっこわしといたけど」

ミラー越しにみえたプロンプトの目は、得意げだ。

「これで、全部か?」

「たぶんね」

ノクトは一通り眺めて、それから窓を開けて、外に放った。

「軍支給の無線機のほうは?」

「あれ、分解して、盗聴器だけ取り除いといたよ。二つあったほうが便利でしょ。お互い持っていられるし」

プロンプトは、さらっと言ってのけた。

へえ。ノクトは感心した。

見ていると、やはり運転さばきもあざやかだ。道がわるいところを、一昨日よりもいいペースで進んでいる。

今日は距離を稼げそうだな…

アラネアは、今のところ大人しく窓に張り付いていた。

一昨日中継器を設置した地点を通り過ぎた。ノクトは地図を見ながら次の地点を確認する。といっても、まだ、線路沿いのこの道を進むつもりだ。そして、無線機の受信状態を確認する。

あれ…

「プロンプト、止めてくれ。無線が受信できていない」

「え?」

プロンプトは車を止めた。自分の無線機も電源を入れてみる。

「こっちもダメだ。おかしいね」

「この間設置したやつがダメになっているのかもしれない…あそこまで戻ってくれ」

「了解」

プロンプトは車をUターンさせて、一昨日の地点まで戻った。

ノクトは、車に2人を残して、中継器の様子を確認していった。遠めには、一昨日設置したままの場所に羽を広げて中継器が立っているのが見えた。しかし、丘を登って機械に近づいてみると…電源が完全に落ちている。反対側に回って、あ、と声を上げる。

中継器の裏は、ブレードかなにかに叩き切られたような跡があった。外装の金属が破られて、その下の基盤が無残に破壊されていた。

これは…

「ノクトおおおおおおおお!!!後ろ!!!!」

そのとき、車のほうからプロンプトの大きな声がして、ノクトははっと身を翻した。と、同時に、錆たブレードがノクトの目の前を掠める。

ぱーーーんっ という発砲音がして、襲い掛かってきた魔道兵の胴体が打ち抜かれるのが見えた。

「ノクト、下がって!!!」

ノクトは丘から、転げ落ちるようにその場を離れた。その後に、プロンプトの発砲音が続く。魔道兵の後頭部は、すでに半分破壊されており、明らかにおかしな動きをしながら、ノクトを追いかけようとしている。さらに何発か続けて発砲。魔道兵は、足元がくずれて崖から落下した。途中激しくいわばに激突して、胴体はばらばらに砕けた。

終わったか…

「ノクト、大丈夫?!」

プロンプトが車から駆け寄って来る。

「ああ、大丈夫だ。助かったわ」

「こいつに、破壊されたみたいだね」

プロンプトは中継器を見上げた。

「そうだな…どこか、魔道兵が近寄れない場所に設置しなおそう」

2人はあたりを見渡した。ちょうど切り立った崖の少し下が、せり出していて、中継器を設置できそうだった。

「崖の上から重機と中継器を吊るして下ろして、あのせり出したところで一人が受け取る…どうだ?できそうか?」

「んんん。かなり、労力使いそうだけど…まあ、なんとかなるんじゃない?」

ここでアラネアが思いがけず活躍した。器用に崖の上からせり出したところまで降り立って、ロープを渡した。はじめは、冷や冷やしていたノクトとプロンプトだったが、次第に信用して大いに手伝いをさせた。実際、アラネアは手伝わせているほうが嬉しそうで、そして、その持て余した体力を存分に使った。プロンプトがロープで上から慎重に重機と中継器を下ろす。下で、ノクトとアラネアがそれを受け取った。

さすがに重機は大きすぎてアラネアの手に余ったが、大人でも重いそれを、アラネアは案外平気な顔をして持ち上げていた。

こいつ…すげぇな

ノクトは改めて、野生児の底力に目を見張る。

荷物を降ろすだけで体力を消耗した3人は、掘削の前に昼食を取った。日の光はもうかなり高い。今日も、あまり距離は稼げないな。ノクトは落胆する。アコルド政府も、気前よくジープを提供するわけだ。

いまさら、言っても仕方ない…3日で見込んでいた道程は、それでも、1週間もあれば目的地に到着できるだろう。

「さ、もうひと働きするか」

ノクトは気を取り直して立ち上がった。

一昨日よりは少し慣れたのであろう。はじめの掘削もだいぶ効率よく行えた。中継器を孔へ下ろす。場所が狭いので、プロンプトとアラネアは先に崖の上に上がった。ノクトは中継器のスイッチを押すと、自分もすぐにロープにしがみつき、上へと上がった。崖上から覗き込むと、中継器が自律回転して、順調に掘削が進んでいるようだった。そして、やがて羽がひろがり、青いランプが灯るのが見えた。

「どうだ?」

「うん、ばっちり!受信できたよ!」

プロンプトはすぐに無線機をつないだ。

ーこちら調査班プロンプト!ケルカノ支部どうぞ!

ーお疲れ様。こちらケルカノ支部のダンカ。

知らない男の声だ。

ー1基目の中継器が、魔道兵によって破損されたため、再設置しました。えーと、魔道兵1体は駆除。今のところ、目撃したのはその1体だけでーす。どーぞ

ー魔道兵…でましたか。また、破壊される恐れはありますか?

ーなるべく近づきにくいところを選びましたので、たぶん大丈夫だと思います。

ー了解です。ご苦労様でした。その先もお気をつけください


「さて、これからどうする?」

「もう1基行きたいな…しかし、場所探しがやっかいだな」

3人は車に戻って再び出発した。次のポイントは30km先そのあたりから線路が高架に入り、道路が線路の下を走ることになるだろう。

「そのあたりは、工場の跡地が点在しているはずだから、入り込みにくそうな場所を選んで設置するか」

「そうだね。魔道兵もなんか半分壊れているみたいだし、入り組んだところまでは入っていかないと思うよ」

ノクトは先ほどの魔道兵の様子を思い出していた。制御不能で、目的もなく衝突したものに攻撃を加えているように見えた。彷徨える魔道兵とは、よく言う。

「あー、線路がー」

と、アラネアが指を差した。線路は徐々に高架に入り、完全に頭上になって視界から消えた。その脚組みだけが規則正しく並んで過ぎていくのが見える。

「意外と、線路の足場は無事だな。このまま使えるんじゃないか?」

「だと、いいよね。鉄道が再開されれば復興もしやすいし」

日は傾き始めていた。ノクトは窓の外に気を配りながら、中継器の設置に向いた場所を探した。

「そろそろポイント来ちゃうよ」

「そうだな・・・」

プロンプトは、車のスピードを落とした。ノクトは窓から少し顔を出すようにして周辺の様子をうかがう。線路のカーブした先、その下の崖に、先ほどと同じようにせり出した場所がいえた。

「あのあたりにするか…」

指を差して、プロンプトに教える。

「了解!」

プロンプトがアクセルを踏見込んで、スピードを上げようとしたそのときだ。

「プロンプト!!!止めて!!!!」

アラネアが大きな声で叫んだ。

「え?!」

プロンプトは驚いて、思わず急ブレーキを踏んだ。

衝撃で、ノクトは前の座席に軽く頭をぶつけた。車が止まったとたん、アラネアが車を飛び出して線路とは反対の荒野のほうへ駆けていった。

「アラネア!!!!!」

あんなに言ったのに!!!!

ノクトは激怒して叫ぶ。しかし、アラネアは一目散にかけていき、その背中は小さくなった。目指す先に…倒れている人影が見える。しかし、どう見ても息があるようには見えない。

「プロンプト、何で止めた?!」

「ご、ごめん、つい…」

「置いていけ!!」

ノクトは、乱暴に前の座席を殴りつけ、吐き出すように言った。

プロンプトは沈黙した。

ノクトは…さすがに口が滑った、と思った。恐る恐るプロンプトの反応を伺うように顔を上げた。プロンプトは、まっすぐに前を向いたままだったが、ミラーに移った目を見る限り、冷静な顔をしている。

「わりぃ…バカなことを言った」

プロンプトは、ようやく振り返って、ふっと微笑んだ。

「いいよ。わかってる」

それから、ノクトは、ひとり車から降りて、アラネアがしゃがみこんで死体を覗き込んでいるところへ、ゆっくりと近づいていった。

「アラネア」

気持ちを落ち着かせて、やさしく声をかける。アラネアが覗き込んでいるのは…まだ、腐敗していない、若い女性の遺体だった。穏やかな顔だが目をあけたままだった。その腕には、布にくるんだ赤ん坊…顔は布に隠れてよく見えないが、大きさからいって、生まれたばかりの乳児だったのだろう。

「赤ちゃんだねぇ!」

アラネアは嬉しそうに笑顔を浮べながら、赤ん坊の顔に手を触れようとした。

「よせ、アラネア」

死んでいるんだ… ノクトはアラネアを押さえつけようと手を伸ばした、その時…

う、う、う...

小さな、嗚咽。

まさか…

ノクトは息を呑んだ。アラネアは、そっと赤ん坊の顔にかかった布を捲し上げて、その顔を見た。赤ん坊は、何度か瞬きをして、それから、元気よく泣き始めた。まだ歯のない口が、大きく開く。ピンクの、健康的な肌の色だ…

「かわいいねぇええ!!!」

アラネアが、きゃっきゃと喜ぶ。

ノクトは、そばにひざをついて自分も赤ん坊の顔を覗き込んだ。赤ん坊は、元気よく泣き続けていた。ノクトは、嗚咽がこみ上げるのを堪えられなかった。目から涙がこぼれた。

プロンプトも、赤ん坊の泣き声を聞きつけて、二人のそばに来た。そして、震えているノクトの背中に、そっと手を当てる。

ノクトは母親の瞼を閉じてやり、祈るように少し目を閉じた。

「この子は、預からせてくれな…」

そして、泣き続ける赤ん坊を抱き上げる。

「さ、キャンプまで急ごう。きっと腹をすかせているんだ」

「うん!!」

アラネアは、泣いているノクトを不思議そうに見ながらも、赤ん坊と一緒にいられるのがよほど嬉しいいのだろう。満面の笑みを浮べていた。

車に戻る・赤ん坊は、今は火がついたように激しく泣いていた。まだ首も据わらないようなくにゃくにゃしたからだで、ノクトは抱いているだけでもハラハラした。

「プロンプト、お前、かわれよ。オレが運転する」

「ええ?ノクトも、いつ必要になるか分からないんだから、練習しておきなよ」

プロンプトは余裕の表情で、無線機をつないだ。

ーもしもし、こちら調査班のプロンプトです。どうぞ

ーはい、ケルカノ支部です。あら?赤ん坊の声?

ーそう!赤ん坊を保護しました。母親は残念ながら…

ー了解です。今どの地点ですか?

ーちょうど、80kmくらいかな?つんでる救援物資にミルクはある?

ーあるはずよ。まずはミルクを与えてください。医療班を用意して起きます。外傷や変わった様子は?声を聞く限り、元気そうだけど…

ーうん、顔色もいいし、大丈夫だと思う

よし、とプロンプトは無線をきって、ジープの荷台からミルクを探した。パッケージされた支援物資をほどく。いろんなものが詰められているので、そこからミルクを探すのに手間取った。

「あった!哺乳瓶も!これでおっぱいがのめるよー!」

「お前、作り方わかるのか」

「ここに書いてあるし。マリアちゃんに1回だけ、飲ませてあげたことあるんだー!と言ってもミルク用意してくれたのはグラディオだけどね」

「グラディオが?!信じらんねぇな」

そうか…今のグラディオなら、こんな赤ん坊、お手のものだろうな。

「ノクトはほら、オムツ替えて」

「え?!いや、無理だし」

そのあと、2人はてんやわんやと、なんとか赤ん坊のオムツを替え、ミルクを作って飲ませた。はじめは恐る恐るだったが、赤ん坊は勢いよくミルクを飲んで、そして、満足そうに眠った。

結局、プロンプトの運転で、ノクトはそのまま眠った赤ん坊を抱きかかえることになった。プロンプトは慎重にゆっくりと運転したので、キャンプが遠くに見えてきたころはすっかり夕暮れになっていた。

アラネアは、飽きもせずに赤ん坊の顔を覗き込んでいた。その横顔にも、夕焼けに染まる。

ノクトは、赤ん坊の健やかな寝顔を見ながら、

「もう少し早ければ…母親も助けてやれたかもしれないな」

と呟いた。

「そうだね」

プロンプトは静かに答えた。

母親は…できれば、埋葬してやりたいな。

また、明日もキャンプに戻ることになるかもしれないが、ノクトは、不思議と、それでもいいような気がしていた。ルーナに、胸を張って会うには、それが必要なことなのだろう。

医療班に赤ん坊を受け渡すと、受け渡された女性はにっこりと赤ん坊に笑いかけた。赤ん坊は目を覚ましていて、そのつぶらな瞳がじっと女性を見ていた。ノクトとプロンプトとアラネアの3人は、いつまでも名残惜しそうに赤ん坊を見ていたが、女性が赤ん坊を抱えてテントの中に姿を消すと、ほっと、ため息をついた。

どっと疲れが降りてくる。結局、今日の成果は、中継器一基を設置しなおしただけだったか。

「めし食って…寝るか」

「だね」

3人はまた車に乗り込んで、ゲートを目指した。











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