Chapter17.8-古(いにしえ)の信仰-


ノクトは、宿近くの広場で、アラネアとトラヴィスを見つけた。

アラネアは、なにやら夢中になって、広場の石畳に張り付いている。トラヴィスは、そばのベンチからその様子を眺めていたが、ノクトがやってくるのに気がついて手を振った。

アラネアが大人しいなんて、珍しいな・・・

近寄って、ノクトは納得した。アラネアは石畳に、夢中になって絵を書いているのだ。手にしているのはろう石だ。ずいぶん長い間描いているのだろう。結構な広さにまで絵が広がっていた。ちょっと・・・何が描かれているのかわからないところもあったが、人らしきものや、怪獣のようなもの、それから、船だろうか・・・

ノクトは、へえ、と感心しながら、トラヴィスの横に腰掛けた。

「これは、うまい遊びを考えたな」

「そうでしょ?お昼の後、ずっと夢中になってましてね」

アラネアはノクトが来たことに気がついたが、チラッと見ただけで、まだ描くことに夢中であった。

「・・・ああ、トラヴィス、本当に助かった。うまいこと、クラム・クルーと話すことができた」

「そうですか!それはよかった」

トラヴィスは、ひげ面に人のよさそうな笑顔を浮かべて、それから安堵するようにほっとため息をついた。

「お役に立ててよかった・・・。その、昨夜は、失礼なことを申しました」

え、とノクトは驚く。そういえば、そんなことがあったんだっけな。言われるまですっかり忘れていた。

「こっちはすっかり忘れてた。気にしないでくれ」

「私は・・・貴方のお気持ちをわかっているつもりになって、いたみたいです・・・おこがましいのですが」

ノクトは昨夜の様子を思い出して、それから、ぷっと吹き出していた。

「あんたも、酒にはあまり強くないんだろ」

トラヴィスは、自分も照れ笑いをしながら頭を掻いた。

「わかりましたが・・・いや、いただいたお酒があまりに美味しかったもので、柄にもなく飲みすぎました」

それから、あ、と声を上げて「そういえば、お酒を、昨夜置いていかれましたね。あとで、部屋のほうへ届けますので」と、律儀に申し出た。

「いや、いいんだ。あれは、よかったらもらってくれないか」

「え!いや、それは、さすがに・・・」

「ほかに、何も礼ができない。あんたにもらって貰えると・・・きっと、オヤジも喜ぶ。ルシスを思い出してくれたからな。ありがとうな」

ノクトが穏やかな顔を間近で向けたので、トラヴィスも恐れ入るしかなかった。トラヴィスの目は、若干涙目になっていた。

「できた!!」

アラネアが元気よく立ち上がった。「見て!見て!こっち!」

「どれどれ・・・」

いい子にしていてくれたみたいだから、少しはサービスするか。

ノクトは、午前中振り回されたことなどもうすっかり頭から吹き飛んで、機嫌よくアラネアの側に立った。

「これが、プロンプトで-、こっちがノクト!」

「し!」

こら、アラネア!と、ノクトは小さくしかる。ちらっと周囲を見るが、近くに人はいなかった。

「・・・あ、間違えた。タルコット!」

アラネアが指差したところに、古代洞窟画のようなダイナミックな人間が描かれていた。前髪の毛のとんがり方でプロンプトとわかる。ノクトは、髭が特徴を捉えている。その横のちっこいのがアラネアのようだったが、牙をむき出した怪物みたいになっていた。

「なんだよ、これ、お前か?」

「そう!」

がおおお、とアラネアは絵の真似をしてみせて、ノクトとトラヴィスを笑わせた。

まもなく、プロンプトもその広場で合流した。プロンプトも、一人で撮影を満喫した様子で、ハイテンションでアラネアのもとへかけて来た。二人はすかさず、ハイタッチする。

「あーちゃん、この絵!天才!!」

早速カメラを構える。アラネアもご満悦だ。

そして、プロンプトは上気した様子で、3人にその日の成果を見せた。

多くは美しいオルティシエの街並みだ。どこから撮影したのか、広角で街並みを上から捉えた写真もあった。海に映える白い壁、太陽の光のまぶしい乱射の中に浮かび上がる小島や建物・・・海に繰り出す船の姿もあった。10年ぶりに漁に出る様子だ。

影を落とす路地や、打ち捨てられた地域の寒々しい風景も混じっていた。それはそれで、どこか物悲しいが味わいがある写真だった。そして、人物を写したものも結構の数に上った。街角にくつろぐ人々、こどもたちの笑顔のアップ、日差しの下で駆け回るこども、日向ぼっこを楽しむ老人・・・。

「あー、もう、オルティシエの美を堪能した!!」

プロンプトは顔をくしゃくしゃにして、喜びを表現していた。ノクトもそれを見てほっとする。

4人はそれぞれに満たされた思いで、ご機嫌な夕暮れを迎えていた。

夜、アラネアは、1日遊びきって満足した様子で、あっという間に寝入った。ノクトとプロンプトは、キッチンでコーヒーを飲みながら、その日一日、お互いに起きたことをゆっくりと語り合う時間ができた。ノクトは、アラネアの逃走劇の一部始終と、クラム・クルーとの面談について話をした。

「・・・それで、カメリアさんが紹介してくれた人物は、全部?」

「いや、あと一人いる」

ノクトは文書を見ながら、最後の一人を読み上げる・・・

「フラン地区の、地区長だな・・・」

「それって、グスタフ少佐の調書にもあったよね?」

「ああ、すべてつながった」

カメリアの資料によると・・・フラン地区の地区長ロメオ・セルジは、職業は電気技師、52歳、とある。地区長と言っても政治家ではなく、有志の世話役みたいなものらしい。地区長には2年前に就任している。フラン地区の住民が、サルヴァンと交流があったことは政府もつかんでいた。この地域は非常に保守的な地域だ。住民の協力を得るには、まず、地区長を通さねばならない。しかし、10年前の調査のとき、前任の地区長は、捜査にはあまり協力的ではなかった。今回も協力的であるかどうかは不明である。神凪への信仰は厚い地域だが、近年はあとから入った移民も多く居住しているので、ノクトの正体を明かすことにはリスクがある・・・と警告している。

「これまでの調査で、サルヴァンがなにかしらの秘密を持っていることは明らかだ。それがルーナに関係している可能性も高い。しかし、彼の行方についての手がかりがない・・・この地区の住民が頼りだな」

そのためにはある程度のリスクも犯さなければならないだろう・・・

ノクトは祈るような気持ちでしばし目を閉じた。ここがダメなら、その時は、彼の故郷を訪ねるか。

「プロンプト、明日は留守番を頼んでいいか?」

「うん、いいよ」

プロンプトも、今度は機嫌よく引き受けてくれた。

ノクトは明日の捜索に備えて、すぐにベッドに入った。昨日は酔っ払っていたもんだから、つい、アラネアの横に寝たが、今日はソファベッドに入った。ようやく、広々と眠れる・・・


ごほんごほん・・・

遠くのほうで咳き込むのが聞こえる。誰だ?ノクトは不思議に思う。

ぜーぜー・・・

苦しそうな息。

寝苦しさを覚えて目を開けた。暗闇の中だ。ごほんごほん・・・咳をしていたのは自分だったか。

部屋はしんと静まっていて、誰もいないようだった。いつもは、側付きの誰かが、咳を聞きつけてすぐにベッドまで来てくれるのに・・・ 

隣の部屋の父さんは、もう眠っているんだろうか・・・まだ、仕事なのかな。

ごほんごほん・・・

苦しくて誰かを呼ぶ声がでなかった。体が、重くて熱い・・・

「・・・とう、さん・・・」

掠れた声を、わずかに搾り出す。喉が、ひどい痛みだ。つばを飲み込もうとして、それだけで、はれぼったい喉の奥に激痛をもたらした。ごほごほごほ・・・ ノクトは激しく咳き込んだ。誰か、気が付いて・・・

「どうしたんだ?」

慌てているが優しい声が聞こえた。父の声だ。暗がりの中で顔がよく見えないが、ベッドの上から自分を心配そうに覗き込んでいる。父は、心配そうに目を細めて、ノクトの頭をなでた。

「もう大丈夫だ・・・」

ノクトは安心して、もう一度目を閉じる。


「・・・パパ・・・」

パパ? オヤジをそんなふうに呼んだこと、あったっけ・・・

「・・・パパ・・・」

苦しそうな声が2度聞こえて、ノクトは、はっと目を覚ます。暗がりの中で、隣のベッドの上に苦しそうに蠢くものが見えた。「・・・パパ・・・」

アラネアか・・・

ノクトは、今見た夢のいやな予感から、慌ててソファベッドから抜け出して、アラネアの側に寄った。アラネアは明らかにぜーぜーと苦しそうな顔をして、頬に触れると・・・ひどい熱さだ。

「プロンプト!起きてくれ!!」

「ん・・・どうしたの?」

ノクトはサイドランプをつける。いつもは青白いアラネアが、真っ赤な顔をして、大量の汗をたらしていた。

「あーちゃん!」

驚いてプロンプトもベッドへ駆け寄る。

「ひどい熱だ」

「昨夜はなんともなかったのに・・・」

アラネアは、うっすらとまぶたを明けた。朦朧とした様子で、潤んでいる瞳をノクトに向ける。「パパ・・・」

「プロンプト、どうすりゃいい?」

ノクトはすっかり慌てている。

「・・・ええと、まず、水を飲ませなきゃ。それから、オレ、トラヴィスさん起こして・・・協会まで行って、薬があるかどうか聞いてくる」

「わかった・・・水だな」

プロンプトが慌ててブーツを履いている間に、ノクトは、コップに水を汲みにキッチンへ向かった。それから、二人がかりでベッドを囲って、そっとアラネアの体を持ち上げる。

「あーちゃん、ちょっとお水を飲んだほうがいいよ」

アラネアはされるがままに体を預けて、すこしだけコップの水を飲み込んだが・・・喉が痛いのか、ひどくつらそうな顔をした。

「困ったな、あまり飲まないぞ・・・」

「脱水症状が心配なんだけど、少しずつ、飲ませるしかないね」

二人はまた、アラネアをベッドに寝かしつけて、心配そうに覗き込む。

「オレ、行ってくるよ。ノクト、側にいてあげて」

「わかった」

と言ったものの、ノクトは気が重かった。苦しそうなアラネアを、ただじっと見ている以外に、何もできそうにない。

プロンプトはすぐに部屋を飛び出して行った。部屋の外で、慌てて駆け出す足音が響いた。

こどもってのは、すぐに熱を出すんだよな・・・

ノクトは、気を落ち着かせようと、自分にいい聞かせた。

ただの風邪だろ・・・こどもにはよくあることだ。

それから、今見た夢のことを思い出していた。ただ、父がその顔見せてくれて、そして頭をなでてくれた・・・それだけで、随分体が楽になったっけ。あれは、魔法だったのかな・・・

ノクトはベッドの上に身を乗り出して、できるかぎり安心させようと、微笑んで見せた。アラネアは、薄目でそれを見ているようだった。

「もう、大丈夫だ。プロンプトが薬をもらってきてくれる。すぐによくなるぞ」

ノクトはやさしく言い聞かせながら、アラネアの頭をなでてやった。なでられたアラネアは、まるで猫のように気持ち良さそうに目を閉じながら、そして、少し、息の苦しそうなのが、穏やかになった気がした。

人の手こそが魔法なのか・・・と、ノクトは、驚いてそれを見る。そして、プロンプトが戻ってくるまでの間、ずっと、頭をなで続けてやった。

やがて、慌てた足音が再び近づいてきて、遠慮がちにそっと扉が開いた。プロンプトと、トラヴィスが、心配そうな顔を2つ並べて、部屋へ入ってきた。

「・・・どう?薬、もらってきたよ」

プロンプトがささやく。

「ああ。今、よく眠っている」

トラヴィスがベッドへ近寄って、手際よくアラネアの体温を測った。アラネアはすっかり寝入っているようで、まったく気づかずにされるがままであった。

「・・・熱、高いですが、まあ、こどもにはよくあることですから。見たところ、脱水症状も起きてないみたいですし、心配ないですよ」

「そっかー、よかったぁ」

プロンプトは、脱力して、自分のベッドに腰掛ける。

「薬はどうする?起こして飲ませるか?」

「いや、せっかくよく眠っているので、次に目を覚ましたときに水と一緒に飲ませましょう。こどもの風邪には薬よりもよく眠ることのほうが効きますから」

それから、トラヴィスは申し訳なさそうな顔をした。

「実は、明日は仕事があって、一日留守をするのですが・・・大丈夫でしょうか?」

「ああ、もちろんだ。もともとプロンプトと留守番の予定だったしな、な?プロンプト」

「そうだよ!それより、こんな夜中にたたき起こして、ごめんなさい!助かりました!」

とプロンプトは、頭を下げた。

「いえいえ!お役に立ててよかったですよ」

トラヴィスは、薬と体温計の入った救急箱を二人に預けて、申し訳なさそうに自分の部屋へ戻っていった。

「トラヴィスさんたら、すっかり、あーちゃんに責任を感じているみたい・・・なんの関係もないのにね」

「それを言ったら、オレらも、ガーディナで偶然拾っただけの赤の他人だろ」

「そうだけど・・・でも、赤の他人の気がしないじゃない」

でも、このままずっと、連れて行けるわけじゃないだろ

ノクトはその言葉を飲み込んだ。寝入っているとは思うが、具合の悪いアラネアのそばで、そんな話をするのはためらわれた。

「ノクト、寝なよ。オレ、もう少し見てるからさぁ。明日、早くからでかけるんでしょ?こっちは、どのみち、明日は、家でゆっくりすることになりそうだし」

「そうか。わりぃな。じゃ、頼むわ」

ノクトは、ソファベッドへ入った。光を防ごうと二人に背中を向けるとき、プロンプトが母親のような優しい表情でアラネアの寝顔を見ているのが、ちらっと見えた。


ごそごそという物音が聞こえて、ノクトの意識が少しずつ覚醒していく。

朝か・・・昨夜の騒ぎがあったから、もう少し寝ていたいな。

ノクトはぐずぐずと目を開けずに布団に包まる。そういえば、世界に陽が戻ってから、朝寝坊というものをしていない。おかしいな・・・朝は大の苦手だったはずなんだが。10年前のあの旅の間だって、毎日のようにたたき起こされて、それでもなかなか起きれなかった。

年よりは朝が早くなるって言うが・・・まだ、そんな歳でもないよな?

「わ!!!!!!!!」

と、突然耳元で大きな声がして、ノクトは、驚いて跳ね起きた。

「わ?!なんだ?!」

その様子を見て、ソファベッドの脇で、アラネアがゲラゲラと腹を抱えて笑っていた。その顔は、また、すっかり青白くて、もとのとおりだ。

「・・・お前、熱さがったのか?」

まるで何もなかったようなけろっとした様子で、アラネアは笑い返してくる。

あきれた・・・

「ノクト、お腹すいたー!」

「え?あ、そうか、もう、そんな時間・・・プロンプトは?」

部屋が静かなので、不思議そうにキッチンを見やる。キッチンにも人の気配がない。

う・・・・ん・・・

と、その時、窓際のベッドから、苦しそうな唸り声が響いてきた。

「プロンプト?」

ノクトはいやな予感がした。プロンプトはまだ、ベッドの毛布に包まったまま、丸くなっている。

「おい、どうした?」

「ごめん、ノクト・・・」

と言いながら、プロンプトは毛布から少しだけ顔をだした。その顔は、昨夜のアラネアみたいに、真っ赤であった・・・

「マジかよ・・・うつされたか」

「なんか、夜明けくらいからだるくなっちゃって・・・さっき熱はかったんだけど」

ゲホゲホゲホ。咳が飛び散らないように毛布の中で咳き込む。腕だけを毛布から出して、体温計を渡した。

38.6℃・・・

「あーちゃんは、よくなったみたいだね・・・よかった・・・」

かすれきった情けない声が、毛布越しに響く。

「薬は飲んだのか?」

「うん。さっき飲んだ」

はあああああああ・・・・ がっくりと、ノクトは、頭を垂れた。

しかたがない・・・とりあえず、メシか。

「なんか、食うものあるか?食堂から買ってくるか?」

「オレはいらないから・・・あーちゃん、連れて行ってあげて・・・」

「わかった・・・。まあ、ゆっくり寝とけ」

そこからもうプロンプトは応答がなかった。反応をするのもだるそうだった。

まったく、番狂わせだ・・・今日は、頼みのトラヴィスも不在。しかも、アラネアは、まるで昨夜の熱なんてなかったような、朝から絶好調の様子だ。このまま、伏しているプロンプトに押し付けて、おいていくわけには行くまい・・・。ノクトは、頭を抱える。

アラネアは上機嫌で、朝っぱらから昨夜描いた自慢の絵のことや、昨日熱だ出たよねー、今日はプロンプトが熱だよねーなどということを大声でしゃべりながら、だるそうなハンターたちの迷惑そうな視線を集めている。どうする?こいつを連れて、一日あきらめて子守に徹するか・・・しかし、今日の行き先は、単なる、古い地区だ。軍の施設でも高官相手でもない。こども連れでもあるいは・・・。

「おい、アラネア。今日は仕事なんだが、特別お前を連れてやってもいい」

「ホント?!」

アラネアは目を輝かせる。「シゴト」という言葉の響きが、自分は連れて行ってもらえない秘密の場所のように感じているらしかった。

「ただし、条件がある。いいか、オレの側を絶対離れないこと!勝手に走っていくのも禁止だ。特に、屋根の上に上るのは絶対ダメ!!!」

ノクトは怖い顔をして見せる。効果が薄いのはわかってはいるが・・・

「うん、いいよ!」

いつものとおり、わかったかわからないかの、返事だ。

今日はマジなんだよ・・・ノクトは念押しをすることにする。

「じゃあ、テストだ。あっちに面白いものがあったとする。そうだな、高い塔の上に、きらきら何か輝くものがあったらどうする?」

「え?!どこどこ?!」

アラネアはキョロキョロ周囲を見渡して、もう飛び出してしまいそうな勢いだ。

「こら!!約束を忘れるな!!!」

と、ノクトが一喝すると、きょとんとした顔をする。

「勝手に走っていかない、屋根には上らないって、約束しただろ」

「・・・ああ!そうか!」

アラネアは大げさに、振りかぶって、「ヤクソクか!」

「そうだ。今日は、どんなに面白そうなものがあっても、絶対にオレの側を離れない!!いいか、どうしても行きたいときはオレにまず聞くんだ」

「わかった!」

「じゃあ、もう一度だ。高い塔の上に、きらきら何か輝くものが見えた。お前はどうする?」

うーん、とアラネアは難しそうな顔をして、唸る。それから、ぱっと、ひらめいたという様子で「ええと、・・・タルコットに聞くんだな。あそこに、きらきらしたものがあるから、行こうって!」

微妙に違うが・・・まあいいか。

「よし、それでいい。いいな。今度オレに聞かずにどこかへ行ってしまったら、その時は・・・」

「その時は?」

ノクトは、脅かすためにわざと沈黙してやる。それから、重い真実を突きつけるように低い声で

「もう、2度会えない」

へっ?!

アラネアは驚いて飛び上がった。

「どうして?」

「もう、そんな悪い子とは、一緒にいられない。仕事ができないと困る。オレには大事な仕事があって、それを絶対やらなきゃいけない」

アラネアは神妙な面持ちでそれを聞いている。

「だから、今度、オレに何も聞かずにどこかへ行ったら・・・そこでお別れだ。もう2度会えない。いいな?」

アラネアは、珍しく真剣な表情をして、黙ってうなづいた。

しめしめ・・・少しは効果があったようだな。

ノクトは安堵する。

一応、プロンプトのために弁当をひとつ買って、部屋へ戻った。プロンプトは、まだ苦しそうに、お帰り・・・と声を出した。

「プロンプト、今日はアラネアをつれて、出かけてくる」

「・・・え?いいの?」

プロンプトは少しだけ毛布から顔を出した。

「いいさ。アラネアも、ちゃんと言うことを聞くって、約束したしな。な、アラネア?」

「うん!」

アラネアは、さきほどの脅しがよほどこたえたのか、真面目な顔をしていた。

「・・・ありがとう、ノクト。ごめん・・・」

「ばあか、気にすんな。ゆっくり休んで、早く治せ」

「わかった・・・」

ノクトは、早々に荷物をザックに詰め込んで、部屋を出た。はやいところ出かけたほうが、プロンプトも休めるだろう。まずは、協会へ立ち寄って、フラン地区への行き方をたずねる。フラン地区は、退避区域に隣接するように玄関口へ近い、下層域にあった。退避区域を定めた際に、本来はフラン地区もそこへ含まれたようなのだが、住民は頑なに避難を拒んだらしい。政府は最後には折れて、その地域の周囲に簡易な防護壁を作ることで、居住を認めた。シガイの侵入を防ぐには不十分に思えたが、しかし、不思議なことにこの10年、目立った被害はなかったそうだ。受付で丁寧に説明をしてくれた若手のハンターは、人づてに聞いたことだから、とわざわざ10年にわたるフラン地区に関係する記録を洗ってくれたが、やはり大きな被害報告は一度もなく、そしてさらにわかったことは、この10年でフラン地区からハンター協会に依頼された件数は、ほかの地区より圧倒的に少なかった。

「もともと、閉鎖的な地区で、よそもののハンターに依頼することはあまりなかったようですよ」

彼はバックヤードの事務所で先輩ハンターから聞いたと思われる情報も言い添えてくれた。

そのフラン地区へは、本来は退避区域からボートで回るのが一番早いのだが、水路は地元民の行き来のために作られた小さなもので、ルシスから乗り付けたような大型のボートでは入り込めないようである。

「徒歩で行くのであれば、ちょっと回り道ですが、ひたすら各地域の階段をですね、下っていく感じになります。ちょっと入り組んでいてわかりにくいのですが・・・」

と、彼は、ノクトがトラヴィスからもらっていた地図に、特徴となる場所について印をつけてくれた。何せ多重構造になっているオルティシエでは、地図も階層ごとにわかれており、全体像がわかりにくい。

「・・・ここは、今、通れたかな?うーん・・・」

「だいたいでいい。方角と、目指す目標があれば、通れる場所は探せると思う」

「そうですか・・・じゃあ、とりあえずですね、目指すのは、この古いお堂ですね」

と、フラン地区の中央にある建物にしるしをつける。

「あまり背は高くない小さな三角の屋根なんですが、暗い黒っぽい色です。オルティシエの中ではかえって目立つんですよ。隣接するポアテ地区まで入って、海に向かっていけば、見えてくると思います。それを目指してください」

「わかった。助かったよ。ところで、そのお堂は何の建物だ?」

「ああ・・・これは彼らの集会場のようなもので。よそ者は決して入れてくれないので、中はよくわからないです。うわさだと、妙な宗教をやってるんじゃないかって」

クラムが言っていた古い信仰のことか、とノクトには思い当たる。

ノクトは昨日の薬についても礼を言って、ハンター協会を出た。

アラネアは協会では大人しくしていた・・・と言っても、ほかのハンターが相手をしてくれていたからだ。このあたりではすっかり有名人になってしまったらしく、ハンターたちは、あーちゃんだの、アラネアちゃんだのと、みんなが声をかけてくれた。こんな怪獣が、結構、愛されているんだな・・・と、ノクトは安心する。

街中でも、時折、手を振ったりする人がいた。あとは、これまでの騒ぎを知ってか、あからさまに指をさしてうわさ話をする暇なご婦人方もいた。こどもたちは、アラネアの姿を見ると、恐れをなして逃げていくか、面白がって近づいてくるかのどちらかだ。

「あーちゃん、遊ぼうよ!」いかにも悪がきといった一団が近づいてきたが、アラネアは、したり顔を向けて、

「今日は、シゴトだから遊べない!」

と偉そうに断った。

「へへん、えらそーに!バーカ!」

悪がき達は、悪態をつきながら去っていく。彼らも、元気そうだが、一様に青白い顔をしている。

「友達が多いな、アラネア?」

ふふん。とアラネアは得意そうだ。

アラネアは、時々走り出そうとしながらも、「約束は!!」とノクトが怒鳴ると、すぐに立ち止まった。ちょっとは進歩が見えたようだった。それでも不安なので、ノクトはなるべくアラネアの手をつないでいた。今日も快晴で、日差しが強い。昨日、ジャケットをダメにしてしまったので、Tシャツからむき出しの腕が、一日でよく焼けそうだ。つないだ手がすぐに汗ばむ。

時折、すれ違う人たちに道を尋ねながら、ポアテ地区までは順調にたどり着いた。かなり歩いたので、ポアテの中心にある広場で休憩を取る。持ってきたサンドイッチを広げた。出掛けに買っておいて正解だった。ポアテまでくると、どんどん寂しい感じになり、店も見当たらなかった。

アラネアは、昨夜の熱など嘘のように、今日も疲れ知らずだ。どちらかというと、ノクトのほうが先にへばりそうだ。

「・・・お前ほんとに、元気だな」

半ばあきれて言う。

「うん・・・タルコットは、元気ないな?」

「まあな・・・昨日もお前を追い掛け回して疲れてるし、昨夜も途中で起こされたしな」

「そりゃ大変だ!」

アラネアは満面の笑みで、ぽん、と、ノクトの肩を叩く。

お前、意味をわかってるのか?!

一瞬、いらっとしながら、それからぷっと、噴出す。まったく、どこで覚えてきたんだか。

「しかし、今日は偉いな。まだ、一度も、駆け出していない・・・いや、ちょっとはあったが、すぐに戻ってこれたしな。この調子でがんばれ!」

「うん、わかった!」

食事を終えると、アラネアはまた、元気いっぱいになっている。午前中大人しくしすぎて、ストレスがあったのか、多少、落ち着かない様子が見て取れた。ここらで、ちょっと遊ばせてやるか・・・

ノクトはザックからロウ石を取り出した。

「アラネア、ちょっとここで絵を描いていくか?その間に、オレは、三角の屋根を探してくる」

「うん、いいよ!」

アラネアは、いかにも興奮した様子でロウ石を受け取ると、もう夢中になって描き始めた。

「戻ってくるまで、ここを動くなよ!」

「わかった!」

まあ、大丈夫だろう。昨日も半日、夢中になっていたというし・・・ノクトは、アラネアの姿を時々振り返って確認しながら、その広場を離れていった。

海を目指して路地をうろうろする。三角の屋根、三角の屋根・・・白い壁、美しい紅や紺の屋根の中に、古ぼけた黒っぽい屋根ならば、確かに目立ちそうだ。

海のほうへ向かって裏手に入ると、ほとんど人通りがなかった。細い路地だけが入り組む。このあたりの建物のほとんどは・・・廃屋だろうか。窓も板が打ち付けてあって、人気がないように見える。潮風の方向にノクトは進んで、その先の通りの突き当たりが踊り場になっていて、隣の低い地位の屋根が連なるのが見えた。あそこか・・・

踊り場まででると、フラン地区であろうと思われる一帯が見渡せた。右手のほうに、小さな広場と、やや尖がった三角の、黒い屋根・・・。その建物だけが、いかにも古そうで、歴史を感じさせた。

見つけたな。

しかし、どこから降りようかと、しばしあたりを見渡す。近場には降りていく道が見当たらない。

とりあえず、アラネアを呼んでくるか・・・

ノクトは、目印を心に留めながら、先ほどの広場まで戻った。アラネアは広場にぽつんとひとり、まだ夢中に石畳に絵を描いているところだった。

「アラネア、三角屋根を見つけたぞ!」

ノクトは、声をかけるが、アラネアは、ふーんと、言ったきり、こちらを見ようとしない。

「おい!もう、行くぞ。三角屋根を見つけたんだ」

「・・・まだ、もう少し」

アラネアは不機嫌に呟く。

「おい!もう、行くって言ってんだろ!」

ノクトは怒って声を荒げたが、アラネアはお構いなしだ。

しまった・・・こいつ、てこでも動きそうにない。

ノクトはしばし途方にくれて、真剣な眼差しで石畳に張り付くアラネアを眺めていた。

それなら・・・

「・・・アラネア、お前、一人でここで待っていられるな?」

アラネアは振り向きもせずにうなづいた。

「オレが戻るまで、絶対にここを動くなよ。仕事が終わったら、すぐに戻るからな」

「うん。わかった」

ノクトは少し迷ったが、しかし、意を決して、広場を後にした。なに、あの様子ならしばらく大丈夫だろう・・・フラン地区はすぐそこだし、すぐに戻ってこれる。

ノクトは駆け足で先ほどの踊り場まで出た。そうと決まれば、時間は無駄にできない。自分ひとりだし、適当な場所から、強引に降りていけるだろう・・・ ノクトは、三角屋根の広場の先に、ちょうどよくこの階層まで伸びている背の高い街灯を見つけ、それを伝って下の階層まで滑り降りた。

通りを歩いていた若い女性が、えっ、と驚いた顔をこちらに向けた。ノクトは、ばつが悪いのを誤魔化すように

「ハンターのタルコットだ。地区長に用があるんだが、彼はどこに?」と声をかけた。女性は、勢いに飲まれたように、広場のほうを指差した。

「ロメオさんなら、たぶん、広場の事務所に・・・」

「それは助かる。ありがとな」

ノクトは、颯爽と彼女の前を走り抜けて、広場を目指した。

小さな広場は、ほかのオルティシエの広場と同じように石畳であったが、明らかにほかの地域と違っていた。石畳に混じって、古いレンガや、陶器のタイルが混じっている。そして、なにやら古い物語のような不思議な絵柄を作っていた。その広場の両端に、向き合うように、礼のお堂と、そして、’フラン地区管理事務所'と書かれた看板を掲げている建物。小さな白い壁の一階建てで、交番か、あるいは、大きめの公衆便所かという大きさだ。小さな地区の管理事務所など、この程度のものなのだろう。

扉は半分開かれていた。ノクトは、一応、ノックをしてから中へと入った。

「失礼する…」

中では男たちが2人、カウンター越しに話をしているところで、2人は一様に驚いた顔をして、ノクトの方を見た。 手前の男はまだ若く、カウンターの中にいる方が、ロメオだろう。ツルツルの頭だが、頑強な体つきをしていて、うす汚れたタンクトップから太い腕が剥き出しになっている。

「なんだね、あんた?」

明らかによそ者を警戒した眼差しで、ノクトを見る。

「突然の訪問ですまない。カメリアの紹介で、地区長に会いきた。」

ノクトは、ザックから紹介状を取り出して、渡した。 ふーん。ロメオは疑わしげに書面を眺める。

「…地区長はオレだが」

「オレは、タルコット・ハリス。ルシスのハンターだ」

ふーん、と言ったまま、ロメオは警戒の姿勢を崩さない。

「カメリアの紹介状にあるように、捜査に協力を頼みたい」

「なんの捜査だ?紹介状には、詳細が書かれてないぞ。なんだか、隠密なようだが…」

ロメオは、昔気質の職人といった風情だった。彼には遠回しな取引より、率直な話の方が良いだろう…2人きりならよかったのだが。隣にいる若い男が気になる。ノクトは、ちらっと若い男の方を見やる。

「・・・この男が気になるかね?こいつは、この地区のもんだぜ。そこまで、隠さないといけない話かね?」

「いや…構わない。聞きたいのは、サルヴァンのことだ。彼の行方を追っている」

「サルヴァン?」

ノクトは、しまった、と思った。明らかに2人の男の警戒が強まったように感じた。10年前の捜査でも、協力を拒んだ住民たち…グスタフの調書が思い出される。

「なんたって、サルヴァンさんが、ルシスのハンターに関係するんだね?」

「それは、守秘義務があって…」

「おいおいおいおい…」

ロメオが大げさにかぶりを振って

「あんたが守秘義務っていうのに、こっちが何を話さなきゃならんのだ。そんな道理の通らねえ話には付き合わないぜ」

終わりにギロっと、ノクトを睨みつける。 ノクトは勢いに飲まれて、口ごもった。

「…わかった。依頼の内容を話す…できれば、ここだけの話にして欲しいんだが…」

「構わねえ。誰に聞かれて困るんだか、知らねえがな」

な、と言って、若い男の顔を見る。男は、敵意剥き出しの表情で、黙ってなづいた。

「…依頼主は、ルシス王家だ。神凪の行方を追っている。これまでの調査で、サルヴァンの消息が神凪に関係しているとわかった。だから、彼の行方を知りたい」

ノクトは、サルヴァンと神凪の関係が決定的であるように、言い切って、2人の反応を伺った。2人は顔を少し見合わせて、しかし、心のうちは読み取られまいと、表情を変えないでいた。

何か知っているのか…? ノクトは彼らの応答を待つ。

「…何があって、サルヴァンさんが神凪に関係するっていうんだね?」

あちらも、こちらの出方を伺っているようだ。

「10年前の水神の儀の時に、サルヴァンが神殿にいたことはわかっている。彼本人も証言しているしな。それに、他にも神殿の近くで、この地域の住民が目撃されている。サルヴァンは、この地区と親交が深かったはずだ。当時のことを知っている人から話を聞きたい」

「あんたが、ルシス王家の依頼を受けたって証拠は?」

若い男が横から口を出した。

「ルシス王家は消滅したんだろ?今更、神凪を探すなんて妙な話だな」

「消滅したと、誰がそう言ってるんだ?」

ノクトは、彼を揺さぶるべくまっすぐに目を向けて、問いただしてみた。若い男は、明らかに動揺を見せた。

「・・・暫定政府の発表なんざ、信じられるか。都合の悪い事実を隠してんだろ」

「依頼主がルシス王家ではなくて、暫定政府だったら何か都合が悪いのか?」

ノクトはさらに畳み掛けてみた。若い男はさらに反論しようとして身を乗り出したが、ロメオが割って入った。

「お前は黙っとけ!」

叱りつけるような声だったので、男はしゅんとなって目を伏せ、面目無いと言ったような情けない表情をみせた。

ロメオは、気を取り直してノクトをまっすぐに見据える。

「悪いな、若いのが興奮しちまって…」

口調が柔らかくなって、少し姿勢が変わったな、と期待が高まる。

「いいさ」

ノクトも穏やかに応じる。

「あんた、勘違いしないで欲しいんだが、俺たちは何も、ルシス王家にも、ルシスの暫定政府にも恨みはない。別に協力を拒んでるんじゃない。だがな、もう10年も前のことだ。この10年でこの地区の住民もばらばらになっちまったし、当時のことを知る人間はあまり残ってない」

ノクトは口を出そうとしたが、ロメオは間髪いれずに話を続けて、それをさえぎった。

「それにな、サルヴァンさんのことだが、この地域と特別親交が深かかったっていうのは、誤解だな。あの人はたしかに、高官にしてはよくできた人だったよ。あちこちの地域に自分の足で出向いていって市民の話をじかに聴いて回ってたし、あれこれと世話を焼いてくれた。まあ、この地域にも確かに来た。俺もなんどか顔を拝んでる。しかし、ほかの地域よりも特別に深い付き合いがあったとは思わないな」

ノクトは、絶句する。ロメオは、がんとした強い意志をその目に示していた。彼らには・・・まっすぐさ、しか感じない。その彼らが、まっすぐにノクトに付き返すこの厚い壁は・・・いったいなんだ?

彼らに、今、自分の正体を明かすべきかどうか、ノクトは迷った。しかし、自分が今、ノクティス・ルシス・チュラムと名乗り出たところで、信じるだろうか。彼らの警戒は明らかだ。それに、ルシス王家に対する態度も、これまでの話の中には巧妙に隠されてわからない・・・

神凪の味方は、ルシスについても理解はあるはず・・・それは甘い考えだったのだろうか。

「なあ、あんた、悪いんだが、あと数日後にまた来てくれないか。運がよければ、当時のことを知るやつも見つかるかも知れねぇ」

ノクトが考えあぐねていると、ロメオは、慰めるように言った。しかし、そのやさしい口調とは裏腹に、あきらめろ、というメッセージがこめられているようにも感じた。

冗談じゃねぇ・・・引けねえよ

しかし、ノクトには次の言葉が見つからない。もし仮に彼らがルシスに対して協力的であったとしても、自分の身分を確かに証明する必要がありそうだ・・・。

また、カメリアに協力を頼むか。

これ以上、話をこじらすのも得策ではないように思えた。ノクトは、悔しさをにじませながらうなづいた。

「わかった・・・また、数日後に、必ず伺う」

その声には、かろうじて、まだ、あきらめていないことを表していた。

「ああ。わかったよ」

ロメオはノクトの悔しさを察してか、若造の足掻きをうけとめるがごとく、余裕のある笑を浮かべていた。

ノクトは重い足取りで事務所を出た。呆然として、しばし立ちつくす。それから、ゆっくりと広場を横切って、考えもなしに古いお堂の前に立った。朽ちかけた木製の扉は、幾重にも修復されて、重々しく、そして、硬く閉ざされていた。この古い地区のすべてが、ノクトを拒んでいるように見えた。

なぜだ・・・ルーナ、その人にたどり着くのに、オレには資格がないのか・・・

ノクトは唇を噛む。

いや、これで終わったわけではない。こちらにも次の手がある。まず、カメリアに会おう・・・それから、ここまでの調査の結果を伝えれば彼女はまた、力を貸してくれるに違いない。

-タルコット!!

遠くのほうで、誰かが叫ぶ声がする。耳には入るが、ノクトは上の空だ。カメリアと、どうやってこの地区の硬い壁を打ち砕くか・・・当てもない考えを脳裏にめぐらせている。

-タルコット!!

いらだつような声が続くが・・・ノクトは、誰か似たような名前のやつがいるんだな・・・と、上の空で思う。

「んーーーーーーーーーーーーーー!!!!ノクトぉーーーーーーーーーーー!!!!!」

怒りに爆発した上げしい怒鳴り声が上がる。ノクトはようやく、はっと現実に戻って、声のするほうを振り向いた。見れば、先ほどノクトが降りてきた上層の踊り場から、アラネアが身を乗り出しているところだった。

「ノクトのばかーーーーーーーーー!!!何度も呼んだのに!!!!!!」

顔を真っ赤にして、地団駄を踏んで怒っている。

「わ、わりぃ!」

ノクトは、はあ、とため息をつく。よりよって、こんな場所で、大声で怒鳴りやがって・・・

案の定、騒ぎを聞きつけた住民が数人、広場のほうを覗き込んでいた。そして、先ほどの事務所の男たちも、扉の隙間からこちらを覗き込んでいる。

もう・・・どうしようもないな。

ノクトは腹をくくる。

「アラネア、ちょっと待ってろ、すぐに戻る・・・」

アラネアは、まったく言うことを聞く気配がなく、どこか降りるところは、とあたりを見渡していた。そして、ノクトと同じように街灯を見つけると、とめる間もなくするするとそこを降りてきた・・・。ノクトも、もはや、心配などはしなかったが、騒ぎを聞きつけてきた住民たちは、わっ、と驚いた声を上げた。

その時、ノクトの背後から、声がした。

「もしや・・・ノクティス様では?」

振り向くと、お堂の裏の通りから、一人の老婆が歩いてくるところだった。老婆は、腰こそ曲がらないが、かなりの高齢に見える。今にも泣き出しそうな、そんな顔をして、声も若干震えているようだった。その側には、その娘らしき年配の女が、心配そうに老婆に寄り添っていた。

ノクトは、老婆の様子から、敵意は感じなかった。そして、今この状況では、誤魔化しても仕方がないとわかっていた。事務所の連中も、固唾を呑んで、この状況を見守っているのがわかる。

「・・・ああ、そうだ。よくわかったな」

「ああ、やはり・・・」

老婆は、今はもう、目に涙を浮かべて、ノクトの右手を取ると、その手に、敬意を示すように口づけをし、そして額を当てた。

「おお・・・これは、きっと奇跡なのでしょう。私たちの古い伝承では、陛下はご使命を果たされた後、現世をお捨てになると伺っておりました」

「・・・ああ、そうだな。オレもそうだと思っていた。ここにいるのは、確かに死に損ないだな」

ノクトは、今はもうすっかり老婆に心を許していた。たどり着いた・・・古い信仰だ。やはり、思ったとおり、神凪だけではない、ルシスにもつながる信仰だったのだと、確信を持つ。

「何をおっしゃいます」

と、老婆は目に浮かべた涙をふき取って、強い眼差しをノクトへ向ける。そして、手を引いて、お堂のほうへ向き合った。

「さあ、ノクティス様・・・どうぞ、こちらへ」

いつの間にか、広場には結構な数の住民が集まっていた。そのうちの一人の男が、黙って、老婆に指示にしたがい、お堂の重い扉を押した。ノクトは老婆に導かれて、古いお堂に足を踏み入れた。アラネアは、何事かを察して静かに後に続いていた。少し、怯えているようにも見え、ノクトの服のすそをつかんで離すまいとしていた。

お堂の中は暗かった。昼だというのに、窓がないのだろうか。暗がりにろうそくの光だけが浮かび上がる。何列も並んだ木製のベンチの先に、祭壇のようなものが見えた。古の信仰・・・ そこに祭られている神は、なんであろうか?ノクトの心臓は、自然と早くなる。

祭壇に近づくと・・・確かに、神の姿らしき古い石像が見えてきた。全長30cmほどの小さな石像だ。かろうじて、人の形に見えるが、風化のためか、形がはっきりとしない。その脇には、ルナフレーナの写真が飾られている。そして、ノクトの写真も・・・これは、オルティシエで隠し撮りされたものか?

「10年の間、この地域の守り神として奉っておりました。そして、ついに光を取り戻された・・・ノクティス王。その身に、現世の苦悩のすべてをお受けいただいたのでしょう。その苦しみのせめて一片でも、どうぞこの老婆にお与えくださいますよう・・・」

老婆は、感謝か懺悔かの涙を盛んに流して、そして、ノクトの前に跪いた。お堂に続いて入ってきていた数人の住民もそれに続いた。ノクトは、慌てて、彼女の肩を抱き抱えてそれを止めた。

「頼むから、止してくれないか」

老婆は、不思議そうにノクトの顔を見た。

「今は、王としてここにいるのではない。・・・力を貸してほしい。ルーナを探している」

「ルナフレーナ様を・・・それで、ユハ様をお探しなのですね」

「ユハ・・・?」

その時、側にいた老婆の娘が不安そうな顔をして、そっと老婆の服の裾を引いた。話すことを咎めているようにも見えた。しかし、老婆は娘のほう向いて、確信を持った強い様子で頷いて見せた。そして、また、ノクトをまっすぐに見る。

「サルヴァンとは、オルティシエでの仮の名前でございます。ユハ・リーベリ神父・・・我らの古い伝承を受け継ぐお方でございます」

ノクトは、今は、老婆のその手をしっかりと握って、彼女に向き合った。食い入るようにその目を見る。

「教えてくれ、彼はどこに?そして、ルーナは、一緒なのか?」

ノクトの声は自然と大きくなって、静寂のお堂の中で響き渡った。

老婆は、ノクトを落ち着かせるようにやさしく、そして、寂しそうに笑い、彼の手を握り返した。

「ノクティス様・・・この、老婆の知っていることであればお話しましょう。お役に立てるかわかりませんが」

そして、ノクトを近くのベンチに誘導して、そこへ座らした。自分も、そのすぐ横に腰掛けた。アラネアはすっかり怖がって、ノクトの背中にしがみついていた。

「・・・10年前の水神の儀の際、ユハ様のご指示のもと、この地区の数名が儀式のすぐそばで待機しておりました。私めもその一人でございます。数名の男たちはユハ様をお手伝いしたようでございます。私めは、人の気を引くための・・・そう、囮でございました。しかし、水神の儀の数時間後のこと、予定とは違って、私めのすぐ側を、ユハ様のボートが通りかかりました」

「ユハは・・・何を・・・」

「ユハ様は、決して何も見るなとおっしゃられたのです」

ノクトは、息を呑んだ。

「何も見るなとおっしゃられたので、我らは見ませんでした。私めの後ろを、ユハ様のボートが通り過ぎました。何かを積んでいたのでございましょう。しかし、何も見てはいないのです。見れば、それは外へ伝わる恐れがあるというものです。我々は秘密のために、自ら見ないことを選びます」

そして、老婆はやさしくノクトの手をなでた。

「しかし・・・ほかにそれを手伝ったものは・・・」

ノクトはすがるように言った。

「ええ、いました。同じボートに乗り合わせた者もあります。それらの者は何か見たでしょう。しかし・・・彼らは、ユハ様とともに、この地を去りました」

ノクトは、捕らえそうな希望の光に、手を伸ばそうとあがている気分だった。そこまで・・・そこまで光は見えているんだ。しかし、その光は、このお堂の蝋燭のように、はかないもののように思えた。

「・・・彼らはどこへ?」

老婆は、なでる手をそっと止めて、それからしばらく思案していたが、やがて、深いため息をついた。

「これは、我らの教えに背くことでございます、ノクティス様」

ノクトは、なんとかその情けにすがりつこうと物を言いかけたが、老婆に遮られた。

「・・・しかし、お伝えいたしましょう」

老婆の目は、決意に光っていた。

「ノクティス様、我らが伝承は、その祖となるものが住まう場所がございます。どうぞ、どなたにも後をつけられぬよう、お気をつけくださいませ。その場所は、'忘却の地'と呼ばれております。信仰を同じくするものであっても、宗祖がお許しにならなければ消して踏み込むことができない土地でございます。その土地は、聞き及びますところによりますと、テネブエラの東・・・世の人は未開の地として記憶している谷間にございます。ユハ様は、おそらく、その土地へ行かれたのかと」

言い切って老婆は、少し胸が痛むようなそぶりをした。古い信仰を破って伝えられたとすれば、それは彼女にとって重い十字架であっただろう。ノクトは、目が潤むのを感じていた。その情けに、感謝をせずにいられなかった。

「・・・ありがとな」

彼は震えた声で礼を言うと、深々と老婆に頭を下げた。老婆は、その頭に口づけをしたようだった。彼女の望みどおり、その苦悩の一片を受け取って、とても満足した様子だった。














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