Chapter 17.6 -アラネアを追え!-

ノクトは、気楽な気持ちで通りを歩いていた。制服を着ていて、高校くらいのときか?

仏頂面をしている。何か気に食わないことがあったのか-たとえば、プロンプトのまねをしてピアスをあけようとしたが、結局イグニスの執拗な説教に折れて、諦めたこと、とか。しかし、特別な理由がなくても、あのころは、だいたい仏頂面だったのだ。機嫌がよかったら負け・・・みたいな気がしていた。

なんでだろな。

ノクトは自分で不思議がる。

肩で風を切るようにして通りを歩いている・・・つまらない反抗期のガキのように見える。ノクトは、そんな若かりしころの自分お姿を、少し遠めで眺めていて、恥ずかしさがこみ上げてきた。

そんな、意地張ったって、誰も見てやしねえよ・・・自意識過剰が。

ノクトは一人だった。いつもは連れ立っているプロンプトがいなかった。だから余計、仏頂面をして、誰の目にも留まらずに通りを歩く姿が滑稽に見えた。

ふと、足を止めてゲーセンに入る。

ああ、よく入ったよな、あのころ・・・

頭が真っ白になってよかったのだ。狙撃ゲームでも、クレーンゲームでも、リズムゲームでも、なんでもよかったんだ。暇があれば、暗い暗い想像しか起きなかったあのころ、もっと頭を真っ白にして、バカやってりゃよかったのに。そこまでバカになりきれなかったから、余計始末が悪い。

ゲーセンには、庶民の中高生の野郎どもが、たむろしていた。群れている連中はめんどくさい。ノクトは、たまたま空いている古い狙撃ゲームの台の方へ進んだ。

なんだよ、ずいぶん古い機種だな・・・

構えるピストルもまるで水鉄砲みたいに安っぽいし、撃つ的のモニターの画像も、なんとも、角ばって粗いアナログなイラストがパラパラ漫画のように動いている。

それでも、誰もいないところでゲームをするほうが快適だったので、ノクトは硬貨を入れて、ゲームを始めた。

音も、なんともいえない機械音・・・おいおい。いまどき、グレードの低いスマホでも出せないぜ、こんな音。

「タラッタ、タラッタ、タラッタ、タタタ♪」

スペックの低い機械で適当に作ったって音楽が響く。今更、しかたないので、ノクトは鉄砲を構えた。構え方は・・・それなりのはずだ。射撃の訓練だって、させられているんだから。

モニターに、不自然なカニ歩きの宇宙人が映った。ノクトは引き金を引いた。見た目どおり、しゅぽっ という、水鉄砲みたいな音がする。しかし、宇宙人はにやっと笑って、その弾をよけた。

「はああ?いまの、絶対あたってるタイミングだろ?!」

ノクトはむきになる。今度こそ、と、思って狙いを定める。水鉄砲を本気で構える姿も、滑稽そのものだ。

しゅぽっ

しかし、宇宙人はにやけたまま、また、ありえないスピードで横にずれる。

「はあああ???マジ、ないわ!!!」

声がでかすぎたのだろうか。ほかのゲーム機にたむろしていた野郎度どもが、にわかにノクトに注目して、なんとなくこの古臭いゲーム機のほうへ寄ってきた。

なんだよ、騒ぎすぎたか・・・

ノクトは戸惑いながら、しかし、お金を投入して途中で引き上げるのももったいないので、なるべく平静なフリをしてゲームを続けた。

ピストルを構える・・・(水鉄砲のような)・・・画像の粗いモニターの、カニ歩きする馬鹿げた宇宙人をにらみつける・・・

次の動きを読むんだ。あいつら、横にしか動けないはず・・・右か、左か?

引き金を引く。

その途端、右にそれた宇宙人は、顔にバッテンで示されたわかりやすい討伐のしるしを残して、そして倒れた。命中したらしい。

おおおっ

というどよめきが周囲に起こって、あまりの反響に、ノクトは驚いた。

振り向いて、思わず、びくっと体を震わせる。いつの間にかノクトの周囲に、数十人の男子中高生が集まっていた。見るからにチャラいやつらばかり。それが、一同にどよめいて、この討伐を賞賛している。

「すげー」

「やるなー」

そのとき、誰かが叫んだ。

「やはり、真の王だ!!」

誰かの一言で、あたりは、しん、と静まった。そして、ピアスや茶髪のチャラいやつらが、急に一歩踏み出したかと思うと、いっせいに跪いて、頭を垂れた・・・ノクトはぎょっとする。

ゲーセンいったいが異様な空気に包まれていたた。静寂の中に、ゲーム機から流れる機械音だけが響く。

「真の王よ・・・」

突然、神々しい声が響く。はっとして声のするほうを見ると、先ほどの古いゲーム機だ。

中に人でも入っているのか?!

とても、こんな声がだせるような音響設備が整っているとは思えない。

「真の王よ・・・世界を統べよ」

はっきりとした声が、ゲーム機から響く。モニターには、場違いなカニ型宇宙人が、ジタバタしているだけだ。

ノクトは、ゲーム機に吸い込まれそうな気がして、さっと身を翻すと、慌ててゲーセンをでた。

と、そこは、王宮の中庭だった。破壊された形跡はない。王都が陥落する前の、平和な光景だ。

突然、大勢の気配がして、ノクトはまた、驚いて飛び上がった。先ほどまで無人だったはずの広場に、大勢の人間がひしめき合って、ノクトを見ていた。ノクトは入り口の階段、中腹に立って、人々を見下ろしていた。

よく見えれば、階段のすぐ下には、プロンプトやイグニス、グラディオが、王の剣の衣装をつけて厳かにこちらを見ている。その周辺には、コル将軍や、アラネア、モリス、タルコットや、街中でかつて依頼を引き受けた商店主や、親しいのも親しくないのも、見知った顔がたくさん並んでいた。

階段の両脇にも人が・・・なんだ?あれは、ニフルハイム帝国の皇帝? ・・・だけじゃない。アーデンの姿も。二人は、そろって、恭しくノクトに頭を下げる。

背後から近づくものがいる・・・と思ってノクトは振り返った。父レギスが近づいてくるところであった。レギスは息子の足元までくると、目を伏せて跪いた。

「真の王よ・・・」

背筋がぞおおっとして、思わず身震いする。

マジ、かんべん・・・


はっと、目を開けたとき、そこに、覗き込むように、ぎょろっと、飛び出しそうな大きな瞳が二つ見えた。異様に光るその目が、アラネアだと気がづくまでには少し時間がかかった。

「・・・」

アラネアはぎゅっと硬く口を閉じて沈黙したまま、ノクトを見つめ返していた。

「あーちゃん、ノクトは起きた?」

キッチンのほうからプロンプトの声がして、2人はようやく金縛りから解放されたように動いた。アラネアは振り向いて、「起きた!」と元気よく伝えた。

「変な顔して寝てた!でも、起きた!」

そうかよ・・・ノクトは苦笑してベッドから起き上がる。

「ノクト、よく寝てたね~。おはよう」

「ああ、おはよう・・・なんだ、今朝はこいつ、ベッドから落っこちなかったのか?」

「オレもあーちゃんに起こされたからわかんないな。どーなの、あーちゃん?」

アラネアは答えずにニカーと笑って、それから、せっかく起き上がろうとしていたノクトに飛びついてベッドに押し倒した。

「今日は、ノクトがお留守番だね!」

「・・・ああ、そうだったな・・・」

ノクトは、早くもげんなりした様子で答えた。

昨夜のこともあるし、トラヴィスに押し付けるわけにはいかないな・・・

「ノクト!今日は頼んだよ!オレ、もう、昨日のうちに行きたいスポット、目をつけてあるんだから!」

「・・・昨日だって、散々撮影したんだろ?」

「それとこれとは、別!!」

ノクトは、ため息をつきながら食卓についた。朝飯は、トーストとベーコンエッグ。ご丁寧に野菜のソテーも添えてある。

「アラネア・・・これ、やろうか?」

ノクトは、早速、野菜を押し付けにかかる。アラネアはプロンプトに刷り込まれていたらしく、ぷいっと横を向きながら「野菜は食べなきゃダメなんだよ!」と、冷たく言い返した。

ガキに説教された・・・

「ノクトの分、少なめにしたんだから、残さず食べてよね!」

プロンプトも、ギロっと睨み付けてくる。

腑におちねぇな・・・

二人のプレッシャーに、ノクトはしぶしぶ野菜を口に運んだ。すぐにトーストをかじって、コーヒーで流し込んでごまかす・・・昔ほどには不愉快に感じない。

ふと、アラネアを見ると、使い慣れないスプーンで食べ物と格闘しているところだった。右手でスプーンを持ち、目玉焼きを口のほうへ寄せようとしていたが、結局は、最後に左手で口に押し込む・・・手は、卵でべたべたになっていた。

アラネアは次にフォークでトーストを串刺しにして、それからかぶりつこうとした。

「アラネア・・・トーストは手で持てよ」

ノクトは、ほら、といって、トーストを手にとって見せて、かぶっとかじりついて見せた。

ほ、ほー。とアラネアは感心してフォークをトーストから抜くとると、自分もがぶっとかじりついた。それで全部忘れてしまったようで、後は、野菜も卵も手で食べていた・・・

やれやれ。ノクトはため息をつく。

「昨夜のことだけどさぁ・・・」

食事を終えてコーヒーをすすっていたプロンプトが、言いにくそうに切り出した。

「・・・なんか、トラヴィスさんに悪いことしたよね」

「そうか?」

ノクトは気のなさそうな返事をして、しかし、内心では、彼の驚いた表情を思い出し、胸が痛んでいた。

「もう、ノクトはいつもそうなんだから・・・ねえ、あとで、謝っておいてよ」

「何に謝るんだ?」

「それは・・・」

と言いかけて、プロンプトは、うーん、と唸る。

「よくわかんないけど、でも、散々お世話になっているのに、悪いな、と思ってさ・・・」

プロンプトは、ちらっと、トラヴィスの部屋の方角に目をやる。

ノクトは、まるで気にしていないような顔をしながら、最後の野菜をかきこむと、コーヒーで流し込んだ。心のうちでは、期待にこたえられない自分を歯がゆく思う。もっと、王さまらしく振舞えればいいんだが・・・

「まあ、あとで、顔みとくわ」

「ん、そうしてよ。」プロンプトはほっとして、「じゃあ、オレ、出かけてくるねー!」と急にテンションを上げた。どこから持ち込んだのか、撮影機材を詰め込んだバックを、さっと肩にかける。

「あーちゃん、いい子でね!」

おう、と答えながらアラネアはプロンプトとハイタッチした。すっかり息が合っている。

がちゃん、と扉が閉まり、長い子守の一日が始まった。

どうすりゃいいんだ・・・

ノクトは途方にくれてアラネアを見る。日曜日の家庭サービスをする庶民の父親とは、こんな感情なのだろうか・・・ノクトの子ども時代には、ない記憶だ。父とはかろうじて毎朝の食事の時間を一緒にすごした。しかし、そのあとで、父の背中を見送るのが常だったのだ。

アラネアは、きらきらと期待した眼差しをノクトに向けていた。ノクトは腕組をしたまましばらくその顔を見ていた。

「・・・とりあえず、外へ行くか」

「うん!」

アラネアはうれしそうに答えた。


今日も快晴だ。なんだか外が騒がしいな、と思ったら、人の波が、オルティシエの玄関口へつづく水路へと続いている。そういえば、今日から海へ出ることが解禁されたとか、なんとか言っていたっけ。この時を10年待ちつづいけていた海の男たちに加えて、10年ぶりに慣れ親しんだ地域の様子を見ようと老人やこどももいる。行政の者と思われる男が、慌てた様子で人の列のなかに躍り出る。

「みなさん、公共放送をよく聴いてくださいね!!今日、避難区域に立ち入れるのは、許可を得た漁業関係者と、事業者だけです!!」

しかし、誰も気にした様子がなく、列に加わっている。

ご苦労なこって・・・

ノクトは苦笑しながら人ごみを離れた。

「あっちに、広いところがあるぞ!」

アラネアが遠くを指さして、ノクトを誘導していった。昨日、プロンプトとあちこち回ったおかげで土地勘があるらしい。ちょうどよいから、アラネアに案内させて、好きなところを回らせよう・・・ アラネアが走って先を行くのを、のんびりあとから追いかけた。

そういえば・・・と思って、ノクトは、出掛けにプロンプトから渡されたメモを見た。注意事項があるから、といって渡されたのだが、気にも留めていなかった。

開いてみると・・・


ノクトへ

お昼はサンドイッチをつくっておいたから、冷蔵庫から出して食べてね。

あーちゃんからは間違っても目を離さないこと!すぐ捕まえられる距離にいること!

昨日は、目を放した隙に、市庁舎の屋根に上って、大騒ぎになりました。

それから、地元のこどもと遊ばせてもいいけど、ケンカになったらすぐに引き離してね!

本気で噛み付くから怪我をさせるかもよ!

本当に大変だと思うけど、オレも本当に大変だったから!

だから、ガンバってね!

プロンプトより


プロンプトの手紙には、ご丁寧に、本人が目を回している似顔絵が添えられていた。

なんだよ、これ・・・

はっ、としてノクトは顔を上げる。

とその時、アラネアは急に方向を変えて、左の建物の影に入っていくところだった。

「ちょっと、まて・・・!!」

ノクトは、慌てて追いかけた。建物の影に入るが・・・もう、アラネアの姿はない。建物と建物の隙間の細い路地は、こどもが通り抜けるには十分だが、大人が通ろうと思えば、突き出した配管や建具をよけながら、進まねばならない。

「おい、アラネア!戻れ!」

路地の向こうに向かって怒鳴ってみる・・・空しく、返事もない。

はあ・・・油断した・・・

ノクトは自分の間抜けさに、うんざりした気分だった。仕方なく、その、ほこりにまみれた細い路地に入り込む。よく見れば、足元にも突き出たコンクリート片だの、瓦礫だのと障害物がころがっている。こんなところを、あんなに早く通り抜けたのか・・・ アラネアの運動能力は侮れない。

そのとき、遠くのほうから、キャー、という女性の叫び声が聞こえた。

「あのバカ・・・なにやってんだっ!!」

ノクトは青くなって、慌ててその路地を進んだ。あんまり慌てたので、ところどころ障害物にひかかり、つまずいて、手を擦りむいたりした。ようやく、路地を抜けたとき、犬のほえる声と(いや、アラネアか?!)、複数の騒がしい声が右手のほうから聞こえてきた。ノクトが慌ててそちらにかけていこうとしたとき、どうやら、路地の出口付近に金属のでっぱりが突き出ていたらしい・・・ジャケットが引っかかって、布が裂ける音が豪快に響いた。

「うわっ・・・」

左わきの下が、見事にぱっくりと割れて、情けなく垂れ下がっている。

しかし、呆然とするまもなく、また、騒ぎの声が大きくなった。

「・・・チクショウっ」

ノクトは毒づきながら騒ぎのほうへ駆け出していった。

通りを右手に進んで、やや広い場所に出た。大型の犬が興奮して吼えているのを、飼い主らしき女性が懸命にリードを引いて抑えていた。そのまわりに、何事かと数人の人が集まっている。アラネアの姿はない。

「何かあったのか?」

ノクトは、慌てている飼い主の女性に駆け寄った。

「いえ、こどもが急に飛び足してきたもんだから驚いて・・・こども、だったわよね?」

婦人は困惑した表情をそばにいた人に向ける。ぽかんと立ち尽くしていた中年の男性は、「ああ・・・そうだと思うが」と自信がなさそうだった。

「・・・こども、だよ、な?獣みたいに、犬に吼えていたが・・・」

頭いてぇな・・・

ノクトは額を押さえた。

「そいつを追ってるんだ。どこへ行った?」

「それが・・・」といって、男は、目の前の細長い水道橋のほうを指差した。建物の間を渡されたそれは、中に上水道を通している細い橋だ。大人の足の幅は・・・ない。橋は建物の周囲をぐるっと回って、それから水路をはさんだ向かい側の建物に伸びている・・・ちょうど、アラネアが、細い足場から建物の壁に飛び移ろうとしているところだった。

「うわ、バカ、アラネア!そこを動くな!」

ノクトは、思わず、シフトしようとして右手を前に出すが、当然、何も起きない。

ちっ と舌打ちして、水道橋の細い土台に上る。アラネアは、ノクトの声は聞こえなかったと見えて、軽々と建物の壁に飛び移ろうとして・・・踏み外した。

わっ・・・!!

水路をはさんだこちら側で見ていた人々が悲鳴を上げた・・・が、アラネアは落ちなかった。右手を建物のでっぱりに引っ掛けて、軽々と自分の体を支えた。まるで野獣のような不思議な動きをして壁を這い登ると、壁のレンガの隙間に手をかけて、そのまま上に上ろうとする。

マジかよ・・・

うかうか見ている場合ではなかった。ノクトは意を決して、自分の足の幅よりはるかに細いその土台の上を、バランスを取りながら進み始めた。建物を離れて水路の上にでたとき、その高さが思った以上のものであることを知る。下は水面だが・・・落ちたらただではいられない。

ごくっと、つばを飲み込んで、それでも前へ進むしかない。時折風が吹くときには、じっとしてやり過ごさねば、すぐにバランスを崩して落下しそうだった。

ノクトがぐずぐずしているうちに、アラネアはどんどん壁をよじ登って行く。その先を見上げると・・・建物の一部が塔のようになっていて、むき出しの窓から灯台で使用するような巨大な照明が見えていた。

狙いはあれかよ・・・

ノクトは見上げてバランスを崩し、あやうく落ちそうになる。ノクトがぐらつくたびに、先ほどの広場に集まってきた人が、どよめいたり悲鳴をあげたりする。振り向いている余裕がないのだが、ずいぶん人が増えてきたみたいだ・・・

あそこまで行くのはいいとして、まさか壁を登るっていうんじゃないだろうな・・・

ノクトは自問した。しかし、ほかにどうしようがある?!

クソっ!

悪態をつきつつ、進むしかなかった。ようやく、問題の建物のそばまで来た。見上げればアラネアはかなり高くまで上っていた。あと少しで、窓まで到達しそうだ。

この水道橋から、建物までは・・・1mくらいはあるだろうか。足場がこんなに細くなければ、十分飛び移れる距離なのだが、勢いをつけようにも爪先立ちしているようなもんだ・・・落下したら、水面じゃなくて、今度はこの建物の土台に激突しそうだった。

このヤロウ!捕まえたら、尻たたきだからな!!

ノクトは、思いっきりのけぞって、そして、この1mを飛んだ。

うわああっという、外野の悲鳴が聞こえる。ノクトが踏み外したように見えたのだろう。ノクトは、向こう側の建物の壁になかば激突しながら、目をつけていた窓の格子をつかんで、かろうじて壁に張り付いた。

自分の息がぜーぜー上がっているのがわかった。

魔法が使えないとは、ほんと不便だな・・・

そして見上げると、アラネアは今にも目標の、窓のあいたところまで到達しそうであった。

「おい、あんた、こっちだよ!」

その時、数メートル隣の窓が開いて、掃除夫らしき初老の男が、手を振って招いていた。

「こっから入って上へあがりなさい」

「・・・助かる!」

ノクトは壁沿いに窓のほうへ進んで、それから建物の中へ入った。建物は完全に円筒状の、壁際に螺旋階段がついた古い灯台だった。階段の幅は、まあ、大人が一人通るくらいは十分なものだったが、簡易な手すりがついているだけで、いかにも危険な階段だ。

「上まで上っていけるんだが、もう、ずいぶん使ってない古い建物なんだよ。気をつけてくれよ」

と男は心配そうに言った。

「ああ、わかった。ありがとな」

ノクトは、あのまま壁をよじ登るよりか、はるかにマシだと感じた。しかし、階段を登り始めると、たしかに、古い足場はところどころ腐食して、崩れている箇所もある。慎重に足場を確認しながら、あがっていった。途中足を止めて下を見ると・・・結構な高さだ。先ほどの男が、下のほうで心配そう顔をして見上げているのが見える。

ここをアラネア抱えて降りるのもしんどいな・・・

考えるだけでげっそりする。

やがて天井が見えてきて、階段は天井に開いた一方の口から天井裏に続いていた。まず、どんな風にしかりつけようか・・・と考えながら、ひょっと天井裏に顔を出す。天井裏には、どーんと、おおきな古い灯台の照明がほこりをかぶって置かれているのが見えた。・・・しかし、アラネアの気配がない。

「アラネア?」

まさか、壁から落ちたか?!

ノクトは慌てて、先ほど上ってきたほうの壁に向かって開いている窓から顔を出した。下を見るが、特に誰かが落下した形跡がない。

どこへ行った?!

天井裏を見渡す。まともに降りようと思えば、今、自分が上がってきた階段以外に下りようがないのだが・・・

まともに、なら。

ノクトは、いやな予感がして、反対側の窓から外を見た。

反対側は、すぐ灯台の右下、寄り添うように建物の屋根が並んでいた・・・美しい、オルティシエの白い壁に赤いレンガの屋根が映える。海の外側に向かっているそれらの建物は、海風をよけるために高く作られていた。しばしの間、その美しさに見とれていると、2,3軒先の赤い屋根の上に、歩く人影が見えた。

ノクトは、はっ、として、もてる限りの力で腹の底から声を出した。

「アラネアーーー!!!そこで待ってろ!!!!」

アラネアには何とか声が届いたようだ。振り返って、うれしそうに手を振っている。しかし・・立ち止まる気配がない。

「おい、ばか、とまれって!!」

今度は風にかき消されたのか、振り向きもしなかった。

はあああああ・・・ ぐったりして、窓辺にしばしもたれかかる。シフトが使えれば、たいした距離ではない・・・しかし、今は、普通の人間として、この重たい肉体を不器用に運ばねばならないのだ。

もう放棄したいな・・・あいつ、気が済んだら戻ってくるんじゃないか・・・

ノクトの頭にそんな考えがよぎる。

・・・て言うわけにもいかないか。

ノクトは気を取り直して、隣の屋根までたどり着ける経路を探した。見れば、窓からちょっと手を伸ばせば届きそうなところに、細い通気用の金属性の管が下まで続いているのが見えた。

しっかし、細いな・・・アラネアは大丈夫でも、オレの体重に耐えるかどうか・・・

考えても仕方ないか。

ノクトは管に手を伸ばし、そして、窓から一気に飛び移った。ギシ・・・といういやな音を立てて、管が一瞬ゆれた。

もってくれよ・・・

ノクトは、息を呑む。


 アラネアは、さっきいた塔からノクトが手を振っているのを見つけて、嬉しくなった。

ノクトも来たんだな!

こっちの方に面白いものがある、と感じた自分の直感は正しかった。古い塔には、大きなガラス玉があり、向こうの世界が歪んで見えた。それもとても面白かったのだが、塔の上から向こうのの方に見えた大きなドーム型の屋根に、釣鐘がかかっているのを見た時、アラネアの古い記憶に似たようなものがあったのだろう、あれは、きっと、すごくいい音が出るものだろうとわかって、そこへ行かねばならない、と感じた。 屋根伝いに行けば、ドームまではすぐに見える。

アラネアは、ノクトもおいでよ、というつもりで、笑顔で手を振り返した。そして、また、ドームの方を見定めて、屋根の上を軽快に走り始める。

屋根は時々、ガラガラと崩れたり、穴が開いたりした。建物から通りに、その瓦礫が落ちた時には、下の方から誰かが驚いたり、怒ったりしている声が聞こえた。アラネアは面白がって、下を覗き込む。すると、決まって下にいた人は、驚いた顔をしてアラネアの方を指さすのだ。

面白い!面白い!

アラネアはキャッキャと喜びながら、また、次の建物の屋根へと飛び移る。

陽が高くなってきて、アラネアの影がくっきりと屋根に映る。影の動きは、また、面白くてしかだがない。初めて影を見た時、-それはほんの数日前だが、アラネアは、それをどうやったら捕まえたり、追い払ったりできるだろうと考えた。いまは、なんとなく、ついて来るものなんだな、と、ただ面白がって見ている。お日様が昇ったら必ず現れて、アラネアから離れないもの。しかも、その型は、アラネアに似てるかと思えば、巨大になったり、小人になったりするのだ。

こいつ、あーちゃんが好きなのかもな!

アラネアは、うん、そうだと、その考えが気に入った。

ドームが近づいて来ると、思ったより高い建物だとわかった。少しずつ高い建物に移ったほうがよさそうだ。アラネアは、辺りを見渡して、少しでも高い建物を選んで飛び移った。雨戸にしがみついて、よじ登り、時にはまた壁を這い上った。ドームに近づくにつれ、建物の下で騒ぐ声が増えてきた。気になって下を覗き込むと、誰かが悲鳴をあげていた。

落っこちるぞ!

アラネアは、よくわからないが自分が注目されているらしいと、感じで、にかっ と笑いながら手を振った。そして次の建物に移ろうとする。見た所数メートルの距離がある。下までの高さは、3階建てほどだろうか?アラネアは、助走をつけるために少しだけ後ろに下がった。様子を見ていた人々が、まさか…と息を飲んだ。

やめろっ! と、誰かが叫んだのと、アラネアが跳躍したのは同時だった。

アラネアは、ムササビのようにしなやかに肢体を捻りながら、見事に隣の建物の屋根に着地した。

おおおお!というどよめき。 それから、なぜが拍手が沸き起こる。

アラネアは得意になり、聴衆に手を振ってみせる。聴衆に混じっていた階下のこどもたちが、大はしゃぎして手を振り返しているのが見えた。 そして、その建物の屋根伝いに行けば、くだんのドームの建物の、端っこに飛び移れそうだ。

アラネア!

その時遠くの方から声が聞こえた気がした。目を凝らしてみると、まだ、かなり遠いところから、誰かが屋根を渡って来るのが見えた。

ノクトだ!

ノクト… と言いかけて、慌てて止める。ノクトと言ってはいけないんだっけ?

「こっちだー!」

アラネアは、元気よく手を振り返して、そして、いよいよドームの建物に向き直った。

最後の跳躍をする。また、下の方で、悲鳴や喝采が起こる。 ドームの釣鐘の置かれた鐘楼まで行くには、ここからもう少し登らなければならない。アラネアは、器用に壁をよじ登り、少しだけせり出した構造物の上を小走りに渡りながら、しっかりと目標へ近づいて行った。

あと少しだ。鐘の鈍い金地が見えてきて、アラネアは興奮する。あれを叩いたらどんな音がするだろう?!

アラネアー!

ノクトの声が少しずつ近づいてくる。

あの鐘まで、もう少しだよ、ノクト!アラネアはにんまりした。

最後の壁をよじ登って、ついにアラネアは釣鐘のある鐘楼に辿り着いた。 釣鐘は、少し高いところから吊るされていた。手を伸ばして見たが、あと少しという感じで手が届かなかった。アラネアはその真下にはいって、釣鐘を見上げた。巨大さに圧倒される。アラネアなんか、すっぽりと入って、その中で寛げそうな広さだ。 釣鐘の真ん中には、太い縄が垂れ下がっており、その先には、金を打ち鳴らすための、金属の筒が巻きつけられた。

あれを揺らせば鳴るんだ…

アラネアは、なんとか手が届かないかと、何度もジャンプしてみた。指先が触れることもあった。しかし、縄を揺らすにはまるで足りない。

もうちょっとなのに!!

諦めきれず、何度もジャンプする。

「アラネア!!!」

その時、ゼーゼーという苦しそうな息遣いと、明らかに怒った声がした。ノクトが、肩を激しく上下に起伏させながら、ようやく鐘楼に這い上ってくるところだった。

「-おまえな!!」 と言いかけて、すぐにアラネアが遮る。

「ノクト、これ!これ揺らして!!」

キラキラした目で、なんの悪びれた様子もなく、ノクトに抱きついてきた。

「揺らして!!これ!!揺らしたら、鳴るよ!!」

ノクトは、呆れて、上気したアラネアの顔と、それから、巨大な釣鐘を見る。

ターゲットはこいつだったか… どっと疲れが出た。

騒ぎが酷くなっていた。ドームの下を見下ろすと、多くの人たちが集まってきて、自分たちのいる鐘楼の方を指差しているのが見えた。

「あのなー、アラネア…」

と言いかけて、ノクトは言葉を止めた。
ここにくるまで、あれだけ腹立たしく、叱りつけようと思っていた気持ちが、すっかり消えていた。疲れ切って、怒るのさえバカらしくなった。それに、この年代を感じる釣鐘が、どんな音を響かせるのか?苦労してここまで来て、試さないのは惜しいというものだ。

どうせ怒られるだろうしな。怒られついでか…

「アラネア、あのな。本当は、ダメなんだぞ。でも、これは特別だ。おまえ、あとで、説教だからな。わかったか?」

「セッキョウ?いいよ!わかった!!」

いや、何もわかってねぇし…

ノクトは、苦い顔をして、しかしまともに取り合うのもバカらしいと思い直した。それから、鐘に向き合って、思いっきり体重をかけてみる。

鐘は、重たくゆっくりと傾いて、そしてノクトが離れた途端、勢いよく振れた。

ガーーーーーーーーーーン!!!!!!

低く深みのある音が、オルティシエ中に響き渡った。この大音響は、間近で聴くと、音というより物凄い衝撃であった。ノクトは、叫び声をあげて、思わず耳を塞ぎ、床に倒れふす。アラネアは、キャーーーと、大喜びしながら、自分も耳を塞いで、ノクトの横に寝転んだ。

ガーーーーーーーーーーン!!!

振り子は簡単には収まりそうにない。厳かにゆっくりと左右に揺れる。反響がいつまでも残り、ノクトたちの体を伝わる。

こりゃ…しばらく、動けねえわ

ノクトは観念して、鐘楼のなるべく端に身を寄せて、そこで大喜びするアラネアと並びながら、耳を塞いで振り子が収まるのを待った。

ガーーーーーーーーーーン!!!

振り子の勢いはなかなか収まりそうになかった。不思議なことに、衝撃は耳だけでなく目にも伝わって、画像が歪む感じがする。ノクトは思わず目も閉じた。 反響と反響の合間で、少しだけアラネアの笑い声が聞こえる。が、すぐに鐘の音にかき消されてしまう。

ガーーーーーーーーーーン!!!

少しだけ、音が弱まったか…やれやれ。あと少し耐えれば動けそうだ… ノクトはそろそろと、海側に開けた方へ寄った。耳を塞ぎながら、立ち上がって、そろそろと海の方を見る。 ドームの裏手は、海上に遺跡が散在する地域…そうか、これは、確か水神の神殿があった場所だ。

ノクトは、耳から手を離し、目を細めながら、神殿の場所を突き止めようとした。

あの時、水神が暴れたのと、帝国軍による攻撃で、この地域の建物は相当被害を受けたと聞いている。しかし、自分は神殿で発見されたのだ…その土台は、少なくとも残っていたはずだ。

懸命に探していると、一隻の小型のボートがその海域に進んでいくのが見えた。ボートに乗っている誰かが、-姿は昼の日差しが海面に照り返されてよく見えなかった- 鐘の音に気を引かれたのか、ノクトのいる鐘楼の方をしきりに気にしている。 ボートは…そのまま、ドームの正面に見える遺跡に向かっていた。 あれが…恐らく、水神の神殿だ…

ノクトの鼓動が早くなる。

いつの間にか、鐘の音は柔らかなっていた。

「アラネア、降りるぞ!!」

鐘の真下でその動きに見とれていたアラネアは、強引にその手を引かれた。









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