Chapter 17.3 -無傷のオルティシエ-


ボートは順調に海上を進んだ。 アラネアにとっては初めての海、沖合に出てからというもの、よほど不安なのか押し黙ったまま、ノクトの服を離そうとしない。

「あーちゃん、大丈夫?船酔い?」

プロンプトは慣れない操縦に緊張しながら、時折、アラネアへの気遣いを見せる。仕方がないので、ノクトはアラネアを抱っこしてどっしりと座席に腰掛けた。アラネアは大人しくされるがままに従った。抱き上げて見ると、アラネアが震えているのがわかった。

「おい、大丈夫だ。心配するな」

ノクトはぶっきらぼうに言ったが、その両腕は、しっかりとアラネアを抱きしめていた。アラネアは、こくりと頷いて、少しずつ震えも治まっていった。 アラネアの酷く脂ぎった髪がちょうどノクトの顔に触れたが、こうしてボートの看板で潮風に吹かれていれば、なんとか臭いにも耐えられそうだ。

プロンプトは2人の様子を見てようやく安心したのか、進行方向に意識を集中していった。

空はよく晴れ渡っている。風が少しあるくらいで、波も穏やかだ。このタイミングで海を渡れるのは幸運なことだろう。目指すオルティシエの岸は、すでに視界に捉えており、ボートに大きな問題がなければ、あと数時間で到着できるはずだ。

オルティシエは、無事なんだろうか…。

10年前に見た、美しい街の光景が思い出される。あの時は、さほど街を歩き回る時間もなかった。もし、いまも無事であるなら、今度は広く見て回りたいものだ。

オルティシエに、ルーナが留まっていれば、理想的だが…。

ノクトは、大都市を方々歩きわり、ルーナの行方を探す自分の姿を思い浮かべていた。 それから、ゲンティアナの最後の姿が浮かぶ。

そう簡単には見つけさせてくれない口ぶりだったな… 。

「ノクト。着いたら、どうする?」

「そうだな…オルティシエがまだ都市として機能していれば、あのオバさんか、ウイスカムを探そう」

「すっかり廃墟になってて、誰もいなかったら?」

ノクトは黙る。それは、ルーナへの足がかりがすべて失われたことに等しい。しかし、例えそうだとしても、諦めるわけにはいかない。

「その時考えよう。できれば、テナブラエに向かいたいが・・・。」

足がないな…。

ガーディナでは、車を積み込むことができなかった。一度ルシスへ戻って、隠れ港がまだ使えれば、車を運び出せるだろう。ボートでなるべくテネブラエの近くまで行って、車を下ろすことができれば…あるいは陸路で向かうことも考えねばならない。

しかし、最悪の場合でも、歩けばいいんだ。 その時は、一人だな。と、ノクトは思う。そんな当てもない旅に、アラネアおろかプロンプトも連れてはいけまい。

ノクトは首を振った。今、考えても仕方のないことだ。

「あーちゃん、お腹空いたら、オニギリあるよ」

まだ、昼には少し早いような気もしたが、アラネアがあんまり静かなので、プロンプトは心配なのだろう。

「どうする?食うか?」

ノクトは抱っこしているアラネアの顔を覗き込んだ。アラネアは、惚けた顔をして、じっと水平線を見ていたが、ノクトが顔を近づけると、ようやく気がついた。

「腹減ってるか?」

ノクトはもう一度聞いた。アラネアはコクリと頷いて、ようやくノクトの膝の上から降りた。

「プロンプト、先に食うぞ。食ったら交代しよう」

「うん、了解」

ノクトはクーラーボックスを開けて、丁寧にラップに包まれたオニギリを2つ取り出した。

「いいか、この、透明な紙は食うなよ。」と言いながら、まず、自分がラップを外して見せる。神妙な面持ちで見ていたアラネアは、コクリと頷いて、ノクトを真似てみた。が、ラップを外した弾みで、オニギリはころりと、床に落ちる。

あ、と思った時には、アラネアは床に落ちたオニギリに飛びついて、そしてパクッとかぶりついていた。

…まあ、いいか。

オニギリはあっと言う間に、アラネアの腹に収まった。

「プロンプト、ほら、交代するぞ」

プロンプトの分のオニギリを持って、ノクトは操舵席まで来た。

「あ、いいよ。操縦しながらかじれるし。それより、あーちゃんを見てて。」

「そうか」

ノクトはオニギリをプロンプトに渡して、ふと振り返ると、アラネアがボートの端に身を乗り出して、海を覗き込もうとしているのが目に入った。

「…って、バカ!!お前は何をやってんだ!!」

ノクトは、大慌てで駆け寄った。危うくボートから転げ落ちそうになっていたアラネアの体を、辛うじて掴んだ。 「あっぶねぇ…」

ボートの上まで引きずりあげる。ノクトの顔は真っ青だが、アラネアは何事が起きたのかと、きょとん、としている。

「このバカっ!!何やってんだ?!死にてえのか!!」

ノクトは思いっきり怒鳴りつけた。アラネアは、一瞬、ビクッと体を震わせたが、きょとん、としたままだ。 ノクトは、なんだかちっとも緊迫感が伝わらないことに、脱力してしまった。

「・・・とにかく、ボートの上では歩き回るな。いいな?!」

アラネアは、不思議そうな顔をしたまま、ちょっとだけ頷いた。 わかったんだか、わかってないんだか…。 「ちょっと?!大丈夫?!」

「ああ、なんとか…」

プロンプトに答えながら、ぐったりとその場にしゃがみこむ。もう、アラネアから目を離せない・・・。

騒ぎを起こしているうちに、見る見る対岸が近づいてきた。高い崖が迫る。オルティシエの水路の入り口を目指して、プロンプトはボートを崖沿いに走らせる。間も無く水路の入り口が見えてきた。 ノクトは、警戒してアラネアの手を握りながら、プロンプトの横に立った。

その、美しい水門が見えてきた時、10年前と同じように、息を呑んだ。 水門を、通り越して、美しいオルティシエの街並みが見える。 はあっ…と、アラネアが驚きのため息をつくのが聞こえた。

「オルティシエは、無事か…」 ノクトも驚きの声をあげる。

ここから見る限りでは、街全体の景色は、10年前のそれと変わらない。 しかし、水路を見れば、明らかに漂流物が散乱し、水路の構造にも、ところどころ崩壊しているのがわかる。 プロンプトは、漂流物との衝突を恐れて、ボートのスピードを落とした。

「あれ、ちょっとヤバイね。ノクト、なんとかできる?」

目の前を、破壊されたゴンドラの左舷が漂っているのが見える。

「ゆっくり近づいてくれ」

「わかった」

プロンプトは手前でエンジンをきり、ゆっくりと、漂流物の前にボートを寄せた。ノクトはボートの前方に飛び乗って、そこから、背中をボートに押し付け、漂流物をゆっくりと足で押し返した。かつて観光客を楽しませたのであろう、鮮やかな色彩が、抵抗することなく、遠くの方へ流れていった。

ノクトが操舵席まで戻ると、プロンプトは再びエンジンをかけた。

「やっぱり、無事・・・とは、行かないよね…」

プロンプトは、沈んだ声を出した。

ボートは、まもなく、その見事な水門をくぐった。水門は、よく見ればあちこちにヒビが入り、装飾の一部はすでに失われていた。両翼に聳え立つ天使は、その差し出した腕の先がない。その美しかった顔は、鼻の先から削り取られていた。まるで、長い間眠りについていた遺跡のようだ。

水門をくぐると、すぐに船着場が見えてきた。まだ、接岸できそうだ。その辺りには、全く人の気配がない。

「ノクト、あそこにつける?」

「いや、このまま、ウイスカムの店の方まで、進められるか?」

「オッケー!やってみる」

ボートは、非常にゆっくりしたスピードで、船着場を通り過ぎた。間も無く、目当ての場所が見えてくるが、暗がりになっていて様子が良く分からない。人の気配は…やはり、なさそうだ。水路のあちこちに、樽や舟の残骸などの漂流物が邪魔をする。ノクトは先ほどと同じようにボートの穂先に立って漂流物を押しのけねばならなかった。 ようやく近づいて見ると…店は、無残に破壊されていた。

「ちょっと待っててくれ」

ノクトは、穂先から店の方へ飛び移る。と、思い出したように振いて、「アラネア!動くなよ!!」と釘をさした。 案の定、後を追いかけようとしていたアラネアは、ビクッと体を震わせて、ボートの上に立ち尽くした。

ノクトは、イスやテーブルが倒れて散乱しているのを避けながら、店のカウンターに近づいた。 カウンターの一部は、叩き割ったように破壊されていて、中を覗くと、酒瓶の残骸が散乱している。床板は潮風による腐食がひどく、歩けば穴があきそうなほど沈みこんだ。周辺に停泊してあたはずの商売人の舟のひとつは、ひっくり返って、船底を見せ、大きな穴が開いている・・・。

シガイの急襲を受けたか…。 あのオヤジ、逃げ延びていればいいが。

ノクトは苦しい表情をして、2人の待つボートへ戻った。

「ダメだ。破壊されて何も残ってない」

「そう…。どうする?どこかに、ボートを停めて探索してみる?」

プロンプトも暗い顔をした。

「前に泊まったホテル、覚えているか?あそこまで行ってボートを止めよう。確か、ゴンドラの停泊場があったはずだ。」

「了解」

プロンプトは操縦のコツを掴んだようで、器用にボートを操りながら、一度船着場まで戻り、そこからなるべく建物に沿ってホテルの方向へボートを進めた。 少なくともこの区画には、人の気配があるようには思えなかった。ところどころ、橋が破壊されていたり、窓ガラスが割れたりしているのを見つける。遠くの建物に目をこらすが、人の姿は見つけられない。

他の島はどうだ・・・。

左前方の浮島の群れのほうにも目をやる。昼の日差しが照り返して、その美しい町並みはわかっても、人の気配まではよくわからない。

夜になれば、光で、人のいるあたりが見分けがつくかもしれないな。

ノクトはまぶしさに目を細めながら、そう思った。

ホテルの前まできた。その、入り口の窓ガラスは全て破壊されていた。ボートをホテルの傍に接岸し、3人は沈黙のまま上陸した。もはや、ホテルに立ち入る意味はないように思えた。ここから、どう動くか・・・。

破壊されたホテルの前にノクトは立ち尽くした。

「あ!あーちゃんがいない!!」

プロンプトの慌てた声で、我に返る。周辺を見渡すと、確かにアラネアの姿が見えない。

「どっちへ行った?!」

「わかんない。まったく、気がつかなかった!」

プロンプトは明らかに動揺している。

「慌てんな。まだ、遠くはいってないはずだ。手分けして探そう。」

・・・たく、だからガキはやなんだ。

ノクトは内心で悪態をつきながら、プロンプトがホテルの奥を右手に折れていったのを見て、自分はその手前の階段を上がって、上層を調べることにした。

あーちゃん!あーちゃん!

プロンプトの声が下のほうから響いてくる。

まあ、泳げるようだし、シガイに襲われる心配もないし、慌てる必要もないだろう。ちょっと大げさじゃないか?

ノクトはバカらしくなって、走るのをやめると、周囲の様子をそれとなく伺いながら上層を見ていった。ほとんどの店がシャッターを閉めており、また、閉まっていない店はことごとく破壊されている・・・。

そうだ。官邸に行ってみれば、何かわかるかもしれない。

ノクトはほとんどアラネアのことなど忘れて、官邸に足を向けた。官邸の入り口は、果たして、強固な格子がはめられていて、しばらく人の出入りがなさそうだ。試しに、格子を激しく打ち鳴らして、中の様子を伺ったが、やはり何の反応もない。建物の中は無人のようだ。

当てが外れて、思案に暮れた。と、そういえば、この近くにルーナのドレスが展示されていたことを思い出し、他に当てもないのでそちらへ足を向けて見た。

店はなんといったっけ、ヴィヴィアン?

ノクトの脳裏に、あの美しい白のドレスが思い出される。そうだ。それを着ているルーナを夢で見たのだった。あれは、夢だったのか?それとも、アーデンを打ち倒したうつろいの中だったか。いや、あるいは10年の眠りのうちだったのかもしれない・・・。もはや、時間軸があいまいだが、それでも、その姿ははっきりと覚えている。

見覚えのある通りに出て・・・しかし、それらしい店は、シャッターが固く閉じてあった。そのシャッターは、外部から大型のシガイが体当たりでもしたのか、大きく内側にへこんでいた。

あれから、10年か・・・ドレスももはや残ってはいないだろうな。何を期待していたんだ、オレは。

ノクトは思い直して、それから、ホテルのほうへ引き返した。アラネアが、探索に飽きてボートまで戻ってきているかもしれなかった。

ホテルの建物に隣接した、小さな広場に出たときだ。そこからさらに上に続く階段のほうから、物音が聞こえた。確か、その上に、ジュレイル広場のある区画に向かう水路があったはずだ。

ノクトは階段を上がった。

-誰かいる・・・

人の気配を感じて身構えるが、・・・すぐにその特徴的な"臭い"で、誰だかを知る。

「アラネア!!」

ノクトはわざと怖い顔を作って、壁の影から躍り出た。そこには、アラネアがうなり声を上げて、今にも、見知らぬ男に噛み付こうとしてるところだった。

「え!おい、ちょっと待て!!」

慌てて、ノクトがアラネアを静止する。

「よ、よかった・・・!!!」

男は-見たところ、ハンター風情か-、ほっとして、アラネアに向けて構えていたボーガンを下ろした。

「この子の知り合いなんですね・・・ノクティス陛下・・・ですよね?」

男は、無精ひげで、背はそこまで高くないが肩幅のあるがっしりした体格をしている。しかし、顔もその体もほどよく丸みがあるので、愛嬌を感じられた。今はそのまるっこい頬がすっかり上がって、うれしそうにノクトに握手を求めている。

ノクトは、受ける印象から悪い人物ではなさそうと、素直に握手に応じた。

「あんたは・・・?」

「ハンターの、トラヴィスです。お会いできて光栄です。一応、ルシス人ですよ、陛下。10年前にこちらから戻れなくなり、今に至ります。」

トラヴィスは興奮していた。目の前に、奇跡が起きている、といった様子だ。

「オレが来ることを知ってたのか?」

「ええ、つい昨夜のことですよ!王都からの電波を受信できたのは!!」

それから、水路に浮かべられた簡易ボートを指差して、「さあ、前首相のカメリアさんがお待ちです。詳しいお話はそこで」と、続けた。

「待ってくれ、もう一人、連れがいるんだ。あと、荷物も運びたい。」

「わかりました。お手伝いしましょう」

ノクトはトラヴィスを先導して、今来た道を戻った。その際、アラネアを見失うまいと、その手を握り締めることを忘れなかった。アラネアは、今はもう、トラヴィスが敵ではない、と理解したようで、興味津々とその顔を覗き込んだり、彼の持っているボーガンに手を触れようとしている。ノクトは、ほどよくアラネアが余計なことをしないよう、トラヴィスから距離をとった。

「・・・ノクティス陛下、お連れは一人と聞いていましたが、この子は・・・」

「ああ、ガーディナで保護したんだ。仕方なく、つれてきた・・・」

ノクトはちょっと言い訳がましく、語尾ははっきりとしなかった。

聞きたいことは山ほどあるが、プロンプトと合流した後のほうがいいな。あのオバさんは生き延びたか・・・しかし、首相は交代したようだ。政治は機能しているのか。王都から電波を受信しただと・・・コル将軍か・・・。いろんな考えがいっぺんに押し寄せてくる。

「プロンプト!!」

ノクトは、階下に向かって呼びかける。きっと、血相を抱えて、アラネアを探し回っているのに違いない。

「プロンプト!!」

ノクトー?という、慌てている声が遠くから聞こえてくる。

「アラネアを見つけたぞ!!今、ボードまで行く!」

建物に反響して、位置がよくわからないので、周辺に向けて大声を響かせた。わかったー、という声が遠くのほうから返ってきた。

ホテルの脇の階段を下りていくと、プロンプトが階段の下に待ち受けていた。

「あーちゃん!!もう!!心配したよ!!」

プロンプトはトラヴィスには目もくれずに、ノクトに手を引かれているアラネアに駆け寄った。

「だめだよ、一人で勝手にいっちゃ。」

アラネアは、泣きそうになっていたプロンプトを不思議そうに眺める。なだめられて、一応は、うなづいていた。

「プロンプト、こっちは、トラヴィスだ。アラネアが見つけたみたいだ」

「え、そうなの?!あーちゃん、すごいな!!」

まったく、親バカめ・・・。プロンプトは、すっかり、この野生児に夢中になっているようだった。

「ルシス国籍のハンターです!」

トラヴィスはよほど、同郷の士に会えて嬉しいらしく、丁寧に挨拶をした。

2人はトラヴィスに言われて、キャンプ用品のほとんどは船に残してきた。とりあえず、物資の心配はないようだ。それに、風呂と寝床も確保できそうだと、二人の期待は膨らんだ。プロンプトは、奥に隠しておいた"レガシー”をちょっとノクトのほうに見せて、手土産が必要なんじゃないかと耳打ちしたが、ノクトは、しまっておけ、と首を振った。呼んだ相手ももう、首相ではないようだし、こっちもルシスを代表して来ている訳ではない。

わずかな荷物だけを持って、4人は所狭しと簡易指揮のゴムボートに乗り込んだ。小さなエンジンが積んであって、その向きを簡単に付け替えて、ボートは内陸部へ向かって進んだ。

この高台の水路から見ると、街の様子が良く分かる。この、下層にある地区はほとんど閉鎖されているのだろう。人気もなく、荒れた様子だ。

アラネアも、見るものすべてが珍しいのだろう。始終キョロキョロして、何かに興味を引かれると、つい、立ち上がって身を乗り出そうとする。

「こら!小さいボートなんだから、じっとしてろ!」

ノクトはその度にしかりつける。アラネアは、少ししょんぼりして、ノクトの隣に座りなおす。そんなことを何回が繰り返した。トラヴィスは、その様子を驚きの表情で見ながら「この子、言葉がわかるんですね・・・」とつぶやいた。

「いえ、すみません。さっきは全然、話が通じなかったもんですから。危うく、シガイかと思って攻撃するところでした・・・」

「仕方ないさ」ノクトは同情した。

「ところで、この10年、オルティシエはどんな感じだったんだ?見たところ、港のほうは放棄されているように見えたが」

「ええ。自分としては、カメリア前首相の初動がよかったんだと思っています。」と、トラヴィスははっきりした口調で答えた。

「あの、闇が世界を覆った日に、オルティシエの港の地域だけでなくて、アコルドの全土のあちこちで、被害がありました。驚きましたがね、首相はその日のうちに避難区域を定めて、はやばやと人民の避難誘導をはじめていました。かなり、大胆に、広い地域を放棄しましたね。はじめは市民の反発もあったんですが、すぐにその判断が正しいことは証明されました。おかげで、人的な被害は最小限に抑えられたと思います。」

「といっても、この10年・・・おそらくルシスでもそうでしょうが、苦しい10年であったことには間違いありません。」

トラヴィスが不安な表情を向けて「ルシスは・・・いかがですか、陛下?」と聞いた。ノクトは答えに詰まった。ノクトが知っていることと言えば、この数日に聞き及んだ程度のことだ。

「私はクレイン地方の出身なんです。火山のふもとに近い、ど田舎の方です。あのあたりがどうなっているか、ご存知じゃありませんか」

ノクトは困って、プロンプトの顔を見た。プロンプトは軽くうなづいて、

「クレイン地方のほとんどの住民は、レスタルムに避難誘導されましたよ。ご家族やお知り合いを探すなら、レスタルムに向かわれるといいでしょう」と答えた。

「そうですか・・・ありがとうございます」

と言いつつ、トラヴィスの表情は晴れなかった。「やはり・・・ルシスの被害は大きいのですね」

ノクトは、責められている気持ちになって、いたたまれなかった。ルシスの被害を食い止める役目は、自分でなくて誰にあるだろうか。といっても、この10年、自分ではなんともしがたい状況の中で、何もできなかったのだ。しかし、そんな説明を、どうやってすればいいんだろう・・・。

ボートの上に、重い沈黙が横たわった。

「被害は、確かに小さくありませんが・・・」と、口火を切ったのはプロンプトだった。

「しかし、ルシスのみんなは、力強く、この10年を生き延びましたよ」

プロンプトの目は、まっすぐにトラヴィスを見て、力強かった。

「オレはもともと移民ですが、この10年、人々の結束と力強さには本当に驚かされました。みな、希望を捨てたことはありません。レスタルムが、10年のうちに、ルシスの中心的な都市になっていますが、そこには、新しい文化も、技術の進歩もあります。きっと、ルシスに戻ったら驚かれますよ」

迷いのない言葉に、トラヴィスは力を得たようだった。表情が晴れて、深く、プロンプトにうなづいた。

「そうですね。ようやく、闇が晴れたのです。自分も早く国に戻って、ルシスの復興に、少しでも貢献したいと思っています」

そして、その笑顔は最後にノクトに向けられた。ノクトは、なんとか笑い返すのがやっとだった。

ボートは水神のモニュメントが残る公園の脇を通り抜けて、さらに奥へと進んだ。ここまで、まったく人の気配も感じられなかったが、水路の行き止まり、ジュレイル広場が見え始めてから、ようやく人の姿が見え始めた。多くはハンター風情の男女だが、広場には、太陽に祈りを捧げる市民の姿や、無邪気に走り回る子どもたちの姿もあった。

ここから、少し歩きます、といって、トラヴィスが先導をしていった。人々はノクトの一行には、あまり気に止めていなかった。それぞれハンターの一人くらいに映ったのだろう。しかし、つれているアラネアには、興味を持つ人もいたようである。

一方、アラネアのほうは、広場に集まる人々に、興味津々で、ノクトが手を握っていなければ、そっちに走り出していたかもしれない。時折、手を握られていることを忘れて身を乗り出し、その度にノクトに引き戻されていた。

広場の端っこを縫うようにして一行は進んだ。やがて、狭い路地に折れて、少し下るようにして進む。時折、軒先に洗濯物などが干されているので、人の営みを感じるが、やや寂しい路地を進んで、そして、最後に、路地の行き当たりの扉の前まで来た。

「こちらが、カメリアさんの居宅です」

トラヴィスは、そう紹介してから扉をノックした。

「トラヴィスです。例の方をお連れいたしました」

ノクトは意外だった。首相の座を退いたといっても、まだ有力者なのだろうと踏んでいたのだ。しかし、この居宅が思わせるのは、隠居した老人の住まいだ。

まもなく扉が開いて、中から顔を出したのは、使用人らしき、腰の曲がった老婆だった。老婆は黙ってうなづいて、手招きをすると、3人を中へ通した。トラヴィスは、部屋には入らなかった。

見るからに小さな家だ。使用人は無言のまま、玄関から、扉ひとつ隔てた居間に3人を通した。

その部屋の小さな窓から日の差し込んでいた。小さいが、ほっと安心感を与える居心地のよい居間だ。奥のほうに小さな暖炉があり、その前に、深々とソファに越しかけている小柄な老婆が見えた・・・ノクトはどきっとする。見覚えのある顔だが、10年という月日以上に、老いて見える。

「お久しぶりね、ノクティス陛下」

声は、相変わらず、人を突き放すような力強さがあった。

「ああ、ご無沙汰」

ノクトは10年前の首脳会談の緊張を思い出して、ひそかに手に汗を掻いていた。自然と手に力がこもったのか、手を握られていたアラネアが驚いてノクトのほうを見やる。

「今日は座ったままで失礼するわよ。客人を立たせておいてすまないけど、腰も足もすっかり悪くしてしまったのでね」

「かまわないぜ」

もとより、この小さな居間には、3人の客人のために椅子を並べるスペースもない。

ノクトは、まっすぐにカメリアを見た。すっかり白髪が増え、しわを深く刻んだその顔には、10年の月日の苦悩がありありと表れているような気がした。

「あんたの英断のおかげで、アルコドの人的被害は最小限だってきいた。見たところ、街並みにはさして被害もない。無傷といってもいいくらいだ」

「無傷ね・・・」

ふふん。カメリアは鼻で笑ったが、ノクトのねぎらう気持ちもわかったのだろう。その顔は穏やで、しかし、どこか寂しげであった。

「さすがに、無傷とはいかないわ。見てきたのでしょう、港周辺の地域を。」

「ああ・・・しかし、あんたはすぐにあの地域を閉鎖したそうだな」

「それでも、それでも被害は少なくはなかったのよ。」

カメリアは辛いものを思い出すように、しばし目を閉じていた。

「あの、世界を同時に闇に覆われた日・・・強大なシガイが、アコルドの複数の地域に同時に放たれたの。たぶん、ルシスでも同じような状況だったのでしょう・・・。ウィスカムは、その時に亡くなったわ」

あ、っと、ノクトは息を呑んで、先ほど見てきたばかりの彼の店の様子が、脳裏に蘇った。

「そうか・・・残念だな」

「そうね。でも、もう10年も前のことだわ」

カメリアは、また、ふふんと鼻で笑った。どうしても、ノクトの青臭さを笑わずにいられないのか、それとも、これが彼女のなりの愛情の示し方なのかもしれなかった。

「貴方にはお礼を言わないとね。闇を払ったのは、ルシス王家の力なのでしょう?貴方が命を賭してこの世界の闇を払うと、神凪からはそう聞いていたわ。」

「・・・ルーナが?」

「ええ。真の王が現れて闇が必ず払われる。その希望を失わずに、闇に耐えよ・・・と、そう忠告してくれたのも彼女。おかげで、あの闇が、一時的なものではないってすぐにわかったし、初動も適切に判断できた。もし、できるなら、彼女にも、直接お礼を言いたいものだわ」

ノクトはドキッとして、押し黙った。カメリアは、予想通りの反応に、満足しているようにも見えた。

「・・・探しに来たんでしょう?」

「居場所を知っているのか?!」

ノクトの声は、期待で自然と大きくなる。しかし、カメリアは残念そうに首を振った。

「残念ながら、知らないわ。というより、あなたがここに現れるまで、生きているとは、これっぽっちも考えなかった」

「・・・」

ノクトは胸が苦しくなるのを感じていた。どこかで、自分のはかない希望が打ち砕かれるかもしれないと、そう思うと、足元が崩れ去るような気分になる。

しかし、オレは・・・

ノクトは深く呼吸する。自分を叱責するように。そして、腹を決めて、カッと目を見開くと、まっすぐにカメリアを見た。

「教えてほしい。目撃者がいると聞いた。その人物に会いたい」

言葉は強く、迷いはなかった。カメリアは彼の覚悟を問うように、しばらく、その目を見つめ返していた。そしてやがて、納得するように深くうなづいた。

「・・・神官ね。私も、直接話を聞いたわけではないの。神殿を管理する聖務庁の長官から又聞きしただけよ。神官の一人が、神凪が波にさらわれるところを見た、とね。でも、その長官も、当の目撃者も、どちらも、もうこのオルティシエにはいないの」

ノクトは、眉間にしわを寄せる。

「・・・長官は、3年前に病で亡くなったのよ。そして・・・目撃したという神官はね、闇に覆われた前後に、行方不明になったわ」

「行方不明?」

「そう。例の、シガイの襲撃に、巻き込まれて命を落としたのかも知れないし・・・でも、それより少し前から姿を見てないっていう者もいたのよ。結局、わからずじまい。こちらとしても、そこまで探索に手をかけられなくてね。結局は、死亡したものとして、捜査を打ち切らせてもらったの。」

「彼の名を教えてくれ。できれば、彼を知る人物にも話を聞きたい」

「そう言うと思ったわ」

笑って目をつむその表情は、10年前の首脳会談の余裕そのものだった。彼女はまだ、有利な取引の中にノクトを巻き込んでいるようにも見えた。ノクトは思わず、「条件は何だ?」と聞いた。

カメリアは一瞬驚いた顔をして、それから、あははははははは!突然、おおらかに笑い始めた。それは、思いがけず、恥じらいもまじっているように聞こえた。見たことのない、彼女の姿に、ノクトはあっけに取られた。

「ごめんなさいね。私の、悪い癖だわ。まるで、今日も首脳会談のような威圧感よね?」

そういいながら、まだ、苦しそうに笑っている。

「・・・もう、政治家でも政府関係者でもないのよ。今日は交渉のために呼んだんじゃない。ただ・・・古い友人として顔を見たかっただけ」

あ・・・と、カメリアが声を上げたのと、それまで後ろに控えていたプロンプトが駆け寄ったのと、ノクトの腕にどっしりとアラネアの体重がかかったのが同時だった。アラネアはことんと、力尽きたように眠りに落ちたところだった。朝早くから活動しつづけて、慣れない船旅もあったので、疲れきったのだろう。プロンプトはアラネアを受け取って抱き上げた。アラネアは安心しきった様子で、プロンプトに体重を預けていた。

「・・・かわいいわね。あなたたちの子?」

「冗談だろ・・・」

ノクトは、その寝顔を見ながら、幼いころに父親に抱かれたときの記憶を思い出していた。

「おちびさんもいることだし、長居させちゃ悪いわね。本題にうつりましょう。私の協力できることは、するわ。今の私でも紹介できる人物が何人かいるの。・・・でも、これは、条件、ではないのよ。友人としてのアドバイスだと思って頂戴。聞くか聞かないかはあなた次第だけど・・・」

と、思わせぶりに言って、それから「あなたの身分はここでは隠したほうがいいわ。たぶん、他の土地でもね」と続けた。

「昨日、王都からの電波を受信したのはトラヴィスから聞いた?ハンター協会の受信施設でね・・・私は呼ばれていったのよ。こんな年寄りを呼びつけるなんてね。現首相につなぐ前に、私と非公式に話したいって先方の意向があって・・・ああ、お察しの通り、相手は、コル将軍よ」

「何を話した?」

「まずは、こちらの政治が機能しているのか、誰か指導者につないで国交が再会できるか・・・国交とは大げさね。ようは情報交換ね。それと、ついで、と言う感じだったけど、絶対に内密にして欲しいという前置きで・・・あなたがこちらに向かっているらしいと聞かされたのよ。今のところ、この話を知っているのは、私と、トラヴィスだけよ。」

「続けるわね。そのあと、コル将軍は正式に、ルシス暫定政府とアコルド政府の会談を希望して、コアルドの現マルコ首相と話しをしてる。今朝には、アコルドの公共ラジオが第一報を放送しているわ。ルシス暫定政府との首脳会談の決定、両国の復興に向けた協定と情報共有がその目的ね。それから暫定政府からの正式発表として、ノクティス次期国王陛下の安否不明、消息を調査中という情報も一緒に報道されたわ」

カナリアは、面白そうに笑いながらノクトの反応を確かめていた。ノクトは、苦い表情を浮かべながら、なんとも応えられずにいた。

「・・・まあ、あなたの取り巻きも相当苦慮したでしょう。これから国を復興するときに国王陛下が不在なんですもの。私も・・・もし以前の私だったら、到底飽きれて貴方を相手にしなかったと思うわ。あら、ごめんなさい。意地悪を言うつもりはないのよ。幸か不幸か今の私は、ただの隠居老人ですから。」

ぐうの音も出ない、とはこのことを言うのだろう。ノクトは顔をしかめて、黙って聞いているより仕方なかったが、カナリアは始終楽しそうにノクトの反応を確かめていた。それから彼女は、よっこらしょと、ソファを立ち上がり、サイドテーブルに載せられていた書類を、ノクトへ手渡した。

「私が今、紹介できる人物はそれだけよ。貴方の身分をどこまで明かすかは、よくよく相手を見ながら考えるといいわ。」

「・・・わかった。感謝する」

ノクトは深々とカメリアに頭を下げた。

カナリアの家を出ると、日はすっかり傾いて夕暮れになっていた。トラヴィスは外で3人を待っていてくれて、そのまま3人を宿まで案内してくれた。それは、ハンターたちが拠点としている区画で、コルアド中を行きかって活躍するハンターのために、贅沢ではないが清潔で快適な住居を用意してくれていた。トラヴィスが、事務室で、ルシス所属のハンターだと、紹介しているのを横で聞いていた。それから、台帳に適当な名前を記載してくださいませんか、と耳打ちされたので、プロンプトは自分の名前を、ノクトは・・・迷った挙句に、「タルコット・ハスタ」と記載した。どきどきしながら提出する。と、受付の女性は怪訝な表情でこちらを見ながら、すみませんが、お子さんの名前も、というので、ノクトは、アラネア・ハスタ、と書き添えた。

「タルコットが子持ちになっちゃったじゃない!!」

プロンプトは笑いをこらえながらノクトにささやく。「じゃあ、お前の姓にしときゃ、よかったな」

無事に受付をすませて、ノクトたちはその中でも一時宿泊者用の一部屋に通された。入り口まで送ってくれたトラヴィスは、「自分はこの先の突き当たりの部屋に陣取っています。オルティシエ滞在中は、使ってください」と申し出てくれた。それから、名残惜しそうに「じゃあ、お疲れのようですから今日はこの辺で・・・」と言い残して、部屋を去っていった。

ノクトたちもすっかりつかれて、アラネアを部屋のベッドに下ろしたら、一緒に寝てしまいたい気分だった。しかし、アラネアは狙ったように目を覚ました。寝ているうちに場所が変わっていたので、驚いた様子だ。

何でこのタイミングで起きるんだよ・・・ ノクトはどっと疲れがでるのを感じていた。

「あーちゃん。オレたちしばらくこの部屋に住むんだよ。しっかし、疲れたねー」

さすがのプロンプトも、ずっとアラネアを抱き続けてよほど腕が痛いらしい。懸命に揉み解している。

「そうだ!風呂!あーちゃん、オフロに入ろう!!!」

「ああ、そうしな」

ノクトは自分には関係ない、といった風情で、ごろーん、と隣のベッドに横になったが、そこへ、ぺチンっ!!とプロンプトに頭をはたかれる。

「なんだよ?!」

「なんだよじゃないの!二人で入れるの!!さすがにオレもこどもを風呂になんか入れたことないんだよ!ちゃんと、手伝ってよね!!」

まるで、女房に怒られているみたいだな・・・

ノクトは、やれやれ、と重い腰を上げて、立ち上がった。

「じゃあ、ほら、とりあえずその汚い服を脱げ」

ノクトは横柄に言った。

「脱ぐの?」

アラネアが不思議そうに言う。プロンプトは、風呂場にいって、お湯を張ろうとしていた。やがて、ジョボジョボという音が響き、湯煙がベッドルームのほうまで入ってきた。

「うわー、あったかいお風呂!ひさしぶりー!」

プロンプトの感動の声が聞こえてくる。

アラネアは素直にノクトの言うことに従うそぶりを見せるのだが、まとっているその毛皮は、いったいどうやって身にまとっているんだか、適当にしばったりやぶったり腕を通したりとやっているらしく、どうにも複雑な構造で、アラネアはなかなか脱ぐことができない。

「ったく、しょうがねーな」

そういいつつ、ノクトにもどうにもこうにも、脱がせ方がわからず、とりあえず、右腕は抜け出したものの、首と左腕はどうにも硬く締まってしまって、引き剥がそうとしたら、アラネアが苦しそうに文句を言った。

「痛い!」

「おお、わりぃ・・・」

プロンプトも風呂にお湯をため終えたと見えて、戻ってきた。

「なにそれ、どうなってんの?」

「どうにもこうにもわからん。こりゃ、ナイフで切っちまうか」

プロンプトがアラネアの腹の辺りを押さえて、「あーちゃん、動かないでねぇ・・・」と、声をかけている隙に、ノクトは、引っかかっていると思われる箇所を、ぶちぶちとナイフの先で切った。やがて、アラネアに巻きついていた毛皮は、ばらばらになって床に落ちた。

アラネアの裸体がむき出しになった。その上には、かろうじて、人であったころに着せられたのだろう、服の残骸のようなものがのこっていたが、およそ黒ずんでいて、ほとんど繊維が廃れていた。プロンプトが服の残骸も取り除いてやる。ぷううん、と、酷い体臭がよほど強くなる。

アラネアの体は、むき出しになっているところと同じように、青白いほどに色が透けて、胸から腹にかけても病的なほどに太い静脈が浮き出ていた。腹は少し突き出ており、へそも出ている・・まだ、幼児体形のなごりを残していた。

幼児といっても女だよな・・・どうやって洗ってやったらいいんだ・・・

裸を見て途端に臆病になったノクトは、その酷い悪臭を放つ毛皮をかき集めて、

「オレはとりあえず、これを処分して、トラヴィスに服がないか聞いてくるわ」と言い残すと、答えも待たずに部屋を出て行った。

プロンプト、うまくやってくれ・・・

祈るような気持ちで、そのまま、先ほど言われた突き当りの部屋を目指す。運よくトラヴィスも部屋に戻っており、早速の訪問に嬉しさを隠さなかった。

「早速すまないが・・・まず、こいつを処分したいんだ」

トラヴィスは一瞬、臭いに顔をしかめながら、だいたい見当はついたらしく近くのゴミ集積場所まで案内して、2人は無事にその汚物類をバケツの中に詰め込むことができた。

「こいつは、すごいですね・・・生皮はがしたままの毛皮ですよね・・・」

「ああ、腐りかけの死体からとったらしくてな・・・」

ノクトは、まだ臭いの残る両手を情けない表情で眺めた。

「どっかで手が洗えるか?それから、こどもの服が手に入ると助かる」

「了解です。任せてください。ところで・・・あの子は、女の子ですか?」

「ああ見えてな。」

「かわいそうですが、あの髪は一度、剃ってしまったほうがいいですよ。たぶんシラミにやられています。やられてないほうがおかしいです」

「マジか・・・」

昨夜寄り沿うように寝たことを思い出し、ノクトは急に全身がかゆくなるような気がした。

トラヴィスは、手際よく、ハンター協会から紹介された配給所で、こども用の清潔な服を数日分と、髪を剃るためのハサミや剃刀を手に入れて、ノクトについて部屋まで来てくれた。

部屋に入ると、きゃっきゃっと楽しげな声が風呂場から聞こえてくる。しかし、扉の音を聞きつけて、プロンプトは悲惨な声を出していた。

「ノクト!!!もう!!早く助けてよ!!!」

トラヴィスと2人で風呂場に駆けつける。風呂場は、石鹸があちこち飛び散り、湯船にはアラネアがひたすらシャボン玉をとばして楽しそうにしていたが、脇にいたプロンプトはげっそりと、全身、泡だらけになってたたずんでいた。

「ああ、トラヴィスさんも!!助かったぁ~!」

「はじめ、すごい抵抗して、大変だったんだから。ようやく湯船には入ってくれたんだけど、ちっとも洗わせてくれなくて・・・」プロンプトは泣きそうである。

「こらっ!!!」と、ノクトはとりあえず怒鳴りつけて見た。「大人しくしろ!!」

しかし、アラネアにとっては新しい遊びでしかないんだろう。ちっとも怖がっている様子がなく、ノクトに向けても泡だらけなお湯を飛ばしてきた。

「こ、こいつ・・・!」

ノクトが切れそうになっていると、トラヴィスが二人の中に割って入ってきて、ノクトの代わりに全身泡だらけになった。

「あはははは。やられちゃったな。じゃあ、あーちゃん、これから頭をさっぱりしよう。ずっと、かゆかったろう。悪い虫をやっつけるからね」

トラヴィスは手際よくアラネアをあやしながら、見る見るアラネアのどうしようもなく絡まった頭髪をさっぱりと切り落としていった。

「あらあら・・・随分短く切っちゃうんだね」プロンプトが驚いて言う。

「一度剃ってしまわないとダメらしい。シラミが、な。」

ノクトは巻き添えを食らわないよう、遠まきに様子を眺めながら言った。

「まあ、とりあえず、短くして見てですね・・・一度洗って見ましょうか。運よくシラミがついてなけりゃ、剃らなくてもいいかもしれないです」

あーちゃんは、きゃっきゃっと喜んで、トラヴィスに頭をごしごしやられていた。

「目をつぶっててね。泡がはいったら、すごく痛いんだから」

風呂のお湯は見る見る汚れていって、とても一度では洗いきらなかった。何度かお湯を捨て、シャワーで流しながら5回は洗ったろうか・・・ようやく全うな髪の毛になって、絡まった塊から、さらさらとお湯にながれるような毛に変わっていった。

「あーちゃん、キレイになったよ!!」

「じゃ、体もあらってしまおうね」

トラヴィスはためらわずにアラネアの全身を石鹸でごしごしと擦った。あーちゃんは、くすぐったそうに、笑いが止まらなかった。

ノクトはすっかり感心して聞いた。

「あんた、こどもがいるのか?」

「いや、田舎ですから、兄弟がね、多かったんですよ。赤ん坊のころからこうやって面倒見てたもんで。いまごろ、みんな大きくなってしまってると思いますがね」

なるほど、幼い兄弟を残していたわけか・・・ ノクトは、はじめにあったときの彼の苦しい表情の理由がようやく腑に落ちた気がした。

アラネアはすっかり洗われて、また、お湯に使ったせいか、こころもち血色がよくなったような気がした。プロンプトがタオルで抱きとめて、優しく拭いてやる。

「あーちゃん、キレイになった!さっぱりしたでしょう!!」と、大げさに頬ずりをしてやる。アラネアはどこまでも嬉しそうだ。

「運よく、シラミは大丈夫そうですよ」

と、トラヴィスはびしょぬれになった自分をタオルでふき取りながら、そう教えてくれた。切り落とした髪は手際よく袋につめて、風呂場はすっかりきれいになっていた。結局、アラネアは短いおかっぱほどの髪を残していた。

アラネアは、新しい服を着せてもらうのもご満悦のようであった。トラヴィスの目利きは確かで、服のサイズもほどほど一致していた。誰かのお古なのだろう。決して新しくはないが、しかし、全く見違えるように普通の、清潔な子どもになっていた。

「本当に助かったよ。あんたがいなければ、どうにもならなかった」

「いえいえ、お安い御用です。そうだ、このまま、陛下たちもお風呂に入ってください。アラネアちゃんをしばらく見ていますよ」

「え!でも、トラヴィスさんもびしょびしょになってるじゃないですか!」

プロンプトはさすがに悪いと思ったのだが、トラヴィスは、すぐに乾きますから、といって、さっさとアラネアの手を引いて、外に行ってしまった。例の広場で遊ばせるつもりらしかった。

「じゃあ、とりあえず、お前、先に入れよ、プロンプト」

ノクトは気にせずにどっしりとソファに腰かけた。プロンプトは風呂場からノクトの様子を覗き込んで、何かいいたげであったが、しかし、思い直してすぐにシャワーを浴びにかかった。随分慌てたのだろう、実に数分で彼はシャワーを切り上げ、服を着替えて、すぐにアラネアのあとを追おうとする。

「ノクトも、のんびりしてないですぐに追いかけてきてよね!!」

「ああ」

ノクトは気のない返事をする。プロンプトは明らかに不満な様子で、ノクトを一度強くにらみつけると、アラネアたちを追って外へ出て行った。

1コメント

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  • ai-coaching

    2017.02.26 05:59

    とりあえず、オルティシエのマップは完成させて、オープンワールドとして楽しみたい!!ので、しばらく滞在しようっと。