Chapter 17.2 -船出-


テントで寝ようよ、とプロンプトが何度も誘ったのだが、アラネアは首を縦に振らなかった。こんな言い方は変かもしれないが、この野生児は夜行性なのかもしれなかった。もとより、生まれてきた時から闇しかない世界では、1日のリズムはどのように刻むのだろう。不思議に思ってノクトが尋ねると、都市部は元来の生活リズムを辛うじて守る人もいたが、多くの人たちは個体差のサーカディアンリズムに従ってバラついてしまった。結果、レスタルムは24時間ほとんど変わらずに活動を続ける都市になっていったようである。

今頃、時差ボケにくるしむ人が多いんじゃない?と、プロンプトは笑う。

寝袋にくるまりながら、テントでつらつら話を続けていた2人は、ふと、外を見ると、アラネアが焚き火の脇で猫のように丸くなって眠っているのに気がついた。

「あーちゃん、お布団で寝ない?」

プロンプトがそばに寄って声をかけると、アラネアは犬のように唸って乱暴に腕を振り上げる。構うな、ということらしい。

あの、キツイ体臭がテントに籠るかと恐れていたノクトは、内心ほっとしながら、「ほっとけよ。それが習慣なんだろ」と、声をかけた。

プロンプトは、自分の毛布をアラネアにかけてやると、寝相大丈夫かなぁ、と言いながら、わざわざ、焚き火とアラネアとの間に、クーラーボックスを置いて接触を防いでいた。

あいつ、面倒見がいいな。ノクトは感心する。

ほどなくして2人もテントの中で眠りに落ちた。

ノクトは気持ちの良い疲れの中で、どっと深い海の底に沈んでいく心地がした。上も下もなく、頼るところのないうつろいの中で眠り続けた10年とは違う、肌で感じる時間の流れがある。

見上げると、頭上の遠くの方で、海面がキラキラと光り輝いているのが見える。

ルーナ…

光に向かって腕を伸ばす。なぜか、海面に上がれば今度こそ、彼女の生きる世界にたどり着けるような気がした。ノクトはゆっくりと水を掻きながら、水面を目指した。ひとかきする度に、光がてらてらと差し込んでノクトの腕を包んだ。しかし、近づいたと思っても、なかなか、水面に辿り着かない。

あと少しなのに…

焦る気持ちはないが、段々と腕の力がなくなっていくのを感じた。

無理なのか…

ノクトは、今はもう全身の力を抜いて、波の中になされるままに漂っていた。

あの時、迎えに来てくれていたら、わざわざこんなところには戻らなかったのに。

ノクトは、遠のいていく海面の光の乱射を、虚しい気持ちで眺める。

その時- ワンワン!

犬の鳴き声がして、ノクトは振り返った。いつの間にか、そこは、砂浜であった。

「アンブラ!」

ノクトは喜びの声を上げる。

アンブラも、嬉しそうに鳴きながら、ノクトの足元までかけてきた。ノクトはしゃがみこんで、その、ふさふさした体を撫でてやった。

「お前、また、主人のところへ手紙を、やってくれないか」

期待を込めて、そのつぶらな瞳に話しかけた。アンブラは、不思議そうな顔をして、頭をちょこんと傾げる。

と、その時、ノクトは、アンブラの様子に異変を感じた。

「ん…?おまえ…、なんか臭いな」

アンブラは、相変わらず愛嬌のある表情を向けていたが、見る見る間に体中の毛が伸びた。その毛には脂がこびりつき、見るからに汚れている。

「こいつ、風呂に入れてやらないと…」

ノクトはあまりの臭いに顔を歪めた。

うっ…と、唸りながら目を開けると、テントの天井が見えた。夢か…しかし、臭いははっきりと鼻をついている。これは、と思い、隣に目をやると、プロンプトと自分の寝袋の間に、犬のような毛の塊が…わずかに、頭がわかり、その手はノクトの寝袋をしっかりと掴んで、寄り添っていた。

臭えと思ったら、こいつか…。

野生児はすーすーと、可愛い寝息を立てていた。途中で寒くなったか寂しくなったかで潜り込んできたのか。それにしても、プロンプトじゃなくて、こっちにしがみついているとは…。

寝ていると、少しは可愛げがあるように思えるから不思議だ。そっと手を伸ばして頭を撫でてみた。夢で見たように酷い脂で、ベタついている。

こりゃ、マジに風呂に入れないとヤバイな。

ノクトは、そろりと、逃げるようにテントから這い出した。

外に出ると、さわやかな潮風がほほを撫でた。波は穏やかに朝焼けの中できらきらと光っていた。ボートも、昨日と変わらずに、穏やかな波にあわせて上下している。

平和な朝だな。

ごそごそとテントから這い出す音がして、振り返ると、ちょうどプロンプトが這い出してくるところだった。

「おはよー」

「おっす」

「あーちゃん、もぐりこんでたね。ノクト気がついてた?」

「いいや。オレは、臭くて目が覚めた」

「もう、そういう言い方よくないし!」

プロンプトはノクトを睨みつける。

「あれは、マジ、風呂入れないとやばいだろ。」

「そりゃそうだけど・・・。オルティシエまでいったら、お風呂に入れるかな?」

プロンプトの言葉に、ノクトは驚いた。

「つれてくつもりか・・・」

プロンプトは大して気にも留めない様子で、朝食の用意にかかっていた。昨日残していた魚の切り身を、調味料に漬け込んでおいたらしい。クーラーボックスから取り出すと、フライパンにのせる。

「つれてかないならさぁ、どこかの町までつれていって、誰かに保護してもらわないとね。南側はほとんど廃墟になっちゃってるから、レスタルムに連れて行くのが一番確実かなぁ。」

ぐ・・・とノクトはつまる。

できることなら大きな町には近づきたくない。まして、知り合いのいるところには・・・。

プロンプトは、ノクトの顔色を見て、にやっと笑った。どうやら、彼は、連れて行く気で満々のようだ。

マジかよ・・・ただのガキじゃないんだぞ?

ノクトは信じられない気持ちでプロンプトを見る。本人は、上機嫌で3人分の朝食を用意している。飯ごうに米を入れて、最小限のボトルの水を注ぎ、軽くゆすぐ。

「朝から米を炊くのか?」

ノクトはまた、驚いていた。

「うん。お昼用におにぎりがあったほうがいいでしょ?船で食べることになるかもしれないし」

「・・・」

ノクトは若いころ、イグニスがうっとうしく世話を焼くのを、小うるさい母親のように感じていたのを思い出した。さしずめ、プロンプトは、面倒見のよい新妻か・・・いやいや。自分の発想にあきれて、自分で首を振る。

やがて、そこらにいいにおいが立ち込めてきた。

においに誘われたのか、問題の野生児が起きてきた。目をこすりながら、不思議そうにプロンプトの料理の様子を眺めていた。

「あーちゃん、おはよう。もうすぐごはんできるよー♪」

あーちゃんは、コックリとうなづく。それから、小さな声で「おはよう」とつぶやいた。プロンプトは背中を向けていたので気がつかなかったようだが、ノクトにははっきりと聞こえた。昨日に比べると、いくぶん人間らしく見える。

やがて、朝食ができあがって、3人は親子のように食卓を囲む。

といっても、アラネアは渡されたフォークを使うことができず、素手で手づかみだ。プロンプトがあわてて、料理をふーふーと冷ましてやる。

「おいしい?」

文字通り、犬のように食べ物に食らいつきながら、アラネアはコクリとうなづく。

「さあて、ご飯を食べたら、どうしようかねぇ?」

プロンプトが意味ありげな目をノクトに向ける。ノクトは、わざとゆっくりと食べ物を口に運びながら、考えあぐねていた。

第一、ガキには苦手なんだよ・・・

ノクトの脳裏に、立派に成長したタルコットの顔が浮かぶ。誰だって、10年もすればでかくなるもんだが・・・。

「あと、あれだね、あーちゃんの言ってた洞窟も見に行きたいよね」

何気なく言ったプロンプトの言葉に、アラネアは強く反応した。急にパッと立ち上がると、あっちだ!と、昨日指差したのと同じ方向を指差して、そして、あっ、と声をかっけるまもなく、駆け出していった。朝食の皿は、すでに空になっていた。

え?!あーちゃん、待ってよ?!

プロンプトは最後の食事を慌ててかきこんで、すぐに追いかけた。ノクトは、すでに食事を済ましていたが、食後のこともあって走る気になれなかった。やれやれ・・・と思いながら、ゆっくりと、2人のあとを追う。しかし、アラネアが疲れも知らぬ様子で走り続けるので、2人はどんどん遠ざかり、岩かげに見えなくなってしまった。ノクトは慌てて走り出した。

空は快晴で、これから気温が上がりそうだ。爽やかな潮風にのんびり散歩が似合うような静かな砂浜だ。何が悲しくて息を切らせて走っているんだろう…

いっそのこと、プロンプトに任せておこうかな。

と、邪な考え見破られたかのように、プロンプトが遠くの岩の上に立ち上がり、ノクトに向かって手を振る。

「ノクトー!早くしてよ!」

チクショウ…

体の重さは10年前とは比べモノにならない。これが年を重ねたってことか。ノクトは自分を罵りながら、なんとか足を動かし続ける。必死にプロンプトが立っていた岩まできたが、2人の姿はない。もっと先の、せり出した崖の側で、2人が大きく口を開けた洞窟を覗き込んでいるのを見つけた。

あそこが、ゴールか…

最後の気力を振り絞って、そこまで掛けていく。二人は、ノクトを待つ意思など微塵もなく、いまにも洞窟の入り口に入っていきそうだ。

「ちょっと、まってろ、お前ら!!」

情けないことに、ぜーぜー息があがっていて、それはほとんど声にならなかった。

どうにかこうにか、洞窟の入り口にたどり着くと、入り口ほど近く、二人はしゃがみこんで奥の様子を伺っているところだった。

「・・・プロンプト、お前なぁっ」

息を切らせながら苦情を言う。しかし、すぐに「ノクト、遅いよぉ」と、不満を切り替えされる。

二人が見ている先は、洞窟、というより洞穴だ。すぐ向こうが外に突き抜けていて、反対側からも光が差し込んでいた。その光の手前で、茶色い巨体-そのほとんどはすでに白骨だけがむき出しになり、頭部と上半身に掛けてかろうじて皮が残っていた-が横たわっているのが見えた。

その特徴のある長い鼻、短い茶色の毛は・・・10年前の草原では、よく見かけた獣か?

「あれが、あーちゃんのお母さんだって」

プロンプトは静かに言った。

え?

3人は沈黙して、しばし、その腐りかけた巨体を眺めていた。

「・・・あれ、ガルラ、か何か、・・・か?」

ノクトは、一応、アラネアに気遣って、抑え目の声でプロンプトにささやいた。

「たぶんね」

「前のお母さんだ」

と、アラネアは抑揚のない声で言う。あまり、悲壮感はない。

「なんで死んだんだ?」

アラネアは首をかしげる。「眠かったのかな?」

どうやら、外敵にやられた、というものではないらしい。

「じゃあ、その前のお母さんとお父さんはどうしたんだ?」

ノクトがストレートに聞くので、プロンプトはむっとした顔を向けた。しかし、アラネアは特に気にした様子はなかく、淡々と答えた。「急に暗くなって、逃げたけど、お化けに食べられた」

「前の前のお母さんは、走れって言った。たくさん走ったよ。そこに、前のお母さんがいた。お母さんにしがみついて逃げた。」

ノクトの脳裏に、突然、映像が映る。

停電し、真っ暗になった町。おびえるこどもたち。やがて、町中に、シガイの恐ろしいうなり声が聞こえてくる。あわてて、車で逃げ出す人々。逃げ遅れた人々は、暗闇の中を、叫びながら行き惑う。町を抜けて草原へ・・・走るが、容赦なく追ってくる魑魅魍魎たち・・・。捕らえられた母親は、最後の叫びをあげたことだろう。走るのよ!お願い!逃げて!

こどもは、泣きながら走り続ける。躓いたりもしたろう。しかし、必死に走り続ける。その闇の中に、巨体が浮かび上がる。それも、ひとつだけではない。群れで移動する野獣だ。多くの野獣は、か弱い人間のこどもに目も向けず、そのまま草原を進んでいく。しかし、1体の個体が、彼女の前に立ち止まった。その目が夜の闇の中で光っていた。こどもははじめ、それを恐れたが、しかし、意を決したように、野獣に近づいていった・・・。

ノクトは、自分の体内に流れ込んできた映像に圧倒されて、一瞬、目を瞑った。

「どうしたの?!」

プロンプトが驚いて、ノクトに駆け寄る。

「いや、大丈夫だ・・・」

今の映像、こいつの記憶なのか・・・。

ノクトはそうっと目を開いた。アラネアが不思議そうにこちらを見ていた。

「・・・野生動物がヒトのこどもを守るとはな。」

ノクトは低くつぶやいた。プロンプトは悲しそうな表情を向けて、黙っていた。

「で、今のお母さんはどこにいるんだ?」

ノクトは気を取り直して、わざと明るく言ってみた。アラネアは、にかっとわらって、プロンプトを指差した。

「え?!え、えええ?!」

さすがに驚いたプロンプトが、うしろにのけぞる。

「オレ?!お母さん?!」

ぶははははははは!!!ノクトは大笑いしていた。

「そいつは納得だな!」

しかし、アラネアは表情を変えないまま、今度はノクトを指差して「こっちがお父さん」と言った。ノクトからぴたっと笑いが消え、かわりに、プロンプトがくくくくく、と笑いをこらえているのが見えた。

マジか・・・。

ノクトの顔が引きつった。

「決まりだね」

プロンプトが笑いながら言った。

「なにが?!」

「つれてくんでしょ?」

プロンプトは笑うのをやめていたが、口元は相変わらずにやけていた。

ノクトは一瞬口ごもり、それから、

「おい・・・あの船に乗って、一緒に行くか?」とアラネアを見た。できるかぎり怖い顔をしていたつもりだが、アラネアはちらっと船をの方を見やってから「いいよ」と簡単に答えた。

そこは、お願いします、だろ・・・

ノクトは苦々しく思いながら、しかし、こどばの怪しい野生児相手では仕方がない。

「連れて行ってやってもいいが、条件がある。ちゃんと、オレとプロンプトの言うことを聞くんだ。いいな?」

なるべく威厳を見せつけながら言い聞かせたつもりだが、アラネアはどこまで理解できているのかわからないようすで、すぐに「いいよ」と答えた。


 3人はキャンプまでもどって片付けと船出の準備を始めた。プロンプトは、多めに用意しておいたご飯を、予想通り必要となったおにぎりに加工している。アラネアは興味深々で、自分でもやってみたそうだったが、その汚い手で握られたおにぎりを差し出されでもしたら・・・とノクトは恐れて、テントをたたんだり道具を片付けたり、どうでもいいようなちょっとした手伝いをアラネアに言いつけて、気を引いた。

やがてキャンプをたたみ終えると、3人は荷物を抱えてボートへ向かう。アラネアはこどばの理解はいまひとつだが、力はあると見えて、荷物を運ぶとなればなかなかの戦力となった。ただ、扱いが雑で、時折、他のものに興味を奪われて荷物を投げ出すという難点はあったが・・・。 釣り場に近づいて、昨日の興奮を思い出したのか、荷物を放り出して海へ入ろうとしたときには、ノクトは大慌てでそれを止めなければならなかった。

「今日は、海へ入る時間はないぞ!!遊んでいるとおいていくぞ!!」

身振りを交え、おおげさに繰り返し伝え、ようやくアラネアは理解したようにしぶしぶと引き返した。 ノクトはどっと、疲れが出るのを感じていた。

「ノクトぱぱ~、もっとやさしく言ってね~♪」

プロンプトが遠くから冷やかす。

途中、車から他の荷物も持ちだして、ようやく、ボートまで戻ってきた。順調なら昨日のうちにオルティシエにたどり着いてもおかしくなかったのだが。ノクトは、アラネアが余計なことをしないようにと目を配りながら、荷物の詰め込みにかかった。プロンプトはさっそくエンジンの調子を確認している。

アラネアはここ数日、船内ですごしていたらしく、知った様子で乗り込んできた。船内にはそのとき持ち込まれたと思われる魚の骨(食事のあと?)、’前のお母さん'のものと思われる毛皮(寝床?)、石ころ、貝殻などが散乱していた。しかし、操舵室には入った形跡がなく、ノクトはほっとする。これで何か壊れれていたら、冷静でいられなかったかもしれない・・・。

「なあ、これ・・・捨てていいか?」

ノクトは、ひどいにおいを放っている動物の皮をつまみあげた。アラネアが、いま、身にまとっているのもこれと同じだろう。たぶん、あそこで朽ちかけていた死骸から、引き剥がしたものだ・・・。

アラネアは無表情のもまま、じっと、摘み上げられた皮を見ていた。 ノクトは、怒らせたかな・・・と不安に思いながら「持ってたいなら、いいんだ」と言い添えたのだが、アラネアはつかつかと寄ってきてその皮を受け取ると、そのまま、ぽーんと、海へ放り込んでしまった。

ほどなくしてぶううううんという、エンジンの稼動音が聞こえてきた。アラネアは、はじめびくっとしていたが、しかし、怖がっている様子はないようだ。

「ノクト!もう、動かせるけど、どうする?」

「ああ、荷物の詰め込みも終わった。出してくれ」

「了解!」

プロンプトははじめは慎重に、舵の様子をたしかめながら、そろそろと沖合いへボートを後退させた。 「うーーー、緊張する!!」

「そうか?」

「ボート初めて動かすんだから!途中で座礁して沈んでも、文句言わないでよ!」

「それは勘弁してくれ・・・」

しかし、二人の心配をよそに、船はすっと、滑るようにスムーズに動いた。十分沖合いに出てから船の向きをかえる。そして、オルティシエの方角を見定める。

正面に、うっすらとのその岸は見えていた。

「よし、オルティシエに向けて、しゅっぱーつ!」

プロンプトは元気よく号令した。 ちょっと不安げにノクトの服の裾をつかんでいたアラネアは、その勢いに飲まれて思わず「しゅっぱーつ!」と、鸚鵡返しに繰り返していた。プロンプトとノクトは、その様子がかわいらしく感じて思わず笑った。

「あーちゃん!ほら、前のお母さんに手を振って!いってきますって!」

プロンプトが操舵席からお手本に手を振って見せる。 あーちゃんは何もわからない様子で、しかし、素直に母が眠る穴倉のほうを向いて、ぎこちなく手を振っていた。

「バイバイ・・・」

その小さな呟きは、傍にいたノクトの耳には届いてた。





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