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あとがき

ここまで長い旅に御付き合いいただきましたみなさま、本当にありがとうございました。思い起こせは、今年1月14日に、ビックカメラで冷やかしたFF15のデモ版に衝撃を受け、その後間もなく、PS4とFF15を購入したのがはじまりです。いつの間にか9月も終わり・・・2017年も終わりが見えて参りました。この1年のほとんどのエネルギーをFF15に注ぎ込むことになるとは、そのときは、これっぽちも思わず。もともと似非ゲーマーなので、やりこむよりも、映像美を楽しみつつ、まさか後半で、あんなに展開が速いとは知らず、2/8にゲームクリア。深夜にゲームクリアしたものの、あまりの結末にすっかり気が滅入り、やりきれなさで眠れず、そのままブログに思いのたけを書いたのが午前4時。そうだ、結末に納得がいかないなら自分で作ればいい・・・と思い立ち、第一話を、自分のHPにUPしたのがその日の21時でした(笑)。まだ書き始めのころは、自分の気持ちを慰めつつ、10話くらいでさくっと、ハッピーエンドにしようと思っていました。そこからどう道を間違ったか・・・書いても書いても話が終わらなくなり・・・。いつのまにか、登場人物たちの息遣いを感じるように、まるでリアルタイムに旅を同伴してきたくらいの時間的な感覚で、彼らの生き様を追っていました。まわりくどいくらい、どうでもいいエピソードに満ちていましたが、もし、そのリアルな時間的な感覚や、臨場感を楽しんでいただけたのなら、とても嬉しいです。さて・・・ノクトは、これからのルシスは、イオスはどうなるんでしょうか? ハッピーエンドは迎えましたが、彼らのその後は、まだまだ波乱に満ちている気がします。レスタルムの住民投票の結果は? 王室のあり方は? 野生児アラネアのその後は? コル将軍は宣言どおり育児をするのか? 生まれてくるこどもたちは? ニフルハイムはこのまま和平を実現できるのか? アコルドの帝国貴族たちの行く末は? テネブラエは国として復興するのか? などなどなど・・・もとより、本作は、二次創作作品です。語られない空白を、また、誰かが語り始めるのかもしれませんね。そんな風に、物語が絶えず生まれてくることを祈って。

Chapter 25.12 最終話 -祝宴-

賑やかな女性たちの声が、王宮の中に響く・・・ようやく、終わりが見えてきた王宮の修復工事も、このところ下火になり、ましてや、この週は来賓も多かったので、まだ未完の多くの箇所で工事は中断していた。来賓を迎える応接の間に、笑い声が耐えない・・・ご婦人方だけの高い声。なかなか賑やかだ。「いやああん、かわいいっ。これは反則だって!!」と、ちびアラネアと一緒になって、生まれてひと月となるグラディオ・ジュニアにかぶりつきになっているのは、やや、顔つきが柔らくなり、髪も伸びたキリクだ。自身も下腹部がふっくらと膨らみ始めていた。その癖に、王宮に到着早々、ルーナに擦り寄ってその手に口付けをしたので、ノクトは睨みつけながら「妊婦の癖に、うちの女房を口説くな!」と、小言を言った。その横で、プロンプトが、ノクト・・・ほんと、ごめん! と手を合せていた。初対面のグラディオにあたっては、呆気に取られて、その顔と、膨らみ始めていた下腹部を交互に眺めていた。ふーん、これが赤ん坊かぁ・・・ごく最近、コルと観念したように入籍したでかい方のアラネアも、赤子が乳房にしがみ付くのをじっと眺めている。でかい腹を抱えながら、今ひとつ実感のわかない様子だ。こちらはご立派な腹からもわかるように、もうすぐ臨月を迎える。式の最中に産気づくかもな・・・なんて、先ほど、出迎えに来たノクトの前で笑っていたが、コル将軍の方は、苦虫を潰したような顔で聞いていた。当の男たちは男たちで、今頃は、羽を伸ばして別室で寛いでいるはずだ。「おおお、おおお」小さなアラネアは、赤ん坊に夢中になったり、でかいアラネアのはち切れそうな腹に触ってみたりと、忙しかった。イリスは、妊婦達の負担にならないようにと気を回して、ちょろちょろと動き回るアラネアを、追いかけている。「これから、見事に出産ラッシュねぇ・・・」自分の腹を筆頭として・・・ルーナ、キリクとでっぱりはじめたその腹を見て、でかいアラネアが呟く。「このお腹で、ドレスを着るのがはずかしくて・・・」とルーナははにかんだ。「だいじょうぶだよぉ、その程度なら、ドレスで誤魔化せるって!」キリクはおどけて見せて、隙あらばと、ルーナの肩に手を回していた。ふふふ、とルーナは笑いながら、キリクのお腹を見て「びっくりしたわ・・・まさか、貴方がこんなに早くこどもを授かるなんて」と、感慨深げに呟いた。キリクは、途端に苦い顔をした。「正直、予定外だわぁ・・・まさか、妊娠できると思ってなかったんだよね。しばらく生理なんて来てなかったしさぁ」「プロンプトさんは喜んだでしょう?」キリクは思いっきり首を振って「もう! 喜ぶどころか、煩いの!なんの! おかげで、バイクも取り上げられた!!」と不平をもらした。「わかる・・・うっさいよね。自分で生むわけじゃないのにさ」と、腕組みをしながら、でかいアラネアが頷いていた。「あああ、わかる?! さっすが、アラネア隊長! 男たちほんと、うざいよね。あんたら種提供しただけでしょ?!って思うんだけどさ」くすくすくす・・・ と赤子におっぱいを上げていたウルスラが、楽しそうに笑った。その傍で、赤ん坊をみていた長女のマリアは、不思議そうに大人たちを見上げていた。「今はうっとうしてくても、生まれた後は、がんばってもらわないとね。 せいぜい、父親ぶってもらったほうがいいわよ。ねえ、マリア? パパ、大好きだもんねぇ」うん! とマリアは、素直に目をキラキラさせて、答える。ほほお、と聞いていたご婦人たちは感心した。「そうか・・・生むのも大変だけど、生まれた後はもっと大変だよね」キリクは、神妙な顔つきで頷いている。「ま、うちは、コルが面倒見ることになってるし」アラネア隊長は、さらっと言ってのけた。え?! と一同は驚いて、アラネアの顔を見る。「なによ・・・? だって、それが約束だったのよ。万が一こどもができたら、自分が面倒見るって」ええええ?! 一番大きな声を上げたのはイリスだ。まさか、将軍が?! うん、そう。と、でかいアラネアは、何気ない様子で頷く。「そ、そんな・・・そしたら、警護隊と王の剣と・・・評議会と・・・ええと、と、とにかく、方々で困って・・・」「あのさぁ・・・あいつも、もう、いい年なんだし、いつまでもべったりしてるわけにはいかないでしょ。ノクトだって戻ってきたんだから、あとは若い連中ででなんとかしな」と、アラネアはつれない。それから、しんどそうにどかっと、大きなソファを独りで占領して座った。「ああ、重いわ。重い。それに、腹けってくる」わ、どれどれ?! ちびアラネアが駆け寄って、じっとアラネアの腹を見つめる。「ほら、ここよここ」と、ちびアラネアの手をとって、腹に押し当てた。「うわあああ。むにゅって、なんか出た!!」「足だよ、足」お、おおお・・・ アラネアは、感心した様子で、でかいアラネアの腹をさすり続けた。一方・・・男性陣は、程近い別室にたむろしていた。ご婦人方から解放されて、やや、たるんだ様子でソファーに寛いてる。「オレも赤ちゃん見たいなぁ・・・」プロンプトが、すっかり日に焼けた顔で、仏頂面をしている。「だーめだ! いま、おっぱいやってんだから。後にしろ」グラディオは、どかっ とソファを占領して両腕を広げていた。もう一つのソファは、これまたダルそうなノクトが、ハルマと並んで占領しており、残る独り掛けの椅子は、イグニスと、プロンプトで座っていて、あぶれてしまったタルコットとルチェオは、遠慮がちに窓際に寄りかかって二人で話をしていた。一応、親族・・・として式に参列することになっている二人も、簡単な打ち合わせのために借り出されていたのだ。「しかし、出産ラッシュだな」イグニスは笑いながら言った。「まさか、お前のとこまでおめでたとは・・・」と、プロンプトの方へ顔を向ける。プロンプトは、恥ずかしそうに頭を掻いて「あはは・・・自分でも驚いたけど。でも分かってからが、ほんと騒動でさ」「お? お前んとこもか?」と、ノクトは意外な顔をする。「そうだよ・・・もう、大変だったよ! バイクに乗るなって言っても気かなくってさ!だから、もう、最後は銃を向けて脅迫して・・・」「銃?!」驚いて、一同が声を上げる。「あ・・・ええと、バイクに銃を向けたんだよ。いうこと聞けないんなら破壊するて脅してさ。それでようやく」プロンプトは慌てて訂正しつつ、頭を掻いた。はああ・・・そういうこと・・・ 聞いていた一同は納得して脱力した。「そりゃ・・・先が思いやられるな」グラディオが他人ごとのように笑う。その時、トントン、とノックがして、すぐに戸が開いたかと思うと、コル将軍が入ってきた。「すまんな・・・グラディオ。明日の警備のことでちょっと、いいか」はい、と、グラディオは急に引き締まった表情になって立ち上がると、コル将軍と部屋を出て行った。その姿を見送りながら、ノクトが意味深に笑った。イグニスも、同調するように微笑んでいる。「え、何?二人とも?」「いや、なんでもない」ノクトは誤魔化すように首を振った。イグニスも続けて「すまない、ばたばたしていて・・・オレももう少ししたら、会議で抜ける」「ええ? そうなの?」「心配すんな。オレはサボってここに残るからな」ノクトはドヤ顔だった。はああ? とプロンプトはその顔を覗き込み、「ノクトこそ、忙しいんでしょうが?! いいよ、こっちに付き合わなくてもさ」「ばあか。来賓の相手は、重要な国務だぞ? オレのサボりの口実を取り上げるな!」ははは・・・現在この部屋で唯一の来賓であるハルマは苦笑した。結局、明日の婚礼に出席がかなった諸外国の要人はハルマ、とアコルド政府の高官が一人だけだ。アコルドは、カメリアが順当に国民の7割の支持を得て首相に帰り着いたものの、貴族院を相手にした裁判が長引いており、政情はなかなか安定していなかった。イヴァンはぎりぎりまでその参加を迷っていたが、アコルド内部のごたごたもあって、シャンアールにアコルド軍の駐留が続いていたため、出国を躊躇った。ニフルハイム連盟の各代表者たちも、半年後の和平会議に備えるのが精一杯で、ルシスまでの遠征に手がまわらない。唯一、連盟と和平会議を代表して、ハルマだけがルシスへの来訪を叶えていた。「イヴァンも来たがっていたがな・・・ケルカノの方も、そうだ、確かハンター協会からは誰か来るんだろ?」「ああ。ヴォーグが来るって行ってた。あとは、テヨが、特例だが評議員の助手としてこっそり参列することになってる」「助手? ああ・・・オルブビネで騒ぎになってるな。あいつ、ルシスにしばらく残るんだって?」「そうなんだ・・・オレも驚いたが、カーティス大学の元学長に惚れ込まれてね。大学の再建を手伝うことになった」えええ? そうなの? 横で聞いていたプロンプトも驚いて、身を乗り出した。「まあ、お父さんがお医者さんだもんねぇ。頭よさそうだったし」二人を仲介したイグニスは笑って、「テヨ殿は、ニフルハイム内地からの留学生と言うことになっている。政府の方で仮の身分証を発行した。身元保証人は、ルナフレーナ様だ」「そいつは・・・すごいな。何年くらいいるつもりなんだ?」ハルマは全く知らなかったらしい。興味津々と聞き入る。仲介したイグニスは、やや責任を感じて複雑な表情をしていた。「とりあえず、暫定措置で許可した滞在期間は最長で3年だが・・・延びる可能性もある。大学の再建がかなったら、それはそれで引き止められる可能性も高いな」「こっちは歓迎だがな」と、ノクトは気楽に言ったが、ハルマはうーん、と難しい顔をして唸った。「・・・クヌギが怒り狂ってるって聞いたぞ。ゴダールが散々愚痴を聞かされているが、親子喧嘩の相手はしないとつっぱねてさ。俺も巻き込まれないように、遠めに聞いていたんだが・・・そうか、そんなことになってたのか」「跡取り息子だもんねぇ、そりゃ怒るようねぇ・・・あ、でも、ノクトは人のことは言えないか」うるせぇな! ノクトは軽くプロンプトの頭をはたいた。トントン、 とまたノックが響いた。イグニスの秘書が、申し訳なさそうに、部屋を覗き込んだ。「スキエンティア補佐官・・・ご歓談中、申し訳ございません。オヴァール市長がご到着を・・・」「わかった。すぐいく」とイグニスは立ち上がった。「悪いな」ノクトは、さほど悪びれてもいない様子で声を駆けた。イグニスは、呆れたように笑って、「・・・いいんだ。これがオレの仕事だからな。せいぜい、国賓を持て成してくれ」それから、改まって、ハルマの方を向き直ると慇懃に頭を下げた。「ユスパウ男爵・・・それでは、失礼いたします」ハルマも、改まって、ちょっと立ち上がると、見えないイグニスに向かって慇懃に頭を下げた。イグニスは見えているかのように笑いかえして、それから、秘書官の後ろに続いて部屋を出て行った。「ノクトさぁ・・・」イグニスが出て行ったのを確認して、プロンプトが呆れるように言った。「オレ、グラディオが昨日、愚痴っているの聞いたよ。イグニスたちがぴりぴりしてるの、あれでしょう? 10日後に控えたレスタルムの住民投票。なんで、ノクトはそんな涼しい顔してんのよ?」「住民投票?」ハルマが不思議そうな顔をしている。「そうですよ! ルシスからの独立の是非を問う住民投票ですよ?!」ええええ?! とハルマは驚きの声を上げた。「本当か・・・それは、こっちでは聞いてないな」「おう、正式発表は、式の後だからな。それまでオフレコってことでよろしく!」と、ノクトはにやにやしながら、ちっとも、深刻な様子がない。聞いていたハルマの方が不安になって、声を潜めた。「・・・勝算はあるのか?」「さあな。カメリアが言ってたが、投票は水ものだ。蓋を空けてみなければ分からない。もっとも、実効力のある投票じゃないんだ。市民の意思を調査する目的で行う。だが・・・その結果を無視はできない。もし、レスタルムの市民の大多数が独立を望むなら、独立に向けた検討を1、2年かけてやることなる。もっともな・・・一度、敵国との和平協定で捨てた地域だ。オレは、今更になって偉そうに領土を主張するのはお門違いと思ってる」おっと、これもオフレコな。ノクトは笑った。へええ・・・ 肝が座ってんな…ハルマは感心して呟く。「さあて・・・」ノクトは徐に立ち上がった。「ちょっと・・・ハルマに王宮を案内してくるわ」え? とプロンプトは驚いて立ち上がり、「じゃあ、オレも・・・」と言いかけたのだが、ノクトはつれなく首を振った。「お前は、そろそろ、ご婦人方の様子を見て来い! 特にお前の女房をな! ほら、お前らも」タルコットとルチェオにも、声をかける。「あっちにはチョロチョロするガキも二人いるし、子守をしてこいよ!」ノクトはからからと笑いながら、不思議そうにしているハルマの背中を叩いて、部屋を出た。「おい、いいのか?」「ああ・・・ちょっと二人で話もしたかったしな。鬼のいぬまになんとやら・・・」ノクトは楽しそうに笑みを浮かべながら、ハルマをつれて廊下を進んだ。来賓用のフロアは、すっかり改装工事が終わっていて、重厚な調度品が並んでいる。ハルマは感心して、廊下の様子を眺めた。「さすがお城って感じだな・・・ シャンアールはいかにも古城だが、ここは、なかなか豪勢じゃないか」ハルマは意外そうに言う。ノクトは苦笑した。「これでもな・・・大分、節約させたんだ。実際、調度品のほとんどは残されていたものを、人の手で綺麗にして修復したんだ。相当の手間だと思うんだが・・・みんな、そうしたいっていうからさ」ははあ、なるほど。ノクトが見てくれにこだわるとは思えかったので、ハルマもようやく納得した。ルシス王家ともなると、それを信望する臣下たちも相当の数だろうし、王宮への思い入れも強いだろう・・・。ハルマは、今更ながらに、一国の主というスケールに圧倒されていた。ノクトは、廊下の突き当たりの部屋まで案内した。ちょっとしたラウンジになっていて、広々とした空間の中央には、グランドピアノが設置してあり、その奥は広いテラスだ。「すごいじゃないか・・・」ハルマは驚いて、思わずグランドピアノに近寄った。「それもな・・・」とノクトは苦笑した。「見た目は修復したんだが、ピアノって言うのは、長い間放置されるとダメになるらしいな。・・・音を出すと酷い。それでも、いずれ修理したいって言うやつがいてさ。まあ、飾りにはなるから置いてる」あははは。 ハルマは笑って、そっとその黒い外観を撫でる。「お前らしいな…贅沢はしないか」「いや・・・口うるさく財布を閉めさせてるんだけど、これでもまだ無駄が多い。王宮に戻ってきた連中には、どうしても10年前の王宮での習慣が身についててな。こっちは、ルーナも含めて、荒野での生活が身についてるだろ。つまらないことで、すれ違って言い争いなる」「そら・・・ルシス王家って言ったらそれなりに華やかなイメージがあるぜ。イドラ皇帝はどっちかというと、軍事にしか興味がなくて、他には金をかけていなかったからな。帝国の文化は、酔狂な帝国貴族が細々支えていたんだ。それも、廃れちまったが・・・」ハルマは、しばし感傷に浸りながら、広いテラスの方へ出てみた。テラスからは、王宮の美しいタイル張りの中庭が見渡せた。ここも、来客に合せて、外観だけ慌てて修復したと言うことだが、まるで、あの激しい戦いの歴史などなかったように見える。ふうう・・・ 意図せず、深いため息が漏れる。「どうした・・・なんか、うかない顔だな?」ノクトが突然、その顔を覗き込んだ。いや・・・ とハルマは驚いて、「すまん。ちょっと考え事をな・・・」と、慌てて笑いかける。ノクトは、ニヤニヤと、見透かしたように笑って「こっち来てからずっとそんな感じだぞ。言えよ」まあ、そうは言っても・・・ と、ノクトは、頭をかく。「くっついてきてトルドーを説得してくれって言われてもそれは無理だけどな。愚痴くらいなら聞けるぞ」ハルマは照れくさそうに笑った。そっちを心配してくれてたか・・・「別に連盟のことじゃないんだ・・・悪いな。その・・・女のことなんだよ」へ? ノクトは驚いて、思わず、まじまじとハルマの顔を見た。・・・思ったとおりの反応ながら、ハルマは顔を赤面させて、俯いた。「頼むから・・・そんなに見ないでくれ」「なんだよ、珍しいな。聞かせろよ」ノクトは、好奇心丸出しで、ハルマのそばに近寄ってきた。ハルマは、思わず口に出したことを半分後悔しながら・・・しかし、もうこうなっては話をきくまで、ノクトも収まらないだろう、と観念していた。はあああ・・・ と大きくため息をついて、もう一度、王宮の美しい中庭を見る。「・・・どうかしてると思うんだが、ケルカノの難民キャンプに・・・チパシまでつれて返りたい女性がいて・・・」ハルマの脳裏に、つい数日前の、墓地の光景が蘇っていた。ルシス王の婚礼に合せつつ、アコルドやハンター協会との協議もあって早めにケルカノ入りしていたハルマは、まっさきに、揚陸艇の発着場所そばの墓地に足を向けた。前にここを訪れたとき括り付けれていた風船は、その後しぼんだのだろう。もう、取り外されてなかった。こどもの墓の前に立ち、その盛り土の飾りを見た。あれ・・・と思って、しゃがみこんで、顔をちかづける。ハルマが残したユスパウの古い指輪はなくなっていた。誰かに見付かって、掠め取られたか。こんなところに不用意に埋めたんだ、仕方ない、と思ってハルマは立ち上がった。しかし、その時、背後に、人が近づく気配がして、ハルマは振り返った。見れば、通りの方から、この墓の母親が、慌てた様子でこちらにかけてくるのが見えた。ハルマはどきっとして、彼女が向かってくるのを見守った。母親は、いつものように頭部を黒いスカーフで覆っている。今日は、まるで顔を隠すように、口元までスカーフを多い被せていた。その目が・・・いつもより強く、睨み付ける様にハルマを見ていたので、緊張を覚えた。婦人は、ハルマの前まで、駆け寄って・・・それからしばし、息を整えていた。「ユスパウ男爵様・・・」静かに語り掛けるその口調も、どこか刺々しかった。婦人は、そっと右手を差し出すと、その手のひらに、ユスパウの指輪を載せていた。あ・・・ ハルマは、すぐに、この指輪が婦人の気分を害したことを悟り、青くなった。「この指輪は、お受けするわけには参りません」婦人の目が、怒りと・・・悲しみに満ちているように見えた。「十分なハンター協会の支援も受けています。私一人・・・生きていくのに不自由はしておりません。このようなお気遣いは不要です」ハルマは、動揺して、慌てて指輪を受け取った。しかし、動揺する気持ちの中で、’私一人’と言った彼女の言葉をしっかりと、捉えていた。・・・ひとりなのか。指輪は、泥がすっかり取り除かれて、綺麗になっている。婦人が洗って、大事に保管しておいてくれたのだろう。「すまない、迂闊だった・・・その・・・貴方を、侮辱する意図はなかったんだ・・・ただ、これは・・・」婦人の目が、いぶかしげにハルマを見た。ハルマは・・・なんと答えたものかと、しどろもどろになっていた。「その・・・ただ・・・これを置いていけば、また・・・貴女に会える気がして・・・」言った途端、バカが! と心のうちで自分を叱責する。何を言ってるんだ自分は・・・それに、これではますます、ご婦人を侮辱していると捉えられるかもしれない。ハルマは、恐る恐る、婦人の顔を見た。婦人は・・・スカーフの合間から見えるその瞳で、じっと、ハルマを見ていた。「す・・・すまない。怒らせたか・・・?」ハルマは、すっかり、縮み上がって、婦人の反応を待つ。それは、罪を犯して審判を待つ、つまらないこそ泥のように。顔がスカーフで隠れて、よくわからなかったのだが・・・ふっ・・・と笑ったような気がした。「このような場所ですから、貴金属はお控えください・・・私は、毎日こちらに参ります」そして、ちょっとハルマに頭を下げると、そのままくるりと向きを変えて、キャンプの方へ帰っていこうとした。ハルマは慌ててその背中に声をかけた。「名前を聞いてはいけないか」婦人は、ちょっとだけ振り返って、ハルマの後ろの方を指差した。「墓標に名前が」そして、あとは、もう振り返らずにキャンプの方へぐんぐん進んで行った。ハルマは、惜しむようにその背中が見えなくなるまで見送った。その小さな黒い姿が、合同本部の建物の影に消えてから、ようやく墓標を振り返った。細い木の棒に貼り付けられたラベルを見る。ーラヴィータ・ヤージュの息子 タイタス・ヤージュまるで、貨物の仕分けのように、機械的に印字された文字が、白いラベルに印字されていた。ラヴィータ・・・ タイタス・・・ハルマは口の中で反芻した。「どうかしてるだろ?」ハルマは話してしまってから、しゅん・・・と沈んだ様子で呟く。「数回しか顔も合せてなければ・・・交わした言葉もわずかだからな」「それでも、つれて帰りたいんだろ?」ノクトは、ぽん! と、めずらしく小さくなっている兄貴分の背中を叩いた。「そりゃ・・・そうだが・・・」「お前が決めることじゃないんだから、悩む必要なんかない」ノクトはドヤ顔で言う。「どうせ、相手が決めるんだよ。だから、つれて帰りたいならつれて帰りたいと、そういうだけだろ。まあ、盛大にフラレでもしたら、ルシスまで飲みに来いよ」げらげらげら・・・ ノクトは、豪快に笑って、その背中をもう一度叩いた。あんだよ・・・ と、不満げにぶすくれたハルマだったが、豪快に笑われていると、自分もなんだか可笑しい気分になってきた。確かにな・・・オレが決めることでもない。意味深に指輪を贈りつけるより、ストレートに気持ちを伝えるほうが幾分かマシだろう。「ま、安心したわ。女に悩んでる余裕があるってことだな。連盟の方は、わりと順調そうだな」あのな・・・ とハルマは顔をしかめた。「順調なわけないだろ。アコルドがあの調子だからな・・・まあ、マルコがいなくなったっていう意味では予想以上に順調だが、カメリアに返り咲いたっていう意味では、意外と手間取ってる」「ははは・・・らしいな。まあ、そっちは、これからオレも顔を突っ込めるようになるし」「余裕だなぁ・・・」ハルマは、関心しているのと呆れているのとが織り交ざった様子でノクトを見た。「余裕はないさ。こっちも首の皮一枚・・・なんなら、いつ、チパシに帰ることになるかもわからんから、よろしく頼むわ」にかっと、笑いながら、どこまで本気か分からないことを言う。まったく・・・ ハルマは、その大物ぶりに呆れながら、ため息をついた。うけえぇえ、うけえぇえ・・・ 間の抜けた音がどこからともなく鳴り響いた。お、と言って、ノクトは、ズボンの後ろからスマホを取り出した。「やべ・・・もう、こんな時間か」受信に応じて、スマホを耳に当てる。「ああ・・・ああ、わかってる。悪い、すぐいくわ」通話終えて、すまなそうにハルマを見た。「悪いな。これから衣装合わせと、写真の前撮りなんで・・・2、3時間くらいで終わると思うから」ハルマは、笑って頷いた。イグニスが、慌しくオヴァール市長との打ち合わせを終えて応接室に戻ると、そこは物抜けの空になっていた。そばに控えていた執事が、陛下とユスパウ男爵が二人でサロンに向かったこと、他の客人たちはご婦人の客室へ向かったことを教えてくれた。二人でか・・・ イグニスは、引っかかるものを感じて、悶々としていた。ニフルハイム連盟・・・ プロンプトのレポートによって、ノクトが図らずともその集団と共に行動し、親交を深めたのは知っている。彼らは、先進的な和平の構築を目指して宣誓も行っているし、和平会議では、貴族院を退けるのに大変な役割を担った。来訪かなったユスパウ男爵においては、彼の爵位継承に当たってもノクトが貢献をして、個人的にもかなり親密だと聞いている・・・個人の親交と、政治上の関係は・・・まったく乖離しているわけではないが、しかし・・・と、イグニスはやや心配をしていた。王位を正式に継承したノクトも、そのあたりは弁えていると、信じてはいるが・・・イグニスは、貴賓用のサロンに向かうべきか、それともご婦人方の部屋へ向かうべきかと迷った。しかし、王が二人で話をしたいといって出て行ったのを、側近が追いかけていくのも明らかに野暮だ。イグニスは・・・王を追いかけたい気持ちを抑えて、なんとか、足をご婦人の部屋へと向けた。ご婦人の部屋は、廊下からも朗らかな話し声が聞こえた。イグニスはほっとして、その扉をノックした。「イグニスです・・・」あー! という声がして、誰かが乱暴に扉を開けた。その、足音から、多分、アラネア嬢だろう。「イグニスも、鳥を身に行こう!」アラネア嬢は、開口一番そう行って、イグニスの手を引いた。ほがらかに笑うご婦人たちの声が中から聞こえてきた。「あーちゃん! あそこは階段で大変なんだから!」たしなめるようなプロンプトの声が覆いかぶさって来た。なるほど・・・イグニスは、すぐに状況を察知して「東棟の屋上まで行くのか?」と聞いた。「そう! これから写真取りに行くんだ。マリアちゃんと、タルコットと、ルチェオも行くって。イグニスは、こっちで待ってる?」「いや・・・良ければ、同行しよう」え・・・ と、驚く声が上がったのがわかった。イグニスは苦笑して「最近、体がなまっているしな。ちょうどいいと思う。連れて行ってもらえるか?」と付け加えた。「あったりまえじゃん。じゃあ、行こうよ!」変な雰囲気を払拭するように、プロンプトが明るい声で言って、イグニスの手を引いた。それを押しのけるように、小さな手が握りかえす。あーちゃんが手ぇつなぐの!えええ、そう? プロンプトが、寂しそうな声を出したのを、イグニスが笑って聞いていた。穏やかなご婦人方の笑い声に見送られながら、一同はぞろぞろと廊下へ出た。アラネアは、イグニスの手を嬉しそうに繋いでひっぱって、先導していく。中央のホールへ出て、6階まではエレベータが使える。そこから上は、まだ、非常階段しか使えない。ばたばたばた・・・非常階段を賑やかに上る足音が響いてきた。グラディオの長女、マリアのようだ。きゃっきゃと笑う声が聞こえる。その後ろを慌しく追いかける足音がある・・・ルチェオか? アラネアは、遠慮がちに・・・しかし、ぎゅうぎゅうと強くイグニスの手を引っ張っていた。「アラネア・・・オレはそんなに早く走れない」イグイスはすまなそうに言った。「だけど・・・歩く分にはひとりで大丈夫だ。先に行ってもいいんだぞ?」え・・・ アラネアは迷っていたが、「じゃあ、上で待ってるな!」と答えるが早く、だだだだ・・・ と慌しく駆け上がる音が聞こえた。あ、あああ! と慌てるようなプロンプトの声が聞こえて、そして、遠のいた。「ははは・・・やっぱりぃ・・・」苦笑するように、イグニスの横でつぶやいているのは、タルコットだろう。「イグニスさん、大丈夫ですか?」いつものように、爽やかに話しかけてくる。しかし・・・その雰囲気が、ルシスから派遣した数ヶ月前からは一変しているのを、イグニスも感じていた。たぶん、体の物理的な大きさも・・・ひとまわり成長しているのだろう。声は、以前よりはわずずかに低くなった。しかし、その、どっしりと落ち着いた様子は・・・タルコットが、自分の無茶な指令に対して、十ニ分以上の働きをしたのは、プロンプトのレポートでなくてもわかる。「タルコット・・・オレは大丈夫だ。先に行ってくれ」「でも、プロンプトさんもルチェオさんもいますし・・・」できれば遠慮したい、というタルコットの本音が痛いほど伝わってきた。ふふふ、と笑いながら「アラネア嬢の付き合いは骨が折れるだろう。これまでも経験済みだろうな?」と、振ってみた。あはははは・・・ タルコットは誤魔化すように笑いながら「あーちゃんは、とにかく、エネルギーあまってますからねぇ・・・負けちゃいますよ。でも・・・ほんと、すごい子ですよね」感心するように呟く。ニフルハイムで集落を回ったときのことを言っているのだろうか。それとも、チパシで過ごした日々のことだろうか。ケルカノのキャンプや、アコルドの内地でも、かなり目立ったと聞いている・・・イグニスが悶々としていると「どこいっても、一番弱い人に気がつくって言うか・・・。僕も、驚いたんですが、あれは、ニフルハイムの偏狭の集落をまわったときだったかなぁ。集落のこどもたちがわぁああ って、寄ってきてね。ほら、外からの支援も物珍しいじゃないですか。寄ってこられると嬉しいし・・・だけど、あーちゃんがいきなり、広場の外までかけていったかと思うと・・・そこにしゃがみこんでいる子に話しかけているんですよね。聞いたら、その子・・・生まれてからほとんど口を利いていないんですって。見た目、5歳くらいには見えたけど・・・あーちゃんに聞いたら、その子の声が聞こえたっていうの。2年前に両親が亡くなって、集落で面倒見ているんだけど、どこの家にもなじまないでずっと黙り込んでいるらしくって。その子・・・笑ったんですよ。あーちゃんに」イグニスは、聞いていて、ああ・・・と納得がいっていた。似たような話は、何度か、ノクトやルナフレーナから聞いていたのだ。あの二人は、あの野生児に親愛の情を持つ意外に、一種、神秘めいたものを感じていると思っていた。あえていうなれば・・・遣い魔のアンブラに対して示すような親愛に似ていた。しかし、二人が恍惚とその光景を語る一方で、イグニスには、いまひとつ実感がわいていなかった。視察で・・・確かに、そのような光景に近いものはあったのだ。イグニスは、アラネアが、ちょこちょこと移動するその導線が、イグニスが肌で感じている人の気配の、”違和感"の方へ向かっているのを感じた。それは・・・不満を持ちつつ視察を見つめる、視察先の職員であったこともあるし、通りすがりの乞食の少年であったりもした。ぜえええ ぜえええ と激しく息をつくのが聞こえて、タルコットとともに顔を上げた。「プロンプト!」タルコットが、慌てて駆け出すのが聞こえた。「もう! タルコット・・・交代して!交代!!」つらそうな声が返ってくる。「あーちゃんがすっとんでいっちゃんてさ・・・ルチェオは、マリアちゃん抱っこしてるし」「わかりましたっ」タルコットは素直に応じて、だだだだだ・・・ と非常階段を駆け上がった。「さすが、若いなぁ・・・」羨望の眼差しで、プロンプトがタルコットの背中に向けてシャッターを切っているのが分かる。「彼はすっかり頼もしくなったな」イグニスも、シャッター音に被せるように言った。「ほんとだよね・・・ニフルに追いかけてきたときはびっくりしたし」「大層な活躍だったんだろ?」「そうだよ! ノクトも真っ青! タルコットがいたから、いいかげんなことできなかたしさぁ」かちゃかちゃと、カメラをいじる音が聞こえてくる。「二人に任せては、なんだか悪いな。いそごう」あはは、そうね。 プロンプトも、申し訳なさそうに応じた。とんとんとん・・・ リズムよく、非常階段を上がる二人の足音が響く。プロンプトの足取りも、王宮に篭りっぱなしのイグニスに比べると、軽く聞こえる。ノクトと分かれた後も、荒野を駆け回って調査にあけくれていたというから、その体はますます鍛えられているように思う。「・・・ニフルハイムの荒野はどうだ? きつくないか?」イグニスは、戻ってきて欲しそうな気持ちをちらつかせながら、プロンプトに問いかけた。プロンプトは、そうねー、と軽く答えながら「確かにハードだけどさ。でも、すっごい役に立ってる感じがするんだよね。なにより、このカメラで仕事してるって実感がすごくてさ」「・・・話には聞いてる。和平会議でも、連盟が用意した資料の大半は、お前が用意したんだろう?」「まあ、文章でまとめたのはキリクだけどね。オレは、撮って撮って撮り巻くって・・・って感じかな」「映像で指し示す事実は・・・時に、言葉よりも説得力があるからな」えへへへ・・・ プロンプトは、まんざらでもない様子だ。「まだ、しばらくあっちにいるんだな・・・」イグニスは寂しそうに呟いた。「ごめん・・・ルシスも大変なときなのに。でも・・・あっちももっと大変でさ。きっと、こっちにいるより役に立てると思うから」「そうだな・・・お前の腕なら、連盟も相当頼りにしているだろう」いやぁあ・・・ プロンプトは照れくさそうに笑っている。「ハルマにも、いろいろ頼まれてるしね。写真もあるけど、それ以外も、あっちこっち集落をまわる便利屋みたいなもんかな」「ユスパウ男爵か・・・」イグニスは、無意識に、少しだけ足が止まった。「ん?どうしたの?」プロンプトが、不思議そうに、イグニスを見ているのが分かった。イグニスは誤魔化すように、首を振りながら、また、小気味よく階段を上がった。「いや・・・かなり、お前達と親しいんだな、と思ってな」ああ、とプロンプトは、思い当たるように言った。「そうだね。特にノクトとはね。親友って感じだよ」プロンプトは、どきっとするぐらいに、軽い感じでそういいのけた。イグニスはびっくりして、思わず、その顔の方に目を向けていた。「親友・・・」「そう。ほら、ハルマもさぁ、爵位を継ぐのに相当迷ってたときもあるし。ノクトがその背中を押したっていうか・・・境遇が似ているっていうと大げさかもしれないけどさ。いい兄貴分だよ」そうか・・・ なぜか、イグニスは沈んだ声を出していた。「お前は・・・ちっとも気にしないんだな」プロンプトは黙った。そっと近づく気配がして、ぽんと、その手がイグニスの肩を叩いた。「イグニス・・・妬いてんの?」イグニスは、ストレートにそういわれて、黙るしかなかった。恥ずかしそうに俯いて・・・しかし、言葉がない。ニフルハイムの荒野の旅・・・今になって、その傍にいたかったなどと思うのは、あつかましすぎる。しかし、当初予想もしなかったほどに、そこに濃密な時間があるとわかって、もどかしい気持ちが沸き起こる。「・・・イグニスは側近じゃん。いやでも、これから、めんどくさい仕事をやらされるんでしょ?・・・だけどさぁ、オレ、思うけど。二人とも・・・一度、卒業したほうがいいよ。ノクトから」プロンプトは爽やかに言った。「オレ・・・贅沢にも、ノクトと一緒に、たっぷりと気ままな旅を満喫したからさ。だからだな、きっと。卒業できたって感じがするんだよね・・・いまでも、親友だし。何かあれば、駆けつけるけど、信じてるから・・・ノクトのこと。離れてても、立派にここで王様になるって」イグニスは、すぐには言葉が出なかった。わああああ、イグニス! プロンプト! 遅い!! 賑やかな声が頭上から聞こえて、二人は同時に天を仰いだ。カシャ、カシャ・・・目ざとく、プロンプトのカメラのシャッター音が響く。イグニスは、すっかり寛いだ気分で、親友に微笑んだ。まったく・・・そもそも、大げさなんだよなぁ。 いつまでもたってもスタイリストがノクトの髪の毛をいじっている。前髪の一筋を払ったり、襟足を揃えたりと、きりがない。加えて・・・時折、パフを頬に押し付けて、軽くファンデーションを振るう。う・・・化粧品の匂いだけで、気分が引く。大体、婚礼といえば、主役は花嫁ではないか。オルティシエから届いたデザイン画を元に、10年前のドレスを再現したと聞いた・・・その熱の入れよう。ノクトは呆気にとられる。ルーナなんて、どんなドレスだって美しいに違いないし・・・ノクトは、チパシで上げた婚礼を思い出した。よけいな化粧をしていない分だけ、よほど美しく感じたと思う。ルーナが化粧お化けになっていたらどうしよう・・・ノクトはどきどきして、ごまかすためのほめ言葉をあれこれ考える。「陛下・・・ルナフレーナ様のご用意が整いましたので」執事が部屋に入ってきて声をかけてくれたおかげで、スタイリストはようやく呆れめがついて、その前髪だけをさっと整えると、後ろに身を引いた。「はい・・・陛下も今、ご準備が整いました」さっきから、そんな変ったかなぁ? ノクトは不思議に思いながら、一応労いを見せて「ありがとな・・・顔がしまったわ」と声をかけた。スタイリストは、満足したように頭を下げた。ノクトは・・・自分のお愛想が通じたと、ちょっと驚きながら、執事の後ろにくっついて控え室を出た。王室の報道官がし切って、今日は写真の前撮り・・・ というのも、ノクトの要請もあって、明日の戴冠式と婚礼は、ルナフレーナへの体の負担を考えて、相当に短時間に抑えて計画されていたからだ。戴冠式と婚礼を抱き合わせるだけでも、前例がない、と、みな口を揃えて文句を言ったのだが、お金のことを言うよりルーナの負担といえば、側近たちはみな静かになった。だいたい・・・いまどき、ありがたがって、オレらの写真を欲しがる奴なんて、この王宮にいる連中だけだろうが・・・。ノクトは呆れがちに、執事の背中を追って、はじめの撮影場所となる王宮の中庭まで出る。ふわ・・・ と白い妖精のような後姿が見えて、ノクトはドキっとする。ノクトに気がづいて、振り返る・・・かなり距離があるのに、まるで、花のようないい匂いがした。チパシから帰還する中、伸ばし続けた髪を、今、ゆったりと結い上げている・・・美しい金糸のようなうねりが、日差しの中で綺麗に輝いていた。色白の頬を、恥ずかしそうに桃色に染めて、まるで・・・10年前の、オルティシエで見たそのままの瑞々しさだ。「陛下・・・あの・・・すぐに撮影をしますので、花嫁のお傍に・・・」呆然と立ち尽くす王に、執事がおずおずと声をかけた。ノクトは、はっとして、自分も恥ずかしそうに笑いながら、さっと花嫁の傍に駆け寄る。「まあ・・・ぼおっとなさって」「あんまり美しいからさ・・・」ノクトは、人目を憚らずに、肩を抱き寄せると、その額に自分の額をそっと寄せて、囁きかけた。「陛下・・・あの、申し訳ありませんが・・・御髪が崩れますので・・・」と、戸惑ったような声がして、見れば、はらはらとして、花嫁のスタイリストが早くもクシを持ち出していた。「わ、悪い・・・」ノクトは、しょんぼりと、花嫁から離れた。スタイリストは、さっと近寄って、花嫁の前髪を直したり、ノクトが傍により過ぎてしぼめてしまったドレスの裾を整えたりと忙しかった。「陛下、陛下! カメラテストをしますので、こちらを見ていただいて!」大勢の撮影スタッフと、反射板や、どんだけ?! と思うほどの数のカメラが、脚立に立ててこちらを向いている。ノクトは・・・げんなりした様子で、しぶしぶとカメラのほうを向いた。数が多すぎで、どちらを向けばいいのか分からない・・・こっち、こっち! と、真ん中あたりに陣取っていたベテランのカメラマンという様子の初老の男が、手を振っていた。ノクトは、ちょっと、背筋を伸ばして見せてカメラに、格好をつけてみた。「はいはい・・・そのままでお願いします・・・はい、もう少し!・・・はい、結構です! では、つづいて、ご夫妻でお願いします」ルーナは、格好をつけた夫の様子を見て、堪えきれず、笑っている。「笑うなよ・・・」ノクトは、ちょっとふてくされてみた。「あら、ごめんなさい・・・ふふ、貴方も、とても素敵です」と、その頬にそっと手を触れる。ルーナはどこに化粧を施したのか分からないが、いつものように、あまりに美しく、ノクトは、またも、抱き寄せたくなるのをぐっと堪えた。「ルナフレーナ様、陛下の腕に、手を添えていただいてよいでしょうか・・・そう、その感じで。すこぅしだけ、二人で向き合うように、そう、そうですね、そこまで。はい、その感じで、カメラの方をどうぞ!!」二人はマネキンのように、数mm単位での細かい指示に素直に従って、ポーズを決めた。ああ・・・ 感極まるような声が聞こえて驚くと、侍女のマリアが、撮影スタッフの端っこのほうで、二人の様子を眺めながら、涙しているのが見えた。もう、マリアったら・・・ ルーナが、自分もじんわりとした様子で呟いていた。撮影日和に良く晴れた秋空だ。時折、吹き抜ける風は、ひんやりしている。ノクトは、ルーナの肩がむき出しなのが気になる。「寒くないか?」ルーナは、嬉しそうに微笑みながら、首を振る。「まだ、大丈夫です」はい、OKです! 撮影スタッフから、合格点を貰って、中庭での撮影が完了となる。ノクトはすぐに、手を上げて「すぐに、肩にかけるものをくれ」と声を上げると、脇に控えていたスタイリストが慌ててショールを持って駆け寄った。ノクトは、ドレスで身動きのとりにくいルーナに代わり、一歩踏み出してショールを受け取ると、ルーナの肩にかけてやった。ふふふ・・・新郎の気遣いに、新婦は嬉しそうに微笑む。「おい、鼻の下のびてっぞ!」ぶっきらぼうな声がして、上の方を見上げた。グラディオが、コル将軍と並んで、にやにやしながら、二人を見ていた。「うるせぇな。伸ばさせとけ!」「まあ・・・新郎だからな。今日明日は仕方がない」コル将軍がいつものように低い声で、淡々と言っているのが可笑しかった。執事に連れられて、今度は、王の間へ移動する。なんと・・・裾の大きな花嫁のドレスは、エレベーターに付き添いのスタイリストしか乗せられなかった。仕方なく、花嫁を見送りつつ、新郎は次のエレベータを待つ。ルーナが、扉の閉まる際に、ふざけるように、ノクトに手を振って笑った。グラディオとコル将軍は、警備の確認をしに中庭へ出てきたようで、二人にはくっついてこなかった。ぴこん花嫁を乗せたエレベータが、王の間に降り立ったことを、表示板の点灯で知る。あのドレスをまとっては、乗り降りだけでもよほどの手間なのだろう・・・長い時間がかかって、ようやくエレベータが折り返してきた。間もなく、新郎のまつ1階までたどり着く。ぴこんランプがともって、扉が開く。執事が重々しく先に入って、慇懃に頭を下げるのを、ノクトは苦笑しそうになるのを抑えつつ、堂々とした表情を取り繕った。一挙一動、王様をするのもしんどいんだけどな・・・ぴこん到着を知らせるベル・・・執事が、さっと緊張したのを感じた。ノクトもつられるようにして緊張を覚えた。王の間・・・そうだ、ここは、ここにくるものはみな、緊張を覚えるのだ。そんな習慣は変えたいもんだな・・・とノクトは思う。執事に続いて入る、王の間の前の、控えの間。神話の絵画は、すっかり煤を払われて綺麗になっている。磨かれた大理石の床も・・・この場所の重厚感を際立たせていた。背筋が伸びる感じがする。イグニスやグラディオにいわれれば、それが心地よい・・・この場所の神聖さを実感できるという。神聖か・・・ノクトは、神話を物語る油絵に目をやる。神聖か・・・残念ながら、これからは違うんだ。懐かしむように、挑戦するようにその絵を見る。神話は終わったんだ・・・これからは、泥臭くて、不細工な人間の歴史が始まる。そう、そのめんどくさい時代に・・・こうして、また生きていられるのは、幸運なことだな。ノクトは笑って、不思議そうに王の様子を眺めていた執事の方へ歩み寄った。「悪い、待たせたな」執事は頭をさげて、王の間へと続く扉を開ける。さっと、明るい日差しが差し込んで、まぶしいくらいの玉座が目に飛び込んだ。付け焼刃で修復させた王の間は・・・結局、工期の短縮を優先させて、吹き飛んだ壁の修復は後回しにされた。ただ、見た目と違って、天井と、天井を支えるメインの柱は滞りなく修復され、その上の内装も綺麗に仕上げていた。天井から垂れ下がったレースが、壁の大穴からまっすぐに光を受けて輝いており、これはこれで、なかなか幻想的だ。ルナフレーナは、玉座へと上がる階段の裾で、ノクティスを待っていた。なぜかスタイリストの方は慌てた様子で「すみません・・・撮影機材の準備がまだ・・・」と、おどおどと、王の顔を上目遣いに見ながら、説明する。執事も慌てた様子で、なにやらスマホであちこちと連絡を取っていた。「陛下、失礼ながら・・・お嬢様の準備がまだ、整っていないようで」「そうか。まあ、いいさ。ゆっくり待つから慌てんな」「はい・・・あの、私めが行ってすぐに様子を見てまいりますので」執事は頭を下げると、慌てて王の間を出て行った。それに、つられるように、スタイリストも、頭を下げて、執事の背中を追いかけた。二人が慌てて去ると・・・王の間は急にしん・・・と静まった。撮影機材の一部は、玉座へと上がる階段の手前に、いくつか放置されているが、カバーが懸かったまま、いかにもまだ準備が出来ていないという様子だ。ノクトは、呆れたように首をすくめて、それからルーナに笑いかけた。ルーナも、可笑しそうに笑って答えた。「なんか手違いみたいだな」「そうですね・・・でも、綺麗・・・」撮影のために、ジールの花を模して、ちりばめられた青い造花の花びらが、ルーナにはとても気に入ったようだった。確かに、午後の強い日差しが、ぶち抜かれた壁の隙間から差し込んで、造花の花びらは強烈に反射をして光っている。「ルーナ・・・」ノクトは、笑いながらその手を取った。ルーナが・・・心なしか、玉座の方を恐れているような気がして・・・ノクトは、あえて、いたずらに笑いながら、その手を引いていく。二人はゆっくりと階段を上がった。二人だけで・・・その玉座まで赴くのははじめだ。なんとなしに、神秘的な気配を感じて、二人は自然と言葉がなくなる。ノクトは、ルーナの手をその腕にかけてエスコートしながら、ゆっくりと階段を上った。親父・・・ほら、今度こそ、胸を張ってここを歩いてる。レギスに呼びかけながら、誇らしげに、そして、幸せそうに笑みを浮かべる。不思議と・・・呼びかけに応じるように、暖かいものが胸の中に流れ込むような感覚に襲われた。は・・・ と、ルーナが息を漏らして、驚いたように顔を上げたので、ノクトは不思議になった。「どうした?」静かに聞く。いえ・・・ ルーナははにかみながら、しかし、幸せそうに笑う。「レギス様の御気配を感じて・・・それに、鐘の音も聞こえた気がします」ノクトは、気が早いなぁ、と笑った。明日の式の最中には、王宮の屋上に設置された大きな鐘が鳴らされる予定となっていた。自分の腕に添えられているルーナの手を、そっと撫でながら、階段を上りきる。いよいよ、その玉座が見えてきた。綺麗に磨かれ、布も張り替えられた真新しい感じのする玉座が、しかし、どっしりとその存在感を示している。あれ・・・ ノクトは、そのひざ掛けに何か乗っているのに気がづいた。写真だ・・・古びて、色が褪せている。そっと持ち上げて、目を見開いた。玉座に座りながら、その写真に見入った。すぐに、不思議そうにしているルーナの顔が覗きこんだ。ほら・・・ 言葉にならないままに、笑みだけを浮かべて写真を手渡した。ルーナは、興味津々と写真を受け取り、覗きこんだ。そこに映し出された、10年前のノクトとその仲間達の姿に、ルーナの頬も緩んだ。そういえば、アーデンとの戦いの前に・・・ とノクトは思い出していた。どうして、こんなものが今になって・・・掃除夫が、玉座の裏にでも見つけたのだろうか。すべては導き・・・誰かの呟きが聞こえたような気がして、ノクトはふっと力が抜けた。そして、愛らしく微笑みながら写真を覗きこむ花嫁に気がつくと、胸がときめいた。両手に嵌めたグローブをそっとはずす・・・直に、この手でその頬に触れたくて。ノクトは、ルーナの頬に手を伸ばした。ルーナは、新郎の様子に気がついて、可笑しそうに笑うと、写真を肘掛の上において、自分も両手を新郎の頬に伸ばした。王の間の控え室の方から、がやがやと大勢の気配がしたが、二人は構わずにキスを交わした。

Chapter 25.11-石の棺-

「なあ、ルーナ・・・」暗がりの寝室の中で、ごろんとベッドに横になりながら、ノクトが小さな声で呼びかけた。ルーナは、二人に挟まれるようにして眠っているアラネアの頭を、愛しそうに撫でながら、ノクトの方へ笑みを向けた。アラネアの寝室は別にあるのだが・・・まあ、よく忍び込んでくる。今夜は、ルーナの出始めた腹を撫でながら、ことんと眠りに落ちていた。「案外・・・すぐに、ルシスを追い出されちまうかもな」ノクトの声は、外で側近達と話をするのと違って、弱々しかった。コル将軍が、このところずっとよそよそしく、ほとんど話しかけてこない、と気がついたのは、つい一昨日のことだ。評議会の後、ちょっと話が・・・とイグニスたちに持ち掛けたところ、そばにいたコル将軍は、二人に任せる・・・と言って、そのまま議会室を出て行ってしまった。いつも多忙な将軍のことだ。そのときはさほど、気になりもしなかったのだが…。もしかして・・・嫌われたか?帰国してから、随分と周囲を驚かせ、王宮の中に波風を立てているような気がする。以前の王宮の遣り方とは随分違うとも、分かっている。概ね、快く受け止めてもらっていると、勝手にそう思っていた。「イグニスたちも引いてたな・・・」昼間の二人の様子を思い出して、ぼそっと呟く。ルーナは笑って、アラネアを撫でていた手を、そっとノクトの方へ伸ばし、その頬を撫でた。「今度はどこへ行きましょうか?」いたっずらぽいその表情には、まったく不安がない。ノクトはルーナの手に自分の手を重ねて、愛しそうに頬になでつけ、そして、口づけをする。それから、自分も笑った。「・・・そうだな。案外、ケルカノも整備が進んで住みやすそうだ。タルコットもまだあっちにいるし。テヨと一緒にオルブビネに帰るって手もある」「そういえば、テヨ様は、まだ、ラヴァディオ自治区に?」「ああ・・・そういえば、今日の午後、連絡がきてたわ。もう少し滞在を伸ばしたいと・・・どうも、あの女史と気が合うみたいだな」「元学長の方、ですよね。テヨ様は、向学心がお強いから、刺激を受けているんじゃないかしら・・・」「ルーナも、しばらく家庭教師してたんだろ。テヨと、アルミナの」ルーナは、恥ずかしそうに笑いながら、首を振った。「クヌギ様という立派な先生がいらっしゃいますもの・・・私が教えたことなど、ほんのわずかなものです」二人はそのまま、懐かしそうにこの10年や旅の間に起きたことを、つらつらと語り合って夜が更けた。語りながら、いつの間にかノクトの方が先に眠りに落ちていた。薄らいでいく意識の中で、やさしく頭を撫でられているのを感じて、幸せな気分になる。秋の涼しい夜には、もぐりこんできたアラネアの体温も、ちょうど心地よい。家族が寄り添って眠るだけで、こんなに幸せなのか…ノクトは無意識に、すぐ手元に転がっていたアラネアの小さな手を握りしめた。ルーナは笑った。二人の頬に順に口付けをして、自分もアラネアの手を握りつつ、目を閉じた。幸せなまどろみの中で、どこか遠くの方で、呼ぶ声がする。トントン・・・と遠慮がちにノックが聞こえたようだが、多分、緊急性の高い用件ではないのだろう。ノクトは眠気に負けて、ごろんと寝がえりを打っただけだ。アラネアの背中にぶつかって、しかたなく、反対側にもう一度寝返りを打つ。しばらくして・・・ うけぇええ うけぇええ うけぇええ というチョコボの鳴き声が、どこからか響いてきた。・・・なんだよ、うるせぇな。王宮でチョコボなんて飼っていたっけ?浅い眠りの中で、チョコボが夢に現れる。羽を撒き散らしながら、ノクトにせがむように顔を押し付ける。餌なんか・・・もってねぇぞ? ノクトは戸惑いながら、とりあえずその頭を撫でる。うけぇええ うけぇええ と背後からも声がして、振り返った。2羽のチョコボが、今にも走り出そうと羽を開いたり閉じたりしていた。その上に、うきゃきゃきゃきゃ・・・ 変なテンションで、大笑いしているプロンプトが跨っていた。その隣のチョコボには、アラネアが乗っている。まったくお前らは・・・ 呆れて、説教の一つでもしてやろうと、二人の方を向く・・・「ノクティス」小さな...しかし、しっかりとした声が耳元で聞こえて、ノクトは、はっと目を開けた。目の前に、スマホの点滅する画面が見え、うけぇええ うけぇええ・・・というチョコボの着信音が、繰り返されていた。「お電話ですよ。イリス様から」お、おお・・・悪い。 ノクトは寝ぼけながら体を起こし、スマホを受け取った。なんだよ、まだ、午前4時? 日の出まで時間もある・・・ ノクトは画面に触れた。「イリスか? ったく、どうしたんだ、こんな時間に・・・」ーごめん! ノクト?! 起こしちゃった?!昔とかわらず高い声が聞こえる。なんだか興奮しているようだ。「あたりめぇだろうが・・・」ーごめん! ごめん!イリスは、謝りつつ、しかし、楽しげだ。ーごめんね、つい・・・! 生まれたよ!!え?! 隣で聞いていたルーナも、思わずスマホの方へと耳を寄せる。ー生まれたの!! ついさっき! 元気な男の子!「・・・そうか」ノクトはしばし、呆然となった。ルーナに、とんとん、と肩を叩かれて我に帰る。「あ・・・えーと、おめでとうな! で、グラディオもそっちにいんのか?」ーいるよ! ちゃんと立ち会ったよ! 私も、たまたま、昨日の夜、兄さんとこに泊まってて、そのまま付き添ってきたの。昨夜の10時ごろに陣痛が始まってね・・・あっという間だったなぁ。あ、ウルスラさんも元気よ! マリアちゃんも興奮して起きちゃったから、病院につれて来てるのイリスの声で目が覚めたのか、アラネアがベッドの上でむっくりと起き上がるのが見えた。ルーナは、ベッドに腰掛けて、まだ、寝ていいのよ・・・と囁きかけたが、アラネアは首を振り「どうしたんだ?」と聞く。「さきほど、グラディオラス様の赤ちゃんがお生まれになったの。そのお電話よ」アラネアは、途端にぱああああっと顔を上気させて、「赤ちゃん!! 見たい!見たい!」すっかり目が覚めた様子で、興奮した声を上げる。「おい、イリス。病院の場所を教えろ」ノクトの声も興奮していた。病院の個室で、グラディオは、ベビーベッドの柵に覆いかぶさるようにして、ふにゃふにゃと動く生まれたての赤ん坊を眺めていた。その頬は緩みきってほんのり赤くなっており、今にもヨダレをたらしそうに、だらしなく口をあけている。自分の大きな人差し指を、赤ん坊の手のひらに握らせていた。その小さな手のひらが・・・反射的に自分の指を握るたびに、バカみたいに興奮して鼻を鳴らしていた。ウルスラは、マリアと抱き合うようにしてベッドに眠っていた。窓の外が白み始めていたが、グラディオはまったく眠気を感じない。今日はこのまま、ベビーベッドの横に張り付いていたいくらいだが・・・そういえば、午後から会議があったよな、と思い出して、顔をしかめた。とんとん・・・ 遠慮がちにノックが聞こえて、イリスが扉からちょっと顔を覗かせた。「おう・・・お前も、もう、そろそろいいぞ。ルチェオに電話して車回してもらえ」「あ、うん。それはいいんだけど・・・あの、ちょっと、こっち来て」と、なんだか可笑しな笑い方をして手招きする。なんだよ・・・忙しいのに。 と、ベビーベッドに方に後ろ髪を引かれながら、イリスに続いて廊下を出た。あ・・・ と驚いて声を上げる。廊下に並んだベンチに、静かに並んで座ってたのは・・・ノクトに、ルーナに、アラネアに・・・それから、やや眠そうにしているイグニスだ。みな、目立たないように平服を着て、ルナフレーナにあたっては、スカーフを頭に巻いていた。「あんだよ、お前ら、こんなに早く?!」「スマン・・・ルーナがどうしても会いに行きたいっていうもんだからさ」ノクトが恥ずかしそうに笑って頭をかくと、ルーナは、こつんと、夫を肘で突っついて「あら・・・ノクティスでしょう。いきなり車を用意するよういいつけたのは」「赤ちゃん、見れる?!」アラネアは、興奮しつつも、一応気を使っているようで、懸命に声を抑えていた。「・・・その、気にすんな。赤ん坊が起きるまで待ってるからさ」ノクトは、しどろもどろにいいつつ、顔がすっかり緩んでいる。イグニスは、一同のやりとりを可笑しそうに眺めていたが、見るからにしんどそうだ。「イグニス…お前までつき合わされたのか?」「ああ・・・資料室で仮眠していたんだが、たたき起こされた」ばっか、とノクトは、怒って「お前だって行きたいっていったろ」「すぐに出るとは思わなかったからな」イグニスは苦笑した。「ごめん・・・私が思わず、ノクトに電話しちゃって」イリスが恐る恐る兄の顔を見た。「はあ? こんな時間に? おまえなぁ・・・いつまでも、友達感覚でいやがって」「友達だろうが」ノクトは、仏頂面をする。ったく・・・ グラディオは呆れていたが、イリスは嬉しそうに、へへへ、と笑った。「・・・ウルスラと、マリアがまだ、中で寝てんだ。ちょっとここで待ってろ」と言うと、グラディオは部屋に入り、そして、驚いたことに、生まれたばかりの赤ん坊を腕に抱えて戻ってきた。さすが2児の父と言うべきか。その手つきには、まったく危なげがない。グラディオの太い腕の中では、赤ん坊は冗談みたいに小さく見える。わああああ・・・ 一同は、抑え気味に歓声を上げながら、グラディオの周りを囲った。イグニスだけは、ベンチに腰掛けたままだ。しかし、ぷん・・・とミルク臭い赤ん坊の匂い、ふにゃふにゃと手をしゃぶる音、赤ん坊の体温などを感じて、ほほが緩んでいた。「お前・・・すごいな。怖くないのか。首据わってないんだろ」ノクトは、感心しつつ、びくびくと赤ん坊を覗きこむ。「まあ、二人目だからな。マリアんときは、怖くてびくびくだったな」ちっちゃーい、ちっちゃーい!! アラネアは目をきらきらさせて、そっとその足をつっつく。「あの・・・先ほど、手を洗いましたので・・・ほっぺをさわっても?」と、恥ずかしそうに、ルーナが聞く。グラディオは笑って、どうぞ、とルーナの目の前に赤ん坊を差し出す。いいなー! とアラネアが騒いだので、ルーナは、そっとアラネアの手を取りつつ、一緒に、その頬に手を触れた。うわああああ 柔らかい!! アラネアは顔を真っ赤にして喜ぶ。お、オレも・・・ ノクトもおずおずとしてそのほほを指先で突っついた。それから、その小さな手に指を当てる・・・「うわ・・・握ったぞ!」鼻の下を伸ばして、赤ん坊の手に指を握られる。「ばあか、ただの反射だ」自分も先ほどまで同じことしていたのを棚に上げて、グラディオは鼻で笑った。「あーちゃんもやる!」「ほら、そっとな・・・」ノクトはしぶしぶ場所を交代した。アラネアは、自分の人差し指を恐る恐る赤ん坊の手に近づけた。赤ん坊は、目を閉じたまま、ふにゃふにゃと口元を動かし、探るようなしぐさをして、アラネアの指を掴んだ。「つかんだっ・・・」アラネアが、精一杯小さな声に抑えながら、嬉しそうに声を上げる。「わ、私も・・・」と反対側に廻って、ルーナも、開いている赤子に手に、自分の指を押し当てた。赤ん坊は、律儀にルーナの指も掴んだ。ノクトは、じっと座って微笑んでいるのイグニスに気がついて、「おい、イグニス。お前も、撫でさせてもらえよ」と声をかけた。「いや・・・オレは・・・」遠慮がちにベンチに座っていたイグニスの元へ、イリスが近づいて、その手を取った。「ほらほら、イグニスさんも。超かわいいんだから! 触ってみて」グラディオも微笑みながら、赤ん坊をイグニスの方へ近づける。イグニスは、やや緊張した様子で、イリスの手に誘導されるまま、じっとしていた。その指先が、赤子の手に触れ、そして、イグニスの指を握った。あ・・・ とイグニスは、驚いたが、しかし、身動きが取れずその場に固まった。「こ、怖いな・・・」「大丈夫。私、見てるからね」と、イリスは、やさしくイグニスの手のひらを自分の両手で包み込んでいた。イグニスは、緊張した面持ちで・・・しかし、赤子がその指を握り締める度に、ほほが緩んでいくのが分かった。「かわいいな・・・」「あったりめぇよ。オレの子だからな」「お猿さんみたいだなぁ」アラネアは、覗き込みながら言う。「生まれたばかりだからな。みんな、こんなもんだ」「いや、お前に似たんだろ。猿よりはゴリラに近い」ノクトは、遠慮なく言う。ノクティス・・・! ルーナは、睨んでその腕をつねる。あたたたっ・・・ ノクトは、腕をさすった。「さあ・・・もう、騒がせると悪い。みんな、引き上げよう」イグニスが一同を諭すように言った。まったく、そうでもなければ、ノクティス親子はいつまでも、赤子に張り付いていそうな勢いだ。「そうだな・・・悪かったな急に」ノクトは頭をかいて、グラディオにすまなそうな顔を向ける。「いいさ。驚いたけどな・・・ま、オレも午後の会議までには戻るし」はああ? とノクトは大げさに、首を振って見せて「だめだ。今日から3日間、王都に入るな。これは命令だからな!」と、急に腕組をして、偉そうに言い渡した。「3日って・・・おい、だけど」「問答無用。お前の代わりくらい、いくらでもいるんだよ。若くて優秀なやつが」「なんだよ、それ・・・」グラディオは反論しようとしたが、イグニスはグラディオの肩に手を触れて「陛下のお達しだ。口答えするな」と、笑った。帰りの車中・・・ 後部座席に座ったノクト親子は、真ん中に座ったノクトに寄り添うようにしてみんなで寝息を立てていた。助手席に座っていたイグニスは、微笑んで、じっと後ろの気配を感じている。運転をしていた警護隊の若いメンバーは、ルームミラー越しに親子の姿を見て、ふふふ、と笑いを漏らしていた。「よほど、かわいかったのでしょうねぇ・・・自分も見たかったなぁ。隊長のご長男」「そのうち、頼みもしないのにお披露目にくるさ」ぴろりんぴろりん・・・ 電子音が鳴った。”ロベルト・リドナーから電話です” と、スマホの人工音声が鳴り響く。警護隊の先輩格だ。「イグニスだ・・・どうした?」ーよかった。隊長に電話したんだがでなかったんで・・・ご出産だって聞いたけどふふ、と笑いながら「そうなんだ。3日間留守になるから、その間はオレが代理を務める。で、何かあったか?」ー今、どこですか?「王宮に帰るところだ。あと1時間もすればつくだろう」ーそうか・・・それなら良かった。いや、慌てることじゃないかもしれないが・・・夜番の連中が、見回りで...その、棺を見つけて・・・「棺?」イグニスは押し黙って、じっと話に聞き入った。車は慌しく王宮の中庭に滑り込んだ。と、同時に、ノクトとイグニスが真っ先に車を降りて、ノクトはイグニスの手を引きながら、小走りに王宮の中へと入った。すぐに、ロベルトが出迎えた。イグニスは王宮に入れば、ノクトから手を離す。なれた王宮なら、音と感覚だけで後をついて来れるから不思議だ。「地下だって?」ノクトが、焦る気持ちを抑えながら聞く。「ええ・・・半地下っていうんですかね。もともとは、倉庫に使っていた場所ですよ。入り口辺り、なぜか破砕されたブロックが塞がっていて、中が崩壊しているのかと思って立ち入り禁止にしていたんですけど」ロベルトは先導しながら答える。3人は、王宮の裏手・・・バックヤードともいえる裏廊下に入って、階段を下りた。1フロアも降りないうちに、階段の脇に、倉庫の入り口が見えていた。普段は鋼鉄製の扉が締め切ってあるが、今は開いている・・・聞いたとおり、その手前に、天井でも崩れたようにコンクリートのブロック片が行き先を塞いでいた。「ブロック片が、崩れ落ちたんでしょうね・・・見回りの時にちょうど中から音がして、それで、念のため、と思って入ってみたらしいです」しん・・・ と閉ざされてくらい空間が広がっていた。奥の方にわずかな明かり取りの窓があり、辛うじて足元が見える。入り口を塞いでいたブロック片は、見回りに来ていた警護隊によって脇に避けられていた。確かに・・・外から見れば、内部が崩壊しているように見えるが、一歩足を踏み入れれば、その部屋が綺麗な状態でどこも損傷していないのがわかる。誰かが、侵入者を防ぐために置いたのだろうか?ノクトは、心臓が粗く波打つのを聞きながら、ゆっくりと進んだ。すぐに、がらんとした部屋の全体が見渡せた。何もない、壁と床だけの冷たい石の部屋に、棺が5つ並んでいるのが見えた。石でできた棺だ。真ん中の棺が一番大きく立派に見える。「中央のやつです」イグニスの手を引いて、ロベルトは、ゆっくりと後から続いていた。ノクトは頷いて、ひとり先に、中央の棺に近づく。棺は、すでに少しだけずらしてあった。警護隊で、検めたのだろう。ずれたその隙間から、そっと覗く。は・・・ と息が止まる。わずかな隙間から、ミイラ化した頭部が見えたが・・・その右こめかみに、細い金属が光るのが見えた。ノクトは、棺の蓋に震える手をかけた。ぐっと、体重をかけて押す・・・その重厚な蓋は、鈍い音をたてながらゆっくりとずれた。小さな明かり窓のわずかな光の中に・・・静かに眠るその顔が浮かび上がった。頭から全身が、ガーゼのような薄い布に巻かれていたが、その輪郭がわかる。「ノクト・・・どうだ? レギス様か?」イグニスが、ようやくブロック片のあたりをよけて、ロベルトに手を引かれてそばにきた。「・・・ああ」ノクトは、小さく呟いて、じっと、棺を覗きこむ。そして、そっとその頬に触れた・・・。冷たく、硬くなったその体を感じた。干からびて一回り小さくなって、だけど、その表情は、10年前に変らず、苦しいほどに優しい。は・・・ ノクトは、息を吐く。イグニスも、ノクトの脇に立って、見えもしないのに棺を覗きこむ。「この隣は・・・恐らく、クライレス様かと」ロベルトは、おずおずと言葉をかける。ノクトはじっとして、動かなかった。イグニスはノクトに代わって、体を起こした。「すまない・・・連れて行ってくれ。お顔に触れてみる」ロベルトは頷いて、イグニスの手を再び引き、隣の棺まで来た。棺の蓋をずらして、イグニスの手を、遺体の頬に触れさせる。イグニスは、躊躇わずに両手でその顔を撫でた。堀の深い目・・・こけた頬・・・とがった顎・・・やや、苦しそうに唇を噛み締めている。「クライレス様だ・・・間違いない」ロベルトはやはり・・・と、言葉を呑んで、深いため息をついた。「グラディオには・・・出勤するまで黙っとけ」ノクトはレギスの棺のそばから離れないまま、言った。「急ぐ必要はないだろ・・・きっと、クライレスも今は孫のそばにいるさ」イグニスは笑って、同意した。「他のものたちの身元は?」イグニスが聞いた。ロベルトは首を振って「多分、和平協定の場にいた評議員たちだと思いますがね・・・全員ではないが。コル将軍なら見分けられるかもしれない」と答えた。「そうか・・・では、将軍にすぐに連絡を取ってくれ」イグニスは手際よく指示をしたが、「イグニス、ちょっと待ってくれ」と、ノクトがそれを止めた。二人は、やや驚いて王の方を見た。王は、いまだ顔も上げずに、棺を覗き込んだままだ。「昼まで・・・待ってくれないか。それまで、ひとりになりたい」ノクトは静かに言った。ロベルトは困ったような顔をイグニスに向けたが、イグニスは頷いた。「わかった。昼になったら将軍に連絡を取る。それでいいな?」「ああ・・・ありがとな」それから、王は、まるでぷっつりと糸が切れたみたいに何も言わなくなった。イグニスは、ロベルトに頷いて見せて、そっと王をおいて、墓所を出た。午前中は、落ち着かない時間をすごした。資料室に戻ったが・・・寝不足でぼおっとしながら、しかし、仮眠をしようにも寝付けず、しかたなく、音声で記録された王室法規の続きを聞く。目の見えないイグニスのために、この資料室の重要な記録は、半数が点字化され、半数が、補佐官に特例的につけられた秘書達によって音声化されていた。はじめは、この待遇に引け目を感じたイグニスだったが、しかし、思わぬ副産物をもたらした。ルシスの歴史や、基本的な法律が、ルシスの盲人向けの資料として、レスタルムの図書館にもそのコピーが配布されたのだ。図書館には、思いがけず多くの反響が寄せられた。闇の時代でなかなか光の当たらなかった声だ。ルシスにもそれなりの視覚障害の人々がいると、そんな当たり前のことに、気づかされた。それ以来、イグニスは、より気楽に資料の音声化や、点字翻訳を依頼するようになった。用意された資料は、特定の機密文書を除き、すべて、公共施設への配布を前提にされている。王宮の中にに盲人がいることにも意味があるのだな・・・と、評議員の誰かが呟いたのを、イグニスも不思議な心持で聞いた。遠慮がちにノックする音が聞こえて、敏感なイグニスはすぐに振り向く。「お邪魔してもよいでしょうか・・・」名乗らなくても分かる。ルナフレーナの声だ。「もちろんです。陛下なら・・・まだ、地下倉庫の方へ」「レギス様のおそばですね」イグニスは、慇懃に頭を下げた。レギス陛下の最後に、その傍にいたというルナフレーナも、心が高ぶっているのが分かった。「ご案内しましょうか?」「いえ・・・」ルナフレーナは首を振った。「今は・・・お二人の時間を邪魔しないほうがいいでしょう。私は、後でお会いいたします」その声は、実の父を慕うようでもあった。「昼には、コル将軍にもご報告する予定です」「わかりました・・・それまで、私もここに」ルナフレーナは、今にもノクティスの傍に行きたいのを耐えているように、落ち着きがない。しばらく、資料室を行ったり来たりしたあと、あいていた席へ腰を下ろしたようだ。イグニスは、少しの間、王妃を気遣ったが・・・しかし、やがてまた、自分の遣るべき仕事へと向き合った。王妃は、静かに佇んだまま、イグニスの邪魔をしなかった。何かの文献を読んでいるのか・・・ただ、佇んでいるのか。イグニスには判別がつかない。しかし、時折揺れ動く感情が、空気を通じて肌に伝わってくるようだった。ばん! ・・・ と二人の静寂を破って扉が開く。イグニスも・・・そして恐らくルナフレーナも、驚いて扉の方へ顔を向ける。やや、顔色の悪いノクトが、資料室にずかずかと入ってきて、まずはじめに、不安そうにしていたルナフレーナの元によって、その体を抱きしめていた。「悪い・・・心配したか」「いいえ。ただ、陛下も寝不足でしょうし、お体を心配して」「大したことはない」ノクトはもう、可笑しそうに、ふふふ、と笑っていた。その声を聞いて、イグニスも安堵をした。「イグニス」と声をかけられて顔を上げる。「葬儀をやりたい・・・親父だけでなくてな。見付かった遺体と・・・10年前の王都陥落の際の犠牲者を弔いたいんだ。なるべく、金と時間をかけずに・・・できるか?」イグニスは、ふっと笑って、「わかった。案を考えよう」「助かるよ・・・戴冠式と婚礼は、その後がいいだろう。ちょうど、ルーナも安定期に入るしな」と、ノクトは続けた。イグニスは、はっとしてノクトの方に目を向ける。音も、何も聞こえないのに、離れたその先にいるノクトが、笑っているのがはっきりと分かった。「いったい誰が・・・」コルは、やや、困惑しているように見える。5つの棺は、どれも丁重にレギスとその臣下の遺体を収めていた。「王都の陥落後、王宮は厳重に封鎖されていたと聞く。ルシス側の人間は立ち入れなかったはずだ」「・・・"彼”の可能性は?」イグニスは、静かに問うた。コルは、にわかに信じられない、というように深く息を吐いて唸ったが、ノクトはすぐに、「アーデンである可能性は、あるかもな・・・しかし、オヤジとクレイラスだけならまだしも、あと3名の遺体を考えると、微妙だな。王宮にゆかりのある者、と思ったほうが自然だろう」と答える。ルーナは、3人の話し合う脇で、ただ、そっとレギスの棺に寄り添ってその頬に手を触れていた。何かを語りかけているように穏かな表情だった。「あとの3人は、おわかりになりますか?」ロベルトは、棺の蓋をずらしながら、将軍に尋ねる。コルは、順に一つずつ中をのぞいた。「わかる・・・評議員のメンバーだ。エライネ女史に、ピュニュイ博士・・・それと、おそらく・・・ラモン司祭だ。あの協定の場にいた方たちだ」「ああ、思い出した。そうだ。顔と名前がなかなか一致しなかったんだが・・・」とノクトも将軍の隣で棺を覗き込んで同意する。それから二人はまた、中央の棺に歩み寄った。ノクトはルナフレーナに寄り添うように右手に周り、コルはその反対側から棺を覗き込む・・・コルは、目を瞑り、しばらく胸に手を合てて敬礼していた。そして・・・数分の黙祷の後に、ノクトの方を向いた。「ノクト・・・王冠を頂戴しろ」あ・・・ と、一瞬戸惑いがあったが、ノクトは頷いてみせた。そっと父の額に手を伸ばす・・・右こめかみの鋭く伸びている細い白金の冠に、手を添える。長らく装着されていた王冠は、その皮膚に張り付いているように抵抗があったが・・・やがて、ぽっ と遺体の頭部から離れた。ノクトは父の遺体を傷つけないように慎重に、王冠を持ち上げた・・・王冠は、10年の闇の時代を経て、今もなお白く輝いていた。ノクトが棺の上で掲げるように王冠を見せると、コル将軍は頭を下げた。ロベルトが、期待の眼差しで、ノクトの手元を見ていたが、ノクトは首を振り、「これを身に着けるのは戴冠式をまとう・・・それまでは、保管を頼む」と言って、イグニスに王冠を受け渡した。イグニスは手探りで王冠を受け取りつつ、やはり、敬うように頭上にちょっと王冠を掲げていた。ー葬送の日、10年前の悲劇を憂うように朝からどんよりと空を雲が覆っていた。ルシス全土が静まって、それぞれの都市で反旗が掲げられた。やがて静かに雨が降り出し・・・反旗を濡らす。雨の中、王宮の中庭に5台の黒塗りの霊柩車と、そのあとに数台の黒い車両がならんだ。ノクトは先導する車にルーナとアラネアと共に乗り込んだ。王都北東にある、王の墓所へと車は進む。墓所の破壊はさほどでもなかったが、そこまでの車道を整備するのに、この数週間大変な苦労をしたと聞いている。王宮の傍を抜けると、まだまだ、破壊されたままの街並みが延々と続いている。短期間で車道を開通するため、せいぜいが瓦礫を避けて、よほどの陥没があるところに、簡易的に土や砂利を埋め込んで凌いでいた。車は、度々、がたがたと揺れた。助手席にいたイグニスは、揺れを予測できないので、ダッシュボードに手を突いてやり過ごしている。「イグニス、後ろに座ったらどうだ。ちょっと狭いが、こちらのほうが凌ぎやすい」見かねてノクトが声を駆けたが、「いや、大丈夫だ。気にするな。オフロードでの乗車は案外なれている」と、ちょっと振り返って笑ってみせる。ノクトはルーナの手を握りながら、雨の廃墟を寂しそうに眺めた。王都の中心から外れれば、町の破壊は目立たなくなった。しかし、無人となった家々がむなしく立ち並んでいるのは、やはり寂しかった。グラディオが口をすっぱくして、インフラの復旧をノクトに迫るのも分かる気がする。ここへ帰還する意思のある市民はどれほどいるだろうか・・・目だって破壊されていないにしても、10年の間放棄された地域に帰還するのは容易ではないだろう。「誰もいないなぁ」アラネアも、外を見ながら寂しそうに呟く。やがて田舎道に入った。道の状態はずっとよい・・・この先は、王都の中でも森と、畑と、そして王家の墓所となる広い王立公園があるだけののどかな地域だ。美しかったその風景は、今は、闇の時代のおどろおどろしい植物に取って代わられていたが、ちょうど植生が入れ替わる時期に来ているのだろう・・・ 黒々とした木々が傾いて枯れはじめ、その下草から、勢いよく若い木が伸び始めている。1,2年もすれば、この奇怪な植物はすべて駆逐されて、昔のような青々とした木々に置き換わるはずだ。車道の脇に、傘も差さずに立ち並び敬礼する警護隊の姿見えてきて、王立公園に近づいたことが分かった。敷地に入って、警護隊の車両や、他の参列者の車両が並んでいるのが見えた。先行して、評議員たちは、レギスのために開かれた墓所の入り口で待ち受けているはずだ。そこまでの道の両脇を警護隊員が並んで固めている。車が止まって、近くにいた隊員がさっと、ドアを開け、一行に傘を差し出した。「オレはいい。二人に差してやってくれ」ノクトはそういいつけて、自分は小雨の中をそのまま歩き出す。前の車両から、父の棺が担ぎ出されているのが見えた。すぐにその傍によって、先導するように、前を歩く。石の棺は余程重く、一つの棺に、隊の中でも屈強な男達が8人も選ばれて担ぎ出した。棺を変えるか、台車で運ぶことを提案したのだが、もとより、王家の棺は石造りが通例だったので、グラディオが、警護隊でそのまま担ぐと言って押し通した。彼は・・・レギスの棺に続いて、自分の父の棺をその先頭で担いでいる。そこから墓所の入り口までは緩やかなのぼりだ。ノクトがゆっくりと先頭を歩く。道の両脇に控えた警護隊たちは、神妙な表情をして敬礼をしている。ルナフレーナとアラネアは、二人で一つの黒い傘を差しながら、レギスの棺の後ろに続いた。その後を、クレイラスの棺、そして、3人の臣下の棺が続き、イグニスが、警護隊のメンバーの肩に手を置きながら、最後尾についていた。上った先の開かれた場所に、参列者の黒い傘の群れが見えてきた。先頭で一行を待ち受けていたコル将軍は、やはり傘を差していなかった。レギスの棺が到達すると、深々と頭を下げて礼をする。評議員たちも、みな、祈りを示すようにしめやかに、俯いて目を瞑っていた。棺は、開けた場所にレギスを中心として、並ぶ。臣下の者達の4つの棺は、一度、その場に静かに下ろされた。レギスの棺だけが、そのまま、ノクトとコル将軍を先頭にして、墓所の入り口へと向かう。石造りの墓所は、綺麗に磨かれて、普段、公園のモニュメントとして市民が憩うのに相応しく、どこか楽園を思わせる明るいデザインをしていた。しかし、その暗い入り口がぽっかりと開いているのを見ると、死者の世界へと続く、重々しさを感じる。ノクトは、松明で灯された墓所の中へと足を踏み入れた・・・先導して案内を務める墓守が、慇懃に礼をした。墓守も松明を手にしていた。「陛下・・・足元にお気をつけください」墓所の中は、緩やかに下る階段が続いていた。母が亡くなった時に足を踏み入れているはずだが、あまりに幼く記憶がなかった。墓守に続いて、静かに階段を下りた。壁には、歴代の王を見守るように、女神や天使や、神獣達の姿が彫りこまれている。一同は、ゆっくりと墓を下り、広い空間へと出た。正面に祭壇があり、その横に、また、小さな入り口が見えた。「この先が・・・第108代からの王の眠るお部屋にございます」王と、棺を担ぐものたちだけが中に入った。ただ広い空間に、ずらっと、王の石棺が並んでいた・・・いかにも、重々しい空気が流れていて、ノクトは緊張を覚えた。第108代が作らせたのだろう・・・その壁、天井に、壁画が描かれている。空気に触れずにいたせいか、今も色鮮やかに、ルシス王国の成り立ちを物語っている。ノクトは圧倒するように壁画に見入った。その長い歴史を受けついて出来た者達がここに眠っている・・・ 静かに、新しい石棺が下ろされて、7つの石棺が並んだ。あの隣に、オレも眠るのか。「王妃の棺はここではないのか?」「はい・・・王妃様のお部屋は別にございます。陛下のお母様もそちらに」別々の部屋かぁ。死後のこととはいえ、寂しいな、と思いながら、ため息をつく。石棺を下ろし終えた8人の屈強な男たちは、ようやく、緊張と、文字通りの重責から解放されて、少し安堵した様子を見せた。それから、それぞれが遠慮がちに壁画に見入っていたが、「さあ、そちらの祭壇での儀式がございますので・・・」と墓守に促されて、ノクトを先頭として、一つ手前の部屋まで戻った。墓守は、どういう仕組みなのか、長い金属の棒を器用に使って、王の部屋の入り口の、石でできた重い引き戸を閉めた。ごごごごご・・・ ずどん。 何人の侵入も許さないように、その扉は硬く閉じられた。司祭が祭壇の前に立ち、一行を待っていた。ルナフレーナが、アラネアと手を繋ぎ、コル将軍とともに、参列者の最前列に佇んでいる。イグニスとグラディオ、それに、古くからの王のゆかりの者達数名がその後に続いていた。狭い儀式の間は、やや、人の数が多くて息が苦しく感じた。ノクトは、あらかじめ打ち合わせたとおり、司祭の隣で、祭壇に向き合うようにして跪いた。手を胸にあて、俯いて目を瞑る。司祭は、黙って頷き・・・手にしていた杓を掲げて、祈祷を始める。ルシスの古い言葉・・・ いくつかの単語であれば、ノクトにも聞き取れた。光、闇、そして...星。星の神々に願う。王がその星のひとつとなり、未来永劫にこの地を見守りたもう・・・しゃらんしゃらん杓についた小さな鈴が、死者を見送るように鳴り響いた・・・ 静かだな、とノクトは思う。光耀の指輪を嵌めていた時は、どこにいても歴代の王の気配を感じて落ち着かなかったものだが、この墓は静まりかえっている。六神だけでなく、王達の御霊もようやく眠りについたのだろう。司祭が祈祷を終えたのか・・・ふと言葉を止めて、深く息を吐くのが聞こえた。しかし、また、気を取り直したように杓を掲げて、祈りを再開していた。もはや、ノクトには聞き取れない古い言葉が続く・・・あとでイグニスにでも聞いてみるか。やつになら理解できたかもしれない。最後に、高く杓が掲げられ、そして、深々と頭を下げる・・・祈祷は終わった。入り口が狭いので、参列の後ろの方から、ぞろぞろと順に外へ出て行く。ノクトは、祭壇の前で、司祭と参列者がでていくのを眺めながら、そっと声を駆けた。「最後の方・・・何かあったか?」司祭は、恥ずかしそうに、そっと首を振り・・・「光耀の指輪を受け継ぐくだりがあるのです・・・失礼いたしました。言葉を変えてお祈り申し上げるはずが」「いや・・・いいんだ。不勉強で言葉のすべては理解できなかった。でも、いい祈りだったと思う」司祭は、恐縮してまた、頭を下げる。そして・・・また、何か思うように深いため息をついた。ノクトが不思議そうにその顔を覗くと、何かを躊躇うように、ちょっと目をそらした。しかし・・・あからさまな態度に気がついて恥じるように、もう一度ノクトの方を向いた。「度々失礼を・・・先代の葬送のことを思い出しましたので」「祖父の?」「ええ、そうです。私は当時の司祭の補佐として傍に控えておりました。光耀の指輪のくだりになりますと・・・次期王は、司祭より指輪を受け取り、その指に嵌めます。次期王がその資格を認められますと、指輪が仄かに光ります。歴代の御霊が光ってこの部屋を舞い・・・まるで吸い込まれるように指輪に宿るのです。その光が見えるのは、ルシス王家の血筋と、司祭のうちの一部の人間だそうです」「貴方には見えたんだな?」「ええ。しかし、此度は・・・」と、司祭は寂しげに微笑んだ。「いえ・・・きっと、父君の御霊はすでにこの地から解放され、星におなりなのでしょう」「そうだな」ノクトも微笑んだ。参列者がようやく出払って、その最後尾につく形になりながら、ノクトは司祭と連れ立って外へ出た。空は少し明るくなっていて、雨は弱くなっていた。もうすぐ、止みそうだ。外で待ち受けていた参列者たちの多くは、傘を畳んでしまっている。王の葬送がすめば、臣下たちの葬送だ。特にルシス王家に忠誠が強く、王国に貢献した英霊は、王家の墓のすぐ傍の墓所に納められることになっている。警護隊の隊員たちが、また、重い石の棺を担ぎ上げているのが見えた。4つの棺を見て・・・ノクトは胸を痛める。本当は、数百、数千という者たちが、同じように埋葬されるべきなのであろう。生死の分からないまま、遺体も見付からぬ英雄達も多い・・・評議会では、王都陥落の日に合せて、毎年、慰霊の行事をやると決めた。ノクトが帰国してから、全会一致で採択された、数少ない議題のひとつであった。

Chapter 25.10-奔走-

グラディオとイグニスは、向き合ったまま押し黙っていた。評議会室のがらんとした大きなテーブルに、今は二人だけで座っている。つい先ほど、王と謁見をしていた二人だったが・・・大きなため息を先についたのは、グラディオだ。「あいつ・・・ますます頑固になったな。居留地の一件で懲りたかと思ったんだが・・・」「ひとりでマフィアと話をつけた上に、オヴァールの合意も取り付けた・・・自信をつけたのだろう」イグニスは、淡々と言った。「それにしたって・・・」とグラディオは、愚痴る。「無茶だろ・・・さすがに、評議会を通るとは思えないぞ」ふ・・・ とイグニスは息を漏らして、下を向いた。「それを・・・通せるよう、用意しろというのが王の命だ。オレはそれを引き受けた」「できんのか?」グラディオは、にわかに信じられないと言った顔で、イグニスを見る。「策がないことはない・・・」その声は、迷っているように聞こえる。グラディオは、心中を慮って、自分も押し黙った。レスタルムの暫定居留地で騒動が起きたものの、一行の視察は、それ以外に特に予定を変更せず決行された。駆け足ながらラバディオ自治区と、レスタルム北部の山岳村、メルダシオ協会本部周辺のハンター村も来訪することがかなって、王は、それぞれの代表者と数時間の会談と、集落の視察を卒なくこなした。レスタルム視察中は、訪問先への挨拶一つとっても、オヴァールが顔をしかめるようなシーンがいくつもあったのだが・・・古参の政治家の小言から学ぶことも多かったのだろう。堂々たるその様子に、イグニスやグラディも驚いたほどだ。時折、ノクトの口調がオヴァールに似ていて、イグニスは可笑しかった。山岳村は、まるで村人全体が修行僧のような様相で、近代文明からは離れた生活様式を保っていた。ノクトも、ルシスにわずかに残る少数民族については、若い頃に多少は学んだのだが、実際にその生活に触れたのははじめてだった。メルダシオ協会本部に近いこともあって、闇が訪れたときには、一時、協会本部周辺に全村で避難をしていた。しかし、粘り強い交渉の末、レスタルムからの電力の供給を受けて、シガイ避けの照明設備を作り、集落への帰還を果たしていた。視察に訪れたとき、若い世代のほとんどは、ルシスの他の市民と同様に、近代的な衣服をまとっていたが、白髭の村長は仙人のような様子をして、ぼろぼろに着込んだ昔の民族衣装を身にまとっていた。彼は言葉少なに、集落を案内した。あまりに小さな声で囁くようにノクトに話しかけたので、そばにいたイグニスもほとんどその言葉を聞き取っていない。わずかに聞き取れたことといえば・・・この10年を生き残れたことを、ルシスの神に感謝している・・・この集落にもこの集落の神がいる。そんなことだったと思う。ラバディオ自治区では、ヴィンカー女史と、それにくっついてきたテヨが出迎えた。テヨは、まるで彼女の秘書か助手かという様子で視察について周り、訪問先の案内などをして、一行を驚かせた。二人の間には、相当な信頼関係が築かれているように見えた。あいつ・・・自治区に住み着くつもりじゃないよな? ノクトは、心配になってイグニスに耳打ちした。自治区で開発中の、火山を利用した地熱発電所や、地熱を利用した温室栽培の農家を見てまわり、最後は、中に入ることはかなわなかったが・・・山すそにある洞窟、集落の鎮守の入り口を見せてもらった。いかにもおどろおどろしい鍾乳洞の入り口に、注連縄がかけてあり、紙垂がはためいていた。アラネアは、やはりここでも何かを感じるのか、じっと大人しくなってノクトの後ろにしがみ付いていた。視察の最終日。ぐるっと南下して海を眺めつつ王都へ向かった。無人となったカエムの灯台の横を通り過ぎ、再建中のガーディナに立ち寄る。美しかったホテルの建物は、残念ながらすべてとり壊された後で、観光地というよりは、機能的な港としての再開を急いでいる。その美しい浜を残しつつ、しかし、築かれた桟橋は、無機質でどこか味気ない。ちょっともったいないなぁ・・・ ノクトの呟きに、港が再開されれば、いずれは十分な資金が出来て、かつての観光地を再興できるだろう・・・ と、イグニスは慰めた。それから、アラネアがかつて住んでいたという洞穴に、向かった。マジかよ・・・ その現場を目撃して、グラディオが思わず呟いた。今更ながらアラネアが野生で生きてきたという事実に驚いていたようだ。話に聞いていたガルラの死骸は、・・・今はもう腐敗が進んで骨しかない、とグラディオが説明する。いずれ墓でもつくるか・・・ ノクトが呟くと、アラネアは嬉しそうに、うん! と返事をしたが、グラディオは呆れたように声を張り上げて、正気か? と抗議した。ああ、だって、こいつの元ママだしなぁ。ノクトは、のらりくらりと答えていた。結局、墓を作るという話は、今のところ、具体的な進展はないが。ようやく王都に戻ったのは、つい5日前だ。臨時召集された評議会が開催されたのが一昨日。オヴァールの突然の申し出に、評議会は騒然となりながら・・・しかし、結果として、王の即位は全会一致で承認された。続いて、重々しい口調で、王が評議会の正式な成立を宣言する。予定外の遠回りをしたが、側近達の思い描いた筋書き通り、ようやく第114代ルシス王権が船出をしたことになる。昨夜のうちに、評議会議長より記者会見が開かれて、ひっきりなしに報道もされたが、国内で目立った反応はない。政権内部のごたごたを知らされていない市民にとっては、なにを今更、という受け止め方が大半だ。しかし、海外からは反応があって、祝電が続いていた。アコルドのカメリア首相からも連絡が入っていた。彼女が選挙で圧倒的な勝利を収めたとき、王の身分が暫定的であったので、王としては公式な祝電を送ることが出来なかった。祝電のお礼として、遅ればせながら彼女の当選に対しても祝いの言葉を送った。そうだ・・・ようやく、ルシスは、内外に向けて正式な政治活動が出来る。これから、どれだけ忙しくなるか。しかし、その一方で、内部のごたごたがすべて片付いたとは言いがたい。即位して早々に、王が言い出したのは・・・政治の枠組みを位置から見直すということだ。これまでの枠組みでは政治が機能しない・・・もちろん、そんなことは誰の目にも明らかだ。生き残った集落は、互いに、独立的に運営されてきた。10年前のルシスの行政上の制度は機能しないし、新しく立て直すにしても、一律に適用するのは難しいだろう。そして・・・恐らくオヴァールとの間に合意があったものと思うが、王は、王室のあり方についても見直しをすると、明言した。評議会の場では、その具体的な内容については一切触れていなかったものの・・・今日になって、慌しく呼び出された側近二人は、衝撃的な内容を言い渡された。すなわち、王室は、その特権と資産とを、極力削減すると。戸惑う二人に、王は言った。「覚えているか? ジグナダスでプロンプトと誓ったことを」グラディオは、ちっ と舌打ちした。「出自に関係なく、平等な国を作る・・・ってあれか。そりゃ、言いたいことは分かるが・・・」「旅の間中考えていたんだ。オレがここへ帰還する意味をな・・・どうしたって、ルシス王室はダブルスタンダードだ。むしろ、オレが帰還しないほうが平等な国が達成できるんじゃないかとも思った」グラディオは、戸惑って、思わずイグニスの顔を見た。見えていないってのに・・・助けを求めるように見てどうなるっていうんだ。グラディオは自分のバカさ加減にいやになったが、しかし、イグニスはその気配に気がついたようだ。「どこの世界にも特権は存在する。それ自体を否定してもしようがない・・・アコルドも、政治家の大半は上流階級の出身者だ。カメリアも例外ではない」と、冷静に説明する。ああ・・・まあ、そうなんだけどよ。ノクトは、わかっているとでも言いたげな様子で首を振った。「だからこそ、だろ。綺麗ごとでは到底、そんな国は作れない。いつまでも、ルシス王家だけは特別・・・って、言ってすませるつもりなのか? 和平会議で・・・オレが言ったことを忘れたわけじゃないよな」民の支持がなければ王位から退く・・・ ノクトは、迷いなくそう言い切った。その時は、イグニスには何も不安はなかった。ルシス王家の権威を疑いもしなかったからだ。しかし、今は・・・イグニスは、自分の心のうちに、ぽっかりと暗い予感が穴を開けているのを感じる。「これまでは、その身を犠牲にして国を守るという建前が、王家の特権を認めさせてきた。・・・これからはそうじゃない。もはや、魔力を失い、障壁で国を守ることもできないルシス王家が、今後、存続するのにどのような意味があるのか・・・あるいは意味がないのか・・・」独り言のような王の呟きに、側近たちは、ドキッとする。「ルシス王家の存在意義が大きく変わることは避けられない・・・それはわかっているつもりだ。だが、王室という象徴が、ルシスの民の心の支えにもなり、誇りにもなっている。民の心に応えてほしい・・・」イグニスの声は、やや苦しそうだった。「誇りか・・・」ノクトは、ぼんやりと呟いた。「大切にしたいとは思ってるわ。ルシス王家を愛してくれている人たちの気持ちをな。お前らのように・・・」王の声は、側近達を労うように穏やかだったが、イグニスと、グラディオは・・・それぞれに、重苦しく俯いたまま、黙った。「あのな・・・」ノクトは、二人を気遣うように、静かに呼びかけた。「綺麗ごとじゃないんだ・・・オレが作ろうとしている国は。誰もが平等なんていうのは、手を繋いで仲良くしていればいいって、そんな単純な話じゃない。アコルドでも、ケルカノでも、ニフルハイムの各地でもな・・・善良な普通の人と人が争う。貴族院のがめついやつらが、世界のすべての不平等を作ったわけじゃない。皇帝イドラも同じさ。大多数の人間が、奴らを支持し、あるいは黙認し、のさばらせていたってことなんだ。同じことはルシスでも起こりうる。暫定居留地の闇のようにな・・・オレは・・・」王の声に、段々と熱が篭る。「オレは・・・筋を通したい。平等や公平なんて、綺麗ごとを並べてもどうにもならない。偏見や差別をなくそうと思えば、強い意志が必要だ・・・だから、オレがまず筋を通す。オレの遣り方が、回りくどいのはわかってる。だが・・・腹を決めたんだよ。ここへ帰ってきたら・・・そうやって、めんどくさいことをやろうって。少なくとも、自分が本当に納得していないことを、あれこれ理屈を捏ねて妥協するつもりはない。だから、・・・お前達にも腹をくくって欲しい」王が、まっすぐな瞳を向けているのを感じる。力強い意思・・・そして、二人への信頼を示している。まったく・・・彼は王だ。もはや、兄貴分の後ろをくっついてくる、頼りなさげな少年ではない。イグニスは黙ったまま・・・ただ、御意を受け止めようと、頭を垂れた。王が、王の頭脳とも言うべき側近たちに、言い渡したのは、王室法規の全般的な見直し。それは、先に述べた王室の特権および資産の大幅な平準化とともに、もうひとつの難題もさりげなく付け加えていた。つまり・・・王家とゆかりのない、出自の分からない者を養子の迎えるための法規を整備せよと。およそ、そのような法規は王室には用意されていない。今このタイミングで・・・と、グラディオは不満をもたらしたが、もはや正式に王が即位したからには、いつまでもアラネアの立場を曖昧にしておけなかった。これまでにも、アラネアの処遇をめぐっては3人の間で言い争うことが多かったのだが・・・視察の後、二人の態度が軟化したのを、王は目ざとく気がついたのだろう。王位継承権以外のおよその権利を実子と同等に・・・ それが王が出した条件だ。「アラネアも含め・・・オレらのこどものことだが、これは和平会議の前にもルーナとよく話し合って決意したことだ。この先、オレらは、どのような政治的理由においても、こどもたちを犠牲にしない」ノクトがそう宣言したのはいつだったか・・・ルシスへ帰還して、割と早い時期だった。ルナフレーナの態度も、あからさまに側近の二人をけん制していた。それ以来、国王夫妻の感情に触れることを恐れて、イグニスもグラディオもなるべく触れないようにしてきた。時間が経つにつれ、なし崩し的に相手が折れることを双方が願っていたに違いない。・・・しかし、王は引かず、なし崩し的に押されているのは側近の二人の方だった。イグニスは、戸惑いも見せつつ・・・しかし、最後には王の命を引き受けた。「困難は付きまとうが・・・やれるだけやてみよう」イグニスは、先ほどまでここで繰り広げられた問答を思い出して、ぼんやりと天井を見上げた。天窓から差し込む光を、辛うじて感じている。グラディオは、放心しているイグニスを心配そうに覗きこんだ。「あいつ・・・まるっきり人が変りやがったな。頼もしくなった面もあるが・・・あいつの支持者を敵に回すことになるんじゃないか。コル将軍が・・・受け入れるとは思えないんだが」「そうだな・・・正直心配はある。レギス様の遣り方とは、明らかに違う。王宮の中では、レギス様は評議員と側近の話をよく聞き入れていた・・・ノクトはまるで真逆だ。どちらかというと、外の声に耳を傾ける。あのやり方は、王宮の中で敵を作るかもしれない。しかし・・・」イグニスは、前を向いて、ふっと笑う。「それも、時代が変ったということかもしれない。いずれにせよ、オレは、最後まで、陛下のそばを離れるつもりない」イグニスの言葉に、グラディオは、はっとして・・・そして笑った。「・・・だな。あいつが、素直に帰ってくるのがそもそも、おかしかったんだ。バカをやろうって言うんなら、最後まで付き合うのはオレらしかねぇか」「助かる・・・悪友がひとりそばにいるだけで、断然心強い」グラディオは、はああ? と声をあげて、イグニスの背中を叩いた。「どうしたよ、軍師殿? 珍しく弱気じゃねぇか。我等が王様の無茶振りにびびってんのか? しっかりしろよ・・・お前なら、誰も文句の言えねぇウルトラCを考え出すって信じてるぜ」それに答えて、イグニスも、不適に笑い、「やたらと大きな期待をされるのも困るが・・・まあ、策はあると思っている」と急に自信のある様子を見せた。「しかし、あれだな・・・戴冠式と婚礼の方も・・・」グラディオが、うんざりした表情をして、再び、ため息を漏らす。「ああ・・・そっちも急がないといけない。いくつか案を見せたんだが、なかなか、首を縦に振らないんだ」「やっぱりそうか・・・」二人は腕組みをして唸る・・・ ノクティス第114代ルシス国王の戴冠式に、ルナフレーナとの婚礼の式典。どちらも、新しく始まるルシス王家の象徴して外せない公式行事だ・・・しかし、ノクトは首を振って、これを許可しない。手間と金がかかりすぎる・・・というのがその理由だ。この緊急時には、形式的な行事に、人や金を割くべきじゃない。戴冠式と言っても、レギスの遺体とともに、歴代の王冠は失われていた。実質的に即位を承認するには評議会があれば十分で、ルナフレーナとの婚礼は王室法規にのっとり、両者が書類に署名をすれば事足りる・・・それはそうなんだが。と、イグニスはもやもやと胸を押さえる。「外交的にも意義があると、説明はしたんだがな・・・」「まあ・・・こっちはオレのほうでもう少し、あたってみる。あいつを動かすには、王宮内の声じゃ、ダメだろうな。イリスを通じてルナフレーナ様の意向も聞いてみよう・・・あとはそうだな。グレース大使やテネブラエの移民たちなら、やつを動かせるかもな」「そうだな。お前にも動いてもらえると助かる・・・とにかく、急を要する案件が多すぎて、さすがに目が廻る」「お前も、ひとりで抱え込むなよ。オレも・・・少しは役に立つさ」グラディオはふふ、と笑って、席を立った。「じゃあ、また後でな」「ああ・・・明日、夜にでも時間をくれるか。王室法規の件、粗いイメージを作ってみる・・・お前の意見を聞きたい」「わかった。こっちも、これから早速大使に会ってくる。明日報告しよう」二人は笑顔を交わして、分かれた。グラディオは、王宮からレスタルムに向かう車に乗り込みながら、方々へ電話をかけた・・・グレース大使は、快く急な面会を了承してくれた。イリスは・・・夜には、グラディオの自宅の方へ来ると言ってくれた。結婚式を数ヶ月先に・・・と準備をしていたはずのイリスは、ノクトの帰国から、急にグラディオのサポートやらルナフレーナの世話やらをして、忙しく立ち回るようになり、結婚式の具体的な計画がストップしていた。あいつのことだから、ノクトが式を挙げるまでは安心できないに違いない・・・ ちっ とグラディオは舌打ちする。意地を通すのもいいが、もうちょっと周囲のことに気を使ってくれてもいいだろ。ルナフレーナ様だって、テネブラエの民衆だって・・・いや、ルシスの国民も、10年の悲願としてこの婚礼を祝福するはずなのに。少しばかりふにゃふにゃしてた10年前の方が、可愛げがあったかもしれねぇな・・・ とグラディオは思う。その一方で・・・いつまでも、ノクトが可愛い弟分の気分でいる自分も、どうかとしてるとは思う。この視察で見たように・・・あいつは、あいつなりに王になったんだ。いよいよ、オレはかしずく時だろうに。グラディオは、目をつぶった。ルシス王家の存在意義・・・それがなくなったら、王の盾はどうなる? グラディオは、底知れぬ不安が、急に沸き立つような気がした。結局、オレは、自分の保身を考えているだけなのか? あいつが覚悟を決めているって言うのに。ふうう、とため息をついた。グラディオは、あ、と思い出して、スマホを取り出し、自宅へ電話をかけた。最近、王都へ留まることも多くなって、週に何回も帰宅できていない自宅だ。そろそろ、王都に引越しをするか、一家ごと王宮内に住み着いてしまおうという話もあるのだが、王都にはまだ、十分な医療施設もそろっておらず、産後落ち着くまでは引越しも難しかった。ーはい? グラディオ?不機嫌な声が出る。昨日・・・夜になって急に帰宅できないと連絡したのが、いけなかったらしい。「おう、オレだ。今晩、イリスがうちに来るから、飯でも用意してくれ。オレも、夕方には帰る」ふううん・・・ 疑り深い声が聞こえてくる。「ほんとだって・・・悪かったよ、昨日は」運転してる部下が、耳を澄ましているのを感じて、グラディオは、声を潜める。ウルスラはもう臨月に入っている。臨月に入ったらそばを離れない、なんて、言っていたグラディオの半年前の約束は、和平会議のせいですっかり反故にされていた。来週には予定日だ・・・もう、いつ生まれてもおかしくない。ーま、期待しないで待ってるわ・・・ぷつん、と冷たく電話が切れた。はああ・・・ グラディオがため息をついていると、ルームミラー越しに、ちらっと部下の視線を感じた。「おい。お前、笑ったな?」グラディオは脅しつけるようにすごんだ。部下は、びくっと体を振るわせて、いいえ、とんでもない! と首を振った。グレース大使は、テネブラエの移民たちが多く住まう地域にいる。テネブラエの民は、移民の中でもルシスの国民から歓迎を受け、この10年、ルシスに馴染んできた。レスタルムのすぐ北、山林を切り開いて作られた彼らの集落は、他の移民たちの集落よりはるかに治安もよく、生活環境が整っていた。これが他の移民たちからは妬みのタネにもなっている。バラックのようなスラム化した最後の移民の地域にしてみれば、その感情はわからなくもない。しかし、ルシスが彼らを優遇しているというのは誤解で、彼らが10年前のあの混乱期の初期に、アラネア隊によって速やかに避難できたことに起因している。多くの市民は、それなりの資産も持ち出してくることでき、生活を建て直すのも難しくはなかった。普通の人たちが争う・・・ グラディオは、先ほど王から聞いた言葉を思い出す。確かにな・・・人々の不満の種は、どこにでも落ちている。グラディオを乗せた車は、山林に囲まれた美しい集落の中心を通り、ルナフレーナが立ち寄りやすいよう改築中の、大使館の前につける。警護隊の車両を見て、通りすがりの市民たちは、みな敬意を示すように頭を下げた。グラディオも、微笑みながら、会釈を返した。レスタルムのスラム街もこんな反応だったら、楽なんだけどな… グラディオはひとりごちながら、大使館に入った。顔パスで門衛の前を通り過ぎると、玄関で早速、秘書官が待ち受けていた。「グラディオラス様。お待ちしておりました」「突然に悪いな」「いえ…ご視察の時には、グラディオラス様とはゆっくりお話もできませんでしたので、大使も喜んでおります」グレースよりも年老いているその秘書官は、もとはテネブラエの王宮付けの執事長だ。ノクティスとルナフレーナの帰国の際には、出迎えの最前列にいた。ルナフレーナの姿を見るや否や、感涙の涙を流して立ち尽くした。さっと、涙を流しながら敬礼した老紳士の姿に、目を潤ませながら駆け寄るテネブラエの女王の姿は、王の帰還を歓迎しに集まった群集にも、感動を与えていた。それに比べてみれば・・・コル将軍の出迎えに対して、ノクトのあっさりした態度。よう、と一言、言って終わり。横にいたグラディオは、呆れて物も言えなかった。コル将軍も、もともと感情は表に出さない人だ。ノクトのあっさりとした挨拶に、ただ、黙って頷くだけだった。その胸にうちには、よほどの感情があったと思うのだが・・・。応接室に通されると、グレース大使がいつものように、シルバーヘアをきっちりオールバックに纏め上げて、人のいい紳士という様子で、笑顔を向けた。「ようこそ、いらっしゃいました!」この10年の間、ほとんど笑わなかった大使だが、ルナフレーナの生存が確認されてからと言うもの、無邪気な笑顔を浮かべるようになっていた。グラディオは、いつものように親密な握手を交わすと、進められるままに向かいのソファーに腰掛ける。「今日はどういったご用件で?」「あの・・・先日の、評議会で、早速うちの陛下が騒がせてしまって」王が王室制度を見直す、と宣言したとき、大使は他の王室支持派とともに、大いに驚かれていた。しかし、グラディオの心配を他所に、大使は清清しく笑っていた。「なかなか、大胆な発言でしたな。正直、度肝を抜かれましたが・・・まっすぐなお気持ちに、心打たれました」グラディオは、不安の一つでも聞かされると覚悟していただけに、初老の大使の楽しそうな笑顔に拍子抜けした。「てっきり、ご不安になられるかと・・・」大使は首を振った。「よくお似合いのご夫婦です・・・ルナフレーナ様も、周囲がはらはらするくらい頑固な方ですのでね。帝国の支配下にあって、帝国政府から派遣された役人に、いつでも恐れない様子でしたので、度々、心臓が縮みました」ははははは・・・ と大使は楽しげに笑った。グラディオは、へぇえ・・・と意外な顔をする。ルナフレーナは、ルシスに入ってから、表立っては政治の舞台に参加していない。自分は、テネブラエの元首であってルシスに干渉するわけには行かない、と、かなり早いうちから、王の側近達に宣言していた。テネブラエからの移民たちだけでなく、広く影響力を持っていると自認しているからこそ、なのかもしれない。「グラディオラス殿・・・どうぞご安心を。テネブラエの民は、どのような状況でも、ノクティス陛下とルナフレーナ様をご支持いたします。王室のあり方が多少変ろうとも、お二人を慕う気持ちに変わりはありません」グラディオは、はっとして、深々と頭を下げた。「それは、それとして・・・ 」と、頭を上げつつ、言いにくそうに切り出す。「今日は、別件でご相談が」ほほお? と、大使は興味津々にグラディオを見た。「実は・・・ルナフレーナ様とのご婚礼の式典なのですが・・・陛下が、なかなか首を縦に振らず」グラディオは、申し訳なさそうに上目遣いに大使を見た。大使は、にこにことしたまま、グラディオの話の続きを待っていた。「しかし、我々としては・・・このままでは大変失礼ですので、ご婚礼は必須かと。どうか、大使からも、ご説得を願えませんか。きっと、テネブラエの人々も婚礼を望まれているはず」ははあ・・ と大使は、ちょっと考えるように、顎に手をやった。「ご婚礼については、ルナフレーナ様も、ノクティス陛下に近いお考えかもしれませんな・・・」と、自信なさげに呟く。「し、しかし、ご婚礼には、外交的にも非常に意義がございますので。 その辺りをルナフレーナ様にもご理解をいただいて」大使は、うーん と、しばし、唸って考え込んだ後、ぱっと顔を明るくした。「そうですね・・・御友人方がその姿を見たいと願うのも無理はありません。私も・・・差し出がましくも、ルナフレーナ様のご成長を見守ってきた者として、ご婚礼は喜ばしい限りです。もしかすると・・・マリアであれば、ルナフレーナ様のお心を動かせるかもしれません」おお、と、グラディオは嬉しそうに顔を上気させた。「お願いできますか?」大使は、笑顔を向けて頷いた。ルナフレーナがその気になれば・・・ノクトも反対はしないはずだ。グラディオは、自宅へ向かう車の中でほくそ笑んでいた。何せ、侍女のマリアは育ての親のようなもの。育ての親が、その艶姿を見たいと願うのは、いくら、頑固なルナフレーナでも、折れるはず・・・よしよし。外堀から固めるか。グラディオはにんまりしながら、顎鬚を撫でた。

Chapter 25.9-オヴァールの憂鬱-

くそ・・・ 誰もいないのをいいことに、口汚く罵る。デスクの前にうつ伏して、苦しそうに唸る。腹の具合が明らかに悪い。さっきから、絶え間なく腸がぐるぐると音を立てている。あああ・・・ うめき声を漏らしながら、オヴァールは顔を上げた。デスクの上に見えるのは、並んだ写真たて・・・最初の妻との間にもうけた、もうすうぐ成人を迎えるひとり娘の写真がその中央にあり、すがるように手に取った。そういえば、昨日、着信が入っていたんだ。視察の間は忙しいから、かけてくるなと言ったのに。娘は、だいたい月に一度、電話を駆けてくる。オヴァールに媚を売るように、可愛い声を出しながら、お小遣いをねだる。そのあからさまな猫なで声に、すっかり狡猾な女に育ってしまったと頭ではわかっても、つい頬が緩む。今、唯一、身内と認識してくれるこの子だけだろう・・・そんな娘も、金の切れ目が縁の切れ目なのかもしれない。自分が市長から転落したら・・・あるいは、事業がうまくいかなかったら、それっきり電話もよこさないかもしれない。そう思いながらも、電話があれば、いつでも浮ついた声で答えてしまう・・・オヴァールは、なんだか虚しい気持ちに襲われて、写真たてを元の位置に戻した。この娘の母親とは、離婚して以来、ほとんど口も利いていない。娘を通して、時折近況を知るくらいだ。再婚はしていないようだが、オヴァールを毛嫌いして、できるだけ接触したくないという強い意志を感じる。今思えば、聡い女だった。オヴァールという男の性質をよく理解していた。そして、13年という結婚生活を、経営者の妻として卒なくこなしていた。夫婦の間に、早々に情熱が失われていたとしても、生活に何か不都合があるとは思わなかった。妻から切り出された離婚の話は、オヴァールには寝耳に水だったのだ。2番目の妻との写真も、さがせば一枚くらい、飾ってあるはずだ・・・結婚期間が1年と短かったから、飾ってあるのも、結婚した当初、この市庁舎の前で撮影したものだろう。それは、市長選挙公示の前日だ。若くて美しい女だった。ルシスの実質的な実権者となるレスタルム市長の夫人となれば、きっと、華々しい生活を想像していたに違いない。実際には、市長就任後、ほとんど相手をする時間がなかった。時折、公務に同伴させたときは、華美に着飾って周囲の反発を受けた。オヴァール自身はそれを咎めたことはなかったのだが、当人は周囲の冷ややかな反応を悟ったのだろう・・・波が引くように、さっと離婚申請の書類に署名をして出て行った。しかし、朝、役所の会議に出る前に見つけたその書面を見て、心から安堵したのはオヴァールの方ではなかったか・・・概ね、順調だったんだ。オヴァールは自分に言い聞かせた。失敗と言うほどのことは起こらなかった。2度の結婚だって・・・特別、大きな痛手はなかったはずだ。事業は年々、2桁の成長を続ける。一番のピーク時は・・・はじめたての事業の例ではあるが、1年で事業規模が倍となったものもある。事業だけではない。自分の地位も・・・父から受け継いだ、お愛想の商工会の理事から、理事長、業界団体の代表・・・そして、市議会員と上り詰めて、今は、ルシス最大都市の首長までになった。なるほど・・・神凪のような熱狂的な支持者はいないかもしれないが、その支持率は、常に安定し、年々、じわじわと強固になっていく。政治家も実業家も、アイドルである必要はない。多くの市民の目には、狸と映って構わない。その道にいる者たちに、一目置かれていればそれでいい・・・この視察だって・・・ とオヴァールは思い出す。右も左もわからないような、ルシス王家の御曹司が、自分の手腕を頼ってきたのだ。そして、迎えるレスタルムの実力者達も、視察先へ組み込まれようと必死にオヴァールへコンタクトを取ってきた。いわば・・・オレは、この国の有力者を取り仕切るハブだ。このオレを通さねば、話ができない、と、言わしめたのだ。昨日までは順調だったんだ・・・そうとも。王やその娘の奇行が、時折、周囲の冷笑を誘ったりはしたが、それでも、決められた行程をこなして、レスタルムの多くの有力者を、王に引き合わせた。自分はどこまでも節度を保った。呆れたり、バカにする代わりに、ホストとして彼をもてなし、そして時には、嗜めもした。・・・あの男はバカみたいに素直に、オヴァールの言葉に耳を傾けていた。しかし、それは、単なる見せかけだったのかもしれない。無知に見せかけてこちらを安心させる腹だったのかもしれない。オヴァールは、いつのまにか、親指の爪をかんでいた。考え事をしているときに、出る癖だ・・・ だいたいは、悪いことを考える時に。う・・・ オヴァールは胃が痛くなるのを感じて、下腹を押さえる。昨夜から今朝にかけて起こったことを思い出そうとすると・・・そうなる。ルシス王が暫定居留地に潜入したと聞かされたのは、深夜2時ごろではなかったか。カーテス警察署の署長から連絡が入ったと秘書が告げたのと、イグニス補佐官がいつになく凄みのある様子で、オヴァールの居室に押しかけてきたのとがほぼ同時だったろう。イグニス補佐官は、口では謝罪を述べながら、どうにも取り付く島のないような強硬な姿勢で、淡々と、王の潜入について説明した。地域の、実情を知るため・・・? オヴァールは呆気にとられて、イグニス補佐官の口上を聞いていた。殺人事件が週に数件は起きて、そのうちの8割は犯人の目星もつけられないまま放置されている地域だぞ・・・グラディオラス隊長は、オヴァールの意見など聞く前に、王都の警護隊に召集をかけていた。本来なら、まずは、オヴァールに一声かけ、オヴァールを通してレスタルムの防衛隊幹部と協議を行うのが筋だろう・・・それが、ドヤ顔で一言、召集の事実を告げただけだ。詫びる様子も、悪びれる様子もない。王の盾だかしらないが・・・なんと、礼を欠いた態度だろう。オヴァールは怒りでどうにかなりそうだった。呑気に危険地域に潜入したバカのために、何故オレが振舞わされないといけない?緊急性が高い・・・と、彼らは、言う。緊急性だって? そりゃ・・・いつ、人が殺されてもおかしくないような地域へ足を踏み入れて、緊急性も何もないだろうが。悪態をつきたいのを、懸命に堪えていたのが、自分でも、なんとできた大人だろうかと思う。もはや、オヴァールが何かを覆そうにも、事態は動いてしまっている。オヴァールに出来たことといえば、全くの不本意だと声を荒げながら、しかし、その実、彼らの言いなりに警察署と防衛隊に連絡を入れたことだ。後の対応は自分たちが・・・ とイグニス補佐官が、態度だけ慇懃に頭を下げたのを、かちん、と来て、「レスタルム視察の責任者は私だ。私も同行する」と思わず申し出てしまった。二人の王の側近は、大層驚いた顔をした。しかし、さすがにそこは異議を申すことはできなかった。ふん・・・ オレが怖気づいて、あの地域へは近づかないとでも思っているのだろう・・・ ふざけるな。お前らだけで、話をされては困るんだ・・・ところが、市長の専用車でカーテス警察署まで来ると、いつの間にか並走していた王の側近達の車は見えなくなっていた。警察署長が血相を抱えて玄関まで出迎えていうには・・・王が姿を消したということだ。どうやら独りで、警察署を出たらしい。なんだと?! オヴァールは言葉を失う。慌てた秘書が、王の側近達に連絡を取るも、誰も通信に応じない。青くなる警察署長を前に、オヴァールは放心した様子で首を振った。「あいつらは・・・あいつらでなんとかするつもりなんだろ・・・放っておけ」力なく言い放って、白み始めた空をぼんやりと見上げた。そこから、あいつらを待つこと1時間・・・ 警察署の粗末な応接室でじっと待ったが、落ち着かずに何度もトレイに立った。あまり掃除の行き届いていないトイレの、洗面所のまえの曇った鏡で、自分の顔を見た。げっそりと頬がこけて、目の下にクマが浮き出ている。なんという酷い顔だ・・・ 情けない気分で、鏡を見つめる。お前は・・・お前は、レスタルム市長だ。この闇の時代を、人口3000万もの群集を、飢えさずに生き延びさせた。それだけじゃない・・・インフラを維持して、これまでの快適な生活を続けたいという人々の欲求を満たし、経済を停滞させることもなかった。新規事業も数多く生まれ、技術開発さえ目を見張るものがあった・・・疲弊していく諸外国と違う。ルシスは・・・発展を続けたのだ。血の気の多い連中が、シガイ相手に血眼になっている間、生命線となる電力を一度も枯渇させることなく・・・むしろ発電量を増やし、拡大する都市の隅々まで光を届けさせたのも、この、オレだ。胸を張れ、オヴァール。あの若造など気にかけるな。そしてあの取り巻きたちも・・・やがては頭を冷やす。時代錯誤に英雄を担ぎ上げても政治はまわらない。サラブレットは、所詮、帝国との戦争でのみ力を発揮する競走馬でしかない。夜が明けたこの世界で必要なのは、腕力ではない。知略なのだ。自分に言い聞かせて、オヴァールの表情は、少しだけ生気を取り戻したように見えた。その時、外が騒がしくなったのに気がついた。やつらが戻ったのか。心を平静に保ち、やつのペースに飲み込まれるな・・・自分に言い聞かせて、ゆっくりとした足取りで廊下へ出る。応接室より下のフロアで、なにやら言い争う声が聞こえる。オヴァールは、声のするほうに誘われるまま、階段を下りた。すぐに、警察署長が、王の側近達に詰め寄る姿が見えた。いや・・・実際には、その最前列にいた王に詰め寄っていた。二人の大きな側近の背中に阻まれて、見えていなかっただけだ。「おい・・・」オヴァールは、できうるかぎり冷静に、声をかけた。言い争っていたやつらは、はっとして、オヴァールの方を振り返った。その時、あの・・・若造だけは、なぜか不適に笑って、オヴァールを見ていた。くそ・・・ オヴァールはもう一度、汚く罵る。あのクソめ! 政治も、ビジネスも何も分からない、阿呆が!「オヴァール、ちょうど良かった」飄々として、王は言ったのだ。「ここの元締めには話をつけてきた・・・今回の件は大事にしたくない。少年のいたずらとして処理する。いいな?」は? オヴァールは要領を得ずに、首をかしげる。警察署長は、顔を赤くしたり、青くしたりしながら、何事かをまくし立てていた。くううううう・・・オヴァールは、頭痛を感じて、額を抑えながら唸った。俯いた視界に、机の脇の小さなゴミ箱が入った。捻りまげられた朝刊が、そこへ押し込まれていた。”ノクティス陛下の視察中止。暫定居留地にて、不信な爆発物を発見”その見出しが、ありありと脳裏に思い浮かぶ。”犯人はすでに自首。地元少年二人組みと断定。爆発物は殺傷能力は低く、少年達のいたずらとして、警察は捜査中”まさに、王と警察署長が言い争っているときだろう。明け方になって、新たに二人の少年が警察署に出頭してきた。署長は、いやがおうにも言い争いを中断して、一行の前から離れていくと、王は今度はオヴァールに向き合って、二人で話がしたいと言い出した。オヴァールは、主導権を握られまいと、堂々と応じて、応接室まで彼を連れて行った。そうとも・・・あくまでも、主導権はこちらにあったのだ。「この地域の住民に、ヤクと銃器の代わりになる事業を起こしたい。事業計画を立ててくれないか。それと・・・投資して欲しい。市長としてじゃない。貴方は資産家だろ。人助けと思って、この地域でも雇用を生み出す事業に投資をしてくれ。双方に利益はあるはずだ。レスタルム市が、彼らを難民として抱え込むよりも、遥かに経済効果が高いだろ」もはや汚らしく汗にまみれた様子で、流浪人にしか見えないというのに、まったく自分では無頓着だ。自分の言葉は、どこまでも王の言葉だと思っているのだろうか。しかし、一方で、単に無邪気なようにも見える。「この町の有力者とは繋がれた・・・いわくつきの奴らだがな。必要なら紹介してもいい」こどものように目をキラキラさせ、楽しそうに身を乗り出してきた・・・ オヴァールは、徹夜で朦朧とし始めた意識の中で、呆然と彼を見ていた。ジリジリジリ・・・ 折りたたんでベッドの上に放置されていた携帯電話が、振動して、オヴァールは我に帰った。オヴァールのプライベート用の電話だ。もう一つの、仕事用の電話は、もはや、鳴り響く電話に応対できず、秘書に預けていた。こちらの電話の番号を知るのは、ごく親しい身内だけだ。娘だろうか・・・ オヴァールは、ちょっと躊躇った後に、そっと手を伸ばした。小さなモニターに表示されているのは、しかし娘の番号ではなかった。ため息をついて、それから、もう一度ベッドの上に放り出す。こいつもしつこいな・・・ カーテス警察署が今朝、記者会見をしてからずっとだ。いつもは、お互いに愛称で呼び合い、酒を飲みながら気楽に下世話な話を楽しめる間柄であったが・・・今は、オヴァールの勘が、彼との接触を回避させていた。ジスキン・・・アコルド出身のその商売人は、この10年の間でもっとも成功した経営者のひとりであろう。彼がその表向きの成功の裏で、ひそかに帝国マフィアと交流しているという噂は、かなり前からあった。親交を深めつつ、警戒は怠らなかった・・・ 最後の最後で一線を引いた、その判断はやはり正しかったのだ。もし、その深部に足を踏み入れていたら・・・ヘタすりゃ、暗殺されていたかもな。王がマフィア達と接触した事実を、ジスキンは掴んだに違いない。探りを入れようとしているのか。それとも・・・王に接触しようとしているのか。場合によってはすべて明るみになるだろう・・・その鍵は、今は、王とその側近達が握っている。うううう・・・ オヴァールはまた、胃に痛みを感じて身をかがめた。腹を決めろ、オヴァール・・・ このままでは自分も巻き込まれかねない。しかし、王はマフィアから守れらるだろうが、このオレはどうだろうか? マフィアたちにとってみても、マーケットを支配する実業家より、無知な王様のほうが扱いやすいだろう。それに、資産家の市長が暗殺されるくらいでは、さほど世間も騒ぐまい。利権に絡んだ不幸な事件など・・・ありふれたドラマのひとつに過ぎない。オヴァールは、窓から外を眺めた。市庁舎の最上部にある彼の部屋からは、夕日の中の美しいレスタルムの街が一望できる。オレがつくり・・・オレが守ってきた街。市庁舎のすぐそばの広場で、小さな子ども達が駆け回っているのが見えた。そうとも、この光景・・・平和で、幸せな市民達の姿。オヴァールは、ふっと・・・体の力が抜けるのを感じた。そして、胸を張ると、その胸にそっと手を当てる。ノクト・・・ 遠慮がちに呼ぶ声が聞こえる。うううん・・・唸りながらベッドの上に寝返りを打った。さっき・・・たしか、アラネアがベッドにもぐりこんできて、クソ熱いな、と思っていたのだが、今は誰もいないようだ。「ノクト。悪いが、起きてくれ」耳のそばで、イグニスのはっきりとした声が聞こえて、ノクトはそろりと瞼を開けた。近くの窓から、日の光がさすのがわかった。「何時だ・・・」「もうすぐ16時だな」「今日はこのまま、眠っていてもいいだろう・・・」ノクトは、毛布に顔をうずめる。「オヴァール市長が呼んでいる。どうしても、話がしたいそうだ」え? ノクトは唸って、どうしようかと考える。どうせ、抗議をしにくるんだろう。「何もいまじゃなくていいだろう・・・王都に帰ってからでも」「オレもそう言ったんだが・・・ちょっと、いつもと調子が違うようだった。腹を割って話したいと、食い下がってな」ふうん? ノクトは好奇心が沸き起こるのを感じて、ゆっくり体を起こした。大きなあくびをしながら、伸びをする。「・・・たいして寝てねえな」市庁舎の戻ったのは確か、昼前だと思うが、それから倒れこむように眠ろうともくろんでいたノクトの思惑は外れて・・・イグニスとグラディオから激しい叱責を受けた。他の者達の前ではちっともそんな様子は見せなかったのに、二人は内心、相当に腹を立てていたらしい。この無謀な潜入を許可はしたものの・・・単独行動に出るとは、何事だ、と。「お前の無謀な行動のおかげで、若い隊員が命を落としたかもしれないんだぞ?!」グラディオの怒りは酷く、今にも殴りかかってきそうだった。イグニスは、それよりは言葉少なだったが、ひとつひとつが感情の困らない冷たい口調で責めてきた。「ここまでお前を信頼したが・・・正直裏切られた気分だ」おおお・・・ ノクトは、何の言い訳もできず、ただ反省を示すために床に正座をしたものの、意図せず、疲労感に襲われてすぐに、舟をこきだしてしまった。いや、わるい・・・ほんと、わるい・・・グラディオとイグニスの叱責は、しばらく続いた・・・いや、ノクトの意識があった間は。やがて、イグニスが諦めたようにため息をついたのが聞こえた。「続きは、王都へ戻ってからにしよう・・・これでは意味がない。少なくとも、明日以降の日程も中止をしないと決めた以上は、今日は休まねばな」おい、怒りが収まったわけじゃねえからな!グラディオは、ダメ押しに一度怒鳴ったが、ノクトはほとんど朦朧としていた。それから、シャワーを浴びてベッドにもぐりこんだのは、13時近かったろうか。3時間程しか寝ていない・・・それでも、少しは頭もすっきりしていた。「オヴァールも、寝てないんじゃないか」「だろうな。方々から問い合わせが入って、対応に追われているはずだ」イグニスの声は、とげとげしかった。「じゃあ・・・会って来るか。まあ、迷惑もかけたし、小言でもなんでも、聞いとくか」と、ノクトは反省を見せようと、慌てて言葉を繋いだ。わかった、と、イグニスはベッドサイドから立ち上がったが、サングラスの奥で、目が笑っていない気がする。「・・・そういえば、アラネアは?」「市庁舎向かいの広場で遊んでる。グラディオがそばについてるから心配はない。実は、昼過ぎにこの間の視察先の中央小学校の児童が、市庁舎まで遊びに来てくれてな」ああ・・・ とノクトは、3日前に訪れた学校のことを思い出した。アラネアは早速本領を発揮して、授業に混じったかと思えば、休み時間に地元のこどもたちとずっと遊んでいたのだ。「そいや、仲良くやってたな。どうだ、あの学校? そのうち通わせようかとも、思ったんだが」イグニスは、一瞬動きを止めた。やば・・・また、機嫌を損ねることを言ったろうかとノクトがはらはらしていると、イグニスは、思い直したようにふっと笑みを浮かべて、振り返った。「そうだな・・・検討の余地はあるかもしれない」それから、市長を招くために、寝室を出て行った。扉がパタン、と閉じて、ほっ・・・とノクトは胸を撫で下ろす。しばらくは、怒らせないようにしないと・・・。それから、のらりくらりと衣服を着替えた。潜入に使った服はどこかに消えていて、きちんとしたシャツと黒いスラックスが、サイドテーブルの上に用意されていた。鏡の前で、ちょっと髪を撫で付けて、寝室を出る。短い廊下の先が、スイートルームの応接室だ。イグニスは応接室の入り口に直立不動の姿勢で立っていた。応接室のソファには、疲れた様子のオヴァールが腰掛けて、ぼんやりと窓の方を眺めている。ノクトが入ってくると、オヴァールは立ち上がって、「お疲れのところお呼びだてして申し訳ございません、陛下」と慇懃に頭を下げる。その様子に覇気がないので、ノクトは面食らって、「いや・・・こっちこそ、いろいろと悪かったな・・・」と、歯切れの悪い言葉を返した。オヴァールは、力なく首を振りながら、「どうです・・・テラスにでて風にあたりませんか」応接室の正面に開かれている、広いテラスの方に顔を向けた。「ああ・・・いいな」ノクトは、弱々しいオヴァールの姿に罪悪感を覚えながら、おずおずと彼の背中に続いた。テラスは、オヴァールの言うとおり、気持ちの良い風が吹き抜けていた。夕日に輝く街の様子が一望できる。その日は・・・だいぶ傾いて、あと少しで沈んでしまいそうだ。きゃっきゃと、こどもたちの笑い声が、風に乗って運ばれてきた。アラネアたちかな・・・ ノクトは目を凝らしてみたが、その姿は見つけられなかった。オヴァールは、テラスの手すりに手を突いて、街並みに視線を向けていた。「腹を割って離したいと、そう、おっしゃったでしょう」「ああ。言ったな。評議会のときだったか・・・」ノクトも、彼の横に立って、同じように街並みに目を向けた。「では・・・ここには今、二人だけだ。腹を割りましょう。いいかな・・・正式な発言ではない。ひとりの人間としての、ガチの腹を割るんです。どうです?」「頼むわ。王だとか、市長だとかなしでな」「いいでしょう・・・」それから、ふっ・・・ と息を漏らすのが聞こえた。躊躇いなのか、覚悟なのか・・・ノクトは静かに男の言葉を待った。「貴方は言いましたね・・・評議会で権力闘争をするなと。これはね・・・権力闘争じゃない。いや、確かにそうでもある。でも、単純な話じゃないんだ。見なさい、この街を・・・奢っていると思われても構わないが、この街を・・・この私の手で築いてきた。普通の奴らではできないんですよ。いいですか。普通のやつらはこう考えるんだ・・・この危険な時代。ただ、生きられるだけでいい。安全こそがすべてだ、と。でも違うんです。いいですか。生きるということは、常に変り続けるということだ。人も、街も、国もね。停滞することは許されない。変り続けなければ・・・それは死人も同然です。そう・・・いわば、シガイですよ。我々は、変りたがってるんですよ。それが、生きるっていうもんです」オヴァールの持ち上げたこぶしに、力が篭っていた。ノクトに話しかけるというよりは、夕日の中に燃えるレスタルムの街に呼びかけていた。「この街はね・・・私の夢なんです! 私はここで成し遂げたいことが山ほどある! そのために市長をしている! 自分の夢を実現するために、評議会でも闘う! 貴方とも!」「いいじゃないか・・・」ノクトは、ぼんやりと答えた。オヴァールは・・・ムッとした様子で、振り上げていたこぶしを下ろした。「いや、嫌味でもなんでもないさ。あんたのことは、尊敬しているんだ。今回の視察で、ますますな・・・ オレはニフルハイムで荒野を見てきた。アコルドの街も見てきた。あんたのいう通りだ・・・このレスタルムは奇跡だ。その奇跡を起こしたのは、ルシス王家じゃない。あんたと・・・ここに生きる民だ」「貴方は・・・」ノクトは、ちらっと後ろを振り返って、イグニスを見た。イグニスは、先ほどの位置のまま、じっとしている。この場をノクトに任せてくれているのだろう。ノクトは、腹を決めたようにオヴァールの顔を見た。「いいか・・・これはオレ個人の考えだが、あんたが前に評議会に出した、連邦制度は一考の余地があると思っている」オヴァールは目を見開いて、食い入るようにノクトの顔を見た。「ニフルハイム連盟の成立に立ち会ったとき・・・実はオレの頭にも同じ構想があったんだ。魔高炉の共同管理と同様に、カーテスの熱源もルシス全土の共同資産として管理できないかってね。あんたも、まさか、ここのエネルギーをレスタルムだけで占有すべきとは思ってないよな?」「もちろん・・・それは心得ています。私とてね・・・ルシス全土の復興は、自分の夢のうちですよ。王都も廃墟のままにしておきたいとは思わない。しかし・・・可能な限りの自治は維持したい」「それにも、異論はないさ。もとより・・・オレは、細かく指図するのは面倒だし、いちいち全部面倒を見るなんて無理だと思ってる。ただな・・・王室の存続については、確かに、いまだにルシス王室を心の支えにしている人間はいるんだ。良いか悪いかは別としてな・・・その気持ちは踏みにじりたくない」オヴァールは、頷いた。「それは理解できます・・・王室の完全撤廃は、明らかに混乱を招くだけでしょう」「ああ・・・オレ個人の問題じゃなく、ルシスの民を分裂させる危険がある」「わかりますよ、わかりますが・・・だからと言って、王室の復権を望む連中は、どうかしてる。10年以上前の、威光にすがろうなんて、私から言わせれば、正気の沙汰ではない」ふふふ と、ノクトは思わず笑いを漏らした。オヴァールは、しばし、熱が入りすぎたと恥じている様子だった。顔を赤らめて、頭をかく・・・「・・・失礼しました。貴方が権力に固執していない善良な一個人だということは、私もようやくわかりました。別に、貴方個人を責めようというのではない。しかし・・・そう、いいか悪いかは別として、貴方と奥方は、このルシスでやはり影響力を持つのです」「それを・・・無力化したいか?」ノクトは、いたずらっぽく笑いながら聞いてみた。オヴァールは、一瞬、唸ったが、やがて首を振った。「そう思ったときもありましたがね。いや、これからも何度もそう思うかもしれませんが・・・たった今の正直なところを申しますとね」そして、大きなため息をつく。「・・・貴方のその影響力も、私は利用したいと思っていますよ」へええ、 とノクトは驚いて見せた。「利用するだけの価値があるって、認めてくれたのか?」やれやれ・・・ どこまでも無邪気なノクトの反応に、オヴァールはあきれ返っているようだった。「今回、少々、乱暴な遣り方で、暫定居留地の突破口を開いたでしょう・・・とてもほめられた遣り方ではないが、ぼやいても仕方がない。サイはなげられた・・・引き返すことはできない。だが、貴方の言うとおり、チャンスとして捉えられなくもない。貴方のお申し出、引き受けてもいい。ただし・・・私のシナリオを受け入れていただければ」「なんだ?」ノクトは、ちょっとだけ、警戒した様子を見せて、オヴァールを見た。オヴァールは動じず、その顔は真剣だった。「王都に戻られたら、臨時の評議会を召集なさい。そこで・・・私は貴方の手腕を認め、早期の即位を提案する。私が提案すれば、反対者は出ない。貴方は間もなく王位につく。その後、すぐに評議会を正式承認していただきたい」「その後は・・・?」「もちろん、それで終わりではありません。評議会が正式承認された後、私はレスタルムの住民投票の実施を要望します」「住民投票?」「そうです。いいですか・・・これは、調査目的です。はじめは、効力を持たせなくても結構。今後議論を促進するための下調べといえば、反対する者も少ないでしょう。問うのは、レスタルムの独立です」さすがにノクトは押し黙ったが・・・しかし、すぐに、にやっと笑い返した。「あんたの提案に賛同する。何も裏取引の必要はないだろ。評議会で堂々と提案してくれ」オヴァールは、じっと怖い顔でノクトを見ていたが、やがて、つられる様に、にやっと笑った。

Chapter 25.8-非公式会談-

あちこちで鳴り響く電話。取り次ぐものは、みな、なぜか怒鳴っている。並べられた机には、どれも、雑念と書類が積み重なっていた。やすっぽいコーヒーの匂いを漂わせながら、しばしの安らぎを得ようと、疲れきった署員が机の前に座る。積みあがった書類の前に呆然として、コーヒーカップを置く場所もない。「あの・・・」女性職員が近づいてきて、おずおずと二つの汚いマグカップを小さな机に降ろした。泥色をした、いかにもインスタントなコーヒーが、カップ一杯まで注がれていた。「すみません、こんなものしか」「いや、お気遣いありがとう」ノクトはそういって、あまり美味しくもなさそうなコーヒーに手を伸ばしたが、さっと、ナナが横からノクトのカップを取り上げて、一口飲んだ。 「問題ありません・・・どうぞ」無表情のまま、口をつけたカップをノクトの前に戻す。女性署員は、何事かを悟って、かっと怒りの表情を浮かべた。「ここは・・・警察署ですよ?」「お気にせず。事務的な手続きです。私の職務ですので」ナナはやはり感情もなく応えた。女性署員は明らかに憤慨した様子で、それでも、ささっとノクトにだけは頭を下げて、二人から離れて行った。そういやぁ、市場でメシを食べたときも、ノクトより先に全部の皿に手をつけていた。やけにがっつくと思ったが、そういうことだったのか・・・ノクトは、ちょっと感心して、ナナの顔を見ると、「職務ご苦労さん」と笑いながら、毒見の終わったマグカップのコーヒーを飲んだ。思ったとおり、香りが殆どしない泥水みたいなインスタントだ。それでも、この殺伐とした署内では、ほっと一息つくのに欲しくなる。ぶぶぶぶぶ・・・胸元に振動を感じて、手を突っ込んだ。スマホが受信を知らせている。イグニスか・・・「どうした?」ー今からそっちに向かう。オヴァール市長も一緒に来ることになった。警護隊の応援部隊も引き連れて向かう・・・分かっていると思うが、市長は顔を潰されたと、カンカンになってるぞああ・・・ とノクトはため息をついて「今からって・・・どのくらいでつく? 警護隊を動かすんじゃ、結構時間がかかるだろう」ーそうだな・・・早くて2時間というところか「わかった」ーおい・・・警察署を動くな「了解」ノクトが話をしている間に、ナナのスマホにも連絡が入って、はい・・・はい・・・となにやら神妙に話を聞いているが、音がもれて聞こえたその声は、多分グラディオだろう。時折、ちらちらとノクトの方を見ながら、明確で短い返事を返している。「承知しました」ナナも電話を切った。「グラディオか?」「そうです。陛下より目を離すなと」ナナは正直に告げた。ふん・・・ とノクトは鼻を鳴らし、「じゃあ、とことん、付き合えよ・・・」と立ち上がった。ナナは「動くなといわれています」と抗議したが、王は取り合わずに首を振った。机の上には、変装に使ったサングラスと付け髭が、無造作に置かれていたが、とりあえず高そうなサングラスだけを回収して胸ポケットに納めると、奥のデスクで部下と怒鳴りあっている署長の席の方へ向かう。署長はノクトに気がつくと、しばし怒鳴るのをやめて、いかにも煩わしいという表情を向けた。「何か御用でも?」「さっきの件・・・時間もないので、すぐに頼みたい。10分・・・いや、5分でいい」むむむ・・・ と署長は怒った顔をして黙った。体よく断ったつもりだったのに・・・「わが国の捜査権については先ほどご説明をしたはず・・・」「さっき側近にも確認したんだが、テロ事件は広域捜査権が適用されるそうだな。いずれ警護隊に、捜査権が移管されるんだろ」ぐっ・・・ と署長は言葉に詰まって、それから、忌々しそうに歯軋りをする。「・・・まだ、テロ事件とは断定されていない」「未成年の取調べを弁護士の同伴もなしに実施して、明日の公式発表までに必要なことは全部吐かせたってことだな?」署長は、顔を真っ赤にして、怒りを露にした。しかし・・・相手はまがいなりにも一国の元首。自分で気持ちを落ち着かせようと深呼吸をしている。それから…弱々しく首を振った。「…警護隊に捜査権を移管しようがしまいが、陛下を立ち合わせること事態が、超法規的措置になります。その点は、しっかりご認識いただきたい」「わかってる。処罰が必要ならうけるさ」ノクトは軽く応えた。署長は、飽きられめた様子で、先ほどまで怒鳴りつけていた部下の方を向いた。「陛下をお連れしろ・・・5分だけだ」わかりました・・・ 部下の男は、目配せをしてついてくるようにと合図した。部下の男に続いて、ノクトは騒々しい事務所を出て、殺風景な警察署の廊下を進む。今夜の事件のせいで、ひっきりなしに刑事たちが廊下を行き交い、廊下の窓から見える外の様子も、パトカーがいったりきたりと騒がしかった。部下の男は、廊下を曲がって、奥まったところにある取調室に入った。入り口の守衛が、刑事に向かって敬礼をした。それから不思議そうにノクトとナナを見る・・・「取り調べの協力者だ。3号室に入るぞ」はっ・・・ と守衛は短く応えて、受付からさらに奥に入るための格子戸を開いた。なかなか厳重だな・・・ ノクトは刑事の後ろに続きながら、取調室の廊下に入る。小さな部屋が10個ほど並んでおり、飛び飛びにいくつかの部屋に明かりが灯っているのが見えた。第3号室・・・と、札が出ている部屋の前に止まって、刑事はしばし、中の様子を伺った。ノックをして、扉を半分だけ開く。「ちょっと邪魔するぞ・・・お前に面会だ」それから、くいっ とあごを振って、ノクトたちに入るよう促す。ノクトは、狭い扉を刑事を押しのけるようにして中へ入った。窓のない小さな部屋・・・殺風景な白い空間に、灰色の味気ない机が置いてあり、その前に少年が、いかにも反抗的な態度でパイプ椅子にふんぞり返っていた。ノクトが入ってくるのを見ると、あっ・・・ と驚いた顔をした。「てめぇ・・・」「忙しいところ悪いな」ノクトは取調べ中の刑事ではなくて、少年に向かって言った。取り調べていた刑事は、ノクトに席を譲って、少年の向かい側に座らせた。明るいところで見ると・・・少年のあどけなさと共に、酷く落ち窪んで淀んだ瞳がよく見えた。左眉毛が、何か傷なのか、半分ほど剃られてなくなっており、鼻と唇に、いくつもピアスを通していて痛々しい。短く借り上げた髪の、こめかみの辺りに、刺青まで見える。こりゃ、ホンモノだな・・・ ふと、チパシの愚連隊くずれを思い出した。今思うと、あいつらは全然可愛かったなぁ。ノクトの顔にふと笑が浮かんで、少年は自分がバカにされたと思ったのだろうか・・・きっ とノクトをにらみつけると、ぶっ と唾を拭きかけた。両腕は手錠がかけられていて、パイプ椅子に縛り付けられていた。そうでなければ殴りかかっていたかもしれない。2度目のことなのでノクトは驚きもしなかったが、脇にいた刑事が このガキっ! と声を荒げて腕を振り上げる。ノクトは慌ててその手首をがっ と抑えた。意外にも力強い王の手に、刑事は驚いて、ギョッとした表情を向けた。「落ち着けよ・・・頼むからオレの前で違法行為はやめてくれ。言い訳ができないぞ」それから、頭につけていたバンダナをはずして、つばを拭く。バンダナはすっかり汗臭くなっており・・・もちろん自分の体臭なのだが、ノクトは顔をしかめた。「・・・さてと、時間もないし、さっさと話を済ませてしまおう、レオ」気を取りなして、少年に呼びかけた。少年は、ふんと、目をそらした。「オレらが校舎の巡回に入ろうとしたとき、2階から慌てて飛び出してきたろう。中に誰かいたんだな?」二人の刑事たちが、ノクトの背後で顔を見合わせているのが分かった。レオは、硬く唇を閉ざしたまま、目を合わせようとしない。「だんまりもいいんだが・・・ここの警察がでっち上げをしなくてすむよう協力してくれ。お前が非協力的だと、そんなことにもなりかねない。ああ、それと・・・オレはまだ、王として正式に承認もされていないし、お前が不当逮捕されても手出しは出来ないから、あんまり期待するなよ」余裕を見せつけて、ちょっと脅しをかけてみるが、レオはまったくこちらを見ようとしなかった。ふん・・・ とノクトは頭を巡らせて「ところで・・・よくオレの顔が分かったな? 学校の授業で写真でも見せられたか?」と、頬杖をつきながら、のらりくらりと聞いてみた。レオは、へっ ・・・とバカにするように笑った。「そのアホ面なら、すぐに分かる。それに・・・つば吹きかけりゃ、家来の反応ではっきりする」「へええ、頭いいな」ノクトは感心して見せた。「それだけ頭が回るなら、この状況もわかるな。つまらない盗みだけなら、数日、豚箱に突っ込んで、その後お前のママに引き渡せばそれですんだんだ。ところが、お前が忍び込んだ部屋から、爆発物が見付かった。手製の爆弾だ・・・普通は、ガキが作れるようなしろもんじゃない、と考える。が、お前たちは銃を所持していた。銃が入手できるなら、爆弾も手に入るかもしれない・・・」レオは、険しい顔をして俯いたままだ。「テロリストとして捕まれば、未成年者でも簡単には出てこれない。審議だけでも数年かかる・・・そのあと、刑期は10年単位だな。10年か、20年か・・・裁判所のさじ加減だろう。ムショでの10年・・・長いぞ。オレも似たような経験がある・・・10年の空白だ。帰ってきたら、すっかり老け込んでいるし、世界は様変わりしてた。幸い、古いダチがすぐに見付けてくれた。そうでなければ、右も左も分からずに路頭に迷ってたろうな」けっ・・・ とレオは、横を向いて「10年なんて・・・どうせ、町にいても生きてねぇよ」と吐き捨てるように言った。「ふうん。お前ら、それだけヤバイ連中と付き合っているということか・・・テロリストへ協力してるって自覚があるんだな?」レオは、びくっと体を震わせて・・・それから、やや青くなった。「爆弾は・・・しらねぇ」小さな声で呟いた。「今晩盗みに入ると、誰かに言ったか? それとも誰かにそう促されたのか? 銃はどこで手に入れたんだ?」ノクトは、続けざまに問いかける。レオは、ますます青くなっていた。誰かに恐怖を抱いているみたいだな・・・「・・・爆弾は、しらねぇ。校舎に忍び込んだら・・・誰かがいたんだ。てっきり、ハンターの連中かと思って、慌てて飛び出してきた。それだけだよ」「お前に銃を渡し、盗みを働きかけたヤツが、罠に嵌めたのかもしれないな・・・想像してみろ。爆弾がこのタイミングで見付からず、明日の午後、オレの視察中に爆発する・・・さして殺傷力は高くないが、運悪くそばに誰かいれば、足の一本くらいは吹き飛んだかもしれない。捜査の結果、盗品を売り飛ばした少年二人が容疑にあがる。どこで入手したかも分からない銃と一緒に」レオは首を振った。「・・・言えば、殺される・・・」「お前を守る」ノクトは、低い声で即答した。ふざけんな!! レオは大きな声を上げて、机を蹴飛ばした。「サツなんか、オレらを守るもんか! 守れもしねぇよ! この町の連中は、サツなんか恐れない。屁とも思ってねぇよ!!」それは怒りでもあり・・・そして、恐怖でもある。ノクトは、難しい顔をして唸り・・・「どのみち、お前はこのままでは消されるぞ。都合の悪い目撃者だ・・・ヤバイ連中と絡んでいるなら、お前みたいなガキが信用されるわけない。邪魔になったら消すだけの、捨て駒だ」ノクトは、容赦なく言い渡した。「嘘だと思ったら・・・容疑不十分で、このまま釈放されてみろ。お前のダチも、無事ではいられないぞ」レオは、怒りと恐怖とに満ちた目を見開いて、ノクトを見た。その目は、救いを求めているようにも見え…哀れだ。レオは、しばし、恐怖に引きつった顔でノクトを見つめていたが、やがて諦めたようにがっくりと肩を落として、静かになった。「もう・・・15分すぎてますよ」刑事が、そっと背中で告げた。ノクトはため息をついて、座席から立ち上がる。「レオ・・・お前は、最大限、警察に協力しろ。オレも、出来る限り、力を尽くす・・・これから、お前の恐れている裏の連中にも交渉するつもりだ」ええ?! と驚きの表情で、レオだけでなく、刑事たちもノクトの顔を見た。「それで守りきれるとは約束は出来ないが・・・はじめてしまったことだ。全力を尽くす。お前も、自暴自棄になっている暇があったら、生き残ることを考えろ」それだけ言い残して、狭い取調室を出た。ほおお、と感心したように案内してきた刑事が唸った。「うまいこといいますねぇ・・・」「ばあか。オレは本気だ」ノクトは、ちょっと怒ったように言うと、刑事は肩をすくめて見せた。しかし、そうは言ったものの、相手は裏社会で生きる連中… 正攻法では接触できない。警護隊で捜査権を握れば、最悪でも少年たちは保護できるだろうが… はあああ・・・ ノクトは、ため息をついて、廊下で立ち止まった。事務所へ戻ろうとしていた刑事は、何事かと振り向いた。「ちょっと外の空気が吸いたいんだが、非常階段に出られるか?」ノクトは廊下の先の非常口を指差して言った。「出られますが・・・タバコすってる連中がいるから、あんまり空気はよくないですよ」「いいさ・・・」じゃあ、お好きに。と言って、刑事は、ノクトたちを置いて先に事務所の方へ戻って行った。ノクトは、重たい非常扉を押し開けて、外に突き出した鉄骨の階段に出た。説明があったとおり、すぐ下の踊り場でタバコを吸いながら寛いでいる署員たちがいて、煙が直撃している。ノクトは、煙を避けようと階段を一つ上がってみた。なんとか、息が吸えそうだ・・・ナナが黙ってその後ろについている。まるで空気のように、気配もなく、感情も見せない。ノクトも、彼女の存在を気に留めることなく、非常階段の柵に寄りかかって、また深くため息をついた。学校の盗難事件は・・・少年のいたずらで収まらず、発砲事件に発展したかと思うと、引き続いた取調べで爆発物まで見付かってしまった。こうなると・・・明日の視察は中止せざるを得ないだろう。ノクトがオヴァールに黙ってこの地区に潜入したことも当然、明るみに出る。面子を潰されたオヴァールが怒り狂うだけならいいのだが・・・視察中止・・・ノクトの潜入は伏せるにしても、視察先に爆発物が仕掛けられたと大々的に報道されることになる。事件の真相解明はすぐにはのぞめないし、オヴァールが協力を拒めば視察の再開は容易ではないだろう・・・そうして、この地域の悪評だけが拡大され、市民達の溝は余計深まる。しくじったか・・・この地域の実情を肌で感じたいと思ったこの計画は、甘かったのだろうか。それでも、ノクトが潜入せず、明日の視察で爆発が起きたらどうなっていたろう・・・それこそ、町中を、警護隊の装甲車で占拠するような事態に発展していたかもしれない。未然に防げたことを幸運と思うしかない。ノクトは、ぎりぎりと歯軋りしながら、突破口を探そうとする。何か・・・何かあるはずだ。このままでは終わらせない・・・その時、ぶぶぶ・・・ ジャケットの胸ポケットが振動した。スマホを取り出してみる。登録したばかりの新しい番号が表示されていた。ワン=ジェか・・・警察署での調書を終えた後、協会の事務所へ報告に戻っていたはずだった。「どうした?」ー・・・さっき、店に来た、ノルドってハンターだよな?その声は、ワン=ジェではなかった。ノクトは、さっと緊張で張り詰めるのを感じた。しかし・・・平静を装って、なるべく静かな口調を保とうとする。「そうだ。あんたは?」ーバイソンだ。あんたと取引をしたいって奴が店に来てる。興味あるか?「・・・ああ、もちろん」ーならば、店まで来い。そっから歩いて15分くらいだな・・・そこの非常階段から見れば、北の方に一際明るい広場が見えるだろ。それで方角を見当つけろ監視されてるのか・・・ ノクトは、ぞっとしながら・・・しかし、そのまま平静を装って、言われたままに、北の方を眺める。高い建物などほとんどないこの地域では、警察署の10階から町の全貌がよく見渡せた。土地勘のないノクトにも、数時間前に訪れた市場の、煌々と明るい繁華街がわかった。「そうだな。よく見えるわ」ー・・・あと、あの小娘は置いて来い。あんたに撒けるか?「やってみよう・・・ところで、オレの相棒は?」ーワン=ジェなら、ここで飲んでるさ。ほらーノルドさん? まあ、来るなら用心してきなよ。はははは・・・確かにワン=ジェの声に聞こえた。しかし、あまりにも短いし、なじみのある声ではないので、判然としない・・・まさか、脅迫されているとか、本人に何かあったとか・・・と想像して、首を振る。「わかったよ。じゃあな」ノクトは電話を切った。ナナが、訝しげにノクトを見ているので、ノクトはわざとらしくあくびをしながら「ワン=ジェだ。あとで、できれば協会の事務所によって欲しいってさ・・・」と言いつつ、非常扉から建物に入る。すぐそばに男子トイレを見つけて、ノクトはゆったりとその中へ向かった。「ちょっと用を足してくるから、先に事務所へ戻ってろ」ナナは無反応のまま、男子トイレの前に立っていた。ま・・・そう言っても無駄だとは思ったけど。ノクトは汚い男子トイレの奥まで進みながら、その奥に、小さな窓を見つける。非常階段から目をつけておいた。あそこから非常階段の踊り場に出られるだろう・・・しかし、勘のよさそうなナナのことだ。すぐに気づかれるかもしれない。ノクトは、小便器の前に立って、用を足すふりをしながら、中にいた署員がトイレを出て行くのを待った。大便器には幸い誰もいないようで、二つある扉は開け放してある。署員が出て行くと、ノクトはさっと小窓をこじ開けて、外を見る・・・上下の踊り場に人の気配がない。チャンスだ・・・頭からごりごりと体を押し込んだ。あまり音を立てるのもまずいが、時間をかけるのも危険だ・・・あの、娘のことだ。怪しいと見れば、男子トイレくらい平気で押し入ってくるだろう。ノクトは、頭からつっこんで上体を外に出し、ヘリに手を引っ掛けてでんぐり返しのようにそっと窓の外に出た。うまいこと非常階段の踊り場に降り立った。足音を消しながらそのまま、階段をするすると下りる・・・よし。時折タバコをすっている署員とすれ違ったが、ノクトを見ても誰も気にした様子がなかった。格好からしてハンターに見えたのだろう。ノクトは、曖昧な会釈をしながら、さっと階段をおりて、1階まで出た。非常階段は、警察署の裏口に向いていて、門衛が暇そうに詰め所のカウンターに座りながら、帰宅していく職員を見送っていた。特別・・・IDを確認している様子はない。いけるか・・・ノクトは、捜査に協力したハンターの様子で、ジャケットのポケットに手を突っ込みながら、疲れた様子で門衛の前を通った。門衛は気のない様子でちらっと視線を向けたが、お疲れさん、と声をかけただけだった。ノクトは応えるように、そっと左手を上げた。暗い通りに出る・・・ 警察署の近辺とあって静かだ。確か上から見た方角は左手の方・・・ノクトは記憶を頼りに道を進む。護衛もつけずに飛び出して・・・また、グラディオにどやされるな自分でもどうかしていると思いつつ、しかし、不思議と恐怖心がない。今回も勘だよりか・・・ノクトは、呆れたように笑いながら、怪しく男や女が立つ通りを過ぎて、市場を目指した。時折、建物の影から、男や、女がノクトに声をかける。薬物の売人か、体を売ろうというのだろう。ノクトは、興味のない様子でなるべく通り過ぎた。あまりに若すぎる少女が立っていることもあった・・・胸が苦しくなるのを感じながら、その前を通り過ぎる。ここまで野放しか。これが、ここも・・・ルシスだ。テントが立ち並ぶ一角に入って、市場にたどり着いたと知る。閉ざされたテントの奥に、煌々と光る場所が見える。見覚えのある風景が見えてほっとした。あの・・・テーブルが並べられたあたりのはずだ。外のテーブルには、まだ、大勢の客がにぎわっていた。店の中は、なぜか、扉が閉じられて、閑散としている。ノクトはその入り口まで近づいて中をのぞいた。扉のところに、'貸切’の札がかかっていた。すぐに、中にいる人間がノクトに気がついて、扉を開ける。腕に刺青がある若い店員が、「ノルドさんかい?」と聞いてくる。「ああ、そうだ」「どうぞ」愛想のないようすで、ノクトを中に入れた。狭い店内の奥のカウンターの中で、バイソンがシェーカーを振っているのが見えた。カウンターに座っている男は二人。一人は、赤毛の、細身の男。年はバイソンくらいか。顔はいかにも凄みがある。その手前には・・・にやにや、笑いながらノクトを出迎える、カッツォ。「ほら、来たよ」「独りだな」「あららら・・・」カッツォは、残念そうな顔をして、バイソンにコインを投げてよこす。「おっかしぃなぁ・・・絶対、ナナちゃんがくっついてくると思ったのに」「お前か。ワン=ジェのスマホをくすねたのか?」ははははは、 と電話越しに聞いた声で笑って「ご名答」と、おどけて見せる。まさか、殺してないよな・・・ しかし、その返事をもらってどう信用しろというんだ。ノクトは口をつぐんだまま、赤毛の男の隣に座った。その時、ばん!! と店の扉を激しく叩く者がいて、みなは一斉に扉に眼を向けた。見れば、むっとした顔をして、ナナが、扉の前で仁王立ちした。「ほら! 見て!! やっぱり! オレの勝ち!!!」カッツォは小躍りして、自ら店の戸口まで行くと、丁重にお辞儀をしながらその扉を開けた。「ようこそ! お姫様!」ノクトは驚いて、その様子を見ていたが、ナナは憮然とした態度で、そのままつかつかと店の中に入ってきた。「お前・・・」「けっ・・・ 女ひとり撒けないとは、なさけねぇな」バイソンはカウンターの中で呟きながら、カクテルの仕上げをしていた。真っ青な液体をグラスに重ねている。オリーブを添えて、塩で縁取り・・・そして、狙ったように、ノクトの隣に腰掛けたナナの前に置いた。「驕りだよ。こちらのダンナのな」と、ノクトを見る。「悪いが、無一文だ」「はあ?じゃあ、オレの取り分は?」カッツォが、不満そうにカウンターに身を乗り出した。「知るか。オレのカケじゃない」ノクトはそう言い捨てると、もうカッツォを相手にしない様子で、赤毛の男の方を見た。男は、ウィスキーグラスを傾けて、静かに琥珀色の液体を眺めている。その横顔は・・・目立った傷もないのだが、なぜか凄みがある。無駄な肉がなく、頬に至るまで筋張った筋肉が走っていた。「オレと取引がしたいって?」「ああ・・・」男はノクトの方を見もせずに応える。「悪い話じゃない・・・爆弾を仕掛けたやつを差し出してやる」ノクトは、なるべく反応をせずに、じっと耳を傾ける。「あれは、ちょっと血の気ばかり多い若いのが、挨拶代わりにしかけたもんだ。そっちから挨拶に来たんなら、いらねぇ」「随分な挨拶だな」「オレのシマに手を出すなってことだよ。あんたの国で戦争をはじめたくなければな・・・」「脅しなら断る」ノクトは即答だった。「ふうん・・・正面からやるつもりか?」男も、動じずに、一口酒を煽った。「いや・・・力を貸せ」男は・・・一瞬、動きを止めた。「何の寝言だ?」「寝言だろうがうわ言だろうか、かまわねぇよ。力を貸せ。あんたのやりたいことがあるんだったら、その力を貸せ。もう闇はあけたんだよ。いつまでも戦争ごっこを続けるな。10年前の亡霊に囚われてんじゃねぇ。みろ・・・空は白み始めてる」カウンターの上に、小さく開いたスリット式の窓も、白く明るくなり始めていた。「あんたが仕切っているマーケットで、売りさばいている銃や薬は、あんたが命がけで連れて来たニフルハイム人を殺しているだけだ。何のために、ここまで連れて来た? こんな詰まらない商売で、バラックの中に豪邸でも立てようってのか?」ふん・・・赤毛の男は、小さく鼻を鳴らした。「・・・この地域に肩入れすれば、あんたの人気もがた落ちだぞ? あの、がめつい市長に実権を奪われる」「人気はどうでもいいさ。オレは、自分の意地を通すために戻ってきただけだ。それでダメなら、また、ニフルハイムの荒野にでも戻るさ」ひゅうう カッツォがからかうように唇を鳴らした。「ニフルハイムの荒野から独りで生きて帰ったって、ほんとなんだね」「ひとりじゃねぇよ」ノクトはすぐに答える。「ダチがひとりと・・・こどもが一緒だ」「こどもって、つれて帰った孤児のこと? この界隈でもかなり噂になってるよ・・・あの子、ニフルハイム人なの?」さあな、とノクトは首をかしげて「ガーディナで拾ったんだ。多分、ルシスの生まれじゃないか? どっちでもいいけどな」それから、ノクトは赤毛の男の方をまっすぐに向いた。「あんまり時間もねぇし、こっちの要求は伝えておく。今回見付かった銃はニフルハイム製の旧式だ・・・帝国から持ち込んだもんだろう。さすがに、こどもの手に渡るのは看過できない。それから、薬物と人身売買・・・どちらも許すつもりはない。だが、力で一掃するよりは、平和的に解決したい。あんたらが、薬物と人身売買のかわりに全うな商売をやる気があるんなら、力を貸す」けっ・・・ と、鼻で笑いつつ、その顔はくすぐったそうにしている。「甘ちゃんだねぇ・・・どんだけ箱入りなんだ? バイソン・・・お前、めんどくさい男に繋ぎやがって」「お前だろうが。興味があるって言ったのは」バイソンの顔も、なぜかにやけていた。「お手並み拝見といこうか、ボウヤ・・・あの、狸の市長と、あんたの堅物な側近達をうまくあしらえるか? それが出来たら、改めて取引してやるよ。今度は、対等な相手としてな」赤毛は、やや、バカにするように笑いながら、ノクトの頭をぽんぽんと叩いた。「ほら・・・ボウヤのお迎えも来てる」と、外の方を見やる。え・・・と顔を上げると、なるほど、明るくなり始めた広場に、警護隊がずらっと囲んでいるのが見えた。部隊を取り仕切るように、その前に仁王立ちしているのは、グラディオと、イグニスだ。「あれ・・・」「まったく抜けてんな。大方、そこのお嬢さんの手引きだろ」呆気にとられているノクトに、バイソンは笑って言った。ナナが、やはり無表情のまま、ノクトの隣でカクテルを飲んでいた。

Chapter 25.7-居留地潜入-

狭い車内・・・シートは若干埃臭い。前の座席の背中部分が少し破けていて、中綿が飛び出しかかっているのを、ガムテープで無理やり補強している。窓ガラスはフロントも、サイドも土ぼこりがこびり付いていて、辛うじて、運転に必要な分だけが、ワイパーで綺麗に削り取られているような感じだ。ここまできたら、さすがのオレでも拭きたくなるけどな・・・茶色くなった窓を眺めながら、ノクトは思った。無意識に、鼻の下の付け髭を気にして手を触れていた。「あんまり、触ると落ちますよ」荒い運転をしながら、汚くあごひげを生やした男が注意する。ルームミラーを介して見た彼の目が、にやにやと笑っていた。「つい気になってな・・・」「大丈夫、自然な感じで仕上がってる。なあ?」と、後部座席、ノクトの隣に座っている若い女性に話しかける。無愛想な彼女は、ちらっと見ただけで、「ええ。お似合いです」と感情の篭らない声で答えた。・・・ ノクトは、なんとなく遣りづらさを感じながら、押し黙った。この妙な組み合わせで移動をしているには理由がある。運転をしているのは、アラネア隊から派遣された男で、ワン=ジェ という。一応、ハンターという身分になっているが、アラネアが防衛隊の長官を務めていた際には、メルダシオ協会から派遣される形で防衛隊で働いていた。あまり顔の知られていないベテラン・・・というイグニスの条件で、ひそかにアラネア隊から派遣されたのが彼だった。若い女性の方は、元ハンターであり、現在は警護隊の隊員で、ナナという。こちらも、顔があまり知れ渡っていないという条件と、女性を混ぜておいたほうが周囲の警戒を解けるだろう、という見込みから選ばれていた。任務に当たって、各人の能力は申し分ないとは思うが・・・しかし、ノクトとは全く面識のない人物。周囲の目を欺くために、1時間ほど前、市庁舎から離れた場所で合流したのが初めての顔合わせだった。ワン=ジェは、ベテランのハンターらしい雰囲気で、他のアラネア隊員と同様、荒っぽいが気さくな様子をしていた。なじむのに時間もかからないと思う。しかし、ナナの方は、まったく愛想のないうえに、見るからに若い女性とあって、ノクトにはとっつきにくい。警護隊といえば、王家に対する忠誠が高いイメージがあったが・・・彼女は、ノクトとの同行に、特別な感情を持ち合わせているように見えなかった。まあ・・・王様、王様って騒がれるよりいいけどな・・・しかし、ここまで反応が淡白だと、むしろ嫌われているんじゃないかと、不安になる。とにかくも、3人でこの古ぼけた車に乗り合わせているのは、暫定居留地にお忍びで潜入するためだ。レスタルムの視察も4日目に入った。連日の視察で疲れきった一団をねぎらって、4日目の午後は、まるまる自由時間として設定されていた。夜にも、特別な会合は予定されていない。この空白の時間帯を利用して、夕方近くから夜間にかけて、ノクトは、暫定居留地への潜入をひそかに計画していた。翌日の朝からこの地域の視察が予定されていたが、公式な視察は厳重な警備体制のもと実施される手筈になっていて、地域の実情に触れるには不十分だと思われたからだ。ノクトの提案をイグニスも、グラディオも随分と難しい顔で聞いていたが、自分独りでも乗り込めると自信を見せると、二人はしぶしぶと要望を聞き入れて、彼らを手配したのだ。ニフルハイムを旅してきたノクトにとっては、身分を偽って潜入するなど、さほどのことでもないように思えた。付け髭や、サングラス、無理やり被らされたバンダナ、気古した革ジャン、といった変装が、本当に必要なのかも判然としない・・・王の顔は、大々的に報道されているんだイグニスは大いに心配して、この変装を用意させたのだが。そんな特徴的な顔してないだろ というのは本人の評価である。あの、いかにもオーラをまとったルーナなら露知らず・・・汚れた車窓から、夕ぐれの街並みが見える。レスタルムの中心を離れて1時間ちょっと・・・人口密度はますます高くなり、粗末な建物が所狭しと立ち並ぶのが見える。「ほら、アラケオル・ベースが見えてきましたよ」ワン=ジェは、その、立ちはだかるコンクリートの壁を指差してみせる。かつての軍事基地は、今はハンターの拠点となっている場所で、正面の門は開け放されたままだ。ワン=ジェはそのまま、車を敷地の中まで進めた。ハンター達が忙しく行き交う敷地内を、車はゆっくりと進んで、事務所とみられる建物の傍の駐車スペースに止まった。「じゃあ・・・まあ、軽く事務所の方に挨拶して、ですね。それから行きましょうか?」「ああ、任せる」ノクトは、ちらちらとナナの方を気にしながら言ったが、ナナは特に異論もない様子で、無表情のまま、ノクトに続いて車を降りた。ナナも、女性ハンターにありがちな服装・・・タンクトップにグローブ、ミリタリーパンツを履いて、肩ほどまで伸びた髪の毛は、わざと無造作に、後ろに軽く結んでいる。胸から下げているチェーンとタグが、ハンターらしさを際立たせていた。このために、メルダシオ協会で特別に用意してくれたタグのようで、使い古した感じを出すために、チェーンは中古のものを使用し、タグそのものは、火であぶったり、わざと傷をつけたりもしたようだ。ノクトも、革ジャンの下は、グラディオみたいな黒のタンクトップだ。同じようにチェーンとタグを用意してもらったが、見せびらかすのも気が引けて、タンクトップの下に入れている。タンクトップって体の線が強調されるよな・・・ ノクトは、上着を羽織ろうともしないナナが気になって仕方がない。しかし、ハンターの女性たちは、往々にしてナナのように、体の露出が多いことはあまり気にしていないように見える。「よう」ワン=ジェは、顔見知りのハンター達に気楽に声をかけながら、二人を事務所まで先導する。ノクトは、ぎこちない自分を感じながら、まるで古くからいるハンターのように、ワン=ジェに合せて、挨拶を交わした。ナナは、その後ろから、特に気にする様子もなく変わらず無表情でくっついてくる。これは・・・これでハンターらしいかもしれないな と、ノクトは妙に感心した。「あら、ワンジェ。珍しいね、お客さん?」事務所の建物に入ると、まるで寝巻きのように伸び切ったTシャツをきた若い男が、だるそうに声をかけてきた。伸びきった首元や、腰の辺りの肌が露出していて、イヤラシイ印象を与える。「そう。ほら、明日、陛下のご視察があるだろうが。その準備でな」「ああ、あの面倒なやつねぇ」と、男は長い髪をかきあげてみせる。こいつ、ナルシストだな・・・とノクトは冷ややかな視線を送った。ちらっとみたナナは、相変わらず無表情で、この男に対してして、良いとも悪いとも反応せず、無関心のようだ。「王様も・・・物好きだよねぇ。あんなに警備しいて入ってこられても、ろくに話も聞けないだろうし」「まあ、そこは政治的なパフォーマンスだろ。しかたねぇよ」と、ワン=ジェはまるで、ノクトをつれていることを忘れているみたいな様子で、話をしていた。ノクトは、苦笑しながら二人の話を聞いて、曖昧な相槌を打っていた。「で、紹介してよ? おっさんはともかく、そのツンデレ風の可愛い子」男は、ナナに向かって、キザにウィンクして見せた。「ああ、こっちがノルドで、こっちはナナ」「へぇええ。はじめてだね。どの辺を拠点としてたの? レスタルムのハンターなら、大概可愛い子は記憶してるんだけど」と、ノクトそっちのけで、ナナの方へ身を乗り出す。「うざい」ナナは、一言でけりをつけた。お・・・ ノクトは、ぎょっとしてナナを見る。その表情は怒っているというより、変わらず無表情だ。「ははは! カッツォ!! さっそく振られたな!!」げらげらげら と、遠慮なくワン=ジェは笑い転げた。しかし、カッツォは、そこは手馴れた様子で、ちっとも動揺せずに不敵な笑みを浮かべている。「ふふん。だから言ったでしょ、ツンデレだって。こういう子がさぁ、ひそかに顔を赤らめて恥ずかしそうに笑うのを見るのは、ほんとに楽しんだよねぇ・・・」と、負けない様子で流し目を送り続けている。ナナはまったく取り合わない様子で、無表情のままだ。「ははは。まあ、諦めずにがんばるこった。とりあえず、今夜のシフトで、B地区の見回りに入る予定だから、よろしくな」はいよ、じゃあ、あとでね!カッツォはちっとも懲りた様子のないまま、笑顔で事務所の奥に引っ込んで行った。ワン=ジェは、にやにや笑いながら、二人を先導して事務所を出た。「では、行きますか! シフトまでは時間があるから、その辺をぶらぶらとな」ノクトは呆気にとられていたが、ナナは相変わらず、無表情だ。ただ、言われるままに二人の後をついてくる。「先にメシを食っておいたほうがいいねぇ・・・この辺じゃ、ろくなもん食べられないけど。ハンターの行きつけの店にご案内しますよ」ワン=ジェは楽しそうに笑いながら、二人を先導して、基地の正門を出た。まだ、日差しが残る中で、3人はぶらぶらと、暫定居留区を歩く。スラム街特有の、衛生状態の悪い、腐ったような臭いが立ち込めている。これは、ケルカノの難民キャンプに似ている。密集した、バラックは、無秩序に重なり合って、ここで火事が起こればどれだけの惨事になるか、容易に想像できた。通りには、こどもたちだけでなく、仕事がなくたむろする男達の姿もあった。「失業者が多そうだな・・・」「失業というか・・・」と、ワン=ジェは笑った。「このあたりの連中は・・・ケルカノに行くか、ルシスに渡るかって瀬戸際で、陸路と航路に分かれてここまでたどり着いた、ニフルハイムの市民ですよ? ケルカノなら属国での手厚い保護が受けられるかもしれない・・・しかし、その行程は、非常に過酷だと踏んで・・・恥を忍んでルシスに来た。資産もなければ仕事もない。それどころか・・・敵国の市民として慈悲にすがってなんとか食いつないできた」ノクトは、ケルカノの難民キャンプを思い出していた。かつて、テントが溢れかえっていたあの場所に比べれば、バラックの町並みはまだ、マシに見える。まがいなりにも、インフラは整備されて、電気や水道も通っている。しかし・・・この鬱屈とした空気は、ある意味ケルカノ以上だ。その首都を陥落せしめた敵国へ亡命するというのは、よほどの心理的ハードルだろうか。かつての帝国貴族や、帝国軍の将校は、うまいこと私財を持ち込んで、ルシスの市民権を得たと聞いていたが・・・彼らが、こうした地域のとりまとめとはならずに息を潜めているのは、10年前の歴史的背景によるのだろう。そして、闇のあけた今・・・ニフルハイムの故郷に帰還を望むものもいれば、ルシスでの定住を望むものもいると聞いている。ルシスの大半の市民の間では、彼らをニフルハイムに送還すべきという声が大きいのだが。闇があけたというのに・・・まるで活気がない。町のあちこちで、いらだった声が聞こえる。今にも誰かに襲い掛かりそうな、危ない目をした男達が、うろうろとしてハンター達を睨み付けていた。「こっちこっち」ワン=ジェは、殺伐とした町の雰囲気を気に留めることなく、さばさばした様子で、二人を誘導した。目指す先に、明らかにその一画だけ活気のある様子が見えてきた。密集したバラックを抜けて、ちょっと広場のように開けているのは、暫定居留地の”闇市”だ。闇市、と言っても、レスタルム市の正式な許可が下りていないというだけで、いまや公然となっている市場だ。メルダシオ協会の支援や要請で、この一画に店を構えるルシスの一般業者もいる。市場は、夕暮れの中で夕食の買出しに繰り出す者や、飲食店で1日のウサを晴らそうと集まってきた老若男女でごった返していた。ワン=ジェは、人ごみを避けながら、市場の奥まったほうに進んだ。飲食店・・・なかでも、いかがわしそうな店の立ち並ぶほうへと進んでいる。明らかに治安の悪そうな一画だ。通りの隅の方で、ヤバイ取引でもしていそうな顔色の悪い男たちが、タバコを曇らせながら佇んでいる。物陰のあまり目立たない細い路地には、けばけばしい化粧をした女達が、強烈な香水の匂いを放って客を待ち受けていた。噂には聞いていたが・・・非合法な薬物や、人身売買が横行しているという噂で、これまでにも何度か、レスタルム警察と防衛隊が協力して一掃作戦を試みらしいが、ほとぼりが冷めた頃にまた、新しい裏の組織が活動をはじめるとう、いたちごっこらしい。この闇の10年、それまでには殆ど市民の目に触れるようなことがなかったような、非合法な商売が横行しているのは、何もここだけではない。この場所ほどあからさまではないにしろ、薬物の氾濫はルシス全土を巻き込んだ問題に発展しているし、いたる街角に娼婦が立ち並んでいると聞いている。ノクトは、サングラスの下で目を細めながら、底辺に生きる彼らの姿をさりげなく眺めた。ワン=ジェは、彼らがまるで視界に入らない様子で、その危ない一画にありつつ、一際賑やかな店に足を向けていた。野外にたくさんのテーブルや椅子を並べて、ハンター風の客たちが思い思いに食事を楽しんでいた。この辺りの店の中では、かなり健全に見える。「二人でその辺に場所をとっておいてくれ」ワン=ジェは、そういうと、独りで店の奥に入って行った。ノクトは、ナナと二人きりにされて気まずく感じながら、とりあえず、開いているテーブルに腰掛ける。ナナもその向かいに、腰掛けた。相変わらず無表情で、無言・・・。ノクトは、沈黙がいたたまれなくなって、「ええと・・・年は、いくつだ?」と聞いてみた。ナナは表情を変えないまま「22です」と応えた。「今の仕事は、いつからだ?」「14ヶ月前からです」「その・・・楽しいか?」「それなりに」・・・話が続かない。ノクトは、辛くなってちらちらと店の方を見た。ワン=ジェは、はやく戻ってこないだろうか・・・「ええと・・・」ナナがまったく意識などしていないのはわかるが、しかし、正面からじっと見つめられていると、何か責められているような気になって、落ち着かなかった。この娘、ほんとうに無表情なのか・・・どんなことを言えば表情を変えるだろうか・・・ノクトは、うーんと唸った挙句「この国の王様は・・・ちょっと、頼りないと思わないか?」と聞いてみた。一瞬の間があった。そして、ナナは表情を変えないまま「ノーコメントです」と短く応えた。サングラスと口ひげで、ノクトの表情はうまく隠せていただろう・・・そのメガネの下で、うっすらと涙が浮かびそうになっている。マジ、こえぇえ・・・ ガチで答えやがったぞ、本人目の前にして。イグニス・・・グラディオ・・・ 二人の強面の従者がいなければ、自分なんてこんなもんかな、と、急に心細くなる。そこへ、ようやく、ワン=ジェが戻ってきた。両手に料理の皿を抱えていた。「またせたな。ほら、ここの名物料理・・・宮廷料理とはいかないが、まあまあ、食えるぜ」「まあまあとはなんだ、まあまあとは」ワン=ジェの後ろから、強面の大男が、他の料理と、サイダーの瓶3本をトレーに乗せてくっついてきた。見るからに、わけありの経歴がありそうな男で、腕の太さが半端ない。「こちらは口が肥えたお方なんだよ。紹介するよ、こっちがこの店のオーナーで、料理長の”バイソン”だ。実質上、メルダシオ協会の、いちばんヤバイ拠点も兼ねてる。」「バイソン・・・」さすがにあだ名だろうな、と思いながら、ノクトは呟やいた。ふん、とバイソンは気に食わないように鼻を鳴らしながら料理を並べた。「協会が勝手にそう思ってるだけだろ」「実際、ハンターはいいお客さんだろうが。文句言うなよ。食い逃げもしないし、ツケもちゃんと払うし、な」「その分、やっかいな依頼を持ち込んだり、情報交換の場に利用しているだろうが。行っておくがこの店は、ハンターのもんじゃねぇぞ。あくまでも、地域住民のゴロツキのためにやってんだよ」バイソンの言うとおり、店には、商売前の娼婦風の女達や、刺青の入った少年たちもたむろしていた。「客に区別はつけねぇさ。メシの苦情は受け付けないがね。勝手にくつろいでいってくれ」と無愛想に言い残して、バイソンは店の奥の方へ戻っていった。ワン=ジェはにやにやしながら、その背中を見送った。「あいつは、いわば、この町のおやっさんだ。若いころは帝国軍にいたらしいが、そのあとは裏の仕事をずっとやってて、最後は帝国マフィアの幹部だったらしいですよ。あの闇の訪れの際に、避難民を船に乗せてルシスに乗り込んできた・・・興味あるでしょ?」と、ノクトの顔を覗きこむ。「そうだな・・・もっと話を聞いてみたいが」ノクトも、興味津々とバイソンのでかい背中に視線を送る。「危険な男です」ナナは、やはり感情のない調子で、短く言った。「帝国マフィアは、帝国の特殊部隊が拡充される前、皇帝の蜜名で暗殺や計略も請け負ったと言われています」まっとうな言い分に、ノクトとワン=ジェはちょっと顔を見合わせて笑った。「安全な人間だけ相手にしてたら手に入る情報は限られるな」と、ノクトはちょっと大人ぶってみせる。ナナは、とくにむっとした様子も見せずに聞いている。「せっかくだし、冷めないうちに食べましょうよ」ワン=ジェが気楽に言ったので、3人は、目の前の料理に手を伸ばした。なんだろう・・・海賊料理といったらいいんだろうか。雑多な食材が豪快に炒められて、山盛りに盛り付けられいる。赤いソースがスパイシーな匂いを漂わせて食欲をそそった。中華料理に近いだろうか・・・やや、クセがあるが、嫌いじゃない。ノクトは、大口でがっつきながら「さっきの話の続きだが・・・そんなヤバイ人物の割りに、協会とは仲良く遣ってるみたいだな」と話を再開した。ええ・・・  ワン=ジェはもぐもぐと咀嚼しながら頷く。「この辺りの治安がだいぶ酷いことになってきた3,4年前に、暴動がおきるかどうかって瀬戸際まで来たことがあるんですが、そんとき、地域住民と協会との仲介役に名乗り出てね。実際・・・それまで、やつの経歴は協会でも掴みきれていなかった。息を潜めていたんでしょ。よほどやばいからね。入国したときに気がついていたら、即刻、身柄を拘束されていたかもね」ナナは、食事にうまいとも、まずいとも表情を見せず、しかし、淡々と口を運ぶところ見ると、気に入っているのかもしれない。まったく気のない様子をして入るが、きっと、二人の話にも慎重に耳を傾けているんだろう。「で・・・やつはうまいこと、暴動を扇動していた組織に働きかけて、大人しくさせた。顔が利いたんだろな。それから、この店を一番治安の悪い場所に作ると言い出して・・・協会も便乗させてもらってね。半分は、やっこさんの、監視の目的もあったんでしょ。ヤバイ連中が、いつ、あのオヤジを担ぎ出すんじゃないかと、心配もあったんで。お互い腹の探りあいでしょうが、これまでのところ、良好な関係を築いてますよ。まあ、腹の中まではわかりませんがね」と、山済みにされたチキン・ウィングを一つ、つまみ上げてかじりついた。「実際・・・この店ができて、この辺りの殺人件数が、日に1件のペースから、月に数件まで激減しましたからね。文句はいえませんよ。レスタルムの防衛隊も、警察も、バイソンには一目置いて、やつの経歴については黙認している」ふーん・・・ ノクトも真似をして、あめ色をしたチキン・ウィングに手を伸ばした。いかにもジャンクフード的な、甘辛いソースだが、なかなかいける。「帝国マフィアのほかの連中は入ってきているのか?」「そうねぇ・・・それこそ、警護隊の方で、必死こいて特定したって話は聞いてるけど、全部あぶりだすのは無理じゃないかなぁ」ねえ? と、ワン=ジェは、ナナの方に視線を送ったが、機密事項だろうし・・・ナナは当然のごとく、無反応だった。「バイソンも、過去を暴くような調査には協力できないってはっきり言ってるしね。難民達にマフィアが混じっているなって明らかになったら、ますます、ルシス国民の風当たりがきつくなるでしょう。今のところ、この件を公表しているやつはいないね」離している間に、あたりは暗くなってきた。界隈はますます、煌々と明かりを点して、賑やかになってきた。食事を取っていた娼婦達が、ふらふらとテーブルの合間を練り歩いて、男達に声をかけているのが見えた。なるほどな・・・女性の連れがいるテーブルには近づかないようだ。女性隊員をつけたイグニスの判断は、こういうところにも気を向けていたのかもしれない。「できれば・・・バイソンとは、腹を割って話がしたいもんだがな。当然、明日の視察には顔を出さないんだろ」ワン=ジェは、料理をほおばりながら首を振って「裏の連中は、視察なんかに呼ばれませんよ。ここの市場だって、レスタルム市にとっては、ないことになってますからね。だから、メンテもしないし、正式に警察が取り締まることもない。そして、税金も徴収していない」ノクトはため息をついた。お互いに、都合の悪いことに目を瞑って、無視を続ければ・・・いつかはひずみが限界を迎える。数年前の暴動は、なんとか防げたとしたとしても、また、何時火がつくかもしれない。ひとたび火がつけば・・・一番、傷つくのはここの住民達の中でも、もっとも弱いものたちだろう。「臭いものに蓋をするんじゃなく・・・腹を割って話をしたんだがな。何かいい手はないもんかな・・・」ノクトは誰に言うとでもなく呟いた。ナナは、ほとんど空になっていた皿のうえから、最後の一切れのチキン・ウィングを拾い上げて、さっと齧りつくした。そして、サイダーの残りを、ずずっと飲み干すと、すっと立ち上がって「巡回の時間です」と告げた。おお・・・ 案内役のワン=ジェの方が慌てて、腕時計を見た。「ああ、ほんとだ。うっかりしてた。・・・じゃあ、ぼちぼち行きますか」「えっと、支払いは・・・」「済んでますよ。軍資金も預かってますんで、ご心配なく」と、食い散らかしたままのテーブルから離れて、市場の先の路地を進む。すっかり、食べ過ぎたな・・・と、ノクトは腹をさすりながら、後に続いた。ノクトの後ろを、ナナが淡々とついてくるが、さすがに警戒しているのを感じた。不穏な男や女が立っている路地をぬけて、巡回の対象となるB地区に入る。B地区は、比較的治安の良い区域で、学校も立っている地域だが・・・しかし、その学校が、夜になると侵入者が絶えず、校舎や敷地があらされるというので、夜毎にハンターや防衛隊が分担して巡回をしていた。ここも同じように貧しい建物が並ぶが、家々に灯が灯り、夕飯のいい匂いが漂っていた。時折、親子で談笑する声が聞こえてくると少しほっとする。しかし、叱りつける声や、夫婦で言い争うような声も響いていた・・・貧しさが、人々をいらだたせる・・・そんなことを教えてくれたのは、親父だったか、それともイグニスだったろうか。通りに、時折、小さな子ども達がたむろしているのも気になった。帰る家は・・・それを出迎える家族はいるのだろうか。こどもたちは、楽しげに遊びの続きをしているような様子でもあったが、しかし、お腹をすかせたように、呆然とただずんでいる者もいた。「足を止めないでくださいよ・・・」ワン=ジェが、ノクトの様子を心配そうに振り返りながら、忠告する。「今夜は、何が起きても目に焼き付けるだけにしてください。3人じゃ、どうにもできませんからね」「ああ・・・わかってる」ケルカノの難民キャンプで、難民と一緒に長い配給の列に並んだことを思い出した。一時的な感情で、特定の誰かに情けをかけるのは、とても危険なこと・・・ ノクトは、ぐっと堪えながら、こどもたちの姿を見送った。通りの先に、目指す学校の校舎が見えてきた。暗がりではっきりしないが、見るからにみすぼらしい建物だ。割れた窓はダンボールで応急的な処置をしたまま、放置されているように見える。古ぼけた白い壁のあちこちに、いたずらがきのスプレーが目立った。ワン=ジェは、預かってきた鍵で、お粗末な校門の錠前を開けて、中に入った。殺風景な四角い校舎と、そのまえに、一応校庭らしきスペースがあったが、およそ、遊具といえるものは何もない。ただっぴろい空き地。あちこちに、不法投棄されたごみの山が見える。「職員室だけ確認しますよ。あとは、ほとんど金目のものもないのでね・・・」と、校舎の入り口の鍵を開けて中に入ろうとした・・・その時。バリン!! と、2階の窓ガラスが割れて、冗談みたいに、その窓から黒い人影が2つほど飛び降りてきた。いかにも怪しく膨らんだ袋を背負っている。「・・・たく、鉢合わせか」ワン=ジェは、うんざりしたように呟いた。人影は、すぐにノクトたちに気がついて、校庭を横切るように駆け出した。「追うぞ!」ノクトが叫び、ワン=ジェが真っ先に飛び出す。ナナは、ノクトの前に立ち塞がり、「陛下はここに!」と止めようとしたが、ノクトは首を振って彼女を押しのけ、ワン=ジェの後に続いた。ーこちらB地区巡回中、校舎より窃盗犯逃亡中。応援をワン=ジェが、走りつつ無線で呼びかけているのが見える。ナナは、ものすごい勢いでノクトとワン=ジェを追い抜くと、銃を構えながら闘争する二人の背中を追いかけた。「止まれ! 止まらないと発砲する!」ナナの怒鳴り声が響き、すぐに、パーン!! と銃声が響いた。あいつ、早速発砲したか?と、一瞬思ったのだが、ナナは、銃を構えたまま横に飛びのいた。どうやら、発砲したのは窃盗犯の方らしい・・・「伏せて!!」叫び声があがり、ワン=ジェとノクトも横に飛びのいた。パン、パン! 乾いた発砲音が続き、暗がりで銃口が光るのが見え、すぐそばの地面で、土ぼこりが沸き立った。パン!パン! すぐ先、不法投棄されたごみの山の陰から、ナナが応戦して発砲している。人影が慌てて背を向けて、校庭の柵に登っているのが見える。柵に上るとき、銃をズボンの腰に差し込むのを見て・・・ノクトは飛び出した。「援護しろ!」わっ と躊躇わずに、柵まで駆け寄ると、よじ登っていた人影の足にしがみ付く。あっけなく引き摺り下ろされて、男が独り倒れた・・・思ったよりも華奢だ。少年か?もう独りは、作の向こう側にちょうど降り立ったところだった。慌ててノクトに銃を向けたが、ノクトが仲間と揉みあっていて狙いが定められず、諦めて背中を向けて走り出した。街灯にわずかに浮かび上がったその顔を、ノクトは見た。目だし帽を被ってはいるが・・・明らかに幼い顔をしていた。後ろから駆け寄ったナナが、策越しに銃を構えてその背中を狙っていた。「やめろ!打つな!相手はこどもだ!!」ノクトが叫ぶと、ナナは狙いを定めたまま動きを止めた。そのすぐ横を、ざざっと、ワン=ジェが柵を駆け上り、人影を追っていく・・・どんどん追い詰めて、あっという間にその背中に追いつき、押し倒すのが見えた。後ろ手に組み敷いて、縛り上げるのが見えた。ほっとして・・・ノクトは羽交い絞めにしている人物に目を遣る。ナナが銃を向けると、その人物は静かになった。ナナは腰元の銃を取り上げてると、次に目だし帽を脱がせる。その下から、15,6と見える少年の顔が現れた。「縛りましょう」ナナは腰元から手錠を取り出すと、手馴れた様子で少年を後ろ手に縛り上げた。暴れた少年の手が当たり、ノクトのサングラスが落ちた。少年は驚いた様子でノクトの顔を見た。「お前・・・」ノクトは慌てて口元に手を遣った。サングラスだけでなくて、いつのまにか、口ひげもない・・・見ると、少年の後頭部に張り付いてるのが見える。「ルシスの王・・・」ノクトは誤魔化すように少年に笑って「他人の空似だろ」と言ってみた。少年は、途端に、ぎりっと歯軋りをし、憎しみに満ちた目を向けると、ぶっと、ノクトの顔につばを吐きかけた。「サルめ・・・!!」「やめろ!」ナナは、さすがに怒った声を出して、少年の顔を地面に押し付けた。ノクトは、驚いた顔をしたが、ただ、淡々とつばを袖で拭って、そして、何事もないようにサングラスをかけなおした。サイレンの音が聞こえてきて、警察の車両が2台近づいてくる。ワン=ジェが誘導したのだろう。彼は、柵の向こうで合図をしていた。レスタルム警察がわっと駆け寄って、少年を連行していくのが見えた。

Chapter 25.6-ルシス歴訪-

「イグニス! ほら、またみんな手を上げてるぞ!!」と、アラネアは、車が基地の脇を通り、兵士達が敬礼しているのを見て、興奮して手を振り替えした。「そうか、どこの基地だ?」「ああ、北ダスカの封鎖線だ」グラディオが、助手席から答えた。「アラネア・・・ここから、ダスカ地方に入る。乾燥したリード地方と違って、湿地帯が多い」イグニスは、窓に張り付くアラネアの後ろに、そっと寄り添って、説明をした。「しっちたい・・・?」「湿地帯というのは、地面に湿り気が多い場所をいう。ようするに水っぽくて、濡れている土地のことだ。そういう場所では、水辺を好む植物や動物が生息する。特殊な呼吸器をもって水中でも陸でも生きていける両生類とかな。そういったものは、リード地方のような乾燥している場所では生きていけない」おおお 説明のどこまでを理解したかは分からないが、アラネアは感心して、どこぞに特別な生き物が歩き回っていないかと、目を凝らした。「もうすぐ湖が見えるぞ。見えたら教えてくれ」「わかった!」ノクトは、ふーんと、二人のやり取りを眺めていた。先日、イグニスにお菓子を振舞われてから、随分と懐いたな・・・ 餌付けされやがって と、ちょっと悔しそうにして、ぷいっと反対の窓を眺める。「湖、見えた!!」アラネアが興奮して叫ぶ。「ニグリス湖だな。この10年で随分と形が変ったと聞いている・・・ノクト、お前もよく見てくれ」はいはい・・・ とノクトは二人の背後から身を乗り出して、覗いた。黒々とした森の向こうに、キラキラと輝く水面が見える。形が変わったと言われれば・・・そうかもしれないが、そもそも、植生が、以前の緑の植物から黒々と気味の悪い闇の植物に置き換わっていて、それだけで雰囲気が一変してしまっている。しかし、ここでも、黒く這うような植物の合間から、勢いよく緑色の草が伸びているのが見えた。「カトブレパスの姿が見えないな・・・」「ああ・・・生息数がかなり減ったんだ。湖の奥で数頭目撃されている。絶滅はしていないと思う」「かとぶれ・・・?」アラネアが不思議そうにしていると、ふふふ、とグラディオが笑い、「お前が好きそうな大型の野獣だぜ。大人の個体なら体長10mはゆうに超える。首が長くて、湖の中を悠々と歩く」「えええ!いいな!見たい!!」「また、今度な。今回の視察には入ってねぇぞ」グラディオが、ようやく機嫌のいい様子でアラネアに話しかけたので、ノクトはほっとしていた。今回の一連の視察にアラネアを同行させる、と言ったとき、案の定、はじめは二人の反対にあった。グラディオが頭ごなしに、何考えてんだ!! と吼えた一方で、イグニスは、じっと難しい顔で考え込んでいた。「公務にガキをつれていくたぁ、どういう了見だ?! ピクニックじゃねぇんだぞ!!」「わかってる。同行させるなら、アラネアにはよく話をするし、働いてもらうつもりだ。和平会議みたいなことになったら大事だからな・・・あいつ、自分の仕事があればよく言うことを聞くんだ。じっとしてろっていうのが無理なだけで」はああ?! グラディオは呆れて声を上げる。「働くって・・・?!」「意外と役に立つぞ。どこへ行ってもすぐに打ち解けるし、人の心を開く。それに、オレに気がつかないものを見つけてくる」と、ノクトは不適な笑みを浮かべて言う。「第一、ここに置いていって、オレらが留守中に騒ぎを起こされても困るだろ。もう、王宮の中もおよそ探索しきって、退屈してるみたいだし…王宮を飛び出されても困る」「お前・・・そんなんで、これから、どうやってこの王宮で暮らしていくんだ?!」グラディオは、呆れすぎて、思わず声が裏返った。「こどもがこの狭い王宮の中だけで過ごせるわけないだろうが」ノクトはむっとして反論した。「王都を復興させるんだったら、こどもが過ごせる場所を作れ。そうじゃなければ、一般市民は誰も帰還してこないぞ」ノクトはドヤ顔で言い切った。ぐ・・・ とグラディオは、言葉に詰まった。その時、考え込んで黙っていたイグニスは、やっと顔を上げて「・・・わかった。同行させる方向で、オヴァール市長と調整してみよう。先方も驚くとは思うが」マジかよ?! グラディオは、イグニスを見る。その顔は、固く決心したように真剣だ。「助かるわ…あいつには、この国がどういう国なのか、ちゃんと見せてやりたいしな。ルーナも、安定期だったら連れて行きたいところだが、そこは我慢してもらおう」王の言葉に、イグニスはただ頷いた。グラディオは納得のいかない様子で、しかし・・・軍師が承諾した上は、黙るしかなかった。「ほら! お皿が見えてきたぞ! ええと、カーティスの大皿?」「そうだ。よく覚えていたな。偉いぞ」イグニスは微笑んでアラネアの頭を撫でた。えへへへへ… アラネアは嬉しそうに頬を染めている。この視察にあたって、ウェズリー夫人に教えてもらった地理の知識を、さっそく披露したのだ。ウェズリー夫人は、アラネアの逃走の一件でそのまま任務を放り出すかと思いきや、テヨと話をして以来、まるで人が変ったみたいに遣り方を変えていた。アラネアがすっかり、ウェズリー夫人との時間を楽しみにするようになって、ノクトやイグニスも驚いた。ルーナに、テヨは何をしたんだ? と聞いてみたが、可笑しそうに笑って誤魔化されるばかりだ。当のテヨは、ノクトたちの視察よりも先に、評議員のヴィンカー女史と共に、ラバディオ自治区へ発っていた。ヴィンカー女史とかなりの意気投合をしていたテヨは、次の評議会までの数週間、自治区へ滞在することが決まった。カーティスの大皿が見えてくると、レスタルムまではすぐだ。なるべく派手なことはするな、と、言い渡してあったものの、王の視察を聞きつけて、やはり大勢の市民が路上に詰めかけている。ルシスに帰還した時ほどではないにしても、視察に支障が出るのでは、と、不安になる。「ほら。笑顔で手を振り返せ!アラネアを見習えよ!」グラディオが、やる気のない王を叱った。王が気のない一方で、野生児は、自分が歓迎されているものと思い込んで、きゃっきゃと喜びながら、手を振り返している。「ルーナは同行しないって、発表したんだよな?」ノクトは、訝しげに観衆を眺めた。イグニスは笑って「もちろん、発表している」と答えた。「それでこれか…」うんざりとして、顔を隠すように車の中へと身を引く。「喜べよ。市民の目にはお前も、立派な王様に見えるってことだ。無愛想にしてると、嫌われっぞ」グラディオが せっつくが、当人は頑なだ。「そういうのは、ルーナに任せるわ」と言ったきり、俯いて窓の外を見ようとしない。イグニスも諭すように、「ノクト…笑顔が人に与える影響は大きい。お前が望む和平にも繋がることだぞ」と言葉を添えたが、反応はなかった。グラディオは、その様子を眺めながら、嫌味のように大きくため息をついた。「ったく…こんな無愛想で、どうやってニフルハイムの連中と仲良くなってきたんだ?」「るせーな… お前も似たようなもんだろうが」3人の間にしばし険悪な雰囲気が流れる。アラネアは不思議そうに見ていた。グラディオはいつものようにすぐ怒るし、ノクトも仏頂面をしている。イグニスは困っているみたいだ・・・アラネアは、突然イグニスの膝の上まで身を乗り出して「ノクト!… こうやって笑うんだぞ!」にかーー!! と、その頑丈な歯を見せつけるようにして笑って見せる。ロイヤルファミリーというよりは、それを出迎える田舎の子どもだ。気品も何もない…ノクトは思わず、ぶぶぶぶ と吹き出し、グラディオは、その笑顔はちょっとな… と遠慮なく感想を述べつつ、笑いを堪えていた。ふっと、車内の雰囲気が緩んだのを感じて、イグニスは、微笑みながらアラネアの頭を撫でた。護衛と王の一行を乗せた黒乗りの車3台が、今は合同市庁舎となっているかつてのリゾートホテルの玄関前に滑り込む。王都が解放される前は、評議会も開催されていた場所だ。ノクトが車から降りると、ホテルの敷地から締め出されていた聴衆が、わっと、声を上げるのが聞こえた。アラネアが、ノクトの手を乱暴に引いて、聴衆の方を向かせようとしたので、ノクトは苦笑いを浮かべながら、しぶしぶと手を振り返した。その横で、何倍もの愛嬌を振りまいて、アラネアがブンブン、と手を振っている。市民の何人かが、子どもの様子を不思議そうに見て、何事かを囁きあっているのが見えた。オヴァール市長とレスタルム市議団が、一行を出迎えるべく、玄関で待ち受けていた。すっかり古ぼけたマーライオンの像が、場違いな様子で玄関脇に立っている。像に気がついたアラネアは、ノクトの手を振り払って、ばっ と駆け出した。「面白いのがあるぞ!!」あ・・・ と誰かが声を上げたが、止める間もなく、アラネアはマーライオンの尾に飛びついた。ああああ?!その場にいた者達が、間の抜けた声を上げる。アラネアが勢いよく飛びついた尾が、ぼろっ・・・と抵抗なく崩れ落ちたからだ。アラネアは、床の上にそのままそっくり返って、ごつん! と頭をぶつけた。ああああ?!別の、心配そうな声があがり、みな、尾を抱えたままのアラネアを見る。王は、わっとそばへ駆け寄ると、もそもそと立ち上がったアラネアに向かっていきなり、「バカヤロウ!!!」と怒鳴った。「いきなり壊しやがって!!!お前!!!」アラネアは、抱えていた尾のカケラを見つめて、ああああ・・・ と沈んだ声を出した。ホテルの敷地の外で、中をのぞきこんでいた人々は、何事かとざわめき始めていた。「壊れちゃった・・・」「壊れちゃったじゃないだろ! お前が壊したんだぞ!!」まあまあ・・・ と苦笑したオヴァール市長が近づいてきて「取り壊すのにもお金がかかるので放置していた像ですし・・・どうぞ、お気にせずに」と取り成したが、イグニスがノクトのそばまで来て「”市庁舎のマーラインオン”として、市民に親しまれていたがな・・・」ぼそっと呟く。王は、はああ・・・ と重いため息をついた。「アラネア。ちゃんと謝れ」アラネアは、しょんぼりとうなだれながら、オヴァール市長の方に、崩れた尾の部分を差し出した。「ごめんなさい・・・壊してしまいました」間をおかず、王もその横に並んで頭を下げた。「本当に申し訳ない!!」オヴァールは、親子の謝罪に戸惑って、「いや、ほんとに、これは、大したものではないので・・・」としどろもどろに返答した。何だこいつら・・・何しにきやがった? オヴァールは、この視察に備えて先ほどまで高まっていた緊張が吹き飛んで、すっかり、気がそがれていた。「陛下・・・ともかく、中へお入りください。これから視察のご説明もございますので」市長つきの秘書官が見かねて、一行に声をかけた。通された会議室は、広々として、もとは、披露宴会場にも使われたのであろう。ひな壇まである。貴賓客を迎えるため、一番良さそうな椅子が並べられていたが、なるほど、アコルドの総合病院や、宿泊したホテルに比べれば、どれも古びていて見劣りした。つましくやってるみたいだな… ノクトは感心して、やっぱり王宮はまだまだ華美かもしれないと考えを巡らす。南国風に花で飾られたジュースのグラスが運ばれてきて、一行のテーブルの前に並べられた。わあああ アラネアは素直に歓声をあげて、すぐに手を出そうとしたが、ノクトが怖い顔で覗き込む… そうだ。…いいよ、と言われるまで、飲んじゃいけないんだっけ。アラネアはしょんぼりとして、手を引っ込めた。「よし。よく我慢できたな。偉いぞ!」ノクトは、にんまりと笑ってその頭を撫でる。えへへへへ… アラネアは照れたように笑った。やや、呆れた様子のオヴァール市長が、二人の向かい側に座り、「どうぞ…まずは、レスタルム特産のクヴァナジュースをお召し上がりください。闇の時代を、人口太陽により保全された貴重な果樹です。外交が正常化され次第、我が国の主力の輸出品となることは間違いありません」市長の説明を聞いて、イグニスも途端に真剣な様子になり、グラスに鼻を近づける。ノクトは、イグニスの様子を伺いつつ、自分も考え深そうなふりをして、ジュースの匂いをかいでみた。うん…確かに、この濃厚な甘い香り。この時代には、貴重な農産物かもしれない。ごくごくごくアラネアは許しが出たとばかりに、グラスを両手に抱え込んで一気に飲み干した。そして、ぷはーー! と勢いよく、息を吐いて「うまいぞ!!!」と、目を輝かせながら叫んだ。会場に朗らかな笑いが起こり、オヴァールも、満更でもない様子で笑みを浮かべている。「子どもの反応は素直ですなぁ」イグニスは、まるでワインでも味わうように少しずつ口に含んで、ゆっくりと味わっていた。「…確かに。この果実の糖度は、他所ではまず、実現できないものですね」「さよう。高級品として、諸外国でも高値で取り引きできるはずです。この果樹園は、現時点でもかなりの労働者を抱えているが、輸出がはじまれば、その周辺事業でさらなる雇用が見込めます」オヴァールは、実業家らしい情熱に満ちていた。ふーん・・・雇用かぁ・・・ 正直、経済にはまだまだ疎いな、と思いながら、オヴァールの熱弁を聴く。「本日の視察は、まずこの果樹園と、闇の時代に人口太陽のエネルギーを支えた、レスタルムの誇るべき発電所からはじめます。本日夜の懇親会は、レスタルム商工会との共催でございまして、果樹園をはじめ、輸出を計画されている実業家の方々を中心に、ご交流いただきます。・・・これからの、ルシスの経済を牽引する方々です。そして、明日以降のご視察の日程はここに」一行に、工程表の紙が配られる。イグニスのために、きちんと点字翻訳されたものまで用意されていた。「陛下のご要望も、漏れなく反映させております。防衛隊、テネブラエ移民団、アコルド移民団、学校、メルダシオ協会、病院、孤児院・・・そして、暫定居留区も工程に含まれております」オヴァールが断定居留区と言っているのは、いわゆる、市民権を得ていないスラム街のことだ。はじめ、オヴァールはこの地区への視察をしぶった。保安上の問題から、要人を案内するのは難しいというのが、その理由だ。ノクトは、自分の警護については王宮より十分な人材を用意するという約束のもと、オヴァールを説き伏せた。多くの視察先を組み入れた結果、ノクトのレスタルム滞在は5日にも上る。そして、それが済めば、慌しく、他の拠点を数日で梯子する予定になっている。レスタルム外の集落はわずかしかない・・・ラバディオ自治区と、レスタルム北部の山岳村、メルダシオ協会本部周辺にきずかれたいわゆる”ハンター村”。それ以外は、ハンターの出先機関として、ハンマーヘッドレベルの拠点がいくつかあるが、そこは今回の視察対象からは外れていた。そして・・・今は無人となった各地を、ぐるっと車で周遊する。今回の工程では、さすがに、ガラード区域をはじめとする、旧戦闘地帯までは足が伸ばせない。いずれは調査に出ないといけないが・・・ とノクトは悔しそうだった。人口太陽による果樹園、と聞いて、はじめに思い浮かべていたのは、野外に立ち並ぶ果樹の合間に、野球のナイターで使用するような巨大な照明が立ち並ぶ様子だ。しかし、一行が通されたのは、装甲車の格納庫とも思えるような巨大な白い建物・・・「これは・・・」ノクトは驚きの声を上げた。室内に広がる南国の果樹園。高い天井に、ずらっと円形の照明機器が並んでいる。人口の太陽光の照射だけでなく、温度や湿度も、南国のそれに合せて調整しているらしい。むおっとした空気の中に、甘い香りが漂っているのを感じた。低くなるように剪定された果樹は、横に広がるように枝を伸ばし、緑の青々とした葉の下には、熟れてオレンジ色になったふっくらとした実がたわわに実っている。従業員達は、果樹の合間に立っていて、ひとつひとつの実を丁寧に手に取り、収穫を行っていた。「この施設では、概ね1年に2回の収穫が可能です。温度や湿度、そして、照射時間などを調整して、人口的に1年の気候変動を半年で再現し、木を騙すんですよ。この方法で開花のコントロールに成功して、一気に収穫量を増やしました」農業法人の代表者は、王の訪問に舞い上がった様子で、まくし立てた。アラネアは、見るからに落ち着かない様子で、もぞもぞとして、立ったりしゃがんだりを繰り返している…好奇心丸出しの様子で今にも飛び出したいのを、懸命に堪えているように見えた。ノクトは、すまなそうに演説を遮って「悪いんだが…ちょっと収穫の体験をさせてもらえるか?」ああ… と、代表者はアラネアの様子に気がついて「もちろんです! さあ、お嬢様もいらっしゃい!」と、にこにこしながら、自ら近くの果樹に近づいた。前掛けをした気難しそうな農夫が、作業をしているところだった。「彼はここのベテランでして… モンド爺さん、頼むよ。陛下とお嬢様が、収穫の体験をなさりたいそうだ」呼び出された爺さんは、不機嫌にふん、と鼻を鳴らしたが、ちょいちょいと手招きすると、近づいてきたアラネアをひょいと抱えて、脚立の上に座らせた。後ろからアラネアを抱えるようにして支えると「一度しか言わんぞ。一つで1万ギルもする品だ。傷でもつけたら大ごとになる。慎重にやれ」と低い声で言った。おおお アラネアは緊張した様子で、モンド爺さんの手の動きを真似ている。「そう…赤ん坊の尻を持つように、傷つけないよう、そっと膨らみを手のひらに載せる。それから、力を入れずに少しだけねじれ… そうだ。その枝の付け根を、小指の先ほど余裕をもたせて、専用のハサミで切る。躊躇うな! 躊躇うと、切り損ねて、かえって枝に傷がつくぞ」アラネアは息を止め、思い切ってハサミを握りしめた。ぱちん! といい音がして、どっしりと重い実が、アラネアの左手に落ちた。支えるように、爺さんの手も添えられている。「取った!!」アラネアは、顔を上気させて、嬉しそうにノクトの方を振り返る。「そちらは、どうぞ、お土産にお持ちください。お母様がお喜びになりますよ」代表者が太っ腹なところを見せると、アラネアは、わああ と声をあげ、大事そうに両手で実をそっと抱えた。爺さんは、実を抱えたアラネアごと、そっと脚立から下ろしてやる。「なかなか、筋が良かったぞ」と、頭を撫でると、ぷいっと離れて行ってしまった。「アラネア!礼を忘れてるぞ」ノクトに言われて、アラネアは慌てて顔を上げると「モンド爺さん、ありがとう!」と大声でその背中に呼びかけた。爺さんは、照れているのか振り向きもせずに、ちょいとその右手を上げて答えた。昼は、クヴァナを贅沢に使ったフルコース。肉料理のソースや、サラダ、それに、生ハムの添えたり、揚げ物に使ったり・・・ イグニスは、そこはなれたもので、適度に一口ずつつまみながら、熱心にすべての料理を味わっていたが、ノクトは、はじめの数皿を平らげるとすっかり、お腹が一杯になって、メインディッシュの皿は、ほんの一口、味わっただけで降参した。アラネアは、グラディオと競り合うように次々と皿を綺麗にしていく・・・ ノクトは呆れて二人の様子を眺めていた。「こりゃ、うめぇなぁ」「うめぇな!」二人して同じような満足そうな顔をして、また、皿を空にした。「お、オヤジが残したぞ」とグラディオは言うと、ノクトの手のつけていない皿をひょいっと、かっさらって、アラネアと自分の間に置いた。「もったいねぇなぁ」「もったいない!」そして、二人してフォークで突きあって空にしてしまう。「アラネア・・・お前、腹大丈夫か?」ノクトは、呆れてその、膨らんだ腹を見る。うん? うううん平気。 アラネアは食べ物を頬張りつつ、唸った。ところが・・・ 午後、イチネリス発電所へ向かった頃から、アラネアの様子がおかしかった。どこかしらそわそわして、それでいて、ずっと俯き加減だ。発電所の周囲で、キラキラと光る隕石の鉱脈を見ても、さほど反応もしない。ノクトが大丈夫か? と聞いても、首を振って、大丈夫!! 無理に笑って見せる。発電所の入り口で、見慣れた顔が出迎えた。相変わらず、作業服を着たままのホーリー・・・10年の月日がしっかりと顔に刻まれて、髪に白髪が増えていた。「来たわね、ハンター君たち!」ホーリーは嬉しそうに笑って一行を出迎えた。今もかわらなぬ気さくな態度に、ノクトはほっとした。「おお。ご無沙汰だ。どうやら、所長様になったそうだな?」ふふふ、とホーリーは笑って「単に歳をとったってことよ。あたしは、現場にいて体動かしているほうが好きなんだけどね・・・今日は久しぶりに、この服を来て、現場に入れるから嬉しいの」「お二人は・・・お知り合いでしたか」オヴァール市長が、不思議そうに二人に声をかけた。「ええ。お若い頃に大変助けていただいてね。そういえば、発電所に入り込んだシガイを追い払ってもらったことも合ったわね」「ああ・・・そうだ。懐かしいな」一向は、和やかに歓談をしながら、発電所の方へつづく橋を渡ろうとした。その時、アラネアが突然、ぴょんぴょん、と飛び跳ね、汗を額に浮かべながら赤い顔している。「おい、どうした?!」驚いて声をかけると、「う、・・・うんち!!」と今度は青い顔して叫ぶ。えええ?! ま、まずい・・・ ノクトは慌てて「近くにトイレは?!」と聞いた。「発電所のトイレは、立ち入り区間からは遠いのよ。一番近いのは、交接市場の公共トイレかしら」とホーリーは、すまなそうに言う。ったく!! とグラディオがアラネアに駆け寄って、「オレが連れてく!!おい、行くぞ」と、言うなり、その手を引いて二人して交接市場の方へ駆け出した。視察さんは、呆気に取られて、二人の背中を見送った。「大丈夫・・・でしょうか?」オヴァールの秘書官が、遠慮がちにノクトの顔を覗きこんだが「ああ。食べすぎだろ。クソすれば、落ち着くさ」と、苦笑して、さあ、行こうと、一同を促した。ぞろぞろと、一同が発電所に向かう。「お昼の料理は、試食用にフルコースより品数が多かったからな。残すことを前提にしているんだ。もったいないが・・・完食させたのはまずかったな」イグニスはノクトのそばに寄ると、申し訳なさそうに囁いた。「オレも止めればよかったわ。けど、グラディオが調子に乗ってあいつに食べさせてたし・・・ここは、付き合ってもらおう」ノクトはさほど心配もしていない様子で答えて、ぽん、とイグニスの肩を叩いた。見学の一行は、入り口で見学者用の防護服に着替える。大勢は入れないので、ノクトとオヴァール市長、それと本当はグラディオが付き添う予定だったが・・・警護隊より二人が付き添いとなって中に入ることになった。足元が悪いのでイグニスは遠慮した。絶対に機械や配管に触れないこと、見学用のルートを外れないこと、と厳重に注意を言い渡した後、ホーリーが先導してIDカードで厳密に管理された従業員用の戸をあけた。ムッとした空気、強力な磁場による耳鳴り、発電装置の熱気が、防護服を通していても感じられる。初めて足を踏み入れるオヴァールと警護隊の面々は、緊張した面持ちで、ゆっくりとノクトの後から続いてくる。ーほら、見てくれる?防護服の無線を通して、ホーリーの声が届く。一行の先頭で、右手を上げて発電装置の周囲で、修復作業をする防護服の作業員達を指差す。発電所はこの10年でかなり老朽化が進んだ。素人目にも、機械の表面にみえる金属が古びているのが24時間、電力消費のピークが途切れなかったこの10年。発電所は24時間体制のフル稼働をして凌いだ。3年ほど前から老朽化が目立ってきたきたが、メンテナンスするための資材も限られていた。ー事前に配布した資料でも書いたけど・・・この発電所が現状の設備で稼動始めたのは、36年前。建築当時の想定では耐久年数は30年という見積もりだった。この10年のフル稼働で、通常時よりはるかに上回る負荷がかかっていることを考慮すれば・・・40年分くらい使用している計算になるそれから、ホーリーは通用路を進んで、中枢の発電装置に近づいた。巨大な柱のように立ち上るその装置は、まるで燃えるように赤々と発光していたので、老朽化と聞かされた見学者たちは、今にでも爆発を起こすのではないかと、身を縮めた。ー特にこいつね。メインタービンだけど。これは早急に新しいものに交換しないとまずいの。昨年から再三、予算を請求しているんだけど、どうなってるのかしら?うっ・・・ とオヴァール市長は首をすくめた。ー検討を続けていたはずなんだが・・・どこで、止まっていたかな? 早急に検討を再開する・・・評議会の方でも、すぐに協議をしていただけますか、陛下?ーああ、そうだな。ここの電力共有か止まると、市民生活への影響も大きいだろうー助かるわホーリーが笑っているのが分かった。どうやら、なかなか動こうとしないオヴァールへの脅しでもあったようだ。ーホーリー所長。いや、本当に、ご案内ありがとう・・・発電所の現状が良くわかったオヴァールは、早く切り上げたいとばかりに礼を言うと、もう、くるっと向きを変えて、来た道を引き戻そうとしていた。くすっ ・・・ ノクトはホーリーと、防護マスク越しに顔を合せて、笑った。発電所の入り口まで戻って、防護服を脱ぐと、見学者たちは全身汗まみれになっていた。びっしょりと汗をかいて、髪の毛が張り付いており、顔は上気していた。「いやはや・・・これは苛酷な環境だ。技術者のみなさまには頭が下がる」オヴァールは、額の汗を秘書の用意したタオルで拭きながら、呟いた。「ご理解いただいて嬉しいわ。発電所の所員の待遇改善の件も、検討いただけるわね? 技術者の確保に、待遇改善は欠かせないの。こんな4Kの仕事、ハンターの方がましだという人もいるくらいよ。それでは、発電所は維持していけないわ」ああ、こりゃ、一本取られましたな・・・ はははは。オヴァールは、困った顔をして笑った。「すぐに評議会で協議させる。約束するわ」誤魔化そうとするオヴァールに代わって、ノクトが答えた。オヴァールが苦い顔をしているのが見えた。一行は日中の視察の予定を追え、宿泊場所となる市庁舎まで戻ることになった。まだ日は高いが、夜の前の親睦会を前に休憩の時間を組んでいてくれる。発電所の中を見学した身としては、確かにシャワーを浴びて一度休憩しておきたい気分だ。「ノクト、アラネアだが・・・」発電所の外で待ち構えていたイグニスが、さっと近寄ってきて耳元で囁いた。「体調は問題ないらしいんだが・・・トイレを詰まらせたらしくてな」はあ・・・ とノクトは、頭痛を感じて額を抑える。「今、秘書官を一人遣らせた。公設市場の管理者と連絡を取ってもらっている。それと、騒動が済んだらグラディオが、その辺で遊ばせてから市庁舎につれて帰るといっているが、それで構わないか?」公設市場から市庁舎まで離れているといっても、徒歩で20-30分だろう。そのまますぐに部屋までアラネアを連れ帰るより、退屈しなくてよさそうだ。「そりゃ、助かるわ・・・じゃあ、こっちは先に、市庁舎まで戻るか」「そうだな。市長にもその旨連絡しておこう」イグニスはそばにいた秘書官に耳打ちして、彼をオヴァールの元まで走らせた。オヴァールは、すぐにノクトのそばまで近寄ってきて「陛下・・・お嬢様のこと、承知いたしました。それでは、市庁舎まで、同じお車に同乗させていただいてよろしいでしょうか。ちょっとお話したいことも・・・」と声を抑えて思わせぶりに言う。ノクトは、ちらっとイグニスの顔を見たが、イグニスが頷くので「ああ、構わない」と答えた。警護隊の面々に囲まれながらレスタルムの中心地を抜け、表通りまで出る。視察団の黒塗りの車が数台並んで一行を待っていた。ノクトはオヴァールに促されるまま、2代目の車両に乗り込んだ。イグニスが助手席に回り、運転席に警護隊の一人がついた。「いやあ・・・発電所はなかなか過酷でしたな。私もすっかり疲れました」と、オヴァールはまだ、汗を拭きながら、ふうふうと苦しそうな声を出していた。「そうだな」ノクトは軽く答えながら、オヴァールが何を話そうとしているのかと、興味津々とその顔を見た。オヴァールは、ノクトのまっすぐな視線に戸惑いながら、「いや・・・その、さしでがましくはございますが、少々ご進言を」「ああ、遠慮なく言ってくれると助かる」「さきほどのようなこと、軽々しく口にされないほうが良いかと」ノクトは首をかしげながら、「具体的に言ってくれるか」と迫った。オヴァールは、はあ、とため息をつきながら、「所員の・・・待遇改善の件ですよ。陛下・・・今夜の親睦会もそうですが、明日以降の視察先についても、彼らが真っ先に訴えるのは金のことです。防衛隊でも学校でも病院でも・・・どこへいっても予算がない、人手が足りない、待遇が悪い・・・必ず訴えがあります。その度にいい顔をされるのは・・・ご自分の首を絞めますぞ」お・・・ ノクトは、驚いた様子で、オヴァールを見た。「・・・そんなものか。単に協議する、と伝えたつもりなんだが」「陛下のようなお立場の方が、あまり良いお顔をして返事をすると、彼らは・・・その、すぐに期待を抱いてしまいます。場合によっては、陛下が口約束をしてくださったと勘違いする者も出てくる。国の資産は限られています。どの訴えももっともだが、すべての要望には応えられない・・・ですので、各方面へのご支援の話は、慎重にされたほうが良い」助手席にいたイグニスは、振り向かずにいたが、じっと耳を傾けている様子が分かった。ノクトは、ふーん、と唸って腕組みをした。間もなく市庁舎が見えてきて、破損されたマーライオンの前に車は止まった。「オヴァール市長。助言、ありがとうな。オレは正直、金にはまだ疎い。あんたの忠告、よく胸に留めておく。これからも、何か気がついたら助言してくれると助かる」ノクトは真剣に言った。オヴァールは、やれやれ、と言った様子で可笑しな笑い方をして、御意に と短く応えると、先に車を降りた。

Chapter 25.5-軍師の休日-

ざわめきと、重い沈黙とが・・・まぜこぜになっている。評議員たちは、無言に顔を見合わせたり、言葉少なに挨拶を交わしたり、どことなく落ち着きが無いのに、議会室は静まり返っていた。オヴァールは、いつものように余裕のある笑みを周囲に振りまきながら、しかし、不気味なほど沈黙していた。いつものなら、片端から声を掛けて、お得意の演説をかますのに・・・。軍や警護隊の幹部、それにメルダシオ協会の理事などが会議場に入ってくると、ますます、静まって、緊張感が高まった。王室派と反王室派・・・さっと視線を交わしながら、けん制する雰囲気が漂う。立場を決めかねている中立派の面々は、まるで、両者の熱い視線の中に巻き込まれまいと身を縮め、会場の片隅に息を潜めている・・・およそ、ヴィンカー女史以外は。ヴィンカー女史は、今日も、ひとり何食わぬ顔で、どちらの陣営とも同時に視線を交わしながら、どっしりと、評議員席の中央に腰掛けた。その顔は・・・何が楽しいのか、議論がどっちに転んでも可笑しそうに笑っているのが常だ。あのおばさん・・・今日も機嫌がいいぜ グラディオが呟き、イグニスが嗜めるように、小さく首を振った。「評議員のみなさま・・・ご着席ください。間もなく、国王陛下が・・・」と、執務長官が声を上げた途中で、ばん! と、評議会上の扉が勢いよく開いて、一同は一瞬固まった。王が、躊躇いもなく無くすたすたと中に入るので、評議員たちは慌てて自分の席の前に立ちながら、王に向かって深々と礼をした。王は、評議員達に目もくれずまっすぐに、重厚なこの会議場のテーブルの突き当たり・・・王の椅子を目指し、突き進む。そして、さっと、躊躇わずに椅子に座った。評議員たちは、王に合わせるようにして、ぎこちなく着席した。ええ・・・ こほん 会議を取り仕切る執務長官は、多少、打ち合わせと異なる展開に戸惑いつつ、「では・・・これより、第1回のルシス王室評議会を開催いたします。本日より、ルシス国王陛下ご同席のもと、本会議は正式な評議会として認定され・・・」前口上の途中で、さっそくオヴァールが何か口を開き掛けたが、王がそれよりもはやく、執務長官の言葉を遮った。「悪いな・・・打ち合わせと異なるんだが、まず、オレから提案がある」執務長官は、戸惑って、助けを求めるようにイグニス補佐官の顔を見たが、補佐官は、無表情のままじっと前を向き、執務長官に顔も向けなかった。王は、評議員達の不思議そうな顔を順に眺めながら「まず・・・ 何よりも、先に、礼を言わせてくれ。そんな偉そうに礼が言える立場じゃないというのは、重々承知だ。しかし・・・ルシス王家の血を引くものとして、そして、ルシスで生まれ育った一人の人間として、この苦しい闇の時代を、多くの困窮した市民や難民のために働き、人々を導いてくれたこと・・・心より感謝する。ありがとう」王は、すっと立ち上がって、そして、深々と頭を下げた。ぐっと・・・感情が高ぶり、涙ぐむものもいれば、冷静にじっとその様子を見つめ続けるものもいた。王の近くに座っていたオヴァールや、その迎えのコル将軍は、不思議と似たような様子で、ただ、じっと真剣な眼差しを王に向けて、軽く頭を下げていた。王は、執拗に長々と頭を下げたあと、ようやく姿勢を戻して、椅子に腰を下ろした。周囲の反応は、それほど気にした様子が無かった。ただ、自分の感謝の意が表わされれば、それで満足したようだ。「さて・・・ここに集ってくれた貴方がたとは、これから長い時間をかけ、この国の未来を、腹を割って話したいと思っている。オレがここへ戻ったのは・・・この10年必死に働いてくれた貴方がたの遣り方を覆すためじゃない。王室のあり方そのものが議論にあがって、評議員同士、反目しあってるのも聞いてる。しかし、今、ここにきて、オレが信じていることは・・・ここに集う者たちは、この国と、この国で生きる人々を幸せにしたいと願っているってことだ」「はじめにはっきりしておこう」と、王は声を大きくした。「自分の信条を押し通すために・・・他の信条を踏みにじっても良い、と考えるものがここにいるか?」しん・・・ として、評議員たちは押し黙った。何人かは、隣のものと顔を見合わせていた。「民の幸せより、自分の権威が重要だと思う者は?」評議員達の間に、苦笑がもれた。ヴァールも、隣の評議員と視線を合わせた。「異なる意見に耳を傾けるより、てっとりばやく、相手を潰してやりたいと思う者は?」ははは・・・ 一部で笑いが漏れたが、一部の議員は、難しい顔をして押し黙った。王は、評議員達の反応を、ゆっくり見て周り、そして満足そうに頷いた。「よし・・・そういう奴は、いないようだな。先の和平会議、ルシスでも中継を聞いていたと思う。ああいうのは正直ごめんだ。腹の探りあい・・・無言の圧力…相手をへし折ろうという空気・・・酷いもんだ。評議会は知恵を集める場所だ。権力闘争なら他所でやってくれ。その代わり、王家の尊厳など気にする必要ない。回りくどい言い方はめんどくさいし、お互い時間の無駄だ」と言ってから、王は、明らかにオヴァールの顔を見た。「例えば、オレが無能だ・・・と思うのなら、そうわかるように言え」直視されたオヴァールは、唐突なことに表情が固まった。王は、気に留める様子無く、すぐに視線を周囲に戻した。「それで・・・まず、この評議会と王室がめんどうなことになっている事実に目を向けよう。和平会議で苦労してもらったように、この評議会は、今のところ法的根拠のない、暫定組織となっている。それどころか、このオレも、まだ即位が正式承認されていない暫定の王というわけだ。で、本来であればここでひとつ茶番を打って、この評議会が消滅した王室審議会の代理組織としてオレの即位を承認し、オレが直ちに評議会を正式な政府機関として認定する・・・ということになる。お互いの意見の同異もろもろに目を瞑って、とりあえず、内外に向けて実権を宣言する・・・ていうのも、まあ、順当な手ではあるが・・・」と、王はここで溜めて、一同の反応を見つつ言葉を繋いだ。「オレは、評議会も王室のあり方も、なし崩し的に決める前に、この国の現状を知り、民の声を聞きたいと思っている。王の即位と、評議会の認定は、それまで保留にしたい」おおお・・・ 評議員たちはどよめいた。特に、上座のすぐそばにいるオヴァールは、驚きの表情を隠せなかった。目を見張って、ぶしつけに王の顔を見つめ、そして、続いて、向かい側に座っているコル将軍の顔を見た。コル将軍は、きりっ・・・と唇を固く結んだまま、表情を変えずに宙を見つめていた。その横に佇む、王の側近のイグニス補佐官でさえ、誰の視線も受け付けないように俯いて、無表情に固まったままだ。「そこでだ・・・まず、手始めに、人口の8割が集中しているレスタルムから視察を始める。レスタルムの、周辺地域・・・現在、市民権を得ていない難民居住地を含めて、隅から隅まで視察し、そこで民の声を聞きたい。オヴァール市長、協力してもらえるか?」オヴァールは指名されて、びくっ と体を震わせると、王の顔を見つめ返した。意表を突かれて、頭が真っ白になっていた。「それは・・・」「どうだ。頼めるか? まずは、この10年、ルシスを牽引してきた貴方に、視察の手配を頼みたいんだ。このオレが、ルシスの何を見るべきか・・・貴方ならよくわかっているはずだ」オヴァールは、なんとも返答に困っていた。評議員たちが静まって、オヴァールの反応を見守っていた。評議員達の視線を一斉に感じながら、嫌な汗が滲む。落ち着け・・・なんということはない。これは、チャンスだ・・・こんな若造の勢いに飲まれるんじゃない。オヴァールは、なんとか笑顔を取り繕い・・・ぎこちなく頷いた。「承知いたしました・・・陛下」その声は、いつになく弱々しかった。「先制攻撃は成功・・・と、思っていいのか?」評議会が、予定よりも早く解散となって、議会室に残っていたのは、コル将軍と、イグニスとグラディオだ。グラディオが、混乱した様子で聞いたが、返答するものはなかった。コルもイグニスも、難しい顔で黙ったままだ。「・・・我々に言ったとおり、貫いたな」コルは、低く呟いた。「ええ。想定したうちの最悪の事態には・・・ならなかったと思います」イグニスは淡々と応えた。コルはため息をつき、議会室の高い天井を見上げる。「そうだな。少なくともオヴァールに発言の機会を与えなかった」「そりゃ・・・そうだろ。やつの言いたいことを、先に言っちまったんだから」「それでも、オヴァールに言わせるのとノクトが言うのとではまるで意味が違うんだ」イグニスは補足するが・・・その評価が、前向きなのか後ろ向きなのか、グラディオにはわかりかねた。「王様は気楽そうだったな・・・イグニス、お前は胃が痛いって顔してんぞ」グラディオは心配そうに、その顔を覗き込んだ。イグニスは、首を振って「まあ、心配の種は尽きないが・・・」と、途中で言葉が途切れ、しばし黙った。グラディオは、訝しげにじっと視線を送った。視線に気が付き、はっとしてまた、顔を上げる。「悪い・・・ただ、受け止めるに時間がかかってる。オレも混乱しているんだ」ふううう・・・ とその時、コルもため息をついた。それから、徐に立ち上がって、二人に背を向けた。「俺はしばらく静観する・・・二人で王を支えろ」そして、押し黙ったまま、議会室を出て行った。その背中を見送ったあと、グラディオはますます声を落とし、「将軍・・・怒ってるわけじゃねぇよな?」と不安げに聞いた。イグニスは、俯き加減のまま「怒ってはいないと思うが・・・同じだ。混乱しているように思う」と答えた。「本当に、大丈夫か、あいつ・・・。オレは、王宮内に敵を作るんじゃねぇかって、ヒヤヒヤしてる」「そうだな・・・その心配が無いわけではない。しかし・・・」イグニスはまた、言葉を止める。なんだよ、さっきから・・・ グラディオはぼやきながら、その肩を叩いた。「お前もなんだか覇気がねぇし・・・我等が王様の無茶振りに、疲れ切ってんじゃねぇか。王を休ませてる場合じゃない、お前も休め」あ… と、イグニスは、小さく声をあげながらはっとした顔をする。休暇か… 「そうだな…評議会が伸びることを想定して、今日は殆ど予定を入れてないんだ。…このまま、休ませてもらうか」「おう!そうしろよ! オレも早めに家に引き上げさせてもらうぜ」グラディオは、嬉しそうに、もう一度、その背中を叩いた。すっかりグラディオを心配させてしまったな… なんとなく沈んだ気分のまま、イグニスの足は、王の居室へと向かっていた。休みをもらうにしても、午後、テヨにヴィンカー女史を紹介する予定になっていた。所定の応接室に双方を迎えるよう手配はしてあったが、やはり、はじめだけでも同席した方が良いだろう。ノクトに一言、声をかけておくか…王家のフロアに入ると、廊下に衛兵が並んでいて、手前にいた王室付きのデュークが早速、イグニスに目を止めた。「補佐官、陛下にご用でしょうか?」「ああ、部屋にいらっしゃるか?」いつもは賑やかなフロアが、静かなのを感じる。「陛下はお嬢様とお客人とご一緒に、東棟の屋上へ野鳥を見にお出かけになりまして。ベルコがお側についております」「客人…テヨ殿か?」「ええ。それに、ヴィンカー評議員もご一緒です」え… とイグニスは驚いた。「陛下が先ほど、評議員を連れてお戻りなりまして、しばらく応接室の方でご歓談されたのですが」「そうか…」「ルナフレーナ様は、まだ、応接室かと」「わかった」イグニスは、少し寂しそうに微笑んで、王の代わりに奥方に一声かけようと応接室の扉を叩いた。「イグニスです」はい、どうぞ と、何やらおしゃべりでも楽しんでいた様子の明るい声が返ってきた。イグニスは、戸を開けて中へ入った。人の気配は…二人。ルナフレーナ様と侍女マリアだろうと、予測を立てる。「陛下がご不在と聞きまして」「ええ。先ほど、みんなで楽しそうにアラネアの隠れ場所を見に行きました。ヴィンカー女史もご一緒です。テヨ様にご紹介をありがとうございました」ルナフレーナは楽しそうに、そう告げる。「東棟は、エレベーターがまだ稼働しておりませんが…」「そう聞いていますわ。それでも、女史がぜひともと言われて…楽しい方ですね」イグニスは、同意するように笑った。「陛下にご用でしょうか?」「いえ…本日は、この後自分も休暇をいただきますので、ご挨拶にと。王宮内にはおります。何かございましたら、お呼びだていただくよう、陛下にお伝えください」まあ… と、ルナフレーナは、驚いていた。「それは、ごゆっくりされてくださいね」ありがとうございます。 イグニスは、慇懃に頭を下げて、部屋を後にした。さて… イグニスは当てもなく、自分の居室へと足を向けた。王の居室の一つ上にある、執務室の並びにある。一部の執事たちも、ここに住わっており、侍女マリアの部屋もここにある。昼間のフロアは、皆で払ってがらんとしていた。イグニスは、戸惑いながら自分の部屋に足を踏み入れる… 読みかけの点字の資料や、音声記録が机の上に、イグニスだけがわかるルールで並べてあった。とりあえず、書斎の椅子にどっしりと体を預けた…頭が呆然とする。少し眠るかそう思って近くのベッドに、移動するが、いざ体を横たえても、眠れそうにない。怒涛の一週間…いや、和平会議も含めると、このひと月は息つく暇もなかった。極度の緊張の連続だったのを、自分でも意識していなかったが、どっしりと重い体を感じる。シナリオは狂ってばかりだった。それはそれでいい。オレの努力など報われずとも、構わない。しかし… と、イグニスは、ため息をつく。はっきりと…自分の力不足を感じた。オレの用意してきたものは、すべて100点の答案だ。あらかじめ予測可能な、誰もが順当と認める、優等生の答案。それでは足りない。王は既成概念を打ち砕き、新しい世界を作ろうとしている。ノクトが帰還したら…イグニスが、その日を待ちわびながら累々と用意した資料が、壁一面の棚に収まっていた。ノクトが帰還したら…王としての自信をつける、しばらくの間、あらゆる角度から、10年の空白を埋めるべく用意をしていた資料だ。評議員ひとりひとりの動向…ルシスの現状を示す各指標・・・会談や評議会で想定される問答・・・あらゆる問題に、おおよその回答をつけて、彼に渡すつもりだった。どうして10年の間、現世から引き離され、それまでも殆ど政治運営に関わらなかった人物が、突然にして王の責務を果たせるだろうか。コル将軍からの打診がなくても、王の影となって、しばらく彼を支えるのは、自分しかいないと思っていた。もちろん・・あまりに身に余る重責。恐ろしくて眠れない日々が続いた。それでも・・・逃げない。ノクトが、引き受けたあの恐ろしい運命に比べれば、なんでもないはずだ。ははははは…イグニスは、疲れた笑いを漏らした。喜ぶべきことだろう。王は…あっという間に、遠くへ行ってしまい、自分はまるで、彼の考えについていっていない。順当な枠の中で考える自分は、あまりにも、小さい…王を信じて追随すべきか、それとも、全力で彼を押しとどめるべきかも、判断が出来ないでいる。オレはノクトを支えられるだろうか…イグニスは、ぽっかりと、穴に落ちていくような気がした。ふううう と、息を吐いた。いかんな。部屋に閉じこもっていては、気分が沈むばかりだ。ゆっくりと、体を起こす。しかし、他にどこへ行けばいい・・・ 資料室・・・評議室・・・執務室・・・自分の行き場所として思いつくのは、仕事場ばかり。あ・・・ と、一箇所、仕事から離れた場所を思い出して、ベッドから立ち上がった。久しくあそこへ顔を出していなかったな、と思い出す。部屋をでて、中央棟まで歩いた。工事中の音が鳴り響く中、記憶を頼りに、廊下の、修復の無い箇所を選んで前へと進む。音の反響で、中央棟のホールの辺りだとわかり、そこを反対側に渡れば・・・エレベータの前に出る。近くにいた警護隊の誰かが、補佐官・・・下ですか、と声を掛けた。「ああ、悪いな」「いえ、どうぞ、お気軽にお声ください」その声・・・誰だろうか。大抵の名前は記憶しているんだが。ぴこん、と音がして、エレベータの扉が空くのが分かる。イグニスは、空間の記憶と、わずかな光の加減をたよりにエレベータに乗り込んだ。「何階ですか?」「1階だ」ボタンを押してくれたようだ。エレベータのボタンの位置は、把握しているので問題が無かったが・・・まあ、気遣いに甘えよう。「それではお気をつけて」1階のボタンを押した跡、人影がエレベータを降りるのを感じた。「ありがとう」誰だかわからない相手に、イグニスは笑いかけた。1階につく・・・よく知った空間なので迷うことは無い。久しくその場所を訪れていなかったが、体はよく覚えている。1階の玄関ホールは、今、大掛かりな修復はしていないはずだ・・・ホールに控えている者たちが、イグニスに礼をしているのを感じる。イグニスは答えるようにちょっと右手を上げて、彼らの気配の前を通り過ぎた。左手にホールを横切って行くと・・・後は、立ち働く人の気配や、匂いでわかる。がしゃんがしゃんと、金物がこすれあう音や、トントンと何かを刻む音・・・そして、ぐつぐつと煮える鍋の音が聞こえる。イグニスはほっとして、その入り口に立った。「邪魔するぞ」と中に声を掛けると、すぐに近くにいたものが答えて「これは・・・イグニスさん。こちらへいらっしゃるのは久しぶりですねぇ」その、親しみのある声から、王宮料理人のジータスだとわかる。あの王都陥落を生き抜いた数少ない料理人だ。闇の時代・・・長らく、レスタルムのはずれで、料理屋をやっていたのを、評判を聞きつけてイグニスが店を訪れ、再会を果たした。ノクトの帰還を見据えて、口説き落として呼び戻したのだ。「突然すまないな」「いいですよ。このところ働きづめって聞いていますよ。今日は、何か作りますか?」「ああ・・・そうだな。久しぶりに、タルトでも作ろうか」と、イグニスは思いついた。狭い調理場のため、ジータスがイグニスの手を引き、彼専用に用意された調理台まで誘導した。イグニスのために、いつも同じ場所に、ひと揃えの道具、調味料が用意されていた。「タルトですね。いいのがありますよ。ワルトベリー。これでやりましょうか?」「そうだな」ふふふ、とジータスが笑っているのが聞こえた。「久しぶりですね・・・その顔。王子に作ってやるんでしょ。あ、いけね。いまは王様だった」イグニスも、若かりし頃に調理場に入り浸っていたのを思い出して笑った。「あれだけ苦労してたのに、陛下には驚きましたね。お野菜もちゃんとお召し上がりになって。ほんとにご自分で召し上がっているのかな?」ジータスはちょっと疑うようなことを言いながら、小麦粉やら卵やら、仕入れたばかりのワルトベリーやらを調理台の上に並べていた。イグニスは、気配を頼りに一つ一つの食材に手を触れて確認する。「本当に召し上がっているようだ。オレもはじめは疑ったが・・・ルナフレーナ様がご一緒だからな。ごまかしは許さないお方だ」と、笑ってジータスに答える。へええ・・・ 「ルナフレーナ様のおかげですかね? それとも・・・荒野の旅のせいかな。腹がすけばなんでも旨いってもんですから」「そうだな・・・両方かもしれないな」「何人分作るので?」ん? とイグニスは数えてみた。グラディオは、午後早々と帰宅すると言っていたし・・・ 親子3人と、テヨと、ヴィンカー女史・・・そして、アラネア嬢のことだ。みんなで食べようと言い出すに違いない。衛兵数人と、マリアの分は必要だろう。「ざっと、10人から15人だな。多めの方がいいだろう」わかりました・・・と言って、ジータスが材料をそろえてくれていた。イグニスは腕まくりをして、流しで手を洗うと、不思議と、気持ちが浮き立っている自分に気がづいた。料理を作っているときは・・・難しいことを考えなくて済む。まっさらになって、ただ、食べてくれる人の笑顔を思い浮かべれればそれで良かった。「オーブン、暖めときますよ」「ああ、助かる。あとは大丈夫だ」イグニスは、楽しそうに微笑んでいた。ジータスは、邪魔をしては悪いな・・・と思って、イグニスの調理代を離れた。計りは軽量カップに頼る。少量の調味料なら、目分量、手の感覚で大概が事足りる。手の感覚を頼りに、生地の出来具合を知る。捏ねるだけで楽しい・・・この感覚は久しぶりだ。ずっと、部屋につめて、頭ばかり使っていたからな・・・イグニスは笑った。たまにはこうして、体を動かし、五感を使わなければ・・・荒野にでて、すっかりぶっとんでしまった主に仕えるには、まさに、違う筋肉、違う脳の活性が必要なのだろう。イグニスの鼻が・・・生地の程よい香り、を感じ取った。よし・・・ 生地を寝かしつつ、ワルトベリーのジャムを作り始める。砂糖は控えめ、かるくレモン・・・隠し味に、地味に富んだ岩塩少々。ブランデーを一振り。ことことと、弱火で煮詰めながら、今度は生地を伸ばしにかかる。幾層にも折りたたんで伸ばす・・・執拗に、何度でも繰り返す。繰り返せば繰り返すほどに、繊細な層の重なりになり、焼いたときにふわっと、膨らむ。きっとアラネアは好きだろうな・・・ノクトとアラネアは、好みがよく似ている。イグニスはにやっと笑った。生地を切り出して、タルトの丸い舟を作る。オーブンのトレーに敷き詰めておく。最後にベリーのジャムをのせていく。自分でも、面白いほどに、作り上げたそのタルトの配置が分かる。見えていないはずの手が、間違えることなくジャムをのせていく・・・ ふふふふ。思わず笑いが漏れた。30個ほどのタルトがずらっと二つのトレーに並んでいた。イグニスは、オーブンをあけて、頬にうけるその熱風から、温度がちょうど良いことを理解していた。トレーを中に入れて、蓋を閉めると・・・満足そうにため息をついた。焼き上がりに、30分ほどか・・・視力を失ってから得たもののひとつが、時間の感覚だ。集中していれば、ほとんど間違えることがない。何より、ここにいればその匂いで焼き加減は分かる・・・。イグニスは、片づけをしながら鼻歌を歌っていた。調理場にいた誰かが、くすくすと笑っているのが聞こえたが、気にならなかった。いつも、険しい顔ばかりしてたろうな・・・イグニスはひとりで笑った。強面の側近か・・・そんなものは、多分、この国の王には不要だな。そして、なんとなく、ノクトがアラネアをつれて帰った理由が分かったような気がした。ああ・・・いい匂いだ。彼の嗅覚は焼き上がりを知らせていた。腕時計に触れて、時刻を確認する・・・14時39分・・・そろそろ、おやつにいい頃だ。アラネア嬢の秘密基地を見てきた一行は、50階の階段を往復して腹をすかしていることだろう。「すまん・・・誰か。お茶を用意してもらえるか。これから、王の居室に運んでくれ」わかりました。 傍にいた若い調理人が明るい声で答えた。

Chapter 25.4-王宮大捜索-

ー全隊員につぐ。緊急事態だグラディオラス隊長の声が響き、隊員達に緊張が走った。ーアラネア嬢と、陛下が、それぞれ行方不明・・・王宮は出ていないものと推定される。これより、全隊員で王宮を捜索する。へ・・・? 隊員たちは顔を見合わせた。どんな危険が迫っているのかと思っていたら・・・ー第2班は右翼棟、第3班は中央西棟、第4班は中央東棟、第5班は王宮外周部。第1班は、1名を左翼に残し、各班に合流しろ。第4班のリーダー、オルト・ヴァルティナスは、さっと顔を上げて、傍にいた隊員達に視線を向けた。午後からのシフトに備えて、一同は控え室にいた。隊員たちは、すぐに立ち上がって、いつでも、出動できるよう整列を始めている。オルトは、耳元の無線を押さえつけるようにして、注意深く指令を聞く。ーそれぞれ、封鎖区域も含めて、しらみつぶしに捜索するんだ。相手はチビだ・・・棚の中や、物陰までよく見ろよ。陛下の姿を見つけたら、直ちに、オレに一報しろー了解ですオルトは、即座に返答する。一早くに反応できたと思うが、すでに他の班のリーダーからも同様の応答が重なった。脳裏に、数日前に出迎えた王の姿を思い起こそうとする・・・ 思ったより細身の、頬がこけた男だ。若かりし頃のレギス陛下に似ているという者もいたが、オルトにはちょっとわからない。白い地肌に、鼻の頭が日焼けして黒かったのが目だっていた。ニフルハイムの荒野を彷徨ってきたと言う噂は、どうやら本当らしい。「お前達、聞いたな?」オルトは、整列した隊員達に向き合う。「緊急指令だ。第4班は、中央東棟の全区域を捜索する。ツーマンセルで各階層を捜索する。ボルタ・・・お前達が6階以下、ルビナス・・・7階から10階、ゴートニィ、10階から15階、ホーマは15階から20階、リリヤ・・・20階から25階、残りはオレに続いて上階を捜索する」はい! と部下達が声を揃えて返答した。「ただちに捜索開始!」オルトの号令で、さっと、隊員達が各地域に向かって飛び出した。他の班を見送ってオルトも、残る4名の隊員を率いて、非常階段へ向かった。先に非常階段を上がっている隊員たちはそれぞれの持ち場となるフロアにいそぐ・・・さすがに早く、その姿はもうない。一番最上階まであがることになるオルトの組は、ペースを押さえながら6階を過ぎようとした。その時ーどんどん!!! 左翼の建物の屋根へと出る非常口が、激しく外側から打ち鳴らされるのを聞いた。オルトは、部下数人と共に、通り過ぎたばかりの踊り場に舞い戻った。どんどん!オルトは警戒をして部下が銃を構えるところに、自分は非常口の前に立って、向こう側の様子を伺う・・・男の声が、なにやら叫んでいる。まさか・・・?オルトは、部下達に銃を下ろすように指示をして、緊張しながら、非常口の鍵を解除した・・・細身の男が、どっとなだれ込むように扉を開けて中に駆け込んできた。「陛下?!」オルトは、その顔を確かめるように覗き込む。「おい、屋上へ行くぞ!!」と、男は慌てた様子で、オルトに訴えた。顔は真っ青だ。ええと・・・陛下だよな? オルトはやや自信なさげに男の様子を伺う・・・全身、黒いシャツに黒いズボン・・・王家のお決まりの黒尽くめの装いながら、なぜか、埃まみれだ。「アラネアが、最上部へ上がるのを見た! あいつ…外壁を登りやがった!」と、額に汗を浮かべて、オルトに訴えかける。理解ができないオルトは、「陛下・・・落ち着いてください、今、隊長に連絡を・・・」となだめたが、男は激しく首を振って、知った様子でエレベータホールを目指して駆け出そうとした。オルトは慌てて、その腕を引いた。「陛下・・・東棟は、エレベータがまだ動きません。最上部へ行くには非常階段しかありません」「マジかよ・・・」王は、ぐったりと疲れた顔をして、肩を落とした。「我々がお嬢様をお迎えにあがりますので、陛下は居室でお待ちください」「いや・・・」王は、頑なに首を振った。「また、他所に飛び移ったり逃げられたりすると厄介だ。追いかけて刺激するのも怖い。オレなら連れて帰れる」と言って、迷わず非常階段の方へ向かおうとした。オルトは、さっと遮るように、王の前に躍り出た。「最上部の方は、まだ、建物の安全確認も完全ではありませんので、私が先導いたします」それで、ようやく王も納得して、やや落ち着きを取り戻していた。オルトはほっとして、ー第4班、オルトです。ノクティス陛下を東棟6階にて発見。これより、アラネアお嬢様をお迎えに、屋上へ向かいますと、無線に連絡を入れた。ー屋上だと? おい、陛下にはすぐに居室に戻るように言え!!オルトは戸惑って王を振り返り、「グラディオラス隊長より、すぐに居室にお戻りになるようご連絡がございますが・・・」しかし、王の方は、まったく聞く気が無い様子で首を振り、「ほうっておけ。屋上へ急ごう」と、オルトを追い抜きそうな勢いで迫る。オルトはしぶしぶ非常階段を登り始めた。ー陛下はご自分でお迎えにあがると…息を切らしながらオルトは、かろうじて無線に答える。ちっ… と隊長の舌打ちが聞こえた。-こっちも今から向かう。とにかく、陛下から目を離すな!-了解ですつづいて、オルトは自分の隊員たちに告げる。ーオルトだ。第4班につぐ・・・陛下を東棟6階にて発見。アラネア嬢を東棟屋上にて目撃情報あり。これより捜索向かう。確認が取れるまで、各班はそのまま、捜索を継続・・・オルトは、無線に呼びかけながら、王の気迫に押されるように非常階段を駆け上がった。最上部まで、このペースでいけるだろうか・・・ 王はまるで、問題ない、と言った様子で、ぐんぐんオルトに迫ろうとする。王の後ろからは、置いていかれまいと、オルトの部下が4人ほどくっついて来ていた。だだだだだだだ・・・ 非常階段を、乱暴に駆け上がる足音が鳴り響いた。時折、他の階の捜索しているペアとすれ違う。一行に気付き、狭い非常階段の脇に避けて敬礼をする。オルトは、目配せをする時間もないままに、その横を慌しく通り過ぎた。何事かと言う様子に、兵士たちは顔を見合わせて一行を見送っていた。30階ほど駆け上がると、さすがに王の顔が苦しそうになり、オルトはペースを落とした。後ろにくっついていた部下達も、少し息が上がっているようだが、そこは王の手前・・・彼もよりも早くに値を上げるわけにいかず、気張っているのが見える。「あと、20階ほどです・・・」オルトは励ますように言った。「ああ・・・、結構キツイな。エレベータはいつ、再開するんだ?」「東棟は、まだ、修復計画が立っていません」「そうか・・・」王のペースはどんどん落ちて、足が止まりそうだった。「少し休憩しましょうか?」「いや・・・」と、王は、しばし息を整えて「移動される前に捕まえないと・・・さあ、行こう」と、再び、オルトに迫った。オルトは気遣いつつペースを上げてみた。王は、自分で宣言したとおり、ぐんぐんとスピードをあげて、残りの階段を一気に駆け上がるつもりだ。「では・・・一気に行きましょう」オルトは、後ろについている部下にも聞こえるように言って、前を向いた。だだだだだだだ・・・ また、激しい足音が鳴り響いて、非常階段が振動した。オルトもさすがに額に汗しながら、しかし、背後に迫る王の気迫に振り返る余裕も無い・・・なんという、険しい表情だろう。それほどまでに、こどもが心配なのだろうか。脳裏に、王を出迎える際に目にした、こどもの姿が思い出される。あまりにも場違いな、みすぼらしい子どもに見えた。目は落ち窪んでいながらぎらぎらと大きく見開き、顔も腕も全身が日に焼けて斑な色をしている。髪の毛は無理やり整えて結わえてあったが、癖毛がところどころにはみ出していた。ややがに股で、着せられていたワンピースがお世辞にも似合ってはいない。ルナフレーナの、輝くような美しさに際立って、こどもは醜く見えた。ルナフレーナの、わが子を見るような深い慈愛に満ちた表情は、神々しいまでに彼女の博愛を示しているかのようだった。一方、まるで頓着した様子の無いそのこどもは、王宮の聳え立つ二つの塔に興奮をして、大きな声を上げながら、さかんにルナフレーナに塔を指差して見せた・・・しかし・・・壁をよじ登ったって?オルトの中に、巨大な疑問符が沸き起こる。・・・動揺されているんだ。5階から現れた経緯もよくわからないが・・・こどもを捜索して、自らそんなところにまで立ち入ったのだろうか?ようやく階段の終わり、屋上へと続く踊り場が見えてきた。オルトが一気に踊り場に上がると、続いて王がその後ろに飛び込むように上がり、そして、膝を突いて、ぜえぜえと激しく息をした・・・ 「くっそぉおお・・・ お前ら、よく鍛えてんな・・・」その悔しそうな言葉は、褒められているのか咎められているのか・・・オルトはなんと返事をしたものかと戸惑う。王の後ろから、隊員達も狭い踊り場へと上がる。みな、息は上がっているが、王ほど苦しそうではない。「大丈夫でしょうか・・・」「大丈夫だ・・・くそっ・・・ちょっとまて、ちょっとだけ」と、大きく息を吸って、呼吸を整えようとする。あの険しい顔は、見栄を張って苦しさに耐えていたのか・・・オルトは呆気にとられて、なんとか体裁を整えようとする王の姿を見る。「よし・・・」王は、まるでなんでもない様子を装って、威厳を保とうと胸を張っているように見えた。その時、屋上へと続く、扉の向こうから、わきゃあわきゃあ となにやら獣の無く大きな声がして、オルトと隊員は、さっと警戒の態勢を取った。この鳴き声の大きさ・・・かなり大型の野獣だ。「外に野獣が・・・お下がりください!」とオルトと隊員たちは、王の前に出たが、王は首を振って隊員たちを脇へ押しやり、自分が前に出ようとする。「ああ・・・言い忘れた。野鳥がいるんだ。でかいやつが飛んでるのが見えた・・・多分、大丈夫だ。仲良く遊んでいるんだろ」ええ?! 隊員たちは一様に戸惑う様子を見せて王の背中を見つめた。オルトは、慌てて「お待ちください・・・まずは、私が様子を確認しますので!!」と、まさに扉に手を掛けて屋上に出ようとした王を留めた。王は、ニヤッと笑って、「ほら、聞いてみろよ」と、あごで外の方を指す。え・・・ オルトは、促されるまま扉の方へ耳を澄ました。きゃきゃきゃきゃきゃきゃ・・・ 鳥の鳴き声に混じって、子どもの笑い声が聞こえる。鳥の、わきゃあわきゃあわきゃあ という鳴き声と、なにやら呼応して、まるで会話をしているかのように。オルトが呆気にとられて固まっていると、王は、そっと扉を押した。扉が静かに開く。屋上に立ち並んだ空調設備の機械の合間に、木の枝と泥とで出来た巨大なお椀上の巣が見えた。巨大な塗り色をした鳥が、すっぽりと巣に収まって毛づくろいをしている。子どもの姿が見えない・・・ オルトは緊張して、上体を乗り出しながら、慎重に辺りを見回した。寛いでいた鳥は、オルトに気がついて、ぎょっ と顔を上げて、こちらを見た。その視線が、まっすぐにオルトを睨みつけていた。ぐるぐるぐる・・・のどを鳴らして、威嚇しているのだろうか。「前に出ると刺激する・・・動くな」王は、動じずに静かに言った。「おい、アラネア。いるか?」王は、獣を驚かせないよう、低い声で、呼びかけた。お、おおお? すぐに巣の辺りから返答があって、大きな鳥の懐から、まるで雛の一羽のようにひょっこりと顔が現れた。と、同時に、まるで兄弟の真似でもするように、数羽の雛がひょこひょこと、子どもの脇から顔を出す。「呆れた・・・お前、そこんちの子どもになるのか?」王は、笑って、もう安心した様子で腕組みをして立っている。アラネア嬢は、にかっ と王に笑い返すと、ひょいっと巣を抜け出し、ばっと駆け出して王の胸に飛び込んだ。「ノクト! お腹すいた!!」王は、笑顔で娘を抱きとめつつ、そろりと扉の内側に身を引いた。オルトは、慎重にゆっくりと扉を閉める。警戒してこちらを見つめていた親鳥は、もう興味を失ったようにひな鳥の毛づくろいをはじめていた。「お前なあ・・・ メシどころじゃねぇぞ・・・きっと、グラディオとイグニスがカンカンになってる」王は呆れた様子で抱きついたアラネア嬢を非常階段の踊り場に下ろした。「ほら・・・こいつらもお前を捜索してこんなところまで上がってきたんだぞ」アラネア嬢は、不思議そうな顔して、集まっていた隊員たちを順に見ていた。オルトは一瞬、呆然としたが・・・すぐに気を取り直して、無線に呼びかけた。ーこちらオルト。東棟屋上にてアラネア嬢を無事保護しました。なお、屋上に、大型の鳥獣が巣を作って住み着いていることが判明。取り急ぎの危険は無いものと判断しますが、空調設備への影響を懸念しますーグラディオだ。オルト、ご苦労だったな。その両名をとっつかまえて、すぐに居室まで連行してくれえ・・・ オルトは一瞬言葉につまりー了解しました。両名をすぐにお連れしますと返答した。「・・・陛下、すぐに居室へお連れするようにと隊長よりご連絡が」ほらみろ! と、王は、こつんと、アラネア嬢の頭を小突いた。ああ、グラディオ、怒ってるかな? アラネアは、頭をさすりながら、王の顔を見る。しょうがない・・・と王は腕組みをした。「オレもサボったしな・・・二人で素直に怒られてこよう」おおお! アラネア嬢はうれしそうな顔をした。「ノクトと一緒か! よかった!」デュークは、見ない、聞かない・・・と自分に言い聞かせる。目をしばしばと瞬きながら、視野をぼやかしてその光景を見まいと意識するが・・・しかし、難しい。いっそのこと目を閉じてしまいたいと思う。「お前ら!!!!」グラディオラス隊長の、怒鳴り声が響く。王の居室の一角にある、応接室の中で、床に正座させられているのは・・・ まさに王と、外国より連れ帰った孤児だ。隊長の隣には、難しい顔をしたイグニス補佐官が立ち、応接室の片隅では、ルナフレーナが穏やかな笑顔のまま、この光景を見守っていた。「親子でいい加減にしろよ!! 王とその娘が、サボりで王宮中捜索されるたぁ、前代未聞だぞ!!! 警護隊、全体を動かすのにどれだけの人件費がかかってると思ってる?!」怒られた二人はしゅん、となって下を向いている。デュークの隣に立っていたベルコも・・・よほど、いたたまれないのだろう。落ち着き無く、体を揺らしたり、姿勢を変えたりしていた。ちらっと、デュークの方へ視線を遣り・・・オレら外にいたらいけないだろうか・・・と、問いかけているようにも見えた。ほんと、廊下で待っていたいよ・・・とほほデュークは、ため息をつきたいのを必死に抑えて、なんとか、まっすぐに立っていた。「お前も、50階建てのビルの外壁を登るとか、バカか!!!」と、アラネア嬢の方を向いて怒鳴りつけるかと思えば「お前も!! 6階とはいえ、よじ登るか?! まず、ダクトに侵入する前に、誰かを呼べよ!!!」と、今度は、王の方を向いて怒鳴る。二人は交互に、肩をすくめながら、反省を示すように小さくなって見せた。「だって・・・」と、アラネア嬢の方は、小さく呟いた。「嫌だったんだもん」王も、まるで真似するように「・・・オレも嫌だったんだもん。会議出るくらいなら飛び降りようかとも思った」3階だけど・・・ と王は小さく呟く。「お・ま・え・ら・なぁ・・・!!!!」隊長がさらに雷を落とそうと身構え、まさに、王とお嬢とか首をすくめたとき、隣に立っていたイグニス補佐官が、さっと、前に出た。「もうやめよう」グラディオラス隊長は、言葉を止めて、補佐官を見た。「もうやめよう・・・ これは、明らかにオレの失態だ」イグニス補佐官は念を押すように言った。そして、急に姿勢を正したかと思うと、王とアラネア嬢に向かって、深々と頭を下げた。「これは・・・私の失態です。陛下とアラネアお嬢様の意向を確認せず・・・ご無理を強いました。配慮が掛けておりました。誠に申し訳ございません」一同は、しん・・・ と静まった。気まずい雰囲気があたりに漂った。デュークは、・・・ああ、もう勘弁して欲しいと、穴にでも入りたい気分で、必死に、見てない、聞いていないと自分に言い聞かせた。王は明らかに、動揺して、そして後悔を顔に滲ませて、どのように答えるべきかと考えを巡らせていた。グラディオラス隊長は、どうすんだよ、と責めるような目で王を見ている。うだうだと返事ができない王にかわり、動き出したのはアラネア嬢だ・・・アラネアは急にすくっと立ち上がるかと思うと、ぱあああ と笑顔を浮かべた。・・・え?! 王も、グラディオラス隊長も、そして隣のベルコも驚いて、何が起こるかをじっと見守る。アラネアは、一同の注目など気がついた様子もなく、さっと、イグニスの前に歩み寄ると、右手を差し出した。「もういいぞ、イグニス! 仲直りだな!」えええええええええ?!その場にいた、ほとんどのものが、驚愕の表情でアラネアを見、そして、今度は、イグニスの反応を固唾を飲んで見守った。アラネアはまったく屈託の無い様子で、ただニコニコと右手を差し出している。イグニスは、言われて、動揺をしているように見えた。すぐ近くにアラネアが迫ったことは、気配とわずかな影でわかったが、右手を差し出されていることはさすがにわからないようだ。「アラネア。握手したいんだったら、自分から手を掴まないとダメだ。イグニスは見えないぞ・・・」先ほどまで驚愕していた王が、少し落ち着きを取り戻して、静かに言った。ああ、そうか・・・アラネアは、言われたとおりにイグニスの右手を自分で掴んだ。「仲直りの握手だぞ!」そして、にこっ と、一人で満足したように笑いかける。戸惑っていたイグニスは、触れられた小さな手を、握り返して、その笑顔を見ようと顔を上げた。握り返した手は・・・ 想像していた以上に小さく・・・イグニスは、どきりとした。イグニス補佐官の驚いた顔が、じっとアラネア嬢を見つめているように見えた。しばし、沈黙が横たわったが・・・やがて、補佐官の顔にも笑顔が浮かんだ。「わかりました・・・仲直りしましょう。こちらこそ、よろしくお願いいたします」イグニス補佐官は、穏やかな笑みを浮かべて、アラネア嬢の手を、しっかりと握り返した。サングラスの向こうの目が、わずかに潤んでいるような気がしたが、いや・・・気のせいか。アラネア嬢から手を離して、改めて王に向き合う・・・そのときには、自信に満ちたようにまっすぐに立ち、いつもの補佐官のように見えた。「陛下・・・明日は、一日、予定をキャンセルいたします。どうぞ、ご家族で休暇をお過ごしください」イグニス補佐官は、淡々と言った。王は、驚いて「いいのか?」グラディオラス隊長でさえも、不安げに、本気か? と小声で呟いた。「はい。ほとんどの予定は、来週以降でも問題はありません。本当に陛下の出席が必要があるか見直した上で、再調整いたします。なにより、次の評議会には万全の体調で望んでいただきたいので・・・」それから、イグニス補佐官は、ほっと安心したようにため息をついた。グラディオラス隊長は、むむ、と納得しない様子で、もうすっかり緊張が解けていた親子を睨みつけると「お前ら、今度から、どーーーーしても、サボるんだったら、せめて護衛をつけろ。護衛もつけずに飛び出したら許さんぞ!!」とダメ押しした。「ごえい?」「この辺りを守っている兵隊のことだよ。そうか・・・じゃあ、今度は、サボるときはデュークに付き合ってもらおう」と、王がこともなく言うと「わかった! あーちゃんはベルコと一緒に行く!!」とアラネアが続けたので、デュークとベルコは思わず、ぎょっとしてお互いに顔を見合わせてしまった。お前らな・・・ グラディオラス隊長が、苦虫を潰したような表情で呟いていた。深夜・・・ルーナは、静かな寝室で、はっと目を覚ました。窓から静かに差し込む月光が、室内をうっすら浮かび上がらせていた。ひんやりと空気が冷たい・・・夜空はよく晴れているようだ。寝返りを打つと・・・静かに寝息を立てている夫の背中が見えた。そっと顔を上げて、夫の向こう側にもぐりこんでいる娘を見る。王宮中を大騒ぎさせた一日・・・夫も、そして娘もよほど疲れただろう。前後不覚に、正体もなく、お互いに寄り添うようにして深い眠りに落ちている。ルーナは、そのまま体を起こし、しばし、薄闇の中でノクトの寝顔を見ていた。昨日まで、苦渋の表情で眠ることの多かったが、今夜は穏やかな顔をしている。10年も留守にいた王国で公務に戻るのはどれほど大変か。和平会議の旅程の中でも、夫婦してその心配を幾度となく話し合ったものだが・・・ルーナはため息をついた。それから、若かりし頃に、世界各地を訪問していたときのことが、ふと思い出された。どんなに忙しくても・・・要請があれば、どこへでも赴いた。人々の期待が、自分を突き動かしていた。周囲の心配も、特に、兄の心配には耳を傾けずにいた。ひとつでも多くの期待にこたえることが自分の使命だと、信じていた。今のノクティスも、きっと、側近達の期待に必死にこたえようとしている。あの時代を思い返すに苦しくなるのはどうしてだろう・・・とても、輝いていたはずなのに。耳に蘇るのは、歓声や、人々の喜びの声や、そして、感極まって涙する声・・・しかし、苦しそうな声もたくさん聞いた。四肢をじんとさせるような充実感の一方で、何か、胸が埋め尽くされるような、息苦しさには、気付かないようにしていた。ほっと、息をつきながら、ベッドに体を横たえる・・・膨らみ始めた腹をそっと撫でてみた。もう少ししたら、胎動がわかるそうだ。早くその動きを知りたくて、注意を向けてみる。胃の動きか、腸の動きかと判別できないが、ときおり、ぽこぽこと小突くような感じがする。これかしら・・・ 自分で自分に問いながら、そっと目を閉じた。ルーナ・・・ 優しく呼びかける声がして、ルーナは目を開けた。今しがた寝てばかり、と思っていたが、はっとする。あたりは、懐かしい風景・・・咲き乱れるジールの花。ルーナ! ちょっとはなれたところから、優しい男の子の声がする。花の合間から顔を上げると、男の子の姿がうろうろと自分を探しているのが見えた。「ノクティス様」ルーナは、笑って男の子に手を振った。幼いノクティス王子は、ぱっと振り向くと、嬉しそうにルーナのほうへ駆けてきた。「ここにいたんだ!」「ええ・・・いつでも、お傍におります」ルーナは体を起こして立ち上がった。ノクティスより、まだちょっと背の高い・・・そう、あのころはこんな風に見下ろしていたんだっけ。二人は手を繋いで、花畑を歩いた。ノクティスの横顔は、照れくさそうに笑っている。「あの、あのね・・・」ノクティスは、恥ずかしくて顔が見れないまま、話し始める。「あのね・・・僕、ルーナを守るよ。絶対に、死んでも守るよ」その顔は、ちっとも不安を感じていない。守りきれると信じて、力強い・・・途端に、ルーナの胸が苦しくなった。同時に、視界が高くなり・・・ノクティスの体が、徐々に小さくなったように感じた。いや、自分が大人の姿になったのだ。大人のルーナは、小さなノクティスの前にかがんで、その、あどけない顔を正面に見た。ノクティスは不思議そうに、ルーナの顔を見返した。「どうしたの・・・? ルーナ?」「嫌です、ノクティス様・・・死んでは嫌です。一緒に、生きてください・・・」使命なんて・・・もう・・・ルーナは、涙を浮かべながら、幼いノクティスの体を抱きしめた。ルーナは、自分の涙ではっと目を開けた。浅い眠りから覚めて、窓の外が白み始めているのに気がついた。ノクトの、やや疲れた寝顔が、すぐ傍に見えた。すやすやと、穏やかな寝息を立てて、少し笑っているように見えた。そっと、愛おしそうにその頬なでた。早朝の王の間・・・ 修復のためにそこら中に足場が組まれている。この場所で起きた、戦いの激しさを物語っている。早朝なのでまだ、工事ははじまらず、静かな時間が流れていた。吹き飛んだ片側の壁から光が差し込んで、玉座の辺りを照らしているが、肝心の玉座は修復作業のために分厚いカバーを掛けられていたままだ。まるで、玉座は眠りについているように見える。イグニスは、やや慌てた様子で、工事中開け放されたままの王の間の扉をくぐった。人の気配があった・・・跪いているのか。光の中で、床のあたりに体を丸めているようなぼやっとした人影を感じる。「ルナ・・・フレーナ・・・様?」誰かが、立ち上がる気配がした。「イグニス様・・・申し訳ございません。こんな早くにお呼び立てして」「いえ・・・自分は、問題ありません。しかし、このような早朝に、いかがなされましたか」ルナフレーナの心が、なぜか沈んでいるように思えて、イグニスはどきっとした。今日一日の休みを決めたものの、このところ、ノクトを拘束しすぎたことが、やはり気にかかったか・・・「その・・・申し訳ございません。ご帰還早々、ご家族の時間が取れず・・・」「いいえ・・・ご無理をお願いして、お休みをいただきましたもの」ルーナは首を振ったようだ。しかし、やはり、悲しみが伝わってくる。「明日の評議会が無事に終われば・・・少しは、余裕が出来るかと」その時、意外にも、ふっと笑うような声がして、イグニスはどきっとした。「無事には終わらないでしょう」ルーナははっきりと言った。イグニスは、はっとして、言葉を呑んだ。「ここまでの道中、ルシスの国内情勢もいろいろと耳にしています。闇が明けてから、ゆれているのは、ニフルハイムも、アコルドも・・・このルシスでも同じこと。落ち着くには、しばらく時間がかかりますね」「誠に・・・おっしゃるとおりで・・・」イグニスは、すっかり恐縮して答えた。詰まらない誤魔化しをした自分を、恥じた。「立ち話もお体に触ります。よろしければ、応接室の方へ・・・」「いえ。忙しいところ、あまりお時間を取らせてもいけませんから」そして、ルーナは、数歩、玉座の方へ歩み出たように思えた。その足音は、静かだが、やはりどこか寂しさを滲ませていた。「ここで・・・レギス陛下に、お祈りをしておりました」躊躇いがちに、言葉を繋いでいる。「レギス陛下にきっとお叱りを受けます・・・でも、貴方はノクティスの幼い頃からお傍にいてくださった方。どうしても、聞いていただきたいと思いまして」「はい・・・」イグニスは、なぜか恐れを感じはじめていた。ルーナの心が・・・いつものように強い覚悟に満ちている。しかし、そこに混じる深い悲しみのようなものはなんだろうか。寂しさと・・・悔悟か?「イグニス様。私は・・・恥をしのんで、このルシスに参りました」ルナフレーナは・・・思い切ったように言った。イグニスは、動揺を隠すことが出来ずに、口ごもる。「それは・・・」ルーナは、すぐに言葉を続けた。「幼い頃から、ノクティスを・・・ノクティス様を神凪としてお支えして参りましたが、それもすべて、あの場所へ・・・あの方を導くためです。ご存知ですね、あそこで、何が起きたか」ルーナが、玉座の方を見ているのが、はっきりとわかる。イグニスも、恐る恐る顔を挙げ、玉座を見ようとした。うっすらと光を捉えるその目に・・・玉座が見えてくるような気がして、恐ろしかった。「ご存知の通り・・・幼少の頃より、私は、ノクティス様に親しくさせていただきました。その一方で・・・残酷な真実を隠し続けて来ました。恐ろしい運命を知りながら、まるでたわいのない、楽しいお話だけをして・・・」時折イグニスが覗きこんだ、あの、二人の交換ノートの内容が思い出された。短い言葉のやり取り・・・些細な日常をつづり、暖かい気遣いを感じるメッセージ。さりげなく、ノクトを励まし、ノクトを支えていた。「ノクトは貴女のお心に支えられていました。それに、貴女は貴女のご使命に従って・・・」「だからこそ、冷酷ではありませんか」ルナフレーナの口調は、静かだが、厳しかった。「ノクティス様は・・・使命のためではなく、いつでも・・・何者でもない私、そのままの姿を愛し、その幸せを願っていてくださいました。なのに、私は・・・」イグニスの脳裏に、幼い頃のノクトの姿が思い浮かぶ。ノクトはアンブラが現れると、時にはしゃぎ、時にすまして、そのノートを受け取った。夢中で返事を書くこともあれば、しばらく戸棚にしまわれたこともあったが・・・しかし、それに向き合う時は、気負うことのない、素の顔を見せていた。「厚かましい女とお思いでしょう。まさしく・・・一度、死に追いやりながら、どうしてのうのうと、妻となりえましょうか。まして、王の后となることなど、本来許されるはずがありません」イグニスは、はらはらして、思わず「お言葉ですが・・・貴女以外に、陛下の奥方となり得ません」と、語気を強めた。ルーナフレーナは、笑ったようだ。「私は、もう何があっても、ノクティスの傍を離れる気はありません。自分の罪は承知の上です。そして・・・今度、運命が、ノクティスを死へ追いやるというのであれば・・・私は全力で抗います」はっ として、イグニスは顔を上げた。わずかに光を受けて、人影が分かる・・・すっと、自分の前に立っているその人物は・・・巫女? いや・・・遥かに大きい姿を感じる。イグニスは・・・畏怖の念を表わすように、すっと頭を下げた。

Chapter 25.3-王様失踪-

王様らしく、ぐっとあごを引き、胸を張る。とんとんとん・・・ わざとらしく皮靴の踵を鳴らし、ずらっと並ぶ臣下たちの横を歩く。目指しているのは、正面の、王の椅子だ。他の人より、一際大きく、見るからに重厚で、背もたれの装飾も手が込んでいる。仰々しいな・・・ と内心で思いつつ、顔に出さないように注意する。王は王らしく、臣下は臣下らしく・・・ここでは、それが暗黙のルールだ。思わず、ため息を付きそうになり・・・すんでのところで息を止める。常に、自信を見せ、冷静沈着でいなければいけない。王の威厳を見せろ。ため息なんて、もってのほかだ。目指す王の椅子が、すぐ目の前に近づいた。堂々と・・・偉そうに、わざとゆっくりとした動作で、その椅子に座ろうとして・・・臣下たちの方を振り返った。あああ?! 思わず、驚愕の声を上げて、腰を浮かしたまま間抜けに立ち尽くした。振り返った先に、ずらっと立ち並ぶ臣下たち・・・その先が、遥かかなたの地平線まで続いていて終わりが見えない。合わせ鏡の向こう側のように、無限に続く臣下の列が、ざっと、王の方を向いて敬礼をした・・・「わわわ・・・」ノクトは声を上げて、ベッドから飛び起きた。ぜぇぜぇぜぇ・・・呼吸が荒く、嫌な汗をかいている・・・目に入るのは、朝の静かで平和な寝室だ。寝室には一人だった。ルーナも・・・昨夜ベッドに潜り込んでいたアラネアも姿がない。寝室隣のリビングも、しんとして、人の気配がなさそうに思える。もう、ダイニングの方へいるのだろう。寝過ごしたかな・・・ ノクトは、軽くめまいを覚えながら、ベッドから出ようとするが・・・体が重い。体を傾けたまま、じっと動きを止める。そして・・・ ああ・・・ と、ため息をついて、もう一度体を横たえた。しんどい・・・ どーん・・・と自分の体の重さを感じる。昨日、ベッドに入ったのは、深夜を回っていなかったっけ。さすがに、ルーナもぐっすりと眠り込んでいて、自分が入ってくるのに気がついていなかった。アラネアが、ベッドの真ん中を占領していたので、仕方なく、右端に潜り込んだような気がする。意識を失うようにそのまま、眠りこけたようだ。イグニスも、毎夜、毎夜よくやる・・・ 朝から夜まで、同じようにオレにつきあってんのに、何であいつは平気な顔してんのかな。1日の終わりはその日にあった会談や、会議の総括をさせられる。イグニスと、その秘書官と、そして稀にグラディオも同席する。そんな意図はないのだが、ふとした拍子に口を出た呟きや、ちょっと質問したことが、なぜか、いつも終わりのない議論に発展してしまう・・・昨夜は何で揉めたんだっけ? そうだ、明後日に迫った評議会でのオレの、いわば所信表明が・・・あいつには、まだ納得いかないんだった。昨日は、別の角度からリスクを分析してきて、それについて一考してくれと迫られたんだ・・・。コル将軍も折れたんだがな。イグニスが一番しつこいなはああああ・・・ ノクトはしんどそうに、息を吐いた。だめだ。どうにも体が持ち上がらない。いったい今朝の予定はどうなっていたろう。ベッドから、サイドテーブルに手を伸ばそうとする。その上に、くしゃくしゃになった予定表がー毎日のように更新されていて、昨日新たに渡されたものだがーが、転がっている。更新されるたびに、予定が増えていくのは何故だ・・・乱暴に紙をつかんで、頭上にかがげてみる。窓から差し込むあかりが、くしゃくしゃなその紙に、びっしりと書き込まれた文字を浮き立たせた。今日の予定・・・8時45分から、グーニ副長官と面談。9時15分、軍再編成の件、10時20分  王宮修復計画の再検討について・・・午前中だけで5件の会議が詰め込まれていた。ランチをしながらの、機密情報管理室の幹部との面談・・・おいおい。昨日も、朝8時過ぎの会議のために、朝食をとる前にイグニスに連行され、簡易な食事を取りながら会議のための準備をさせられ・・・そのまま、居室に戻る暇もなく、深夜まで連れまわされたのだ。ほとんど、ルーナとも顔を合せていなければ、キスの一つもできなかった。やべぇ・・・くしゃくしゃくしゃ。ノクトは紙を丸めた。こりゃ、完全に夜逃げフラグがたってるぞ・・・ げっそりとして、目を瞑る。その時、トントン と遠慮がちに寝室の戸が叩かれた。「ノクティス・・・?」心配したルーナの顔が覗き込んだ。ノクトは、泣きそうな顔で久しぶりに拝む妻の顔を見て、キスをせがむようにそっと両腕を伸ばした・・・ルーナは、案ずるように寂しそうな笑顔を浮かべながら、さっとベッドの横に近づき、疲れきった夫に口づけをした。優しく唇を重ねるが、いつもは情熱的な夫が、さほど執着もせずに、ちょっと唇を吸っただけだったので、ルーナは哀れに思って、その額にもキスをした。「・・・大丈夫?」「死にそうだ・・・」ノクトはせがむようにその体を抱き寄せて、ルーナの胸に顔をうずめた。ほっ とため息が漏れて、安心したように脱力したのがわかる。ルーナは何も言わずに、頭を撫でた。「今・・・何時だ?」「8時です。お食事にしますか?」はああ・・・ ぎりぎりまで寝ていたい気持ちと、しかし、食わねば午前中をとても乗り切れないという冷静な判断が、拮抗する。「食うか・・・」ノクトは諦めて、ルーナから手を離した。ルーナに手伝ってもらいながら、だらだらと着替えて、それから二人して食堂へ向かった。部屋に入って、静かなので、不思議に思っていると、珍しくアラネアが、まだぐずぐずして食事を終えておらず、食卓でうなだれていた。「おはよう・・・どうした?」と、ノクトは、自分も食卓につきながらアラネアの顔を覗き込んだ。ルーナは、困ったように笑いながら、「ウェズリー夫人が、今日もいらっしゃるのよね?」と、代わりに説明する。ああ・・・そういえば、一昨日、はじめての顔合わせがあって、心配したとおり、アラネアとあまり馬があわなそうだと、ルーナが話していた。「先生ならテヨがいい・・・」アラネアは、ぶすくれた顔をして、文句を言った。「テヨはいずれ帰ってしまうからな。まあ・・・今日一日がんばってみろよ。どうしてもいやだったら、オレがイグニスに言ってやるから」ノクトは安請け合いしたが、アラネアはまだ、納得がいっていないようだった。「イグニス・・・嫌い」まあ・・・ ルーナは困った顔をした。「そんなことを言うものではありませんよ。あなたのために、とてもよくしてくださっているんですから」「だって・・・」アラネアの声が小さくなった。「・・・じっと、怖い顔でいつも睨んでる。あーちゃんのこと、嫌いなんだ」ノクトは、ルーナと顔を見合わせた。「あのな・・・イグニスは目が悪いんだぞ」「でも、見てるよ」「それに、イグニスはグラディオみたいにお前に怒鳴ったりしないじゃないか・・・」「グラディオは好きだよ!」とアラネアは、ぱっ と顔を明るくした。「グラディオがさぁ、今度遊びに連れてってくれるって言ってた! キャンプだって、キャンプ!!」いつかな、明日かな? と、こどもらしく、”今度”についての時間の感覚は短い。あいつ・・・適当なこと言って、大丈夫か? ノクトは心配になって、「あのな・・・グラディオだって、忙しいんだぞ。家には小さな女の子もいるし、もう少しで赤ちゃんも生まれるんだ。だから、すぐには連れて行けないと思うぞ」えええ? でも、みんなで行けばいいだろ? とアラネアは、ひとりで合点して、機嫌よく残りの食事をががが、とかきこんだ。さあさあ、先生が来る前に歯磨きをして、机をきれいにしておきましょうね・・・ 食べ物を飲み込んだところ見計らって、ルーナは立ち上がって、アラネアの手を引いて部屋を出て行った。一人残されたノクトは、時計と睨めっこしながら、さほど進んでいない食事の皿を眺める。イグニスを嫌うとは・・・意外だな。こっちへ来てから、顔を合わせるたびにグラディオがアラネアを怒鳴ったり、叱りつけているのは目にしていたが、イグニスはほとんどアラネアに絡んでいなかった。確かに、叱りつけられている割には、アラネアはとんと気にした様子もなく、グラディオに懐いているようだったが。やっぱり、こどもがいるってことで親和性はあるんだろうか。オルティシエでも、連れだっていたしな。こどもにとって、イグニスがとっつきにくいのは、まあ、仕方がないかもしれない。しかし、はっきり、嫌い、と言われちゃうとなぁ・・・ ノクトは唸る。別に、アラネアとイグニスが親しくなる必要性はないが、長く付き合う自分の親友と険悪な中、というのは、どうにもやりにくい。何か、きっかけがあるといいんだが・・・。つらつらと考え込んでいると、トントンと、ノックが聞こえてきた。はっとして、時計を見ると・・・もうお迎えの時間のようだ。ノクトは、やけになって、食べ物をいくつかほうばると、自分が話題に上っているとは想像もしないイグニスが、今日も、平然とした顔で入ってきた。「時間だぞ・・・なんだ。まだ、済んでいないのか?」む・・・ 早速、小言か、と思って、アラネアでなくても撫すくれる。見えもしないのに、もぐもぐと咀嚼する気配だけで言い当てるのだから、確かに、見えていて睨み付けているように感じるかもしれない、と、ノクトも半ば同意した。「イグニス。逃亡フラグが立ってるぞ」「は? なんだそれは?」ノクトは頭を振って、「なんでもない・・・」諦めて重い腰を上げた。午前中・・・朦朧とした意識の中で、面談と会議をこなす・・・会議がヤバイ。何と言っているのか、途中から意識がうすらいで、うつらうつらし始めると、横にいたイグニスがなんでわかるのか、ノクトの足を思いっきり、踏みつける。うっ と痛みに顔をしかめて、ノクトは顔を上げた。小さな会議室の円形に並べられた机に、軍、警護隊、陸軍のそれぞれ幹部がずらずらと並び、ノクトを見ている・・・その最前列で、コル将軍が呆れたように首を振っていた。「したがいまして、一時的に同一組織で統括しておりました、王の剣と、警護隊、それに陸軍をそれぞれ、本来の形に独立いたしまして、これより5年を掛けまして再建をする計画となっておりましたが、この件について陛下よりお考えがあるとのこと・・・」会議の前に会談をしていたグルーニ副長官は、ノクトの様子に気に留めることなく、淡々と話を進める。ノクトは、はっとして・・・そうだ、オレから話をすることになっていたと、気が付き、冷や汗をかいた。「ああ・・・再建の話だったな」聞いてた、ちゃんと、聞いてたって・・・と、ノクトは誤魔かすように咳き込んで「端的に言って、この計画は承認できない。評議会でもこれを通すのは難しいと思っている。第一に、このタイミングに表立って軍備の増強をするな。今は復興が第一・・・武力の増強は諸外国を刺激するだけだ」「しかし・・・副長官が説明されましたとおり、現時点で、ルシスの軍備は、諸外国のそれに劣ります。アコルドのみならず、ニフルハイム連盟における軍備状況も、我々の推定ではルシスの軍備を上まわっています」幹部の一人が、発言する。ノクトは首を振って「旧帝国の残した武器、弾薬を数えあげればそうなる・・・しかし、そんなもの使えるか。使える兵の数もない。実質的な軍事力は相当に低い。プロンプトのレポートを読んだだろ」「陛下・・・お言葉ですが、国の防衛は、最悪の事態を想定して準備するもの。そして、ひとたび危険を察知してもすぐには増強できないのが軍備と言うものです」ノクトは、あくびをかみ殺しながら、首を振った。「10年前と同じ遣り方をするな。軍拡競争を遣ったあげくに競り負けたんだろうが。軍拡競争は衝突のリスクをあげるだけのチキンレースだ。同じことを繰り返すつもりはない。これからは、軍備ではなく外交によって和平を構築する。よって、組織の再編成についても、一から見直せ。オレからは以上だ」と、言い切って、王が途端に静かになった。見ると瞼を閉じている・・・え?! 会議室にいた幹部たちは、一同に驚いて顔を見合わせあった。「陛下・・・陛下!」イグニスが、耳元で呼びかけ、その肩を揺らしたが、ノクトは意識を失うようにそのまま、眠りに落ちていた。穏やかな寝息が聞こえて・・・とりあえず、安堵したイグニスだったが、申し訳ない顔をして、会議の参加者に深々と頭を下げる。「陛下のお言葉は・・・以上です。この件については改めて場を設定させていただきますので・・・」「完全に寝落ちたな・・・」コル将軍はため息をついて、それから幹部の連中の顔を見渡し「国としての国防の方針が決まらないことには動けまい。この件は保留にしよう。それまでは、現状の組織体制を維持してくれ」幹部たちはかしこまって、将軍に礼をした。ごつん!! と頭に衝撃を受け、ノクトは目を覚ました。「いたっ!!!」と、頭を抱えて、机にうっつぷす。な、なんだ?「おめざめかよ、王様!」グラディオの不穏な声がすぐ頭上で聞こえてきた。ノクトが頭を抑えつつ顔を上げると・・・「あれ・・・会議は?」がらんとした会議室からいつの間にか幹部の姿がなく、グラディオと、イグニスが呆れた様子でノクトの隣に立っている。「会議の発言中に寝落ちするたぁ・・・とんでもない歴史を築いたな?」グラディオが怖い顔でにらみつけている。「ね、寝落ち・・・?」ノクトは、さっと血の気が引くのを感じた。「仕方ない・・・オレの方で、ノクトの体調管理が足りてなかった。それ以上責めるな」イグニスは、しかし・・・その声には、怒りや失望が混じって聞こえる。はあああ・・・ もう、無理。ノクトは泣きそうな顔をして、出来る言い訳もなく、ぐったりと椅子にもたれ掛かった。「ノクト。動けるか。動いてくれないと困るんだ・・・王宮の修復計画を話す時間が他にない。もう30分押してる・・・これまでの計画通りでよければ、構わないが」「わかったよ・・・」ノクトは、椅子から立ち上がった。3人はそのまま、エレベータに乗り込んで1フロア上の王の間を目指した「時間もないから移動しながら説明しよう。・・・調査の結果、この部屋全体を修復する必要があるとわかった。欠落した壁のせいで10年の間にじわじわと天井部がゆがんだんだ。ほうっておけば、西棟が崩壊するそうだ」エレベータに乗り込むと、イグニスが慌しく話し始めた。「崩壊か・・・そりゃ、仕方ないな・・・」間もなくエレベータは、王の間のフロアに着いた。普段閉ざされているの王の間は、修復工事のために、その扉が開け放たれ、ひっきりなしに職人たちが出入りをしていた。ノクトたち3人は、職人の合間を縫うようにして中に入った。壁沿いにずらっと足場が組まれており、かなりの人数が一斉に作業をしている。「こりゃすごいな・・・」ノクトは思わず呟く。思った以上に大掛かりな修復だ。「幸い、破壊がひどいのはこの部分だけだ。ここだけしっかり骨組みを修復できれば、王宮そのものの使用はしばらく問題ない。予算の大部分は、ここの修復に使われる。これ以外、他の箇所は主に上下水道や電気配線の修復だな」「そうか・・・」はじめ、ここの修復を渋っていたノクトだが、建物全体の保全に関わる聞けば納得がいく。「しかし・・・内装は、完璧に元に戻す必要はない。吹っ飛んだ踊り場はそのままで構わない。ちっとは予算と工期を削れそうか?」「そうだな・・・建物の外殻構造の修復が済んでから、改めて検討してもいいだろう」「国の顔になるんだぞ? そこでケチるかよ?!」グラディオは文句を言う。「しばらく、国賓を招く予定はないだろうが」「だから、戴冠式と婚礼を・・・」「その話は、後だ」ノクトは、煩いグラディオを遮って、自分はすたすたと、玉座まで進む。玉座は汚れ防止なのか、分厚い白いカバーが掛けてあった。ノクトはなんとなしにその傍に近づいて辺りの様子を伺う。見たところ、床も磨かれて綺麗になっているようだが・・・「はずしてみましょうか?」傍にいた、イグニス付きの秘書官が、気を利かせてたずねた。「ああ・・・頼めるか」「承知いたしました」秘書官は、すぐに近くにいた職人に声を駆けて、カバーをはずさせた・・・グラディオとイグニスが、離れたところに立って、じっとその様子を見ている。カバーの下から現れた玉座は、綺麗に磨かれ、張られていた布地も取り替えられていた。剣の突き刺さった痕跡や、血の染みは、もう、ない。「綺麗に張替えたんだな」ノクトは淡々と呟く。「あったりめぇだろうが・・・」グラディオは、小さく舌打ちしていた。その時、グラディオのヘッドセットに、慌てたような声が届くのを、ノクトもイグニスも気がついた。「おう・・・どうした・・・」グラディオは無線に呼びかける。「え?なに?・・・くそっ!」「どうした?」グラディオはなぜか、いらいらした様子で、ノクトを睨みつけて「アラネアが逃走したぞ。あの、例の夫人からな」と告げる。あああ・・・ ノクトは、額に手を上げて、お手上げの様子を示したが、しかし、内心では同情していた。あいつもさぞ、逃げ出したかったんだろう・・・「15分前だ。夫人が席を離れている間に部屋を飛び出して、そのまま見失ったらしい。すでにあの区画は隅々まで調べたそうだ。・・・となると、他所のフロアに入り込んだな」「まだ時間があるな・・・ オレも探しに行くわ」イグニスは、不満そうな顔を見せたが、ノクトは知らんふりをして、さっさとエレベーターへと向かう。「次の会議まで20分しかない」イグニスは低い声で呼びかけてきた。ノクトは、振り向きもせず、さっと、手を振り替えして、「わかってる。じゃあ、後でな」と言って、グラディオと連れ立って王の間を出た。「・・・たく、お前、あんまりイグニスを怒らせんなよ。あいつ、このところ、全然寝てないんじゃねぇか。お前の無理難題につき合わされてるって聞いてるぞ」「ああ?」ノクトは、人聞きの悪い・・・とぼやきつつ、すぐに思い当たった。大概、夜遅くまで議論したことについて、翌朝、イグニスが何食わぬ様子で新しい資料を用意している・・・いつ寝ているんだ、と訝しがったが、まさか、ほんとに寝てないのか?「こっちは、二人してぶったおれんじゃねぇかと、はらはらしてっぞ」うーん、と唸る・・・実際倒れそうなんだが。しかし、あの涼しい顔をしているイグニスも、無理を押し通しているだけなのかもしれない。くっついている秘書官も、かなりの疲労のはずだ。「イグニスは、王宮ではずっとあんな感じなのか?」「たぶんな・・・あいつは、すぐにこっちに住み着いちまって、オレもよく知らん。和平会議の前もかなりつめてたって話だ」「お前みたいに所帯でももてば、ほどほどにするんだろうが・・・」ばかいえ!! とグラディオは、ぐわっと声を張り上げて「オレがどんなに女房にどやされてるか知ってるか?! こっちも毎日は自宅に帰れてないんだよ! 臨月だってのに!」「おう、今夜は帰れよ」ノクトは、語気を強めて言う。グラディオは、驚いて一瞬口ごもったが「まあ・・・なるべくそうさせてもらうさ」と、しどろもどろに答えた。やがてエレベーターは、3階に降り立った。工事中の合間を進んでいくと、突き当たりに重厚な扉のある、王家の居住域の入り口が見えてくる。門衛として立っている兵士達が、敬礼をして二人のために扉を開けた。すぐに、デュークと、ルナフレーナ、テヨ、そして、明るい茶色の髪の毛を後ろに纏め上げて、いかにも手厳しそうなウェズリー夫人が立ちながら話をしているのが見えた。「陛下・・・すみません、お忙しいところ」ルーナは、あまり深刻でもないような様子で、ノクトに笑いかけた。ウェズリー夫人は、怒りつつ、しかし、心配もしている様子で動揺していた。デュークにあたっては、責任を感じて真っ青な顔をしている。テヨは、苦笑しつつ、存在感を消すように片隅でじっとしていた。「いいんだ。そんな心配することでもないだろ」「ええ、みなさんには、そうご説明したのですが」と、ルーナは苦笑した。グラディオは真っ青になっている部下に近づいた。「デューク、他の連中は今どうしてんだ?」「はい・・・増援を頼みまして、二手に分かれて上階と下階を捜索しています。ベルコが念のため、建物の外周を見に外へ」「怪しいとすれば壁じゃないかなぁ」と、ノクトはのんきに呟く。「壁・・・ですか?」「あいつ、よじ登るのが得意でな。特に高いところが好きなんだ。屋根とか」「屋根って・・・」デュークは、高い塔を見るように頭上をちょっと見上げて、ますます青くなった。グラディオは、舌打ちした。「お前はここで待機しろ。オレも探してくる」デュークは敬礼をして、隊長を見送った。さあ、ウェズリー夫人・・・中でお待ちください、とルーナに促されて、夫人は納得のいかない様子のまま、しぶしぶと応接室の方へ入って行った。ノクトはテヨにさっと近づいて「悪いが、一緒に夫人の相手をしてやってくれ・・・」と耳元に囁いた。テヨはちょっと困った顔をしたが、「わかりました・・・少し、アラネアさんについてお話をしてもよろしいでしょうか? その・・・もと家庭教師として」と、言うので、願ったりだとノクトは喜んで、「そうしてくれると助かるわ。正直、オレも苦手なんだ・・・」と小さな声で付け加える。テヨは、笑った。教育者として、ウェズリー夫人に言いたいことでもあるのだろう。久しぶりに校長先生の顔をして、微笑みつつも真面目な様子で頷いていた。テヨの背中を見送って、ほっと、息をついた。ご夫人の相手は、ルーナとテヨでうまくやってくれるだろう・・・ ノクトはしばし、廊下で佇んだ後、「オレもちょっと探してくるわ」と言い残すと、戸惑うデュークをその場に残して、ふらふらと、廊下を進んだ。アラネアのことだ。上か下か・・・と言えば、上に行く気がするが、しかし、ここは3階だ。外に出るということも、考えられる。王宮の敷地を出られると厄介だな・・・まあ、大型の野獣もいないし、腹が減れば帰ってくるだろう、と、あくまでも気楽でいる。「アラネア!おい、アラネア!」あまり期待もせずに、ひとつひとつ部屋をあけて、声をかけてみる。当然、返答はない。鍵のしまったままの部屋も多い。廊下を半分ほど進み、小さな扉を開けてみた。アラネア・・・ と言いかけて、やめる。なんだ、倉庫か。窓が小さくて、若干薄暗い部屋の中に、戸棚が並んでいるのが見える。戸棚にはこのフロアで使用するシーツの換えや、予備の毛布や、石鹸やトイレットペーパーなどが整然と並んでいる。戸棚の横に、アラネアが隠れるのによさそうなロッカーを見つけて、一応、開けてみたが、モップなどの掃除用具が詰まっていただけだ。はずれだな・・・ と、部屋を出ようと振り返ったとき、がたん、と音がして、思わずびくっと体を震わせる。振り返ると、先ほどのロッカーの上、天井から何か垂れ下がっているのが見えた・・・ 近づいてみると、どうやら通気口のフィルターのようだ。まさか、と思って、2mほどの高さのそのロッカーによじ登ってみた。子どもなら余裕で通れるだろうダクトが、上の方まで続いている。マジかよ・・・ 「おい、アラネア!!」ダクトに向かって叫んでみた。声が篭って響いた。返事はない・・・しかし、外に通じているのか、外気がダクトを通ってノクトの頬を撫でた。オレでも通れるか? ノクトはロッカーに這い上がって、恐る恐る頭を突っ込んでみる。体を斜めにして、肩をすぼめればいけそうだ。グラディオなら絶対無理な幅だ。体を突っ込むと、ちょっと先から明かりが差し込んでくるのが見える。空気の流れからも、すぐに外に通じているように感じる。そして・・・ダクトの一面に、こどもの手の跡。よくやるよ、あいつも・・・ ノクトは一度ダクトから出てから、今度は万歳の格好で両腕を先にいれ、明かりが漏れているほうに手を伸ばしつつ、上体をダクトに押し込む。思ったとおり、そこから外に向かってダクトが水平にまがっているらしい。わずかな出っ張りを見つけて、手を引っ掛ける・・・ぐぐぐぐ。上体を壁に押し付けながら体を引き上げた。金属製のダクトが、ぼわんぼわんと変な音を響かせて、ゆがむ感触があった。黒いシャツにべったりと埃がついた。ノクトは何とか、体を持ち上げて、水平に伸びたダクトの先に頭をねじ込んだ。横道のダクトは少し広くなっていて、その先に金網で遮られた外の光が見える。蛇かミミズのように這い出しながら金網まできたものの・・・開けた形跡がない。ダクトはさらに上に続いていたようだが、こっちには来ていないのか?Uターンは無理だな・・・ ノクトは諦めて、金網の隙間に指を入れ、力任せに引っ張ってみた。何度か揺らしたら、ぼろっと網が取れた。ほっとして、外に頭を出してみると、運よく足場になりそうな広い張出しがあり、外に出られそうだ。王宮の左翼、三階の屋根くらいに当たるのだろう。秋の晴れた空が王宮の上に広がって、その向こうの廃墟のビル群がよく見える。ノクトは匍匐前進のままダクトを這い出て、1mほどの張り出しの上に立った。ズボンも、シャツも・・・埃まみれになって酷い有様だ。両手を眺めると、これも真っ黒。ああ・・・ 酷い疲れを感じて、張り出しのちょっとした段差に、がっくりと腰掛ける。アラネアはもっと上に行ったんだろ。ただのくたびれもうけだったな・・・あの中をこのまま追っていける気がしない・・・。ダクトを通ってそのまま、上の階を目指しているのかもしれないし、封鎖してあるどこかのフロアにでているのかもしれない。必死こいて警護隊が探し回っているんだろうが、ダクトを通るとまで思っていないだろう。アラネアの方が上手だ。探し回るより、腹をすかせて帰るのを待ったほうが早い、と、ノクトは半ば諦めて、その場に脱力した。腕時計をみた・・・思ったとおり、会議の時間までもうわずか。ふうう、とため息をつく。激しい頭痛を覚えて顔をしかめる。もう、慌てて戻っても、どのみち遅刻か・・・考えるのをやめて、目の前に広がる風景を呆然と眺めた。すかっと心地よい秋空の中で、まだ、寒々とした廃墟の都市が見える。もっとも、手前の廃墟ビルの群れに遮られて、ここからは王都全体は見渡せない。王宮の屋上まで上がれば、見渡せるんだろうが、あそこは、まだ封鎖されている。もう少し上から王都を眺めたいな・・・よし! ノクトは両膝を叩いて立ち上がった。「おいー下の階はどうだ?」グラディオは、左翼の6階の廊下をうろうろしながら、無線に呼びかけた。明らかにいらだっていて、無線の向こうから部下が躊躇いがちにー2階、1階・・・隅々まで捜索しましたが、見付かりません「隅々って? 相手はチビだぞ。倉庫や、机の下、ゴミ箱の中まで見たんだろうな?」ーね、念のため、もう一度確認を・・・ちっ・・・ グラディオは舌打ちする。痕跡一つ無いってどういうことなんだ? あのガキ・・・6階も、どたばたと走りまわる部下の足音が響いている。「おい、一人残して、中央棟へ回れ。その次は右翼だ。しらみつぶしに見るしかねぇ」「わかりました!」何人かが廊下に飛び出してきて、そのまま、中央棟を目指して駆け抜けて言った。ーグラディオ無線にイグニスの声が入ってくる。ーああ、イグニスか? チビは、まだ見付からんよーそれはいいんだが・・・実は、陛下も戻られていないはああ?! グラディオは、声を上げる。ー自分も捜索に出ると言い残して、出て行ったようなんだが・・・ーどこに?!ー衛兵が、応接室の前の廊下で目撃したのが最後だなくそっ・・・ ー会議の時間は?ーもう、とうに過ぎてる。悪いが、陛下の捜索を頼めるか? まさか、王宮を出てはいないと思うが・・・ーわかった。そっちを優先すると言ってもな・・・ こどもじゃないんだ。まさか、外壁をよじ登るなんてことはしないだろ??ーどこぞの空き部屋で昼寝でもして寝込んでいるんじゃないのか?ーかもな。倒れていなければいいんだが・・・イグニスは、不安な声を漏らした。グラディオはため息をついてーどのみち、これからしらみつぶしに王宮全部を見て回る予定だ。どっかでサボってんならそれで見付かるだろ。見つけたらすぐに知らせるー頼むグラディオはすぐに、無線のチャネルを切り替えてー全隊員につぐ。緊急事態だ。アラネア嬢と、陛下が、それぞれ行方不明・・・王宮は出ていないものと推定される。これより、全隊員で王宮中を捜索する。第2班は右翼棟、第3班は中央西棟、第4班は中央東棟、第5班は王宮外周部。第1班は、1名を左翼に残し、各班に合流しろ。それぞれ、封鎖区間も含めて、しらみつぶしに捜索するんだ。相手はチビだ・・・棚の中や、物陰までよく見ろよ。陛下の姿を見つけたら、直ちに、オレに一報。ラジャー! という各班のリーダーから頼もしい声が返ってきた。まったく・・・今日も、家に帰れそうにねぇなグラディオは、ため息をついて、自分も、中央棟に向かって駆け出した。

Chapter 25.2-王様始動-

親子が食事を終えた頃、見計らったようにノックがして、給仕とイグニスが部屋へ入って来た。「陛下…ルナフレーナ様、おはようございます。お食事はおすみになりましたか」慇懃な口調とは裏腹に、ちらっと威圧的な視線をノクトに送ってよこした気がするが、給仕がにやにやと笑いながら、「陛下もご完食されましたね。お口に合いましたでしょうか?」と、イグニスにわかるように言う。ほう… イグニスは、少し驚いた顔をした。「大変美味しくいただきました。ありがとうございます」ルーナは丁寧に礼を言い、ルーナに腕を突かれたノクトも「ああ…美味かったな」と、上の空で答えた。給仕はニコニコ顔で、空になった皿を下げていった。「ごちそうさま!うまかったぞ!」アラネアはいつもの習慣で、お皿を下げるのを手伝うと、給仕は恐縮して、これはお嬢様、どうも…と頭を下げる。「さあ、アラネア。寝間着のままではいけませんよ。お着替えに行きましょう」ルーナは立ち上がり、アラネアの手を引いて部屋を出ていった。マリアも、おずおずとその後に続く。イグニスは頭を下げてそれを見送る。堅苦しいな… ノクトはため息をついた。明日はお着替えをしてから自分の部屋を出るのですよ… 優しくたしなめるルーナの声が聞こえたあと、扉が閉まった。「さて…お疲れのところ申し訳ありませんが」とイグニスはノクトに向き直り、一枚の紙を差し出した。「本日から一週間の陛下のご予定をお知らせいたします。本日は、お昼頃までお休みになられて、午後からは側近の者達から順次謁見させていただきます」ん…?  と、ノクトは何やらびっしりと書き込まれた日程表を覗き込んだ。1日目12時ご昼食13〜15時 コル将軍謁見15時10分より、執事長謁見15時25分より、近衛兵隊長謁見16時05分より、政務長官謁見16時25分より、王宮内視察17時45分より、書斎にてルシス国内情勢のご報告ー19時から20時にご夕食と休憩、30分ほど21時 評議会での審議中の案件について12日目8時30分より 国防会議の件(書斎にて)9時10分より 国防会議(第2審議室) 11時30分より グレース大使ご会食、ルナフレーナ様ご同席13時より メルダシオ協会理事謁見14時15分より 国交正常化の件15時25分より…見ているだけで気が遠くなり、ノクトはそれ以上、読むのを諦めた。「なあ、おい…」「何か?」イグニスは涼しい顔をしている。「・・・一週間で夜逃げするのと、このスケジュール見直すのと、どっちがいい?」イグニスは、ため息をついて腕組みをした。「ノクト…来週早々に評議会が開かれる。それまでに急ピッチで準備が必要なんだ。この一週間だけ、耐えてくれ」「オレに選択権なしか…」ノクトはボヤいて、テーブルの上に突っ伏した。知ってはいたが…王様業は想像以上にブラックだ。「チパシでも散々働かされたが…週に1、2度は休みもあったし、夕めしには家に帰れたぞ・・・」あの頃は、ゴダールのやつにこき使われて、キツイと感じていたが、イグニスに比べれば遥かに人道的に思える…「1週間だ、ノクト」イグニスは強く言った。「お前が自由に旅をしたこの数ヶ月のツケだ。文句を言うな」ぐっ… そこを突かれると、何も言えなくない。はああ…  深いため息。「わーったよ…」ノクトは、テーブルに伏したまま、しぶしぶ答えた。「それと・・・アラネア嬢の教育係のことだが」イグニスは唐突に切り出した。あん? とノクトは顔も向けずに答える。「家庭教師なら、テヨがいるだろ?」「テヨ殿は、ラバディオ自治区に行く予定だろ? 来週の評議会でヴィンカー女史を紹介する手はずも整っている。いずれにせよ・・・彼は、ルシスには短期の滞在だ。きちんとした教育係がいる。急なことなので、人材の選定に難航しているんだが・・・ノクト、ウェズリー夫人を覚えているか」「ウェズリー?」「マーガレット・ウェズリー」フルネームを言われてもさっぱりで、ノクトは首を振る。呆れたように、イグニスはため息をつき、「第110代 ソムニス国王陛下の血筋に当たる家柄だぞ。公式行事では、これまでも何度か顔を合せている。数少ない王族の関係者くらい、覚えておいてくれ」と苦言を呈した。ふん、と、ノクトは反抗するように鼻を鳴らした。「王室内に入ってもらうのに、素性のわからない者では困るからな。まだ、正式な回答がないが・・・恐らく引き受けてもらえると思う。正式に受諾されたら、速やかに王宮へ迎えるつもりだ。構わないな?」うーん・・・とノクトは唸りながら、「・・・王族関係者なんて、あいつが言うことを聞くような相手か? どっちかが逃げ出すんじゃないかなぁ」「王宮に住まう限りは・・・そしてお前の関係者としてここで生きていくなら、いずれ、王家のことは学んでもらわなければなるまい」ノクトは、むっ と体を起こして、イグニスを見た。「アラネアはオレら夫婦のこどもとして連れて来た、と、言ったはずだぞ」イグニスは、難しい顔をしてため息をついた。何か言おうとしたが、躊躇い、そして首を振りながら「・・・その件については、また、いずれ話そう。今は、評議会の準備だけで手が一杯だ。これから一週間、面会と会議には、だいだいオレが同席する。今日、午後の将軍との会談だが、グラディオもくる。時間が限られているが、ざっと4人の中で認識を合せておきたい・・・サボるなよ?」イグニスは、見えていないくせに、じっと、ノクトの方に目を向けてにらんでいるように見えた。うっ・・・ 見透かされて、どきっとしたノクトは、思わず、体をびくっとさせた。イグニスは、ノクトの反応を感じ取って、ニヤッと笑うと、また、慇懃な態度に戻り、深々と礼をした。「では、陛下…午後、こちらまでお迎えにあがりますので。それまでゆっくりお過ごしください」ぱたん・・・ と扉が閉じる音がして、ノクトは、はああああ・・・・ と力なくまた、テーブルの上に伸びた。ちらっともう一度、日程表を見る・・・マジかよ。分刻みで予定が書かれている・・・ほんとんど知らない名前がつらつらと並び、会談や面会が続く。そして合間を縫うように、会議、会議、会議・・・ くしゃくしゃくしゃ・・・ ノクトが突然、紙を丸めたので、ひとり部屋に残っていた衛兵が呆気にとられた顔をした。しかし、ノクトがちらっと顔を向けると、何食わぬ平静な顔を繕って、何も見ていないように前を向いた。「・・・しらじらしいな。言いたいことがあるなら言ってみろ」と、ノクトは意地悪く言ってみたが、衛兵は「いえ。自分からは何も」と棒読みに返した。ふーん・・・ とノクトはその顔を眺めた。まだ十分に若いだろうが、色白で、栗色の巻き毛のため、余計あどけなく見える。体つきを見れば、訓練された立派な警護隊員だ・・・そのギャップが、面白かった。「名前は?」ノクトは気まぐれに聞いた。昨日、王宮へついたときも、王室つきの衛兵たちを一通り紹介されたのだが、全然、頭に入っていなかった。「自分は、デューク・オルトレイです」「歳は?」「今年、23になります」「若いな・・・」「はい」と思わず、デュークは答えて、それから「いえ・・・その、まだ未熟者です」と慌てて言い直した。ノクトは、へ、とデュークを見て、それから・・・そうか、オレはあいつらからみたら、十分オヤジなんだな、と思い、くくくくく・・・と笑いがもれた。「あの・・・失礼を・・・しましたでしょうか・・・」デュークは顔を赤くして、俯いた。内心がばれたと思って、縮こまっているようにも見える。「いや。オレは口がうまいやつは苦手なんだ。君とは仲良くやれそうだな」王は楽しそうに笑ったが、デュークはますます、縮こまっていた。「オレは10年クリスタルに閉じこまれていたんだ。見てくれだけふけちまったけど、精神年齢は君とさほど変わらない。頼んだよ、相棒。どういうシフトか知らんけど、毎日のように顔を合わせることになるんだろ?」え・・・と、デュークは答えに困りつつ「シフトは・・・その、およそ、昼ごろまでの早番と、夜勤もたまに」と答えた。「ふううん。早番と夜勤か。結構きつそうだな・・・なあ、この業務量どう思う?」ノクトはくしゃくしゃにした紙を広げて、デュークの方へ差し出した。デュークは、戸惑いつつその紙を覗き・・・ ああ・・・ と思わず声を漏らす。「な? 酷いよな、これは?」なんとも同意しづらく、ええと・・・と口ごもる。「王様は年中無休で24時間営業らしいぞ・・・オレも衛兵に転職しようかな・・・」ノクトは、しんどそうに紙をちらっと眺め、また、くしゃくしゃと丸めた。デュークは、やや、同情したような目をノクトに向けた。が、ノクトが顔を上げると、慌てて、目をそらして平静な顔に戻そうとした。「それは・・・衛兵の教育なのか? 普通にしてろよ。普通にして、口ぐらい聞いてくれ」デュークは、困った顔をして・・・恐る恐るノクトの顔を見る。「・・・王の部屋では、安全を確認しつつ、陛下たちの言動は見ない聞かない、と、指導されておりますので」「知ってるよ。そう聞いている・・・こどものころからな。でも・・・見られてるこっちは、そうは思えないんだよ。いつでも見られてるし、聞かれてるんだ。そこに人間がいるからな。だから、ガキの頃、よくからかったわ。衛兵の前で、わざと変なことを言って笑わせたりな。せめて、機械じゃなく、人間らしく反応して欲しいって思ってたのさ」ノクトが、やや寂しそうにそう言うと、デュークは素直に申し訳なさそうな表情をして、ノクトの方を向いていた。「陛下・・・」ノクトは、デュークの深刻そうな顔を見て、思わず、噴出した。ぶははは・・・デュークは、また、失態をしたろうかと戸惑っていた。「わるいわるい・・・この通り、ちょっと頼りなくて捻くれてる王様だ。部屋にいるときまでカッコつけてたらくたびれるからな。慣れてくれ。デューク、改めて、よろしくな」ノクトは、デュークに手を差し出した。デュークは、恐縮しつつ、その手を恐る恐る握り返した。わあああ・・・ と廊下の方が賑やかになり、二人は同時に、振り返った。あの声はアラネアだな・・・ とノクトは苦い顔をして「君の相棒の・・・なんといったか」「ベルコですか?」「ああ、あいつ、なかなかガタイがいいし、体力ありそうだな。壁によじ登るのも得意か?」「壁・・・ですか?」ははははは・・・ ノクトは乾いた笑いをしながら、戸惑うデュークを伴って廊下に出た。1日目・・・午後の会議は、親しい顔ぶれとあって、ノクトは寛いだ気分でイグニスにくっついて、一家が住まう区画をでて、王の間のある塔まで移動をした。一家の居住区域を出ると、途端に、あちこち改装中で、むき出しの鉄骨やら、建材が詰みあがる光景が続いている。たがだか王宮内の移動に、イグニス以外に衛兵が2人もくっついて移動するので鬱陶しいと思っていたが、王宮内の工事のために、慌しく出入りする外部の人間が多いためだろう。職人たちは、時折ちらちらとノクトを気にして、頭を下げるものもあるが、意外と反応は淡白である。場所、場所で警備にたつ警護隊の面々は、前を通り過ぎるたびに敬礼をした。イグニスの脇には、和平会議でも同行していた秘書官がついており、時折、ノクトの方を振り返っては、王宮内の修復状況について報告する。「ご覧の通り・・・陛下の居室の区画以外は、なかなか修復が追いついておりません。審議が行える区間も非常に限られております。評議会会場も王の間の直下にございますが、誠に恐縮ですが王の間の修復が同時に進行しておりますので、かなり騒音がいたします。評議会開催時意外には、工事は中断せず、との補佐官のご判断ですので、ご理解を承りますと幸いです」やけに年寄り臭い奴だな・・・ 和平会議でさほど印象もなかったが、ノクトはまじまじと彼の様子を見た。秘書官は、イグニスよりも若いように見えるが、秘書官の黒い制服をきちっと着こんで、髪の毛は一糸乱れぬよう整髪料で固めていた。いかにも、硬そうな秀才タイプだ。ええと、名前はなんだっけ・・・ あんまりにも関係者が多すぎて覚えていられない。名札でもつけておいてくれればいいんだが。その時、はいごでどん! と重い何かが落下するような音がして、一同にちょっと緊張が走った。衛兵が、さっと、ノクトの身を庇うように身構えたが、遠くの方で おら! 気をつけろ! 危ないだろうが! と職人が怒鳴る声が聞こえて、ほっと緊張が緩んだ。「おい!どうした?」念のため、と衛兵の一人が音のするほうへ少し近寄って状況を確認した。すみません! 建材が一つ落ちまして・・・ と慌てる声が返ってくる。「問題なさそうだな。先を急ごう」と、イグニスがまた、一行を先導し始めた。「おい、イグニス」ノクトは徐にその横に並び、声を駆ける。「随分派手に修復してるが、最低限にしとけよ。玄関ホールの内装なんて後回しでいい。あと、王の間も、修復を急ぐ必要があるのか?」「どういう意味だ?」イグニスは驚いて立ち止まった。「謁見するのにあんなでかい部屋が必要かと言ってるんだ。あの部屋はなんに使うにしても機能的じゃない。見てくれのために無駄な支出をさせるな。あとな・・・工事を急がせるとけが人が出るぞ」イグニスは、はっとした顔をして「・・・わかった。あとで、修復計画についても説明する。見直しが必要か検討しよう。だが、王の間は、戴冠式と婚礼までに間に合わせる必要がある」「戴冠式と婚礼・・・」うーん、とノクトは唸りながら、秘書官がエレベータに乗り込んだ後に続いた。イグニスもその後に続こうとして、ノクトの肩に少しぶつかった。大よその方角は、音や、空間の記憶からわかるが、これだけ狭い場所に大勢乗れば、予測は難しいだろう。ノクトは、イグニスの腕を引いて自分の傍に寄せる。「悪いな・・・」イグニスは少しだけ、気後れするような様子を見せた。「変なところで気取るな、ばーか」ノクトは軽口を叩きながら、しかし、なにやら考え込んでいるのが、イグニスにも分かった。ぴこーん、と音がして、エレベータの扉が開く。10年前にも、王の頭脳と言われていた王国審議会が使用していた広い会場に入る。重厚な黒い長テーブルが、どーんとその真ん中にあって、奥の正面、王が座るための椅子だけが、テーブルの両脇に並ぶ椅子よりも一際大きい。その手前にコル将軍とグラディオが並んで座っていたが、一行が入ってくるのを見て立ちあがった。「お待たせしました、将軍」イグニスが挨拶しながら、奥へとノクトを誘導する。ノクトは・・・一瞬躊躇った後に、かつて父が座っていたその椅子に腰を下ろした。イグニスと秘書官は、グラディオたちと向き合うように座った。いつもは数十人が取り囲むこのテーブルの端に、寄りかたまり、ついて来ていた衛兵は、一行よりも遠く、会議室の入り口の両脇にじっと立っている。がんがんがんがん・・・ なるほど。先ほど秘書官が述べたとおり、頭上から盛大な工事の音が響いてきた。続いてドリルの振動が伝わってくる。ノクトが頭上を気にしていると、コルはため息をついた「落ち着かないとは思うが、他にあまりいい場所もなくてな。時間もないのではじめよう」イグニスは、頷いた。「本題に入る前に・・・どうだ、そこのすわり心地は?」コルは、にやっと笑いかけた。その横で、グラディオも挑むように目をぎらぎらさせている。イグニスは、ふっと笑みを浮かべてノクトの反応を探っているようだ。ノクトは、彼らの顔を順番に眺めつつ・・・「まあ・・・悪くないな」としぶしぶと答えた。コルは、急に厳しい顔つきに変った。「随分前にも言った気がするが・・・お前の覚悟をまっている暇はないんだ。とっととその椅子に慣れろ。1週間後には、この同じ場所で評議会が開かれる。王の帰還後はじめての評議会となる・・・言ってみれば、ルシス王がこの評議会でどのような立場となるか、お前自ら明らかにする必要がある。現時点では、評議会は”暫定政府"という名の下に開催されている。ここから正式に、ルシス王国の政府を成立させるためには、まず、王室審議会の代理として評議会で王の即位を承認、そして今度は国王がこの評議会を正式な政府として承認する」「審議会から承認されて、審議会を承認するのか? なんだか茶番だな・・・」と、早速ノクトは、ぼやいた。「茶番だろうがなんだがろうが、構わない。今は、10年前の法的な組織はすべて壊滅し、法的によりどころとなる権威はどこにも存在しない。えいや、と進めて、内外に公認されれば、あとはどうにでもなる。しかし、この茶番だけでも、障害がある」いつのまにか、一同の間に緊張が高まっていた。怖い顔をしているコルやグラディオ、イグニスの顔を見る。なんだよ、早速、何かあるっていうのか・・・「オヴァール市長のことは、イグニスから聞いているだろう」「ああ。アラネアに気があるってオッサンか」「そこはどうでもいい!」グラディオがいらっとして、怒鳴った。しかし、アラネアの名前が出て、コルが柄にもなく動揺しているのが一瞬見えて、ノクトは可笑しかった。「ノクト、いちいち茶化すな、時間がない・・・」イグニスがコルのあとを引き取った。「アコルドでもちょっと話したが、オヴァールは急進派の連中とつるんで、これまで散々、王室制度の撤廃を目論んできた。ノクトの生存が確認されて、やっと諦めがついたかと思っていたんだが・・・このところ、また、怪しい動きをしている。来週の評議会で、彼がどのように出るか・・・まだつかめていないんだ。だから、あらゆる事態を想定して、準備をしておきたい」ふん・・・とノクトは、考えるように鼻を鳴らした。「それで、想定される事態っていうのは?」「ひとつは・・・なんだかんだと難癖をつけて、即位の承認を遅らようとする可能性がある。王室の規定では、王の即位は、その王位継承者にたいして審議会の全会一致の承認が必要となっている。ルシス王国の歴史上、審議会が継承者の即位を否認したことは一度もない。これは、長い間、形式上の手続きとみなされてきた。オヴァールがこの規定を持ち出す可能性がある」「他には?」「10年前の和平協定だが・・・もちろん、あの協定は明らかに無効だが、その内容を持ち出す可能性が考えられる。インソムニアを除く地域を、ルシス王権が放棄すると言う、あの条項だ」んん・・・ ノクトは、深くため息をつき、しばし、目を閉じた。それから、自身も険しい顔をになって、側近達の顔を見返した。「だが、策は練っている・・・」とイグニスが言いかけたが、ノクトが首を振ってそれを止めた。「あのな・・・今の話だけで、オヴァールに何か非があるのか教えてくれ」え・・・ と一同は、驚いて、押し黙る。「そうでなくても、レスタルムは随分前から魔法障壁からはずれて、他の地域よりも自治権も大幅に認められていただろ。名実ともに王室が消滅していたこの10年、お前達も協力してきたとは思うが・・・王室から独立して、自力でルシスや難民達を取りまとめてきた。そうじゃないのか? 今頃になって王家に復活されて困る、という心情は十分に理解できる」「では、お前は・・・」と、コルは怖い顔をして声を荒げた。「オヴァールの言いなりに王室を放り出すつもりか?」「そうは言っていない」ノクトは冷静に返した。「ただ・・・今の話、お前たちははじめから対決をするつもりでいるらしいが、オレは対決すべき相手とは、思っていない。少なくとも今の時点ではな。マルコのように私利私欲でレスタルムを支配しようというんだったら、全力で闘うさ。しかし、実際どうなんだ? 多少の狸だとは聞いてる。しかし、そこまであくどい男か?」そう問われて、コルは勢いをそがれて、グラディオとちょっと顔を見合わせた。イグニスは、俯き加減のまま「・・・あくどい、というほどではない。それなりに、権力欲はあると思うが、彼はどちらかというと実業家だ。自分の手腕を試したいのだろう。オレはそう理解している」と呟いた。「ただ・・・レスタルムの自治に何の問題もないか、というとそうではない。スラム化した地域の問題は、彼の手に余っているし、公共福祉の多くが、今は、メルダシオ協会だのみだ。そういった点では、アコルドの状況に似ていなくもない。ただ、彼が繋がっている相手は、帝国貴族ではなくて、経済界だ。古くからのルシスの商人たちもいて、自然と自浄作用は働いている・・・いまのところはな」イグニスは含みを持たせた。「お前は広い心で話を聞こうって言うんだろうが・・・あっちはそうじゃねぇぞ」グラディオも、口を挟んだ。「わかりやすい悪人じゃないから、やっかいなんだよ。あの手この手で揺さぶってくるからな。お前が甘い顔をしていると、すぐに漬け込まれるだろうよ。綺麗ごとじゃ、すまねぇんだ。のうのうとして、実権を握られてみろ。それから本性を表して国を荒らされても・・・後の祭りだぞ」ノクトはまた、目を閉じて考え込んだ。両手を組んで、口元に当てている。和平会議が終わったと思ったら次はこれか・・・ 不信感が渦巻き、お互いの足元をすくおうと、隙を狙いあっている・・・ 食うか、食われるか・・・ 政治とは常にそんなものなのか。ああ・・・めんどくせぇ「あのさ・・・聞きたいんだが、ルシス国民は今も王室を支持していると思うか?」グラディオは呆れたような顔をして、「見ただろうが、昨日の歓迎振りを」「コルはどう思う?」「あたりまえだ。国民の支持は変っていない」「イグニスは?」と、問われて、イグニスはちょっと押し黙った。「それは・・・意味合いにより、異なるだろう。ルシス王家そのものに反発をしているものは、あまり多くはないが・・・」イグニスは言い淀んだ。「正直、オヴァールの支持者も少なくはない、ってとこか?」「そうだな・・・」「しかし、それは・・・こいつが不在だったからで」グラディオはしどろもどろに、反論する。イグニスは、苦しそうな表情でため息をつき「オヴァールはもともと、レスタルムの大実業家で、古くからの名士だ。長い間実業団の会長をしていたし、市議会議員も3期務めている。4年前の市長選では、圧倒的な支持を集めて当選した。なにより・・・10年前のあの混乱の中で、彼の率いる実業団が経済と食料計画を支えた功績が大きい。これまでは、市民の前で表立って王家を批判したことはなかったが、彼がこれから公然と王室の是非を問うようになれば、影響力は小さくない」コル将軍も、難しい顔をして腕を組んだ。「なあ・・・オレはオヴァールに張り合って人気取りをするのはごめんだ。ルシス王家を今後どうすべきか、オレたちだけで決めるべきじゃないと思っている」「どうするつもりだ?」コルは低い声で聞いた。「民に問う・・・和平会議でも言ったろ?」ノクトは穏やかに笑った。